はじめに - 並木良和
この本を手に取ってくださって、ありがとうございます。
タイトルを見て、少し驚いた方もいるかもしれませんね。「この世はゲーム」って、いきなり言い切られると、軽く聞こえることもあると思います。真面目に生きてきた人ほど、「そんな簡単な話じゃないよ」と感じるのも自然です。
でも、ここで私が伝えたい“ゲーム”は、ふざけるという意味ではありません。むしろ、私たちが必要以上に背負い込んでしまった重さを、そっと降ろすための言葉なんです。
人生って、気づかないうちに「間違えちゃいけない」「失敗しちゃいけない」「ちゃんとしなきゃ」というルールでいっぱいになりますよね。すると、心も身体も固くなって、選べるはずの道が見えなくなってしまう。
だから私は、まず“整う”ことを大切にしています。深呼吸をして、肩の力を抜いて、今ここに戻る。それだけで、見える世界が少し変わります。
この仮想会話では、パラレルや波動という言葉を、できるだけ生活の言葉に戻しながら話しました。難しいことを覚える必要はありません。大切なのは、あなたが「今日、少し楽になれたか」「少し優しくなれたか」「少し選べる感じが戻ったか」です。
答えは外にあるよりも、あなたの体験の中にあります。
どうか、あなたのペースで読み進めてみてくださいね。
(本稿に記されている対話はすべて仮想のものであり、実在の人物・発言とは関係ありません。)
Topic 1 パラレルは存在するのか 選んでいるのか

夜の都内。小さなスタジオの丸テーブル。窓の外には雨のにじんだ街灯。テーブルの真ん中に、この世はゲームが置かれている。コーヒーの湯気がゆっくり上がり、誰も急がない空気がある。
茂木健一郎
今日は結論を急がずにいきましょう。目的は、この本が言う「ゲーム」の核心を、抽象ではなく実感に落とすことです。最初の問いを投げますね。
パラレルワールドがあるとして、それは本当に世界が分岐して存在しているのか。それとも私たちの意識が、同じ世界の別の見え方を選んでいるだけなのか。並木さん、まずは著者として短く言うとどうなりますか。
並木良和
僕がこの本で伝えたかったのは、物理学の証明よりも、体験としての事実です。パラレルは、どこかで枝分かれしているというより、最初から無数に用意されていて、私たちがどれに「合っているか」で体験が決まる。だから、世界が変わるというより、自分が合う世界が変わる。ここが第一歩です。
本田健
僕の読者さんの感覚に合わせるなら、こう言い換えられると思う。人生には「同じ出来事でも全然違う物語になる」瞬間がある。仕事の失敗が、ある人には終わりで、別の人にはスタートになる。これって外の世界が同じでも、入ってくる現実が違うんです。並木さんの言うパラレルは、そこを極端に、でもわかりやすく説明している感じがします。
落合陽一
僕は情報として捉えたい。世界は一枚岩じゃなくて、観測と解釈が重なって現実が立ち上がる。パラレルという言葉は、別の宇宙が無限にあるというより、情報の取り出し方が違う状態空間があるという表現に近いと思う。重要なのは「どんなアルゴリズムでチャンネルを選ぶか」。本がゲームと言うのは、そのアルゴリズムを書き換えられるという含みがある。
バシャール
パラレルは存在する。あなたは毎瞬、無限の現実からひとつを選んでいる。あなたがそれを選ぶ基準は、信念と定義と感情の周波数だ。だから世界が先にあってあなたが後ではない。あなたの状態が先にあり、それに整合した現実が現れる。あなたが変われば、あなたの現実も変わる。それが仕組みだ。
ドナルド・ホフマン
私の立場は少し違います。私たちが見ている世界は、進化が作ったユーザーインターフェースのようなものだという見方をします。つまり、世界をそのまま見ているのではなく、生存に有利な表示を見ている。パラレルという表現は、そのインターフェースの表示モードが複数ある、と言い換えられるかもしれない。ここで大事なのは、表示を変える方法があるのか、そしてそれがどれほど安定しているのかです。
茂木がうなずき、指先で本の表紙を軽く叩いた。
茂木健一郎
なるほど。今の話をまとめると、物理学の多世界かどうかより、体験として「整合する現実が立ち上がる」という見方が共通している。そこで二つ目の問いです。
この本の中核は、ルールにあたる部分だと思います。私たちは何によって、どのパラレルを体験しているのか。言い方を変えると、ゲームのコントローラーは何ですか。思考、感情、身体、行動、信念、注意。どれが最も根っこでしょう。
並木良和
最も根っこは「在り方」です。思考や感情は表面に出ますが、その奥にある設定です。自分がどんな世界を当然だと思っているか。安心が当然なのか、不安が当然なのか。そこが現実の選択を決めてしまう。そして在り方は、頭で命令して変わるものではなく、身体と呼吸と許可で変わる。ここがゲームっぽいところです。ボタン連打じゃなくて、設定画面を変える。
本田健
僕は実務的に言うなら「許可」だと思う。豊かさとか愛とか、受け取っていいと自分に許可するかどうか。許可が出ると、同じ状況でもチャンスが見え始める。許可が出てないと、チャンスが来ても怖くて断っちゃう。だからパラレルって、外の世界というより「受け取れる世界」なんですよね。
落合陽一
注意と解像度。人は見たいものしか見ない。注意がどこに向いているかで、世界のサンプリングが変わる。だから「周波数」は比喩としては悪くない。高い低いというより、どの情報帯域にチューニングしてるか。信念はその帯域フィルター、身体はノイズ、行動はフィードバックループ。コントローラーはひとつじゃなくてシステムです。
ドナルド・ホフマン
私は「適応的な知覚」が鍵だと思います。注意と行動のループが、あなたの現実を固定化させる。信念は予測モデルとして働き、脳はそれを守るために証拠を集める。だから現実を変えたければ、予測モデルが変わる体験が必要になる。その点で、並木さんが言う「身体と許可」は、モデル更新のための入り口として理解できる。
バシャール
最も根は信念だ。信念が定義を作り、定義が感情を生み、感情が周波数となり、周波数が現実を選ぶ。あなたが望む現実を選びたければ、自分が何を本当だと信じているかを明確にし、不要な信念を手放し、望む信念に置き換えよ。だが努力ではない。軽さと喜びが道しるべだ。
雨音が少し強くなる。茂木は少し間を置いてから、最後の問いを置いた。
茂木健一郎
では三つ目。ここが一番大事です。パラレルを「選ぶ」という話は、言い方によっては危うい。うまくいかないことを全部自己責任にしたり、他人の痛みを切り捨てたりできてしまう。だからこそ、このゲームを健全にプレイするための最低ルールが必要です。
この本の思想を、逃避にも自己否定にもせず、人生を良くするために使うなら、何を守るべきですか。
並木良和
まず、自分を責めないことです。現実は罰じゃない。気づきのためのサインです。そして誰かの苦しみを「その人が選んだ」で片づけない。相手の体験は相手の体験として尊重する。その上で、自分ができる最善を差し出す。ゲームというのは、軽くなるための言葉で、人を切り捨てるための言葉ではありません。
本田健
僕は二つ。ひとつは優しさ。もうひとつは現実的な一歩。どんなスピリチュアルでも、最後に行動が一歩も変わらなかったら、人生は変わらない。だから「軽くなる」と同時に「今日できること」を小さくやる。その小ささが、次のパラレルへの橋になります。
落合陽一
検証可能性を残すべきだと思う。全部を信じなくていい。小さく実験して、結果を見る。その態度が宗教化を防ぐ。自分の内面を変えたら、どんな行動が変わったか、どんな出会いが増えたか、どんな選択肢が見えたか。そこにログを残す。それがゲームならセーブデータです。
ドナルド・ホフマン
同意します。加えるなら「慈悲」です。人は見えているインターフェースが違う。だから他者を裁くのは簡単ですが、それはあなたのインターフェースの話にすぎない。現実を変える自由があるとしても、その自由は他者への敬意とセットで扱うべきです。
バシャール
基準はシンプルだ。あなたがその考えを使って、より自由に、より親切に、より創造的になるなら、それは整合している。もし恐れ、優越、分断、自己否定を強めるなら、それはあなたの定義が歪んでいる。喜びはコンパスであり、愛はガードレールだ。
茂木は静かに息を吐く。テーブルの上の本を手のひらでそっと押さえ、最後に短く言った。
茂木健一郎
今の3つの問いで見えてきたのは、この本が言う「ゲーム」の中心が、パラレルの理屈ではなく、プレイヤーとしての状態と選択にあるということです。
つまり、世界を説明する本というより、自分の設定を変える本。ここが本質でしょう。
Topic 2 波動や周波数を日本語で言い換えると何になるのか

都内の静かなラウンジ。照明は柔らかく、テーブルの中央には小さな砂時計が置かれている。外はまだ雨が残り、窓に街の光がゆらいで映っている。話題は自然に、次の段階へ移っていく。
中野信子
Topic 2は、ここが本の実用部分だと思います。波動、周波数、在り方。言葉がふわっとしているほど、誤解も期待も膨らむ。だから今日は、スピリチュアルの言葉を生活の言葉に翻訳していきたい。最初の問いです。
波動という言葉を使わずに、この本が言っていることを一番近い言葉で言うなら何ですか。
並木良和
僕の感覚では、波動は「自分がどんな現実を当然だと感じているか」です。安心が普通なのか、緊張が普通なのか。愛が普通なのか、欠乏が普通なのか。言い換えるなら、デフォルト設定。人はデフォルト設定に合う出来事を拾って、合わないものを見落とす。だから波動は魔法じゃなく、日常の選び方なんです。
斎藤一人
難しい言葉にしなくていいんだよ。波動ってのは、機嫌。つや。軽さ。目の前の人がホッとするかどうか。運がいい人って、だいたい感じがいいんだよ。感じがいい人はチャンスも人も寄ってくる。だから波動を上げるって、誰かを安心させる自分でいるってことだと思うね。
加藤諦三
私の言葉で言えば、波動という語は「慢性的な心的緊張の水準」や「自己否定の強さ」に近い。自分を肯定できない人は、外界を脅威として解釈しやすい。その解釈が行動を狭め、結果として不利な現実を繰り返す。つまり波動を変えるとは、自己否定をほどいて、世界の解釈の枠を変えることだと考えられます。
ヴィクトール・フランクル
私には「態度」と聞こえます。状況を選べないときでも、態度は選べる。態度は意味への向き方であり、苦しみの中でも人が人でいられる最後の自由です。波動という語が示すのは、外界の出来事ではなく、出来事に対する内的な姿勢。そこにこそ人間の尊厳があります。
リサ・フェルドマン・バレット
私の研究から言うなら、感情は身体状態と過去経験から脳が作る予測です。波動を「感情の周波数」と言うと神秘的ですが、実際には身体の状態と注意と概念の使い方が大きい。言い換えるなら、身体のエネルギー管理と、脳がどんな意味づけをしているか。疲れていると世界は暗く見え、回復すると同じ世界が違って見える。これを丁寧に扱うことが重要です。
中野は静かにうなずき、砂時計をひっくり返した。
中野信子
今の話はかなり揃いました。波動は超常現象というより、デフォルト設定、機嫌、緊張水準、態度、身体状態と予測。では二つ目の問い。
この本は、波動を変えると現実が変わると言います。けれど、現実が変わる前に変わるものがあるはず。波動を変える最短の手順を、できるだけ具体的に言うなら何ですか。
並木良和
最短は、身体に戻ることです。呼吸、姿勢、緩める。次に、判断を一度止める。良い悪いではなく、今の状態を認める。最後に許可です。安心していい、受け取っていい、楽しんでいい。これが入ると、行動が自然に変わります。頑張るより、設定を戻す。僕はここを繰り返し伝えています。
斎藤一人
最短はね、今いる場所の空気をよくすること。笑顔、ありがとう、ついてる。これでいいんだよ。難しい修行じゃない。目の前の人に、ひとつだけ気持ちよくなる言葉を渡す。そしたら自分も軽くなる。軽くなると運が動く。運ってね、気持ちの結果なんだよ。
加藤諦三
私は、最短の手順は「自分への要求水準を下げる」ことだと思います。人は理想の自分像に縛られるほど苦しくなる。苦しさが続くと、世界は敵に見える。まず自分に対する苛烈さをゆるめる。次に、恐れの根にある自己否定の言葉を見つけ、言語化して距離を取る。そこから行動の選択肢が増える。波動が上がるという表現は、選択肢が増えるという現象に近い。
ヴィクトール・フランクル
私なら、最短は「意味への向き直し」です。苦しみを消そうとするより、苦しみの中で何を果たすかを問う。人は意味を見出すと、耐える力と優しさを取り戻す。その瞬間に世界が変わったように感じる。あなたが変えるべきは現実ではなく、現実に対する立ち方。そこに自由がある。
リサ・フェルドマン・バレット
私はまず睡眠と回復を推します。身体の予算が枯渇していると、脳は脅威予測を強め、感情は重くなる。次に、感情語彙を増やす。ざっくり不安ではなく、緊張、焦り、孤独、疲労など細かく名付けると、脳の予測が変わり選択が増える。最後に、身体を少し動かす。短い散歩でも良い。波動という言葉を使わずとも、現実の感じ方は確実に変化します。
中野はしばらく黙ってから、声のトーンを一段落とした。
中野信子
ここで三つ目の問いです。これが重要。波動が低い、現実を選んでしまった、だから自分が悪い。こういう自己責任化は、心を壊す方向にも行きます。逆に、全部気のせい、努力なんて無意味、という逃避にも行く。
この本の考えを健康的に使うために、うまくいかないとき自分を責めないための最低ルールを、みなさんの言葉で言ってください。
並木良和
まず、うまくいかない日はあっていい。波があるのは自然です。次に、現実は罰ではなくサイン。責めるより整える。最後に、他者の経験をあなたの理屈で裁かない。自分の内側を整えながら、できる範囲で優しさを差し出す。これがゲームを健全にするルールです。
斎藤一人
責めるとね、重くなる。重いと運が止まる。だから、責めそうになったら、いったん自分に優しくする。甘やかすじゃない。回復させる。今日一日だけでも機嫌よくいようって決める。そしたらまた動き出す。いい日も悪い日もある。それでいいんだよ。
加藤諦三
最低ルールは、現実の結果と自分の価値を結びつけないことです。失敗したから無価値ではない。うまくいかないのは、恐れが強いからであり、それは多くの場合、過去の傷から来る。自責ではなく理解が必要です。理解が進むほど、人は現実に対して柔軟になる。それが波動という語の示す変化と一致します。
ヴィクトール・フランクル
苦しみの中でも人を守るのは、尊厳です。尊厳は、あなたがあなたを扱う態度に表れます。うまくいかないときこそ、自分に対して人間として接する。問うべきは、なぜ私はだめなのかではなく、今ここで私はどんな態度を選べるのか。態度の選択は小さくても、確実に人を救います。
リサ・フェルドマン・バレット
私は、感情はあなたの本質ではなく、脳の予測の産物だと伝えたい。落ち込む日があるのは異常ではない。身体の予算、ストレス、環境、睡眠不足で簡単に変わる。だから責めるより、条件を整える。さらに、感情に物語をつけすぎない。私は終わっている、ではなく、今は疲れている。こう言い換えるだけで、次の選択は変わります。
砂時計の砂が落ち切る。中野は本を指先でなぞるように触れ、短く結ぶ。
中野信子
Topic 2で見えた本質は、波動という言葉が、実はとても現実的な要素の束だということでした。デフォルト設定、身体状態、注意、語彙、自己否定の緩み、意味への態度。
この本のゲームは、目に見えない魔法の操作ではなく、毎日の自分の扱い方の設計。だからこそ、効く人には深く効くし、誤用すると苦しくなる。ここまでで、だいぶ輪郭が出ました。
Topic 3 この世はゲームは自由を増やすのか 逃避になるのか

深夜のラジオブースのような小さな収録スタジオ。壁には吸音材、ライトは低く、テーブルの上にはゲームのコントローラーがひとつ置かれている。誰かが冗談で置いたものではなく、今夜の議題そのものみたいに、静かに存在している。
伊集院光
はいどうも。Topic 3です。タイトルそのものを正面からいきます。「この世はゲーム」って言い切った瞬間、救われる人もいれば、鼻で笑う人もいる。で、危ない方向に使う人も出てくる。だからここは、楽しく真面目にいきたい。
最初の問い。人生をゲームとして見ることは、自由を増やす比喩なんですか。それとも、現実から逃げる言い訳になりうるんですか。並木さん、著者として一言でどうです。
並木良和
自由を増やすための比喩です。人生を重く捉えすぎると、恐れで選択が狭くなる。ゲームという言葉は、その緊張をほどいて、選べる自分に戻すためのスイッチ。ただし、逃げに使えば逆に苦しくなる。だから本では「軽くなる」と同時に「整える」と言っています。
宮本茂
ゲームは本来、失敗してもやり直せる構造があるから楽しいんです。失敗が学びになるように設計されている。人生にそれを当てはめるなら、失敗を罰として受け取らず、情報として受け取れるかどうかが鍵になる。ゲーム視点は、失敗の意味を変える力がある。逃げかどうかは、次の手を打つかどうかで決まると思います。
桜井政博
ゲームって、没入が強いほど「今やるべきこと」が明確になります。何をするとゲージがたまるか、何をすると詰むか。人生をゲームとして見るなら、現実から目をそらすより、むしろ現実のパラメータを見える化する方向に行くべき。逃避になるのは、ルールや目的を勝手に曖昧にして、自分を納得させるときです。
ニック・ボストロム
私はシミュレーション仮説の文脈でよく語られますが、ここで重要なのは、世界が本当にシミュレーションかどうかではありません。仮にそうだとしても、倫理や責任が無効になるわけではない。ゲームと言うことで、行為の重みを減らしてしまうなら危険です。一方で、視点が変わることで恐れが減り、より良い行為が増えるなら、比喩として有益でしょう。
ジェーン・マクゴニガル
ゲームの効用は、主体感を取り戻すことです。現実で人が折れるのは「自分には何もできない」と感じるとき。ゲームは小さな達成、仲間、意味づけで、回復力を上げる。人生をゲームと見るのも同じで、行動の微調整が効くようになる。ただし現実の痛みを否認するために使うと、回復ではなく切断が起きます。
伊集院がテーブルのコントローラーを指で回しながら、笑うでもなく、真面目な顔で続ける。
伊集院光
よし。今の話は、だいたい一致してる。ゲーム視点は「失敗の意味を変える」「主体感を戻す」。じゃあ二つ目の問い。ここが本質。
ゲームには必ずルールがある。人生をゲームと呼ぶなら、この本が言っているルールは何ですか。何をやると進み、何をやると詰まりやすい。並木さん、ルールを短く。
並木良和
ルールは「状態が現実を選ぶ」です。頑張りより、在り方。恐れや欠乏で動くと、その現実が続く。安心や信頼に戻ると、選択肢が増える。詰まるのは、正解探しと自己否定。進むのは、許可と軽さと、今できる一歩です。
宮本茂
ゲーム設計の観点だと、ルールというよりフィードバックですね。どんな行動や態度を取ると、どんな結果が返ってくるか。その因果の気づきが増えるほど上達する。並木さんの言う「状態」は、入力の質みたいなもの。入力が変わると返ってくるフィードバックが変わる。だからプレイヤーは、入力を整えることに集中すべきだと思います。
桜井政博
ルールを言語化するなら、リソース管理です。心身のリソースが減ると判断が荒れる。荒れると選択肢が減る。選択肢が減ると詰みやすい。だから回復が最優先。回復した状態で判断すると、同じ問題でも違う攻略ルートが見つかる。本が言う「整える」は、まさにリソース回復だと思います。
ジェーン・マクゴニガル
私は「クエスト化」がルールに近いと感じます。人生は抽象的すぎて折れやすい。でも目の前の一歩をクエストにすると、脳は動ける。小さな行動を積み上げるほど、自己効力感が上がり、現実の見え方が変わる。ゲームは感情を設計するツールでもある。恐れを希望に変える設計を、自分でできるようになる。
ニック・ボストロム
ルールの危険な解釈は「何が起きてもゲームだから仕方ない」という態度です。それは倫理的に破綻する。健全な解釈は「世界の前提がどうであれ、私の選択は価値を持つ」。この一点を守ること。ゲームという比喩は、あなたの選択の責任を軽くするためではなく、より賢明にするために使うべきです。
伊集院は少し間を置いて、声を落とした。笑いを取るタイミングをわざと外している。
伊集院光
最後の問い。ここ、いちばん大事。ゲーム観って気持ちを楽にするけど、同時に危ない。じゃあこの本の「ゲーム」を健全にするためのクリア条件、つまりゴールは何ですか。成功? 幸福? 気づき? それとも別の何か。
並木良和
ゴールは「本来の自分に戻る」ことです。外の成功は人それぞれでいい。けれど、恐れからではなく愛や信頼から選べる状態になる。結果として現実は変わるけれど、目的はそこじゃない。軽く、自由に、つながりの中で生きる。その状態がゲームのクリアに近い。
宮本茂
ゲームのクリアって、エンディングより「上達した自分」を持ち帰ることだと思うんです。できなかったことができるようになる。怖かったものに挑める。人生に当てはめるなら、恐れで縮こまっていた自分が、もう少し伸びやかに生きられるようになる。それがクリアに近い気がします。
桜井政博
ゴールをひとつに固定すると、また苦しくなります。ゲームでも、スコア型、探索型、物語型がある。人生も同じ。本が言っているのは「プレイヤーの状態が良いほど攻略ルートが増える」。だからクリア条件は、状態を保てること。保てると自分に合う目標が自然に見えてくる。
ジェーン・マクゴニガル
私は「回復力」と「つながり」だと思います。ゲームは一人でやるものじゃない。共闘、支援、観戦、物語の共有がある。人生をゲームとして生きるなら、孤立を減らして、助け合いを増やす方向に行くべき。もしゲーム観が孤立を増やしているなら、それは誤用です。
ニック・ボストロム
最終的に残るのは、あなたがどんな存在として振る舞ったかです。世界の本質がどうであれ、あなたの選択が他者の経験を形作る。クリア条件を「気づき」と呼ぶなら、その気づきは必ず倫理的な行為に接続されていなければならない。そうでなければ、ゲームという言葉はただの免罪符になります。
伊集院はコントローラーをそっと置き、少しだけ笑った。優しさが混ざる笑いだ。
伊集院光
なるほど。まとめると、ゲームって言葉は軽くするためにある。でも軽くするって、雑にするって意味じゃない。
この本のゲームのゴールは、外の成功じゃなくて、恐れから自由になって、状態を整えて、選択肢を増やして、他者とのつながりも守りながら生きる。そういう感じになってきました。
Topic 4 タイムラインを変える実践は何が本物なのか

朝に近い深夜。静かな和室。障子の向こうがほんの少し白んでいる。湯気の立つ湯のみが並び、畳の匂いが落ち着きをつくる。誰も大きな声を出さない空気の中で、話は「実践」に入っていく。テーブルの端には小さなメモ帳と鉛筆。今日の議論が、机上の理屈で終わらないように。
又吉直樹
Topic 4です。ここが一番現実に効くところだと思うんです。理屈が綺麗でも、日常で何も変わらなかったら、読み終わったあとに虚しくなる。
だから最初の問いはこれです。タイムラインを変えると言うと大きいけど、現実が変わり始める「最小単位」って何でしょう。今日一日で試せるレベルの、いちばん小さい実験。並木さんからお願いします。
並木良和
最小単位は「反応しないで整える」です。何かが起きた瞬間に、いつもの反応で決めつける前に、一呼吸する。肩を落として、身体を緩める。そこから選び直す。現実は大きく変える必要はなくて、瞬間の選び直しが積み重なって、気づいたら違うラインにいる。それが僕の言う実践の核です。
稲盛和夫
私の経験では、人生を変える最小単位は「動機」です。同じ行動でも、利己からするのか、善意からするのかで、結果が変わる。整えるというのは心を正すということに近い。今日できる実験なら、ひとつの行動を「誰かのため」に置き換えてみる。すると自分の心が澄み、周囲の反応が変わり、結果として現実が変わっていく。
小林正観
私は、最小単位は「受け入れる」だと思います。起きたことを否定せず、まず受け入れる。そこから感謝できる点を探す。無理に感謝しなくていい。ただ、嫌だ嫌だで固めない。固めないと流れが変わる。今日の実験なら、ひとつだけ、いつも文句を言っていることを、今日は言わないでみる。これだけで空気が変わります。
エックハルト・トール
最小単位は「今ここに戻る」ことです。あなたが苦しむのは出来事ではなく、頭の中の物語です。物語が始まった瞬間に気づき、呼吸と感覚へ戻る。そこに空間が生まれます。その空間があると、同じ状況でも別の応答が選べる。その応答が、あなたの未来を変える。タイムラインを変えるとは、今この瞬間の意識の質を変えることです。
ティク・ナット・ハン
私は「一歩」です。歩くときに歩いていると知る。飲むときに飲んでいると知る。洗うときに洗っていると知る。すると心が散らばらない。散らばらない心は、優しさを選びやすくなる。今日の実験なら、たった十歩だけでもいい。呼吸と一緒に歩いてみる。あなたの世界はその十歩から変わり始めます。
又吉は頷きながら、鉛筆でメモ帳に短く書いた。反応しない、動機、受け入れる、今ここ、一歩。どれも小さいのに、強い。
又吉直樹
次の問い。ここがいちばん人が迷うところだと思う。意図、手放し、今ここ、感謝、祈り、想像。いろんな実践があるけど、核は何で、補助輪は何なんでしょう。何が本物で、何が飾りになりやすい。並木さん、どう区別します。
並木良和
核は「許可」と「整う」です。許可がないと、意図は執着になる。整っていないと、祈りも不安の形になる。だから、まず整う。そして受け取っていいと許可する。そこから意図や行動を出すと、流れが自然になる。補助輪は人それぞれで、感謝でも呼吸でもいい。でも核を外すと空回りします。
稲盛和夫
核は「利他の心」です。心が正しければ、方法は自然に整う。逆に心が濁っていると、どんな方法も我欲のための道具になる。祈りも感謝も、本来は心を正すためにある。だから私は、手段より動機を問い続けたい。あなたは何のためにそれをするのか。そこが核です。
小林正観
核は「抗わない」ことです。抗うほど固まる。固まるほど見える世界が狭くなる。感謝は核というより、抗いを溶かす道具。手放しも同じ。だから本物かどうかは、やったあとに心が軽くなっているかでわかる。軽くならないなら、たぶんやり方が努力になっている。
エックハルト・トール
核は「同一化をやめる」ことです。思考や感情と自分を同一化すると、どの実践もエゴの燃料になる。同一化がほどけると、実践は自然に起きる。祈りも感謝も、意図も、そこからは静けさの表現になる。本物は静けさを増やし、偽物は緊張を増やします。
ティク・ナット・ハン
核は「気づき」と「慈悲」です。気づきがない感謝は義務になり、慈悲がない手放しは冷たさになる。だから私は、呼吸と微笑みから始める。微笑みは、心を柔らかくする。柔らかい心は、正しい行いを選びやすい。核は硬さを溶かすことでもあります。
又吉は少し間を置いた。話が美しくまとまりすぎるとき、現実はいつも反撃してくる。だからこそ最後の問いが必要だった。
又吉直樹
三つ目の問いです。実践って、うまくいかない日が必ず来る。整えようとしても整わない日、感謝しようとしても腹が立つ日。そこで自分を責めると、また元に戻る。
この本の実践を「宗教化」や「依存」にしないために、そして自己否定に落ちないために、うまくいかない日の最低ルールをひとつずつください。
並木良和
うまくいかない日は、整えていない自分を責めるのではなく、整えが必要だと気づく日です。だから最小に戻る。深呼吸して、水を飲んで、休む。大きな決断はしない。これがルールです。
稲盛和夫
私は、心が荒れているときほど、人に迷惑をかけないことを第一にします。そして一日を静かに終える。明日また正しい心でやり直せばよい。継続が人生を作ります。
小林正観
できない日は、できないままでいい。無理に上げようとしない。落ちたら落ちたで、観察する。抗わない。それが次の上向きの準備になります。
エックハルト・トール
うまくいかない日こそ、「今この瞬間」に優しくなる。感情が嵐でもいい。嵐を否定しない。否定しないと、嵐は通り過ぎる。あなたは嵐ではなく、それに気づいている意識です。
ティク・ナット・ハン
うまくいかない日は、帰る場所を決める。呼吸に帰る。歩みに帰る。お茶に帰る。帰る場所がある人は迷子にならない。迷子になっても戻れる。それが実践です。
又吉はメモ帳を閉じ、静かに湯のみを持った。
又吉直樹
Topic 4で見えた本質は、タイムラインを変えると言っても、派手な儀式じゃなくて、瞬間の選び直しの積み重ねだということでした。
反応を止める、動機を整える、抗わない、今ここに戻る、一歩を丁寧に。うまくいかない日は最小に戻る。これがこの本の実装部分の芯ですね。
Topic 5 別の世界線を認めたとき 倫理と責任はどうなる

朝。淡い光が部屋に差し込み、窓の外の雨は上がっている。テーブルには湯気の立つ味噌汁と、少し冷めたお茶。議論は個人の実感から、社会の現実へ移っていく。ここで踏み外すと、この本は人を自由にするどころか、人を孤立させる武器にもなり得る。だから皆、言葉を慎重に選ぶ。
養老孟司
Topic 5は、いちばん厄介で、いちばん大事です。パラレルだのタイムラインだの言っているうちは個人の話で済む。でも社会は他人でできている。
最初の問いです。自分が現実を選んでいるという見方は、他者への共感を減らさないでしょうか。苦しんでいる人に対して「あなたが選んだ」と言えてしまう危険がある。並木さん、著者としてどう線を引きますか。
並木良和
僕はそこを一番誤解してほしくない。自分の現実を選ぶというのは、他者を裁く権利を持つという意味ではない。むしろ逆で、他者の経験は尊重する。相手の痛みは相手の現実として受け止める。その上で、自分にできる範囲で手を差し伸べる。ゲームという言葉は、冷たくなるためではなく、軽さと優しさを取り戻すために使うものです。
成田悠輔
この思想の危うい点は、責任の所在を個人に全振りしやすいところです。社会には構造がある。制度がある。格差がある。そこを無視して「あなたの波動」で片づけるのは乱暴。
ただ一方で、主観的な体験のレベルでは、人は「どう解釈し、どう行動するか」で選べる部分がある。だから二層構造で考えるべき。個人の内面の選択と、社会の制度設計は切り分けて両方扱う。そこを混ぜると、共感が減ります。
上野千鶴子
選んでいるという言葉は、女性や弱者に対して特に暴力的に働くことがある。被害が構造や権力によって生まれているのに、「あなたが選んだ」と言われた瞬間、二重に傷つく。
だから線引きは明確にすべき。自己の内面を整える話は、自分に向けて使う。他者に向けて使わない。これが最低限の倫理です。
ハンナ・アーレント
私は「世界への責任」という言葉を使いたい。人は世界に生まれ落ち、他者とともに公共の領域をつくる。内面の自由がいかに重要でも、それが公共の責任を免除しない。
もし「世界線」を語るなら、他者と共有する世界の質をどう守るかが問われる。思想は行為へ向かう。行為は他者に影響する。その連鎖から逃げないことです。
エリノア・オストロム
制度の観点では、人がどんな信念を持つかは、共同体のルールと相互作用します。共感を減らす信念は、協力を壊します。協力が壊れると、共通資源は枯れる。
だからこの思想を社会に持ち込むなら、「互恵性」と「透明性」を仕組みに入れる必要がある。個人の内面の話と同時に、共同体の信頼を積み上げるルールを設計する。そうしないと、個々の世界線がバラバラになり、共同体が壊れます。
養老は軽く目を細めた。話はすでに二層、いや三層になっている。個人、構造、公共。
養老孟司
二つ目の問いにいきます。世界線の違いを認めることは、分断を癒すのか。それとも固定化するのか。要するに、「あの人は別世界にいる」で終わったら会話が終わる。どう扱うと癒しになり、どう扱うと断絶になるのか。
並木良和
癒しになるのは「相手を変えようとしない」姿勢です。別世界にいると見なすのではなく、違う体験をしていると理解する。理解すると、押しつけが減り、関係が柔らかくなる。
断絶になるのは「自分の世界線が正しい」と思ったときです。それは優越になる。優越は必ず分断を生む。だから、正しさより整い。整いの方がつながりを生みます。
上野千鶴子
癒しになるのは、違いを「個性」として扱うとき。でも固定化するのは、違いを「責任」に転嫁するとき。私は被害に遭っている、でもあなたはその世界線を選んだよね、となった瞬間、社会的連帯が壊れる。
だから世界線の言葉は、対立の説明に使うより、対話の姿勢に使うべきです。相手を理解しようとする努力を正当化する言葉にする。
成田悠輔
分断は情報環境で増幅します。人は似た意見だけを浴びる。すると本当に「別世界」になる。世界線の言葉が固定化に使われるのは、アルゴリズム的にも自然。
癒しに使うなら逆の設計が必要です。違う世界線の人と安全に交わる場、対話のルール、合意できる最小公倍数を作る。思想だけで癒えるわけじゃない。場が必要です。
ハンナ・アーレント
公共の世界は、共通の事実と対話によって保たれます。世界線を認めることが癒しになるのは、対話が維持されるときです。
固定化するのは、対話を放棄し、孤立した内面の確信だけで生きるとき。それは全体主義の温床にもなり得る。だから重要なのは、違いを認めつつ、公共の場に戻ることです。
エリノア・オストロム
共同体が機能するには、ルールが必要です。相互監視、合意形成、紛争解決の仕組み。
世界線の違いを癒しに変えるには、対話のルールを作ること。固定化は、ルールなしで放置されたときに起きる。これはどの共同体でも同じです。
養老は湯のみを置き、最後の問いを出した。ここがこのシリーズの締めになる問いだ。
養老孟司
三つ目。もしこの本の考えを社会に応用するとしたら、絶対に守るべきガードレールは何ですか。これがないと搾取や権力の道具になる、という一線。ひとつずつ言ってください。
並木良和
他者を裁かない。これが第一。自分の内側を整えるための教えを、他人を責めるために使わない。
そして、優しさを減らさない。軽さは無責任ではない。軽さは、本当は愛とセットです。
成田悠輔
構造を無視しない。個人の内面の話を制度の話にすり替えない。
救済を自己責任化しない。社会はセーフティネットを持つべきで、その上で個人の選択が生きる。
上野千鶴子
被害者に「選んだ」と言わない。これが絶対条件。
そして権力者がこの思想を使って、弱者を黙らせる構造を作らない。思想はいつでも政治に利用される。だから言葉の向け先を厳密にする。
ハンナ・アーレント
公共の事実と責任を手放さない。内面の自由がいかに尊いとしても、世界は共有される。
あなたの信念が公共の世界に与える影響を引き受ける。そこから逃げない。これがガードレールです。
エリノア・オストロム
互恵性を組み込む。もしこの思想を共同体の文化にするなら、助け合いが増える設計にする。
透明性と説明責任も必要です。誰が得をし、誰が損をしているのかを見える化する。見えないままの精神論は、必ず悪用されます。
養老は少しだけ笑った。笑いというより、納得の息だ。
養老孟司
よくわかりました。結局、この本の「ゲーム」は、個人の救いの話で終わらせると危ない。社会と他者に接続した瞬間、倫理が必要になる。
他者を裁かない、構造を無視しない、被害者を責めない、公共の責任を手放さない、互恵性を設計する。
このガードレールがあるなら、ゲームという言葉は、人を軽くしながら、人を孤立させないで済む。
おわりに - 並木良和
最後までお付き合いくださって、ありがとうございました。
ここまで来ると、きっとあなたはもう気づいていると思います。「この世はゲーム」という言葉は、現実を軽く扱うためじゃなくて、あなたが“自分に戻る”ための合図なんだ、ということに。
私たちは、つい現実の出来事に飲み込まれてしまいます。怒りや不安に引っぱられたり、先のことを考えすぎて苦しくなったり。そんなとき、何かを必死に変えようとして、もっと疲れてしまうこともある。
でも本当は、変える順番が逆なんです。
まず整う。
そして、自分に許可を出す。
「落ち着いていい」
「受け取っていい」
「今日はこれでいい」
そうやって自分をゆるめてあげると、現実への向き合い方が変わります。すると不思議なことに、同じ状況でも選べる道が増えていく。これが、この本で言いたかった“ゲームのルール”です。
それから、大切なことをひとつだけ。
この考え方は、自分を責めるために使わないでください。
そして、誰かを裁くためにも使わないでください。
もしあなたの目の前に苦しんでいる人がいたら、その痛みをそのまま受け止めてあげてください。できる範囲で手を差し伸べてください。ゲームという言葉は、冷たくなるためではなく、軽さの中に“優しさ”を取り戻すためにあります。
世界線は、大きく変えなくていいんです。
今日、たった一回でも反応を止めて、深呼吸して、優しく選び直せたなら。
それはもう、新しい世界線の入り口に立ったということです。
あなたの旅が、少しでも軽く、あたたかくなりますように。
ショートバイオ(登場人物):
並木良和:スピリチュアルな視点から「現実は状態によって選ばれる」という考え方をわかりやすく伝える著者。日常で使える“整え方”を重視する。
茂木健一郎:脳科学者。意識・解釈・体験のズレに注目し、スピリチュアル概念を「体験の構造」として翻訳する役割。
本田健:作家・起業家。読者目線で「許可」「受け取る力」「現実的な一歩」に落とし込み、実践へつなげる。
落合陽一:メディアアーティスト・研究者。世界を情報と観測の観点で捉え、「チューニング」「注意」「アルゴリズム」として解釈する。
伊集院光:タレント・ラジオパーソナリティ。ゲーム比喩の危うさと救いの両方を突き、日常感覚で議論を整理する。
中野信子:脳科学者。感情・身体状態・認知の関係から、波動という言葉を心理学的に翻訳し、誤用を防ぐ視点を持つ。
加藤諦三:心理学者。自己否定や不安の構造を見抜き、スピリチュアルが自己責任論に傾かないための土台を示す。
斎藤一人:実業家・著者。難しい理屈を「機嫌」「つや」「感じの良さ」といった生活語に変換し、軽やかに実践へ導く。
ヴィクトール・フランクル:精神科医。どんな状況でも選べる「態度」と「意味」を軸に、現実の受け止め方を深める。
リサ・フェルドマン・バレット:感情研究者。感情を脳の予測と身体状態の産物として捉え、再現性のあるセルフケアに結びつける。
宮本茂:ゲームデザイナー。失敗が学びになる設計という観点から、人生をゲームとして捉える価値を具体化する。
桜井政博:ゲームディレクター。人生の攻略を「リソース管理」「回復」「選択肢の増やし方」として整理する。
ジェーン・マクゴニガル:ゲーム研究者。ゲームが回復力や主体感を高める点に注目し、人生への応用を提案する。
ニック・ボストロム:哲学者。シミュレーション仮説の文脈から、ゲーム視点が倫理を弱めないよう警告と補強を与える。
養老孟司:解剖学者・著者。個人の内面論が社会に出たときの危うさを指摘し、現実の複雑さを忘れない姿勢を促す。
成田悠輔:経済学者。個人の選択と社会構造を切り分け、思想が自己責任論や分断に使われない設計を重視する。
上野千鶴子:社会学者。弱者や被害者に不利な言説にならないよう、言葉の向け先と権力構造への警戒を示す。
ハンナ・アーレント:政治思想家。公共の世界と責任、対話の重要性を軸に、内面の自由と社会の倫理を接続する。
エリノア・オストロム:経済学者。共同体が壊れないための制度設計や互恵性を強調し、思想を社会に実装する視点を与える。

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