
はじめに — 村上春樹
物語を書くことは、
いつからか「特別な行為」ではなくなりました。
誰もが言葉を持ち、
誰もが物語を発信できる時代です。
速く、軽く、消費され、
次の物語がすぐに現れる。
それでも、
小説という形はまだ残っています。
理由は単純で、
人は今でも、
一人でページをめくる時間を必要としているからです。
この円卓に集まった作家たちは、
同じ答えを持っているわけではありません。
救いを信じる人もいれば、
救いという言葉自体を疑う人もいる。
現実に寄り添う人もいれば、
虚構の強度を信じる人もいる。
でも一つだけ、共通していることがあります。
彼らは皆、
「書かずに生きる」という選択が
自分にはできなかった、ということです。
この対話は、
文学を称えるためのものではありません。
また、未来を予言するためのものでもない。
ただ、2025年という地点で、
言葉を扱い続けてきた人間たちが、
静かに立ち止まり、
自分たちがどこに立っているのかを
確かめ合うための時間です。
答えは、用意されていません。
けれど、問いはここにあります。
【本記事をお読みになる前に】
本作は、実在の作家・人物をモチーフにした
**想像上の文学的対話(Imaginary Conversation)**です。
ここで語られる発言・思想・やり取りは、
史実・実際の発言・公式見解を示すものではありません。
本企画は、
文学・思想・創作の本質を探るための
創造的・批評的試みとして構成されています。
特定の立場や意見を断定・代弁する意図はなく、
読者一人ひとりが問いを持ち帰り、
自由に考えるための「思考の場」を提供することを目的としています。
トピック1: 物語は、まだ人を救えるのか?

舞台
夜の図書館。閉館後。
外では都市のざわめきが低く続いている。
スマートフォンは伏せられ、聴衆はいない。
作家だけが、円卓を囲んで座っている。
語り部
村上春樹
参加者
- 小川洋子
- 村田沙耶香
- 柳美里
- 東野圭吾
- 凪良ゆう
村上春樹(導入)
物語は、かつて人々の中心にありました。
でも今は、無数の刺激のひとつに過ぎない。
それでもなお、僕たちは書き続けている。
そこで、最初にこんな問いを置いてみたい。
世界が分断され、速く、残酷になった今――
物語は、まだ誰かを救えるのでしょうか。
凪良ゆう
私は、物語が人を劇的に救うとは思っていません。
火事の中から抱きかかえて連れ出すような救済ではない。
ただ、ほんの一瞬、「このままでいい」と思わせる。
それだけで、人はもう少し生きていけることがある。
東野圭吾
僕は、物語が与えるのは「信頼」だと思っています。
事件には理由がある。答えにたどり着ける。
その構造を信じられること自体が、人を安定させる。
救済というより、足場の回復ですね。
村田沙耶香
私は、救うという言葉に違和感があります。
物語は、むしろ「あなたはここに居場所がない」と示すこともある。
でも、その残酷さに気づくことが、解放になる場合もある。
救いは、必ずしも優しくある必要はないと思うんです。
小川洋子
私が思うに、物語が救うのは人ではなく、記憶です。
人は壊れ、忘れ、消えていく。
でも物語は、声の温度や手触りのようなものを
かろうじてこの世界に残してくれる。
柳美里
救われない人は、確かにいます。
物語でも、現実でも。
でも私は、救えない人の隣に座ることはできると思っている。
それだけでも、書く意味はある。
村上春樹
もし物語が、誰も救えないことがあるとしても――
それでも、なぜ書くのか。
この時代に、書く理由はどこにあるのでしょう。
村田沙耶香
世界が「普通」を強要するからです。
書くことは、その圧力に対する抵抗です。
不快さも、違和感も、物語に残したい。
東野圭吾
人は、意味を探す生き物だからです。
否定しても、忙しくしても、物語を求めてしまう。
その欲求は、まだ消えていない。
柳美里
沈黙の方が、ずっと残酷だから。
語られなければ、存在しなかったことになる人がいる。
それを拒否するために、書く。
小川洋子
言葉は、放っておくと乱暴になります。
物語は、言葉を丁寧に扱うための装置です。
それだけでも、続ける価値がある。
凪良ゆう
「私だけじゃなかった」と言われるたびに、書いてよかったと思う。
救済ではなく、共有。
それが、今の文学の役割かもしれません。
村上春樹
最後に、もうひとつだけ。
AIが物語を書く時代になりました。
それでも、人間にしか書けないものは何でしょう。
東野圭吾
責任です。
書いた結果を、引き受ける存在が必要です。
小川洋子
脆さ。
揺れやためらいは、人間の文章にしか宿らない。
凪良ゆう
後悔です。
取り返しのつかない時間の重み。
村田沙耶香
逸脱。
失敗そのものが、意味を持つこと。
柳美里
傷ついた記憶。
生き延びた体の感覚です。
村上春樹(締め)
物語は、人を救えないかもしれない。
でも、人がまだ人間であることを
そっと思い出させてくれる。
外の街は、今日も眠らない。
けれど、この場所では、物語が静かに息をしている。
トピック2: 「普通」からこぼれ落ちた人間を、文学はどう描くべきか

舞台
同じ図書館。
時計の針が進み、外の音が少し遠くなる。
誰かが無意識に椅子を引き寄せ、距離が縮まる。
語り部
村上春樹
参加者
- 小川洋子
- 村田沙耶香
- 柳美里
- 東野圭吾
- 凪良ゆう
村上春樹(導入)
少し話題を変えましょう。
今の社会は、「配慮」や「正しさ」を強く求めます。
その一方で、文学はずっと
普通ではない人間を描いてきました。
では、今もなお――
「普通」からこぼれ落ちた人間を、文学はどう描くべきなのでしょう。
村田沙耶香
私は、「普通」という言葉自体が
かなり暴力的になっていると感じます。
普通に働く、普通に愛する、普通に幸せになる。
そこから外れた瞬間、人は説明を求められる。
文学は、その説明を拒否していい場所だと思っています。
凪良ゆう
共感が求められすぎている気がします。
読者が「わかる」「感情移入できる」ことが
前提条件になってしまうと、
理解されない人間は物語から消えてしまう。
それは、とても怖いことです。
東野圭吾
ただ、読者との距離も無視できません。
あまりに逸脱した人物は、
「現実味がない」と切り捨てられてしまう。
だから僕は、異常を描くときほど
ロジックや背景を丁寧に積み上げたいと思う。
柳美里
現実には、ロジックなんて持たない人の方が多い。
壊れている理由すら、本人にもわからない。
私は、その「わからなさ」を
そのまま書き残したい。
理解されなくても、存在していた事実として。
小川洋子
私は、説明よりも「手触り」を大切にします。
この人がどんな匂いの部屋に住んでいるか、
どんな沈黙を抱えているか。
普通かどうかは、あとから決めればいい。
村上春樹
もう一歩、踏み込みたい。
問題のある主人公、
不快な行動を取る人物は、
今の時代でも許されるのでしょうか。
東野圭吾
許されるかどうかより、
描かれなければ現実が歪む。
犯罪者を書くことをやめたら、
犯罪はなくなるわけではない。
村田沙耶香
不快であることと、間違っていることは違います。
でも、その区別が曖昧になっている。
文学は、不快さを引き受ける最後の場所かもしれない。
小川洋子
優しい人物だけで世界はできていない。
壊れやすいもの、歪なものに
光を当てないと、物語は薄くなる。
凪良ゆう
私は、「正しくない人」を
愛そうとする試みが文学だと思っています。
肯定ではなく、放棄でもなく、
ただ一緒に見ること。
柳美里
許されるかどうかを決めるのは、
書き手ではなく社会です。
でも私は、社会に拒まれた人から
目を逸らしたくない。
村上春樹
最後に、こう問い直したい。
「普通」から外れた人間を描くことは、
誰のための行為なのでしょうか。
凪良ゆう
外れた人自身のため、
そして、まだ外れていないと思っている人のため。
小川洋子
未来のためです。
今は理解されなくても、
後の誰かが拾い上げるかもしれない。
村田沙耶香
制度や常識を疑うため。
文学は、社会の外側に立つ視点を残す。
東野圭吾
現実を立体的にするため。
善悪だけでは、世界は説明できない。
柳美里
生き延びた証を残すため。
「ここにいた」という痕跡を。
村上春樹(締め)
文学は、普通を拡張するものかもしれない。
あるいは、普通という言葉そのものを
静かに壊していくものかもしれない。
外れたままの人生も、
物語の中では、確かに息をしている。
トピック3: フィクションと現実の境界は、どこまで曖昧になったのか

舞台
同じ図書館。
深夜に近づき、照明が一段落とされる。
窓に映る自分の姿を、誰かが一瞬だけ見つめる。
語り部
村上春樹
参加者
- 小川洋子
- 村田沙耶香
- 柳美里
- 東野圭吾
- 凪良ゆう
村上春樹(導入)
最近、よく感じることがあります。
読者は物語を読みながら、
「これは本当の話なのか」と確かめたがる。
告白、実話、モデル探し。
フィクションであること自体が、
少し居心地の悪いものになっている。
では今、
フィクションと現実の境界は、
どこまで曖昧になってしまったのでしょうか。
柳美里
私にとって、その境界は最初から薄かった。
現実を書かないと、生きてこられなかったから。
でも、それは暴露とは違う。
事実を並べることと、真実を書くことは別です。
東野圭吾
読者が「本当かどうか」を気にするのは、
世界そのものへの不信が強くなったからでしょう。
だからこそ、僕はあえて
明確に作られた構造、
虚構としての強度を大切にしたい。
村田沙耶香
私は、現実のほうがすでにフィクション的だと思っています。
普通、常識、役割。
それらはかなり作り物に近い。
小説は、その偽物を
本物のように扱わないための装置です。
小川洋子
私にとって、事実かどうかは重要ではありません。
大切なのは、
その文章が身体にどう触れるか。
触れた感覚が残るなら、
それはもう現実の一部です。
凪良ゆう
私は、読者が
「これは誰の体験なのか」と探し始める瞬間に
少し怖さを感じます。
物語が、誰かを特定するための道具に
なってしまうから。
村上春樹
もう少し踏み込みましょう。
私小説的な語り、
強い告白性を持つ作品が増えています。
フィクションは、
「嘘」である必要があるのでしょうか。
村田沙耶香
嘘である必要はない。
でも、自由である必要はある。
実話であっても、
書いた瞬間にそれは別の生き物になる。
柳美里
私は、嘘かどうかを
決めるのは読者ではないと思う。
書く側が、
どれだけ誠実に向き合ったか。
それだけです。
東野圭吾
フィクションであることは、
逃げではありません。
むしろ、
現実だけでは届かない場所へ
行くための手段です。
小川洋子
嘘という言葉は、少し乱暴です。
物語は、
現実よりも丁寧に世界を扱うことがある。
それは、別の真実です。
凪良ゆう
私は、
「本当っぽさ」が強くなりすぎると、
読む側が傷つくこともあると思っています。
フィクションは、
安全な距離を保つための膜でもある。
村上春樹
最後に、
この問いを置いてみたい。
フィクションが現実に近づきすぎたとき、
文学は何を失い、
何を得たのでしょうか。
東野圭吾
失ったのは、
読み手の想像の余地。
得たのは、
即時的な強度。
小川洋子
失ったのは、
沈黙。
得たのは、
声の切実さ。
凪良ゆう
失ったのは、
逃げ場。
得たのは、
共犯的な読書体験。
村田沙耶香
失ったのは、
安心。
得たのは、
違和感。
柳美里
失ったものは、数えきれない。
でも、
それでも書かれ続けている。
それ自体が、答えかもしれません。
村上春樹(締め)
フィクションは、
現実から遠ざかるために生まれたのではない。
現実を、
そのままでは見られない人のために、
少し形を変えて差し出すものだ。
境界は曖昧になった。
けれど、
物語が人に触れる場所は、
まだ失われていない。
トピック4: AIが物語を書く時代、人間の作家に残るものは何か

舞台
図書館の照明がさらに落とされる。
机の上には、誰も開いていないノートが一冊だけ残っている。
外では、配送ロボットの微かな音が通り過ぎる。
語り部
村上春樹
参加者
- 小川洋子
- 村田沙耶香
- 柳美里
- 東野圭吾
- 凪良ゆう
- 村上春樹(導入)
物語を書くAIは、もう珍しい存在ではありません。
整った文章、破綻のない構成、
それなりに心を打つ物語さえ生み出す。
では今、
人間の作家にしか残されていないものは
何なのでしょうか。
東野圭吾
まず思うのは、
人間は結果に責任を持つということです。
読者を傷つけたかもしれない。
誤解を生んだかもしれない。
その重さを引き受ける主体が、
人間の作家です。
小川洋子
私は「失敗」だと思います。
言葉がうまく届かなかった瞬間、
沈黙が長くなりすぎた瞬間。
その不完全さが、
文章に体温を残す。
村田沙耶香
私は、人間の矛盾です。
信じたいものと、
信じられないものを
同時に抱えたまま書く。
AIは、矛盾を整理してしまう。
凪良ゆう
後悔だと思います。
あのとき、ああ書けばよかった。
あの人物を、
もう少し信じてあげればよかった。
その遅れが、
物語に滲む。
柳美里
身体です。
生き延びた体、
傷を負った体、
疲れた体。
それが言葉の奥に沈んでいる。
データにはならない。
村上春樹
では、こう聞いてみたい。
AIと競う必要は、
本当にあるのでしょうか。
村田沙耶香
競うという発想自体が、
人間側の不安の表れだと思います。
文学は、
効率で測るものではない。
東野圭吾
ただ、読者は比較します。
面白いか、退屈か。
人間の作家は、
その現実から逃げられない。
小川洋子
比べられることで、
書く理由が
より純粋になるかもしれません。
残るのは、
どうしても書きたいものだけ。
凪良ゆう
私は、
AIが書く物語を読んで
安心する人もいると思います。
だからこそ、
人間の文学は
安心を裏切る役目を担うのかもしれない。
柳美里
競う必要はない。
ただ、黙って場所を譲る気もない。
私は、
書くことでしか
ここに居られない。
村上春樹
最後に。
AIが物語を量産する時代に、
人間が書く一篇の小説は、
どんな意味を持つのでしょうか。
小川洋子
遅さの意味です。
すぐに答えを出さないこと。
凪良ゆう
誰か一人にだけ届く、
小さな手紙のような意味。
東野圭吾
選ばれるためではなく、
信じるための物語。
村田沙耶香
世界に適応しきれない人の、
避難所。
柳美里
生き延びた証明。
それ以上でも、
それ以下でもない。
村上春樹(締め)
物語を書くことは、
もはや特別な技術ではない。
それでも、
自分の時間を削り、
自分の体を通して
言葉を置いていく人がいる。
その不合理さこそが、
人間の文学なのだと思います。
トピック 5: それでも、あなたはなぜ書き続けるのか

舞台
図書館の外灯が消え、
室内だけが小さな島のように残っている。
誰もメモを取らない。
この時間が、もう戻らないことを全員が知っている。
語り部
村上春樹
参加者
- 小川洋子
- 村田沙耶香
- 柳美里
- 東野圭吾
- 凪良ゆう
村上春樹(導入)
最後に、
いちばん個人的なことを聞かせてください。
評価も、売上も、
時代の変化も関係なく。
それでも、
あなたが書き続ける理由は何でしょうか。
小川洋子
書かないと、
大切なものが静かに消えてしまうからです。
誰にも見えない感覚、
説明できない気配。
それらを言葉にしないままにすると、
世界が少しずつ粗くなる気がする。
東野圭吾
書くことが、
自分と世界との距離を測る方法だからです。
理解できない事件、
割り切れない感情。
物語にすると、
少しだけ手触りが分かる。
村田沙耶香
私は、
書かないと社会の中で
自分が壊れてしまう。
適応しすぎる前に、
どこかに違和感を残しておきたい。
それが、私にとっての執筆です。
凪良ゆう
誰かが、
自分を嫌いにならずに済むように。
その一助になれたらと思って書いています。
救えなくても、
孤立を和らげることはできるかもしれない。
柳美里
私は、生き延びてしまったから書く。
生き延びた者には、
語る責任があると思っている。
書くことは、
生存の副作用のようなものです。
村上春樹
書くことで、
失ったものもあったと思います。
それでも、
やめようと思ったことはありますか。
村田沙耶香
何度もあります。
でも、やめた自分を想像すると、
それはそれで怖かった。
東野圭吾
あります。
でも結局、
別の形で書いてしまう。
完全には離れられない。
小川洋子
やめるという選択肢が、
最初から存在しなかった気がします。
気づいたら、
ずっと書いていた。
凪良ゆう
やめたいと思うのは、
書くことが効いている証拠だと思っています。
柳美里
やめたら、
誰かの声まで消えてしまう気がした。
それが怖かった。
村上春樹
では最後に。
もし、これから書く人が
ここにいたとしたら、
何を伝えますか。
凪良ゆう
急がなくていい。
あなたの速度でいい。
小川洋子
上手く書こうとしなくていい。
丁寧であれば、それでいい。
東野圭吾
読者を信じていい。
全部説明しなくても、
物語は伝わる。
村田沙耶香
違和感を捨てないでください。
それは欠陥ではなく、
入口です。
柳美里
生き延びてしまったなら、
書いてもいい。
それは、罪ではない。
村上春樹(締め)
物語は、
世界を変えないかもしれない。
人を救えないこともある。
それでも、
誰かが夜のどこかで
ページをめくる。
その小さな行為のために、
書く人は、
今日も言葉を置いていく。
図書館の灯りが消える。
物語だけが、
静かに残る。
おわりに — 村上春樹
この対話をまとめながら、
何度も立ち止まりました。
「文学は役に立つのか」
「物語は人を救えるのか」
そうした問いは、
簡単に答えを出してしまうと、
どこか嘘になる気がしたからです。
このImaginaryTalksは、
答えを与えるために作られたものではありません。
むしろ、
答えを急がなくていい時間を
読者と共有するための試みです。
2025年という時代は、
速さと正しさが求められすぎています。
けれど文学は、
遅く、曖昧で、
ときに不器用なまま存在することを許します。
この円卓に集まった作家たちは、
全員が違う場所に立ちながら、
同じ沈黙を知っているように感じました。
書かずにはいられなかったこと。
言葉にしなければ、
自分が消えてしまう感覚。
もしこの対話のどこかで、
あなたが立ち止まったなら、
それは失敗ではありません。
文学が、
きちんとあなたに届いた証拠だと思っています。
ページを閉じても、
問いは残ります。
そしてそれで、十分なのだと思います。
— Nick Sasaki
Short Bios:
村上春樹
1949年生まれ。現代日本文学を世界的に代表する作家。孤独、喪失、音楽、無意識といったテーマを、静かで普遍的な物語構造に落とし込む語り手として知られる。
小川洋子
1962年生まれ。記憶、身体、沈黙といった繊細な主題を、極度に研ぎ澄まされた文章で描く作家。静かな不穏さと優しさが同居する世界観が特徴。
村田沙耶香
1979年生まれ。社会の「普通」や制度を鋭く問い直す現代文学の象徴的存在。違和感や逸脱を肯定的に描き、世界的にも高い評価を受けている。
柳美里
1968年生まれ。在日コリアンとしての経験や、生と死の境界に立つ人々の声を、強い実在感と倫理性をもって書き続ける作家。文学を証言の場として捉える。
東野圭吾
1958年生まれ。ミステリーを軸に、人間の選択や倫理を明快な構造で描く国民的作家。エンターテインメントと文学性の架橋を体現している。
凪良ゆう
1973年生まれ。愛、関係性、孤独を丁寧に掬い取る作風で、多くの読者の共感を集める。傷つきやすさを肯定する現代的感性の語り手。

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