
はじめに
東野圭吾『時生』には、読み終えたあとも簡単には消えない問いがあります。
「この人生は、生まれてきてよかった人生だったのか。」
時生は若くして重い病気を抱え、長く生きられない可能性があります。父の拓実は、自分自身も幼い頃から親への怒りや「捨てられた」という傷を抱えて生きてきました。
そして物語は、未来の息子が若い父親のもとへ現れるという、不思議な時間の交差へ進んでいきます。
今回の仮想対話では、河合隼雄、岸見一郎、國分功一郎、江原啓之、並木良和の5人に、『時生』をめぐるいくつもの難しい問いを考えてもらいました。
短い人生にも意味はあるのか。
親から受けた傷は、大人になってからどこまで人生を左右するのか。
子どもは、本当に親を選んで生まれてくるのか。
「明日だけが未来じゃない。それは心の中にある」とは何を意味するのか。
そして最後に、人生の意味は誰が決めるのか。
心理学、哲学、スピリチュアルでは、当然ながら答えは同じになりません。
むしろ、その違いがあるからこそ見えてくるものがあります。
ある考え方が一人を救うこともあれば、別の人には重荷になることもある。
「人生には意味がある」という言葉でさえ、誰が、いつ、誰に向けて言うかによって、まったく違うものになります。
『時生』が私たちに残すものは、人生をきれいに説明する答えではないのかもしれません。
今の自分が下した人生の結論を、最後の結論にしなくてもいい。
その余白こそ、この作品が時間を越えて伝えているものなのではないでしょうか。
(本稿に記されている対話はすべて仮想のものであり、実在の人物・発言とは関係ありません。)
Topic 1 — 時生は本当に「生まれてきてよかった」のか?
部屋の照明が少し落とされている。
正面のスクリーンには、『時生』のタイトルと、その下に一つの問いだけが映っていた。
もし、自分の子どもが20歳になる前に亡くなる可能性が高いと分かっていたら、それでもその子に生まれてきてほしいと思いますか?
しばらく誰も話さなかった。
河合隼雄がスクリーンを見たまま、ゆっくり口を開いた。
河合隼雄:
「難しい問いですね。」
「私はね、まず、この質問をしてしまう親御さんの気持ちを大切にしたいと思うんです。」
岸見一郎が河合を見る。
河合:
「自分の子どもが苦しんでいる。」
「ほかの子どもたちは学校へ行っているのに、自分の子どもは病院にいる。」
「友達が将来の夢を話している。」
「大学へ行きたい。」
「結婚したい。」
「仕事をしたい。」
「でも、自分の子どもには、その未来が来ないかもしれない。」
少し間があった。
河合:
「そういう親御さんが。」
『この子は、本当に生まれてきてよかったのだろうか』
「と思ってしまうことを、私は簡単には否定したくありません。」
岸見一郎:
「その気持ちは分かります。」
「ただ、私は質問の中に隠れている前提も考えてみたいです。」
江原啓之:
「どのような前提でしょう。」
岸見:
「長く生きられない人生には、生まれてくる価値が少ないのではないか。」
「そんな前提です。」
並木良和が静かに聞いている。
岸見:
「80年生きた人と、20年生きた人がいる。」
「だからといって、後者の人生の価値が前者の4分の1になるわけではないでしょう。」
河合:
「それはそうですね。」
岸見:
「ところが、私たちは人生について考える時、無意識のうちに量で測ってしまいます。」
「何年生きた。」
「どれだけ働いた。」
「何を成し遂げた。」
「何人に愛された。」
「何を残した。」
國分功一郎が入った。
國分功一郎:
「人生を評価する指標を作ってしまうわけですね。」
岸見:
「そうです。」
江原啓之が静かに言った。
江原啓之:
「私は、命の価値を寿命の長さだけで考えることはありません。」
國分が江原を見る。
江原:
「長く生きたから完成された人生。」
「短く終わったから不完全な人生。」
「そういう捉え方ではありません。」
「スピリチュアルな観点から見るなら、肉体として生きた年数だけが、その存在のすべてではないと考えます。」
國分:
「すると江原さんは、時生のような短い人生にも意味があると考える?」
江原:
「はい。」
「私はそう考えます。」
國分は少し考えてから尋ねた。
國分:
「では、“価値”と“意味”を分けてみませんか。」
江原:
「どういうことでしょう。」
國分:
「時生の人生には価値があった。」
「これは私にも分かります。」
「でも。」
『時生の人生には意味があった』
「と言った瞬間、少し違う問いが生まれませんか。」
河合:
「何のための人生だったのか、ということですね。」
國分:
「そうです。」
「意味という言葉には、目的が入り込む。」
國分はスクリーンを見る。
國分:
「『時生』では、時生の存在によって拓実が変わります。」
「すると、私たちは非常に魅力的な解釈をしたくなる。」
『時生は、父親を救うために生まれてきた。』
誰もすぐには答えなかった。
國分:
「でも、それを言ってしまっていいのでしょうか。」
並木良和が初めて口を開いた。
並木良和:
「私は、そこは少し違った見方をします。」
國分:
「聞かせてください。」
並木:
「私は、人には生まれてくる前から持っている人生のテーマや、ブループリントのようなものがあるという見方をしています。」
「誰と出会うのか。」
「どんな体験をするのか。」
「そこには魂の側から見たテーマがある。」
「ただ。」
少し間を置く。
並木:
「“時生は父親を救うためだけに生まれた”と限定してしまうのは、違うと思います。」
國分:
「なぜですか。」
並木:
「それでは、時生自身の人生がなくなってしまうからです。」
河合が小さくうなずいた。
並木:
「拓実を変えたことは、時生の人生の中で起きた大きな出来事かもしれない。」
「でも、それが彼の存在理由の全部だとは思わない。」
河合:
「それは非常に大事だと思います。」
「子どもが親を変えることはあります。」
「親になって初めて、自分の親のことが分かった。」
「自分の弱さを知った。」
「生き方が変わった。」
「そういうことは確かにある。」
「でも。」
『あなたは私を成長させるために生まれてきた』
「と親が子どもに言い始めたら、私は少し怖いですね。」
江原がうなずく。
江原:
「子どもには子どもの人生がありますからね。」
河合:
「そうなんです。」
「親にとって意味があったことと、その子がその目的のために存在したことは違う。」
國分:
**「すると。」
「時生が拓実を変えた。」
「これは出来事としてある。」
「拓実にとって、時生の存在には非常に大きな意味があった。」
「でも。」
『だから時生は拓実を変えるために生まれた』
「とは言えない。」
河合:
「私はそう思います。」
江原が少し考えていた。
江原:
「ただ私は、もう一つの可能性も残しておきたいんです。」
岸見:
「どんな可能性ですか。」
江原:
「私たちが、この人生で起きたことの意味を全部知っているとは限らない、ということです。」
「今の自分には分からない。」
「でも、もっと大きな視点から見れば意味がある。」
「そういう可能性です。」
國分がすぐに尋ねる。
國分:
「ただ、それは確かめられませんよね。」
江原:
「もちろん、科学的に証明できる種類の話ではありません。」
國分:
「そこは大切ですね。」
江原:
「ええ。」
並木が続けた。
並木:
「ブループリントという考えも同じです。」
「人生のすべてが最初から細かく決められている、という意味ではありません。」
「テーマがある。」
「可能性がある。」
「でも、その中でどう体験するかという部分は残っている。」
岸見が並木を見る。
岸見:
「では一つ聞いていいでしょうか。」
並木:
「もちろんです。」
岸見:
「時生の短命も、そのブループリントの一部だったのでしょうか。」
部屋が少し静かになった。
並木:
「スピリチュアルな見方をするなら、その可能性はあると考えます。」
國分:
「病気も?」
並木:
「大きな人生の体験として、そう捉える考え方はあります。」
國分:
「私は、そこにかなり慎重になりたい。」
河合が國分を見る。
國分:
「たとえば今、重い病気の子どもがいる。」
「その親に私たちが。」
『これは、その子が生まれる前に決めてきたブループリントなんですよ』
「と言ったとします。」
「それによって救われる親もいるかもしれない。」
「しかし。」
「救われない人もいる。」
「怒る人もいるでしょう。」
河合:
「当然だと思います。」
並木:
**「だから、本人に押しつけるものではありません。」
國分:
「そこは大切ですね。」
並木:
「これは、人生を見る一つの視点です。」
「その考えが自分を支えるなら受け取ればいい。」
「そう感じられない人に、“これが真実です”と押しつけるものではない。」
河合が言った。
河合:
「私はそこをもう少し掘りたいですね。」
「人間は苦しい時、意味を探します。」
「なぜ私なのか。」
「なぜこの子なのか。」
「なぜこんなことが起きたのか。」
「そして意味が見つかると、少し生きやすくなることがある。」
江原:
「ありますね。」
河合:
「でも。」
意味を見つけられない人もいる。
「その人はどうなるのでしょう。」
誰も答えなかった。
河合:
「子どもを亡くした。」
「何年考えても意味が分からない。」
「何も学べなかった。」
「ただ悲しい。」
「それだけだった。」
「そういう人に。」
『まだ人生の意味に気づいていないんですよ』
「と言うのは。」
河合は首を横に振った。
河合:
「私は、かなり残酷なことだと思います。」
江原:
**「そこは同感です。」
國分が少し意外そうに江原を見る。
江原:
「悲しいものは悲しいんです。」
「スピリチュアルな考えがあるから、悲しまなくなるわけではない。」
「“意味があるのだから泣かなくていい”という話ではありません。」
岸見:
「むしろ、“意味を発見しなければならない”という新しい義務を作ってはいけないのでしょうね。」
河合:
「そうです。」
國分:
**「これは現代社会にもありますね。」
「失敗したら学べ。」
「苦労したら成長しろ。」
「病気になったら人生観を変えろ。」
「悲劇を経験したら、それを何か価値あるものに変えろ。」
岸見:
「何も得られなかったら、苦しんだことまで失敗になる。」
國分:
「そうなんです。」
河合は静かに言った。
河合:
「私はね。」
何も学ばなかった苦しい一日にも、その人は生きていたと思うんです。
部屋が静かになった。
河合:
「痛かった。」
「怖かった。」
「腹が立った。」
「何の意味も見つからなかった。」
「でも、その人はそこにいた。」
「それでいい時間もあるんじゃないでしょうか。」
並木が河合を見る。
並木:
「それは私もそう思います。」
「ブループリントという言葉を使うとしても、毎日の出来事を全部。」
『これは何の学びだろう』
「と分析する必要はありません。」
「生きることそのものが体験ですから。」
國分:
**「それなら、私が気になるのは“意味”という言葉ですね。」
江原:
「まだ引っかかりますか。」
國分は少し笑った。
國分:
「かなり。」
河合も少し笑った。
國分:
「私はこう考えたいんです。」
「意味がなくても、価値はあるのではないか。」
「何かのために存在しなくてもいい。」
「誰かを救わなくてもいい。」
「何かを成し遂げなくてもいい。」
「人生の使命を発見しなくてもいい。」
それでも、その人の人生には価値がある。
岸見:
**「私は、その考えに近いですね。」
江原:
「私は、“意味がない”とは考えません。」
國分:
「そこが私たちの違いですね。」
江原:
「そうですね。」
國分:
「でも江原さんは、その意味が分からない人を否定しない。」
江原:
「もちろんです。」
國分:
「なら、かなり大切な部分では一致しています。」
そこで岸見が、突然違う問いを出した。
岸見:
「では、時生本人に聞いてみましょう。」
全員が岸見を見る。
岸見:
「もし時生がこう言ったらどうしますか。」
少し間。
『僕は、生まれてこなければよかった。』
空気が変わった。
河合はすぐには答えなかった。
江原も。
並木も。
國分も黙っていた。
河合:
「私は。」
「まず。」
『そう思うほど、つらいんだね』
「と言うでしょうね。」
岸見:
「“そんなことを言うな”とは言わない?」
河合:
「言わないと思います。」
「本人が人生を肯定できない時に。」
「こちらが急いで。」
『あなたの人生には意味がある』
「と言えば。」
「本人が今感じている苦しみを、こちらの答えで消してしまうことがあります。」
江原:
**「私も、まず話を聞くと思います。」
「魂には意味があるという私の考えを、その瞬間に説明する必要はないでしょう。」
國分:
「これは非常に大事ですね。」
並木:
**「本人が今どこにいるのかを見る必要があります。」
「考え方は、その人を自由にするために使うものです。」
「苦しくするなら、その瞬間には必要ない。」
岸見:
**「では。」
「本人が“生まれてこなければよかった”と思っていることと。」
「その人生に価値がないことは。」
「同じではない。」
河合:
「まったく同じではありません。」
國分:
**「ここで最初の質問が少し変わってきますね。」
スクリーンを見る。
もし、自分の子どもが20歳になる前に亡くなる可能性が高いと分かっていたら、それでもその子に生まれてきてほしいと思いますか?
國分:
「最初は親の質問でした。」
「でも。」
生まれてきてよかったかどうかを、親が決めていいのでしょうか。
河合:
**「そこなんでしょうね。」
「親は。」
『あなたが生まれてきてくれてよかった』
「とは言える。」
「でも。」
『だから、あなたも生まれてきてよかったと思いなさい』
「とは言えない。」
岸見:
**「愛情と命令の違いですね。」
河合:
「そうですね。」
江原が静かに言った。
江原:
「私は親が。」
『あなたが生まれてきてくれて、私はうれしかった』
「と言うことには、とても大きな意味があると思います。」
「それは子どもの人生を評価しているのではなく。」
「自分が受け取ったものを伝えているからです。」
國分:
**「それなら私は納得できます。」
「“あなたの人生には意味がある”ではなく。」
『あなたがいたことは、私にとって意味があった。』
江原:
「そうです。」
河合:
**「これはずいぶん違いますね。」
並木が少し考えてから言った。
並木:
「そして私は、そこにもう一つ可能性を残しておきたいです。」
國分:
「どんな可能性ですか。」
並木:
本人にもまだ見えていない人生の全体像があるかもしれない。
「という可能性です。」
「今は苦しい。」
「今は意味が分からない。」
「でも、今見えている部分だけが、その人のすべてではない。」
河合:
**「それなら心理学的にも興味深いですね。」
並木:
「そうですか。」
河合:
「ええ。」
「私は“魂のブループリント”という言葉は使いませんけれど。」
「人間は、自分の人生について早く結論を出しすぎることがあります。」
河合は『時生』というタイトルを見る。
河合:
「若い拓実もそうでしょう。」
『母親に捨てられた。だから俺の人生はこうなんだ。』
「彼はまだ若い。」
「なのに、自分の人生の意味をもう決めてしまっている。」
岸見:
**「しかも、その結論を過去に決めてもらっている。」
國分:
「自分で選べなかった出来事によって。」
江原:
**「でも、後になって見え方が変わる。」
河合:
「そう。」
「出来事そのものは変わらなくても。」
出来事の意味は、人生の途中で変わることがあります。
國分:
「すると。」
「今“生まれてこなければよかった”と思っている人に。」
「私たちが言えることがあるとすれば。」
「“あなたは間違っています”ではなく。」
『今の結論が、人生最後の結論とは限らない。』
「ということなのかもしれません。」
河合:
**「私は、そのくらいの余白を残しておきたいですね。」
しばらく沈黙したあと、江原が口を開いた。
江原:
「でも。」
「ここまで話してきて、まだ一つ大きな問いを避けています。」
國分:
「何でしょう。」
江原:
「私たちはずっと。」
『親は、子どもに生まれてきてほしいと思うか』
「という話をしてきました。」
「でも、スピリチュアルな考え方には。」
「その向きを逆に見る考えがあります。」
河合が江原を見る。
岸見も。
江原:
親が子どもを選ぶのではなく、子どもが親を選んで生まれてくる。
部屋の空気が変わった。
並木が静かにうなずいた。
國分:
**「それを受け入れると、非常に難しい問題が出てきますね。」
江原:
「ええ。」
國分:
「時生は。」
拓実を選んで生まれてきたのでしょうか。
江原はすぐには答えなかった。
岸見:
**「そして拓実自身も。」
「自分の母親を選んだことになるのでしょうか。」
河合の表情が少し変わった。
國分:
「もっと厳しく聞けば。」
「愛してくれる親だけではありません。」
「自分を捨てる親。」
「傷つける親。」
「守ってくれない親。」
そういう親まで、子ども自身が選んだと言えるのでしょうか。
江原は静かに聞いていた。
並木も何か言おうとしたが、まだ口を開かなかった。
河合がスクリーンを見ながら、小さく言った。
河合:
「これは。」
「拓実の人生を考えるうえで、避けて通れない問いになりそうですね。」
そして画面には、次の言葉だけが残った。
「親のせいで自分はこうなった」という言葉は、どこまで本当なのか。
誰もまだ答えなかった。
Topic 2 — 「親のせいで自分はこうなった」は、どこまで本当なのか
スクリーンには、若い拓実の言葉が映っていた。
「母親に捨てられた。だから俺はこうなった。」
河合隼雄が、しばらくその文字を見ていた。
河合隼雄:
「これは、とても人間らしい言葉だと思います。」
岸見一郎:
「人間らしい、ですか。」
河合:
「ええ。」
「子どもは、自分に起きたことを大人の事情として理解できないことがあります。」
「母親がいなくなった。」
「理由が分からない。」
「すると。」
『自分が悪かったのではないか。』
「という方向へ行くことがある。」
國分功一郎がうなずいた。
國分功一郎:
「子どもは、そもそも家庭を選んで入ったわけではありませんからね。」
江原啓之が國分を見る。
國分は続けた。
國分:
「自分で選んでいない条件の中に、いきなり置かれる。」
「親。」
「家庭環境。」
「経済状態。」
「時代。」
「身体。」
「国。」
「そのほとんどを選ばずに人生が始まる。」
岸見:
「ただ、そこから一つ注意したいことがあります。」
河合:
「何でしょう。」
岸見:
「親の影響を受けることと、親によって人生のすべてが決定されることは同じではありません。」
河合が少し微笑む。
河合:
「そこが岸見さんらしいところですね。」
岸見:
「そうですか。」
國分:
「でも、かなり重要な区別ですよね。」
岸見はスクリーンを見る。
岸見:
「拓実は。」
『母に捨てられたから、自分はこういう人間になった。』
「と考えている。」
「しかし。」
「母親がいなくなったことが、今の拓実のすべての行動の直接的な原因なのでしょうか。」
河合:
「直接的な原因、と言い切るのは難しいでしょう。」
岸見:
「仕事が続かない。」
「人に怒る。」
「千鶴を信用できない。」
「自分から関係を壊す。」
「これら全部を。」
『母親が自分を捨てたからだ』
「と説明してしまったら。」
「拓実自身が何を選んだのか、見えなくなってしまいます。」
河合が少し考えた。
河合:
「でもね。」
「私はそこを急ぎすぎるのも怖いと思うんです。」
岸見:
「どういうことでしょう。」
河合:
「たとえば、実際に子どもの頃に深く傷ついた人がいる。」
「その人に。」
『いつまで親のせいにしているんですか。今の人生はあなたの責任ですよ。』
「と言う。」
「理屈としては一部正しいかもしれない。」
「でも。」
「心は、理屈どおりには動かない。」
岸見はすぐに反論しなかった。
河合:
「まだ痛い傷を持っている人に。」
『今日から過去は関係ありません。』
「と言っても。」
「本人には。」
『傷ついた自分まで否定された』
「と聞こえることがあります。」
岸見:
「私は、傷を否定したいわけではありません。」
河合:
「ええ。分かっています。」
岸見:
「むしろ。」
「過去に傷つけられた人が。」
『だから未来も同じでなければならない』
「と思わなくていい、と言いたい。」
河合:
「そこなら、かなり近いかもしれません。」
國分が入る。
國分:
「私は二人の間に、もう一つ問題があると思います。」
江原:
「どんな問題ですか。」
國分:
**「“責任”という言葉です。」
「非常に使い方が難しい。」
國分は少し前へ身を乗り出した。
國分:
「拓実は、自分の母親を選んでいない。」
「母親が去ったことも選んでいない。」
「子どもの自分が傷ついたことにも責任はない。」
「ここまではかなり明確です。」
岸見がうなずく。
國分:
「でも大人になった拓実が、千鶴を傷つけた。」
「その時。」
『僕は親に捨てられたから仕方ない』
「と言えば。」
「今度は、千鶴がその過去の代償を払うことになる。」
河合:
**「そうなんです。」
國分:
「本人に責任のない傷が。」
「別の人への傷つけを自動的に免責するわけではない。」
岸見:
**「そこは私が言いたかったことです。」
河合:
「ええ。」
「傷ついたことには責任がない。」
「でも。」
「傷ついた自分が、次に何をするかについては。」
「少しずつ自分の領域が生まれてくる。」
並木良和が静かに言った。
並木良和:
「ここで面白いのは。」
「人は、自分が経験したことと、自分そのものを一体化しやすいことです。」
國分:
「どういう意味ですか。」
並木:
「親に捨てられた。」
「すると。」
『自分は捨てられる人間だ。』
「になってしまう。」
河合がうなずく。
並木:
「出来事と、自分の存在を分けられなくなる。」
「でも。」
『捨てられた経験をした』
「と。」
『自分は捨てられる価値しかない人間だ』
「は、まったく違います。」
河合:
「これは心理学的にも非常に大事ですね。」
江原啓之が続ける。
江原啓之:
「私は、そこに魂の視点を加えることもできます。」
國分が少し笑う。
國分:
「そろそろ来ると思っていました。」
江原も少し笑った。
江原:
「でも、慎重に言います。」
「この世で経験する親子関係を、魂の学びや縁として捉える考えがあります。」
「しかし。」
「だから。」
『あなたはその親を選んだのだから、傷つけられても仕方ない』
「という話ではありません。」
河合:
「そこははっきり分けたいですね。」
岸見が江原を見る。
岸見:
「では、仮に子どもが親を選ぶという考えを採用するとして。」
「拓実は。」
『母親に捨てられたから自分はこうなった』
「と言えなくなるのでしょうか。」
江原:
「私は、そうは思いません。」
岸見:
「なぜですか。」
江原:
「人間として傷ついたことは事実だからです。」
「魂の視点でどう見るかと。」
「現実の心が何を感じたかは、別の層です。」
河合がすぐ反応する。
河合:
「その“別の層”という考え方は、かなり大事かもしれません。」
國分:
「説明してください。」
河合:
「仮に。」
「何らかのスピリチュアルな意味があったとしても。」
「子どもの拓実はそんなことを知りません。」
「ただ母親がいない。」
「寂しい。」
「なぜ自分だけ。」
「それが現実です。」
「その子に。」
『魂ではあなたが選んだんですよ』
「と説明したところで。」
「今の寂しさが消えるわけではない。」
江原:
**「まさにそうです。」
「魂の話を、人間としての痛みを飛ばすために使ってはいけない。」
國分:
**「私は、そこに一つ安心しました。」
江原:
「一つだけですか。」
國分:
「まだ問題は残ります。」
少し笑いが起こる。
國分:
**「私が気になるのは、“選んだ”という言葉です。」
「普通、選択と言う時。」
「複数の可能性があって。」
「本人が意識的に一つを選ぶ。」
「ところが、生まれる前に親を選んだという話には。」
「今の私たちには記憶がない。」
「確認もできない。」
それを現在の責任に結びつけるのは、かなり危険ではありませんか。
江原:
「責任に結びつけるべきではないと思います。」
並木も頷く。
並木:
「私も、“選んだのだから文句を言うな”という方向にはしません。」
「ブループリントという考え方も。」
「自分を責める材料ではなく。」
「自分の人生を別の角度から見るためのものです。」
岸見:
**「では、こういう人はどうでしょう。」
「親から長年ひどい扱いを受けた。」
「大人になっても苦しんでいる。」
「その人が。」
『私はこの親を選んで生まれてきたのでしょうか。』
「と聞く。」
江原は少し考える。
江原:
「その人が今その考えを求めているなら、丁寧に話すでしょう。」
「ただ。」
「まず先に。」
『傷ついたあなたが悪いわけではありません』
「ということを大切にしたい。」
河合がうなずく。
河合:
「私はそこが非常に重要だと思います。」
「子どもは。」
「親が自分を傷つけると。」
『自分に何か悪いところがあるからだ』
「と思うことがあります。」
「だから大人になった時に必要なのは。」
「まず。」
『あの時、あなたが悪かったわけではない。』
「という理解なのかもしれない。」
國分:
**「これは、責任の配置を戻す作業ですね。」
河合:
「そうですね。」
岸見:
**「しかし。」
「その次があります。」
河合:
「ええ。」
岸見:
「過去の責任を正しい場所へ戻したあと。」
「今の人生をどうするか。」
スクリーンの言葉が変わる。
『母親に捨てられたから、人を信用できない。』
岸見:
「拓実がそう言う。」
「私は。」
『そう感じるようになった理由は理解できます』
「と言うでしょう。」
「しかし。」
『だからこれからも誰も信用しなくていい』
「とは言いません。」
河合:
**「その違いは大きいですね。」
國分:
**「つまり。」
「原因の説明と。」
「未来の命令を分ける。」
岸見:
「そうです。」
並木:
**「私は、それを“同じストーリーを続けなくていい”と表現します。」
河合:
「面白いですね。」
並木:
「自分は捨てられる。」
「だから誰かと近づくと、いずれ捨てられる。」
「その前に自分から離れる。」
「そして。」
『ほら、やっぱり人間関係は続かない』
「と確認する。」
國分:
「自分の信じている物語を、行動で再現してしまう。」
並木:
「そうです。」
河合:
**「これは拓実に非常に近い。」
「人は、自分の傷を証明するような出来事を集めることがあります。」
「愛されないと思っている人が。」
「愛された場面より。」
「拒絶された場面だけを強く覚えている。」
「そして。」
『やっぱり私は愛されない。』
「という物語を強くする。」
江原:
**「そこから離れるにはどうするのでしょう。」
河合:
「急に新しい物語を信じるのは難しい。」
「でも。」
「今までとは違う経験を、少しずつ受け取る。」
「誰かが離れなかった。」
「自分が怒っても戻ってきた。」
「助けを求めても嫌われなかった。」
「そういう経験が増えると。」
「心の中の物語も少し変わります。」
岸見:
**「私はもう少し厳しく言うかもしれません。」
河合:
「どうぞ。」
岸見:
「相手が離れないことを待つだけではなく。」
「自分も。」
『捨てられる前に関係を壊す』
「という行動をやめてみる。」
「怖くても。」
「相手に任せてみる。」
河合:
**「そこが岸見さんの“今から”ですね。」
岸見:
「そうです。」
國分:
**「ただ。」
「ここでも“自由意志”を単純化したくない。」
岸見が國分を見る。
國分:
「人は、怖いから関係を壊す。」
「それを。」
『自分で選んだんだから自己責任だ』
「と言えば、また乱暴になります。」
「選択というのは、過去の経験や環境の影響を受けています。」
「完全に自由な場所から決めているわけではない。」
岸見:
**「私は“完全に自由”とは言っていません。」
國分:
「そこは分かっています。」
「むしろ。」
自由とは、影響がないことではなく、影響がある中で少し違う行動ができる余地なのかもしれない。
河合がゆっくりうなずいた。
江原:
**「その“余地”という言葉はいいですね。」
並木:
「私なら可能性と言うかもしれません。」
國分:
「言葉は違っても、少し近いですね。」
しばらくして、河合が若い拓実の言葉へ戻った。
河合:
「ただね。」
「拓実にはもう一つ、大きな問題があります。」
岸見:
「何でしょう。」
河合:
**「彼は母親を責めているようで。」
「実は、自分自身を責め続けているんです。」
部屋が静かになる。
國分:
「どういうことですか。」
河合:
「子どもの頃に。」
『自分が悪かったから母親はいなくなった』
「と思う。」
「大人になって。」
『いや、悪いのは母親だ』
「と怒る。」
「でも心の深いところには。」
『自分には、人が残ってくれるほどの価値がない。』
「が残っている。」
江原が静かに言った。
江原:
「それは、とても苦しいですね。」
河合:
「だから。」
「親を許すことより先に。」
自分についての誤解を解く必要がある場合があります。
岸見:
**「自分についての誤解。」
河合:
「そう。」
『私は捨てられるような人間だった。』
「そこを。」
『私は、捨てられる経験をした子どもだった。』
「へ戻す。」
國分:
**「主語が変わりますね。」
河合:
「ええ。」
「自分の存在そのものから。」
「自分に起きた出来事へ。」
並木:
**「それは大きいですね。」
「出来事をアイデンティティーから外す。」
岸見:
**「そうすると。」
「“母親を許せるか”という問いも少し変わりますね。」
河合:
「どう変わります?」
岸見:
『母親を許さなければ、自分は自由になれないのか。』
「という問いになる。」
江原:
**「私は、許しを強制するのは違うと思います。」
國分が少し驚く。
國分:
「江原さんからそれを聞くのは興味深いですね。」
江原:
「なぜですか。」
國分:
「スピリチュアルな世界では、許しがよく語られる印象があります。」
江原:
「だからこそです。」
「本当には許せていない人に。」
『許しなさい。それが魂の成長です』
「と言えば。」
「その人は、怒っている自分まで否定することになる。」
河合:
**「そこは非常に同意します。」
並木:
**「手放すことと、無理に許したふりをすることも違います。」
岸見:
「では、手放すとは?」
並木:
「その出来事に、自分の現在すべてを支配させないこと。」
「相手を好きになる必要はない。」
「正しかったことにもしなくていい。」
「ただ。」
『この出来事があったから、私は一生この生き方しかできない』
「という結びつきを外していく。」
國分:
**「それなら、“許す”という言葉を使わなくてもかなり共有できそうですね。」
河合:
**「私は、理解することと許すことも分けたい。」
「拓実が母親の事情を知る。」
「すると。」
『母親は自分を愛していなかった』
「という理解は変わるかもしれない。」
「でも。」
「子どもの頃に寂しかったことまで。」
『事情があったのだから仕方ない』
「と消す必要はない。」
岸見:
**「理解した。でも許せない。」
「それでもいい。」
河合:
「ええ。」
國分:
**「許した。でもまた怒る日もある。」
河合:
「それもあるでしょう。」
江原:
**「人間ですからね。」
國分が少し考えてから言った。
國分:
「私はここで、江原さんに聞きたいことがあります。」
江原:
「はい。」
國分:
「先ほど。」
『普通は親を自分で選べない』
「と私は言いました。」
「江原さんは違う見方をするとおっしゃった。」
江原が静かにうなずいた。
國分:
**「もし拓実が母親を選んで生まれたとするなら。」
「拓実の。」
『親のせいで自分はこうなった』
「という言葉は、どうなるのでしょう。」
江原:
「私は。」
「それで親の責任が消えるとは考えません。」
國分:
「でも、拓実自身がその親を選んだ?」
江原:
「魂の視点では、そういう捉え方があります。」
河合が慎重に言った。
河合:
「ここが次の大きな問題でしょうね。」
岸見:
**「もし子どもが親を選ぶなら。」
「虐待する親も?」
江原は黙って聞く。
岸見:
「子どもを捨てる親も?」
國分:
「守らない親も?」
並木も二人を見る。
江原:
**「その問いには、簡単な一言では答えたくありません。」
國分:
「ぜひ簡単にしないでください。」
江原:
「ええ。」
「私は、親子には魂の縁があるという見方を持っています。」
「そして、子どもが親を選ぶという考えも持っています。」
「ただし。」
それを、親の行為を正当化するために使うことには反対です。
岸見:
**「つまり。」
「子どもがあなたを選んだのだから、あなたが何をしてもそれは学びだ。」
「とはならない。」
江原:
「絶対になりません。」
河合:
**「ではもう一つ。」
江原:
「はい。」
河合:
「傷ついた子ども自身に。」
『あなたはその親を選んで生まれてきたんですよ。』
「と言うことについては?」
江原は少し長く考えた。
江原:
「その人が何を求めているかを見ずに言うべきではないと思います。」
「その言葉で。」
『自分が悪かったのか』
「と感じる人もいるでしょう。」
「それなら、その瞬間には必要のない言葉です。」
河合はうなずいた。
河合:
「それなら、次のTopicはかなり重要になりそうです。」
國分:
**「ええ。」
「ここまで私たちは。」
『親の影響をどう受け止めるか』
「を話してきました。」
「でも次は。」
「もっと根本から。」
『そもそも、その親を自分で選んだのか。』
「を考えなければならない。」
並木が静かに言った。
並木:
「そして『時生』では。」
「その問いが、普通の親子以上に面白い形で出てきます。」
岸見:
「どういう意味ですか。」
並木:
「時生は。」
「ただ拓実の息子として生まれるだけではない。」
「時間を越えて。」
父親になる前の拓実のところへ、自分から会いに行く。
江原がうなずいた。
國分:
**「つまり。」
「もし“子どもが親を選ぶ”という考えを『時生』に重ねるなら。」
「かなり象徴的な物語になりますね。」
江原:
「そうです。」
河合:
**「でも。」
「だからこそ怖い。」
全員が河合を見る。
河合:
時生は、本当に拓実を救うために生まれたのでしょうか。
「もしそう言ってしまえば。」
「また。」
子どもの人生を、親のための人生にしてしまう。
部屋が静かになった。
スクリーンには、次の問いが表示された。
なぜ時生は、若い父・拓実のところへ来たのか?
その下に、もう一行。
子どもは、本当に親を選んで生まれてくるのか?
江原啓之は、その文字をじっと見ていた。
並木良和も。
國分功一郎は、すでにいくつもの反論を考えているようだった。
河合隼雄は、答えよりも、その答えによって傷つくかもしれない人のことを考えているようだった。
岸見一郎は、親を選んだかどうかと、今ここからどう生きるかは別問題だと言いたそうだった。
そして次の対話では、五人の違いが、これまで以上にはっきり表れることになる。
Topic 3 — なぜ時生は若い父・拓実のところへ来たのか?
スクリーンには、二つの問いが並んでいた。
なぜ時生は、若い父・拓実のところへ来たのか?
その下に、
子どもは、本当に親を選んで生まれてくるのか?
しばらく誰も口を開かなかった。
最初に江原啓之が話し始めた。
江原啓之:
「私は、親が子どもを選ぶだけではなく、子どもの魂も親を選んで生まれてくる、という見方をしています。」
國分功一郎がすぐに反応した。
國分功一郎:
「その“選ぶ”という言葉を、今日はかなり丁寧に扱いたいです。」
江原:
「ええ。」
國分:
「私たちは普通、“選ぶ”と言う時、自分に複数の可能性が見えていて、その中から一つを決めることを考えます。」
「でも、誰も。」
「少なくとも今の意識では。」
『この両親を選びました』
「という記憶を持っていない。」
「それでも“選んだ”と言えるのでしょうか。」
並木良和が静かに入った。
並木良和:
「私は、現在の人格としての自分と、もっと広い意識としての自分を分けて捉えています。」
國分:
「つまり、今ここにいる“私”には記憶がなくても、別のレベルでは選択があったと?」
並木:
「そういう見方です。」
「親子関係も、人生のブループリントの一部として設定されていると考えることができます。」
岸見一郎が並木を見る。
岸見一郎:
「では、非常に難しい質問をします。」
「子どもを愛する親を選ぶことだけではありませんね。」
並木は黙って聞く。
岸見:
「子どもを傷つける親。」
「無視する親。」
「暴力を振るう親。」
「捨てる親。」
そういう親も、自分で選んだということになるのでしょうか。
部屋の空気が変わった。
河合隼雄はまだ話さず、江原と並木を見ていた。
並木は少し考える。
並木:
「人生で経験する大きなテーマの中に、非常に困難な関係性が含まれることもある、という見方はあります。」
國分:
**「それは、“はい”にかなり近いですね。」
並木:
「ただ、それを。」
『あなたが選んだのだから仕方がない』
「という意味にはしません。」
河合がここで初めて口を開いた。
河合隼雄:
「そこは、本当に大切ですね。」
「私は臨床の側から考えてしまいます。」
「目の前に、親から深く傷つけられた人がいる。」
「その人が。」
『どうして私だけこんな家に生まれたんでしょう』
「と泣いている。」
「そこでこちらから。」
『あなたがこの親を選んで生まれてきたんですよ。』
「と言ったら。」
「その言葉が何をするのか。」
「私はそこを考えたいです。」
江原がうなずいた。
江原:
「その通りです。」
河合:
「ある人は救われるかもしれない。」
「“何か意味があるのかもしれない”と思って、少し楽になる。」
「でも別の人は。」
『では、私が悪かったのか。』
「と思うかもしれない。」
「あるいは。」
『自分で選んだのなら、苦しいと言ってはいけないのか。』
「と。」
江原:
**「だから、外から押しつけるものではないんです。」
國分:
「でも、その考え自体には“選択”という言葉が残ります。」
江原:
「残ります。」
國分:
「なら、その選択と責任を分ける必要がありますね。」
岸見:
**「私はそこをはっきりさせたいです。」
「仮に子どもが親を選んだとしても。」
親には、今ここで子どもを傷つけない責任があります。
江原:
「当然です。」
岸見:
「子どもが自分を選んだ。」
「だから、この関係には意味がある。」
「そう思うことで。」
「親自身が自分の行為を正当化してはいけない。」
江原:
「それは絶対に違います。」
河合:
**「子どもが親を選んだという考えが、親の免罪符になった瞬間に危険になりますね。」
並木:
「同感です。」
國分が少し考えてから言った。
國分:
「では逆に。」
「子どもの側が、その考えを自分から選ぶ場合はどうでしょう。」
河合:
「どういうことです?」
國分:
「たとえば成人した人が。」
『なぜこの親だったのか分からない。でも、もし自分が何かを経験するためにこの親を選んだのだと考えると、少し楽になる。』
「そう思う。」
「それは、その人自身の物語として尊重できるのではないか。」
河合:
**「私はそう思います。」
「自分で選び取った意味なら。」
「それによって少し生きやすくなるなら。」
「それは大事な物語になり得る。」
江原:
**「まさに、そういうことです。」
「スピリチュアルな見方は、人を縛るためではなく、人生を受け止める一つの視点です。」
國分:
「ただ、私はまだ“選んだ”という表現には残ります。」
江原が少し笑う。
江原:
「國分さんは今日はそこを離しませんね。」
國分:
「今回の核心だと思いますから。」
並木:
**「では、“選んだ”ではなく、“設定した可能性がある”ならどうでしょう。」
國分:
「少し柔らかくはなります。」
岸見:
「でも、“設定した”もかなり強いですね。」
少し笑いが起きた。
河合が言う。
河合:
「私は、ここで『時生』そのものに戻りたいです。」
スクリーンに、若い拓実と時生のイメージが映る。
河合:
「時生は、ただ未来で拓実の息子になるだけではない。」
「時間を越えて。」
まだ父親ですらない拓実に会いに来る。
江原:
「非常に象徴的ですね。」
河合:
**「普通の親子では、親が子どもの人生の前に存在する。」
「でも『時生』では。」
「未来の子どもが、親の過去に入り込む。」
國分:
「因果の方向が逆転している。」
河合:
「そう。」
「親が子を作る前に。」
子が親を作っている。
江原が静かに言った。
江原:
「私はここに、親子の縁の深さを感じます。」
「時生は拓実の息子になるだけではない。」
「拓実が父親になれる人間になる前から、彼の人生に関わっている。」
岸見:
**「でも、そこから。」
『時生は拓実を救うために生まれた』
「と結論していいのでしょうか。」
江原はすぐには答えなかった。
並木:
**「私は“それだけのため”とは言いません。」
岸見:
「なぜ?」
並木:
「その瞬間に、時生が手段になるからです。」
國分がうなずく。
國分:
「これは非常に大事です。」
「ある人の人生に意味を与えようとすると。」
「つい。」
『あなたは誰々を救うために生まれた。』
「と言いたくなる。」
「でも。」
それはその人自身の人生を、別の人の人生の部品にしてしまうことがある。
河合:
**「子どもが親を成長させることは確かにあります。」
「でも。」
『だから子どもは親を成長させるために存在する』
「とは言えない。」
江原:
**「ええ。」
「縁には相互作用があります。」
「親が子どもから学ぶこともある。」
「子どもが親から学ぶこともある。」
「でも、一方が他方のためだけに存在するわけではありません。」
岸見:
**「ここで、私は時生本人の立場を想像したいです。」
江原:
「はい。」
岸見:
「もし時生がここにいて。」
『俺は、親父を救うために生まれたの?』
「と聞いたら。」
江原は少し考える。
江原:
「私は。」
「“それだけではない”と言うと思います。」
岸見:
「それだけではない。」
江原:
「時生には時生自身の人生があります。」
「彼が感じたこと。」
「好きだったもの。」
「嫌だったこと。」
「誰かを愛したこと。」
「病気への恐怖。」
「そういうすべてを含めて時生の人生です。」
河合が小さく笑った。
河合:
「それなら、第1部の時生本人とかなり近い答えですね。」
國分:
**「むしろ、私はこう聞きたいです。」
「時生が拓実を変えた。」
「それは結果です。」
「でも結果から逆算して。」
『それが時生の目的だった』
「とする必要はあるのでしょうか。」
並木:
**「必ずしも必要はないです。」
國分:
「なら。」
「ブループリントがあったとしても。」
「そこに“父を救う”と一行で書かれていたと考える必要はない?」
並木:
「私はもっと幅のあるものとして捉えます。」
「出会う。」
「関わる。」
「互いに影響する。」
「その中でどのように生きるかには自由がある。」
國分:
**「そこはかなり重要ですね。」
「設計図があるとしても。」
「完成図ではない。」
並木:
「そうですね。」
岸見:
**「でも、それなら。」
「なぜ“設計図”という言葉を使う必要があるのでしょう。」
並木が岸見を見る。
岸見:
「人は。」
「すでに過去と環境に縛られていると感じやすい。」
「そこへさらに。」
『生まれる前の設計』
「まで加えたら。」
「余計に。」
『自分の人生は決まっている』
「と思わないでしょうか。」
並木:
**「そのために、固定された運命ではないと何度も言う必要があります。」
岸見:
「でも、“設計”という言葉自体に固定の響きがある。」
國分:
「これは面白いですね。」
江原:
**「私なら、“縁”という言葉を使います。」
國分:
「縁なら少し違う?」
江原:
「縁は、結ばれているという意味はある。」
「でも、その関係をどう生きるかまで全部決めているわけではない。」
河合:
**「心理学でも、人間関係は不思議です。」
「なぜこの人にこれほど腹が立つのか。」
「なぜこの人だけは離れられないのか。」
「説明のつかない強い結びつきがあります。」
「それを“魂の縁”と呼ぶかどうかは別として。」
関係そのものが、人を変えることは確かです。
國分:
**「では『時生』の親子関係で。」
「重要なのは、拓実が時生を選んだか。」
「時生が拓実を選んだか。」
「という一点ではなく。」
二人が互いの人生を変えてしまったこと
「なのかもしれない。」
江原:
「そうですね。」
並木:
「その関係には深いテーマがあった、と見ることもできます。」
岸見:
**「ただ。」
「私は最後まで。」
“だからそうなる運命だった”
「とは言いたくありません。」
並木:
「私も固定された運命とは言っていません。」
岸見:
「なら、時生が拓実を変えたことには。」
時生自身の選択もあった。
並木:
「そうです。」
國分:
**「ここで自由が戻ってくる。」
河合:
**「時生が過去に来たという設定も。」
「単なる使命遂行ではなく。」
「彼自身が父親と関わり。」
「父親を知り。」
「一緒に過ごす。」
「そこが大事なんでしょうね。」
江原:
**「親子の縁というと、つい“学び”という言葉を使いたくなります。」
「でも。」
「学ぶためだけに会うのではないと思います。」
「愛することも。」
「一緒に笑うことも。」
「喧嘩することも。」
「それ自体が関係です。」
國分:
**「その方が私は好きですね。」
江原:
「珍しく?」
國分:
「今日は少し近づいています。」
少し笑いが起きた。
やがて河合が言った。
河合:
「でも、まだ一番難しい部分が残っています。」
江原:
「何でしょう。」
河合:
「拓実のような人が。」
『もし自分がこの親を選んだのなら、なぜこんなに苦しかったんだ。』
「と聞いた時です。」
部屋が静かになる。
並木:
**「私は、その苦しさを失敗とは考えません。」
國分:
「でも、“必要な体験だった”と言う?」
並木は少し考えた。
並木:
「その人自身がそう受け取れるなら、そういう見方もできます。」
國分:
「外からは?」
並木:
「決めません。」
江原:
**「私も同じです。」
「自分の人生を振り返って。」
『あの親だったから、自分はこれを知った』
「と本人が思うなら。」
「それは一つの意味です。」
「でも。」
『あなたは学ぶために傷つけられたんですよ』
「と他人が言うのは違います。」
河合:
**「そこは今日、かなり大切な線が引けましたね。」
岸見:
「本人が意味を見つける自由と。」
「他人が意味を与えることは違う。」
國分:
**「そして、“子どもが親を選ぶ”という考え自体も。」
「本人が自分の人生を受け止めるために使うのと。」
「親や第三者が責任を説明するために使うのでは、意味がまったく違う。」
江原:
**「そうです。」
しばらくして岸見が言った。
岸見:
「では、私は非常に現実的なことを聞きます。」
江原:
「はい。」
岸見:
「子どもが親を選んだかどうか。」
「私たちは確かめられない。」
江原:
「そうですね。」
岸見:
「なら。」
今、生きている親子にとって何が変わるのでしょう。
江原は少し考えて答えた。
江原:
「親の側なら。」
「“この子は自分の所有物ではない”という感覚につながると思います。」
河合が興味深そうに見る。
江原:
「自分が子どもを作った。」
「自分が育てている。」
「だから自分の言う通りに生きるべきだ。」
「ではなく。」
自分のもとへ来てくれた、一人の別の存在。
「そう思える。」
河合:
**「それは非常にいいですね。」
「心理的にも、親が子どもを自分の延長として扱わないことは大切です。」
岸見:
**「子どもが親を選んだという考えが。」
「親の権利を強くするのではなく。」
「むしろ親の所有感を弱くする。」
江原:
「私はそのように考えます。」
國分:
**「それなら、この思想のかなり興味深い使い方ですね。」
「“選ばれた親だから偉い”ではない。」
「むしろ。」
『選んで来てくれた存在を、自分の思い通りにしてはいけない。』
江原:
「そうです。」
並木:
**「子どもにも、その人自身のブループリントがありますから。」
岸見:
「そこでもまた設計図が出てきましたね。」
並木が笑う。
河合:
**「でも。」
「親子が別々の人生を持っているというところは、みんなかなり一致している。」
國分:
「そうですね。」
河合はスクリーンを見る。
河合:
「時生は拓実を変えます。」
「でも、時生は拓実のためだけの人ではない。」
「拓実は時生の父親です。」
「でも、時生の人生を所有してはいない。」
「もしかすると。」
親子という関係は、互いに深く影響しながら、それでも最後まで別々の人生を生きる二人なのかもしれません。
江原:
**「そこに私は“縁”を感じます。」
國分:
**「私は“関係”と言います。」
並木:
**「私は“テーマ”と言うかもしれません。」
岸見:
**「私は“それでも別々の課題を持つ二人”と。」
河合は笑った。
河合:
「言葉は違いますね。」
國分:
「でも、今日一番一致しているところかもしれない。」
少し静かになった。
その時、並木がスクリーンを見ながら言った。
並木:
「『時生』では、親子の縁だけでなく、もう一つ不思議なことがあります。」
國分:
「時間ですか。」
並木:
「そうです。」
「未来にいるはずの息子が、過去の父親のところへ来る。」
「すると。」
過去・現在・未来は、本当に私たちが思っているほど別々なのでしょうか。
江原:
**「そして作中には。」
『明日だけが未来じゃない。それは心の中にある』
「という非常に象徴的な言葉があります。」
河合が静かにうなずく。
國分:
**「その言葉は、かなり考えたいですね。」
「明日が未来ではないなら。」
「未来とは一体、何なのか。」
岸見:
「亡くなっていく時生にも、未来はあるのか。」
河合:
「残された拓実の中に続く時生を、時生自身の未来と呼んでいいのか。」
江原:
「魂という視点なら、また別の答えになります。」
並木:
「時間そのものの捉え方も変わります。」
スクリーンの文字が静かに切り替わった。
「明日だけが未来じゃない。それは心の中にある」とは、どういう意味なのか?
Topic 3で、
「なぜこの親だったのか」
を考えた五人は。
次に、
「なぜこの時間だったのか」
という、『時生』のもう一つの大きな問いへ向かおうとしていた。
Topic 4 — 「明日だけが未来じゃない。それは心の中にある」とは、どういう意味なのか?
スクリーンには、一つの言葉だけが映っていた。
「明日だけが未来じゃない。それは心の中にある。」
しばらく誰も話さなかった。
最初に河合隼雄が口を開いた。
河合隼雄:
「この言葉は、とても心理的ですね。」
國分功一郎が河合を見る。
國分功一郎:
「心理的、ですか。」
河合:
「ええ。」
「私たちは未来というと、普通は時間の先を考えるでしょう。」
「明日。」
「来年。」
「十年後。」
「でも人間の心の中では、過去も未来も、そんなにきれいに分かれていないんです。」
岸見一郎が言った。
岸見一郎:
「過去の出来事が、今の自分を通して意味を変えることがあるということですね。」
河合:
「そうです。」
「昨日の出来事そのものは変わらない。」
「でも、その出来事が自分にとって何だったかは、十年後に変わることがある。」
國分:
**「すると“未来が心の中にある”というのは、まだ起きていない出来事が心にあるという意味ではなく。」
「これからどう意味づけられるか、その可能性が心の中にあるということですか。」
河合:
「私はそう読みますね。」
並木良和が静かに入った。
並木良和:
「私は、少し違う角度から見ます。」
河合:
「どうぞ。」
並木:
「時間を一直線だけで見ない、という考え方です。」
「過去があって。」
「今があって。」
「その先に未来がある。」
「私たちは普通そう考えます。」
「でも、意識の世界では。」
今の自分がどこに意識を置くかによって、未来の見え方も、過去の受け取り方も変わる。
國分:
**「ただ、それは時間そのものが変わるという話ですか。それとも意識の持ち方が変わるという話ですか。」
並木:
「私の立場では、その二つは完全に切り離せないと考えます。」
國分は少し考えた。
江原啓之が続ける。
江原啓之:
「私は、魂という観点から見ると、この言葉にはさらに別の意味を感じます。」
岸見:
「亡くなった後も未来がある、ということでしょうか。」
江原:
「そういう捉え方です。」
「肉体の時間が終わったから、存在そのものが終わるとは考えません。」
「だから。」
“明日”という肉体的な時間だけを未来と呼ばなくてもいい。
國分がすぐに聞く。
國分:
「でも、ここはかなり分けた方がいいと思います。」
江原:
「どの部分ですか。」
國分:
「時生本人の未来と、残された拓実の心の中で続く時生は、同じではありませんよね。」
江原:
「もちろん同じとは言いません。」
國分:
「そこを混ぜると、残された側が。」
『この人は今も私の中で生きている』
「と言うことと。」
『本人の存在が今も続いている』
「という主張が同じになってしまう。」
河合:
「これは大事ですね。」
岸見:
**「私は、残された側の未来に焦点を当てたいです。」
「時生が亡くなった後。」
「拓実は生き続ける。」
「その時、時生との関係は完全に終わるのでしょうか。」
河合:
「心理的には、終わらないでしょうね。」
岸見:
「でも、それは執着とは違いますか。」
河合:
**「違う場合もあります。」
「人は、亡くなった人との関係を心の中で持ち続けることがあります。」
「会話するように思い出す。」
「もしあの人なら何と言うだろう、と考える。」
「それによって、自分の生き方が変わる。」
國分:
**「すると、亡くなった人との関係にも“未来”がある。」
河合:
「そういう言い方はできると思います。」
「関係の未来です。」
江原:
**「私はそこに、魂のつながりも感じます。」
國分:
「河合さんは心理的な継続と言い、江原さんは魂の継続と言う。」
江原:
「そうですね。」
國分:
「証明の仕方は違う。」
江原:
「ええ。」
並木が言った。
並木:
「でも興味深いのは、どちらの見方でも。」
人が亡くなったから、その人との関係の意味がそこで固定されるわけではない。
河合:
「これはかなり共通していますね。」
岸見がスクリーンを見る。
岸見:
「私は若い拓実の側からも考えたい。」
「彼は、自分の人生に未来がないと思っている。」
國分:
「実際には若いのに。」
岸見:
「そうです。」
「でも本人にとっては。」
『自分はこういう人間だ。これからも変わらない。』
「と決めている。」
河合:
「彼は未来を失ったのではなく。」
未来の意味を一つに固定してしまっている。
並木:
**「すごく近いと思います。」
「今見えている道だけを、未来の全部だと思っている。」
岸見:
「だから、“未来は心の中にある”という言葉は。」
『明るい未来を信じなさい』
「ではないのでしょうね。」
河合:
**「そうですね。そこを間違えたくない。」
國分:
**「私はこの言葉を、もっと厳しく読むこともできます。」
全員が國分を見る。
國分:
「未来が心の中にあるなら。」
「人は、未来を外から与えられるものとして待つだけではなく。」
自分が今どんな可能性を残すかにも関わることになる。
岸見:
「現在の選択ですね。」
國分:
「そうです。」
河合:
**「ただ。」
「希望を持てない人に。」
『未来はあなたの心次第です』
「と言うのは危険ですよ。」
國分:
「もちろんです。」
河合:
「それだと、未来が見えないことまで本人の責任になる。」
岸見:
**「“前向きになれば未来が変わる”という単純な話ではない。」
河合:
「ええ。」
並木:
**「そこは私も同じです。」
「意識の向け方は大事ですが。」
「苦しい時に無理に明るい未来をイメージする必要はありません。」
江原:
**「悲しいなら悲しい時間を通る必要もあります。」
國分:
「今日、スピリチュアル側がずいぶん現実的ですね。」
江原が少し笑う。
江原:
「現実を無視するためのスピリチュアルではありませんから。」
少し空気が緩んだ。
そのあと、河合が静かに言った。
河合:
「私はこの言葉を。」
“今の自分が見ている人生の結論は、最後の結論ではない”
「と読むのが好きですね。」
岸見:
「若い拓実に向けた言葉として。」
河合:
「そうです。」
國分:
**「それなら、未来を信じられない人にも少し届くかもしれない。」
河合:
「ええ。」
「“この先いいことがある”と信じなくてもいい。」
「ただ。」
今の意味が一生同じだとは決めなくていい。
並木:
**「それは可能性を閉じないということですね。」
河合:
「そうです。」
岸見:
**「でも、私は一つ聞きたい。」
「もし本当にこの先も良いことが起こらなかったら?」
部屋が静かになる。
河合:
**「その可能性もあります。」
岸見:
「では、未来が心の中にあるという言葉は慰めにならないのでは?」
河合:
「慰めにしなくていいんです。」
「未来は必ず良くなる。」
「そういう保証ではない。」
國分:
**「むしろ。」
未来とは、結果の保証ではなく、意味が固定されていない状態なのかもしれない。
河合:
「私はそう思います。」
江原:
**「私はそこに、魂の継続という可能性も加えたいです。」
國分:
「それは江原さんの立場として。」
江原:
「はい。」
「この世で答えが見えないことが、存在全体で答えがないとは限らない。」
岸見:
「でも、今苦しんでいる人に“あの世で分かります”とは言わない?」
江原:
「その人が求めていないなら言いません。」
河合がうなずいた。
並木:
**「ブループリントという考えでも。」
「今の地点では意味が見えなくても、全体から見れば別の位置づけがあるという見方ができます。」
國分:
「でも、全体像を現在の私たちは確認できない。」
並木:
「そうです。」
國分:
「なら。」
“全体像があるかもしれない”という可能性として置く。
並木:
「それが近いです。」
岸見:
**「私はやはり、“今”へ戻したい。」
「未来が心の中にあるなら。」
「今日、自分が何を選ぶかは無関係ではない。」
河合:
「そうですね。」
岸見:
「拓実が。」
『どうせ俺はこういう人間だ』
「と言い続けるのか。」
「それとも。」
『そう思っているけれど、今日は違うことをしてみる』
「とするのか。」
「そこには違いがあります。」
國分:
**「完全な自由ではない。」
岸見:
「ええ。」
「でも、余地はある。」
河合:
**「未来って、その“余地”なのかもしれませんね。」
しばらく沈黙が続いた。
そのあと、國分が別の角度から聞いた。
國分:
「では、時生本人にとっての未来はどうでしょう。」
「彼は長く生きられない。」
「明日が少ない。」
「そういう人に。」
『未来は心の中にある』
「と言うことは、本当に救いになるのでしょうか。」
河合はすぐに答えなかった。
河合:
「本人次第でしょうね。」
國分:
「逃げましたね。」
河合は少し笑う。
河合:
「でも本当にそうなんです。」
「ある人には支えになる。」
「ある人には。」
『そんな抽象的なことより、もっと生きたい』
「となる。」
岸見:
**「そして“もっと生きたい”という気持ちを否定してはいけない。」
河合:
「そうです。」
江原:
**「スピリチュアルな未来があるから、この世で長く生きたいという願いが小さくなるわけではありません。」
並木:
「肉体で経験したいことはありますからね。」
國分:
**「そこはとても大事です。」
「未来を別の形で考えることが。」
『死んでも続くから大丈夫』
「という早すぎる慰めになってはいけない。」
江原:
「その通りです。」
河合:
**「時生は、死について考えているから立派なのではない。」
「もっと生きたいと思っていい。」
「怖がっていい。」
「その上で。」
“明日だけが未来じゃない”という言葉を、自分自身で選んで持てるなら。
「その言葉は強くなる。」
岸見:
**「自分で選んだ意味だから。」
河合:
「そうです。」
國分:
**「ここでも、他人が意味を与えることと本人が意味を受け取ることの違いが出てきますね。」
並木が静かに言った。
並木:
「私は、時間についてもう一つ言いたいです。」
「人は未来へ進んでいるつもりですが。」
「未来へ行くたびに、過去の意味も変わる。」
國分:
「未来が過去を変える?」
並木:
「出来事ではなく、意味を。」
河合:
**「それならかなり同意できます。」
「拓実は後になって母親の事情を知る。」
「すると子どもの頃の出来事は変わらない。」
「でも。」
『自分は愛されなかった』
「という過去の意味が変わる。」
岸見:
**「つまり未来は、過去の意味を書き直す場所でもある。」
國分:
「これは『時生』の時間旅行とよく合いますね。」
江原:
**「未来の息子が過去の父に会う。」
「象徴的に言えば。」
未来が、過去の拓実を救いに来る。
河合:
「でも。」
「私は“救う”より。」
“別の意味を持ち込む”
「という方が好きですね。」
江原:
「なるほど。」
國分:
**「時生が来る前の拓実にとって。」
「自分の人生は。」
『捨てられた男の人生』
「だった。」
「でも時生が来たことで。」
「その先に。」
『父親になる自分』
「が現れる。」
河合:
「そう。」
未来の存在が、現在の自己像を壊した。
岸見:
**「これは重要ですね。」
「拓実は、未来で成功するから救われたのではない。」
「自分が今知っている自分だけが自分ではないと知った。」
並木:
**「そこは、私のいう可能性ともつながります。」
國分:
**「では、未来から誰も来ない私たちはどうするんでしょう。」
部屋が静かになった。
河合が少し笑った。
河合:
「そこが一番現実的な質問ですね。」
國分:
「『時生』では未来の息子が来る。」
「でも普通の人には来ない。」
「苦しい時に。」
『あなたにはまだ知らない未来があります』
「と言われても。」
「証拠はない。」
河合:
**「証拠はいらないかもしれません。」
國分:
「なぜ?」
河合:
「“素晴らしい未来がある”と信じる必要はないからです。」
「ただ。」
今の自分がつけた人生の結論を、保留にする。
「それだけならできることがあります。」
岸見:
**「“私は絶対に幸せになる”ではなく。」
『私はまだ、自分の人生の最終回答を知らない。』
河合:
「そうです。」
江原:
**「それはとても大きな余白ですね。」
並木:
「未来の可能性を閉じない。」
國分:
「スピリチュアルな信念がなくても使える考えです。」
河合:
「そうですね。」
しばらくして、江原がスクリーンの言葉をもう一度読んだ。
「明日だけが未来じゃない。それは心の中にある。」
そして言った。
江原:
「もしかすると。」
「未来というのは。」
「これから何が起きるかだけではなく。」
誰かが、自分の中でこれからどう生き続けるか
「ということでもあるのかもしれません。」
國分:
**「ただし、それは残された側の未来。」
江原:
「ええ。」
「時生本人の未来と混ぜる必要はありません。」
岸見:
**「父親である拓実の中では。」
「時生との関係は、時生の死後も変化し続ける。」
河合:
「だから、関係には未来がある。」
並木:
**「そして時生自身の存在については。」
「私と江原さんなら、さらに続きがあるという見方をする。」
國分:
「私はそこを断定しない。」
河合:
「私も断定しない。」
岸見:
「私も。」
江原は少し笑う。
江原:
「それでいいんです。」
國分:
**「何がです?」
江原:
「同じ言葉を、全員が同じ意味で受け取らなくてもいい。」
河合が笑う。
河合:
「それは今回の会話そのものですね。」
そして岸見が最後にスクリーンを見た。
岸見:
「この言葉を。」
「私はこう受け取りたいです。」
少し間。
未来とは、“きっと幸せになる”という約束ではない。
今の自分が、過去にも現在にも、まだ最後の判決を下さなくてよいという可能性である。
誰もすぐには話さなかった。
やがて國分が言った。
國分:
「そうなると、次の疑問が避けられませんね。」
河合:
「どんな疑問ですか。」
國分:
「『時生』では、本当に過去が変わったのでしょうか。」
江原が見る。
國分:
「時生が過去へ来たことで、歴史そのものが書き換えられたのか。」
「それとも。」
時生が来ることまで含めて、最初からその人生だったのか。
並木の表情が変わる。
國分:
「そしてもっと大きな問題があります。」
スクリーンに新しい問いが映った。
過去は本当に変わったのか?
その下にもう一行。
そして、時生の人生の意味を決めるのは誰なのか?
河合隼雄は、その二つの問いを見ながら静かに言った。
河合:
「最後は、ずいぶん難しいところまで来ましたね。」
Topic 4で未来について話した五人は、最後に、
時間そのものと人生の価値を、同時に問う場所
へ向かおうとしていた。
Topic 5 — 過去は本当に変わったのか?
スクリーンには、二つの問いが並んでいた。
過去は本当に変わったのか?
その下に、
そして、時生の人生の意味を決めるのは誰なのか?
最初に口を開いたのは國分功一郎だった。
國分功一郎:
「まず、物語の構造として考えてみたいんです。」
「時生は未来から若い拓実のところへ来る。」
「そして拓実の人生に関わる。」
「ここで普通に考えると。」
時生は、過去を変えるために来た。
「そう見えます。」
並木良和がうなずいた。
並木良和:
「ええ。」
國分:
「でも。」
「本当にそうでしょうか。」
岸見一郎が國分を見る。
岸見一郎:
「どういう意味ですか。」
國分:
「時生が過去へ行ったことによって未来が変わったのか。」
「それとも。」
時生が過去へ行くことまで含めて、最初から拓実の過去だったのか。
江原啓之が静かに言った。
江原啓之:
「時間を一直線として見るかどうかで、答えは変わりますね。」
並木が続けた。
並木:
「私の立場では、時間を単純に。」
「過去。」
「現在。」
「未来。」
「と一方向へ並べるだけでは捉えません。」
「未来が過去へ影響する。」
「今の意識によって過去の意味が変わる。」
「そういう見方もできます。」
岸見:
**「でも、出来事そのものが変わるわけではないですよね。」
並木:
「そこは分けた方がいいでしょう。」
河合隼雄が、スクリーンを見ながら言った。
河合隼雄:
「私は心理学の側から見るので。」
「過去の出来事そのものが変わったかどうかより。」
拓実の中で、過去が何を意味するようになったか。
「そちらの方に関心があります。」
國分:
「つまり、時間旅行の物語を心理的に読む?」
河合:
「そうですね。」
河合:
「若い拓実は。」
『母親に捨てられた。だから俺はこういう人間になった。』
「と思っている。」
「その過去の事実は消えません。」
「母親と離れたことも。」
「寂しかったことも。」
「怒っていたことも。」
「でも時生と出会って。」
「自分の母親について知らなかったことを知る。」
「未来の自分も知る。」
「自分が父親になることも知る。」
少し間。
同じ過去なのに、その過去が自分に語っていた意味が変わる。
岸見:
**「それなら。」
「過去を変えることより、自分と過去の関係が変わった、と言った方が近いかもしれません。」
河合:
「私はそう思います。」
國分:
**「でも、それでは時生の時間移動そのものの意味は何でしょう。」
河合:
「物語としては非常に大胆な方法ですよね。」
國分:
「未来の息子そのものを、過去へ送り込む。」
江原:
**「未来が、父親の過去に会いに行く。」
河合:
「そう。」
「拓実は、自分が知っている人生だけが人生の全部だと思っている。」
「そこへ。」
『あなたには、まだあなたが知らない未来がある。』
「という存在そのものが現れる。」
岸見:
「言葉ではなく、人間として。」
河合:
**「そこが強いんでしょうね。」
並木:
**「だから私は、時生が“未来の可能性”そのもののように感じます。」
國分:
「可能性?」
並木:
「若い拓実は、自分について決めている。」
『自分はこういう人間だ。』
「でも時生が目の前にいる。」
「その存在だけで。」
『あなたが思っているあなたが、あなたの全部ではない。』
「ということになる。」
岸見:
**「それはTopic 4ともつながりますね。」
「未来は、良い結果が保証されるということではなく。」
「今の自己像を最終回答にしなくていいということ。」
河合:
「そうですね。」
江原が言った。
江原:
「私は、そこにもう少しスピリチュアルな意味も感じます。」
國分:
「ぜひ。」
江原:
「親子の縁が。」
「時間の前後を超えているように描かれている。」
「普通は親が先に生まれ、子どもが後に生まれる。」
「でもここでは。」
未来の子どもが、親になる前の父親を導く。
「これは非常に象徴的です。」
國分:
**「ただ。」
「また“導くために生まれた”という結論へ戻らないようにしたいですね。」
江原:
「ええ。」
「それは分けます。」
岸見:
**「では、ここから人生の意味の問題へ移りましょう。」
スクリーンの下の問いを見る。
時生の人生の意味を決めるのは誰なのか?
岸見:
「一番簡単なのは。」
『時生は拓実を変えた。だから時生の人生には意味があった。』
「です。」
國分:
「美しいですね。」
岸見:
「でも。」
「危険でもある。」
河合:
**「なぜ?」
岸見:
「時生が拓実を変えなかったら?」
「過去へ行かなかったら?」
「誰も救わなかったら?」
その時、生きた意味は減るのでしょうか。
部屋が静かになった。
江原が答えた。
江原:
「私は減らないと思います。」
國分:
「なぜ?」
江原:
「人の命の価値は、功績によって作られるものではないと考えるからです。」
「誰かを救った。」
「誰かを変えた。」
「何かを成し遂げた。」
「それは人生の中で起きたことです。」
「でも。」
それがなければ存在の価値もなかった、とは思いません。
國分:
**「私はそこにはかなり同意します。」
並木:
「私もです。」
岸見:
「私も。」
河合:
「ええ。」
國分:
**「でも、そうすると。」
「“人生の意味”という言葉自体がまた問題になります。」
江原:
「Meaningですね。」
國分:
「そう。」
「意味という言葉は。」
『何のために生まれたのか』
「という方向へ行きやすい。」
「すると。」
『誰かを救うため。』
『親を成長させるため。』
『魂を成長させるため。』
「という答えを作りたくなる。」
少し間。
でも、人間は何か別の目的のために存在しなければ、存在する価値がないのでしょうか。
河合はゆっくりうなずいた。
河合:
「これは非常に大事ですね。」
「意味を探すことで救われる人もいる。」
「でも。」
「意味が見つからない人が。」
『自分の人生には何もなかった』
「と思ってしまうなら。」
「意味という言葉が、また人を苦しめることになる。」
並木:
**「私は、ブループリントや人生のテーマという見方を持っています。」
「でも。」
「それを“使命を達成できなければ失敗”という話にはしません。」
國分:
「そこを詳しく聞きたいです。」
並木:
「たとえば。」
「人との関係を体験する。」
「自分を知る。」
「何かに気づく。」
「それは資格試験のようなものではありません。」
「何点取ったら合格、という話ではない。」
岸見:
**「でも“本来のブループリント”という言葉を聞くと。」
「今の人生が間違っているように感じる人もいるでしょう。」
並木:
「だからこそ。」
『外れたから失敗』
「とは捉えません。」
「可能性を思い出すための考え方として使います。」
河合:
**「私は、“本来の自分”という言葉も少し慎重にしたいですね。」
並木:
「なぜですか。」
河合:
「人によっては。」
『今の自分は偽物なのか』
「と思ってしまう。」
並木は少し考えた。
並木:
「なるほど。」
河合:
「私は。」
「今の自分も含めて、その人だと思いたい。」
「迷っている自分も。」
「失敗している自分も。」
「本来から外れた偽物ではない。」
國分:
**「これは今回ずっと出ているテーマですね。」
「人生を正解と不正解に分けすぎない。」
江原が静かに言った。
江原:
「私は“魂の目的”という言葉を使うことがあります。」
國分が見る。
江原:
「でも、それも同じでしょうね。」
「目的を見つけなければ、生きる資格がないわけではない。」
岸見:
**「では、江原さん。」
「こんな人を考えてみてください。」
江原:
「はい。」
岸見:
「誰も救わなかった。」
「有名にならなかった。」
「結婚もしなかった。」
「子どももいなかった。」
「仕事でも大きな功績を残さなかった。」
「友人も少なかった。」
「静かに一人で暮らし。」
「静かに亡くなった。」
少し間。
その人にも、生まれてきた意味があったと言えますか。
江原は少し考えてから答えた。
江原:
「私は、あると考えます。」
岸見:
「何だったのですか。」
江原は少し笑った。
江原:
「それを私が決める必要はないでしょう。」
部屋が静かになった。
國分が少し前へ身を乗り出した。
國分:
「今の答え、面白いですね。」
江原:
「私自身は、存在や魂には意味があるという立場です。」
「でも。」
その人の人生の具体的な意味を、外側から私が決める必要はない。
河合:
**「これはかなり重要な区別ですね。」
並木:
**「本人にも分からないことはあるでしょう。」
國分:
「最後まで?」
並木:
「ええ。」
「この人生では分からない、という見方もできます。」
國分:
「私はそこは保留します。」
並木:
「もちろん。」
岸見:
**「私はさらに。」
「意味そのものが分からなくてもいいと思います。」
國分:
「もっと行きますか。」
岸見:
「ええ。」
意味が分からないことと、価値がないことは別です。
河合:
**「私もそう思います。」
國分:
**「では。」
「人生には意味があるから価値があるのではなく。」
先に価値があり、意味については後からそれぞれが考える。
「そういう順番もあり得る。」
岸見:
「私はその方が近いです。」
江原:
**「私は意味もあると考えますが。」
「価値を意味の発見に条件づけないという点では同じです。」
河合:
**「結局。」
「一人の人生には。」
「本人が感じる意味。」
「家族が感じる意味。」
「友人が感じる意味。」
「後から生まれる意味。」
「いろいろあるのでしょうね。」
國分:
「複数ある。」
河合:
「ええ。」
岸見:
**「では、“本当の意味”を一つ探す必要はない?」
河合:
「私はそう思います。」
スクリーンに、時生の名前が映る。
河合はその文字を見る。
河合:
「拓実にとって。」
「時生は、自分の人生を変えた息子です。」
妻にとっては。」
「愛した子どもです。」
「時生本人にとっては。」
「父を変えた存在だけではない。」
「自分の人生を生きた一人の少年です。」
國分:
**「つまり。」
一人の人生の意味を、一つの物語に回収しない。
河合:
「そうですね。」
並木:
**「でも、人間は一つにまとめたくなりますね。」
河合:
「まとめると安心しますから。」
『あの人は、私にこれを教えるために来た。』
「そう言うことで救われることもある。」
「だから、それを否定する必要はない。」
「ただ。」
それがその人の全存在を説明したことにはしない。
江原:
**「非常によく分かります。」
少し沈黙が続いた。
やがて國分が言った。
國分:
「では。」
「時生は生まれてきてよかったのか。」
Openingの問いが戻ってきた。
河合:
**「私は答えられません。」
岸見:
「私も本人の代わりには答えられない。」
江原:
**「私は、彼の命には意味があったと受け取ります。」
國分:
「それは江原さんの受け取った意味ですね。」
江原:
「そうです。」
「時生に。」
『あなたもそう思いなさい』
「とは言いません。」
並木:
**「私は、彼の人生には私たちからは見えない全体像がある可能性を残します。」
國分:
「でも、本人が“そんなものは信じない”と言っても?」
並木:
「それでいいです。」
國分:
「良い?」
並木:
「本人の人生ですから。」
河合が少し笑った。
河合:
「最初より皆さん、ずいぶん他人の人生に答えを出さなくなりましたね。」
少し笑いが起きた。
岸見:
**「それが、この作品から学んだことかもしれません。」
國分:
「人生相談の話ではないのに。」
岸見:
「でも同じです。」
「人は他人の人生を見ると。」
『こういう意味だったんだ』
「と言いたくなる。」
「でも本人は。」
「そんなふうにまとめられたくないかもしれない。」
江原:
**「だから、意味を語る時には愛だけでなく謙虚さも必要なんでしょうね。」
河合:
「いい言葉ですね。」
國分:
**「私は、最後に一つだけ聞きたい。」
全員が國分を見る。
國分:
「もし人生に。」
「明確な使命も。」
「大きな意味も。」
「魂の目的も。」
「後世に残るものも。」
「何も見つからなかったとして。」
「それでも。」
生きたというだけで、その人生は十分だったと言えるでしょうか。
長い沈黙。
最初に答えたのは岸見だった。
岸見:
「私は、言いたいです。」
河合:
**「私も。」
「ただ。」
「“十分だった”と本人に押しつけるのではなく。」
十分でなければならない理由が、そもそもない。
「という感じですね。」
江原:
**「私には意味があると見えます。」
「でも、その意味を見つけることが義務ではない。」
並木:
**「人生を完成させなければならない、と考えなくてもいいと思います。」
國分は少し考えていた。
そして。
國分:
「私は今日ずっと。」
『人生には意味があるのか』
「という問いを考えていました。」
「でも。」
「最後には。」
少し間。
『人生には、意味がなければ価値がないのか』
「という問いの方が大事に思えてきました。」
河合は微笑んだ。
河合:
「それなら。」
「答えを急がなくてよさそうですね。」
スクリーンには最初の二つの問いが再び映った。
過去は本当に変わったのか?
時生の人生の意味を決めるのは誰なのか?
國分が最初の問いを見た。
國分:
「過去の出来事は変わらないかもしれない。」
河合:
**「でも、過去との関係は変わる。」
並木:
**「そして、まだ見えていない可能性もある。」
江原:
**「縁の意味も、時間の中で深まることがあります。」
岸見:
**「ただし、今日から何をするかは、今日の自分に残されている。」
そして二つ目。
時生の人生の意味を決めるのは誰なのか?
河合:
**「一人ではないでしょうね。」
岸見:
「本人だけでも。」
國分:
「家族だけでも。」
江原:
「他人だけでもない。」
並木:
「そして、一度決まったら終わりでもない。」
部屋が静かになった。
『時生』という作品が最後に残したものは、
「これが人生の意味です」
という答えではなかった。
未来から来た息子は、父親へ完成した答えを渡したのではない。
むしろ。
自分の人生についてすでに結論を出していた若い拓実に、
「その答え、本当にもう決めていいの?」
と問い返したのかもしれない。
河合隼雄が最後に、静かに言った。
河合:
「人はね。」
「自分の人生について、何度も意味を変えていいんだと思います。」
「昨日は不幸だった。」
「今日は、分からない。」
「十年後には。」
「もしかすると違って見える。」
少し間。
「人生の意味を見つけることより、人生の意味を最後まで決めつけないことの方が、大事な時もあるのかもしれません。」
誰も答えなかった。
その沈黙の中で、
過去も。
未来も。
時生も。
拓実も。
まだ終わっていないように感じられた。
最後に

今回の対話を通して、最も強く残ったのは、人生の価値と人生の意味は同じではないということでした。
私たちは誰かの人生を見ると、意味を見つけたくなります。
この人は家族を変えるために生まれた。
あの苦しみには学びがあった。
この出会いは運命だった。
この子は親を成長させるために来た。
そう考えることで、耐えられない出来事を受け止められることがあります。
それ自体を否定する必要はないでしょう。
けれど、それを本人の人生そのものへ押しつけ始めると、少し違う問題が生まれます。
時生が拓実を変えたことは確かです。
だからといって、時生が拓実を変えるためだけに生まれたとは限りません。
時生は笑い、怒り、怖がり、家族と過ごし、自分自身の時間を生きました。
誰かの役に立った時間だけが人生ではありません。
何も学ばなかった一日も。
何も成し遂げなかった時間も。
ただ誰かと食事をした午後も。
意味を見つけられずに泣いた夜も。
すべて、その人が生きた時間です。
親についても同じです。
幼い頃に傷ついたことを、「いつまでも親のせいにしてはいけない」と急いで片づける必要はありません。
傷ついたことには、傷ついた理由があります。
理解したからといって許す必要もない。
許せない自分を責める必要もない。
けれど、
「あの出来事があったから、自分は一生こういう人間でしかいられない」
という結論まで守り続ける必要はないのかもしれません。
そして「子どもが親を選んで生まれてくる」というスピリチュアルな考えについても、今回の対話では一つの大切な境界が見えてきました。
その考えによって、自分の人生を少し違う角度から見られる人もいるでしょう。
一方で、
「あなたがその親を選んだのだから、苦しみもあなたが選んだ」
と他人が言えば、それは傷ついた人へ新しい責任を負わせる言葉にもなります。
人生観は、人を責めるためではなく、人が自分を少し自由に見るためにある。
そこは忘れたくありません。
『時生』の時間旅行も、過去を消す話ではありませんでした。
過去の事実は残っています。
しかし、その出来事が自分にとって何だったのかは変わることがあります。
「母に捨てられた人生」だったものが、
「愛されなかったとは限らない人生」へ変わる。
「もう未来などない」と思っていた若者が、
まだ自分の知らない未来の中に息子がいることを知る。
過去が変わったのではなく、
過去に下していた判決が変わった。
そこに、この物語の大きな希望があります。
未来とは、必ず幸せになるという約束ではありません。
今の苦しみには必ず意味があるという保証でもありません。
未来とは、
今の自分が決めた人生の意味が、まだ変わる可能性を残していること。
そう考えることもできます。
そして最後に残るのは、
「人生には意味があるのか」
という問いより、
「人生には、意味がなければ価値がないのか。」
という問いなのかもしれません。
誰も救わなかったとしても。
何も残さなかったとしても。
自分の使命を最後まで見つけられなかったとしても。
その人が生きた時間まで、無価値になるわけではありません。
時生の人生について、私たちはさまざまな意味を受け取ることができます。
けれど、そのどれか一つを「これが時生の人生の答えだ」と決めなくてもいい。
人生の意味は、一度書いたら消せない答えではありません。
時間とともに変わってもいい。
分からないままでもいい。
そして時には、
まだ決めないこと自体が、未来を残すことになるのです。
登場人物
河合隼雄
臨床心理学者。心の傷、親子関係、人生を物語として捉え直すことなどを中心に語りました。苦しみに意味を急いで与えることの危うさや、「捨てられた人間」という自己像と実際に起きた出来事を分けて考える視点を提示しました。
岸見一郎
哲学者。親や過去から受けた影響を認めながらも、それが未来を完全に決定するわけではないという立場から議論しました。傷ついたことの責任と、今ここからどう生きるかという問題を分けて考えます。
國分功一郎
哲学者。「選ぶとは何か」「意味とは何か」「本人に記憶のない選択を本当に選択と呼べるのか」といった前提そのものを問い直しました。人生の価値を、目的や功績によって正当化する必要があるのかという疑問も投げかけました。
江原啓之
スピリチュアルな視点から、魂、親子の縁、子どもが親を選んで生まれてくるという考えについて語りました。その一方で、その考えを苦しんでいる人への責任追及や、親の行動を正当化するために使ってはいけないという境界も示しました。
並木良和
人生のブループリントや、生まれる前から持つテーマという視点を提示しました。人生が固定された運命として決まっているのではなく、見えていない可能性を考える一つの見方として扱い、時間や未来についても広い観点から対話に加わりました。

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