はじめに
もし、愛する子どもの心臓がまだ動いていたら。
身体には温かさがあり、髪も爪も伸び、目の前には確かにその子の身体がある。それでも医療の側から、もう戻ることはないと告げられたら、親はその子を「亡くなった」と受け入れられるのでしょうか。
東野圭吾『人魚の眠る家』が読者に突きつけるのは、脳死や臓器提供という医学的な問題だけではありません。
それよりも深いところにあるのは、
「愛するとは、何をすることなのか」
という問いです。
薫子は娘・瑞穂を救おうとします。
できることがあるなら、やる。
可能性が残っているなら、待つ。
母親として諦めない。
けれど今回のImaginary Talkでは、原作では自分の意思を語ることのできなかった瑞穂が、母親へ一つの問いを投げかけました。
「お母さんは、私を生かしたかったの? それとも、私がいなくなるのが怖かったの?」
そこから家族は、自分たちが長い間触れられなかったものと向き合っていきます。
薫子の愛。
和昌の技術への希望。
生人の見えなかった孤独。
臓器を受け取った宗吾が抱える命の重さ。
そして最後には、
「もう頑張らなくていい」
と愛する人に伝えることも、愛になり得るのではないかという問いへたどり着きます。
この会話に、簡単な正解はありません。
瑞穂自身にも「本当はこうしてほしかった」と答えさせませんでした。
本人が答えられなかったことを、残された人間が都合よく答えに変えてしまわないためです。
だからこそ最後に残るのは、「正しかったのか」という問いよりも、
「確かに愛していた」
という事実なのかもしれません。
(本稿に記されている対話はすべて仮想のものであり、実在の人物・発言とは関係ありません。)
Topic 1 — 瑞穂は生きていたのか、それとも死んでいたのか
静かな部屋だった。
病室ではない。
機械音もない。
白いベッドもない。
ただ、柔らかな光の中に瑞穂が立っていた。
薫子は、しばらく何も言えなかった。
薫子:
「瑞穂……。」
瑞穂は母を見る。
瑞穂:
「お母さん。」
薫子は一歩近づく。
そのまま抱きしめようとした。
瑞穂は逃げなかった。
でも、少しだけ手を上げた。
瑞穂:
「待って。」
薫子の足が止まる。
薫子:
「どうしたの?」
瑞穂は少し考えた。
そして。
「お母さんは、あの時の私を、生きてると思ってた?」
薫子はすぐに答えた。
薫子:
「当たり前でしょう。」
「心臓が動いてた。」
「身体も温かかった。」
「触ったら、ちゃんと瑞穂だった。」
瑞穂:
「ちゃんと私だった?」
薫子:
「そうよ。」
瑞穂:
「どうして分かったの?」
薫子の表情が変わる。
少し離れたところに和昌がいた。
生人もいる。
誰もまだ口を挟まない。
薫子:
**「だって母親だもの。」
瑞穂:
「母親なら分かるの?」
薫子:
「少なくとも、私は分かった。」
瑞穂:
「何が?」
薫子:
「あなたがそこにいたこと。」
瑞穂は静かに聞いていた。
瑞穂:
「でも、お医者さんは?」
薫子:
「お医者さんは脳のことを見てた。」
瑞穂:
「お母さんは?」
薫子:
「あなたを見てた。」
和昌が少しだけ顔を上げた。
和昌:
「薫子。」
薫子:
「何。」
和昌:
「それは、今だから言えるんじゃないか。」
薫子の表情が硬くなる。
薫子:
「どういう意味?」
和昌:
「俺たちは、何を見ていたのか分からなくなっていた。」
薫子:
**「あなたまでそんなこと言うの?」
和昌:
「責めてるんじゃない。」
「俺も同じだった。」
「最初は。」
「瑞穂の心臓が動いている。」
「呼吸も維持できる。」
「身体も成長する。」
「だったら、できることをやればいいと思った。」
薫子:
「そうでしょう。」
和昌:
「でも。」
少し間。
「俺たちは、瑞穂を生かしていたのか。それとも、瑞穂の身体を維持していたのか。」
薫子は和昌を見る。
薫子:
「同じことでしょう。」
和昌:
「本当に?」
瑞穂が二人を見る。
瑞穂:
「お父さんは、違うと思ってた?」
和昌:
「途中から。」
瑞穂:
「いつから?」
和昌は答えるまで少し時間がかかった。
和昌:
「身体が動くようになった時。」
薫子:
「何言ってるの。」
和昌:
「機械や電気刺激で筋肉を動かした。」
「身体の状態は良くなった。」
「外から見ると、前より元気に見えた。」
薫子:
「それの何が悪いの?」
和昌:
「悪いと言ってるんじゃない。」
「ただ。」
「身体がもっと“生きているように見える”ほど、本当に瑞穂が戻ってきているように感じていいのか、分からなくなった。」
薫子:
**「私は感じてた。」
和昌:
「何を?」
薫子:
「瑞穂を。」
瑞穂:
**「私は、何か返してた?」
薫子は黙る。
瑞穂:
「目を開けた?」
薫子:
「いいえ。」
「話した?」
「いいえ。」
「笑った?」
薫子:
「……いいえ。」
瑞穂:
**「じゃあ、お母さんが感じてた“私”って、どこにいたの?」
薫子の目に涙が浮かぶ。
薫子:
「身体。」
瑞穂:
「身体?」
薫子:
「匂いも。」
「髪も。」
「手も。」
「爪も。」
「全部。」
「私は、そこにあなたがいると感じた。」
瑞穂は少し黙った。
そして。
瑞穂:
「じゃあ、身体が私だったの?」
薫子:
「そんなふうに言わないで。」
生人が初めて口を開いた。
生人:
「僕も、分からなかった。」
全員が見る。
生人:
「お姉ちゃんが家に帰ってきた時。」
「最初は、うれしかった。」
「病院じゃなくて家にいるから。」
「でも。」
少し言葉を探す。
「僕が話しかけても返事ない。」
「学校の話しても。」
「ゲームの話しても。」
「何も。」
薫子:
**「生人。」
生人:
「お母さんは。」
『お姉ちゃんは聞いてるよ』
「って言ってた。」
薫子:
「そう思ってたから。」
生人:
「僕もそう思おうとした。」
瑞穂が弟を見る。
瑞穂:
「怖かった?」
生人:
「うん。」
「でも、怖いって言ったらいけないと思ってた。」
瑞穂:
「どうして?」
生人:
「お姉ちゃんを怖いって言ってるみたいだから。」
瑞穂は何も言わなかった。
和昌:
**「生人。」
生人:
「何?」
和昌:
「俺たちは、ちゃんと説明してなかったな。」
生人:
「説明はされたよ。」
「脳がどうとか。」
「心臓がどうとか。」
「でも。」
「死んでるのか生きてるのかは、誰もちゃんと答えてくれなかった。」
瑞穂:
**「じゃあ、生人はどう思ってた?」
生人:
「日によって違った。」
「朝は、生きてると思った。」
「夜に寝てるお姉ちゃんを見ると。」
「ずっと寝てるだけみたいだった。」
「でも。」
「友達が。」
『お姉ちゃん大丈夫?』
「って聞いてきた時。」
「何て答えたらいいか分からなかった。」
薫子は俯いた。
瑞穂:
**「お母さん。」
薫子:
「何?」
瑞穂:
「私が死んでるって言われるのが、一番嫌だった?」
薫子:
**「嫌だった。」
「どうして?」
「その言葉を認めたら。」
少し間。
「あなたが本当にいなくなると思ったから。」
瑞穂:
**「でも、言葉で決まるの?」
薫子:
「何が?」
瑞穂:
「死んでるって言ったら、死ぬの?」
「生きてるって言ったら、生きるの?」
薫子は答えられない。
和昌:
**「俺たちも、言葉にしがみついていたのかもしれない。」
薫子:
「何に?」
和昌:
**「“生きている”っていう言葉に。」
薫子:
「じゃあ“死んでいる”って言えばよかったの?」
和昌:
「そうじゃない。」
薫子:
「じゃあ何なの。」
和昌:
「分からなかったんだよ。」
その言葉が部屋に残った。
分からなかった。
瑞穂:
**「お医者さんは分かってたんじゃないの?」
和昌:
「医学的には答えがあった。」
瑞穂:
「でもお父さんたちには?」
和昌:
「なかった。」
薫子:
**「医学の答えなんて。」
「あなたは脳死です。」
「だから娘は死んでいます。」
「それで終われると思う?」
瑞穂:
「終われなかった?」
薫子:
「終われるわけないでしょう!」
声が大きくなった。
生人が少し肩をすくめる。
薫子は気づいて、声を落とした。
薫子:
「ごめん。」
瑞穂:
「いいよ。」
薫子:
**「私はあなたを産んだの。」
「赤ちゃんの時から知ってる。」
「熱を出した時も。」
「転んだ時も。」
「寝てる顔も。」
「笑った顔も。」
「それを全部知ってる私に。」
『脳が働いていないから、この子はもういません』
「って言われて。」
「はいそうですかって。」
「そんなこと。」
「できない。」
瑞穂は母を見つめる。
瑞穂:
「お母さんには、脳より私との時間の方が大きかったんだね。」
薫子:
「そうよ。」
瑞穂:
**「でも、その時間の中の私は。」
「笑ったり。」
「話したり。」
「嫌がったり。」
「全部してたでしょう?」
薫子:
「うん。」
瑞穂:
「家に帰ってからの私は?」
薫子:
「……。」
瑞穂:
「お母さんが知ってた私と、同じだった?」
薫子は答えない。
生人が小さく言った。
生人:
「僕は、違うと思ってた。」
薫子が見る。
生人:
「でも言えなかった。」
薫子:
「どうして?」
生人:
「お母さんが泣くと思ったから。」
瑞穂:
**「どこが違った?」
生人:
「全部じゃない。」
「顔はお姉ちゃん。」
「手も。」
「髪も。」
「でも。」
「僕を見てくれるお姉ちゃんがいなかった。」
瑞穂は少し目を伏せた。
瑞穂:
「そっか。」
薫子:
**「でも、聞こえてたかもしれないじゃない。」
生人:
「うん。」
薫子:
「分からないでしょう?」
生人:
「分からない。」
薫子:
「だったら。」
生人:
「でもお母さんも分からなかったんでしょう?」
薫子が止まる。
生人:
「聞こえてるかもしれない。」
「聞こえてないかもしれない。」
「生きてるかもしれない。」
「もういないかもしれない。」
「みんな。」
分からなかったんじゃないの?
誰も否定できなかった。
しばらくして瑞穂が言った。
瑞穂:
「もしかして。」
「この話って。」
「私が生きてたか死んでたかを決める話じゃないのかも。」
和昌:
「どういうこと?」
瑞穂:
「みんな、同じ私を見てたのに。」
「お母さんには“生きている私”。」
「生人には“いなくなった私”。」
「お医者さんには“脳の機能が戻らない患者”。」
「お父さんには……。」
瑞穂が父を見る。
「何だった?」
和昌は苦笑した。
和昌:
「分からない。」
「だから一番苦しかった。」
瑞穂:
「何で?」
和昌:
「薫子みたいに。」
『瑞穂は絶対に生きている』
「とも言い切れなかった。」
「でも。」
『もう死んでいる』
「とも言えなかった。」
「だから。」
技術でできることを増やして、答えを後ろへ延ばしていたのかもしれない。
薫子が和昌を見る。
その言葉は責めているようには聞こえなかった。
自分自身を見ている言葉だった。
瑞穂:
**「お父さんは、時間を作ろうとしてた?」
和昌:
「たぶん。」
「いつか答えが出ると思ってた。」
瑞穂:
「出た?」
和昌:
「いや。」
瑞穂:
**「お母さんは?」
薫子:
「何?」
「時間が経ったら、答えが出ると思ってた?」
薫子:
「答えなんかいらなかった。」
瑞穂:
「じゃあ何が欲しかったの?」
薫子はすぐ答えた。
「あなた。」
その一言に、誰も口を挟めなかった。
瑞穂は母を見た。
瑞穂:
「私が欲しかったんだね。」
薫子:
「そうよ。」
瑞穂:
「身体だけじゃなく?」
薫子:
「当たり前でしょう。」
瑞穂:
「でも。」
少し間。
「戻ってこない私を待ちながら、お母さんは何を待ってたの?」
薫子の目から涙が落ちた。
薫子:
「分からない。」
初めてだった。
彼女がそう言ったのは。
薫子:
「奇跡かもしれない。」
「間違いだったって言われることかもしれない。」
「目を開けること。」
「指を動かすこと。」
「私を呼ぶこと。」
「何でもよかった。」
「あなたがまだそこにいるって、私が信じ続けてもいい理由が欲しかった。」
瑞穂:
**「そっか。」
和昌:
「薫子。」
薫子:
「何。」
和昌:
「それを言えたの、初めてじゃないか。」
薫子:
「うるさい。」
涙を拭く。
瑞穂は少し笑った。
それから。
瑞穂:
「お母さん。」
「うん。」
「私が死んでたかどうかより、お母さんには私がまだそこにいたんだね。」
薫子:
**「いたのよ。」
瑞穂:
「うん。」
薫子:
「絶対に。」
瑞穂:
「うん。」
そして瑞穂は、ゆっくり続けた。
瑞穂:
「でもね。」
薫子が見る。
「お母さんがそこに感じてた私と、本当の私が同じだったかは、誰にも分からないんだね。」
薫子は反論しようとした。
でも、できなかった。
瑞穂:
「私にも分からない。」
薫子:
「瑞穂にも?」
瑞穂:
「だって。」
「この会話だって、本当にあの時の私が話してるわけじゃないでしょう?」
薫子の顔が揺れる。
瑞穂:
「だから、お母さんが間違ってたって言いに来たんじゃないよ。」
薫子:
「じゃあ、何を聞きに来たの?」
瑞穂は母をまっすぐ見る。
そして。
「お母さんが“私は生きてる”って言い続けた時。」
「本当に守りたかったのは、誰だったの?」
薫子の顔から表情が消えた。
和昌も。
生人も。
誰も口を挟まなかった。
薫子:
**「瑞穂。」
「うん。」
「それは……。」
言葉が出ない。
瑞穂:
「私?」
少し間。
「それとも、お母さん?」
そこから先はもう、
瑞穂は生きていたのか、死んでいたのか
だけの話ではなかった。
もっと苦しい問いだった。
誰かを生かし続けたいと願う時、その願いは誰のためのものなのか。
薫子は、初めてその問いから逃げずに、娘を見ていた。
Topic 2 — 薫子は瑞穂を生かしていたのか、それとも手放せなかったのか
静かな部屋の中で、瑞穂は母を見ていた。
さっきの問いが、まだ空気の中に残っていた。
「お母さんが“私は生きてる”って言い続けた時、本当に守りたかったのは誰だったの?」
薫子は答えなかった。
和昌も。
生人も。
誰も口を挟まなかった。
しばらくして、薫子が小さく言った。
薫子:
「あなたに決まってるでしょう。」
瑞穂:
「本当に?」
薫子:
「何度聞くの。」
瑞穂:
「だって、お母さん、今ちょっと迷ったから。」
薫子の表情が硬くなる。
薫子:
「迷ってない。」
瑞穂:
「じゃあ、私のためだけだった?」
薫子:
「そうよ。」
瑞穂:
「一度も。」
「自分のためだと思ったことはない?」
薫子はすぐには答えなかった。
和昌が少し息を吐いた。
和昌:
「薫子。」
薫子:
「何。」
和昌:
「そこは。」
「俺たち二人とも、簡単には答えられないんじゃないか。」
薫子:
「あなたと一緒にしないで。」
和昌:
「してない。」
「ただ。」
「俺も瑞穂に生きていてほしかった。」
「でも。」
「瑞穂のためにそう思っていたのか、自分が瑞穂を失いたくなかったのか、今でも全部は分からない。」
薫子:
**「私は分かる。」
和昌:
「本当に?」
薫子:
「母親なんだから。」
瑞穂:
「お母さん。」
「母親だから、自分の気持ちは全部分かるの?」
薫子は黙る。
瑞穂:
「私を助けたい。」
「私を失いたくない。」
「私がいない自分が怖い。」
「それって、全部同じなの?」
薫子:
「違うわよ。」
瑞穂:
「どこが?」
薫子:
「あなたを失いたくなかったのは、あなたを愛してたからでしょう。」
瑞穂:
「うん。」
薫子:
「だから自分のためとか、そんなふうに言わないで。」
瑞穂は少し考えた。
瑞穂:
「じゃあ、愛してる人がいなくなるのが怖いって思うことは、悪いこと?」
薫子:
「悪いなんて言ってない。」
瑞穂:
「だったら。」
「私のためだったし、お母さんのためでもあった、じゃだめなの?」
薫子の目が揺れた。
和昌:
**「俺は、その方が本当なんじゃないかと思う。」
薫子:
「あなたは簡単に言えるわよ。」
和昌:
「簡単じゃない。」
薫子:
「一日中そばにいたのは私よ。」
「身体を拭いたのも。」
「髪をとかしたのも。」
「筋肉が固くならないように動かしたのも。」
「顔を見てたのも。」
「毎日。」
「毎日よ。」
和昌:
「分かってる。」
薫子:
「分かってない。」
生人が少し俯いた。
瑞穂はその様子を見たが、まだ何も言わなかった。
薫子:
**「みんな、簡単に言うのよ。」
「手放した方がいい。」
「受け入れた方がいい。」
「現実を見た方がいい。」
「でも。」
「じゃあ、あなたたちは自分の子どもが目の前にいても同じこと言えるの?」
誰も答えなかった。
薫子:
「心臓が動いてる。」
「手が温かい。」
「髪も伸びる。」
「爪も伸びる。」
「身体も少しずつ大きくなる。」
「それを毎日見て。」
『この子はもういません』
「って。」
「どうやって思えばいいの?」
瑞穂:
**「思えなくていいんじゃない?」
薫子が見る。
瑞穂:
「思えなかったんでしょう?」
薫子:
「……そうよ。」
瑞穂:
「じゃあ、それは本当だったんだよ。」
薫子:
「何が。」
瑞穂:
「お母さんが手放せなかったこと。」
薫子の顔が強張った。
薫子:
「手放せなかったって。」
「まるで私が悪いみたいに。」
瑞穂:
「そう言ってない。」
薫子:
「みんなそう聞こえるのよ。」
「執着してる。」
「諦められない。」
「異常だ。」
「そういうことでしょう?」
瑞穂:
「私は違うと思う。」
薫子:
「どう違うの?」
瑞穂:
「お母さんは、本当に私を愛してたし、本当に手放せなかったんだと思う。」
「どっちかじゃなくて。」
「両方。」
薫子は目を伏せた。
和昌:
**「愛してるから手放せない。」
瑞穂:
「うん。」
和昌:
「でも。」
「愛してるから、いつか手放すこともある。」
薫子:
「それ、後からなら何とでも言える。」
和昌:
「そうだな。」
瑞穂:
**「お父さんは、どうだったの?」
和昌:
「何が?」
「私を生かしてたの?」
和昌は少し考える。
和昌:
「技術でできることを増やしてた。」
瑞穂:
「それって、生かしてたの?」
和昌:
「当時はそう思いたかった。」
瑞穂:
「今は?」
和昌:
「できることを増やすことで、決めなくていい時間を増やしてたんだと思う。」
薫子:
「何を決めるの。」
和昌:
「終わりを。」
部屋が静かになる。
瑞穂:
**「お父さんも怖かった?」
和昌:
「怖かった。」
「もし。」
「技術的にできることがあるのに。」
「それをやらなかったら。」
「後で。」
『あの時やっていれば』
「って一生思うんじゃないかって。」
瑞穂:
「じゃあ、お父さんも自分のためだった?」
和昌:
「部分的には。」
薫子が和昌を見る。
和昌:
「それを認めたからって、愛してなかったことにはならないだろ。」
薫子:
「私は……。」
瑞穂:
**「お母さんは、何が一番怖かった?」
薫子:
「あなたが死ぬこと。」
瑞穂:
「それだけ?」
薫子:
「何が言いたいの。」
瑞穂:
「私がいなくなった後。」
「何が怖かった?」
薫子は答えない。
瑞穂:
「家に私がいないこと?」
「私の部屋が空くこと?」
「朝起きても私がいないこと?」
「もう“お母さん”って呼ばれないこと?」
薫子の目から涙が落ちた。
薫子:
「全部。」
瑞穂:
「うん。」
薫子:
「あなたの服も。」
「歯ブラシも。」
「靴も。」
「写真も。」
「全部残ってるのに。」
「あなたがいない。」
「そんな家で。」
「私がどうやって生きればいいのか分からなかった。」
瑞穂は母を見つめた。
薫子:
**「あなたのためだけじゃなかった。」
その言葉を言うまでに時間がかかった。
「私のためでもあった。」
誰も動かなかった。
薫子:
「私は。」
「瑞穂がいなくなるのが怖かった。」
「瑞穂を失う自分になるのが怖かった。」
「瑞穂のお母さんでなくなるみたいで。」
「怖かった。」
瑞穂:
**「それ、言ったらダメだった?」
薫子:
「ダメだと思ってた。」
瑞穂:
「どうして?」
薫子:
「母親が。」
『自分が寂しいから子どもを生かしてる』
「なんて。」
「そんなこと思ってたって認めたくなかった。」
瑞穂:
**「でも、それだけじゃなかったんでしょう?」
薫子:
「当たり前よ。」
瑞穂:
「じゃあ。」
「私のためでもあった。お母さんのためでもあった。」
「それでいいんじゃない?」
薫子は泣きながら首を横に振る。
薫子:
「よくない。」
「どうして。」
「もし私のためだったなら。」
「私はあなたを利用したことになる。」
瑞穂:
**「何に?」
薫子:
「私が生きるために。」
「あなたを。」
「ずっとそこに置いて。」
瑞穂は少し黙った。
瑞穂:
**「じゃあ、聞いていい?」
薫子:
「何?」
「お母さんは、私が苦しんでると思ってた?」
薫子の表情が止まる。
「……分からなかった。」
瑞穂:
「苦しくないと思ってた?」
「それも分からなかった。」
「じゃあ、お母さんは何を信じてたの?」
薫子:
「苦しんでないって信じたかった。」
和昌が目を閉じる。
生人も黙っている。
瑞穂:
**「もし苦しかったら?」
薫子:
「そんなこと。」
「分からないでしょう。」
瑞穂:
「うん。」
「だから聞いてる。」
「もし。」
薫子は苦しそうに言う。
薫子:
「もし苦しかったなら。」
「私は……。」
声が止まる。
瑞穂:
「それでも続けた?」
薫子:
「分からない。」
瑞穂:
「私が。」
『もうやめて』
「って言えたら?」
薫子は泣く。
「言わないで。」
瑞穂:
「言ってないよ。」
薫子:
「想像でも言わないで。」
瑞穂:
**「怖い?」
薫子:
「怖い。」
瑞穂:
「何が?」
薫子:
「あなたが、本当は私に止めてほしかったかもしれないって考えるのが。」
長い沈黙。
瑞穂:
**「反対もあるよ。」
薫子:
「何?」
「本当は、もっと続けてほしかったかもしれない。」
薫子が顔を上げる。
瑞穂:
「もっと待ってほしかった。」
「絶対に諦めないでほしかった。」
「そう思ってたかもしれない。」
薫子:
「じゃあ。」
瑞穂:
「分からない。」
薫子:
**「分からないって言わないで!」
瑞穂は驚かなかった。
薫子:
「私はそれを知りたいの!」
「ずっと!」
「私はあなたにとって正しいことをしたのか知りたいの!」
瑞穂:
**「それを私に決めてほしいの?」
薫子の声が止まる。
瑞穂:
「もし私が。」
『お母さんは正しかったよ』
「って言ったら楽になる?」
薫子:
「……。」
瑞穂:
「もし。」
『間違ってた』
「って言ったら?」
薫子:
「やめて。」
瑞穂:
**「お母さん。」
「うん。」
「私のために正しいことをしたかったんだね。」
薫子:
「そうよ。」
瑞穂:
「でも。」
「正しいことが何か、誰にも分からなかったんだね。」
薫子は顔を覆った。
しばらくして、生人が口を開いた。
生人:
「僕。」
薫子が顔を上げる。
生人:
「お母さんが、お姉ちゃんのことやめられなかったの。」
「ちょっと分かる。」
薫子:
「生人。」
生人:
「もし僕だったら。」
「お姉ちゃんがどこかにいるって思えるなら。」
「ずっと待つかもしれない。」
瑞穂が弟を見る。
生人:
「でも。」
「ずっと待ってると。」
「待ってる人も、そこから動けなくなるんだね。」
薫子:
**「私が動けなくなってた?」
生人:
「うん。」
「家も。」
「みんなも。」
薫子は苦しそうに息を吐いた。
瑞穂:
**「お母さん。」
「何?」
「私を生かしてたのか。」
「手放せなかったのか。」
「たぶん。」
「どっちもだったんだよ。」
薫子:
「そんな曖昧な。」
瑞穂:
「曖昧じゃダメ?」
和昌:
**「俺たちは、ずっとどちらかに決めたかったのかもしれないな。」
薫子:
「何を?」
和昌:
「愛か執着か。」
「希望か否認か。」
「生かすか手放すか。」
「正しいか間違ってるか。」
瑞穂:
「でも、本当は混ざってた。」
薫子:
**「じゃあ、私はどうすればよかったの。」
瑞穂:
「分からない。」
薫子がまた苦しそうな顔をする。
瑞穂:
「でも。」
「お母さんが怖かったって言ってくれたのは、うれしい。」
薫子:
「どうして。」
瑞穂:
「“全部あなたのためだった”って言われるより。」
薫子は娘を見る。
瑞穂:
**「だって。」
「お母さんも一人の人だったんでしょう?」
「怖くて。」
「寂しくて。」
「私がいない人生なんて嫌で。」
「それでも私を愛してた。」
薫子:
「……うん。」
瑞穂:
「その方が、私はお母さんを近くに感じる。」
薫子はとうとう瑞穂へ近づいた。
今度は瑞穂は止めなかった。
母は娘を抱きしめた。
しばらくして。
瑞穂が母の肩越しに言った。
瑞穂:
「お母さん。」
「何?」
「ずっと私に。」
『頑張って』
「って思ってた?」
薫子:
「思ってた。」
「毎日。」
瑞穂:
「何で?」
薫子:
「生きてほしかったから。」
瑞穂は母から少し離れた。
そして。
「もし、私がもう頑張りたくなかったら?」
薫子の顔から血の気が引いた。
瑞穂:
「もし。」
「お母さんが頑張ってって言うから。」
「私も行けなかったんだとしたら?」
薫子:
**「瑞穂……。」
瑞穂:
「分からないよ。」
「本当にそうだったって言ってない。」
「でも。」
「次はそれを考えたい。」
薫子は娘の顔を見つめた。
さっきまでの問いより。
さらに怖い問いだった。
生かしたのは誰のためだったのか。
その次には、
「愛する人に、もう頑張らなくていいと言うことも愛なのか。」
という問いが待っていた。
Topic 3 — 「もう頑張らなくていい」と言うことも愛なのか
瑞穂の最後の言葉が、まだ部屋に残っていた。
「もし、お母さんが頑張ってって言うから、私も行けなかったんだとしたら?」
薫子は、すぐには答えられなかった。
瑞穂は母を責めるようには見ていない。
ただ、聞いていた。
薫子:
「私は。」
言葉が止まる。
「あなたに生きてほしかった。」
瑞穂:
「うん。」
薫子:
「それだけよ。」
瑞穂:
「じゃあ、ずっと頑張ってって思ってた?」
薫子:
「もちろん。」
「毎日。」
「目を開けて。」
「戻ってきて。」
「負けないで。」
「頑張って。」
「ずっと。」
瑞穂は少し考えた。
瑞穂:
「“頑張って”って、誰のための言葉だったんだろう。」
薫子:
「あなたのためでしょう。」
瑞穂:
「本当に?」
薫子の顔が少し曇る。
瑞穂:
「私が聞こえてたか分からない。」
「分かる?」
薫子:
「分からない。」
瑞穂:
「私が苦しかったかも分からない。」
「うん。」
「生きたいと思ってたかも分からない。」
薫子:
「……うん。」
瑞穂:
「じゃあ、お母さんの“頑張って”を、一番聞いてたのは誰だったの?」
薫子は黙った。
和昌が静かに言った。
和昌:
「薫子自身だったのかもしれない。」
薫子が和昌を見る。
薫子:
「どういう意味?」
和昌:
「毎日。」
「瑞穂に頑張れって言いながら。」
「自分にも言ってたんじゃないか。」
「今日もやる。」
「明日もやる。」
「諦めない。」
「母親なんだから。」
薫子:
**「悪い?」
和昌:
「悪いとは言ってない。」
「ただ。」
「瑞穂のために頑張ることと。」
「自分が壊れないために頑張り続けることが。」
「途中から分からなくなってたんじゃないか。」
瑞穂:
**「お母さん。」
「何?」
「頑張るのをやめたら、どうなると思ってた?」
薫子:
「あなたが死ぬ。」
瑞穂:
「それだけ?」
薫子は答えない。
瑞穂:
「お母さんが負けたことになる?」
薫子の目が揺れた。
薫子:
**「母親が諦めたら終わりでしょう。」
瑞穂:
「誰に言われたの?」
薫子:
「誰って。」
「普通そう思うでしょう。」
「子どもが病気になったら。」
「できること全部やる。」
「奇跡を信じる。」
「最後まで諦めない。」
瑞穂:
「“最後まで”って、どこまで?」
薫子は答えられない。
生人が小さく言った。
生人:
「お母さん、“諦める”って言葉、すごく嫌いだったよね。」
薫子:
「当たり前でしょう。」
生人:
「僕が一回。」
「お姉ちゃん、もう戻らないんじゃないって言った時。」
薫子の表情が変わる。
生人:
「すごく怒った。」
薫子:
「覚えてない。」
生人:
「僕は覚えてる。」
瑞穂が弟を見る。
瑞穂:
「何て言われたの?」
生人:
「そんなこと言わないで、って。」
「お姉ちゃんに聞こえてるかもしれないでしょうって。」
瑞穂:
「それで?」
生人:
「僕。」
「本当のこと考えるだけでも、お姉ちゃんを裏切ることになるんだと思った。」
薫子:
**「そんなつもりじゃ。」
生人:
「分かってる。」
「でも。」
「みんな“頑張ろう”しか言えなかった。」
「怖いって言うのも。」
「もう無理って言うのも。」
「疲れたって言うのも。」
「言っちゃいけない感じだった。」
瑞穂は母を見る。
瑞穂:
「“頑張って”って、時々、ほかの言葉を言えなくするんだね。」
薫子:
**「じゃあ何て言えばよかったの?」
瑞穂:
「分からない。」
薫子:
「またそれ。」
瑞穂:
「本当に分からないから。」
少し間。
「でも。」
「“頑張らなくていい”って言葉も、あってよかったのかもしれない。」
薫子の顔が強張る。
薫子:
「そんなこと、言えるわけないでしょう。」
瑞穂:
「どうして?」
薫子:
「だって。」
「そんなこと言ったら。」
「あなたが本当に行ってしまう気がしたから。」
瑞穂:
**「だから言えなかったの?」
薫子:
「そうよ。」
「私が。」
『もういいよ』
「なんて言った瞬間に。」
「あなたが。」
「じゃあ行くねって。」
「本当にいなくなったら。」
「私は。」
言葉が崩れる。
「一生、自分を許せない。」
和昌:
**「自分が死なせたように感じる?」
薫子:
「そうよ。」
瑞穂:
**「お母さんが言ったから死ぬわけじゃないのに?」
薫子:
「理屈ではそうよ。」
「でも親はそんなふうに考えられない。」
瑞穂:
**「じゃあ、“頑張って”って言い続ける方は?」
薫子:
「何?」
瑞穂:
「もし私が。」
「もう疲れてたとして。」
「もう戻れないって分かってたとして。」
「それでも。」
『お母さんが頑張ってって言ってるから、まだ行けない』
「って思ってたら?」
薫子の目から涙が落ちた。
薫子:
「やめて。」
瑞穂:
「本当だったって言ってないよ。」
「でも。」
「お母さんは、自分が“もう行っていい”って言う責任が怖かった。」
「じゃあ。」
私に“まだ行かないで”って言い続ける責任は、怖くなかった?
薫子は言葉を失った。
和昌が長く息を吐いた。
和昌:
「これは。」
「俺も考えたことがなかった。」
瑞穂:
「お父さんも頑張ってって思ってた?」
和昌:
「思ってた。」
「でも途中から。」
「俺は瑞穂より。」
「薫子に頑張ってって思ってたのかもしれない。」
薫子:
**「私に?」
和昌:
「お前が止まったら。」
「全部終わる気がした。」
薫子:
「じゃああなたも私を止めなかった。」
和昌:
「そうだ。」
少し重い沈黙。
生人:
**「僕も。」
全員が見る。
「お母さんに頑張ってって思ってた。」
薫子:
「生人まで?」
生人:
「うん。」
「お母さんが泣き出したら。」
「家全部が壊れそうだったから。」
薫子:
「じゃあ。」
「みんな私に頑張らせてたの?」
生人:
「たぶん。」
和昌:
「そうかもしれない。」
瑞穂:
**「じゃあ、お母さん一人が私を手放せなかったんじゃないんだね。」
薫子はゆっくり顔を上げた。
瑞穂:
「みんな。」
「誰かが頑張るのをやめたら。」
「全部終わると思ってた。」
和昌:
**「終わることが怖かった。」
瑞穂:
「うん。」
「でも。」
「終わることと、愛が終わることは同じだったのかな。」
誰も答えない。
薫子:
**「私は。」
「あなたを愛してたから、終わらせたくなかった。」
瑞穂:
「分かってる。」
薫子:
「本当に?」
瑞穂:
「うん。」
「でも、お母さん。」
「愛してるなら、ずっと引き止めないといけないの?」
薫子:
「じゃあ手放せって?」
瑞穂:
「違う。」
「手放せたはずだって言いたいんじゃない。」
「できなかったんでしょう?」
薫子:
「できなかった。」
瑞穂:
「じゃあ、それも本当。」
薫子:
**「あなたは優しすぎる。」
瑞穂:
「そう?」
薫子:
「私を責めていいのよ。」
「本当は苦しかったって。」
「もうやめてほしかったって。」
「言っていいの。」
瑞穂は少し笑った。
瑞穂:
「でも、それを言ったら。」
「お母さんはそれを本当の答えにするでしょう?」
薫子が止まる。
瑞穂:
「私は本当のあの時の気持ちを覚えてない。」
「ここで。」
『苦しかった』
って言ったら。
「お母さんは一生。」
『私は娘を苦しめた』
って思う。」
薫子:
「じゃあ。」
「何も分からないままなの?」
瑞穂:
「うん。」
薫子:
「そんなの苦しい。」
瑞穂:
「お母さんは、答えがないことより、自分が間違ってたかもしれないことが怖いんじゃない?」
薫子の目がまた揺れた。
薫子:
「私は。」
「いい母親でいたかった。」
瑞穂:
「うん。」
「あなたを救う母親でいたかった。」
「うん。」
「最後まで諦めない母親。」
瑞穂:
「うん。」
薫子:
「だって。」
「あなたを失った上に。」
『母親としても間違っていた』
「なんて。」
「そんなの耐えられない。」
瑞穂は静かに母の手を取った。
瑞穂:
「お母さん。」
「何?」
「私を失うだけでも、十分つらかったでしょう?」
薫子の涙が落ちる。
「……うん。」
瑞穂:
「そこに、“正しい母親だった証明”まで必要だったの?」
薫子は声を出して泣き始めた。
誰も止めなかった。
しばらくして。
薫子:
**「じゃあ私は。」
「何を言えばよかったの。」
瑞穂:
「さっきも聞いたね。」
「うん。」
瑞穂:
「今度は少しだけ答えられるかもしれない。」
薫子が顔を上げる。
瑞穂:
**「“頑張って”でも。」
「“もう行っていい”でも。」
「どっちでもなくて。」
少し間。
「“私は大丈夫だから”って。」
薫子の顔が止まる。
薫子:
「私は大丈夫じゃなかった。」
瑞穂:
「うん。」
「知ってる。」
薫子:
「あなたがいなくなったら。」
「大丈夫じゃない。」
瑞穂:
「うん。」
「でも。」
「いつか大丈夫になるから、心配しなくていいよって。」
薫子:
「そんな嘘。」
瑞穂:
「嘘でもよかったのかもしれない。」
薫子:
「どうして。」
瑞穂:
「子どもって、親を残して行くのも怖いかもしれないから。」
部屋が静かになった。
生人が姉を見る。
生人:
「それ、分かる気がする。」
瑞穂:
「どうして?」
生人:
「僕も。」
「お母さんを一人にしたらいけないって思ってた。」
薫子:
「生人。」
生人:
「お姉ちゃんがああなってから。」
「僕まで困らせちゃいけないって。」
瑞穂:
「じゃあ。」
「お母さんが大丈夫じゃないって分かると。」
「子どもは頑張るんだね。」
生人:
「たぶん。」
和昌:
**「瑞穂もそうだったかもしれない、と。」
瑞穂:
「分からないよ。」
「でも。」
「もしそうだったなら。」
『私のために残らなくていい』
「って言われるのは。」
「少し楽だったかもしれない。」
薫子:
**「“もう行っていい”じゃなくて?」
瑞穂:
「うん。」
「“死んでいいよ”じゃない。」
「“お母さんを守るために残らなくていいよ”って。」
薫子はその言葉を何度も頭の中で繰り返しているようだった。
薫子:
「でも私は。」
「そんなこと一度も思ってなかった。」
「あなたが私のために頑張ってるなんて。」
瑞穂:
「だから今話してるんでしょう?」
和昌:
**「看取るって。」
「もしかすると。」
「残る側が。」
『俺たちは何とか生きていくから』
「って伝えることでもあるのかもしれないな。」
薫子:
「簡単に言わないで。」
和昌:
「簡単じゃない。」
「俺も言えなかった。」
瑞穂:
**「お父さんなら何て言った?」
和昌は考える。
「たぶん。」
『瑞穂。もういいぞ。』
薫子がすぐに睨む。
和昌:
「ほら。」
「だから言えなかった。」
少しだけ空気が緩んだ。
瑞穂が笑った。
瑞穂:
**「生人なら?」
生人:
「僕?」
「うん。」
生人は少し考えた。
「お姉ちゃん、僕は大丈夫だから。」
瑞穂の表情が変わった。
瑞穂:
「それ、うれしいかも。」
生人:
「本当に?」
「うん。」
薫子:
**「私は?」
瑞穂が母を見る。
長い間。
そして。
瑞穂:
「お母さんには。」
「こう言ってほしかったかもしれない。」
薫子が息を止める。
瑞穂:
「瑞穂。」
「お母さんは、あなたがいてくれて幸せだったよ。」
薫子の涙がまた落ちる。
瑞穂:
「だから、もうお母さんのために頑張らなくていいよ。」
薫子は顔を覆った。
薫子:
「言えない。」
瑞穂:
「うん。」
「言えなかったね。」
薫子:
「今でも言いたくない。」
瑞穂:
「それでもいいよ。」
薫子:
**「だって。」
「そんなこと言ったら。」
「私はあなたを手放すことになる。」
瑞穂:
「うん。」
薫子:
「嫌よ。」
瑞穂:
「うん。」
薫子:
「母親なのよ。」
瑞穂:
「うん。」
瑞穂は母へ近づいた。
今度は自分から抱きしめた。
瑞穂:
**「じゃあ、お母さん。」
「何?」
「手放したくなかった自分も、一緒に許してあげて。」
薫子は娘を強く抱きしめる。
「そんなことできるかな。」
瑞穂:
「すぐじゃなくていいよ。」
しばらく二人はそのままだった。
やがて。
生人が静かに口を開いた。
生人:
「お母さん。」
薫子:
「何?」
生人:
「僕ね。」
「お姉ちゃんが大変なのは分かってた。」
「だから。」
「ずっと言えなかったことがある。」
薫子はゆっくり瑞穂から離れた。
薫子:
「何?」
生人は母を見た。
「僕も、お母さんに“もう頑張らなくていいよ”って言ってほしかった。」
薫子の表情が変わる。
生人:
「いい子でいるの。」
「寂しくないふりするの。」
「お姉ちゃんのことで困らせないの。」
「僕も、ずっと頑張ってた。」
瑞穂が弟を見る。
和昌も。
薫子は何も言えなかった。
今度の「頑張っていた子ども」は。
ベッドの上の瑞穂ではなかった。
ずっと家の中を歩き。
話し。
学校へ行き。
母のすぐそばで生きていた。
生人だった。
そして会話は、次の問いへ移ろうとしていた。
瑞穂を救おうとしていた間、生人は誰に救われていたのか。
Topic 4 — 瑞穂を救おうとする間、生人は誰に救われたのか
生人の言葉のあと、誰もすぐには話さなかった。
「僕も、ずっと頑張ってた。」
薫子は息子を見ていた。
まるで、初めて聞く声のように。
薫子:
「生人……。」
生人:
「うん。」
薫子:
「そんなに寂しかったの?」
生人は少し困った顔をした。
生人:
「そういう聞き方されると。」
「分かんない。」
薫子:
「どういうこと?」
生人:
「ずっと寂しかったわけじゃないよ。」
「学校にも行ってたし。」
「友達とも遊んでたし。」
「お父さんもいたし。」
「お母さんだっていた。」
薫子:
「じゃあ……。」
生人:
「でも、お母さんが僕を見てる時も、お母さんの頭の中にはお姉ちゃんがいた。」
薫子の顔が変わった。
薫子:
「そんなこと……。」
生人:
「分かるよ。」
「子どもでも。」
瑞穂が弟を見る。
瑞穂:
「どうやって分かったの?」
生人:
「目。」
瑞穂:
「目?」
生人:
「うん。」
「僕が学校の話してても。」
「お母さん、聞いてるんだけど。」
「何か音がしたらすぐお姉ちゃんの方を見る。」
「電話が鳴ったら。」
「何かあったのかなって顔になる。」
「僕と話してても。」
「お母さんの半分は、ずっとお姉ちゃんの部屋にいた。」
薫子は目を伏せた。
薫子:
「ごめんなさい。」
生人:
「ほら。」
薫子:
「何?」
生人:
「すぐ謝る。」
薫子が顔を上げる。
生人:
「僕、お母さんに謝ってほしくて言ってるんじゃない。」
薫子:
「じゃあ、どうして。」
生人:
「聞いてほしいだけ。」
瑞穂が小さく言った。
瑞穂:
「じゃあ、聞こう。」
生人は姉を見た。
瑞穂:
「私も聞く。」
「お父さんも。」
和昌:
「うん。」
瑞穂:
「お母さんも。」
薫子は涙を拭いた。
「うん。」
生人:
**「僕ね。」
「最初は、お姉ちゃんが帰ってくるの、うれしかった。」
瑞穂:
「家に?」
「うん。」
「病院にいるよりいいと思った。」
「また家族が一緒になると思った。」
瑞穂:
「でも?」
生人:
「帰ってきたら。」
「前より、お姉ちゃんが家の中で大きくなった。」
瑞穂:
「大きく?」
生人:
「身体じゃないよ。」
「存在が。」
和昌が息子を見る。
生人:
「みんな、お姉ちゃんのこと考えてる。」
「お姉ちゃんの時間。」
「お姉ちゃんの身体。」
「お姉ちゃんの機械。」
「お姉ちゃんの予定。」
「お姉ちゃんのことを中心に、家が動いてた。」
薫子:
**「仕方なかったの。」
生人:
「うん。」
薫子:
「瑞穂はあんな状態だったのよ。」
生人:
「分かってる。」
薫子:
「だったら。」
生人:
「でもね。」
少し間。
「仕方なかったことでも、寂しいものは寂しいよ。」
薫子は黙った。
瑞穂:
**「生人。」
「何?」
「お母さんに、寂しいって言わなかったの?」
生人:
「言えなかった。」
「どうして?」
生人は少し考えた。
「お姉ちゃんと競争するみたいだったから。」
瑞穂:
「私と?」
「うん。」
生人:
「僕が。」
『お母さん、こっち見て』
って言ったら。」
「お母さんがお姉ちゃんから離れるでしょう?」
「その間に何かあったらって。」
「思った。」
薫子:
「そんなことまで……。」
生人:
「それだけじゃない。」
「僕が。」
『僕も寂しい』
って言ったら。」
「お姉ちゃんより自分を大事にしてって言ってるみたいだった。」
瑞穂:
**「そんなことないよ。」
生人:
「今なら分かる。」
「でも、あの時は。」
「元気な僕が我慢するのが、一番簡単だった。」
和昌が目を閉じた。
和昌:
「俺は何をしてたんだろうな。」
生人:
「お父さんはいたよ。」
和昌:
「でも、十分じゃなかった。」
生人:
「それは……。」
和昌:
「庇わなくていい。」
和昌は薫子ではなく、生人を見ていた。
和昌:
「俺は勝手に役割を分けてた。」
「薫子が瑞穂を見る。」
「俺は外のことをする。」
「必要な技術を探す。」
「できることを増やす。」
「それで家族を支えてるつもりだった。」
生人:
「うん。」
和昌:
「でも。」
「父親が家族を支えることと、父親が子どもを見ることは、同じじゃなかった。」
生人は何も言わない。
和昌:
「お前に聞けばよかった。」
生人:
「何を?」
和昌:
『お前は大丈夫か』
生人は少し笑った。
「それ聞かれても。」
「大丈夫って言ってたと思う。」
和昌:
「そうだろうな。」
瑞穂:
**「じゃあ、どうすれば分かったの?」
生人:
「分かんない。」
「でも。」
「一回聞いて終わりじゃなくて。」
「何回も聞いてくれたら。」
「いつか言ったかもしれない。」
薫子:
**「私は聞かなかった?」
生人:
「聞いたよ。」
「ご飯食べた?」
「宿題した?」
「学校どうだった?」
「そういうの。」
薫子:
「それじゃダメだった?」
生人:
「ダメじゃない。」
「でも。」
「“生人はどう?”じゃなくて、“生人はどう感じてる?”って聞かれたことは、あんまりなかった。」
薫子はその違いを考えているようだった。
瑞穂:
**「生人は、何を感じてた?」
生人:
「いろいろ。」
「寂しい。」
「怖い。」
「かわいそう。」
「お姉ちゃんに戻ってほしい。」
「お母さんに笑ってほしい。」
「家が普通に戻ってほしい。」
そして少し声を落とした。
「時々、お姉ちゃんがいなかった頃みたいになればいいのにって思った。」
薫子が息を止める。
生人はすぐ続けた。
生人:
「違うよ。」
「お姉ちゃんに死んでほしいって意味じゃない。」
瑞穂:
「分かってる。」
生人:
「でも。」
「自分でそう思った瞬間。」
『僕はひどい弟だ』
「って思った。」
瑞穂:
**「私に怒られると思った?」
生人:
「ちょっと。」
瑞穂:
「怒らないよ。」
生人:
「今のお姉ちゃんはね。」
瑞穂:
「昔の私だったら?」
生人:
「怒ったかも。」
瑞穂:
「じゃあ怒ったかも。」
生人が少し笑った。
瑞穂:
**「でも、生人。」
「何?」
「私を愛してることと、私のせいで苦しかったことは、一緒にあっていいんじゃない?」
生人は姉を見る。
瑞穂:
「お母さんと同じだよ。」
「お母さんは私を愛してた。」
「でも手放せなかった。」
「生人は私を愛してた。」
「でも。」
「私が家の中心になったことが、嫌だった時もあった。」
生人:
「うん。」
瑞穂:
「それで私を愛してなかったことにはならないよ。」
生人の目に涙が浮かんだ。
生人:
「それ、あの時聞きたかった。」
薫子が泣き始めた。
薫子:
「ごめんね。」
生人:
「お母さん。」
薫子:
「何?」
生人:
「謝らないでって言ったでしょう。」
薫子:
「でも。」
生人:
「じゃあ。」
少し考える。
「ごめんねじゃなくて、“そうだったんだね”って言って。」
薫子は息子を見る。
そして。
薫子:
「そうだったんだね。」
生人:
「うん。」
薫子:
「寂しかったんだね。」
「うん。」
「怖かったんだね。」
「うん。」
「お姉ちゃんを好きなのに。」
「お姉ちゃんがいなければって思う時もあったんだね。」
生人の涙が落ちた。
「うん。」
薫子:
「そうだったんだね。」
今度はそれだけ言った。
生人は袖で目を拭いた。
生人:
「それでいい。」
しばらく誰も話さなかった。
やがて瑞穂が母へ聞いた。
瑞穂:
「お母さん。」
「何?」
「もしあの時、生人が。」
『僕をもっと見て』
って言ったら、どうした?」
薫子:
「見るわよ。」
瑞穂:
「私から離れて?」
薫子は答えようとして止まった。
瑞穂:
「ほら。」
薫子:
「何よ。」
瑞穂:
「簡単じゃなかったんでしょう?」
薫子:
「……そうね。」
生人:
**「だから言えなかったんだよ。」
薫子:
「じゃあ私は、どうすればよかったの?」
生人:
「分からない。」
薫子:
「みんな分からないばっかり。」
生人:
「でも。」
「僕を選ぶか、お姉ちゃんを選ぶか、じゃなかったと思う。」
薫子:
「じゃあ?」
生人:
「僕が寂しいって言っても。」
「お母さんがお姉ちゃんを捨てることにはならない。」
「それを。」
「僕もお母さんも分かってなかった。」
瑞穂:
**「一人を愛したら、もう一人を愛せないわけじゃない。」
生人:
「うん。」
瑞穂:
「でも時間は?」
生人:
「足りない。」
「身体は?」
「一つしかない。」
「心は?」
生人は少し考えた。
「それも疲れる。」
和昌:
**「そこなんだろうな。」
全員が父を見る。
和昌:
「愛情は分けてもなくならない、とよく言う。」
「でも。」
「人間の時間も体力も注意力も、無限じゃない。」
「誰か一人に危機が起きれば。」
「どうしても、そこへ集中する。」
薫子:
「じゃあ仕方なかった?」
和昌:
「その言葉で終わったら、生人の痛みを消すことになる。」
生人が父を見る。
和昌:
「仕方なかった部分はある。」
「でも。」
「仕方なかったことと、傷つかなかったことは別だ。」
生人:
「うん。」
瑞穂:
**「じゃあ、お父さん。」
「何?」
「家族の誰か一人を救おうとしてる時。」
「残りの人たちはどうすればいいの?」
和昌:
「分からない。」
瑞穂:
「また?」
和昌:
「本当に分からない。」
少し笑う。
「でも。」
「一つだけ。」
和昌は生人を見る。
「元気に見える人を、“大丈夫な人”にしてしまわないことだと思う。」
生人の顔が少し変わった。
薫子:
**「元気に見える人……。」
和昌:
「生人は学校へ行けた。」
「歩けた。」
「食べられた。」
「話せた。」
「だから。」
「俺たちは無意識に。」
『こっちは大丈夫』
「って分類した。」
瑞穂:
「私は?」
和昌:
「大丈夫じゃない人。」
瑞穂:
「だから全部私に行った。」
和昌:
「そうだ。」
生人:
**「僕ね。」
「お姉ちゃんがうらやましいと思ったこともある。」
薫子:
「瑞穂が?」
生人:
「うん。」
薫子:
「どうして……。」
生人:
「だって。」
「何もしなくても、みんなお姉ちゃんを見てたから。」
薫子の顔が歪む。
生人:
「僕は。」
「いい子にして。」
「学校行って。」
「迷惑かけなくて。」
「それでも。」
「お姉ちゃんの方が見てもらえる。」
瑞穂:
**「それ、つらいね。」
生人:
「うん。」
「でも。」
「そんなこと思う自分がもっと嫌だった。」
瑞穂:
「生人。」
「何?」
「子どもって、愛されたい時に公平じゃなくていいんじゃない?」
生人:
「どういうこと?」
瑞穂:
「お姉ちゃんが大変なんだから我慢しようって。」
「大人みたいに考えなくてよかったんじゃない?」
生人:
「でも、誰かが我慢しないと。」
瑞穂:
「それを子どもが決めなくてよかったんじゃない?」
生人は黙った。
薫子:
**「あなた、そんなに早く大人になってたのね。」
生人:
「なってないよ。」
「なったふりしてただけ。」
その言葉に、薫子はまた泣いた。
瑞穂:
**「お母さん。」
「うん。」
「生人を抱きしめたら?」
薫子は息子を見る。
生人:
「今?」
瑞穂:
「今。」
薫子は生人の前へ行った。
少し迷った。
生人も動かなかった。
薫子:
「抱きしめてもいい?」
生人:
「何で聞くの。」
薫子:
「今度は聞こうと思って。」
生人は少し笑った。
生人:
「いいよ。」
薫子は息子を抱きしめた。
生人:
「お母さん。」
「何?」
「苦しい。」
薫子は慌てて離れる。
生人:
「冗談。」
薫子:
「もう。」
瑞穂が笑った。
和昌も少し笑った。
久しぶりに。
この家族の会話の中に笑いがあった。
でも生人は、母を見たまま言った。
生人:
「お母さん。」
「何?」
「僕、お姉ちゃんを助けようとしたことをやめてほしかったわけじゃないよ。」
薫子:
「うん。」
生人:
「その横で、僕もいるって気づいてほしかっただけ。」
薫子:
**「うん。」
「今なら分かる。」
生人:
「うん。」
瑞穂:
**「私も。」
生人:
「お姉ちゃんが?」
瑞穂:
「うん。」
「みんなが私を見てる間。」
「私は何も言えなかったから。」
「生人が何を失ってたのかも。」
「知らなかった。」
生人:
「お姉ちゃんのせいじゃない。」
瑞穂:
「分かってる。」
「でも。」
「私を愛したことで、生人が傷ついたことまで、なかったことにしなくていいと思う。」
和昌:
**「家族って難しいな。」
薫子:
「今さら?」
和昌:
「今さら。」
瑞穂:
**「一人を救えば、家族全員が救われるわけじゃないんだね。」
和昌:
「そうだな。」
瑞穂:
「でも。」
「一人を救おうとすることが間違いだったわけでもない。」
薫子:
「そう言ってくれる?」
瑞穂:
「うん。」
生人:
**「じゃあ、何が間違ってたの?」
瑞穂:
「間違いって決めなくてもいいんじゃない?」
生人:
「またそれ?」
瑞穂:
「うん。」
少し笑う。
そして瑞穂は家族全員を見た。
「もしかしたら、誰か一人が大変になった時に一番危ないのは、ほかの人が“大丈夫な人”になっちゃうことなのかもしれない。」
薫子は生人を見る。
和昌は薫子を見る。
生人は父を見る。
そして瑞穂を見る。
この家族には、
本当は一人も、
「大丈夫な人」
はいなかった。
しばらくして。
生人が瑞穂へ聞いた。
生人:
「お姉ちゃん。」
「何?」
「僕が生きてることって。」
「お姉ちゃんにとって何だったの?」
瑞穂:
「難しいこと聞くね。」
生人:
「だって。」
「みんな、お姉ちゃんを生かすことばっかり考えてたでしょう?」
「でも僕は。」
「生きてた。」
瑞穂:
「うん。」
生人:
「普通に。」
「学校行って。」
「お腹空いて。」
「笑って。」
「怒って。」
「ずっと。」
瑞穂:
**「それって、すごく大事だったんじゃない?」
生人:
「どうして?」
瑞穂:
「だって。」
「家族が死ぬことばかり考えていた時に、生人だけは毎日、生きることを続けてたんでしょう?」
生人は何も言わなかった。
薫子が息子を見る。
その表情には、今までとは少し違うものがあった。
そして瑞穂は、静かに続けた。
瑞穂:
「お母さん。」
「何?」
「もしかしたら、私を手放すことは、私を失うことだけじゃなかったのかもしれないね。」
薫子:
「どういうこと?」
瑞穂:
「私から手を離したら。」
「その手で。」
生人を見る。
「まだここにいる誰かの手を、もう一度握れたかもしれない。」
薫子は、さっき抱きしめた息子の手を見た。
そして。
今度は何も言わずに、その手を握った。
生人も離さなかった。
和昌が静かに瑞穂を見る。
和昌:
「じゃあ。」
「瑞穂を手放した後。」
「俺たちには何が残ったんだろうな。」
瑞穂は父を見る。
それから母。
弟。
そして、自分の胸にそっと手を置いた。
瑞穂:
「それを次に話そうか。」
その先には、最後の問いが待っていた。
手放すことは、本当に失うことなのか。
Topic 5 — 手放すことは、本当に失うことなのか
薫子は、生人の手を握ったままだった。
瑞穂は、その二人を静かに見ていた。
さっき自分が言った言葉が残っている。
「私から手を離したら、その手で、まだここにいる誰かの手をもう一度握れたかもしれない。」
和昌が瑞穂を見た。
和昌:
「じゃあ。」
「瑞穂を手放したあと。」
「俺たちには何が残ったんだろうな。」
瑞穂は少し考えた。
瑞穂:
「お父さんは、何が残ったと思う?」
和昌:
「それを瑞穂に聞いたんだけどな。」
瑞穂:
「今日はみんな、私に難しいこと聞きすぎ。」
生人が少し笑った。
生人:
「お姉ちゃんが始めたんでしょう。」
瑞穂:
「そうだった。」
薫子だけは笑わなかった。
薫子:
「私は。」
「何も残らないと思ってた。」
瑞穂:
「私を手放したら?」
「そう。」
薫子は生人の手を離した。
そして、自分の両手を見る。
薫子:
「あなたの身体があった時は。」
「朝起きれば。」
「今日やることがあった。」
「身体を拭く。」
「髪をとかす。」
「様子を見る。」
「話しかける。」
「あなたの身体に触れる。」
「一日が瑞穂で埋まってた。」
瑞穂:
「うん。」
薫子:
「だから。」
「あなたを手放したら、あなたがいなくなるだけじゃなくて、私の一日までなくなる気がした。」
瑞穂:
**「お母さん自身も?」
薫子:
「そう。」
「私は何になるの?」
「あなたを世話する必要がなくなったら。」
「私は何をすればいいの?」
「朝起きて。」
「何のために起きるの?」
和昌が静かに聞いていた。
生人も。
瑞穂:
**「じゃあ、お母さんは私だけじゃなくて。」
「瑞穂のお母さんでいる自分も失うと思ってた?」
薫子:
「そうかもしれない。」
瑞穂:
「でも。」
「今もお母さんでしょう?」
薫子:
「あなたがいなくても?」
瑞穂:
「私が死んだら、親子じゃなくなるの?」
薫子は答えない。
瑞穂:
**「お母さんが私を産んだこと。」
「抱っこしたこと。」
「怒ったこと。」
「一緒に笑ったこと。」
「全部なくなる?」
薫子:
「なくならない。」
瑞穂:
「じゃあ。」
「私を手放すことと、私との時間を手放すことは、同じじゃないんじゃない?」
薫子:
**「でも、新しい時間は増えない。」
瑞穂:
「うん。」
その返事は早かった。
「それは増えない。」
薫子の目から涙が落ちた。
瑞穂は、そこを慰めるようなことは言わなかった。
瑞穂:
「私との新しい思い出は増えない。」
「私の卒業式もない。」
「成人式も。」
「結婚するかもしれなかった日も。」
「お母さんと喧嘩する未来も。」
「全部ない。」
薫子:
「言わないで。」
瑞穂:
「うん。」
「でも。」
「それがなくなったことを、なかったことにはできないよ。」
薫子:
**「だったら、やっぱり失ったじゃない。」
瑞穂:
「うん。」
薫子が驚いたように顔を上げた。
瑞穂:
「失ったよ。」
「大きく。」
「取り戻せないくらい。」
「だから。」
「手放すことは失わないことだよ、なんて私は言わない。」
和昌がゆっくり頷いた。
瑞穂:
**「でも。」
「失ったら、全部なくなるの?」
薫子:
「どういう意味?」
瑞穂:
「私がいなくなったあと。」
「お母さんの中に私のこと、何もない?」
薫子:
「あるわよ。」
瑞穂:
「生人は?」
生人:
「ある。」
瑞穂:
「お父さんは?」
和昌:
「あるよ。」
瑞穂:
「じゃあ。」
「失うことと。」
「何も残らないことも、同じじゃないんだね。」
その時。
少し離れた場所にいた一人の少年が、ゆっくり近づいてきた。
薫子は彼を見る。
瑞穂も見る。
宗吾だった。
宗吾:
「僕も話していいですか。」
薫子の表情が変わる。
薫子:
「……ええ。」
宗吾は瑞穂を見る。
それから薫子へ頭を下げた。
宗吾:
「ずっと聞きたかったことがあります。」
薫子:
「何?」
宗吾:
「僕が生きていることは、瑞穂さんが死んだ意味なんでしょうか。」
誰もすぐには答えなかった。
薫子の顔に、苦しそうな表情が浮かぶ。
薫子:
「違う。」
宗吾:
「違う?」
「あなたにそんなものを背負わせたくない。」
宗吾:
「でも。」
「僕は瑞穂さんの心臓をもらった。」
薫子:
「ええ。」
宗吾:
「それがなかったら。」
「僕はここにいないかもしれない。」
薫子:
「そうね。」
宗吾:
「だったら。」
「瑞穂さんは、僕を生かすために死んだんじゃないんですか。」
薫子は首を横に振った。
薫子:
「違う。」
今度は強く言った。
「瑞穂はあなたを生かすために事故に遭ったんじゃない。」
「あなたを生かすために、あの子が死ななければならなかったわけでもない。」
宗吾:
「じゃあ、僕は何なんですか。」
薫子:
「あなたは。」
言葉を探す。
「瑞穂がいなくなったあとに、生きる機会を受け取った人。」
宗吾は黙って聞く。
薫子:
「それでいい。」
「瑞穂の死を意味のあるものにするために生きなくていい。」
「立派な人にならなくてもいい。」
「誰かを救わなくてもいい。」
「毎日感謝して生きなくてもいい。」
宗吾:
**「でも、それじゃ申し訳ない。」
薫子:
「どうして?」
宗吾:
「だって。」
「もらった命だから。」
瑞穂が初めて宗吾へ話しかけた。
瑞穂:
「宗吾くん。」
宗吾が見る。
瑞穂:
「私の分まで生きなくていいよ。」
宗吾:
「え?」
瑞穂:
「二人分なんて無理でしょう?」
生人が少し笑った。
宗吾も、ほんの少しだけ笑った。
瑞穂:
「宗吾くんは宗吾くんの一人分を生きればいい。」
「私の人生を背負わなくていい。」
宗吾:
「でも、心臓は。」
瑞穂:
「うん。」
「私の身体にあったものだね。」
宗吾:
**「じゃあ。」
「瑞穂さんは僕の中にいるんですか?」
薫子が宗吾を見る。
その問いは、薫子自身も聞きたかった。
瑞穂は自分の胸へ手を置いた。
瑞穂:
「分からない。」
宗吾:
「分からない?」
瑞穂:
「うん。」
「私の心臓が宗吾くんの身体で動いてる。」
「それは本当。」
「でも。」
「心臓が私なら、お母さんがずっと守ってた身体も全部私だったことになるでしょう?」
薫子が息を止める。
Topic 1の問いが戻ってきた。
瑞穂:
「私たち、さっき。」
「身体があることと、その人がそこにいることは同じなのかって話したでしょう?」
和昌:
「そうだな。」
瑞穂:
「だから。」
「宗吾くんの胸の中で心臓が動いているから。」
「私が宗吾くんの中で生きてるって、簡単には言えないと思う。」
薫子:
**「でも私は。」
瑞穂:
「うん?」
「そう思いたい。」
瑞穂は母を見る。
瑞穂:
「いいんじゃない?」
薫子:
「いいの?」
「うん。」
「本当かどうかは分からなくても。」
「お母さんがそう感じることまで、間違いにしなくていいよ。」
薫子:
「あなたはどこにいるの?」
瑞穂:
「分からない。」
薫子:
「また。」
瑞穂:
「だって本当に分からないもん。」
生人が笑った。
生人:
「今日のお姉ちゃん、そればっかり。」
瑞穂:
「分からないこと多いね。」
和昌:
「生きてる人間の方が、何でも答えを作りたがるのかもしれない。」
薫子:
**「答えがないと苦しいのよ。」
和昌:
「そうだな。」
薫子:
「瑞穂がどこにいるのか。」
「何を思っていたのか。」
「私たちのことを見ていたのか。」
「臓器提供してよかったのか。」
「全部。」
「知りたい。」
瑞穂:
**「どうして?」
薫子:
「安心したいから。」
瑞穂:
「何に?」
薫子:
「私はあなたを二度殺したんじゃないって。」
部屋の空気が変わった。
生人:
**「二度?」
薫子:
「最初に。」
「あなたを守れなかった。」
「そして最後に。」
「臓器を提供した。」
瑞穂:
**「お母さんが私を殺したの?」
薫子:
「そうじゃない。」
瑞穂:
「じゃあ。」
「どうしてそんな言葉を使うの?」
薫子:
「母親だから。」
瑞穂:
「それ、何でも母親だからって言うね。」
薫子:
「だってそうなのよ。」
瑞穂:
「じゃあ。」
「母親は、子どもに起きた悪いことを全部、自分の責任にしないといけないの?」
薫子は答えられなかった。
宗吾が小さく言った。
宗吾:
「僕。」
「もし薫子さんが臓器提供しなかったとしても。」
「薫子さんを責められないと思います。」
薫子が見る。
宗吾:
「僕は生きたかった。」
「でも。」
「だからって、誰かのお母さんに“あなたの子どもを手放してください”って言えるか分からない。」
薫子:
「ありがとう。」
宗吾:
「でも。」
「提供してくれたことは。」
「うれしいって言ったら変ですけど。」
「僕は生きられた。」
薫子:
「うん。」
宗吾:
「だから。」
「ありがとうございます。」
薫子は泣きながら頷いた。
薫子:
「うん。」
それ以上は言わなかった。
瑞穂:
**「それでいいんじゃない?」
薫子:
「何が?」
「瑞穂が死んだから宗吾くんが生きた。」
「だから瑞穂の死には意味があった。」
「じゃなくて。」
少し間。
「悲しいことが起きた。そのあとで、誰かに生きる時間が渡った。」
和昌:
「意味を作りすぎない。」
瑞穂:
「うん。」
「私が死んだ理由にしなくていい。」
宗吾:
**「じゃあ、僕は普通に生きていい?」
瑞穂:
「普通って何?」
宗吾:
「分からない。」
瑞穂:
「ほら。」
今度はみんな少し笑った。
宗吾:
「失敗しても?」
瑞穂:
「うん。」
「嫌な人になったら?」
「それはちょっと困る。」
生人:
「そこは困るんだ。」
瑞穂:
「少しくらいなら。」
薫子も涙のまま笑った。
しばらくして。
和昌が瑞穂に聞いた。
和昌:
「じゃあ。」
「人を残すって何なんだろうな。」
瑞穂:
「お父さんはどう思う?」
和昌:
「前なら。」
「身体を残すことだと思っていたかもしれない。」
「機能を維持する。」
「心臓を動かす。」
「筋肉を保つ。」
「できる限り長く。」
瑞穂:
「今は?」
和昌は薫子を見る。
生人を見る。
宗吾を見る。
和昌:
「その人と生きたことで。」
「残った人の生き方が少し変わることなのかもしれない。」
瑞穂:
「例えば?」
和昌:
「俺なら。」
「できることと、やるべきことは違うって。」
「たぶん一生忘れない。」
生人:
**「僕は。」
「元気そうな人が、本当に大丈夫か分からないってこと。」
宗吾:
**「僕は。」
「誰かの分までじゃなくて。」
「自分の人生を生きること。」
全員が薫子を見る。
薫子:
**「私?」
瑞穂:
「うん。」
薫子は長く考えた。
薫子:
「私は。」
「まだ分からない。」
瑞穂:
「それでいいよ。」
薫子:
「でも。」
「一つだけ。」
薫子は瑞穂を見る。
「愛することと、そばに置いておくことは、同じじゃないのかもしれない。」
瑞穂は何も言わなかった。
ただ、少し笑った。
薫子:
**「何よ。」
瑞穂:
「いいこと言うなと思って。」
薫子:
「あなたね。」
また少し笑いが起きた。
そして静かになった。
薫子は娘を見つめる。
薫子:
「瑞穂。」
「うん。」
「あなたを手放したら。」
「私はあなたを忘れると思ってた。」
瑞穂:
「忘れた?」
薫子:
「忘れるわけないでしょう。」
瑞穂:
「じゃあ。」
薫子:
「でも。」
「覚えてることもつらい。」
瑞穂:
「うん。」
薫子:
「これからもつらいと思う。」
瑞穂:
「うん。」
薫子:
「それでも生きるの?」
瑞穂は少し首を傾げた。
瑞穂:
「お母さんが?」
薫子:
「そう。」
瑞穂:
「生きてよ。」
薫子の顔が崩れた。
薫子:
「簡単に言わないで。」
瑞穂:
「簡単じゃないよ。」
薫子:
「あなたがいないのに。」
瑞穂:
「生人がいる。」
薫子は息子を見る。
瑞穂:
「お父さんもいる。」
和昌:
「一応な。」
薫子:
「一応って何よ。」
瑞穂が笑う。
瑞穂:
「それに。」
「お母さん自身がいる。」
薫子:
「私?」
「うん。」
薫子:
「私のために生きろってこと?」
瑞穂:
「お母さんの人生なんだから。」
薫子は黙った。
その言葉を、すぐには受け取れないようだった。
しばらくして。
薫子:
**「瑞穂。」
「何?」
「本当は。」
「どうしてほしかった?」
誰も動かなかった。
それは、この会話が始まってからずっと、薫子が聞きたかった質問だった。
薫子:
「生かしてほしかった?」
「手放してほしかった?」
「もっと待ってほしかった?」
「臓器提供してほしかった?」
「してほしくなかった?」
「私に。」
「何をしてほしかった?」
瑞穂は長い間、母を見ていた。
そして。
瑞穂:
「分からない。」
薫子:
「……分からないの?」
瑞穂:
「うん。」
薫子:
「あなたなのに?」
瑞穂:
「だって。」
「あの時の私は、お母さんに答えを伝えられなかったでしょう?」
薫子の目に涙が浮かぶ。
瑞穂:
「だから。」
「今ここで。」
『本当はこうしてほしかった』
「って言ったら。」
「お母さんは、それを本当の答えにしちゃう。」
薫子:
「答えが欲しいの。」
瑞穂:
「知ってる。」
薫子:
「私は正しかった?」
瑞穂:
「分からない。」
薫子:
「間違ってた?」
瑞穂:
「それも分からない。」
薫子:
**「じゃあ私は、どうしたらいいの。」
瑞穂は母に近づいた。
瑞穂:
「お母さん。」
「何?」
「私が何を望んでいたか、もう決めなくていいよ。」
薫子の涙が落ちた。
薫子:
「でも。」
瑞穂:
「うん。」
薫子:
「私が間違ってたら。」
瑞穂:
「間違ってたところもあるかもしれない。」
薫子:
「瑞穂。」
瑞穂:
「でも。」
「お母さんが私を愛してたことは、分かってる。」
薫子は娘を抱きしめた。
今度は瑞穂も強く抱き返した。
薫子:
**「瑞穂。」
「うん。」
「行ってもいいの?」
瑞穂は少しだけ母から離れた。
そして母の顔を見た。
瑞穂:
「お母さんがね。」
薫子:
「私?」
瑞穂:
「うん。」
「お母さんが、もう行っていいんだよ。」
薫子:
「どこへ?」
瑞穂は少し笑った。
「私を失った日の、その先へ。」
薫子は泣いていた。
でも今度は、
娘を引き止めるために手を伸ばさなかった。
代わりに。
片方の手で生人の手を握った。
もう片方の手を、和昌の方へ伸ばした。
和昌は少し驚いてから、その手を取った。
瑞穂は三人を見る。
宗吾も、その少し先に立っている。
瑞穂の心臓は、もう瑞穂の胸にはない。
瑞穂の身体も、ここにはない。
それでも。
この家族が瑞穂を愛した時間まで消えたわけではなかった。
手放すことは、
失わないことではない。
失う。
本当に失う。
戻らないものもある。
二度と増えない時間もある。
それでも。
手放すことと、愛までなくなることは、同じではない。
そして時には。
誰かを手放したその手で、
まだここにいる誰かを、
もう一度抱きしめることができる。
瑞穂は静かに家族を見ていた。
もう誰も、
彼女を生かそうとはしていなかった。
けれど。
誰も、
彼女をなかったことにもしていなかった。
最後に

手放すことは、愛をやめることではない
このImaginary Talkで最も心に残るのは、薫子だけが瑞穂を手放せなかったわけではなかったということです。
和昌も技術によって時間を延ばそうとしました。
生人も「もう戻らないかもしれない」と口にすることに罪悪感を持っていました。
家族全員が、それぞれ違う方法で終わりを恐れていました。
そしてその陰で、生人は「大丈夫な子」になっていきます。
瑞穂を救うことに家族の注意が集まる中、歩き、学校へ行き、話すことのできる生人は、無意識のうちに「心配しなくてもいい子」にされてしまう。
彼の言葉は、この物語を脳死だけの話から家族全体の物語へ変えました。
「お姉ちゃんを助けようとしたことをやめてほしかったわけじゃない。その横で、僕もいるって気づいてほしかっただけ。」
そしてもう一つ、この会話を通して意味が変わっていった言葉があります。
「頑張って。」
最初、それは希望の言葉でした。
しかし、愛する人がもう自分の意思を伝えられない時、その言葉は別の問いを生みます。
もし本人が疲れていたら。
もし残される家族を心配していたら。
その時に必要なのは、
「まだ行かないで」
ではなく、
「私たちは何とか生きていくから、私たちのために残らなくていいよ。」
という言葉なのかもしれません。
それは死を望む言葉ではありません。
愛する人を自分の恐怖から自由にする、ひとつの可能性です。
そして最後には、その言葉が逆転しました。
母が娘へ言えなかった、
「もう頑張らなくていい」
という言葉を、瑞穂が母へ返します。
「お母さんが、もう行っていいんだよ。」
どこへ?
「私を失った日の、その先へ。」
ここに、このImaginary Talkの答えがあります。
手放すことは、忘れることではありません。
前へ進むことは、亡くなった人を置き去りにすることでもありません。
人は、失った人を愛したまま生きていくことができます。
そして、もう握り返してくれない手をいつか離すことで、その手は、まだそばにいる誰かの手を再び握れるのかもしれません。
Short Bios:
播磨薫子(はりま・かおるこ)
瑞穂と生人の母。娘を失う可能性に直面し、あらゆる手段を使って瑞穂を生かそうとする。本対話では、母親としての愛だけでなく、「娘のいない自分」への恐怖とも向き合う。
播磨和昌(はりま・かずまさ)
瑞穂と生人の父。技術によって瑞穂の身体を維持する可能性を追求する一方、「できること」と「するべきこと」は同じなのかという問いを抱える。
播磨瑞穂(はりま・みずほ)
薫子と和昌の娘。本Imaginary Talkでは、原作で語ることのできなかった瑞穂を仮想的に会話へ参加させ、家族が彼女の意思を勝手に決めるのではなく、答えそのものが存在しない可能性を問いかける。
播磨生人(はりま・いくと)
瑞穂の弟。姉の危機の陰で「大丈夫な子」として生き続ける。本対話では、家族が一人を救おうとする時、元気に見える家族にも痛みが存在することを語る。
宗吾(そうご)
瑞穂から臓器を受け取る少年。本対話では、「自分が生きることに瑞穂の死の意味を背負わなければならないのか」という問いを通して、臓器提供を単純な美談として扱わない視点を担う。

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