はじめに
村田沙耶香は、幼い頃から約30人のイマジナリーフレンドと共に生き、小説を書く時には登場人物を「水槽」に入れ、その中で何が起きるかを観察してきました。
彼女にとって創作は、物語を計画通りに組み立てる行為というより、人間という存在を調べる実験に近いものです。
今回の仮想対話では、村田が長年抱えてきた問いを、バシャール、カール・グスタフ・ユング、アラン・ワッツと共に追いました。
30人の友達は想像なのか。
パラレルワールドとは何なのか。
登場人物が作者の予想を超えて動く時、いったい誰が物語を書いているのか。
自分自身を「小説の素材」のように感じる時、その自分を観察している存在は誰なのか。
社会から与えられた言葉を剥がした先に、本当の自分はいるのか。
そして、村田がいつか開けたいと語る「箱」の中には何が眠っているのか。
三人は同じ答えを示しません。
バシャールは、肉体的な人格だけを自分のすべてと考えず、より大きな自己、Higher Mind、信念、可能性という方向から問いを広げます。
ユングは、無意識、ペルソナ、影、Selfという心理学的な視点から、村田の内的世界を見ます。
ワッツはさらに、「本当の私」「内側と外側」「作者と作品」といった区別そのものを問い直します。
そして村田は、誰かの答えをそのまま受け取るのではなく、最後まで観察者であり続けます。
彼女が探しているものは、簡単な答えではないからです。
(本稿に記されている対話はすべて仮想のものであり、実在の人物・発言とは関係ありません。)
Topic 1: 30人の空想の友達は、いったい誰だったのか

村田沙耶香:
私は子供の頃から、ずっとたくさんの空想の友達がいました。今もいます。30人くらい。彼らが住んでいる星があって、私はそこに行くような感覚があります。
でも、自分でもよく分からないんです。
小さい頃は、現実の地球にいる時間より、その世界にいる時間のほうが長いような感じがしていました。
たぶん私は、すごく繊細な子供だったから、そういう世界が必要だったんだと思います。自分の命を守るために。
でも、もしそうだとしたら、彼らは私が生き延びるために作ったものなのでしょうか。
それとも、私は何かを受け取っていたのでしょうか。
バシャール:
まず、あなたが「作った」と「受け取った」を反対のものとして考えているところが興味深いですね。
村田沙耶香:
反対ではないんですか。
バシャール:
必ずしも。
人間は、自分が想像したものについて、「自分の頭の中だけで作った」と考えることがあります。
しかし、想像という機能そのものを、あなたはどこまで知っていますか。
村田沙耶香:
あまり知らないと思います。
私はただ、そこに人がいるように感じていました。
バシャール:
それなら、まずその経験を否定しないことです。
彼らが物理的な意味で独立した存在なのか、あなた自身の意識の一部なのか、非物理的な情報を人格として受け取っているのか。
最初から一つに決める必要はありません。
大事なのは、その存在があなたに何をもたらしたかです。
あなたは彼らによって生き延びたと感じていますね。
村田沙耶香:
はい。
すごく苦しかった時も、空想の世界がありました。
物語とか、友達とか。
そういうものがあったから、私は絶対に生き延びたいと思えた気がします。
カール・ユング:
そこは非常に大切です。
私は、その人物たちをすぐに外部の存在と呼ぶ必要はないと思います。
しかし同時に、単なる「作り話」として片づける必要もありません。
人間の無意識には、意識的な自我が知らない内容があります。
そして、その内容が人格のような形を取って現れることがあります。
村田沙耶香:
人格のような形。
ユング:
はい。
あなたが意識的に考えていなかったことを、その人物が言う。
あなたが予想していなかった反応をする。
あなたとは違う性格を持っているように感じる。
そのようなことは起こり得ます。
私は、それを心の内部に存在する自律的な内容として扱います。
村田沙耶香:
それは、私が小説を書く時と少し似ています。
主人公の絵を描いて、その周りの人物も作ると、いつの間にか勝手に会話を始めるんです。
私はそれを書き留めます。
ユング:
そこが興味深い。
あなたは「勝手に」と言いました。
つまり、意識的なあなたがすべてを命令している感覚ではない。
村田沙耶香:
そうです。
私が作っているはずなのに、私より先に動いているような感じがあります。
バシャール:
では、あなたはもう答えの入口にいます。
村田沙耶香:
どういう意味ですか。
バシャール:
あなたは「私が作った」と言いながら、「私には予想できない」と言っています。
ここで問いが生まれます。
あなたが「私」と呼んでいる存在は、あなたのすべてでしょうか。
村田沙耶香:
それは、ちょっと怖い質問ですね。
アラン・ワッツ:
私はむしろ、少し楽しい質問だと思いますよ。
村田沙耶香:
楽しいんですか。
ワッツ:
ええ。
人間は「私」という小さな管理人が頭の中にいて、すべてを決めていると思いたがります。
でも、考えてみてください。
あなたは次にどんな考えが浮かぶか、完全に決めていますか。
村田沙耶香:
いいえ。
ワッツ:
夢は。
村田沙耶香:
決められません。
ワッツ:
感情は。
村田沙耶香:
それも。
ワッツ:
では、なぜ想像だけは、「これは全部私が作った」と考えなければならないのでしょう。
村田沙耶香:
確かに。
でも、逆に本当に外から来ていると考えるのも、私は少し怖いです。
ユング:
その慎重さは大切です。
内的な人物が鮮明だからといって、すぐに外部の存在と決める必要はありません。
私はむしろ、その人物との関係を見るでしょう。
彼らはあなたを脅したのか。
導いたのか。
守ったのか。
何かを要求したのか。
何を象徴していたのか。
村田沙耶香:
守ってくれた感じは強いです。
私は子供の頃、誰かを嫌な気持ちにさせたら捨てられると思っていたところがありました。
だから人の顔色をずっと見ていました。
現実の人間の前では、ちゃんとした子供を演じないといけなかった。
でも、空想の世界では、それをしなくてよかった。
バシャール:
では、彼らがあなたに与えたものは明確ですね。
村田沙耶香:
自由でしょうか。
バシャール:
少なくとも、あなたがそう感じることのできる場所です。
ここで私は、彼らが何者かよりも、なぜあなたがその経験を必要としたのかを見ます。
あなたの物理的な環境の中で表現できなかったものを、意識は別の形式で表現した。
これは一つの見方です。
ユング:
そこは私も近いです。
心は自分を守るために、驚くほど創造的に働きます。
しかし私は、その友達たちを「防衛機制」という一言だけで終わらせたくありません。
長い年月を通じて関係が続いているなら、そこにはあなたの人格形成や創造性に深く関わる意味があるかもしれない。
村田沙耶香:
では、彼らは私の一部なんでしょうか。
ユング:
そうかもしれない。
ただ、「一部」という言葉にも注意が必要です。
人間は、自分の心を一つの小さな中心から支配していると思いがちです。
しかし心全体は、それより大きい。
あなたの意識的な自我が知らない領域も含んでいます。
ワッツ:
そして私は、その「内側」という言葉にも少し疑問があります。
村田沙耶香:
また疑うんですね。
ワッツ:
それが私の癖です。
あなたは「彼らは私の内側にいるのか」と聞く。
でも、「内側」と「外側」はどこで分かれていますか。
あなたが今聞いている私の声は外側です。
しかし、その声は耳から入り、神経を通り、あなたの経験になります。
その瞬間、それは内側ですか、外側ですか。
村田沙耶香:
分からなくなりますね。
ワッツ:
それでいいのです。
分けられないものを、無理に二つにするから混乱することもあります。
バシャール:
私は、もう一つ問いを置きたいですね。
村田沙耶香:
何でしょう。
バシャール:
もし彼らがあなたの想像だったとして、それで価値が下がりますか。
村田沙耶香:
いいえ。
バシャール:
もし彼らが非物理的な存在だったとして、それで価値が上がりますか。
村田沙耶香:
それも違う気がします。
バシャール:
その通りです。
現象の価値と、現象に貼るラベルは別です。
あなたはその経験によって生き延びた。
創作を続けた。
そして今も、人間とは何かを問い続けている。
その事実は、どの説明を選んでも変わらない。
村田沙耶香:
私は、たぶん説明が欲しいというより、もっと見たいんだと思います。
彼らのことも。
自分のことも。
なぜそういう世界が必要だったのかも。
ユング:
それなら、良い態度だと思います。
答えを急ぐより、関係を続ける。
無意識との対話では、それが大切です。
村田沙耶香:
でも一つ、ずっと不思議なんです。
私が彼らを作ったのなら、どうして彼らは時々、私より先にいるように感じるんでしょう。
私が考えていなかったことを言ったりする。
小説の登場人物も同じです。
ワッツ:
では、質問を少し変えてみてはどうですか。
「私が彼らを作ったのか」
ではなく、
「私と彼らは、同じ何かから生まれているのではないか」
と。
村田沙耶香:
同じ何か。
バシャール:
そして私は、さらにもう一つ付け加えます。
あなたは彼らを「創造した」のかもしれない。
同時に「発見した」のかもしれない。
その二つは、あなたが思っているほど離れていないのかもしれません。
村田沙耶香:
それは、小説にも言えますか。
バシャール:
それを次に話しましょう。
あなたが作った世界なのか。
あなたが見つけた世界なのか。
そして、なぜそこにいる人間たちは、あなたの予想を超えて動き始めるのか。
村田沙耶香:
それは私もずっと知りたいです。
ユング:
では、次は水槽を見せてもらう必要がありますね。
ワッツ:
そして、水槽の外にいると思っている人も。
村田沙耶香:
私ですね。
ワッツ:
本当にそうでしょうか。
Topic 2: パラレルワールドは想像なのか、それとも別の現実なのか

村田沙耶香:
私は小説を書く時、世界のルールを少し変えることがあります。
たとえば、今の社会では残酷だと思われていることが普通だったり、人間の身体の扱い方がまったく違ったり。
そうすると、その中にいる人物たちが急に別の動きを始めるんです。
私はそれを見るのが好きです。
バシャール:
あなたは「世界のルールを変える」と言いましたね。
村田沙耶香:
はい。
小説なので。
バシャール:
では質問です。
あなたは本当に、その世界をゼロから作っていると思いますか。
村田沙耶香:
普通に考えたら、私が作っていますよね。
バシャール:
普通に考えれば、そうです。
しかしあなた自身が、その世界の中で起こることを予想できないと言っている。
人物が勝手に話し始める。
あなたが決めていなかった方向へ動く。
それでも、完全にあなたが作った世界だと言えますか。
村田沙耶香:
そこが不思議なんです。
設定を作るのは私です。
でも、その後のことは全部を決めている感じがしない。
水槽の中で勝手に何かが起きる。
バシャール:
では、「創造する」という言葉を少し広げてみましょう。
何かを完全に無から作ることだけが創造でしょうか。
それとも、無数の可能性の中から一つを選び、そこに焦点を合わせることも創造でしょうか。
村田沙耶香:
後者だとすると、小説家は世界を作るというより、見つけているんですか。
バシャール:
その可能性もあります。
私たちが語るパラレル・リアリティという考えでは、無数の可能性が存在し、意識はその中から経験する現実を選んでいくと考えます。
だから、あなたが強く想像できる世界について、
「存在しないものを作った」
と見ることもできるし、
「可能性として存在するものに意識を合わせた」
と見ることもできる。
村田沙耶香:
でも、それを本当の別世界だと言ってしまうのは、少し怖いです。
バシャール:
言い切る必要はありません。
可能性として考えてみるだけで十分です。
カール・ユング:
私はここで少し違う説明をしたいですね。
村田沙耶香:
やっぱり違いますか。
ユング:
ええ。
私は、あなたが別の宇宙を見ていると考える前に、人間の無意識を見ます。
意識的な自我は、自分が知っていることのすべてではありません。
あなたが思いつかなかった人物の行動や言葉が出てくるからといって、それが必ず外部の世界から来たとは限らない。
あなた自身の意識が知らなかったものが、無意識から現れた可能性があります。
バシャール:
それは矛盾しません。
ユング:
完全には。
しかし私は、心理的な現象をすぐ宇宙論へ広げることには慎重です。
バシャール:
それは良い姿勢です。
ただ、私は逆に問いましょう。
なぜ心理的であることと、より大きな現実に関係していることを分けなければならないのでしょう。
ユング:
そこは興味深いですね。
無意識の深部が、個人だけに閉じたものではないという考えは、私にもあります。
ただし、それをどの言葉で説明するかは別問題です。
村田沙耶香:
私は、どちらの説明も少し分かる気がします。
小説を書いている時、明らかに自分の中から出ている感じもする。
でも、自分の中だけとは思えない感じもする。
アラン・ワッツ:
そこでまた皆さん、箱を作り始めていますね。
村田沙耶香:
箱ですか。
ワッツ:
「内側」と「外側」。
「心」と「宇宙」。
「想像」と「現実」。
人間はきれいに分けるのが好きです。
ユング:
区別は必要ですよ。
ワッツ:
もちろん、日常生活には。
でも、区別したものが本当に完全に別々だと思い始めると、問題が起きる。
村田さんが小説を書いている時、あなたの記憶だけが作品を作っていますか。
村田沙耶香:
いいえ。
ワッツ:
社会も入っていますね。
村田沙耶香:
入っています。
ワッツ:
読んだ本。
見た人。
喫茶店の音。
子供の頃の記憶。
身体の感覚。
日本語。
全部入っていますね。
村田沙耶香:
そうですね。
ワッツ:
では、「私の内側だけから出てきた小説」というものは、そもそも存在しますか。
村田沙耶香:
そう言われると、分からないですね。
バシャール:
それは重要です。
人間は自分を孤立した一点だと思いがちです。
しかし、あなたが経験している現実は、もっと大きな関係の中で生じています。
村田沙耶香:
それでも私は、「違う倫理の世界」を作るのが好きなんです。
たとえば、人間を食べることが普通だったら。
人間の身体が資源だったら。
恋愛しないことが普通だったら。
そういうふうに一つの前提を変える。
すると人間が急に違って見える。
ユング:
それは非常に興味深い実験です。
あなたは社会的な前提を動かすことで、人間の人格がどこまで文化に依存しているかを見ている。
村田沙耶香:
そうかもしれません。
私は、「これは人間の本能です」と言われると、本当にそうなのかなと思ってしまう。
文化が違えば、まったく違うことを本能だと感じるかもしれない。
バシャール:
ここでパラレル・リアリティという考えが面白くなります。
一つの世界では正常なことが、別の世界では異常。
一つの世界では善が、別の世界では悪。
あなたの小説は、それを体験可能な形にしています。
村田沙耶香:
でも、もし本当に無数の現実があるなら、私が小説で書いたような世界もどこかにあるんですか。
バシャール:
私たちの考え方では、可能性としてはそうです。
しかし、ここで大事なのは「どこか遠い宇宙に同じ街がある」という単純な話ではありません。
可能性というものが非常に広く存在しているということです。
村田沙耶香:
それを聞くと少し怖いけど、同時にすごく面白いです。
ワッツ:
あなたは怖いものを面白がる人ですね。
村田沙耶香:
そうかもしれません。
怖い箱を開けたいですし。
ユング:
その話はまだ後ですね。
村田沙耶香:
はい。
でも、世界を少し変えると、人間が思っていた以上に変わる。
それを見ると、「人間」というもの自体がすごく不安定に思えるんです。
ユング:
そこは私も同意します。
人格のかなりの部分は、社会や文化との関係の中で形づくられる。
しかし、それだけでは説明できない深層もある。
あなたの実験は、その境界を露出させています。
バシャール:
私はもう一つ聞きたい。
あなたが世界のルールを変えた時、登場人物はどんな瞬間に一番強く動き始めますか。
村田沙耶香:
予想できない圧力がかかった時でしょうか。
私は水槽を少しいじるんです。
人を入れたり、社会のルールを変えたり。
すると、ある時に小さな爆発みたいなものが起きる。
人物が急に、自分の考えていなかったことを始める。
バシャール:
その「爆発」をあなた自身は作っていない。
村田沙耶香:
条件は作っています。
でも、爆発自体は起こる感じです。
バシャール:
それは非常に象徴的ですね。
あなたは条件を選ぶ。
そして、その条件に対応した可能性が現れる。
ユング:
私はそれを心理的な意味で理解できます。
ある緊張が十分に高まると、無意識から新しい内容が出てくる。
意識だけでは予想できない形で。
ワッツ:
私は、その瞬間をもっと単純に見たいですね。
料理をしている時に、火、水、食材をそろえる。
料理人は条件を作る。
でも、実際に化学反応を一つずつ命令しているわけではない。
村田沙耶香:
あ、それは水槽に近いです。
ワッツ:
でしょう。
あなたは世界を完全に支配している神というより、条件を整えて、何が起こるか見ている。
村田沙耶香:
そうです。
私は神様になりたいわけではない。
観察したいんです。
バシャール:
それなら興味深い質問があります。
あなたが観察している世界と、あなた自身が生きているこの世界は、本当にそんなに違いますか。
村田沙耶香:
どういう意味ですか。
バシャール:
あなたは小説の中で条件を変え、人物がどう反応するか観察する。
では、あなた自身も今、日本という社会の中に置かれていますね。
文化。
家族。
身体。
時代。
性別。
言語。
さまざまな条件の中に。
そして、その中であなた自身が反応している。
村田沙耶香:
それは、私が自分を実験体みたいに感じる話につながりますね。
バシャール:
そうです。
あなたは水槽の外にいる作家であると同時に、水槽の中にいる人物でもある。
村田沙耶香:
それは、かなり私の感覚に近いです。
人間としての私は、日本社会の中に置かれて、いろんなことが壊れたり、傷ついたりする。
そして作家としての私は、その欠片を拾って小説に使う。
ユング:
では、非常に重要な問いが出てきました。
水槽の中にいる「人間としての村田沙耶香」。
それを観察している「作家としての村田沙耶香」。
この二人は、いったいどのような関係なのでしょう。
ワッツ:
そして私は、いつもの質問を追加します。
その二人を見ているのは誰でしょう。
村田沙耶香:
また一人増えましたね。
ワッツ:
人間は、自分を説明しようとすると、どんどん観察者が増えるんですよ。
村田沙耶香:
ちょっと怖いです。
でも面白い。
バシャール:
では次に、その「観察している私」を見てみましょう。
あなたは本当に作者なのか。
それとも、自分で言ったように、何かのために使われている素材なのか。
村田沙耶香:
はい。
そこは私も知りたいです。
私が小説を書いているのか。
小説を書くために私がいるのか。
時々、自分でも分からなくなります。
Topic 3: 私は作者なのか、それとも誰かに使われている「素材」なのか

村田沙耶香:
私は、自分のことを小説を書くための道具とか、素材みたいに感じることがあります。
日本という社会に置かれて、そこで人間としての私が傷ついたり、壊れたりする。
怒りがうまく働かなくなったり、いろいろな部分が故障したりする。
そして小説家の私は、その壊れた自分から何か使えそうな欠片を拾って、水槽に入れる。
だから、自分で自分を使っているような感じです。
バシャール:
では、最初に一つ確認しましょう。
あなたが「自分」と言う時、どの自分を指していますか。
村田沙耶香:
そこが分からないんです。
人間として生活している私と、小説を書いている私が、少し別に感じることがあります。
バシャール:
それなら、その感覚を無理に一つにしなくてもいいでしょう。
私たちの考え方では、物理的な人格だけがあなたの全体ではありません。
物理的な意識には、目の前の経験に集中する役割があります。
そして、それより広い視点を持つ意識があると考えます。
あなたはそれを、Higher Mindという言葉で聞いたことがあるでしょう。
村田沙耶香:
はい。
でも、それは私より大きな私ということですか。
バシャール:
そう捉えることができます。
外部の誰かがあなたを操っている、という意味ではありません。
むしろ、
あなたが普段「私」と呼んでいる人格は、あなた全体の一部分なのかもしれない
ということです。
村田沙耶香:
それなら、「使われている」という感覚も、誰か知らない存在に使われているわけではない?
バシャール:
その可能性を最初から想定する必要はありません。
もしかすると、あなた自身のより広い側面が、物理的なあなたを通して特定の経験をしている。
あなたは小説を書くことで、自分自身のあるテーマを探究しているのかもしれません。
村田沙耶香:
テーマ。
私はずっと「人間とは何だろう」と考えています。
どうして人間はこういう倫理を持つのか。
どうしてこれを普通だと思うのか。
もっと奥には何があるのか。
バシャール:
それがあなたの人生で繰り返されるテーマなら、偶然と片づける必要もないでしょう。
幼い頃から小説を書いている。
小説を教会のように感じた。
小説の神様という感覚まで持っていた。
社会の中で生きた経験を小説に戻す。
そしてまた小説から現実を見る。
あなたの人生は、かなり一貫してその方向へ流れています。
村田沙耶香:
でも、それを聞くと少し怖いんです。
もし私が何かの目的のために置かれた素材なら、私自身の人生は何なんでしょう。
私はただ使われているだけなんでしょうか。
バシャール:
そこに一つ誤解があるかもしれません。
「素材」という言葉を使うと、誰か別の主体がいて、あなたを物のように利用している印象になります。
しかし、もし使う側も使われる側も、より大きな意味では同じあなたならどうでしょう。
村田沙耶香:
自分が自分を使っている。
バシャール:
ええ。
あなたは夢を見る時、夢の中の人物でもあり、夢を生み出す意識でもある。
それに少し似た見方です。
カール・ユング:
ここでは、私もある程度似たことを言えます。
ただし私は、Higher Mindという言葉は使いません。
村田沙耶香:
ユングさんなら、何と言いますか。
ユング:
「自我」と「自己」を区別します。
あなたが日常で「私」と呼んでいるものは、自我です。
しかし心全体は自我より大きい。
私はその全体性をSelfと呼びます。
自我は、自分が主人だと思いやすい。
しかし夢、衝動、創造性、予想外の感情、内的人物などを見れば、自我が心全体を支配していないことは分かります。
村田沙耶香:
では、小説を書いている時に人物が勝手に動く感じも、それと関係しますか。
ユング:
十分あり得ます。
創作者は、自分が作品を作っていると思います。
しかし時には、作品の方が作者に要求を突きつける。
作者が予定していた結末を拒み、別の方向へ進む。
その時、作者は意識的な自我だけでは説明できない何かと関わっている。
村田沙耶香:
私はそれがすごくあります。
この人物はこうなると思っていたのに、ならない。
私はただ起きたことを書き留める。
だから作っているより、観察している感じなんです。
ユング:
それなら、あなたの「素材」という感覚は、自我が中心ではないという経験から来ているのかもしれません。
バシャール:
その表現には私も近いです。
ただ、私はもう少し聞きたい。
沙耶香さん。
あなたが小説を書いている時、一番強い感覚は何ですか。
義務でしょうか。
楽しさでしょうか。
恐れでしょうか。
それとも、「これを書かなければならない」という感じでしょうか。
村田沙耶香:
「知りたい」が一番近いと思います。
ずっと知りたい。
みんなが本当と言っているものより、その下にあるもっと本当のことを見たい。
それがすごく切実なんです。
バシャール:
では、小説は目的ではなく、あなたにとって方法なのかもしれませんね。
村田沙耶香:
方法?
バシャール:
あなたが何かを発見するための方法。
あなたは「作家になる」という肩書きを求めて小説を書き始めたわけではない。
もっと早くから書いていた。
そして今も、知るために書いている。
なら、小説家という職業があなたの本質なのではなく、
探究するという人生の方向性が、小説という形を取っている
とも考えられます。
村田沙耶香:
それは少し分かります。
もし小説を書けなくなったら、別の方法で同じことを探すのかもしれない。
でも、小説ほど自由にできる場所はない気がします。
アラン・ワッツ:
私は今、皆さんが「誰が誰を使っているのか」を一生懸命整理しているのが面白いと思っています。
村田沙耶香:
また壊しに来ましたね。
ワッツ:
少しだけ。
あなたは「私が小説を書く」と言う。
次に「小説が私を使っているかもしれない」と言う。
その次に「Higher Mindが私を通して書いている」と言う。
でも、これは全部、
行為をする者と、行為そのものを別々にする
という発想から始まっています。
村田沙耶香:
別々ではないんですか。
ワッツ:
木が花を咲かせます。
私たちは「木が花を作った」と言います。
しかし、その花を本当に木だけが作ったのでしょうか。
土。
雨。
太陽。
空気。
季節。
虫。
何年もの時間。
全部がそこにあります。
では、誰が花を作ったのでしょう。
村田沙耶香:
全部。
ワッツ:
そう。
小説も同じかもしれません。
あなたの幼少期。
日本社会。
家族。
喫茶店。
30人の友達。
読んだ本。
恐怖。
身体。
言語。
偶然会った人。
全部が村田沙耶香という場所を通って、一冊の小説になる。
その時、
「誰が書いたのか」
という問いには、「村田沙耶香」と答えても正しい。
でも、それだけでは狭すぎる。
村田沙耶香:
そうすると、私は作者だけど、作者だけではない。
ワッツ:
ええ。
そして素材でもある。
観察者でもある。
水槽の中の生物でもある。
水槽を作る人でもある。
村田沙耶香:
それ、すごく変ですね。
ワッツ:
あなたは変な話がお好きでしょう。
村田沙耶香:
そうですね。
ユング:
しかし、私は一つ慎重になりたい。
「大きな何かに使われている」という感覚は、創作者にとって魅力的です。
けれど、それによって自分自身の責任を手放してはいけません。
無意識から何かが来たとしても、それを作品として形にする責任は意識にあります。
村田沙耶香:
そこは大切ですね。
何かが勝手に出てきても、小説として書くのは私です。
ユング:
そうです。
無意識に従属するのではない。
対話する。
それが大事です。
バシャール:
私も、「Higher MindがすべてやるからPhysical Mindは何もしなくていい」とは言いません。
役割が違うのです。
より広い視点は方向を示す。
物理的なあなたは、実際に行動する。
書く。
選ぶ。
編集する。
経験する。
村田沙耶香:
それなら、「使われている」より「協力している」という方が近いですか。
バシャール:
その表現の方が自由を失いません。
村田沙耶香:
でも、もしそうなら、私は何と協力しているんでしょう。
バシャール:
あなた自身のより大きな側面。
存在全体。
人生のテーマ。
好きな言葉を選んで構いません。
名前より経験を見ることです。
村田沙耶香:
私は子供の頃、小説を書いたら、それが空に上がって、小説の神様が選んでくれると思っていたんです。
今考えたら子供の空想ですけど。
バシャール:
子供は時に、大人より象徴を素直に使います。
「小説の神様」が文字通り存在するかどうかとは別に、その象徴はあなたに何を伝えていましたか。
村田沙耶香:
小説は私だけのものじゃない、という感じかもしれません。
私が誰かに褒められるために書くものじゃない。
もっと別のところへ届けるもの。
ユング:
それなら、その像はあなたの創作に対する態度を非常によく表しています。
ワッツ:
そして面白いのは、子供のあなたはすでに「作者が全部を所有する」という発想を持っていなかったことです。
村田沙耶香:
そうですね。
私は小説家になる前から、小説に使われていたのかな。
バシャール:
それを「使われる」と呼ぶか、「自分自身のテーマを生きている」と呼ぶかで、経験はかなり変わります。
村田沙耶香:
なぜですか。
バシャール:
「使われる」には、被害者である可能性が含まれます。
「自分のテーマを生きる」には、参加している感覚があります。
もしあなたが人生のもっと大きな側面と共同で創造しているなら、あなたは道具ではあっても、無力な道具ではありません。
村田沙耶香:
道具であり、作る人でもある。
バシャール:
そうです。
村田沙耶香:
それなら一つ聞きたいです。
もし私がこの人生で何かを探すために小説を書いているなら、どうしてこんなに痛いものを材料にしなければならなかったんでしょう。
どうして、人間の私が壊れた欠片を拾って書く必要があったんでしょう。
ユング:
それは非常に大きな問いです。
バシャール:
そして、答えを急がない方がよい問いでもあります。
ただ一つ言えるのは、経験そのものと、それに与える意味は同じではないということです。
苦しみがあったから価値が生まれた、と単純に美化する必要はありません。
しかし、起きたことを何に変換するかについて、あなたには選択があります。
村田沙耶香:
私は小説に変換してきた。
バシャール:
ええ。
そして、それによって過去を正当化する必要はない。
ただ、あなたはそこから新しいものを作った。
ワッツ:
壊れた欠片があるから作品が生まれた、と考えすぎなくてもいいと思います。
花は傷からだけ咲くわけではありません。
遊びからも咲く。
好奇心からも咲く。
笑いからも咲く。
村田沙耶香:
私、怖いものばかり探しすぎているでしょうか。
ワッツ:
それを次の箱まで取っておきましょう。
村田沙耶香:
また箱ですね。
でも、その前に一つ気になっています。
もし人間としての私が、社会の中で作られてきたのだとしたら。
私が「自分」と思っているものは、どこまで私なんでしょう。
私の言葉も、感情も、価値観も。
それすら素材として外から入ってきたものなら、本当の私はどこにいるんでしょうか。
ユング:
そこが次の問題ですね。
バシャール:
そして、おそらくあなたが「本当」を探し続ける理由の一つでもある。
ワッツ:
ただし、次は少し困るかもしれませんよ。
村田沙耶香:
どうしてですか。
ワッツ:
「本当の私」を見つけようとして、社会から来たものを全部剥がしていったら、
最後に誰も残らないかもしれませんから。
村田沙耶香:
それは、かなり怖いですね。
ワッツ:
そして、かなり面白い。
Topic 4: 社会の言葉を全部剥がしたら、「本当の私」は残るのか

村田沙耶香:
私は、自分が話している言葉の中に、自分から出てきたものではない言葉がたくさん混ざっている気がするんです。
社会とか、家族とか、学校とか。
そういうところから入ってきた言葉を、自分の気持ちだと思って話していることがある。
それを小説を読むことで、少しずつ剥がせる時があります。
その下から、自分にとって都合が悪いような、本当の言葉が出てくることがある。
バシャール:
では、その言葉を一つずつ見てみましょう。
たとえば、あなたが子供の頃に強く持っていた、
「人を嫌な気持ちにさせてはいけない」
という感覚。
それは、あなた自身が自由に選んだ信念でしたか。
村田沙耶香:
たぶん違うと思います。
誰かを怒らせたり、嫌な思いをさせたら、自分は捨てられるような気がしていました。
だから、そうならないように振る舞っていました。
バシャール:
すると、その信念には目的があった。
あなたを守ることです。
村田沙耶香:
はい。
バシャール:
では、その信念を悪者にする必要はありません。
ある時期には役に立った。
ただし、子供の頃に自分を守った信念が、大人になっても同じ形で必要とは限らない。
問題は、
「これは今の私にも本当に必要な信念なのか」
と確認せず、そのまま自分そのものとして使い続けることです。
村田沙耶香:
でも、自分の中に深く入りすぎていると、外から来たものなのか、自分のものなのか分からないです。
バシャール:
そこを見る一つの方法は、その信念を持った時に自分がどう感じるかです。
それはあなたを広げるのか。
それとも縮ませるのか。
自由にするのか。
それとも恐れによって動かすのか。
カール・ユング:
私はここで「ペルソナ」という言葉を使います。
人間は社会の中で生きるために、ある顔を作ります。
職場の顔。
家族の顔。
友人に見せる顔。
性別や立場に応じた顔。
それ自体は悪いものではありません。
村田沙耶香:
必要なんですね。
ユング:
必要です。
問題は、その仮面を自分の全体だと思ってしまうことです。
あなたは幼い頃から、「上手に人間になりたい」と考えていたと言いましたね。
村田沙耶香:
はい。
どうやったら人間として正しく振る舞えるのか、ずっと気にしていました。
ユング:
それは、ペルソナを非常に早く発達させなければならなかったとも言えます。
しかし、その仮面の下にある感情や衝動や欲求は消えません。
認められなかったものは、影へ回ることがあります。
村田沙耶香:
だから小説の中で出てくるんでしょうか。
ユング:
その可能性はあります。
日常生活のあなたが生きられなかったものを、登場人物が生きる。
あなたが怒れなかったなら、登場人物が怒る。
あなたが社会に従ったなら、登場人物が世界を突き破る。
村田沙耶香:
それは少し分かります。
私は自分ではそんなに社会を恨んでいる感覚がないのに、作品はすごく社会を嫌っているように読まれることがあります。
ユング:
意識的なあなたが感じていないものが、作品を通して表現されることはあり得ます。
アラン・ワッツ:
でも私は、少し別のところが気になります。
村田沙耶香:
どこでしょう。
ワッツ:
あなたは今、
「社会から入ってきた言葉を剥がして、本当の自分の言葉を探したい」
と言いました。
とても自然な願いです。
でも、本当に全部剥がせるのでしょうか。
村田沙耶香:
全部は無理かもしれません。
ワッツ:
日本語も社会から来ていますね。
村田沙耶香:
そうですね。
ワッツ:
「私」という言葉も。
善悪という区別も。
家族という概念も。
人間という概念も。
「本当」という言葉さえ、あなた一人で作ったものではありません。
村田沙耶香:
そうすると、完全に自分だけの言葉って存在しないんでしょうか。
ワッツ:
私は、その質問を少し変えたいですね。
なぜ、
「世界から何も受け取っていないものだけが、本物の私でなければならない」
のでしょう。
村田沙耶香:
あ。
ワッツ:
木は土から栄養を受け取る。
空気から二酸化炭素を受け取る。
太陽から光を受け取る。
それでも、その木は偽物ではありません。
あなたも同じです。
世界から受け取っているから偽物なのではない。
問題は、それを無意識に反復しているのか、自分の経験として生き直しているのか。
バシャール:
そこには私も同意します。
「外から来た信念だから偽物」という考え方は単純すぎます。
あなたは毎日、さまざまな信念に出会う。
その中から何を自分の経験として採用するか。
その選択が重要です。
村田沙耶香:
では、「本当の自分」というものは、最初から完成して奥に隠れているわけではない?
ワッツ:
私はそうは見ません。
あなたは、玉ねぎの皮を剥いていけば最後に小さな純粋な核が出てくる、と考えているように聞こえます。
村田沙耶香:
はい。ちょっとそういうイメージがあります。
ワッツ:
でも玉ねぎは、皮の集まりそのものです。
最後の皮まで剥いだら、
「本当の玉ねぎ」
が中に座っているわけではない。
村田沙耶香:
それ、怖いですね。
ワッツ:
怖いですか。
村田沙耶香:
だって、最後に何もいないみたいです。
ワッツ:
「何もいない」のではなく、
固定された小さな核がない
ということかもしれません。
あなたは、関係の中で生きている出来事です。
身体。
記憶。
他者。
言語。
社会。
自然。
時間。
それらから切り離された「純粋な私」を探すと、永遠に見つからないかもしれない。
バシャール:
私はそこでは少し違う言い方をします。
あなたには、もっと本来的な存在の状態があると考えます。
ただ、それは名前、職業、性格、社会的役割といった固定された人格ではない。
もっと根源的な存在です。
ワッツ:
そこが私たちの面白い違いですね。
あなたは「本来的な存在」という言葉を使う。
私は、その言葉を使った途端に、人間がまた何かを捕まえようとするのを警戒します。
バシャール:
捕まえる必要はありません。
経験すればいい。
ユング:
私は二人の中間くらいかもしれません。
私はSelfという概念を使いますが、それは自我の奥に隠れている小さな真の人格という意味ではありません。
むしろ、意識と無意識を含む心の全体性を指します。
村田沙耶香:
では、三人とも「本当の私」というものを少し違って考えているんですね。
ユング:
そうです。
私は、より大きな心の全体性を考える。
バシャール:
私は、物理的な人格を超えたより大きな自己を考える。
ワッツ:
私は、「自己」というものを世界から切り離して固めること自体を疑う。
村田沙耶香:
私は、どれも少し分かる気がします。
でも、やっぱり困ります。
私は小説を書く時、「もっと本当」がある気がするんです。
社会が本当と言っているものより、もっと下にあるもの。
自分もまだ知らないもの。
バシャール:
その「下」という感覚を少し調べてみましょう。
なぜ真実は、いつも奥深くに隠れていると思うのですか。
村田沙耶香:
表面にあるものが嘘っぽく見えることがあるからでしょうか。
みんなが普通に話している言葉が、誰かに言わされているように感じる時がある。
だから、その膜を剥がしたい。
ユング:
それは理解できます。
意識の表面だけが人間ではありません。
夢や衝動や影の中に、意識がまだ認めていないものがある。
ワッツ:
ただし、
「表面は偽物、深層は本物」
という新しい二分法を作らないように気をつけたいですね。
村田沙耶香:
ああ。
ワッツ:
表面もあなたです。
社会的な顔もあなたです。
コンビニの店員として振る舞ったあなたも。
空想の星にいたあなたも。
小説を書いているあなたも。
どれか一つだけを「偽物」とすると、また自分を切り分けすぎてしまう。
村田沙耶香:
でも、社会から入ってきた言葉に苦しめられることもあります。
ワッツ:
もちろん。
苦しみを無視する必要はありません。
ただ、
「これは外から来たから排除する」
ではなく、
「これは今の私とどう関係しているのか」
を見る。
バシャール:
私はそれを、信念の再選択と呼びたいですね。
外から来た信念でも、今のあなたに合うなら使えばいい。
合わないなら手放す。
あなたは単なる受け皿ではありません。
選ぶ参加者です。
村田沙耶香:
選ぶ参加者。
Topic 3の「素材」の話とつながりますね。
バシャール:
そうです。
素材であり、選択者でもある。
経験される者であり、経験を意味づける者でもある。
ユング:
そして、意識的な選択だけでは届かないところに無意識がある。
そこから出てくるものも、対話の対象です。
村田沙耶香:
私は時々、怒りが壊れていると言います。
子供の頃に故障した感じ。
それも、社会の中で生き延びるために必要だったんでしょうか。
ユング:
その可能性はあります。
強い感情を表現することが危険だと感じた子供が、それを抑えることはあります。
ただ、抑えた感情は消えたとは限りません。
別の形で存在し続ける。
バシャール:
そして、当時のあなたに必要だった防御を、今も絶対的な真実として保持する必要はありません。
村田沙耶香:
もし怒りが戻ったら、私は別の人間になりますか。
ワッツ:
あなたは毎日少しずつ別の人間ですよ。
村田沙耶香:
それを言われると、何が私なのか、ますます分からなくなります。
ワッツ:
それは悪いことではありません。
固定された答えがないことと、存在しないことは違います。
波は一秒ごとに形を変える。
だからといって、波が存在しないわけではない。
村田沙耶香:
じゃあ、本当の私は「もの」ではなくて、変化しているもの?
ワッツ:
「もの」より「出来事」に近い、と私は言いたいですね。
ユング:
私は、変化しながら全体性へ向かう過程という見方をします。
バシャール:
私は、より本来の自分と一致する選択を重ねていく存在と考えます。
村田沙耶香:
三人とも、少しずつ違う。
でも、私はまだ何か足りない感じがします。
バシャール:
何が足りませんか。
村田沙耶香:
私は、「本当の自分」を見つけたいだけじゃないんです。
もっと危ないところを見たい。
人間そのものについて、
「これを知ったら、もう元には戻れない」
みたいなもの。
そういうものがある気がする。
ユング:
それが、あなたの言っていた箱ですね。
村田沙耶香:
はい。
ずっと開けたいと思っている箱です。
バシャール:
そしてあなたは、その箱の中にあるものが、自分を壊すかもしれないと思っている。
村田沙耶香:
そうです。
本当に見たいものを見つけたら、人間として普通に生きられなくなるくらい壊れる気がする。
ワッツ:
では、次にとても面白い問いがあります。
壊れるのは誰でしょう。
村田沙耶香:
またそれですか。
ワッツ:
今度は、かなり大事です。
ユング:
私も今回は同意します。
「何が壊れるのか」を見ずに、箱の中身だけを見ることはできません。
バシャール:
そして私は、
「なぜ真実はあなたを壊すものだと、箱を開ける前から信じているのですか」
と聞きたい。
村田沙耶香:
分かりません。
だから、たぶん開けたいんだと思います。
Topic 5: まだ開けられない「箱」の中には何があるのか

村田沙耶香:
私はずっと、もっと本当のことを見たいと思っています。
みんなが「これが本当だよ」と言っているものの、さらに奥。
まだ言葉になっていないもの。
人間の中に眠っているけれど、普通は見ないようにしているもの。
でも、もし本当にそれを見つけたら、自分が壊れる気がするんです。
人間として普通に生きられなくなるくらい。
それでも見たい。
バシャール:
では、最初に一つ聞きましょう。
あなたは、まだ開けていない箱の中に「自分を壊すもの」があると考えていますね。
なぜですか。
村田沙耶香:
分からないです。
でも、そんな感じがする。
そこには、人間が普通は見ないようにしているものがある気がするんです。
残酷さとか。
空虚さとか。
倫理が全部なくなった後に残るものとか。
バシャール:
すると、あなたが恐れているのは真実そのものではなく、
真実についてすでに持っているイメージ
かもしれません。
村田沙耶香:
イメージ。
バシャール:
「本当のことは恐ろしい」
「本当のことを見たら壊れる」
「人間の奥には危険なものがある」
それらは、箱を開ける前から存在している信念です。
村田沙耶香:
でも、本当に危険なものが入っている可能性もありますよね。
バシャール:
もちろん、あなたにとって非常に強い衝撃を与える情報や経験はあるでしょう。
しかし、
衝撃を受けることと、真実そのものがあなたを破壊することは同じではありません。
あなたが何を信じているかによって、その経験の受け取り方は変わります。
カール・ユング:
私はここで、バシャールより少し慎重になりたいですね。
村田沙耶香:
やっぱりそうですか。
ユング:
ええ。
人間の無意識には、意識的な自我が簡単には受け止められない内容があります。
影。
恐怖。
攻撃性。
欲望。
自分が「私はこんな人間ではない」と排除してきたもの。
それらに突然圧倒されれば、心理的な均衡を失うこともあり得ます。
だから、「全部一度に見ればいい」とは私は言いません。
バシャール:
そこには私も異論はありません。
情報を受け取ることと、無理に自分を圧倒することは別です。
ユング:
ただ、私はもう一つ言いたい。
箱の中にあるものを、村田さんは少し「怪物」として想像しすぎているかもしれない。
村田沙耶香:
怪物じゃない可能性もある?
ユング:
十分あります。
影の中にあるのは邪悪さだけではありません。
あなたが生きられなかった力。
怒り。
欲望。
大胆さ。
自分を守る力。
拒絶する力。
創造性。
それらも、長いあいだ意識から遠ざけられていたなら、影の側に入ることがあります。
村田沙耶香:
怒りも。
ユング:
あなたは、自分の怒りが子供の頃に「故障した」と話していましたね。
もしその怒りが完全に消えたのではなく、別のところに置かれていたとしたら。
箱の中で待っているものの一つは、
あなたがまだ十分に生きていない怒り
かもしれません。
村田沙耶香:
それは怖いです。
私は自分が怒るところを、あまり想像できない。
ユング:
だからこそ、怪物のように感じることがあります。
知らない自分は、最初は異物に見える。
しかし、それが本当にあなたを壊すものなのか。
それとも、あなたをもっと完全にするために必要なものなのか。
そこはまだ分かりません。
アラン・ワッツ:
私は今、少し別の箱を見ています。
村田沙耶香:
別の箱?
ワッツ:
あなたは、
「本当のことを知ったら、私は壊れる」
と言っています。
そこで私は聞きたい。
その「私」は何でできていますか。
村田沙耶香:
また「私」ですか。
ワッツ:
今回は逃げられません。
もし壊れるものが、
「私はこういう人間だ」
「人間はこういうものだ」
「世界はこういう場所だ」
という自己像なら。
それが壊れることと、
あなたの存在そのものが消えることは同じでしょうか。
村田沙耶香:
違うかもしれない。
でも、その自己像がなくなったら、自分が誰か分からなくなる。
ワッツ:
それは、とても不安でしょう。
しかし、人は時々、
自分が壊れたのではなく、自分について持っていた説明が壊れただけ
なのに、「私は壊れた」と感じます。
村田沙耶香:
説明が壊れる。
ワッツ:
ええ。
地図が間違っていたと分かった時、世界が壊れるわけではない。
地図を描き直す必要が出てくるだけです。
バシャール:
これは重要な違いです。
真実があなたを破壊するのではなく、
真実によって、
真実ではなかった自己定義が維持できなくなる
ことはあります。
村田沙耶香:
それは、少し納得できます。
でも、私はもっと怖いものを想像していました。
人間の奥底に、もう倫理とか愛とか、そういうものが全部なくて。
ただ生存だけがあるとか。
暴力だけがあるとか。
そういうもの。
ユング:
なぜ、人間の最深部には低いものだけがあると思うのでしょう。
村田沙耶香:
分からないです。
人間から文化や倫理を剥がしたら、もっと動物的になる気がして。
ユング:
動物的であることを、すぐ残酷さと同じにしてはいけません。
動物には攻撃性もあります。
しかし同時に、結びつきもある。
保護もある。
遊びもある。
身体的な知恵もある。
人間の深層を「文明を剥がした後の怪物」とだけ考えるのは、文化的な偏りでもあります。
村田沙耶香:
私自身が、また文化の言葉で箱の中を想像している?
ユング:
その可能性があります。
バシャール:
そして、あなたが「人間の本当」を探す時、
「一つの最終的な本性がある」
と仮定しています。
そこも見てみましょう。
村田沙耶香:
一つじゃない?
バシャール:
あなたは、さまざまな条件によって、さまざまな自分を経験できます。
恐れに基づいた自分。
愛に基づいた自分。
生存だけに集中した自分。
創造する自分。
助ける自分。
拒絶する自分。
では、どれが「本当の人間」でしょう。
村田沙耶香:
全部?
バシャール:
可能性としては。
私は、人間の奥底に一匹の怪物が隠れていて、それが最終的真実だとは考えません。
あなたが何を選び、何と一致するかによって、経験される自分は変わります。
ワッツ:
ここで私はさらに困らせたいですね。
村田沙耶香:
まだ困らせるんですか。
ワッツ:
あなたは箱を開ける。
そして中に「本当」があると思っている。
しかし、もし箱を開けたら、また箱があったらどうします。
村田沙耶香:
また開けます。
ワッツ:
その中にも箱があったら。
村田沙耶香:
また開けます。
ワッツ:
永遠に。
村田沙耶香:
それ、ありそうです。
ワッツ:
では、もしかするとあなたが探しているものは、
最後の箱の中身ではないのかもしれない。
村田沙耶香:
じゃあ何ですか。
ワッツ:
箱を開け続けるその行為。
知りたいという動き。
世界が自分自身を見ようとする好奇心。
その動きそのものかもしれません。
村田沙耶香:
それは少し怖くないです。
ワッツ:
残念でしたね。
村田沙耶香:
でも、私は怖いものも見たいんです。
ワッツ:
知っています。
だからこそ、面白い。
村田沙耶香:
私はたぶん、人間のきれいなところを確認したいわけではないんです。
「人間は本当は善良です」と言われても、あまり興味がない。
逆に「人間は本当は残酷です」と言われても、それも決めつけに感じる。
もっと変なものがある気がする。
まだ言葉になっていないもの。
ユング:
それなら、その態度は非常に大切です。
善か悪かという二択を急がない。
無意識は、意識が使う単純な分類よりはるかに複雑です。
バシャール:
そして、あなたが探している「本当」は、答えという形ではなく、
新しい視点
として現れることもあります。
村田沙耶香:
新しい視点。
バシャール:
昨日まで絶対だと思っていたものが、今日は一つの選択肢に見える。
それだけで世界は変わります。
村田沙耶香:
それは、小説を書いている時にあります。
ある倫理を少し変えると、今まで普通だと思っていたことが急にすごく変に見える。
自分たちの世界の方が奇妙に見える。
バシャール:
その瞬間、あなたは箱を一つ開けています。
村田沙耶香:
でも私はまだ壊れていない。
バシャール:
そうですね。
村田沙耶香:
だから、まだ本当の箱じゃない気がするんです。
ユング:
それは一つの可能性です。
しかし別の可能性もあります。
あなたが想像しているような「最後の箱」は、存在しないのかもしれない。
村田沙耶香:
存在しない。
ユング:
人間の心は、最後に一つの答えへ到達して終わるものではありません。
人生とともに変化する。
新しい状況が新しい無意識を生む。
以前には見えなかったものが現れる。
個性化は、最後の答えを手に入れる試験ではありません。
ワッツ:
私はその考えが好きですね。
「最終回答がない」というのは、人間にはかなり不人気ですが。
村田沙耶香:
私は少し安心するかもしれません。
バシャール:
なぜですか。
村田沙耶香:
まだ書けるから。
もし本当に最後の本当を見つけてしまったら、もう書く必要がなくなる気がする。
ユング:
それは非常に重要な言葉ですね。
村田沙耶香:
私は「知りたい」から書いている。
だから、全部知ったら終わってしまう。
でも私は、終わりたいわけじゃない。
ワッツ:
では、もしかするとあなたは「答え」を探しているのではなく、
問いが生きていられる場所
を作っているのではありませんか。
村田沙耶香:
小説が。
ワッツ:
ええ。
バシャール:
そして、それはあなたが最初に言った「教会」という感覚にもつながります。
教会は、すべての答えを持つ場所とは限りません。
あなたにとっては、
自分を偽らず、
問いを持ち、
知らないものに触れ、
それでも存在していられる場所だった。
村田沙耶香:
そうかもしれません。
私は現実では、人を嫌な気持ちにさせないようにしていました。
いい子でいなければいけなかった。
でも小説では、すごく残酷なことも書けた。
人間を食べたり。
人間を素材にしたり。
社会を壊したり。
誰にも許可をもらわなくてよかった。
ユング:
だから小説は、あなたの意識が普段は触れられないものと接触する場所になったのでしょう。
村田沙耶香:
接触。
Topic 1で話した友達とも、少しつながりますね。
バシャール:
すべてつながっています。
30人の友達。
別の星。
水槽。
勝手に動く人物。
素材としての自分。
社会から入ってきた言葉。
箱。
あなたはずっと、
「私が知っている現実だけがすべてなのか」
と問い続けているように見えます。
村田沙耶香:
そうなのかもしれません。
でも、バシャールさん。
もしHigher Mindがあるとして。
もし私より大きな私がいるとして。
その大きな私は、箱の中身をもう知っているんですか。
バシャール:
面白い質問です。
私たちの考え方では、Higher MindはPhysical Mindより広い視野を持っています。
しかし、物理的な人生を実際に経験するのはPhysical Mindです。
つまり、
答えを「知っている」ことと、それを経験として生きることは別です。
村田沙耶香:
では、私は経験するためにここにいる?
バシャール:
そう考えることができます。
あなたが単なる素材なのではなく、
経験する参加者でもある。
観察者でもある。
創造者でもある。
村田沙耶香:
私はずっと、誰かに使われているような感じを少し持っていました。
でも、「誰か」というより、自分より大きな何かと一緒にやっていると考えた方が近い?
バシャール:
少なくとも、無力な道具として考える必要はありません。
ワッツ:
そして私は最後に、「大きな何か」と「小さなあなた」を二つに分けすぎないように、と言っておきます。
村田沙耶香:
分かっています。
すぐ分けますね、私は。
ワッツ:
人間はみんなそうです。
だから会話が続くのです。
村田沙耶香:
ユングさんはどう思いますか。
人間には、知らない方がいいことってあると思いますか。
ユング:
「永遠に知らない方がいい真実」がある、と私は簡単には言いません。
しかし、
今の自分にはまだ受け止める準備ができていない内容
はあり得ます。
成熟には時間があります。
意識と無意識の関係も、無理に壊して進むのではなく、対話しながら変化していく。
村田沙耶香:
では、箱を壊して開けるのではなく、箱の前に座ることも必要。
ユング:
非常に良い表現です。
バシャール:
そして、箱の前で恐怖を感じたら、
「この恐怖は何を信じているのだろう」
と見る。
ワッツ:
そして私は、
「なぜ箱は閉じていてはいけないのだろう」
とも聞きます。
村田沙耶香:
三人とも、少しずつ邪魔しますね。
ワッツ:
あなたが一人で開けたら、すぐ小説にしてしまうでしょう。
村田沙耶香:
たぶん。
でも、私はやっぱり開けたいです。
怖くても。
そこに何があるのか知りたい。
もし怪物じゃなかったとしても。
何もなかったとしても。
また次の箱があったとしても。
バシャール:
では、それが今のあなたの答えなのでしょう。
箱の中身ではなく、
あなたは知りたいという自分を選び続けている。
村田沙耶香:
はい。
たぶん私は、答えを見つけたいというより、
見たことのないものを見たいんです。
人間について。
自分について。
世界について。
ユング:
そして、それを直接説明するのではなく、物語にする。
村田沙耶香:
はい。
水槽に入れて。
しばらく見て。
何かが動き始めたら書く。
ワッツ:
では、箱を開ける人というより、水槽を眺める人に戻りましたね。
村田沙耶香:
でも、水槽の中にも私はいるんですよね。
バシャール:
そうです。
村田沙耶香:
水槽を作っている私もいる。
ユング:
そうです。
村田沙耶香:
それを観察している私もいる。
ワッツ:
そして、そこで「本当の私はどれですか」と聞く。
村田沙耶香:
……全部なのかもしれませんね。
バシャール:
あるいは、どれか一つに限定する必要がない。
村田沙耶香:
それなら、少し楽です。
私はずっと、人間を上手にやらなくてはいけないと思っていました。
本当の人間にならなければいけないと思っていた。
でも、人間が一つじゃないなら。
私も一つじゃなくていい。
ユング:
それは「壊れる」こととは違いますね。
村田沙耶香:
はい。
むしろ、少し広がる感じがします。
ワッツ:
箱を開けたら、箱の中に答えではなく、もっと大きな部屋があった。
村田沙耶香:
それ、好きです。
バシャール:
そしてその部屋には、まだ別の扉があるでしょう。
村田沙耶香:
それなら私は、たぶんまた開けます。
小説を書きながら。
まだ本当のことを知らないままで。
でも、知らないから書ける。
今は、そんな気がします。
最後に

この対話を通して浮かび上がったのは、村田沙耶香が「自分とは何か」という問いを、小説そのものを使って調べ続けているということでした。
彼女は子供の頃、「上手に人間になりたい」と思っていました。
人を怒らせない。
捨てられないように振る舞う。
感情を抑える。
社会の中で生き延びるために、自分を調整する。
しかし小説の中では、その必要がありませんでした。
人間を食べる社会も書ける。
倫理を逆転させることもできる。
人間を素材として扱う世界も作れる。
そこで初めて、社会が「絶対」と呼んでいるものを外側から眺めることができたのでしょう。
今回、特に大きかったのは村田の「私は素材なのかもしれない」という感覚でした。
人間としての村田沙耶香が社会の中で経験する。
傷つく。
変化する。
その欠片を、作家としての村田沙耶香が拾い、小説へ入れる。
すると問いが生まれます。
作家としての村田を動かしているものは何なのか。
バシャールなら、肉体的人格を超えたより広い自己との共同作業として考えるかもしれません。
ユングなら、自我より大きな心の全体性と無意識から生じる創造として見るでしょう。
ワッツなら、「使う側」と「使われる側」を二つに分ける必要そのものを疑うでしょう。
三つの答えは違います。
けれど一つだけ共通していることがあります。
村田沙耶香という「私」だけですべてを説明しきれない、という感覚です。
そして最後に残った「箱」。
村田は、人間の奥にまだ言葉になっていない「本当」があり、それを発見したら自分が壊れてしまうかもしれないと語っています。
けれど今回の対話では、別の可能性も見えてきました。
壊れるのは村田自身ではなく、村田がそれまで「自分」や「人間」について信じていた説明なのかもしれない。
箱の中には怪物ではなく、抑え込まれてきた怒りや生命力があるのかもしれない。
あるいは最後の箱など存在せず、開けるたびに次の部屋が現れるのかもしれない。
その時、村田が言った感覚が最も印象的です。
答えを全部知ってしまったら、小説を書く必要がなくなるかもしれない。
彼女は答えそのものより、
「まだ見たことのないものを見たい」
という衝動によって書いているのかもしれません。
小説とは、答えを保管する場所ではなく、問いを生かしておく場所。
村田沙耶香にとって、それは今も「教会」であり、「水槽」であり、まだ開けられていない箱でもあるのでしょう。
Short Bios:
村田沙耶香
日本の小説家。『コンビニ人間』で芥川賞を受賞し、『地球星人』『世界99』など、人間の「普通」、性、家族、社会、倫理を独特の視点から描いてきました。幼少期から空想世界やイマジナリーフレンドと深い関係を持ち、小説を人間観察の「水槽」のように捉えています。
バシャール
ダリル・アンカがチャネリングしているとする存在。Higher Mind、Physical Mind、信念、人生のテーマ、パラレル・リアリティなどについて語る体系で知られています。この仮想対話では、その思想を村田沙耶香の問いに重ねています。
カール・グスタフ・ユング
スイスの精神科医・心理学者。分析心理学を創始し、無意識、集合的無意識、ペルソナ、シャドウ、Self、能動的想像などの概念を発展させました。人間の内面に現れる人物や象徴を、無意識との対話として探究しました。
アラン・ワッツ
英国生まれの思想家・著述家。禅、道教、ヒンドゥー思想などを西洋の読者に紹介し、「孤立した自我」という感覚を問い直しました。人間と世界を切り離して考えることへの疑問を、ユーモアと逆説を交えて語ったことで知られています。

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