はじめに
みなさん、こんにちは。斎藤一人です。
今日は「天国言葉」について、いろんな角度からゆっくり話していくよ。
天国言葉っていうのはね、ただ感じのいい言葉を並べたものじゃないんだ。
人がふだん何を口にしてるか、それが心にも人生にもすごく関係してくるんだよ。
人ってね、いいことがあった時だけ明るい言葉を言えばいいんじゃないんだ。
本当に大事なのは、困った時とか、心が重い時とか、うまくいかない時に何を言うかなんだよ。
そういう時に、自分の心を少しでも明るい方に向けてくれる言葉がある。
それが天国言葉なんだ。
今回出てくるのは、
ありがとう
感謝しています
ついてる
うれしい
楽しい
しあわせ
愛しています
ゆるします
この8つだよ。
どれも短い言葉なんだけど、実はすごく深いんだ。
短いけれど、その中に心の向きも、生き方も、人との関わり方も入ってるんだよ。
今日はこの8つを、ただ意味だけ説明するんじゃなくて、
その言葉が人の心に何を起こすのか、
苦しい時に言うとしたらどういう意味があるのか、
それを口にして生きる人はどんなふうに変わっていくのか、
そういうところまで見ていきたいんだ。
難しい話をしたいわけじゃないんだよ。
むしろ反対で、毎日の暮らしの中でそのまま使える話をしたいんだ。
朝起きた時でもいいし、仕事してる時でもいいし、人と会う時でもいい。
落ち込んだ時でも、ひとりで静かにしてる時でもいい。
そういう時に、この言葉たちがどう生きるかを見ていこうよ。
完璧じゃなくていいんだ。
最初からうまくできなくてもいい。
立派な人になってから使う言葉じゃないんだよ。
今の自分のままで、少しでも心をいい方へ向けたいなと思ったら、それで十分なんだ。
じゃあここから、ひとつひとつの天国言葉を通して、
言葉が人の人生にどんな光を入れるのか、いっしょに見ていこうね。
(本稿に記されている対話はすべて仮想のものであり、実在の人物・発言とは関係ありません。)
テーマ1:ありがとう

参加者
斎藤一人
小林正観
ひすいこたろう
柴村恵美子
本田健
問い1
「ありがとう」は、ただの礼儀ではなく、人の運命や心の流れをどこから変え始めるのか。
ひすいこたろう
「ありがとう」って、出来事への反応じゃないんですよね。
本当は、世界の見え方を変える“入口の言葉”なんです。
人は嫌なことが起こると、「なんでこんな目に遭うんだ」と思う。そこで心の扉が閉まるんです。でも「ありがとう」を入れると、不思議と別の扉が開く。
たとえば失敗しても、「この経験にも何か意味があるのかもしれない」と見えるようになる。
つまり「ありがとう」は、現実をすぐ変えるというより、現実の読み方を変える言葉なんです。そこから人生の流れが変わり始める。
斎藤一人
ありがとうっていうのはね、神様が一番喜ぶ言葉のひとつなんだよ。
人って、足りないものを数え出すと苦しくなるんだ。でも、今あるものを数え出すと、心が上に上がる。
ごはんが食べられる。寝る場所がある。今日も生きてる。そういう当たり前に「ありがとう」を言える人は、顔つきも変わるし、出す波が変わる。
すると、会う人も変わるし、起きることも変わるんだよ。
だから「ありがとう」は礼儀でもあるけど、それ以上に天に向かう心の向きなんだ。
本田健
僕は「ありがとう」には、お金や成功とも深い関係があると思っています。
感謝できる人は、受け取ることに罪悪感が少ないんです。逆に感謝が薄い人は、与えられてもどこかで受け取りきれない。
「ありがとう」は人との間に循環を生みます。
仕事もそうです。お客さんに感謝し、仲間に感謝し、自分の才能にも感謝できる人は、自然に豊かさが回り始める。
人生の流れが変わる起点って、才能より前に、受け取っているものを認識できるかどうかだと思うんです。
小林正観
私が長く見てきたことのひとつに、感謝する人は穏やかで、穏やかな人のところには穏やかな現象が来る、ということがあります。
「ありがとう」は、自分の都合で世界を裁く言葉ではありません。
何かをもらったから言う、助けられたから言う、そういう段階ももちろんあります。でも深くなると、「存在してくれてありがとう」「起きたことにもありがとう」というところに入っていく。
すると、心の抵抗が減るんです。
抵抗が減ると、苦しみも減る。
「ありがとう」は、現象を消すより先に、現象に対する自分の抵抗を静かにほどく言葉なんです。
柴村恵美子
私は「ありがとう」は、女性にも男性にも共通する“つや”の言葉だと思っています。
感謝がある人って、やっぱり表情が明るくなるんです。
しかも面白いのは、心から感謝できる時だけじゃなくて、最初は口ぐせでもいいということ。
朝起きて「ありがとう」、鏡を見て「ありがとう」、お財布を開いて「ありがとう」。
そうすると、自分が雑に扱っていたものまで愛おしく見えてくる。
人生って、急に大きく変わるようでいて、実はこういう小さな感謝の積み重ねで変わる。
「ありがとう」は、自分の日常を聖なるものに戻す言葉だと思います。
問い2
苦しい時、腹が立つ時、感謝できない時にも「ありがとう」と言う意味はあるのか。
小林正観
あります。
ただし、それは無理に心をごまかすという意味ではありません。
感謝できない時に「ありがとう」を言うのは、出来事を好きになるためではなく、自分の心を荒ませないためです。
腹が立つことがあった時、その怒りにさらに火をくべるような言葉を続けると、自分が一番疲れていく。
そこで「ありがとう」と言うと、完全には納得していなくても、心の角が少し丸くなる。
この“少し”が大切なんです。
人は、一気には変われません。でも一言で流れは変えられるんです。
本田健
感謝できない時に無理をしすぎると、逆にしんどくなることもあります。
だから僕は、そういう時は段階があっていいと思うんです。
いきなり出来事そのものに「ありがとう」が難しいなら、
「この気持ちに気づけた、ありがとう」
「支えてくれる人がいる、ありがとう」
そこから入ればいい。
感謝って、きれいごとの押しつけじゃないんです。
人の心には波がある。その波を否定せずに、少しずつ感謝へ戻していく。
そこに本当のやさしさがあると思います。
柴村恵美子
私は、苦しい時こそ言葉の力がわかると思っています。
楽しい時は誰でも「ありがとう」と言えるんです。
でも、悲しい時や悔しい時に、それでも「ありがとう」と小さく言ってみると、自分の中にまだ光が残っているのがわかる。
言葉って、心の結果だけじゃないんですよね。
心を連れていく力もある。
泣きながらでもいい。震えながらでもいい。
そういう「ありがとう」は、きれいじゃなくても、本物です。
私はそういう時の「ありがとう」が、いちばん天に届く気がします。
ひすいこたろう
感謝できない時って、たいてい「この現実は間違ってる」と思ってる時なんです。
でも人生には、あとになって意味がわかる出来事がある。
その“意味がまだ見えていないだけかもしれない”という余白を作るために、「ありがとう」はあるんじゃないかな。
ここで大事なのは、ポジティブのふりをしないことです。
「今は全然わからない。納得もしてない。けど、いつか意味が見えるかもしれないから、ありがとうと言っておく」
そのくらいでいい。
それだけで、絶望の中に一本の細い道ができるんです。
斎藤一人
意味はあるよ。すごくある。
だってね、つらい時に何を言うかで、その人の運勢って変わるんだよ。
苦しい時に、ずっと愚痴と泣き言と悪口を言ってると、ますますそういう現実を呼ぶんだ。
でも、苦しい中でも「ありがとう」って言ってると、神様が「この子、えらいな」って助けやすくなる。
勘違いしちゃいけないのは、我慢大会じゃないんだよ。
つらい時はつらいって言っていいんだ。
その上で最後に「それでもありがとう」って言えると強い。
それが天国言葉のすごさなんだよ。
問い3
「ありがとう」は誰に向かって言う時、いちばん深い言葉になるのか。人か、自分か、見えない存在か、それとも起きた出来事そのものか。
本田健
僕は順番があると思っています。
多くの人は他人には感謝できても、自分には感謝できない。
でも、自分がここまでよく生きてきたこと、自分の才能、自分の弱ささえも抱えてきたことに「ありがとう」と言えないと、どこかで受け取りが止まってしまう。
だから深い感謝は、他人にも向かうし、人生にも向かうけれど、同時に自分自身にも向かうべきだと思います。
「よくここまで来たね、ありがとう」
この一言で救われる人は多いはずです。
斎藤一人
俺はね、全部に言えばいいと思ってるんだよ。
人にも、自分にも、ご先祖にも、神様にも、財布にも、仕事にも、ごはんにも。
なんでかっていうと、この世はみんなつながってるから。
何かひとつだけに感謝するんじゃなくて、全部が自分を生かしてくれてるって気づいた時、人ってものすごく豊かになる。
特に見えないものに感謝できる人は強いよ。
空気、水、運、守られてること。そういうものに「ありがとう」が言える人は、大きく崩れにくい。
感謝の深さは、見えるものを越えた時に広がるんだ。
ひすいこたろう
僕は、いちばん深い「ありがとう」は、“まだ好きになれていない出来事”に向かって言えた時だと思うんです。
人にも感謝できる、自分にも感謝できる、それは素晴らしい。
でも、人生を本当に変えるのは、傷ついた経験や失ったものや、思い通りにならなかった現実に、いつか「ありがとう」が言える時なんじゃないかな。
その時、人は被害者の物語から卒業する。
もちろん簡単じゃないです。
でも、その「ありがとう」は、人生の解釈そのものを書き換える。
そこまで行くと、言葉は祈りになると思います。
柴村恵美子
私は、最終的には自分に言えるとすごく深いと思います。
多くの人が、誰かには「ありがとう」と言えても、自分には厳しい。
がんばっても当たり前、できないと責める、きれいじゃない自分は嫌い。
でも本当は、自分が毎日一番近くで自分を支えてきたんですよね。
だから鏡に向かって、「今日もありがとう」って言うのは、とても大事。
自分への感謝が出てくると、人にもやさしくなれる。
人に向かう「ありがとう」が広がる土台は、案外ここにあると思います。
小林正観
誰に向かってもいいのですが、深さで言うなら、存在そのものへの感謝でしょうか。
つまり、条件つきではない感謝です。
何かをしてくれたからありがとう。助けてくれたからありがとう。そこから始まります。
けれども最後は、「いてくれてありがとう」「起きてくれてありがとう」「今日という日があることにありがとう」というところに至る。
そうなると、感謝は取引ではなくなります。
人は、自分に都合のいい現象だけを歓迎しがちです。
でも存在そのものに感謝が向いた時、心はとても静かになります。
私は、その静けさの中にこそ、本当に深い「ありがとう」があると思います。
この回のまとめ
「ありがとう」は、単なる礼儀ではなく、
現実の見え方を変え、心の抵抗をほどき、豊かさの循環を生み、自分と世界をやわらかく結び直す言葉として語られました。
この5人の話を並べると、それぞれ少しずつ焦点が違います。
- 斎藤一人は、「ありがとう」を天に向かう心の向き、運を変える言葉として語る
- 小林正観は、抵抗を減らし、存在そのものに感謝する静かな境地として語る
- ひすいこたろうは、現実の解釈を書き換える祈りの言葉として語る
- 柴村恵美子は、日常に光とつやを戻し、自分を大切にする言葉として語る
- 本田健は、人間関係と豊かさの循環を開く言葉として語る
こうして見ると、「ありがとう」は一番やさしい言葉のようでいて、実はかなり深いです。
人に言う感謝から始まって、
自分に向かい、
出来事に向かい、
最後は存在そのものに向かう。
そこまで行くと、「ありがとう」は口ぐせを越えて、生き方そのものになります。
テーマ2:感謝しています

参加者
斎藤一人
小林正観
ひすいこたろう
柴村恵美子
本田健
1
「ありがとう」と「感謝しています」は、どう違うのか。なぜ一人さんはこの二つを分けて大切にするのか。
斎藤一人
「ありがとう」もいい言葉なんだけどね、
「感謝しています」には、もう少し深さと広がりがあるんだよ。
「ありがとう」って、その場で何かを受け取った時に出ることが多いんだ。
でも「感謝しています」は、その一回の出来事だけじゃなくて、今までずっと支えられてきたことまで含んで言える。
親にも、仕事にも、お客さんにも、体にも、運にも言える。
だからこの言葉は、瞬間の反応というより、生き方そのものの姿勢なんだよ。
一人さん流に言うと、神様に好かれる人って、感謝が深いんだ。
深い感謝は、人生を軽くしてくれるんだよ。
小林正観
「ありがとう」は、感謝の入口としてとても親しみやすい言葉です。
一方で「感謝しています」は、少し俯瞰した地点から出てくる言葉のように感じます。
「ありがとう」は目の前の現象に対して自然に湧く。
「感謝しています」は、自分が多くのものに生かされていることを、静かに見つめた上で出てくる。
ですから後者には、少し“観照”が入っている。
感情が高ぶった時にも言えますが、むしろ落ち着いた理解の中で出ることが多い。
この違いは小さいようでいて、実は大きいのです。
「感謝しています」には、人生全体へのうなずきがあるのだと思います。
ひすいこたろう
僕の感覚だと、「ありがとう」はハートからこぼれる言葉で、
「感謝しています」は魂が選ぶ言葉なんです。
「ありがとう」は近い。あったかい。
でも「感謝しています」は、もう少し意識的なんですよね。
ただ嬉しいから言うんじゃなくて、
“この現実の中に恩恵を見よう”とする意志が入っている。
その意志があるから、つらい時にも言える。
嬉しい時の「ありがとう」は自然に出るけど、苦しい時の「感謝しています」は、自分の人生を信じる力から出てくる。
そこが面白いんです。
この言葉には、運命への向き合い方がにじむんですよ。
柴村恵美子
私は、「ありがとう」はやさしくて軽やかな言葉、
「感謝しています」はもっと丁寧で、少し背筋が伸びる言葉だと思っています。
たとえば、お世話になった人に「ありがとう」と言うのも素敵です。
でも「感謝しています」と言うと、その人の存在を深く受け取っている感じが出ますよね。
それは相手に対してもそうだし、自分の毎日に対してもそう。
今日も目が見える、歩ける、ごはんが食べられる。
そういう当たり前を流さず、ちゃんと受け取る時に「感謝しています」はとても美しい。
この言葉は、人生を雑に扱わない人の言葉だと思います。
本田健
僕はこの違いを、経済でいう“単発”と“資産”の違いに近いと感じます。
「ありがとう」は、その場で生まれる感謝のやりとり。
「感謝しています」は、感謝の土台が自分の中に積み上がっている状態です。
人間関係でも仕事でも、お金でも同じです。
一回の成功に感謝する人は多い。
でも、ここまで育ててもらったこと、学ばせてもらったこと、失敗も含めて今の自分があることに感謝できる人は強い。
その人は簡単に崩れにくい。
「感謝しています」は、心の残高が豊かな人の言葉なんです。
2
「感謝しています」は、何も起きていない日常の中でこそ大事なのか。それとも試練の中でこそ本当の意味を持つのか。
本田健
両方大事ですが、僕は日常の中で使えるかどうかが土台になると思います。
うまくいった時だけ感謝するのは比較的やりやすい。
でも普通の日、特別なことが何もない日、そこに感謝できる人は人生の幸福度が高い。
なぜかというと、人生の大半は“劇的な出来事”ではなく、普通の一日でできているからです。
その普通を受け取れる人は、豊かさを感じる回数が増える。
試練の時に感謝できるかどうかは、その日常の積み立てがあるかで決まる気がします。
平凡な一日に「感謝しています」と言える人は、強いですね。
柴村恵美子
私も、日常がすごく大事だと思います。
朝の光、きれいなお茶碗、誰かの一言、今日着られる服。
そういうものにちゃんと感謝する人は、顔つきも変わってきます。
それが積み重なると、いざ大変なことが起きた時にも、心が全部暗くならない。
試練の時にだけ急に感謝しようとしても、なかなか難しいんですよね。
でも普段から小さなことを受け取っている人は、苦しい時にも「まだ失っていないもの」に目が行く。
その差は大きいです。
「感謝しています」は、日常を磨いておく言葉でもあると思います。
小林正観
日常と試練は、実はつながっています。
日常に感謝できる人は、現象を大きく裁かなくなっていく。
すると試練が来た時にも、「これは絶対に悪だ」と決めつける力が少し弱まる。
そのぶん、自分を苦しめにくくなるんです。
もちろん、試練の中で感謝するのは簡単ではありません。
しかし感謝というのは、必ずしも“好きになること”ではない。
“抵抗を少し減らすこと”でもあります。
日常における感謝は、その練習のようなものです。
試練の中での感謝は、その練習が深まった姿なのでしょう。
ひすいこたろう
僕は、試練の中でこそ言葉の本当の力が見えると思っています。
でもその力は、普段から言っていないと出にくい。
だから結局は両方なんですよね。
たとえば、何も起きていない時に「感謝しています」と言うのは、世界の静かな美しさを見つける練習。
一方で、しんどい時に言うのは、見えない意味を信じる練習。
前者は幸福を育て、後者は希望を守る。
この二つがそろうと、言葉は本当に生きたものになる。
ただの口ぐせじゃなくて、人生を支える柱になるんです。
斎藤一人
一番いいのはね、いつでも言うことなんだよ。
いいことがあったら感謝しています。
何もなくても感謝しています。
困ったことがあっても感謝しています。
そうすると心が安定するんだ。
人って、出来事で上がったり下がったりしすぎると疲れちゃうんだよ。
でも感謝があると、ちょっと軸ができる。
試練の中で言える人は立派だけど、その前に普段から言ってた方がいい。
筋トレと同じで、普段やってる人の方が本番で強いんだ。
感謝って、心の筋肉なんだよ。
3
「感謝しています」を深く生きる人は、どんな人になっていくのか。顔つき、人間関係、運、仕事はどう変わるのか。
柴村恵美子
私は、やっぱり顔が変わると思います。
感謝がある人って、やわらかいんです。
同じ年齢でも、責める癖が強い人と、感謝のある人では、表情の明るさが全然違う。
それはお化粧では作れないし、服だけでも出せない。
内側からにじむ雰囲気なんですよね。
人間関係でも、感謝のある人のそばには安心感があります。
相手を当然と思わないから、空気がきれいになる。
そうすると人も運も集まりやすくなる。
「感謝しています」は、自分を美しく育てる言葉でもあると思います。
ひすいこたろう
感謝を深く生きる人って、人生の被害者じゃなくなっていくんですよ。
何が起きても、もちろん傷つくし、悩むし、迷う。
でもどこかで、「この出来事から受け取れるものは何だろう」と考えられるようになる。
その視点が出てくると、人は強くなります。
強いといっても、硬い強さじゃない。
しなる竹みたいな強さです。
仕事でも、人間関係でも、その人のまわりには不思議と物語が生まれていく。
助けてくれる人が増え、偶然が増え、意味のある出会いが増える。
それは、感謝が現実の読み方を変えているからだと思います。
小林正観
感謝して生きる人は、穏やかになっていきます。
穏やかな人は、周囲の人を安心させます。
安心できる場には、争いが少なくなる。
ですから、感謝というのは個人の内面だけの話ではなく、場の質にも影響するのでしょう。
仕事でも同じです。
能力が高いかどうかだけではなく、この人と一緒にいると落ち着く、この人といると気持ちがやわらぐ、そういう信頼が生まれる。
感謝は、声高に主張しません。
しかし静かに人を変え、関係を変えていく。
その結果として、人生全体の風通しがよくなるのだと思います。
斎藤一人
感謝してる人はね、運が良くなるんだよ。
これは本当なんだ。
なんでかっていうと、感謝してる人は嫌な波を出しにくいから。
怒りとか不平不満ばっかり出してる人のところには、そういうものが集まりやすい。
でも感謝してる人は、明るい波を出す。
すると、助けてくれる人、いい話、商売のチャンス、そういうのが来やすくなる。
顔つきも変わるし、声も変わるし、言葉も変わる。
結局、人生ってその人の出してるもので決まるところがあるんだよ。
感謝してる人は、天に応援されやすいんだ。
本田健
僕は、感謝を深く生きる人は“受け取れる人”になっていくと思います。
愛も、応援も、お金も、学びも、受け取れる。
受け取り下手な人は、せっかく与えられても、疑ったり、遠慮したり、価値を認められなかったりする。
感謝している人は、「自分はたくさん受け取って生きてきた」とわかっているから、自然に循環に入れるんです。
その人は与えることにも無理がない。
仕事では信頼が増え、人生では豊かさが増え、人間関係では温かさが増える。
感謝は精神論に見えて、実はとても現実的な力だと感じます。
この回のまとめ
「感謝しています」は、
その場の出来事に対する「ありがとう」よりも、
もっと深く、広く、人生全体に向かって開かれた言葉として語られました。
この5人の話を重ねると、
- 斎藤一人は、神様に好かれ、運の流れが変わる言葉として語る
- 小林正観は、人生全体に静かにうなずく姿勢として語る
- ひすいこたろうは、運命の意味を信じる意志の言葉として語る
- 柴村恵美子は、日常を丁寧に生き、自分を美しく整える言葉として語る
- 本田健は、豊かさを受け取り、循環に入る土台の言葉として語る
こうして見ると、「感謝しています」は
単なる丁寧な言い換えではありません。
それは、一瞬の感謝を、生き方の感謝へ育てた言葉です。
「ありがとう」が心からこぼれる光なら、
「感謝しています」は、その光を人生全体に広げていく在り方です。
テーマ3:ついてる

参加者
斎藤一人
小林正観
ひすいこたろう
柴村恵美子
本田健
1
「ついてる」とは、実際に運がいいという意味なのか。それとも、現実の見方を変えるための言葉なのか。
本田健
僕は両方だと思っています。
最初は、現実の見方を変える言葉として使うことが多いでしょうね。
人は同じ出来事に出会っても、「最悪だ」と受け取る人もいれば、「ここから学べる」と受け取る人もいる。
その差は小さく見えて、人生全体ではかなり大きい。
「ついてる」と言う人は、失敗の中でもチャンスを見つけやすい。
人との出会いでも、お金のことでも、仕事でも、そういう姿勢の人には流れが来やすいんです。
ですから最初は見方を変える言葉でも、続けているうちに本当に運のいい人になっていく。
そういう面があると思います。
斎藤一人
「ついてる」はね、ただの気休めじゃないんだよ。
人は自分の言った通りの人生になりやすいんだ。
「ついてない、ついてない」って言ってる人は、本当にそういうものを集めちゃう。
でも「ついてる」って言ってる人は、神様が味方しやすいんだよ。
たとえば同じ失敗をしても、「ついてる、これで大きな失敗を一個先に消せた」と言う人と、「最悪だ」で終わる人では、その先が違う。
この言葉は、現実を無視する言葉じゃない。
現実の中から光を拾う言葉なんだ。
それを続けてると、本当に運の流れが変わってくるんだよ。
柴村恵美子
私は「ついてる」は、人生をかわいがる言葉だと思っています。
小さなことでも、「今日もついてる」「この出会いもついてる」と言う人は、毎日が少しずつ明るくなるんですよね。
顔つきも変わるし、姿勢も変わる。
運がいい人って、特別な奇跡が多い人というより、日々の中の恵みをちゃんと受け取っている人だと思うんです。
その受け取り方が変わると、気持ちも変わるし、まわりから見える印象も変わる。
その結果として、本当に良い流れが来やすくなる。
だから「ついてる」は、見方を変える言葉であると同時に、運の通り道をきれいにする言葉でもあると思います。
小林正観
「ついてる」という言葉には、現象をどう解釈するかという大切な要素が含まれています。
人は、自分に都合の良いことが起きた時だけを幸運と呼びたがります。
しかし、あとになって振り返ると、あの時の不都合があったから今がある、ということは少なくありません。
その意味では、「ついてる」は、まだ意味がわかっていない現象に対しても、可能性を閉じない言葉だと言えるでしょう。
すぐに結論を出して嘆く代わりに、「これも何かの流れの中にあるのかもしれない」と受け止める。
そこに静かな余裕が生まれます。
その余裕が、人を穏やかにし、結果として良い現象を呼びやすくするのではないでしょうか。
ひすいこたろう
僕は「ついてる」って、世界に対する宣言だと思うんです。
「私は不運に飲まれる側じゃない」っていう宣言。
もちろん現実には嫌なことも起きます。
でも、そのたびに「ついてない」で閉じるか、「ついてる、ここにも何かある」で開くかで、物語はまるで変わる。
人生って、出来事そのものより、そこにどんな意味を与えるかで変わるんですよね。
「ついてる」は、その意味づけを明るい方へずらす魔法みたいな言葉です。
でもそれは空想じゃない。
意味を変えると行動が変わる。行動が変わると出会いが変わる。出会いが変わると人生が変わる。
その一番最初のスイッチが、「ついてる」なんだと思います。
2
嫌なことが起きた時にまで「ついてる」と言うのは、本音を無視しているのか。それとも強い生き方なのか。
ひすいこたろう
本音を消してまで言うなら苦しくなるでしょうね。
でも、本音がつらい中で、それでも「この出来事にもまだ見えていない意味があるかもしれない」と言うなら、それはとても強い態度だと思います。
大事なのは、悲しみや怒りを否定しないことです。
「悔しい、苦しい、でも最後にひとつだけ言うなら、ついてる」
そのくらいでも十分なんです。
この言葉のすごさは、感情をすぐ消すことではなく、絶望の出口を閉じないところにある。
僕はそこに強さを感じます。
小林正観
何でも明るく言えばよい、ということではありません。
感情は自然に起きるものですから、まずはそう感じている自分を否定しない方がよいでしょう。
ただ、現象に飲み込まれ続けると、心はどんどん重くなります。
そこで「ついてる」と言うのは、無理に元気になるためではなく、自分の解釈をひとつに固定しないためです。
今は嫌なことに見えても、あとから意味が見えることもある。
その余白を残しておく。
そういう意味で、この言葉は感情を押し殺すものではなく、心を硬直させない知恵なのだと思います。
斎藤一人
強い生き方なんだよ。
ただし、苦しいのに無理して笑えって話じゃないんだ。
泣きたきゃ泣いていいし、困ったら困ったって言っていい。
その上で、最後に「でも、ついてる」って言えると強いんだよ。
なんでかっていうと、その一言で波が変わるから。
人は嫌なことがあると、そこから悪い言葉をどんどん足しちゃうんだ。
でも「ついてる」で止めると、流れが暗くなりすぎない。
これはごまかしじゃない。
自分の人生を不運に明け渡さないってことなんだよ。
柴村恵美子
私は、「ついてる」は自分を守る言葉でもあると思っています。
嫌なことがあると、自分を責めたり、人を責めたり、未来まで暗く見たりしやすいですよね。
その時に「ついてる」と言うと、全部が一気に変わるわけではないけれど、心の中に小さな明かりがつくんです。
その明かりがあると、人は自分をそんなにぞんざいに扱わなくなる。
だから無理に元気なふりをするのではなく、自分の心に光を絶やさないために言う。
私はそう考えると、この言葉はとてもやさしくて、しかも強いと思います。
本田健
僕は、現実逃避になる言い方と、現実を引き受けた上での言い方は違うと思っています。
問題を見ないために「ついてる」と言うなら危ない。
でも問題を見た上で、「この中にも学びや次の扉がある」と言うなら、とても健全です。
人生がうまくいく人って、いつも順風満帆な人ではありません。
つまずいた時に、どう意味づけして、どう立て直すかが上手な人です。
その立て直しの言葉として「ついてる」はすごく強い。
感情も事実も見た上で、それでも前を向ける言葉なんですよね。
3
「ついてる」を生きる人は、どんな空気をまとう人になるのか。人間関係、仕事、お金、運命はどう変わるのか。
柴村恵美子
まず空気が明るくなると思います。
「ついてる」を言っている人は、華やかさというより、軽やかさが出るんですよね。
何かが起きても全部を重たくしすぎない。
その軽さがある人のそばには、人が集まりやすいです。
仕事でも、こういう人と一緒にいたいと思われやすい。
お金も、人も、運も、暗くて重いところより、明るくて心地よいところに流れやすい。
「ついてる」は、自分の内側だけじゃなくて、自分のまわりの空気まで変える言葉だと思います。
本田健
仕事やお金の面で見ると、「ついてる」と言える人はチャンスへの反応が早いですね。
失敗しても立ち直りが早いし、出会いにも前向きです。
そういう人は、結果として経験の量が増える。
経験が増えると、成功の確率も上がる。
つまり「ついてる」は単なる気分の問題ではなく、行動量や決断の質にも影響するんです。
人間関係でも、運の良い人は愛され上手なことが多い。
その背景には、世界を信じている感じがあります。
その感じが人を安心させ、応援を呼び込むんだと思います。
小林正観
「ついてる」を生きる人は、どこか穏やかな人になるように思います。
現象をすぐに敵と見なさないので、心の波が少し静かになる。
その静けさは、相手にも伝わります。
人は、いつも不機嫌な人より、少し余裕のある人のそばにいたいものです。
そうした関係性の積み重ねが、結果として良い仕事や良い縁につながっていくのでしょう。
運命というものを大げさに語らなくても、毎日の受け止め方が人を変え、人が現実を変えていく。
「ついてる」は、その起点になりうる言葉だと思います。
ひすいこたろう
「ついてる」を生きる人って、人生の編集者になるんです。
何が起きても、そのまま不幸の脚本にしない。
「ここからまだ面白くなるかもしれない」と、物語を書き換えていく。
そういう人には、不思議と偶然が増えます。
偶然って、起きている数が増えるというより、気づける数が増えるんですよね。
出会いも、ヒントも、助けも、以前なら見逃していたものが見えるようになる。
そうなると、運命は固定されたものじゃなくて、対話できるものになっていく。
僕はその感覚が「ついてる」の本質に近い気がします。
斎藤一人
「ついてる」を言ってる人はね、顔が違うんだよ。
明るいし、楽しそうだし、助けたくなる。
神様もそういう人を応援しやすいんだ。
それでね、商売でも何でもそうだけど、最後は人なんだよ。
人が応援してくれる人は強い。
「ついてる」を言ってる人は、不思議と応援が入る。
いい話も来るし、お金の流れも良くなる。
何より、その人自身が人生を面白く生きられる。
運がいい人って、生まれつきだけじゃないんだよ。
口ぐせで、かなり変えられるんだ。
この回のまとめ
「ついてる」は、
ただの強がりでも、楽観でもなく、
現実の意味づけを変え、運の流れを明るい方へ向ける言葉として語られました。
この5人の話を重ねると、
- 斎藤一人は、神様に応援される波を出す言葉として語る
- 小林正観は、まだ意味の見えない出来事にも余白を残す知恵として語る
- ひすいこたろうは、人生の物語を書き換える宣言の言葉として語る
- 柴村恵美子は、自分と日常の空気を明るく守る言葉として語る
- 本田健は、見方を変え、行動を変え、結果として運を育てる言葉として語る
こうして見ると、「ついてる」は
現実を否定する言葉ではありません。
むしろ、現実を見た上で、その中にまだ残っている光を見つけるための言葉です。
嫌なことが起きても、
そこで「ついてない」で閉じるのではなく、
「ついてる」と言って、人生との対話を続ける。
そこに、この言葉の力があります。
テーマ4:うれしい

参加者
斎藤一人
小林正観
ひすいこたろう
柴村恵美子
本田健
1
「うれしい」は、ただ感情を表す言葉なのか。それとも人生を明るくする実践なのか。
小林正観
「うれしい」は、単なる感情の表現で終わることもありますが、丁寧に見ていくと、それ以上の働きがあります。
人は日々たくさんの出来事に出会いますが、その多くを無意識に通り過ぎています。
その時に「うれしい」と言葉にすることは、自分が受け取った恵みをきちんと意識することでもある。
つまり、喜びを確認する作業です。
確認された喜びは、心の中にちゃんと残ります。
確認されない喜びは、すぐに消えてしまう。
その意味で「うれしい」は、幸福を増やすというより、すでにある幸福を見失わないための言葉だと思います。
斎藤一人
「うれしい」ってね、すごく大事なんだよ。
人はうれしいことがあっても、案外すぐ流しちゃうんだ。
でもちゃんと「うれしい」って言うと、そのうれしさが心に入るんだよ。
神様ってね、喜んでる人が好きなんだ。
だから「うれしい」を言う人のところには、またうれしいことが来やすい。
大きなことがなくてもいいんだよ。
ごはんがおいしい、天気がいい、会いたい人に会えた、それで十分うれしいんだ。
そういう人は毎日が明るくなるし、運もよくなる。
「うれしい」は、喜びを呼ぶ口ぐせなんだよ。
ひすいこたろう
僕は「うれしい」って、人生の小さな奇跡に拍手する言葉だと思うんです。
人は何か特別なことが起きた時だけ、喜ぶ資格があると思い込みがちです。
でも本当は、今日ここにいることも、誰かの言葉に救われることも、ふと心がほどけることも、全部かなり奇跡なんですよね。
その時に「うれしい」と言える人は、世界との関係が変わっていく。
世界が敵ではなく、贈り物をくれる場に見えてくる。
そうなると、人はどんどん生きやすくなる。
「うれしい」は感情の実況であると同時に、人生を祝福として受け取る技術でもあると思います。
柴村恵美子
私は「うれしい」って、女性にも男性にも共通する、すごくきれいな言葉だと思っています。
喜びを素直に言える人って、場の空気を明るくするんですよね。
しかも「うれしい」は、無理に元気に見せる言葉じゃなくて、ちゃんと感じた喜びをそのまま差し出せる。
だからすごく自然なんです。
この自然さが大事で、喜びをちゃんと口にする人は、自分の毎日を雑に扱わなくなる。
小さな幸せも取りこぼしにくくなる。
「うれしい」は、日常に光を見つけた人の言葉だと思います。
本田健
僕は「うれしい」を言える人は、受け取り上手だと思います。
嬉しいことが起きても、「こんなの大したことない」と流してしまう人は、豊かさも受け取りにくい。
反対に、小さなことにも「うれしい」と反応できる人は、人生から受け取る量が多いんです。
仕事でも人間関係でも同じです。
喜びを感じる感度が高い人は、周囲との循環もよくなります。
一緒にいて気持ちがいいし、応援したくもなる。
「うれしい」は気分の問題に見えて、実は豊かさを増やす受信力に深くつながっていると思います。
2
大人になると「うれしい」を素直に言いにくくなることがある。それはなぜか。どうしたら取り戻せるのか。
本田健
大人になると、喜びをそのまま出すことにブレーキがかかる人が多いですね。
子どもっぽく見られたくない、浮かれていると思われたくない、がっかりした時の反動を小さくしたい。
そういう理由が重なって、感情を抑える癖がつくんです。
でもその癖は、悲しみだけではなく喜びまで小さくしてしまう。
取り戻すには、まず小さなところからでいいと思います。
「これ、うれしいな」と一人で言う。
人に大げさに伝えなくても、自分で認めるだけで違う。
喜びを認める力は、人生の質をかなり変えます。
柴村恵美子
私は、多くの人が「うれしい」を遠慮している気がします。
こんなことで喜ったら恥ずかしい、私なんかがうれしがってはいけない、そういう気持ちがどこかにある。
でも本当は、うれしいことをちゃんとうれしいと言うのは、とても上品で美しいことなんですよね。
人の幸せを奪うわけでもないし、自分を飾るわけでもない。
ただ、命が喜んだことをそのまま表すだけです。
その感覚を取り戻すには、自分の心を否定しないことだと思います。
「これがうれしいんだな」と受け入えるだけで、ずいぶん変わります。
ひすいこたろう
大人は、傷つかないために鈍くなることがあるんです。
うれしいと感じるということは、心が開いているということだから、同時に傷つく可能性も引き受けることになる。
だからいつの間にか、期待しない、喜ばない、平らでいようとする。
でもそれって、痛みを減らす代わりに、感動まで減らしてしまうんですよね。
「うれしい」を取り戻すには、少し勇気がいります。
小さなことに心を動かされることを、自分に許す勇気です。
それがある人は、人生の色を取り戻していきます。
「うれしい」は、心がまだ生きている証でもあるんです。
斎藤一人
みんなね、かっこつけすぎなんだよ。
うれしいのに、平気な顔してる。
でもそれ、もったいないんだ。
うれしい時は「うれしい」って言えばいいんだよ。
喜べる人は得なんだ。
同じことが起きても、うれしがれる人の方が人生が何倍も楽しい。
それに、喜んでる人を見ると、まわりも明るくなるんだよ。
だから遠慮しなくていいんだ。
うれしいことがあったら、ちゃんとうれしいって言う。
それだけで、天国に一歩近づくんだよ。
小林正観
人は年齢を重ねると、感情を整理することを覚えます。
それ自体は悪いことではありません。
ただ、その整理が行きすぎると、素直な喜びまで表に出しにくくなるのでしょう。
喜びを表すことは、少し無防備になることでもあります。
しかし、無防備であることは弱さではありません。
安心の中で喜びを表せる人は、むしろ自然です。
取り戻すには、まず自分の中に起きた小さな喜びを、急いで評価しないことです。
大きいか小さいか、立派かどうかではなく、ただ「うれしい」と受け止める。
その静かな習慣が、素直さを戻してくれるのだと思います。
3
「うれしい」を口にする人は、どんな人生になっていくのか。人間関係、運、仕事、心はどう変わるのか。
ひすいこたろう
「うれしい」を口にする人は、世界との間にあたたかい循環が生まれていくと思います。
なぜかというと、喜びを表現すること自体が、相手への贈り物になるからです。
たとえば誰かがしてくれたことに、心から「うれしい」と返せる人は、その場に物語を生みます。
その物語は、人の心に残る。
仕事でも人間関係でも、記憶に残る人って、理屈だけじゃなく、ちゃんと喜べる人なんですよね。
しかも「うれしい」を言える人は、自分の人生の中に希望の種を見つけやすい。
そういう人は、苦しい時にも完全には沈まない。
喜びを知っているからです。
斎藤一人
「うれしい」を言う人はね、明るいんだよ。
明るい人には人が集まるんだ。
商売でも何でもそうだけど、一緒にいて気分がいい人は強いんだよ。
それでね、うれしいって言ってる人には、またうれしいことが来る。
これは本当なんだ。
喜びって連れてくるんだよ、次の喜びを。
反対に、何があっても文句ばっかり言う人は、せっかくいいことが来ても気づけない。
だから「うれしい」は、運を育てる言葉でもあるんだ。
人生を楽しめる人は、口ぐせが違うんだよ。
小林正観
喜びを表せる人は、まわりの人を安心させます。
何かをしてもらった時に、相手が素直に喜んでくれると、人は嬉しいものです。
そのやりとりが続くと、関係はやわらかくなります。
ですから「うれしい」は、自分の内面に留まらず、場の空気も変えていくのでしょう。
心の面でも大きいですね。
日常の中で喜びを見つけられる人は、現象を必要以上に敵視しにくい。
そのぶん、穏やかに生きられる。
穏やかさは、派手ではありませんが、人生の質を静かに高めるものだと思います。
本田健
仕事では、「うれしい」を言える人は信頼されやすいですね。
感謝と似ていますが、少し違って、喜びの共有ができる人なんです。
取引だけじゃなく、関係が育つ。
人は、自分の存在や仕事が誰かの喜びになったと実感できると、もう一度その人に力を貸したくなる。
だから「うれしい」は、人間関係の循環を強くする言葉でもあります。
お金の面でも、喜びを感じる力がある人は、豊かさを楽しめます。
楽しめる人は、受け取ることに罪悪感が少ない。
そこも大きいと思います。
柴村恵美子
私は、「うれしい」をちゃんと言える人は、どんどんかわいらしくなると思います。
年齢と関係なくです。
かわいらしさって、幼いということではなくて、喜びが素直に出ることなんですよね。
そういう人のまわりは空気が明るいし、誰かに何かをしてもらった時も、その喜びがちゃんと伝わる。
だから応援されやすいし、愛されやすい。
自分の心に対しても同じで、「うれしい」を言える人は、自分の人生を大切に扱っている。
それが顔にも、雰囲気にも、毎日の選び方にも出てきます。
すごく素敵な変化だと思います。
この回のまとめ
「うれしい」は、
ただ喜びを伝える言葉ではなく、
日常の中にある幸福を見つけて、ちゃんと受け取るための天国言葉として語られました。
この5人の話を重ねると、
- 斎藤一人は、喜びを呼び、運を育てる口ぐせとして語る
- 小林正観は、すでにある幸福を見失わないための静かな確認として語る
- ひすいこたろうは、人生の小さな奇跡に拍手する言葉として語る
- 柴村恵美子は、日常を明るく美しくする素直な表現として語る
- 本田健は、豊かさを受け取る感度を高める言葉として語る
こうして見ると、「うれしい」は子どもっぽい言葉ではなく、
むしろ喜びを受け取れる成熟した心の言葉です。
うれしいことがあった時に、
照れずに、流さずに、ちゃんと「うれしい」と言う。
それだけで人生の明るさはかなり変わる。
この言葉は、そのことを教えてくれます。
テーマ5:楽しい

参加者
斎藤一人
小林正観
ひすいこたろう
柴村恵美子
本田健
1
「楽しい」は、ただ気分がいいということなのか。それとも人生を支える大事な力なのか。
柴村恵美子
私は「楽しい」って、ただ浮かれることではないと思っています。
本当に楽しい人って、心が軽いんですよね。
軽いから、いいものを受け取りやすい。
人の親切も、仕事のチャンスも、日常の小さな幸せも、ちゃんと入ってくる。
逆に、どんなに恵まれていても、心が重いと何も楽しめなくなってしまう。
だから「楽しい」は、気分の話に見えて、実は生き方そのものに関わっている気がします。
自分の毎日を明るく受け取る土台みたいなものですね。
斎藤一人
楽しいって、すごく大事なんだよ。
人はね、苦しい顔して頑張るのが立派だと思いすぎなんだ。
でも神様は、楽しそうに生きてる人が好きなんだよ。
同じ仕事でも、つまらなそうにやる人と、楽しそうにやる人がいる。
そしたら、どっちに人が集まるかって言ったら、楽しい人なんだ。
「楽しい」はただの気分じゃないよ。
運をよくするし、人も呼ぶし、知恵も出る。
楽しく生きるって、立派な才能なんだよ。
本田健
僕は「楽しい」はエネルギーの質を決める言葉だと思っています。
人は楽しいことをしている時、自然に集中できますよね。
無理に頑張っている時より、学びも深いし、継続もしやすい。
仕事でも人間関係でも同じで、楽しさがある場所には創造性が出やすい。
もちろん、人生にはしんどい時もあります。
でもその中でも、どこに楽しさを見つけるかで、長く続くかどうかが変わる。
「楽しい」は甘さではなく、人生を持続させる大きな力だと思います。
小林正観
「楽しい」という言葉には、現象の中に軽やかさを見いだす働きがあるように思います。
人は義務や責任を重く抱えすぎると、心が縮こまりやすい。
その縮こまりは、視野を狭くしてしまいます。
しかし、少しでも楽しいと感じる余地があると、人はやわらかくなる。
やわらかくなると、物事を一方向だけで見なくなる。
その意味で「楽しい」は、単なる娯楽ではなく、心を固めないための大切な在り方かもしれません。
生きることを必要以上に重くしない知恵、と言ってもよいでしょう。
ひすいこたろう
僕は「楽しい」って、魂の呼吸みたいなものだと思うんです。
楽しい時、人は“自分であること”に無理がなくなる。
誰かになろうとしなくていいし、正しく見せようとしなくていい。
その自然さの中で、人は本来の力を出せるんですよね。
だから「楽しい」は現実逃避の言葉じゃない。
むしろ、自分の命がちゃんと動いているかを確かめるサインなんです。
人生を長く見た時、楽しいを失わない人は、折れにくい人でもあると思います。
2
大人になると「楽しい」より「ちゃんとしなきゃ」が強くなりやすい。どうすれば楽しいを失わずに生きられるのか。
本田健
多くの人は、大人になるほど責任が増えます。
そうすると、ちゃんとやることが最優先になって、楽しいは後回しになりやすい。
でも本当は、楽しいを失うと、ちゃんとする力まで弱っていくことがあるんです。
疲れ切ってしまうからです。
だから大事なのは、責任を捨てることではなくて、その中に楽しさを戻すことだと思います。
この仕事のどこが面白いか、この人との関係のどこがうれしいか、そこを探す。
楽しさは大きなイベントじゃなくて、日々の選び方の中で戻せることが多いですね。
ひすいこたろう
「ちゃんとしなきゃ」って、悪い言葉じゃないんです。
ただ、それだけになると心が息苦しくなる。
人は“正しさ”だけでは長く生きられないんですよね。
面白さや遊び心がないと、魂が乾いてしまう。
楽しいを失わずに生きるには、少しだけ余白を許すことだと思います。
完璧じゃなくていい。
少し遠回りしてもいい。
その余白の中に、笑いや発見や偶然が入ってくる。
楽しいって、きっちり管理された人生の外側から入ってくることが多いんです。
斎藤一人
簡単なんだよ。
自分に「これ楽しいかな」って聞くくせをつければいいんだ。
みんなね、自分に聞いてないんだよ。
世間がどうか、人がどう見るか、そればっかり気にしてる。
でも自分の心が楽しくないと、続かないんだ。
立派でも苦しいだけの人生より、明るくて楽しい人生の方がいいんだよ。
もちろん、やらなきゃいけないこともある。
でもその中でも、笑ってやる工夫はできるんだ。
楽しいを捨てない人は強いんだよ。
小林正観
「ちゃんとする」と「楽しい」は、対立するものではないのかもしれません。
人はしばしば、真面目であることと重たいことを結びつけます。
しかし、本当に落ち着いて物事をしている人は、どこか自然で、無理がない。
その無理のなさの中に、静かな楽しさがあるように思います。
楽しいを失わないためには、まず自分を追い込みすぎないことです。
義務の中にも、工夫や感謝や発見はあります。
それを丁寧に見つけると、人生は少しずつやわらぎます。
やわらいだ心には、楽しさが戻ってきます。
柴村恵美子
私は、楽しいを後回しにしないことが大事だと思います。
多くの人が、「全部ちゃんとしてから、そのあと楽しもう」と考えるんです。
でも、それだと楽しさはずっと先に逃げてしまう。
今日の中で何が楽しいか、今の自分が何に心が弾むか、そこを見てあげることが大切です。
お茶の時間でも、おしゃれでも、会話でも、ちょっとしたことでいい。
そういう小さな楽しさをちゃんと拾う人は、毎日のつやが違ってきます。
楽しいは、ごほうびじゃなくて、生きる中に入れていいものだと思います。
3
「楽しい」を生きる人は、どんな人生になっていくのか。仕事、人間関係、運、心はどう変わるのか。
小林正観
楽しいを大切にする人は、心の風通しがよくなるように思います。
風通しがよいと、現象を深刻に抱え込みすぎない。
もちろん問題が消えるわけではありませんが、必要以上に重くしない分、周囲との関係もやわらかくなります。
楽しい人のそばには、人が安心していられることが多い。
仕事でも、人間関係でも、その安心感はとても大きいでしょう。
人生の質は、外側の出来事だけで決まるわけではなく、どういう空気の中で生きているかでも決まります。
「楽しい」は、その空気を整える言葉なのかもしれません。
柴村恵美子
楽しいを生きている人は、華やかというより、明るいですね。
その明るさが顔にも出るし、話し方にも出る。
人はやっぱり、暗くて苦しそうな場所より、楽しそうであたたかい場所に集まります。
仕事でも、「この人と一緒にいると前向きになれる」と思われる人は強いです。
人間関係でも、楽しいをちゃんと感じられる人は、愛情の表現も自然になります。
そういう人には、運も人も集まりやすい。
楽しいって、人生を軽くするだけじゃなくて、魅力まで育てる言葉なんです。
ひすいこたろう
楽しいを生きる人って、世界に“まだ面白いことがある”と信じている人だと思うんです。
この感覚がある人は、失敗しても終わりにしない。
ここから何が始まるだろう、と見られる。
それって実はすごく強いことなんですよね。
仕事では発想が広がるし、人間関係では遊び心が出るし、心も乾きにくい。
何より、自分の人生を“義務だけの物語”にしなくなる。
楽しさを失わない人は、年齢を重ねても、どこか新鮮なんです。
その新鮮さが運を呼ぶのだと思います。
本田健
仕事で大きいのは、継続力ですね。
楽しいと感じられる人は、長く続けられる。
長く続けられる人は、経験がたまり、実力も育ちやすい。
その差はかなり大きいです。
人間関係でも、楽しいを共有できる相手とは深い信頼が生まれます。
お金の面でも、ただ稼ぐだけより、楽しみながら価値を出せる人の方が長く豊かになりやすい。
楽しいは軽い言葉に見えますが、人生を長期で見た時には、かなり現実的な強さにつながっています。
斎藤一人
楽しいって言ってる人はね、運がいいんだよ。
なんでかっていうと、楽しそうな人にはいい話が来るから。
人も集まるし、応援も入るし、知恵も出る。
楽しくやってる人は、苦労がないわけじゃないんだ。
苦労の中でも楽しくやるくせがあるんだよ。
そこが強いんだ。
人生って、重く考えすぎるとつらくなる。
でも楽しむくせをつけると、同じ人生でも全然違う。
「楽しい」は、天国に近い生き方なんだよ。
この回のまとめ
「楽しい」は、
ただ気分よく過ごすための言葉ではなく、
心を軽くし、人生を続ける力を育て、人も運も引き寄せる天国言葉として語られました。
この5人の話を重ねると、
- 斎藤一人は、神様に好かれ、運をよくする生き方として語る
- 小林正観は、心を固めず、風通しよく生きる知恵として語る
- ひすいこたろうは、魂の呼吸を守り、人生を面白い物語にする言葉として語る
- 柴村恵美子は、日常のつやと明るさを育てる言葉として語る
- 本田健は、継続力や創造性を生む現実的な力として語る
こうして見ると、「楽しい」は軽い言葉ではありません。
むしろ、責任や試練の中でも、心を死なせずに生きるための大事な力です。
楽しいを忘れない人は、
ただ遊んでいる人ではなく、
人生の重さに飲まれずに、自分の命を明るく保てる人なのだと思います。
テーマ6:しあわせ

参加者
斎藤一人
小林正観
ひすいこたろう
柴村恵美子
本田健
1
「しあわせ」とは、何かを手に入れた結果なのか。それとも、今ここで感じる力なのか。
本田健
僕は、しあわせには二つの面があると思っています。
一つは、望んでいたものを得た時に感じるしあわせ。
もう一つは、今あるものをちゃんと味わえる時に感じるしあわせです。
前者は目標や達成に関係していますが、後者は受け取る力に関係している。
多くの人が苦しくなるのは、手に入れることばかりに意識が向いて、味わうことを忘れてしまうからです。
しあわせは未来のゴールでもありますが、同時に、今この瞬間を受け取る感性でもある。
その両方があると、人生はずいぶん豊かになります。
斎藤一人
しあわせってね、どこか遠くにあるもんじゃないんだよ。
今ここで感じられるんだ。
もちろん、お金があるとか、いい仕事があるとか、それもありがたいよ。
でもね、それがそろってても、心がしあわせじゃない人はいっぱいいるんだ。
反対に、そんなに大きなものがなくても、しあわせだなあって言える人もいる。
その違いは何かって言うと、今あるものを見てるか、ないものばっかり見てるかなんだよ。
「しあわせ」って言葉は、今ある恵みに心を合わせる言葉なんだ。
それを言ってる人は、本当にしあわせになっていくんだよ。
ひすいこたろう
僕は、しあわせって“何があるか”より、“どこから世界を見るか”だと思うんです。
同じ部屋にいても、不足から見る人と、恵みから見る人では、まるで別の世界に住んでいるみたいに違う。
しあわせは、奇跡が起きた時だけ訪れる感情じゃなくて、
すでに起きている奇跡に気づいた時に立ち上がる感覚なんですよね。
朝起きられたこと、誰かを思えること、まだ今日があること。
それに気づいた瞬間、しあわせは向こうから来るというより、こちらに姿を現す。
僕にはそんなふうに感じられます。
小林正観
しあわせを“条件が整った時にだけ訪れるもの”と考えると、人生は待ち時間のようになります。
しかし実際には、多くの人が思うほど、条件が完全に整う日は来ません。
ですから、しあわせとは、現象が整うことより、自分の受け止め方がやわらぐことに近いのでしょう。
今ここにあるものを過不足なく見て、その中で穏やかにいられる。
その状態には、強い刺激はないかもしれませんが、深い安らぎがあります。
しあわせは派手ではありません。
むしろ、静かな納得に近いものなのかもしれません。
柴村恵美子
私は、しあわせってすごく日常的なものだと思っています。
特別な舞台に立たなくても、誰かに褒められなくても、今日きれいにお茶が飲めた、好きな服を着られた、気持ちよく眠れた、そういうことの中にちゃんとある。
でも人は、しあわせを大きく考えすぎて、今の小さなしあわせを見落としてしまうんですよね。
だから「しあわせ」と口にすることは、今の自分の暮らしをちゃんと抱きしめることでもある。
その感覚がある人は、毎日が明るくやわらかくなっていくと思います。
2
つらいことや不安がある時に「しあわせ」と言うのは、本当なのか。それとも無理をしているだけなのか。
小林正観
つらさや不安がある時に、何も感じていないふりをして「しあわせ」と言うなら、それは苦しくなるでしょう。
しかし、苦しみの中にもなお残っているものを見るという意味でなら、この言葉には深い意味があります。
たとえば、問題はある。けれども今日も息をしている。食事ができる。支えてくれる人がいる。
そうした事実に目を向ける時、「しあわせ」は現実逃避ではなくなります。
すべてが理想通りだからしあわせなのではなく、理想通りでない中にも静かな恵みがある。
そのことに気づく言葉として、この一言は大切なのだと思います。
ひすいこたろう
僕は、「しあわせ」って、苦しみがゼロになった時にしか言えない言葉じゃないと思っています。
むしろ、人生って悲しみと祝福が同じ場所にあることが多い。
涙が出る日でも、誰かのやさしさに触れて、ああ、しあわせだなと思う瞬間がある。
そこに本物がある気がするんです。
しあわせって、完璧な状態の証明じゃなくて、
壊れやすい日々の中でも、まだ光を感じられるということなんじゃないかな。
だから無理に明るくする必要はない。
つらさを抱えたままでも、小さく「しあわせ」とつぶやける時、人はかなり深い場所で生きていると思います。
斎藤一人
本当だよ。
しあわせって、問題が一個もない人の言葉じゃないんだ。
みんな何かしらあるんだよ。
でもその中で、「ああ、ありがたいな、しあわせだな」って言える人は強いんだ。
それはね、ないものよりあるものを見てるからなんだよ。
病気があっても、まだ動くところがある。
悩みがあっても、支えてくれる人がいる。
そういうのを見つけられる人は、心が上向くんだ。
「しあわせ」は無理して言う言葉じゃなくて、暗い中でも光を探せる人の言葉なんだよ。
柴村恵美子
私は、つらい時ほど「しあわせ」という言葉はやさしく使った方がいいと思います。
大きく元気よく言わなくてもいい。
でも、自分に聞いてみるんです。
今の中にも、少しでもしあわせなものはあるかなって。
温かいお茶かもしれないし、きれいな空かもしれないし、誰かのメッセージかもしれない。
その小さなしあわせを見つけて、「ああ、しあわせ」と言えたら、それはすごく本物だと思うんです。
全部が明るく見えなくてもいい。
一か所でも光が見えたら、そこから心は少しずつ戻ってこられると思います。
本田健
僕は、しあわせを“感情のピーク”としてだけ考えない方がいいと思っています。
ハイテンションな喜びではなく、深い安心や納得として考えると、つらい時にもこの言葉は使える。
人生には、課題があっても満たされている瞬間がありますよね。
仕事の不安はある。でも家族と食卓を囲めて、しあわせだなと思う。
将来は見えない。でも今日ここで友人と笑えて、しあわせだと思う。
その感じは偽物ではありません。
むしろ、現実をちゃんと見た上で感じるしあわせの方が、ずっと強いと思います。
3
「しあわせ」を口にしながら生きる人は、どんな人になっていくのか。人間関係、仕事、心、運命はどう変わるのか。
斎藤一人
「しあわせ」って言ってる人はね、顔がやさしくなるんだよ。
それで、人に安心感を与える。
安心感のある人のところには、人もいい話も集まるんだ。
仕事でもそうだよ。
ギスギスしてる人より、しあわせそうな人と組みたいって思うんだ。
それに、自分で「しあわせ」って言ってると、本当にしあわせを探すようになる。
そうすると、嫌なことばっかり見なくなるんだよ。
運命ってね、大きな事件だけじゃなくて、毎日何を見てるかで変わるんだ。
「しあわせ」を言う人は、しあわせな人生を育ててる人なんだよ。
本田健
しあわせを感じられる人は、競争に飲み込まれにくくなります。
もちろん向上心がなくなるわけではありません。
でも、誰かと比べ続けることより、自分の人生を味わうことに重心が移っていく。
そこが大きいですね。
その人は仕事でも、ただ成果を追うだけでなく、価値やつながりを大事にできるようになる。
人間関係でも、足りないものを責めるより、すでにある温かさに気づける。
その結果として、心の豊かさが増えるし、人生全体の満足度も上がっていくと思います。
柴村恵美子
「しあわせ」をちゃんと言える人は、自分の毎日を大切にする人になっていくと思います。
雑に生きなくなるんですよね。
食べるものも、着るものも、人との接し方も、少しずつ丁寧になる。
だって、自分はしあわせなんだって思っている人は、そのしあわせを壊すような扱いをしなくなるから。
それが表情にも雰囲気にも出てきます。
人間関係でも、満たされている人は人に過剰に求めすぎない。
そのぶん、やさしくなれるし、自然に愛されやすくなる。
しあわせって、内側だけの話じゃなくて、生き方の美しさにもつながると思います。
小林正観
しあわせを感じながら生きる人は、穏やかになっていくでしょう。
穏やかな人は、周囲との摩擦を必要以上に増やしません。
そのため、人間関係も静かに整いやすい。
仕事でも、焦りだけで動く人より、落ち着いて取り組む人の方が、結果として信頼を得やすい面があります。
しあわせという言葉は、外に向かって何かを誇示する言葉ではありません。
むしろ、自分の内側の速度を少しゆるめる言葉です。
そのゆるみがある人は、人生を急ぎすぎず、必要なものを必要な形で受け取りやすくなるのだと思います。
ひすいこたろう
僕は、「しあわせ」を生きる人って、人生に対して“もう敵じゃないよ”って言える人だと思うんです。
世界を勝たなきゃいけない場所としてだけ見るんじゃなくて、すでに贈り物を受け取っている場所として見られる。
この視点の変化は大きいです。
人間関係でも、奪われる恐れより、分かち合える喜びが増えていく。
仕事でも、認められるためだけじゃなく、表現するよろこびが戻ってくる。
心の中にも静かな豊かさが流れ始める。
しあわせって、ゴールテープみたいなものじゃなくて、歩き方そのものが変わることなのかもしれません。
この回のまとめ
「しあわせ」は、
何かをすべて手に入れた人だけが言える言葉ではなく、
今ある恵みを受け取り、人生全体をやわらかく抱きしめるための天国言葉として語られました。
この5人の話を重ねると、
- 斎藤一人は、今あるものを見て、心を上向かせる言葉として語る
- 小林正観は、条件より受け止め方を整え、静かな安らぎに入る言葉として語る
- ひすいこたろうは、悲しみの中にも残る祝福を見つける言葉として語る
- 柴村恵美子は、日常を丁寧に抱きしめ、自分の暮らしを美しくする言葉として語る
- 本田健は、比較から離れ、自分の人生を味わう土台の言葉として語る
こうして見ると、「しあわせ」は軽い自己暗示ではありません。
それは、足りないものばかりを見る心を少し休ませて、
すでに与えられているものに気づく力を育てる言葉です。
しあわせは、完璧な人生の証明ではなく、
不完全な毎日の中でも、なお恵みを感じられる心のあり方なのだと思います。
テーマ7:愛しています

参加者
斎藤一人
小林正観
ひすいこたろう
柴村恵美子
本田健
1
「愛しています」は、強い感情の言葉なのか。それとも、生き方そのものを表す言葉なのか。
ひすいこたろう
僕は「愛しています」って、好き嫌いを超えた深いまなざしの言葉だと思うんです。
誰かに夢中になる気持ちも愛の一つですけど、この言葉にはもっと大きな広がりがある。
相手が完璧だから愛するのではなく、不完全さも含めて、その存在に向かって心を開く。
その時の「愛しています」は感情の高まりだけではないんですよね。
むしろ、自分がどう生きるかの選択に近い。
相手を裁きすぎない。
世界を敵にしすぎない。
目の前の命に敬意を向ける。
そういう生き方が、この言葉には入っている気がします。
斎藤一人
「愛しています」ってね、すごく波動の高い言葉なんだよ。
これを言ってる人は、顔つきもやさしくなるし、出す空気も変わる。
愛っていうと男女のことだけ考える人がいるけど、そうじゃないんだ。
仕事にも言える。
お客さんにも言える。
自分の体にも言える。
神様にも言える。
この世のものを大事に思う心があると、人は強くなるんだよ。
「愛しています」は気持ちの言葉でもあるけど、それ以上に、人や物や自分を粗末にしない生き方なんだ。
小林正観
愛は、強い感情として現れることもあります。
しかし長く続く愛は、むしろ静かなものかもしれません。
「愛しています」という言葉も同じで、一時の熱ではなく、存在を受け入れる姿勢として理解すると深まります。
人はどうしても、自分にとって都合の良い相手を愛しやすい。
けれども、本当に深い愛は、相手が自分の期待通りでなくても、なお大切に思うところにあるのでしょう。
そう考えると、「愛しています」は感情の告白というより、存在への敬意と受容を表す言葉だと言えます。
柴村恵美子
私は「愛しています」は、とてもきれいな言葉だと思っています。
ただ熱いだけではなくて、品があるんですよね。
好きというより深くて、でも重たすぎない。
この言葉を口にすると、自分の中の雑な気持ちが少し整う感じがするんです。
人に対してもそうだし、自分に対してもそう。
今日の自分をいやがるんじゃなくて、ちゃんと大切に見る。
その感覚が出てくると、暮らし方まで変わってくる。
だから「愛しています」は、感情のピークというより、やさしく丁寧に生きる姿勢に近いと思います。
本田健
僕は、「愛しています」は関係の質を変える言葉だと感じます。
人間関係の多くは、評価や損得や期待で揺れますよね。
でも愛があると、相手をコントロールするより、理解しようとする方向に心が向く。
仕事でも家庭でもそうです。
愛のない努力は続きにくいし、どこかで乾いてしまう。
愛があると、同じ行動でも出るエネルギーが違う。
そう考えると、「愛しています」は一時の感情というより、人生の中で何を土台にするかを表す言葉だと思います。
2
「愛しています」は、他人に向ける前に自分に向けるべき言葉なのか。それとも自分に言うのは甘えなのか。
斎藤一人
自分に言うのは甘えじゃないよ。
むしろ大事なんだ。
自分のことを嫌ってる人が、人のことを本当に愛するのは難しいんだよ。
自分をいじめながら、他人にだけやさしくしようとしても、どこかで無理が出る。
だから鏡を見て「愛しています」って言ってごらんって言うんだ。
最初は照れるかもしれないけど、そのうち顔が変わるんだよ。
自分に愛を向けられる人は、人にも自然にやさしくなれる。
これ、本当に大事なことなんだ。
本田健
僕も、自分に向けることはとても大事だと思います。
多くの人は、人を愛することは立派だと思っても、自分を愛することには罪悪感を持ちやすい。
でも自己愛と自己中心は別です。
自分を大事にできる人は、自分の限界もわかるし、無理をしすぎない。
そのぶん、人にも安定してやさしくできるんですよね。
自分を愛していない人は、他人からの承認で穴を埋めようとしやすい。
それだと関係が苦しくなる。
だから「愛しています」を自分に向けるのは、甘えではなく土台づくりだと思います。
小林正観
自分を愛する、という言い方に抵抗を感じる人はいるかもしれません。
しかし、少なくとも自分を否定し続けないことは大切でしょう。
人は自分に厳しすぎると、他者に対してもどこかで厳しくなります。
逆に、自分の不完全さを少し受け入れられる人は、他者の不完全さにも寛容になりやすい。
その意味で、「愛しています」を自分に向けるのは、自分を甘やかすことではなく、自分という存在を粗末に扱わないことだと言えます。
その静かな受容が、他者へのやさしさにもつながっていくのでしょう。
柴村恵美子
私は、自分に「愛しています」と言える人って、とても美しいと思います。
誰かに愛されるのを待つ前に、自分で自分を大事にする。
それって、わがままではないんですよね。
むしろ、自分の命をちゃんと扱うっていうことです。
疲れているのに無理をしない。
自分を雑に傷つける言葉を使わない。
そういう日々の選び方に、この言葉は出てくると思います。
自分を愛せる人は、外からの評価に振り回されすぎなくなる。
その落ち着きが、すごく魅力になると思います。
ひすいこたろう
僕は、自分に向ける「愛しています」こそ、いちばん難しいし、いちばん深いと思っています。
人は、自分の失敗も弱さも全部知っているから、自分を許しにくいんですよね。
でも、そういう自分に向かってなお「愛しています」と言える時、何か大きな和解が起きる。
できる自分だけじゃなく、情けない自分、傷ついた自分、がんばりすぎた自分にも向ける。
その愛は、心の奥の孤独をかなりほどいてくれると思うんです。
そしてその人は、他人にも条件つきではないやさしさを向けやすくなる。
自分への愛は、閉じたものではなく、人への愛へ続いていく道なんだと思います。
3
「愛しています」を生きる人は、どんな人になっていくのか。人間関係、仕事、心、運命はどう変わるのか。
本田健
「愛しています」を生きる人は、関係の中で奪うより与える人になっていくと思います。
もちろん我慢するという意味ではありません。
でも、愛がある人は相手を利用するより、どうしたら相手がよくなるかを考えられる。
そういう人は結果として信頼されます。
仕事でも同じで、売ることだけを考える人より、相手の役に立ちたい人の方が長く支持される。
愛はきれいごとに見えて、実はものすごく現実的なんですよね。
関係も仕事も、長く続くものは結局そこに戻る気がします。
小林正観
愛を大切にする人は、心の中の裁きが少し減るのではないでしょうか。
相手をすぐに敵にしない。
自分をすぐに責めすぎない。
その分、心に静けさが増えていく。
人間関係でも、完全さを求めすぎないので、必要以上の摩擦が起きにくくなる。
それはとても大きいことです。
愛は目立つ力ではありませんが、場を整え、関係をやわらげ、人生の流れを穏やかにしていく。
そういう深い働きがあるように思います。
柴村恵美子
「愛しています」を口にする人は、雰囲気がやさしくなります。
やさしいって、弱いということじゃないんですよね。
むしろ、自分も相手も大切にできる強さです。
そういう人のまわりには、安心感があります。
安心感があるから、人も集まるし、愛されやすい。
仕事でも家庭でも、その空気はすごく大きいです。
それに、愛のある人は自分の持ち物や体や日常も丁寧に扱うようになる。
その丁寧さが、人生全体のつやになって出てくると思います。
ひすいこたろう
僕は、「愛しています」を生きる人って、世界との関係がやわらかくなる人だと思うんです。
人生を戦場みたいに感じていた人が、少しずつ“出会う場所”として感じられるようになる。
もちろん嫌なことは起きます。
でも、全部を敵として読むんじゃなくて、その中にも学びやつながりや意味を見ようとする。
そうなると、人はずいぶん生きやすくなるんですよね。
愛って、相手を変える力というより、自分の世界の読み方を変える力なのかもしれません。
その変化は、運命の質まで変えていく気がします。
斎藤一人
愛してますって言ってる人はね、強いんだよ。
なんでかっていうと、愛のある人には神様が味方しやすいから。
怒りとか憎しみばっかりの人は、自分で流れを悪くしちゃう。
でも愛してますって言ってる人は、出すものが明るいんだ。
すると人も寄ってくるし、仕事もうまくいきやすい。
何より自分が楽なんだよ。
愛があると、いちいちトゲトゲしなくてすむから。
「愛しています」は、人生をやわらかくして、運までよくする言葉なんだ。
この回のまとめ
「愛しています」は、
強い感情を伝える言葉でもありますが、
もっと深いところでは、自分と相手と世界を粗末にしない生き方を表す天国言葉として語られました。
この5人の話を重ねると、
- 斎藤一人は、波動を上げ、神様に応援される言葉として語る
- 小林正観は、存在を受け入れ、裁きをやわらげる姿勢として語る
- ひすいこたろうは、不完全さも含めて心を開く生き方として語る
- 柴村恵美子は、自分も日常も丁寧に扱う美しい姿勢として語る
- 本田健は、関係の質を変え、信頼を育てる土台として語る
こうして見ると、「愛しています」は重たい告白の言葉だけではありません。
それは、
自分を傷つけすぎず、相手を裁きすぎず、世界を敵にしすぎないための言葉でもあります。
人に向ける前に自分に向けること。
好きな相手だけでなく、目の前の命そのものに向けること。
そこまで深まると、「愛しています」は感情を超えて、その人の生き方そのものになっていくのだと思います。
テーマ8:ゆるします

参加者
斎藤一人
小林正観
ひすいこたろう
柴村恵美子
本田健
1
「ゆるします」は、相手のしたことを正しいことにする意味なのか。それとも、自分の心を解放するための言葉なのか。
小林正観
私は、「ゆるします」はまず自分の心をしばっているものをゆるめる言葉だと思っています。
相手の行為が正しかった、問題がなかった、という話ではありません。
そうではなく、自分の中に残り続ける怒りや恨みや苦しみを、いつまでも握りしめ続けるのをやめる、ということです。
人は傷ついた出来事そのものより、その出来事を何度も心の中で再生することで苦しみを深めることがあります。
その時、「ゆるします」は過去を消す言葉ではなく、過去に縛られ続けることから少し離れる言葉です。
とても静かですが、大きな力を持った言葉だと思います。
斎藤一人
そうなんだよ。
ゆるしますっていうのはね、相手のためみたいに見えて、実は自分のためなんだ。
腹が立つことをずっと持ってると、自分が苦しくなるんだよ。
それで顔つきも暗くなるし、運も落ちやすい。
相手を憎んでるつもりで、一番損してるのは自分なんだ。
だからゆるしますって言うんだよ。
悪いことをいいことにするんじゃない。
もうそのことで自分の心を汚し続けるのはやめます、ってことなんだ。
これができる人は強いんだよ。
本田健
僕も、ゆるしは心の自由に深くつながっていると思います。
怒りや失望を持つのは自然です。
でも、それを握り続けると、自分のエネルギーがかなり奪われてしまう。
仕事でも人間関係でも、前に進む力が弱くなるんですよね。
だから「ゆるします」は、何も感じないふりをすることではなく、
もうこの出来事に自分の人生を支配させない、という選択に近い。
その意味で、とても現実的な言葉です。
自由になるための言葉だと思います。
ひすいこたろう
僕は「ゆるします」って、心に刺さったままのトゲを抜く言葉だと思うんです。
トゲがあること自体は仕方ない。
人は傷つくし、裏切られるし、悔しい思いもする。
でも、いつまでもトゲを刺したままにしていると、その痛みが自分の物語そのものになってしまう。
ゆるすって、相手を無罪にすることじゃない。
自分がその痛みだけで生きる人にならない、という決意なんですよね。
そこにすごく深い尊さがあると思います。
柴村恵美子
私は、「ゆるします」は自分をやさしく守る言葉だと思っています。
怒っている自分を責めなくていいし、すぐに聖人みたいにならなくてもいい。
でも、ずっと苦しいままでいるより、少しずつでも心をほどいてあげた方が、自分はきれいになっていく。
ゆるせないままでいると、表情も空気も重たくなりやすいんですよね。
だから「ゆるします」は、相手を持ち上げる言葉ではなく、
自分の中にたまった苦しさを手放していく言葉なんだと思います。
2
本当に傷ついた時、ひどいことをされた時にも「ゆるします」と言うべきなのか。無理に言うと逆に苦しくならないのか。
本田健
無理に急いで言う必要はないと思います。
深く傷ついた時には、まず痛かった、悲しかった、悔しかった、と認めることが大事です。
そこを飛ばしてきれいに「ゆるします」と言うと、心の下の方に残ってしまうことがあります。
だから順番があるんですよね。
まず感じる。
次に整理する。
そのあとで、少しずつ手放せるなら手放していく。
その時の「ゆるします」は本物になります。
ゆるしは早さを競うものではないと思います。
ひすいこたろう
僕もそう思います。
本当に痛い時には、「ゆるせない」が正直なこともある。
その正直さを無視すると、自分を二重に傷つけてしまうんですよね。
でも、ずっとゆるせないままでいたいわけでもない。
この二つの間で人は揺れる。
だから「今はまだ無理。でも、いつかここを越えたい」という願いとしての「ゆるします」でもいいと思うんです。
完全にできていなくてもいい。
その方向に心を向けるだけでも、少しずつ景色は変わっていくと思います。
斎藤一人
そうだよ。
無理やりじゃなくていいんだ。
だって人間だもん、腹が立つ時は立つんだよ。
つらい時に無理してニコニコしろって話じゃない。
でもね、最後はゆるした方が得なんだ。
ずっと持ってると、自分の心が重くなるから。
だから最初は「まだ完全には無理だけど、ゆるす方向に行きます」でもいいんだよ。
神様はそういう気持ちもちゃんと見てるんだ。
大事なのは、憎しみの中に住み続けないことなんだよ。
小林正観
ゆるしは、命令されて行うものではないのでしょう。
心がまだ追いついていない時に、形だけ先に整えても苦しくなることがあります。
ですから、まずは自分が傷ついていることを静かに認める。
その上で、少し時間をかけながら、いつまでもこの痛みに支配され続ける必要があるだろうか、と自分に問う。
その問いの先に出てくる「ゆるします」は、自然で深いものになります。
無理にきれいにまとめる必要はありません。
むしろ、正直さを通ったゆるしの方が、静かな強さを持つように思います。
柴村恵美子
私は、ゆるしにはやさしさが必要だと思います。
相手へのやさしさというより、自分へのやさしさですね。
傷ついた自分に、「早くゆるしなさい」と言うのは、少しきつい。
でも、「今は苦しいよね。でも、このままずっと苦しいままじゃつらいよね」と言ってあげることはできる。
その声かけの延長に、「ゆるします」がある気がします。
だから、涙が出る時は泣きながらでもいいし、時間がかかってもいい。
ゆるしは急がなくていいけれど、心の中にその扉だけは閉じないでいたいと思います。
3
「ゆるします」を生きる人は、どんな人になっていくのか。人間関係、仕事、心、運命はどう変わるのか。
柴村恵美子
ゆるせる人は、すごくやわらかくなると思います。
顔つきも、言葉も、雰囲気も変わるんですよね。
ずっと怒りを持っている人は、どこか固い空気が出やすい。
でも、ゆるしのある人は安心感がある。
その安心感があると、人間関係も整いやすいです。
仕事でも家庭でも、完璧を求めすぎない人のそばは、空気がきれいです。
ゆるしますって、弱さじゃなくて、場を明るくする強さなんだと思います。
小林正観
ゆるしのある人は、現象に対する抵抗が少し減っていくのでしょう。
すると、心が静かになります。
静かな心は、周囲にも伝わります。
人間関係の摩擦も、少しずつ減っていく。
仕事でも、失敗や行き違いは避けられませんが、そのたびに強く裁き続けるより、受け止めて整えていける人の方が、長い目で見ると信頼されやすい。
ゆるしは派手な力ではありません。
しかし、人生全体の流れを穏やかにする深い働きがあると思います。
斎藤一人
ゆるしますって言える人はね、運がよくなるんだよ。
なんでかっていうと、余計な怒りをずっと出さないから。
怒りって、すごくエネルギーを使うんだ。
それを手放せる人は、その分だけ知恵も出るし、明るくもなる。
明るい人には人が寄ってくる。
仕事もうまくいきやすい。
それに、ゆるせる人は神様が助けやすいんだ。
ずっとトゲトゲしてる人より、やわらかい人の方が流れがよくなるんだよ。
だからゆるしは、自分の運を上げる道でもあるんだ。
本田健
ゆるしを深く生きる人は、人間関係の中で消耗しにくくなると思います。
誰かの言葉や態度にずっと縛られないからです。
それは自分の集中力や創造力を取り戻すことにもつながる。
仕事ではかなり大きいですね。
過去の怒りにエネルギーを使い続けるより、今やれることに力を向けられる。
その差は長い時間でかなり広がります。
ゆるしは精神論に見えて、人生の使えるエネルギーを増やす、かなり実際的な力だと思います。
ひすいこたろう
僕は、ゆるせる人って“痛みだけで自分を定義しない人”になっていくと思うんです。
傷ついたことは消えない。
でも、それだけが自分の物語じゃない、と言えるようになる。
その時、人は被害者の席から少し立ち上がれる。
すると世界の見え方が変わるんですよね。
まだ愛せるものがある。
まだ始められることがある。
まだ笑える瞬間がある。
そういうものが戻ってくる。
「ゆるします」は、失ったものを全部取り戻す言葉ではないけれど、
失ったままで終わらない人生へ向かわせてくれる言葉だと思います。
この回のまとめ
「ゆるします」は、
相手のしたことを正当化する言葉ではなく、
自分を怒りや恨みの鎖から少しずつ自由にしていくための天国言葉として語られました。
この5人の話を重ねると、
- 斎藤一人は、心を明るくし、運の流れを良くする言葉として語る
- 小林正観は、過去への抵抗をゆるめ、静かな心に戻る言葉として語る
- ひすいこたろうは、痛みだけで自分を決めないための言葉として語る
- 柴村恵美子は、自分をやさしく守り、やわらかい空気を取り戻す言葉として語る
- 本田健は、過去に奪われていた力を取り戻し、前へ進むための言葉として語る
こうして見ると、「ゆるします」は
天国言葉の中でも、いちばん簡単ではない言葉です。
でもその分、いちばん深いところで人を自由にする言葉でもあります。
すぐに完全にゆるせなくてもいい。
まずは傷ついた自分を認めること。
その上で、少しずつでも「この痛みに人生を支配させ続けない」と決めること。
その歩みの中で、「ゆるします」は本当の力を持ち始めるのだと思います。
おわりに — 斎藤一人

ここまで天国言葉をひとつずつ見てきたけど、どうだったかな。
最初は短い言葉に見えても、こうして話していくと、それぞれずいぶん深いものがあるんだよ。
ただ口にすればいいっていう話じゃなくて、その言葉が心をどっちに向けるか、そこが大事なんだ。
ありがとうって言えば、今あるものに気づきやすくなる。
感謝していますって言えば、その気づきがもっと深くなる。
ついてるって言えば、苦しい中でも光を探せる。
うれしい、楽しいって言えば、人生の空気が明るくなる。
しあわせって言えば、足りないものばっかり見なくなる。
愛していますって言えば、自分も人も大事にしやすくなる。
ゆるしますって言えば、心の重たい荷物を少しずつ下ろせるんだよ。
こうして見ると、8つの言葉は別々みたいで、ほんとはみんなつながってるんだ。
心を暗い方へ持っていくんじゃなくて、明るい方へ、軽い方へ、やさしい方へ向けてくれる。
だから天国言葉って言うんだよ。
人は生きてると、いろんなことがあるんだ。
いつもごきげんでいられるわけじゃないし、腹が立つ日だってある。
落ち込む日もあるし、何も言いたくない日だってある。
でもね、そんな時でも、どこかでひとつ天国言葉を思い出せると、流れが変わるんだよ。
大事なのは、完璧にやることじゃない。
できない日があってもいいんだ。
つい地獄言葉を言っちゃう日があってもいい。
でも気がついたら、また戻ればいいんだよ。
また、ありがとうって言えばいい。
また、ついてるって言えばいい。
また、しあわせって言えばいいんだ。
人生って、すごいことをするかどうかより、毎日どんな言葉を出してるかの方が大きかったりするんだよ。
言葉は、その人の顔つきを変えるし、出す空気も変えるし、人間関係も変える。
それで運の流れまで変わっていくんだ。
だから、今日ここで話したことは、難しく覚えなくていいんだよ。
ただ、自分の心が少し明るくなる言葉を、ひとつずつ口にしてみればいい。
その小さなくり返しで、人はちゃんと変わっていくからね。
天国言葉っていうのは、立派な人になるための言葉じゃないんだ。
自分の人生を、少しでも明るく、少しでもやさしく、少しでも生きやすくするための言葉なんだよ。
だから今日からまた、気楽にいこう。
ひとつでもいいから、言ってごらん。
ありがとう。
感謝しています。
ついてる。
うれしい。
楽しい。
しあわせ。
愛しています。
ゆるします。
この言葉たちが、これからのあなたの毎日を少しずつ明るくしてくれるからね。
ありがとうございました。
Short Bios:
斎藤一人(さいとう ひとり)
実業家・著述家。銀座まるかん創設者として知られ、豊かさ、言葉、心の持ち方をやさしく説く人生論で多くの読者を持つ。
小林正観(こばやし せいかん)
著述家・講演家。感謝、受け入れる生き方、心の静けさを主題に、多くの人に影響を与えた人物。
ひすいこたろう
作家・言葉の案内人。ものの見方を明るく変える言葉、幸せの感じ方、人生の意味を親しみやすく伝えている。
柴村恵美子(しばむら えみこ)
講演家・著述家。斎藤一人さんの教えをもとに、上機嫌、開運、美しい生き方をやわらかく発信している。
本田健(ほんだ けん)
作家・教育者。お金、仕事、自由、幸せの関係をわかりやすく語り、豊かな人生設計を提案してきた人気著者。

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