はじめに
千年後の私たちは、『源氏物語』をどう読むのか
『源氏物語』は、光源氏という美しく才能ある男性の恋愛物語として知られています。
しかし千年以上読み継がれてきた理由は、それだけではありません。
なぜ源氏は、愛されても女性を求め続けたのでしょう。
紫の上は、最も愛された女性だったとして、本当に幸福だったのでしょうか。
六条御息所の生霊は、単なる嫉妬なのでしょうか。
若い源氏が藤壺との間に作った秘密と、晩年に女三の宮と柏木によって経験する出来事は、なぜ鏡のように重なるのでしょう。
そして地位、富、六条院、愛する人を得た源氏は、なぜ最後に喪失と向き合うのでしょう。
今回の架空の対話では、藤井貞和、三田村雅子ら日本の研究者に、斎藤一人と紫式部を加えました。
研究者たちは本文、物語構造、平安文化、宗教思想から読みます。
斎藤一人は、千年前の出来事を現代の恋愛、人間関係、成功、幸福という問いへ戻します。
そして紫式部は、ときに彼らへ問い返します。
「それは本当に私が書いた物語でしょうか。それとも千年後の皆さまが見つけた物語でしょうか。」
この対話で探したいのは、一つの正解ではありません。
人はなぜ、愛している相手を自分の望む形にしたくなるのか。
成功することと幸福になることは同じなのか。
親の世代から受け取った傷を、次の世代へ渡さずに生きられるのか。
そして物語の最後、浮舟にたどり着いたとき、最初とはまったく違う問いが現れます。
「誰を愛するのか」ではなく、「私はどう生きるのか。」
そこから『源氏物語』を、もう一度読み直してみます。
(本稿に記されている対話はすべて仮想のものであり、実在の人物・発言とは関係ありません。)
Topic 1: 光源氏は、なぜ女性を求め続けたのか?

夕暮れの平安京。
御簾の向こうから薄い光が差し、庭には秋の虫の声が聞こえている。
今夜集まったのは、光源氏を千年後から読み続けてきた研究者たち。そして、男女の愛や幸福について独自の言葉で語ってきた斎藤一人。
その少し離れたところに、紫式部が静かに座っている。
目の前で自分の主人公が分析されるという、不思議な夜だった。
司会が口を開いた。
司会:
最初の質問は、とても単純です。
しかし『源氏物語』を最後まで読んでも、簡単には答えられません。
光源氏は、なぜあれほど多くの女性を求め続けたのでしょうか。
藤井先生、まず「源氏は好色だったから」と考えるだけでは足りないのでしょうか。
藤井貞和:
足りないでしょうね。
もちろん、源氏が多くの女性へ関心を向けること自体は否定できません。
ただ、『源氏物語』では女性との出会いが、一回一回独立して置かれているわけではないんです。
ある女性が別の女性を思い起こさせる。
ある恋愛が過去の恋愛を反復する。
「似ている」
「思い出す」
「面影を見る」
そういうつながりが非常に重要です。
ですから、「女性が好きだから次々に女性を求めた」と説明すると、作品の大切な構造を落としてしまいます。
三田村雅子:
私はもう一つ考えたいですね。
私たちは「源氏が誰を愛したか」を一覧表のように見てしまいがちです。
藤壺。
紫の上。
六条御息所。
明石の君。
朧月夜。
夕顔。
しかし物語を読んでいると、源氏は一人一人の女性から違ったものを受け取っています。
ですから、
「理想の女性を一人探していた」
という説明だけでも足りないと思います。
斎藤一人:
俺はね、もっと簡単なところから聞いてみたいんだよ。
源氏さんは女性が好きだった。
それはそうなんだろうけど、
女性が好きだったのか、女性から愛される自分が好きだったのか。
そこはちょっと違うんじゃないかな。
紫式部:
面白いことをおっしゃいますね。
斎藤一人:
人ってね、誰かを好きだと思っていても、よく見ると、
「その人といると自分がどう感じるか」
を好きだったりするんだよ。
寂しくない。
自分には価値があると思える。
必要とされている。
愛されている。
そういう気持ちをくれる人を求めることがある。
だから俺なら源氏さんに聞きたい。
「あなたは女性を幸せにしたかったのか。それとも女性といることで、自分が幸せになりたかったのか」
って。
藤井貞和:
ただ、そこは文学作品として少し慎重に見たいところですね。
源氏を現代人の恋愛心理だけで説明すると、『源氏物語』の「ゆかり」という構造が見えなくなる。
特に藤壺と紫の上です。
司会:
そこへ行きましょう。
源氏は幼くして母、桐壺更衣を失います。
その後、父である桐壺帝のもとへ藤壺が入内する。
そして藤壺について、
亡き桐壺更衣に似ている
という情報が源氏に与えられます。
さらに源氏は後に、藤壺を思わせる少女、紫の上と出会います。
つまり、
桐壺更衣
↓
藤壺
↓
紫の上
という連鎖があります。
Part 1では、
「源氏は一生、失った母を探していたのではないか」
という仮説が出ました。
三田村先生、これはどこまで成立するのでしょう。
三田村雅子:
非常に魅力的な読み方です。
ただ、「母親を失ったので、その代わりになる女性を探した」と一直線に説明してしまうと、少し単純になりすぎます。
『源氏物語』には、
「似た人」
「面影」
「形代」
「ゆかり」
が繰り返し現れます。
人は失ったものそのものを取り戻せない。
だから別の人の中に、その面影を見る。
これは源氏だけの心理ではなく、作品全体に流れている構造として考えたほうが面白いと思います。
斎藤一人:
それなら、もっと人間的な話になるね。
人って、なくしたものをもう一回欲しがることがあるんだよ。
ただね。
ここで怖いのは、
目の前にいる人を見ているつもりで、別の人を見てしまうこと。
藤壺さんを見ながら、お母さんを見ている。
紫の上さんを見ながら、藤壺さんを見ている。
そうなったら、紫の上さん本人はどこにいるんだろうね。
紫式部が、それまで黙っていた顔を上げた。
紫式部:
千年後の方々は、ずいぶん人の心を分類なさるのですね。
斎藤一人:
怒られちゃったかな。
紫式部:
いいえ。
ただ私は、
「この人は母を探しています」
などとは書いておりません。
私はただ、
似ていることを書いた。
思い出すことを書いた。
届かない人を求めることを書いた。
そして、ようやく手にしたと思ったものも、やがて変わっていくことを書いた。
それを「母を探している」と呼ぶのは、皆さまなのですね。
藤井貞和:
そこは非常に大事だと思います。
作者の意図を推測することと、作品に実際に存在する構造を読むことは分けなければいけない。
桐壺更衣から藤壺、紫の上へと続く類似は作品にあります。
しかし、
「したがって源氏は母の代替を求めた」
まで行くと、それは解釈になります。
司会:
では、逆に聞きましょう。
もし藤壺が桐壺更衣に似ていなかったら、源氏は藤壺をあれほど愛したのでしょうか。
少し沈黙が流れた。
三田村雅子:
答えられない問いですね。
しかし、その「答えられなさ」が大切だと思います。
人間の愛は、
その人自身への愛なのか。
その人が呼び起こす記憶への愛なのか。
その人といる自分への愛なのか。
完全に分離できないからです。
斎藤一人:
そうそう。
恋愛って、「あなたのここが好きだから、私はあなたを100パーセント客観的に愛しています」なんてものじゃないからね。
自分の寂しさも入る。
昔の経験も入る。
憧れも入る。
欲も入る。
だから、混ざっていること自体が悪いわけじゃない。
問題は、
相手を見なくなっちゃうことだよ。
紫式部:
では一人さま。
もし源氏が、本当に紫の上を愛していたとしても、彼女の中に藤壺の面影を求めていたとしたら、その愛は偽物でしょうか。
斎藤一人:
偽物とは言わないな。
そこが人間の面白いところなんだよ。
本当に愛してる。
でも自分の都合も入ってる。
本当に大切にしてる。
でも失いたくない。
幸せにしてあげたい。
でも自分のそばにいてほしい。
両方あるんだよ。
藤井貞和:
それは『源氏物語』の読みとしても面白いですね。
源氏を善か悪かで切らない。
愛していたか、利用していたかでも切らない。
矛盾したものが同じ人物の中に存在している。
司会:
ここで三つ目の大きな疑問へ進みたいと思います。
これほど問題のある行動を繰り返す源氏が、
なぜ千年以上も物語の中心人物として読まれてきたのでしょうか。
現代の読者の中には、
「こんな男性を主人公として読んでいいのだろうか」
と感じる人もいます。
三田村雅子:
むしろ完全な人物ではないから、長く読めるのではないでしょうか。
源氏は美しい。
才能がある。
身分も高い。
しかし、人間関係では失敗する。
相手の心を読み違える。
自分が与えた傷に気づかない。
後になって、自分が似た痛みを経験する。
その不完全さが物語を動かしています。
斎藤一人:
俺は源氏さんって、ある意味すごく分かりやすい人だと思うよ。
普通の人が欲しがるものを、いっぱい手に入れたんだよね。
顔がいい。
地位がある。
お金がある。
女性にも好かれる。
じゃあ幸せになるはずじゃない。
ところが、まだ求める。
ここが面白い。
司会:
なぜでしょう。
斎藤一人:
外からもらう幸せって、もらった瞬間は嬉しいんだけどね。
「これさえあれば満足する」
って思っていたものを手に入れても、人間は次を考えることがある。
源氏さんの面白いところは、
普通なら一生かけても手に入らないものをたくさん手に入れたのに、それでも心の問題が終わらなかったこと
なんじゃないかな。
藤井貞和:
ただし、その「成功者」という見方も現代的ですね。
平安貴族社会では、政治的地位や婚姻関係は個人の自己実現だけの問題ではありません。
家。
血統。
後見。
宮廷社会。
さまざまな関係があります。
源氏が女性を求めることと、政治的な世界も完全には切り離せません。
斎藤一人:
そこが先生たちと話すと面白いんだよ。
俺が「この人、幸せだったのかな」と見る。
先生は「その前に平安時代を見なさい」と言う。
両方聞いたらいいんじゃないかな。
紫式部:
では、私から皆さまへ一つ質問してもよろしいでしょうか。
源氏がもし、一人の女性だけを愛し、その女性と何の問題もなく幸福に暮らしたなら。
千年後の皆さまは、この物語をここまで読み続けたでしょうか。
誰もすぐには答えなかった。
庭から虫の声が聞こえる。
三田村雅子:
おそらく、まったく違う作品になったでしょうね。
藤井貞和:
物語は、人間が望んだものと、実際に起きたことの間から生まれるところがありますから。
斎藤一人:
それなら源氏さんは、幸せになるのは下手だったけど、物語の主人公になるのは上手だったんだね。
紫式部が少し笑った。
紫式部:
それは、私が上手だったということにしていただけませんか。
一同から小さな笑いが起きた。
しかし三田村が、静かに話を戻した。
三田村雅子:
ただ、ここで忘れてはいけない人がいます。
紫の上です。
私たちは今、
「源氏はなぜ求め続けたのか」
と源氏の側から話してきました。
しかし求められた側には、その人自身の人生があります。
源氏にとって紫の上が特別だったことは確かです。
けれど、
源氏から最も愛されたことが、紫の上にとって最も幸福な人生だったことを意味するのでしょうか。
斎藤一人がゆっくりとうなずいた。
斎藤一人:
そこだよね。
「こんなに愛してるんだから幸せなはずだ」
っていうのは、愛してる側の理屈かもしれない。
相手がどう感じているかは、相手に聞かないと分からない。
紫式部:
では次は、源氏ではなく紫の上の側から見てみましょうか。
愛された女性が、必ずしも自由だったとは限らない。
そして自由ではなかったからといって、愛されていなかったとも限らない。
その二つを同時に見る必要がありそうです。
御簾の向こうで風が動いた。
話題はいつの間にか、
「光源氏は、なぜ女性を求め続けたのか」
から、
もっと難しい問いへ移っていた。
「深く愛されることは、本当に幸福なのか。」
それが次の対話の入口になる。
Topic 2: 紫の上は、本当に最も愛された女性だったのか?

御簾の向こうで風が動いた。
先ほど三田村雅子が残した問いが、まだ部屋の中に残っている。
「源氏から最も愛されたことが、紫の上にとって最も幸福な人生だったことを意味するのでしょうか。」
斎藤一人が、しばらく考えてから口を開いた。
斎藤一人:
これ、今の夫婦でも恋人でも同じなんだよね。
「俺はこんなに愛してる」
「あなたのためにこんなにしてる」
って言う人がいる。
それが嘘だとは限らないんだよ。
本当に愛してる。
本当に相手のためだと思ってる。
でもね。
もう一個だけ聞かなきゃいけない。
「相手はどう思ってるの?」
って。
三田村雅子:
紫の上を読むとき、まさにそこが重要だと思います。
読者は長い間、源氏の視線を通して紫の上を見ることになります。
美しい。
優しい。
教養がある。
源氏と長く暮らす。
源氏に深く愛される。
それだけを見ると、非常に恵まれた女性に見える。
しかし紫の上自身の人生として読み直すと、違ったものが見えてきます。
司会:
では、最初の大きな疑問から始めましょう。
なぜ光源氏は、幼い紫の上を引き取り、自分のもとで育てようとしたのでしょうか。
現代の読者が『源氏物語』を読んで、最も驚く部分の一つでもあります。
藤井貞和:
まず、現代の恋愛や結婚の感覚をそのまま当てはめないことは必要です。
平安貴族社会では、女性の生活は家族、後見、身分、住居、政治的関係などと深く結びついていました。
ただ、それを説明したあとで、
「当時だから何も問題はありません」
と終えるのも違います。
物語そのものが、紫の上の人生に複雑な影を描いているからです。
三田村雅子:
そして源氏が紫の上に惹かれる理由には、やはり藤壺とのつながりがあります。
紫の上は藤壺の姪です。
源氏は彼女の姿に藤壺を思わせるものを見る。
つまり、Topic 1で話した「ゆかり」がここでも働いています。
斎藤一人:
ということはさ。
源氏さんが最初にその女の子を見たとき、
「この子はどんな人なんだろう」
より先に、
「あの人に似ている」
が入ってるわけだよね。
三田村雅子:
そう読むことはできます。
斎藤一人:
それって、けっこう大きいよね。
目の前に一人の女の子がいる。
でもその人を見る前に、自分の理想がある。
「こういう女性になってほしい」
って。
藤井貞和:
ただ、ここでも「源氏が紫の上を自分好みに改造した」という現代的な表現だけでは足りません。
教育という問題があります。
当時の貴族女性に求められた教養があります。
書。
音楽。
和歌。
振る舞い。
文化的な環境。
源氏が与えたものも非常に大きい。
斎藤一人:
うん。
だから難しいんだよ。
ひどいことしかしてなかったら簡単なんだよ。
「それはよくないね」で終わる。
でも源氏さんは、この人を大切にしてるんでしょう?
三田村雅子:
大切にしています。
斎藤一人:
愛してもいる?
三田村雅子:
そのように読むことも十分できます。
斎藤一人:
じゃあ、そこからが本当の問題だね。
愛している人が相手の自由を狭めることって、あるんじゃないの?
部屋が少し静かになった。
紫式部が一人のほうを見る。
紫式部:
一人さまは、「愛しているなら自由にしなさい」とお考えですか。
斎藤一人:
いや、それも簡単すぎるよ。
好きだったら一緒にいたいじゃない。
離れてほしくない。
心配もする。
それは普通だと思うよ。
でも、
「あなたの幸せはこれです」って本人より先に決め始めると、ちょっと違ってくる。
司会:
それでは二つ目の問いです。
紫の上は、本当に幸福だったのでしょうか。
三田村先生、これはどう考えればよいでしょう。
三田村雅子:
まず、「幸福だった」「不幸だった」の一言にすること自体が難しいと思います。
紫の上には幸福な時間もあったでしょう。
源氏との長い年月があります。
文化的にも豊かな生活があります。
深い結びつきもある。
しかし彼女の人生には、不安もあります。
源氏は他の女性との関係を持ち続けます。
そして後年、大きな転機となるのが女三の宮です。
司会:
なぜ女三の宮との結婚が、それほど大きな出来事なのでしょう。
藤井貞和:
身分の問題があります。
紫の上は源氏にとって非常に大切な存在ですが、その位置は制度上単純ではありません。
女三の宮は朱雀院の皇女です。
源氏が彼女を迎えることは、紫の上にとって単なる「夫に新しい恋人ができた」という話ではありません。
自分の位置そのものを意識させられる出来事になります。
斎藤一人:
これ、今の感覚で考えたら、
「あなたが一番好きだから心配しなくていい」
って言われても、
「じゃあ、なんで別の人と結婚するの?」
ってなるよね。
三田村雅子:
現代と制度は違いますが、紫の上が深く傷つくことは物語から読み取れます。
紫式部:
では皆さま。
一つお聞きしたいのですが。
紫の上が傷ついたということは、それまで幸福ではなかったという意味になるのでしょうか。
藤井貞和:
ならないでしょう。
そこは非常に重要です。
後の苦しみから過去の幸福まで消してしまう必要はありません。
斎藤一人:
俺もそう思う。
幸せだった時間は幸せだったんだよ。
あとで悲しいことが起きたから、
「あの幸せは全部嘘でした」
にはならない。
逆も同じだよね。
幸せな時間があったから、
「この人は一生幸せでした」
にもならない。
三田村雅子:
紫の上を読むと、まさにその両方が必要だと思います。
幸福だった。
そして、
苦しかった。
その二つが同じ人生に存在する。
司会:
Part 1でも、それに近い言葉が出ました。
「愛されて幸福だったことと、自由だったことは別ではないか。」
ここで、紫の上が後年、出家を望むことを考えたいと思います。
なぜ彼女は出家したかったのでしょう。
藤井貞和:
平安文学における出家は、現代的な意味での「自分探し」ではありません。
宗教的背景。
死。
老い。
来世。
無常。
さまざまなものがあります。
ですから、
「源氏から自由になるために出家したかった」
だけにしてしまうのは危険です。
三田村雅子:
その通りです。
しかし同時に、紫の上自身が人生の後半で、これまでとは違う方向を望んでいることは大切です。
そこで源氏との間にずれが生まれます。
斎藤一人:
源氏さんは出家させたくないんだよね。
三田村雅子:
そうですね。
斎藤一人:
これが難しい。
源氏さんからすれば、
「大切だから行ってほしくない」
なんだと思う。
紫式部:
そうでしょうね。
斎藤一人:
でも紫の上さんからすれば、
「大切に思ってくれるなら、私が望んでいることも聞いてほしい」
かもしれない。
ここで、
愛する側の優しさと、愛される側が望むことが、ずれるんだよ。
司会:
では三つ目の問いへ行きましょう。
愛と所有は、同じ関係の中に存在することがあるのでしょうか。
藤井貞和:
私は「所有」という現代的な言葉を使うなら、慎重に定義したほうがいいと思います。
源氏と紫の上の関係を、それだけで説明するべきではありません。
しかし源氏には、
紫の上を失いたくない。
自分のそばに置きたい。
という非常に強い思いがあります。
三田村雅子:
そして面白いのは、源氏自身が他の女性へ向かう自由は持っていることです。
しかし紫の上が自分とは別の人生へ向かおうとすると、それを簡単には受け入れられない。
そこには関係の非対称性があります。
斎藤一人:
俺なら源氏さんに一個聞くね。
「あなたは紫の上さんを愛しているんですか。それとも、紫の上さんが自分のそばにいる人生を愛しているんですか?」
紫式部:
厳しい質問ですね。
斎藤一人:
でも、これは源氏さんだけじゃないよ。
夫婦でもある。
恋人でもある。
親子でもある。
「あなたのため」
って言ってるけど、
本当は、
「あなたがそうしてくれると私が安心する」
だったりする。
それ自体を全部悪いとは言わないよ。
人間だから。
ただ、
自分の安心と相手の幸福を、同じものだと思わないほうがいい。
三田村雅子:
それは紫の上を読むうえでも興味深いですね。
源氏が紫の上を幸福にしたかったことと、
紫の上自身が望んだ人生とが、
必ずしも最後まで一致していたわけではない。
藤井貞和:
ただ、もう一つ加えたい。
私たちは紫の上を現代的な「自由を求める女性」に作り替えないことです。
彼女は千年前の物語世界に生きています。
その世界の中で彼女が何を望み、何を諦め、何を受け入れたのか。
そこを本文から読まなければいけません。
斎藤一人:
先生、それは大事だね。
昔の人を今の人にしちゃいけない。
でも、
昔の人の悲しみが、今の人に分からないわけでもない。
藤井貞和:
そうですね。
そこが古典を読む面白さでしょう。
紫式部が静かに微笑んだ。
紫式部:
千年後の方々は、ずいぶん「自由」という言葉を大切になさるのですね。
私の時代には、その言葉だけでは説明できない人生がたくさんありました。
しかし、人の心が自分の望む方向へ行けない苦しさなら、私にも分かります。
司会:
紫式部さん自身は、紫の上を幸福な女性として書いたのでしょうか。
紫式部はすぐには答えなかった。
庭を見た。
風が木々を揺らしている。
紫式部:
もし私が、
「幸福な女性です」
と書きたかっただけなら、彼女にあれほど考えさせなかったでしょう。
そして、
「不幸な女性です」
と書きたかっただけなら、源氏との美しい時間をあれほど長く書かなかったでしょう。
人の一生は、そのどちらかだけなのでしょうか。
三田村雅子:
それが紫の上の魅力なのかもしれません。
紫式部:
愛された。
愛した。
幸福だった。
傷ついた。
離れたかった。
それでも大切だった。
それらが一人の人間の中にあってはいけないのでしょうか。
斎藤一人が笑った。
斎藤一人:
それなら紫式部さん、千年前からけっこう人間を分かってたんだね。
紫式部:
今ごろお気づきになりましたか。
部屋に笑いが広がった。
しかし司会は、そこで一つ別の名前を出した。
司会:
では、紫の上とはまったく違う形で源氏を愛した女性について考えてみましょう。
六条御息所です。
彼女も源氏を愛しました。
しかしその愛には、
誇り。
不安。
嫉妬。
屈辱。
失う恐怖。
さまざまな感情が入り込みます。
そしてついには、彼女自身にも制御できない「生霊」という出来事へつながっていきます。
斎藤一人の表情が少し変わった。
斎藤一人:
さっき俺、
「失いたくない気持ちは普通だ」
って言ったよね。
でも、その気持ちが大きくなりすぎたらどうなるんだろうね。
藤井貞和:
そこで『源氏物語』は、非常に不思議な領域へ入ります。
心の問題なのか。
霊の問題なのか。
物語の問題なのか。
一つに決めることができません。
紫式部:
そして六条御息所自身が、
自分の心に最も苦しんでいたのかもしれません。
灯火が小さく揺れた。
次の問いは、
「嫉妬は悪い感情なのか」
だけではない。
もっと深いところにある。
自分でも認めたくない感情は、どこへ行くのか。
そして『源氏物語』では、その問いが「生霊」という形を取って現れることになる。
Topic 3 六条御息所の生霊、密通、罪は、『源氏物語』で何を意味するのか?

灯火が小さく揺れた。
先ほどまで紫の上について語っていた部屋に、少し違う空気が流れている。
司会が静かに口を開いた。
司会:
Topic 2の最後に、一つの問いが残りました。
「自分でも認めたくない感情は、どこへ行くのか。」
『源氏物語』は、その問いに非常に奇妙な形で答えています。
六条御息所の生霊です。
今夜はここに、平安時代の宗教文化や物の怪について研究する小松和彦さんにも加わっていただきます。
小松和彦:
よろしくお願いします。
斎藤一人:
今日は俺も先生たちに聞きたいことがいっぱいあるよ。
生霊なんて、俺の専門じゃないからね。
藤井貞和:
そのほうが面白いでしょう。
分からないことを分からないまま質問する人がいるほうが、対話は動きますから。
紫式部が少し笑った。
紫式部:
では今夜は、千年後の皆さまが私の書いた物の怪をどう説明するのか、聞かせていただきましょう。
第一の問い
六条御息所は、本当に生霊となったのか?
司会:
最初から核心へ行きましょう。
六条御息所は、本当に生霊となって葵の上を苦しめたのでしょうか。
現代の読者は、
「嫉妬が生み出した心理的な象徴でしょう」
と読みたくなるかもしれません。
小松先生、そこまで単純なのでしょうか。
小松和彦:
現代の読者にとって「霊」は、存在するか、存在しないかという問題になりやすい。
しかし昔の人々が生きていた世界を考えると、その二択だけでは見えなくなるものがあります。
病気。
死。
夢。
祈祷。
怨霊。
物の怪。
これらは、人々が現実を説明し経験する文化の中にありました。
ですから、
「六条御息所の生霊は実在したのか」
という現代的な問いだけを置くと、作品世界から離れてしまいます。
斎藤一人:
じゃあ先生。
当時の読者は、
「ああ、これは嫉妬を文学的に表現したんだな」
なんて読んでなかった可能性があるわけ?
小松和彦:
少なくとも、私たちほど簡単に心理的比喩だけへ還元する必要はなかったでしょう。
霊的な現象と人間の感情が、今よりずっと近いところに存在していた世界です。
三田村雅子:
そして六条御息所の場合、非常に重要なのは、
本人自身が自分の生霊を恐れている
ことです。
彼女が、
「憎い。だから苦しめてやろう」
と意識的に行動しているだけの人物なら、ここまで複雑にはなりません。
自分の中に、自分でも制御できないものがある。
そこに彼女自身の恐怖があります。
斎藤一人:
それは怖いね。
人間って、自分が怒っていることが分かっていれば、
「俺はいま怒ってるな」
って見られる。
でも、
「私はそんなこと思ってません」
って押し込めたもののほうが、どこへ行くか分からない。
藤井貞和:
ただ、それをすぐ現代心理学の「抑圧」という一語に置き換えないことですね。
『源氏物語』では、人間の内面と物の怪の境界が、私たちが考えるほど明確ではありません。
紫式部:
では皆さまは、
六条御息所が葵の上を殺した
とお考えなのですか。
誰もすぐには答えなかった。
小松和彦:
そこを確定させないことが、この物語の怖さではないでしょうか。
三田村雅子:
そう思います。
六条御息所自身にも完全には分からない。
読者にも完全には分からない。
だからこそ恐ろしい。
斎藤一人:
でもさ。
一個だけ忘れちゃいけないと思うんだよ。
六条さんが苦しかったのは分かる。
源氏さんとの関係で傷ついたのも分かる。
だけど葵の上さんは、もっと迷惑だよね。
三田村雅子:
その通りです。
斎藤一人:
人ってね、
「私がこんなことをしたのは傷ついていたからです」
って説明できることがある。
説明は大事だよ。
でも、
理由が分かることと、傷つけたことがなくなることは違う。
そこは分けないとね。
紫式部が一人を見た。
紫式部:
六条御息所を理解することと、葵の上の苦しみを忘れないこと。
その二つを一緒に見るということですね。
斎藤一人:
そうだね。
誰かを悪人にしなくても、傷ついた人がいたことは消えないから。
第二の問い
なぜ『源氏物語』では、秘密の愛と罪が繰り返されるのか?
司会が一枚の紙を広げた。
そこには二つの関係が書かれていた。
光源氏 + 藤壺 → 冷泉帝
そして、
柏木 + 女三の宮 → 薫
司会:
ここから話が大きく変わります。
若い源氏は、父である桐壺帝の后、藤壺と禁じられた関係を持ちます。
その結果生まれたのが冷泉帝です。
表向きは桐壺帝の皇子。
しかし実際の父は源氏。
そして長い年月が流れます。
今度は源氏自身の妻、女三の宮と柏木の間に子どもが生まれます。
それが薫です。
表向きは源氏の子。
しかし実際の父は柏木。
斎藤一人が紙を見つめた。
斎藤一人:
これはすごいね。
若いころに自分がやったことを、年を取ってから逆の立場で経験するんだ。
藤井貞和:
非常に重要な反復です。
ただし、
「悪いことをしたから罰が当たった」
というだけでは、『源氏物語』としては単純すぎるでしょう。
司会:
では何なのでしょう。
藤井貞和:
『源氏物語』には、過去の出来事が形を変えて後の出来事に響いてくる構造があります。
同じことがそのまま繰り返されるのではありません。
立場が変わる。
人物が変わる。
意味が変わる。
源氏は若いころには秘密を作る側でした。
晩年には秘密を抱えさせられる側になります。
三田村雅子:
そして、そのとき初めて見えるものがある。
自分が若いころには十分に見えなかった、他者側の痛みです。
斎藤一人:
これ、人生でもあるよね。
若いころは、
「なんでそんなに怒るの?」
って思ってた。
自分が同じ立場になったら、
「ああ、こういう気持ちだったのか」
って初めて分かる。
紫式部:
しかし一人さま。
自分が同じ痛みを経験すれば、人は必ず優しくなるのでしょうか。
一人は少し考えた。
斎藤一人:
ならないね。
そこが人間の困ったところだよ。
同じ痛みを経験して優しくなる人もいる。
もっと怒る人もいる。
「自分は我慢したんだから、お前も我慢しろ」
って人もいる。
痛みそのものが人を成長させるんじゃなくて、
その痛みから何を見るか
なんだろうね。
三田村雅子:
源氏も、晩年になればすべてを悟った人物になるわけではありません。
そこが大切です。
司会:
ここで女三の宮についても考えたいと思います。
この出来事を、
「源氏が若いころ藤壺と密通した。その報いとして妻を柏木に奪われた」
と説明すると、女三の宮が源氏の因果応報のための人物になってしまいませんか。
三田村雅子:
まさにその問題があります。
女三の宮にも彼女自身の人生があります。
柏木にも事情がある。
紫の上にも影響がある。
薫はその結果を背負う。
源氏一人の「罰」として読むと、周囲の人物の人生が消えてしまいます。
斎藤一人:
これ、大事だね。
人って自分の人生を中心に見るから、
「あの出来事は俺に何を教えるために起きたんだ」
って考えることがある。
でも相手は、
あなたに人生を教えるために生きてるんじゃない。
その人にはその人の人生があるんだよね。
紫式部が静かにうなずいた。
第三の問い
なぜ親世代の秘密を、薫が背負わなければならないのか?
司会:
そして、ここから薫が出てきます。
彼自身は何もしていません。
藤壺と源氏の秘密にも関係していない。
女三の宮と柏木の関係を作ったわけでもない。
しかし彼は、前の世代が作った秘密の中から生まれます。
なぜ『源氏物語』は、その子どもを次世代の重要人物にしたのでしょう。
藤井貞和:
ここで物語が、源氏一人の人生を越えていきます。
源氏がいなくなればすべて終わるのではない。
前の世代が作った関係が、次の世代の物語を作る。
薫は、その非常に重要な存在です。
三田村雅子:
そして薫には、自分の出生をめぐる不安があります。
「自分は何者なのか」
という問いです。
これは源氏とは違う主人公像につながります。
源氏は外へ向かう人物です。
女性へ向かう。
政治へ向かう。
美しいものへ向かう。
薫はもっと内側へ向かいます。
自分は誰なのか。
自分の出生は何なのか。
宗教とは何なのか。
生きるとは何なのか。
斎藤一人:
親が作った問題を、子どもが背負う。
これは千年前だけの話じゃないね。
親が仲悪かった。
家に秘密があった。
誰かと誰かがずっと話さない。
子どもには何も説明しない。
でもね、
説明されなくても、子どもって何かを感じることがあるんだよ。
司会:
では、人間は親から受け取ったものから逃げられないのでしょうか。
斎藤一人:
全部は選べないよね。
どこの家に生まれるか。
親が誰か。
過去に何があったか。
それは選べない。
でも、
受け取ったものを、そのまま次へ渡すかどうかは別なんじゃないかな。
藤井貞和:
それは宇治十帖を考えると興味深いですね。
薫は源氏とは違う人間として生きようとしているようにも見える。
しかし女性との関係では、やはり問題を抱える。
つまり、
「前の世代とは違う」
と思っているだけでは、反復から完全には逃れられない。
紫式部:
では、人はどうすれば繰り返さずに済むのでしょう。
斎藤一人:
まず、
「自分は絶対に親とは違う」
って思いすぎないことじゃないかな。
それを言ってる人ほど、似たことをしてる場合があるからね。
一同が少し笑った。
斎藤一人:
でも本当にそうなんだよ。
嫌だったものほど、自分の中に残ってることがある。
だから、
「俺は違う」
じゃなくて、
「俺の中にも同じものがあるかもしれない」
って見たほうがいい。
三田村雅子:
それは源氏にも言えるかもしれません。
若い源氏と晩年の源氏は別人ではありません。
同じ人間が、立場を変えて同じような問題に出会う。
そのとき読者は、若いころの出来事をもう一度読み直すことになります。
司会:
つまり『源氏物語』では、過去は終わらない。
藤井貞和:
そうですね。
過去はそのまま戻ってくるのではなく、
別の人物、別の関係、別の世代の中で形を変えて現れる。
そこが重要だと思います。
紫式部が庭のほうへ目を向けた。
紫式部:
皆さまは先ほどから「罪」という言葉を使っておられます。
では、私から質問してもよろしいでしょうか。
人間の罪とは、悪いことをした瞬間だけに存在するのでしょうか。
部屋が静かになった。
紫式部:
ある人が誰かを傷つける。
その傷によって、別の人の人生が変わる。
その人がまた別の人を傷つける。
子どもが秘密を受け取る。
何十年も経って、最初の出来事を知る人さえいなくなる。
それでも影響だけが残っている。
そのとき、罪はどこにあるのでしょう。
小松和彦:
非常に難しい問いですね。
斎藤一人:
俺はね、罪がどこにあるかは分からないけど、一個だけ思うよ。
過去は変えられない。
でも、
ここから先に同じものを渡さない
っていうことはできるかもしれない。
三田村雅子:
それが薫の物語へつながるのでしょうね。
藤井貞和:
ただ、その薫自身も完全には成功しない。
そこが『源氏物語』らしいところです。
簡単な救済にはしない。
紫式部:
人は、一度気づいただけで変われるほど簡単なのでしょうか。
斎藤一人:
紫式部さん、今日は厳しいね。
紫式部:
皆さまが千年後から私の登場人物を分析なさるので、私も少し質問してみたくなったのです。
笑いが起きた。
やがて司会が、話を光源氏へ戻した。
司会:
若いころの源氏は、求め続けました。
女性。
愛。
地位。
美。
やがて政治的にも復活します。
六条院を築きます。
人生の頂点へ近づいていきます。
ここまで聞くと、
「源氏は多くの失敗をしたが、最後には成功した」
という物語にも見えます。
しかし、そうではありません。
その先で彼を待っていたのは、
喪失です。
斎藤一人が静かに言った。
斎藤一人:
ここが俺、一番聞いてみたいところなんだよ。
源氏さんって、
普通の人が欲しがるものを、ほとんど手に入れたんでしょう。
地位もある。
お金もある。
家もある。
愛する人もいる。
じゃあ聞きたい。
それで、この人は幸せになったの?
紫式部は答えなかった。
藤井も三田村も黙っていた。
庭の木々が風に揺れている。
次に待っている問いは、
光源氏が何を手に入れたかではない。
すべてを手に入れたように見えた人が、なぜ最後には「失うこと」と向き合わなければならなかったのか。
物語は、栄華から無常へ向かい始める。
Topic 4: すべてを手に入れた光源氏は、なぜ最後に喪失へ向かうのか?

夜が深くなっていた。
庭の木々を動かしていた風も弱くなり、月だけが静かに残っている。
先ほど斎藤一人が投げかけた問いに、まだ誰も答えていなかった。
「それで、この人は幸せになったの?」
司会が口を開いた。
司会:
Topic 1では、源氏がなぜ女性を求め続けたのかを考えました。
Topic 2では、紫の上が深く愛されたことと、彼女自身の幸福が同じなのかを考えました。
Topic 3では、若い源氏が作った秘密や傷が、形を変えて次の世代へ残っていくことを見ました。
そして今、源氏は人生の後半へ来ています。
かつて政治的に追われた青年は、都へ戻りました。
地位を得ました。
名誉を得ました。
六条院という壮麗な邸宅を築きました。
多くの人から見れば、人生の頂点です。
今夜はここに、日本の仏教文学と平安時代の宗教思想を研究する専門家にも加わっていただきます。
まず一人さん。
先ほどの質問を、もう一度お願いします。
斎藤一人:
簡単だよ。
源氏さんは、普通の人が欲しいと思うものを、いっぱい手に入れたんでしょう。
地位。
お金。
立派な家。
美しいもの。
愛する人。
社会的な評価。
それなら聞きたいんだよ。
この人は、いつになったら「もう十分です」って思ったんだろう。
少し沈黙が流れた。
藤井貞和:
そこから六条院を考えると面白いですね。
第一の問い
六条院は、光源氏の成功の象徴だったのか?
司会:
六条院について簡単に説明しましょう。
源氏は広大な邸宅を造り、そこに春夏秋冬に対応する四つの町を配置します。
そこには、彼と深く関係した女性たちが暮らします。
非常に美しい世界です。
藤井先生。
六条院は、源氏の栄華の完成と考えてよいのでしょうか。
藤井貞和:
もちろん、そのように読むことはできます。
政治的にも文化的にも、源氏が到達した位置を象徴する空間です。
しかし六条院は、単なる豪邸ではありません。
季節。
女性。
記憶。
美。
人間関係。
それらが配置された、一つの物語空間でもあります。
斎藤一人:
春夏秋冬まで自分の家の中に作っちゃったの?
三田村雅子:
そう考えると、かなり象徴的ですね。
斎藤一人:
源氏さん、すごいね。
普通の金持ちは大きい家を作るけど、この人は季節まで家に入れちゃった。
一同が少し笑った。
斎藤一人:
でもさ。
俺には逆に聞きたいことがある。
春も欲しい。
夏も欲しい。
秋も欲しい。
冬も欲しい。
好きな人たちにも近くにいてほしい。
美しいものも全部ここに置きたい。
それって、
「全部欲しい」
ってことでもあるよね。
藤井貞和:
興味深い見方ですね。
ただし、源氏が意識的に「世界を所有しよう」と考えた、と断定する必要はありません。
文学的には、六条院という空間が源氏の栄華を集約していることは確かです。
三田村雅子:
私は、そこに女性たちの側からの違いも見たいですね。
六条院に暮らす女性たちが、全員同じ幸福を得ているわけではありません。
源氏にとって美しく整えられた世界が、その中にいる全員にとって同じ意味を持つわけではない。
斎藤一人:
これ、Topic 2とつながるね。
「俺がこんなにいい場所を作ったんだから、みんな幸せでしょう」
って言っても、
住んでる人がどう思ってるかは別なんだ。
司会:
では六条院は、成功の象徴であると同時に、源氏が「失いたくないもの」を集めた場所とも読めるのでしょうか。
藤井貞和:
その読みは可能でしょう。
そして重要なのは、どれほど美しく配置しても、時間は止められないことです。
斎藤一人が庭を見る。
斎藤一人:
そこなんだろうね。
家の中に春を作ることはできる。
でも、
本当の春を止めることはできない。
紫式部が初めて口を開いた。
紫式部:
花を植えることはできます。
しかし、散らない花を植えることはできません。
部屋が静かになった。
第二の問い
『源氏物語』の「無常」とは何なのか?
司会:
ここで「無常」という言葉へ進みたいと思います。
仏教思想の立場から見ると、『源氏物語』の後半はどう変わっていくのでしょうか。
仏教文学研究者:
無常という言葉は、ときに、
「どうせすべてなくなる」
という悲観的な意味だけで受け取られます。
しかし仏教的な無常とは、もっと根本的なものです。
人間。
感情。
関係。
身体。
地位。
季節。
どれも固定されたままではない。
変化する。
その事実を指します。
斎藤一人:
じゃあ、
「全部なくなるから悲しい」
だけじゃないんだね。
仏教文学研究者:
そうですね。
執着という問題もあります。
変わっていくものを、
「変わってほしくない」
「このままでいてほしい」
と握り続ければ、苦しみが生まれます。
三田村雅子:
ここで紫の上が非常に大きな存在になります。
源氏にとって彼女は、長い年月をともにした特別な人です。
若いころの一時的な恋とは違います。
人生そのものに近い存在になっている。
司会:
そして紫の上が亡くなる。
三田村雅子:
はい。
そこで源氏の世界は大きく変わります。
斎藤一人:
ここでTopic 2が戻ってくるんだね。
源氏さんは紫の上さんを離したくなかった。
出家したいと言っても、そばにいてほしかった。
でも最後には、本人がどう願っても離れる。
仏教文学研究者:
死は、究極的には人間の所有を否定します。
どれほど愛していても、相手の生を永久に自分のそばへ留めることはできません。
紫式部が静かに言った。
紫式部:
愛する人を失ったとき、人はよく、
「私の大切な人を失った」
と言います。
しかし、
その人は最初から本当に「私のもの」だったのでしょうか。
斎藤一人が紫式部を見る。
斎藤一人:
それ、すごい質問だね。
紫式部:
源氏は紫の上を愛していました。
紫の上も源氏を愛していたでしょう。
しかし愛することによって、一人の人間がもう一人の人間のものになるわけではありません。
しばらく人生をともにした。
それだけだったのかもしれません。
三田村雅子:
しかし「それだけ」という言い方では、少し小さすぎる気もします。
紫式部:
そうですね。
では、
それほど大きなことだったのかもしれません。
しばらく誰も話さなかった。
斎藤一人:
俺ね。
幸せって、ずっと続くものだと思うと苦しくなることがあると思うんだよ。
「この人がずっといてくれれば幸せ」
「この仕事がずっと続けば幸せ」
「この家族がずっと同じなら幸せ」
でも、ずっと同じものなんてない。
だから、
終わることと、意味がなかったことは別なんだよ。
司会:
紫の上との時間が終わったからといって、その時間が無意味になるわけではない。
斎藤一人:
そう。
むしろ終わったあとに、
「あの時間はありがたかったな」
って分かることもある。
仏教文学研究者:
そこには、無常を単なる虚無として読まない可能性がありますね。
変わるから意味がないのではない。
変わるものと、どう関わるのか。
そこが問われます。
第三の問い
なぜ紫式部は、光源氏の死を直接描かなかったのか?
司会が少し間を置いた。
司会:
そして、非常に有名な謎へ進みます。
『幻』の巻。
紫の上を失った源氏は、深い悲しみの中で一年を過ごします。
その次に置かれるのが、
「雲隠」
です。
しかし、ここには通常の巻のような本文が伝わっていません。
そして物語は次の世代へ進みます。
光源氏の死そのものは、直接描かれません。
なぜなのでしょう。
藤井貞和:
まず注意したいのは、
「紫式部が意図的に源氏の死を書かなかった」
と簡単に断定できないことです。
本文伝承の問題があります。
失われた本文があったのか。
最初から巻名だけだったのか。
さまざまな議論があります。
ここは研究上、確定していることと解釈を分ける必要があります。
斎藤一人:
分からないんだ。
藤井貞和:
そうです。
そして分からないものを、無理に一つの答えにしないことも古典研究では大切です。
斎藤一人:
それ、いいね。
分からないものを分からないって言うのも大事だ。
司会:
ただ、読者としては不思議です。
これほど長く追い続けた主人公なのに、最期を見せてもらえない。
三田村雅子:
だからこそ、『幻』が非常に強い意味を持ちます。
源氏は紫の上を失ったあと、彼女のいない時間を生きる。
季節が巡る。
しかし以前と同じ季節ではない。
世界は存在しているのに、愛する人だけがいない。
斎藤一人:
それって、すごく現実的だね。
大切な人が亡くなったあとも、
朝は来る。
ご飯も食べる。
春も来る。
周りの人は普通に生きてる。
でも自分には同じ世界じゃない。
紫式部:
悲しみとは、そういうものではありませんか。
世界が壊れるのではない。
世界がそのまま続いてしまう。
その中に、いなくなった人だけがいない。
再び沈黙が流れた。
司会:
もし『幻』を源氏の人生の実質的な終わりとして読むなら、彼の最後に残ったものは何だったのでしょう。
地位でしょうか。
六条院でしょうか。
政治的成功でしょうか。
三田村雅子:
少なくとも『幻』で中心にあるのは、それらではありません。
紫の上を失った悲しみです。
斎藤一人:
じゃあ源氏さんが最後に考えてたのは、
「俺はこんなに成功した」
じゃないんだ。
藤井貞和:
そういう作品にはなっていませんね。
斎藤一人:
これ、面白いな。
人間って最後に何を思い出すんだろうね。
銀行の残高かな。
肩書きかな。
家の大きさかな。
それとも、
誰と一緒にいたか
なのかな。
紫式部は少し考えてから答えた。
紫式部:
一人さま。
もう一つあるかもしれません。
誰と一緒にいたかだけではなく、
その人といる間、自分はどんな人間だったか。
斎藤一人がしばらく黙った。
斎藤一人:
それは深いね。
紫式部:
愛するということは、相手を見ることだけではありません。
その人を愛している自分が、何をしたのか。
何を与えたのか。
何を奪ったのか。
何を見なかったのか。
それも最後には残るのではないでしょうか。
三田村雅子:
そう考えると、Topic 1からここまでがつながりますね。
源氏は女性を求め続けた。
紫の上を深く愛した。
六条御息所を傷つけた。
女三の宮と柏木の出来事では、今度は傷つく側に立った。
紫の上を失った。
そして最後に、自分の人生を見る。
藤井貞和:
しかし物語は、そこで終わりません。
ここが『源氏物語』の非常に興味深いところです。
司会:
そうですね。
光源氏がいなくなったあとも、物語は続きます。
斎藤一人が不思議そうな顔をした。
斎藤一人:
でも主人公がいなくなったんでしょう?
なんで続けるの?
藤井貞和:
まさに次のTopicです。
斎藤一人:
普通なら「光源氏物語・完」でいいじゃない。
紫式部:
私は「光源氏物語」とは名づけておりませんから。
一同が笑った。
しかし、その言葉には大きな意味があった。
三田村雅子:
そう考えると、一つの問いが出てきます。
もし光源氏がいなくなっても『源氏物語』が続くなら、
この物語は最初から、本当に光源氏だけの物語だったのでしょうか。
部屋の外には月が残っている。
しかし物語の場所は、やがて華やかな六条院から離れていく。
霧。
川。
寺。
山。
宇治。
そしてそこに現れるのは、光源氏とはまったく違う青年だった。
薫。
父だと思っていた男は、本当の父ではない。
自分は何者なのか。
なぜ生まれたのか。
どう生きればよいのか。
源氏が外の世界へ求め続けた人物だったとすれば、薫は自分の内側へ問い続ける人物として現れる。
そして、その先に一人の女性が待っている。
浮舟。
斎藤一人が小さくつぶやいた。
斎藤一人:
もしかしたら紫式部さん、
源氏さんが幸せになれたかどうかの答えを、源氏さんの人生だけでは終わらせなかったのかな。
紫式部は微笑んだ。
しかし答えなかった。
次に残された問いは、
「なぜ『源氏物語』は光源氏で終わらず、宇治十帖へ進んだのか。」
そして、その問いを最後まで追っていくと、
さらに意外な人物へたどり着くことになる。
光源氏ではない。
薫でもない。
匂宮でもない。
浮舟である。
Topic 5: なぜ『源氏物語』は光源氏で終わらず、宇治十帖へ進むのか?

夜明けには、まだ少し時間があった。
華やかな六条院について語っていたはずの対話は、いつの間にか宇治へ移っている。
霧。
川。
山。
寺。
都とは違う静けさ。
そして光源氏は、もういない。
斎藤一人が不思議そうに紫式部を見た。
斎藤一人:
俺、やっぱりここが気になるんだよ。
主人公が死んだんでしょう。
だったら、そこで終わってもいいじゃない。
なんで続けたの?
紫式部:
では逆にお聞きします。
源氏が亡くなったら、源氏が生きたことで生まれたものも、すべて消えるのでしょうか。
一人が黙った。
藤井貞和:
そこですね。
源氏個人の人生は終わる。
しかし物語世界は終わらない。
前の世代が作った関係。
秘密。
記憶。
血縁。
痛み。
それらは残ります。
そして次の世代が、その続きを生きる。
三田村雅子:
そこで薫という人物が非常に重要になります。
第一の問い
なぜ光源氏がいなくなったあとも、物語は続くのか?
司会:
『源氏物語』を光源氏の一代記と考えるなら、源氏の死で終わるほうが自然に見えます。
しかし物語は続きます。
これは何を意味するのでしょう。
藤井貞和:
まず、『源氏物語』を現代の小説のように「主人公一人の人生」という枠だけで捉えないほうがよいでしょう。
長い作品の中で世代が変わります。
中心人物も変わります。
そして後半では、前半にあった問題が違う形で現れます。
宇治十帖は単なる付け足しではありません。
作品全体をどう読むかに関わる重要な部分です。
斎藤一人:
じゃあ源氏さんが死んでも、源氏さんが作った問題は死ななかったってこと?
藤井貞和:
そういう読み方もできます。
三田村雅子:
ただし「問題」だけではありません。
源氏が残した文化。
人間関係。
記憶。
美意識。
それらも次の世代へ残ります。
人が死んだあとに残るのは、罪だけではありません。
斎藤一人:
なるほどね。
親が亡くなったあとでも、
「あの人に言われた言葉を覚えてる」
とか、
「あの人だったらどうするかな」
とかあるもんね。
その人はいないけど、その人と生きたことで自分の中にできたものは残ってる。
三田村雅子:
そう考えると、宇治十帖は非常に人間的な物語になりますね。
一つの世代が去ったあと、次の世代が何を受け取るのか。
紫式部:
そして、受け取ったものを同じように使うとは限りません。
同じ家に生まれても、同じ人間にはなりませんから。
司会:
そこで薫ですね。
第二の問い
なぜ薫は、光源氏とはこれほど違う人物なのか?
司会:
光源氏と薫を比べると、かなり違います。
源氏は女性を求める。
薫はためらう。
源氏は華やかな都の中心へ向かう。
薫は宇治へ向かう。
源氏は恋愛へ踏み込んでいく。
薫は宗教や死、自分自身について考える。
なぜ次世代の中心人物を、これほど違う人物にしたのでしょう。
藤井貞和:
ここには世代の変化があります。
物語の調子そのものも変わっていきます。
源氏の時代の華やかさと、宇治十帖の世界は同じではありません。
三田村雅子:
薫には出生の問題があります。
表向きは源氏の子。
しかし実際の父は柏木です。
本人が作った秘密ではありません。
それでも、その秘密は彼の存在に関わっています。
斎藤一人:
Topic 3で話したことがここへ来るんだね。
親の問題を子どもが受け取る。
三田村雅子:
そうですね。
そして薫は、
「自分は何者なのか」
という問いを抱える。
これは源氏とはかなり違います。
斎藤一人:
源氏さんは、
「あの女性が欲しい」
って外へ行く人だった。
薫さんは、
「俺って何なんだろう」
って中へ行く人なんだ。
藤井貞和:
かなり大きく言えば、そういう対照を見ることもできます。
斎藤一人:
じゃあ薫さんのほうが、源氏さんより成長した人なの?
藤井貞和:
そこまで簡単ではありません。
斎藤一人:
やっぱり先生は簡単に答えてくれないね。
藤井貞和:
簡単に答えられない作品ですから。
一同が笑った。
三田村雅子:
薫は源氏のようには生きません。
しかし、それで女性との関係がうまくいくわけでもない。
彼にも迷いがあります。
自分の理想があります。
相手の気持ちを十分に見られない場面もあります。
斎藤一人:
これ、すごく面白いね。
親と違う人生を生きれば、親の問題から逃げられると思うじゃない。
でも形を変えて似たことをする場合がある。
紫式部:
「私はあの人とは違う」
と思うことと、
本当に違う生き方をすることは、
同じなのでしょうか。
斎藤一人:
紫式部さん、最後まで厳しいね。
紫式部:
一人さまが簡単に答えようとなさるので。
また小さな笑いが起こった。
第三の問い
なぜ最後に残された女性が浮舟なのか?
司会が少し間を置いた。
司会:
そして、最後の大きな問いへ進みます。
浮舟です。
読者が最初に抱きやすい疑問から始めましょう。
浮舟は、薫と匂宮のどちらを本当に愛していたのでしょうか。
斎藤一人:
これ、みんな聞きたくなるよね。
結局どっちが好きだったの、って。
三田村雅子:
しかし、その質問自体を少し疑ってみる必要があります。
斎藤一人:
どういうこと?
三田村雅子:
なぜ私たちは、浮舟の人生を、
「どちらの男性を選ぶか」
という問題として読んでしまうのでしょう。
斎藤一人:
ああ。
三田村雅子:
薫か。
匂宮か。
どちらを愛したのか。
どちらと結ばれるのか。
もちろん物語上、重要です。
しかし浮舟本人が追い詰められていくところまで読むと、
もっと根本的な問題が見えてきます。
浮舟自身は、どう生きたかったのでしょう。
斎藤一人が黙った。
司会:
薫と匂宮は、かなり違う男性です。
薫には薫の愛し方がある。
匂宮には匂宮の愛し方がある。
浮舟は二人から求められます。
現代の言葉なら、
「二人の魅力的な男性から愛される女性」
とも言えるでしょう。
一人さん。
幸福な女性でしょうか。
斎藤一人:
いや。
ここまで話を聞いたら、それじゃ分からないよね。
Topic 2で紫の上について話したじゃない。
愛されることと、幸せであることは同じじゃない。
浮舟さんなんて、二人から求められてるのに、追い詰められていくんでしょう。
だったら「モテるから幸せ」なんて簡単な話じゃない。
三田村雅子:
その通りです。
斎藤一人:
それで俺、最初のTopicで言ったよね。
源氏さんは女性が好きなのか。
女性から愛される自分が好きなのか。
ここでは逆の質問ができるね。
男の人たちは浮舟さんを愛しているのか。
それとも、
「浮舟さんが自分を選んでくれること」を求めているのか。
藤井が少し身を乗り出した。
藤井貞和:
それは興味深いですね。
相手そのものを見ることと、自分が望む関係の中に相手を置くこと。
この問題は、源氏から宇治十帖まで形を変えて続いているとも読めます。
紫式部:
では一人さま。
浮舟が、
「どちらも選びません」
と言ったらどうしますか。
斎藤一人:
いいんじゃない。
紫式部:
それほど簡単でしょうか。
彼女には身分があります。
家族があります。
当時の社会があります。
女性として置かれた状況があります。
「嫌なら二人とも選ばなければいい」
だけで生きられる世界ではありません。
斎藤一人:
そうだね。
そこは俺が今の時代から見ちゃったね。
藤井貞和:
ここは非常に重要です。
浮舟を現代的な意味での「自立した女性」に置き換えるだけでは、作品から離れてしまいます。
彼女は非常に追い詰められています。
死を考えるほどです。
司会:
そして彼女は宇治川へ身を投じようとします。
その後、救われ、やがて出家へ向かいます。
一人さん。
これは「自分の人生を選んだ」ということでしょうか。
斎藤一人:
俺には、そんなきれいには言えないな。
だって死のうと思うほど苦しかったんでしょう。
それを、
「最後に自立しました。よかったですね」
じゃ軽すぎるよ。
まず、
そこまで追い詰められていた
っていうことを見ないと。
三田村雅子:
大切なところです。
浮舟の出家を、単純な勝利として読む必要はありません。
救い。
断念。
離脱。
宗教。
生き直し。
さまざまな意味が重なっています。
斎藤一人:
でもさ。
一つだけ大きく変わったことがない?
司会:
何でしょう。
斎藤一人:
それまでずっと、
「薫さんをどうしよう」
「匂宮さんをどうしよう」
だったんでしょう。
でも最後は、
「私はどうする」
になったんじゃないの?
部屋が静かになった。
三田村がゆっくりとうなずいた。
三田村雅子:
非常に興味深い変化ですね。
ただし、それを現代的な自己決定の物語だけにしない。
その注意を置いたうえなら、
浮舟自身の生へ問いが移っていくことは重要だと思います。
藤井貞和:
そして『源氏物語』の最後が、明快な幸福な結末になっていないことにも意味があります。
司会:
最終巻は「夢浮橋」。
しかしすべての問題が解決するわけではありません。
薫は浮舟の生存を知ります。
浮舟は薫との再会へ簡単には戻りません。
そして物語は閉じていきます。
斎藤一人:
え?
そこで終わるの?
藤井貞和:
終わります。
斎藤一人:
紫式部さん、それは読者が困るよ。
薫さんと会うの?
会わないの?
浮舟さんはこのあとどうなるの?
紫式部:
一人さま。
人生の大切な問いには、すべて答えが書いてあるのでしょうか。
斎藤一人:
またそういうこと言う。
紫式部は笑った。
紫式部:
では逆に、皆さまに聞いてみましょう。
もし最後に浮舟が薫と再会し、
二人が結ばれ、
幸福に暮らしました。
と書いたなら。
皆さまは何を考えますか。
斎藤一人:
「ああ、よかった」で終わるかな。
紫式部:
では、
「匂宮こそ本当の愛でした」
と書いたら?
三田村雅子:
読者は恋愛の勝敗として読んでしまうかもしれませんね。
紫式部:
では、どちらも書かなかったら?
藤井が答えた。
藤井貞和:
問いが読者に残る。
紫式部は静かに庭を見た。
夜明け前の空が、ほんの少し明るくなっている。
紫式部:
ならば、それでよいのかもしれません。
斎藤一人が、しばらく黙っていた。
そして言った。
斎藤一人:
俺、最初は源氏さんの話だと思ってたんだよ。
女の人が好きな、すごくモテる男の話。
でもここまで来ると、違うね。
最初の源氏さんは、
「誰を愛するか」
をずっと追いかけていた。
最後の浮舟さんは、
「私はどう生きるか」
のところまで来ちゃったんだ。
三田村雅子:
それは、この長い物語の変化を考える一つの読み方になると思います。
藤井貞和:
そしてその間に、千年後の私たちが簡単には答えられないほど多くの人生が置かれています。
紫の上。
藤壺。
六条御息所。
葵の上。
明石の君。
女三の宮。
柏木。
薫。
匂宮。
浮舟。
誰も、源氏一人を説明するためだけに存在しているわけではない。
斎藤一人:
じゃあ紫式部さん。
最後に一個だけ聞いていい?
紫式部:
どうぞ。
斎藤一人:
『源氏物語』って、結局何の話なの?
紫式部は少し笑った。
紫式部:
千年も皆さまが考えてくださっているのに、
私が一言で答えてしまってよろしいのですか。
一同が笑った。
しかし紫式部は、そのあと少しだけ真剣な表情になった。
紫式部:
一つだけ申し上げるなら。
人は誰かを愛します。
その人を失いたくないと思います。
そのために傷つけることもあります。
自分も傷つきます。
手に入れたと思ったものも変わります。
過去は次の世代へ残ります。
それでも人は、また誰かを愛します。
そしていつか、
「誰が私を愛してくれるのか」
だけではなく、
「私は、この与えられた人生をどう生きるのか」
という問いに出会うのではないでしょうか。
誰もすぐには言葉を返さなかった。
宇治川の向こうから、朝の光が差し始めていた。
物語の最初には、
母を失った一人の少年がいた。
彼は失ったものを求めるように、人を愛した。
そして千年を越える物語の最後には、
二人の男性から求められながら、その関係から離れようとする一人の女性がいる。
光源氏から浮舟へ。
「誰を愛するのか」から、「私はどう生きるのか」へ。
それは答えではない。
『源氏物語』が千年後の私たちに残した、
最後の問いなのかもしれない。
最後に

「誰を愛するか」から「私はどう生きるか」へ
今回の対話を始めたとき、中心にいたのは光源氏でした。
なぜ女性を求め続けたのか。
本当に藤壺を愛したのか。
紫の上を愛したのか。
研究者たちの議論から見えてきたのは、一つの心理だけで源氏を説明できないことでした。
桐壺更衣から藤壺へ。
藤壺から紫の上へ。
そこには「ゆかり」「面影」「反復」という物語の構造があります。
斎藤一人は、そこへ別の問いを置きました。
「女性を愛していたのか。それとも女性から愛される自分を求めていたのか。」
紫の上では、さらに難しい問題が現れました。
源氏が彼女を深く愛していたことと、紫の上自身が望む人生を生きられたかどうかは、同じ問題ではありません。
六条御息所では、嫉妬だけでは説明できない心の深さと、平安時代の物の怪の世界へ入りました。
そして藤壺と源氏、女三の宮と柏木という二つの秘密を並べると、過去が消えず、形を変えて次の世代へ現れる構造が見えてきました。
六条院では、源氏は人生の頂点へ達します。
しかし季節を配置することはできても、季節を止めることはできません。
紫の上を愛することはできても、その命を自分のそばへ留め続けることはできません。
ここで『源氏物語』の無常が見えてきます。
終わることと、意味がなかったことは違う。
そして光源氏が消えたあとも物語は終わりません。
薫へ。
そして浮舟へ。
二人の男性から求められた浮舟を見て、最後に残った問いは「薫と匂宮のどちらを選ぶのか」ではありませんでした。
人から愛されることと、幸福であることは同じなのか。
そして、
私は、この人生をどう生きるのか。
『源氏物語』は、その答えをきれいには書いてくれません。
だからこそ千年後の私たちも、この物語について話し続けられるのかもしれません。
Short Bios:
紫式部
平安時代中期の作家・歌人で、『源氏物語』の作者として知られる。本対話では絶対的な答えを与える作者ではなく、千年後の研究者たちの解釈を聞き、ときには「本当にそうでしょうか」と問い返す参加者として登場する。
藤井貞和
日本文学研究者・詩人。古代文学、物語論、『源氏物語』などを幅広く研究してきた。本対話では、現代的な心理だけで登場人物を説明せず、「ゆかり」「反復」など作品そのものの構造から考える役割を担う。
三田村雅子
日本の中古文学・『源氏物語』研究者。人物関係や物語の構造を読み解き、光源氏だけではなく、紫の上、六条御息所、浮舟ら一人一人の人生にも目を向ける。
斎藤一人
実業家・著述家。幸福、人間関係、恋愛、生き方などについて独自の考えを語ってきた。本対話では『源氏物語』研究者としてではなく、研究者の議論を現代の人間関係へつなぐ参加者として登場する。
小松和彦
文化人類学者・民俗学者。妖怪、憑依、霊、民間信仰など日本文化における超自然的存在を研究してきた。本対話では、六条御息所の生霊を現代心理だけで説明せず、物の怪が現実感を持っていた文化的背景から考える。

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