
はじめに
『愛しなさい、一度も傷ついたことがないかのように』は、愛についてだけの本ではありません。
韓国の詩人リュ・シファが古今東西から選んだ77篇の詩と言葉を通して、この本が問いかけているのは、もっと大きなことです。
人は傷ついたあと、もう一度誰かを信じられるのか。
悲しみは乗り越えなければならないのか。
なぜ私たちは、大切なものを失ってから、その価値に気づくのか。
苦しみの中で神を信じるとは、どういうことなのか。
そして、人生に限りがあると本当に分かっていたら、私たちは今日をどう生きるのか。
今回の架空の対話では、編者リュ・シファと、ルーミー、カビール、メアリー・オリヴァー、ヘルマン・ヘッセ、オライア・マウンテン・ドリーマーを同じ川辺に招きました。
彼らは同じ答えを持っていません。
むしろ、その違いから対話は深くなっていきます。
そして5つの対話を進むにつれて、この本のタイトルの意味も変わって見えてきます。
「一度も傷ついたことがないかのように」とは、傷を忘れることではないのかもしれません。
傷ついた自分を連れたまま、それでも心を閉ざさないこと。
失う可能性を知りながら、それでも愛すること。
人生が完全になるのを待たず、今ある人生を生きること。
これは詩についての対話であると同時に、私たち自身の残された時間についての対話です。
(本稿に記されている対話はすべて仮想のものであり、実在の人物・発言とは関係ありません。)
Topic 1: 傷ついても、もう一度愛せるのか?

夕暮れの光が川の表面を細長く照らしている。
誰も決められた席には座っていない。
メアリー・オリヴァーは少し離れた木のそばに立ち、ルーミーは川岸の石に腰を下ろしている。カビールはゆっくり歩いている。ヘッセは木の幹にもたれ、オライア・マウンテン・ドリーマーは草の上に座っている。
リュ・シファは、一冊の本を膝の上に置いている。
司会がその表紙を見る。
司会:
このタイトルを最初に読んだとき、私は美しいと思いました。
でも、少し考えたら、残酷な言葉にも思えてきたんです。
「愛しなさい、一度も傷ついたことがないかのように。」
一度も傷ついたことがない人なら、それは簡単かもしれません。
でも、本当に傷ついた人に言えるでしょうか。
裏切られた人。
離婚した人。
親に愛されなかった人。
子どもとの関係を失った人。
何十年も一緒にいた人を亡くした人。
そういう人に、
「何もなかったように、もう一度愛しなさい」
と言うのでしょうか。
リュ・シファ:
私は「何もなかったことにしなさい」という言葉だとは思っていません。
傷は消えません。
むしろ、消そうとする必要もない。
司会:
でも、「一度も傷ついたことがないかのように」ですよ。
それなら傷を忘れろ、と聞こえませんか?
リュ・シファ:
私は逆に感じます。
傷ついたことがあるからこそ、この言葉が必要になる。
一度も傷ついたことがない人には、この言葉は必要ありません。
少し沈黙が生まれる。
ヘッセ:
それは重要な違いですね。
人間は苦しみを経験すると変わります。
以前の自分には戻れない。
そして、戻る必要もない。
司会:
では、タイトル通りには生きられない?
ヘッセ:
文字通りなら、おそらく無理でしょう。
私は昨日の自分ではありません。
愛する人を失ったあと、その前の私に戻ることはできない。
裏切られたあと、裏切られるという可能性を知らなかった自分には戻れない。
しかし問題は、そこではないと思います。
オライア:
問題は、
「傷ついたあと、私はどんな人になるのか」
ではないでしょうか。
司会:
どういう意味ですか?
オライア:
傷ついた人には、少なくとも二つの方向があります。
傷によって、もっと人の痛みが分かる人になることもできる。
けれど傷によって、もっと人を疑う人になることもできる。
同じ傷が、優しさにも壁にもなる。
司会:
それなら、傷ついた人ほど愛し方を知っている、とは言えませんね。
オライア:
言えないと思います。
苦しみそのものが人を賢くするわけではありません。
苦しんだ人が必ず優しくなるわけでもない。
傷つけられた人が、次には誰かを傷つけることもあります。
カビール:
だから人間は、自分の傷を神聖なものにしてはいけない。
司会:
神聖なもの?
カビール:
「私は傷つけられた。だから私は正しい」
そう考え始めることです。
それは危険です。
傷は真実です。
しかし、
傷ついたという事実が、その後のすべての行動を正しくするわけではない。
司会は少し考える。
司会:
これは現代ではかなり重要かもしれません。
傷ついた人に対して、私たちは何でも肯定してしまうことがあります。
メアリー・オリヴァー:
痛みを認めることと、その痛みに人生全体を支配させることは違います。
自然を見ていると、それを何度も感じます。
冬が来る。
葉が落ちる。
枝が折れる。
それでも春になる。
でも春の木は、去年の木とまったく同じではありません。
折れた枝は戻らない。
それでも新しい芽が出る。
司会:
それなら「元に戻る」ではなく「その先へ行く」?
メアリー・オリヴァー:
私はそのほうが近いと思います。
ルーミーが川の水を見ながら口を開く。
ルーミー:
あなた方は傷を、愛の反対側に置いています。
私はそこから疑いたい。
司会:
傷と愛は反対ではない?
ルーミー:
深く愛したことがあるなら、深く傷つく可能性があります。
ならば傷は、愛が失敗した証拠とは限らない。
愛した証拠である場合もある。
司会:
でも、それは危険な考えではありませんか?
暴力的な関係にいる人が、
「苦しいのは愛している証拠だ」
と思ってしまうかもしれない。
ルーミーはすぐに答えない。
ルーミー:
その通りです。
だから愛と苦痛を混同してはいけない。
苦しませることが愛なのではありません。
私が言っているのは、
本当に愛するなら、喪失の可能性を完全には取り除けない
ということです。
ヘッセ:
愛には危険があります。
友情にもあります。
子どもを愛することにもあります。
夢を持つことにもあります。
生きることそのものにも。
司会:
だったら傷つきたくない人には、一つ確実な方法がありますね。
誰も愛さない。
誰にも期待しない。
誰も信じない。
カビール:
そうです。
司会:
それなら傷つかない。
カビール:
かなり傷つきにくくなるでしょう。
司会:
だったら、それが一番賢い生き方では?
カビールが笑う。
カビール:
安全でしょう。
しかし、それを「生きた」と呼びますか?
沈黙。
川の音だけが聞こえる。
司会:
そこなんですよ。
若いときには、愛することのほうが簡単だった気がします。
友達になる。
恋をする。
夢を見る。
誰かを信用する。
でも年を重ねると、人間についていろいろ知ってしまう。
人は嘘をつく。
人は変わる。
約束は破られる。
愛していても別れる。
そして最後には、どちらかが先に死ぬ。
知れば知るほど、慎重になります。
それは成長ではないのでしょうか。
ヘッセ:
一部は成長でしょう。
しかし慎重さと恐怖は、とても似た顔をしています。
司会:
どう見分ける?
ヘッセ:
慎重さは、扉に鍵をつけます。
恐怖は、扉そのものをなくします。
司会はヘッセを見る。
司会:
それは分かりやすい。
オライア:
そして人は、扉をなくしたあとで言うんです。
「私は強くなった」
と。
司会:
でも、本当に強くなったのかもしれない。
オライア:
もちろん。
だから自分に聞けばいい。
「私は平和になったのか。それとも、誰も入ってこられなくなっただけなのか?」
その答えは本人にしか分かりません。
リュ・シファ:
私はこの本に集めた言葉を読みながら、何度も似たことを考えました。
人間は傷ついたあと、自分を守る方法を覚えます。
それ自体は必要です。
けれど、ある時から守っているものが分からなくなる。
心を守っているつもりで、
心を使わなくなっていることがある。
司会はしばらく黙る。
司会:
では、もっと難しいケースを考えましょう。
愛した人に裏切られた。
その人が戻ってきて、
「もう一度信じてほしい」
と言った。
この本は「愛しなさい」と言います。
なら、許して戻るべきですか?
リュ・シファ:
いいえ。
司会:
即答ですね。
リュ・シファ:
愛することと戻ることは同じではないからです。
オライア:
許すことと信頼することも同じではありません。
ヘッセ:
そして許すことと和解することも同じではない。
司会:
これは大切ですね。
では整理しましょう。
私は誰かを許してもいい。
でも、その人を再び信頼しなくてもいい。
オライア:
はい。
司会:
愛していても離れていい。
オライア:
はい。
司会:
相手の幸福を願いながら、二度と会わなくてもいい。
カビール:
もちろんです。
司会:
すると「愛しなさい」という言葉が、ずっと自由になりますね。
愛とは必ずしも、
「あなたを私の人生に戻します」
ではない。
ルーミー:
時には、
「あなたを憎むことで、これ以上私の人生をあなたに支配させません」
という愛もあるでしょう。
司会:
それは相手への愛ですか?
ルーミー:
自分への愛でもあります。
そして、その二つを必ず敵同士にする必要はありません。
メアリーが川辺から小さな石を拾う。
メアリー・オリヴァー:
私は別のことが気になります。
私たちはずっと「もう一度誰かを愛せるか」と話しています。
でも、傷ついたあと最も愛せなくなる相手は、別の人ではない場合があります。
司会:
誰ですか?
メアリー・オリヴァー:
自分です。
司会の表情が変わる。
メアリー・オリヴァー:
「あの人を信じた私が馬鹿だった」
「なぜ気づかなかったのだろう」
「なぜあんな選択をしたのだろう」
「もっと早く離れるべきだった」
人は傷つけた相手だけでなく、
傷つけられた自分まで責めることがあります。
オライア:
そして自分を許せないまま、次の関係へ行く。
すると新しい人を見ているようで、過去の人を見ています。
司会:
新しい人が何もしていないのに疑う。
オライア:
そう。
返信が少し遅い。
「また捨てられる」
少し意見が違う。
「この人も私を理解してくれない」
少し距離を感じる。
「やっぱり誰も信用できない」
過去が現在を翻訳してしまうんです。
ヘッセ:
それが傷の恐ろしいところです。
傷は記憶だけに残るのではない。
世界の見え方そのものを変える。
司会:
だったら、一度傷ついたことがないかのように愛するなんて、やはり無理じゃないですか。
今度はリュ・シファが微笑む。
リュ・シファ:
だから私は、その「かのように」が美しいのだと思います。
傷がなかった、とは言っていない。
傷がないかのように。
傷を消せとは言っていない。
傷に未来を決めさせるな、と私は読みます。
司会が本の表紙をもう一度見る。
司会:
傷を忘れない。
でも、傷に次の人の判決をさせない。
リュ・シファ:
そうです。
司会:
これは恋愛だけではありませんね。
子どもにも。
親にも。
友達にも。
メアリー・オリヴァー:
人生そのものにも。
司会:
人生そのもの?
メアリー・オリヴァー:
人生に裏切られた、と感じることがあります。
こんなはずではなかった。
この人とはもっと長く一緒にいられると思っていた。
この仕事は続くと思っていた。
健康でいられると思っていた。
子どもはずっと近くにいると思っていた。
明日も今日と似た日だと思っていた。
そして突然、それが終わる。
そのとき人は、人だけではなく人生そのものを信用しなくなることがあります。
司会:
それでも人生を愛せ、と。
メアリー・オリヴァー:
私は、そう問いかけたい。
「あなたが望んだ人生ではなくなったあとも、目の前に残っている人生を愛せますか?」
誰もすぐには答えない。
日がかなり落ちている。
司会がルーミーを見る。
司会:
最後に一つだけ。
あなたはさっき、愛するなら喪失の可能性を避けられないと言いました。
だったら私たちは、愛した瞬間から別れに向かっているのでしょうか。
ルーミー:
そう考えることもできます。
しかし逆にも考えられます。
別れがあるから、今ここにいる人が永遠に「いるもの」ではなくなる。
司会:
つまり?
ルーミー:
今日話せる人とは、今日話す。
今日抱きしめられる人なら、今日抱きしめる。
今日謝れるなら、今日謝る。
永遠が保証されていないことは、愛を無意味にはしません。
むしろ、一瞬を大切にします。
カビール:
人間の奇妙なところです。
失うことを恐れて愛さない。
しかし愛さなかった時間も、同じように失われていく。
司会は川を見る。
司会:
では、このTopicの最初の質問を少し変えてみたい。
最初は、
「傷ついても、もう一度愛せるのか?」
でした。
今はこう聞きたい。
「傷ついた経験を持ったまま、それでも心を閉ざさずに生きることはできるのか?」
ヘッセ:
そのほうが本当の問いでしょう。
オライア:
そして答えは一度だけ出すものではないと思います。
毎日選び直す。
リュ・シファ:
今日少しだけ心を開く。
明日また少し。
それで十分なのかもしれません。
司会は本を閉じる。
ところがメアリーは川を見たまま、ぽつりと言う。
メアリー・オリヴァー:
でも、ここにはまだ一つ問題があります。
私たちは今、
「傷も人生の一部として受け入れよう」
というところまで来ました。
では、悲しみそのものはどうなのでしょう。
悲しみは、本当に治さなければならないものなのでしょうか。
それとも私たちは、
悲しみまで人生から追い出そうとしすぎているのでしょうか。
司会は彼女を見る。
誰も立ち上がらない。
Conversationはまだ続いている。
Topic 2:「悲しみは人生から取り除くべきものなのか?」へ。
Topic 2: 悲しみは人生から取り除くべきものなのか?

川辺には、さっきより深い静けさが降りている。
夕暮れはほとんど終わり、空にはまだ少しだけ光が残っている。
メアリー・オリヴァーの最後の問いが、誰の中にも残っている。
「私たちは、悲しみまで人生から追い出そうとしすぎているのでしょうか。」
司会がゆっくり口を開く。
司会:
私は、悲しみは早く治したほうがいいものだと思っていました。
元気になる。
立ち直る。
前を向く。
忘れる。
そういう言葉をよく使います。
でも今考えると、悲しんでいる人に対して、私たちは少し急かしすぎるのかもしれません。
メアリー・オリヴァー:
悲しみには、それぞれ時間があります。
春が来たからといって、雪が一瞬で消えるわけではありません。
司会:
でも、ずっと悲しんでいたら人生が止まってしまいませんか?
ヘッセ:
止まることと、立ち止まることは違います。
人間には、立ち止まらなければ見えないものがあります。
司会:
つまり悲しむ時間も必要だと。
ヘッセ:
必要というより、自然なのだと思います。
大切なものを失ったのに、何も感じないほうが不自然でしょう。
カビール:
人間は喜びだけを人生と呼びたがります。
しかし悲しみも同じ人生です。
司会:
それでも、悲しみは苦しいですよ。
できるなら避けたい。
カビール:
もちろんです。
痛いものを痛くないふりをする必要はありません。
しかし、
「苦しいから、存在してはいけない感情だ」
と考える必要もない。
ルーミーが静かに頷く。
ルーミー:
悲しみを敵にすると、悲しみそのものに加えて、
「悲しんでいる自分は間違っている」
という第二の苦しみが生まれます。
司会:
それはありますね。
周りはもう普通に戻っている。
自分だけまだ悲しい。
すると、
「いつまでこんな状態なんだろう」
と思ってしまう。
オライア:
そして誰かから、
「もう前を向いたら?」
と言われる。
司会:
悪気はないんですけどね。
オライア:
悪気がないからこそ、難しい。
人は慰めようとして、
「時間が解決するよ」
「もっとつらい人もいるよ」
「きっと意味があるよ」
「新しい人を見つければいいよ」
と言うことがあります。
でも悲しんでいる人が本当に求めているのは、解決策ではないことも多い。
司会:
では何を求めている?
オライア:
「それは悲しいね」
と一緒に座ってくれる人です。
司会は少し黙る。
司会:
解決しない。
励まさない。
ただ一緒にいる。
メアリー・オリヴァー:
それだけで人は救われることがあります。
悲しみは、説明されるより見守られるほうがいいことがある。
司会:
でも現代は、悲しみが苦手ですよね。
SNSを開けば、楽しそうな人ばかり見える。
旅行。
結婚。
成功。
家族。
笑顔。
ヘッセ:
人間は昔から他人と比べてきましたが、今は他人の幸福が絶えず目に入る。
それによって、自分の悲しみが異常に見えることがあります。
司会:
「みんな幸せそうなのに、なぜ自分だけ」
という感覚ですね。
リュ・シファ:
だから私は、悲しみについて語る詩を大切にしたのだと思います。
詩には、
「あなたが感じていることを、別の誰かも感じた」
と伝える力があります。
それだけで孤独が少し変わる。
司会:
悲しみそのものは消えなくても。
リュ・シファ:
はい。
「私だけではない」と分かる。
それだけで悲しみの形が変わります。
司会は少し考え、全員を見回す。
司会:
では、もっと難しい質問をします。
愛する人を亡くしたとします。
一年後。
三年後。
十年後。
まだ悲しい。
これは「立ち直れていない」のでしょうか。
メアリー・オリヴァー:
私はそう思いません。
誰かを失った悲しみが完全になくなる必要はない。
悲しみは、愛が残っている場所でもあります。
司会:
でも「乗り越える」とよく言います。
ヘッセ:
私はその言葉に少し違和感があります。
山を越えたら、山は後ろに残ります。
しかし喪失はそうではない。
一緒に生きていくものになることがあります。
司会:
一緒に生きる?
ヘッセ:
最初は悲しみが人生全体を占めている。
どこを見ても悲しい。
しかし時間がたつと、人生のほうが少しずつ広がっていく。
悲しみが小さくなるとは限らない。
人生のほうが大きくなる。
司会がその言葉を繰り返す。
司会:
悲しみが小さくなるのではなく、人生が大きくなる。
ヘッセ:
そうです。
悲しみはそこにある。
でもその隣に、笑う日が生まれる。
仕事をする日が生まれる。
誰かと食事をする日が生まれる。
新しい愛が生まれることもある。
オライア:
そして人は、そのとき罪悪感を感じることがあります。
司会:
笑ってしまったことに?
オライア:
そう。
大切な人を失ったあとで、楽しいと思ってしまった。
旅行を楽しんだ。
誰かを好きになった。
その瞬間、
「私は忘れてしまったのではないか」
と思う。
司会:
ありますね。
幸せになることが、亡くなった人への裏切りみたいに感じる。
メアリー・オリヴァー:
でも愛は、悲しみ続けることで証明するものではないと思います。
亡くなった人を愛していたことと、残された人生を生きることは両立します。
ルーミー:
愛は墓の前で止まる必要はありません。
形を変えるだけです。
司会:
その人はもういないのに、愛は残る。
ルーミー:
愛は相手が目の前にいる時間だけに存在するものではないでしょう。
ある人は死んだあとも、私たちの判断に影響する。
言葉に残る。
習慣に残る。
笑い方に残る。
誰かへの優しさに残る。
人は消えても、関係のすべてが消えるわけではありません。
カビールが少し離れたところから声をかける。
カビール:
私は一つ聞きたい。
悲しみには意味があるのでしょうか。
司会:
私が聞こうと思っていました。
「すべての苦しみには意味がある」
という言葉を聞くことがあります。
本当にそうなのでしょうか。
事故。
病気。
戦争。
突然の死。
裏切り。
虐待。
そういうものまで、
「意味がある」
と言っていいのでしょうか。
誰もすぐには答えない。
リュ・シファが先に口を開く。
リュ・シファ:
私は、起きた出来事そのものに必ず意味がある、とは言いたくありません。
司会:
そこは区別したほうがいいですね。
リュ・シファ:
はい。
苦しみそのものを美化すると、苦しんでいる人をさらに傷つけることがあります。
「あなたが成長するために必要だった」
「神が与えた試練だ」
そう言われて救われる人もいるでしょう。
しかし、それを他人が決めるべきではないと思います。
カビール:
意味は、苦しみに最初から貼り付いている札ではないのかもしれない。
司会:
では、どこから生まれる?
カビール:
その後の生き方から。
司会が顔を上げる。
カビール:
起きたことを正当化する必要はない。
しかし、
「この出来事のあと、私は何をするのか」
という自由は残る。
ヘッセ:
これは非常に重要です。
苦しみには意味がある、と決めるのではなく、
苦しみから意味を作ることができる
と考える。
司会:
同じように聞こえるけれど、かなり違いますね。
ヘッセ:
まったく違います。
前者は、出来事を正当化します。
後者は、人間の自由を残します。
司会は草を一本抜き、指でくるくる回す。
司会:
では、少し個人的な質問です。
もし人生から、自分が経験した悲しい出来事を一つだけ消せるとしたら、消しますか?
オライア:
難しい質問ですね。
司会:
失恋。
失敗。
愛する人の死。
大きな後悔。
一つだけ。
完全に消える。
記憶もなくなる。
それによって得たものも全部なくなる。
どうしますか?
ヘッセ:
「それによって得たものも」という条件が重要ですね。
司会:
そうです。
悲しみだけを取り除くことはできない。
その出来事から生まれた自分も変わる。
メアリー・オリヴァー:
私は簡単には消せないと思います。
司会:
なぜ?
メアリー・オリヴァー:
ある悲しみは、私が何を大切にしていたかを教えてくれたからです。
司会:
でも、愛する人を亡くしたことまで?
メアリー・オリヴァー:
その人の死を望む人はいません。
もし選べるなら、生きていてほしいでしょう。
でも、死んだという事実を消すことと、その人との人生を消すことが結びついているなら、私は簡単には選べない。
ルーミー:
深く愛した記憶と深い悲しみは、同じ場所から来ることがあります。
愛だけ残して悲しみだけ消すことは、人間にはできないのかもしれない。
司会:
それなら、悲しみは愛の代償でしょうか。
ルーミー:
代償という言葉は少し冷たい。
私は、
愛が時間の中を通ったあとに残す影
と考えたい。
オライア:
でも、ここで一つ注意したいことがあります。
私たちは悲しみを美しいものにしすぎないほうがいい。
司会:
さっきと同じですね。
オライア:
そう。
深く悲しんでいる人に、
「その悲しみは愛の証ですよ」
と言っても、何の助けにもならない日があります。
眠れない。
食べられない。
朝起きられない。
何も感じたくない。
そういう時には、詩的な意味より、
誰かが食事を持ってきてくれることのほうが大切かもしれない。
司会:
とても現実的ですね。
オライア:
精神的な言葉が、現実の苦しみから逃げる道具になってはいけないと思います。
リュ・シファ:
同感です。
詩は人を抱きしめることはできても、すべてを解決することはできません。
司会:
では、悲しみを尊重することと、助けを求めることは矛盾しない。
ヘッセ:
まったく矛盾しません。
悲しみを受け入れるというのは、一人で耐えるという意味ではない。
川の向こうで鳥が一羽、低く飛んでいく。
司会がしばらくその姿を見る。
司会:
私はもう一つ気になることがあります。
人間は悲しいことが起きる前から悲しむことがありますよね。
親が年を取っていく。
子どもが家を出る。
自分も年を取る。
犬もいつか死ぬ。
まだ何も起きていないのに、失う日を考えて悲しくなる。
これは無駄な悲しみでしょうか。
メアリー・オリヴァー:
いいえ。
でも、その悲しみに今を食べさせてはいけないと思います。
司会:
今を食べる?
メアリー・オリヴァー:
まだ一緒にいるのに、失う日のことだけを考えている。
それでは未来の悲しみが、今日の幸福を奪ってしまう。
司会:
確かに。
ルーミー:
死を忘れろ、ということではありません。
死を知るからこそ、今日を見る。
司会:
これはTopic 1ともつながりますね。
失うことを恐れて愛さない。
あるいは、失うことを恐れすぎて、一緒にいる時間まで悲しくしてしまう。
カビール:
人間は未来の痛みを避けようとして、現在を失うことがあります。
司会は少し笑う。
司会:
では、悲しみについてかなり話してきました。
最初の質問に戻りましょう。
悲しみは人生から取り除くべきものなのでしょうか。
ヘッセ:
すべて取り除く必要はない。
オライア:
しかし、悲しみの中に閉じ込められる必要もない。
カビール:
追い出さなくてもいい。
王様にもしなくていい。
司会:
いい表現ですね。
メアリー・オリヴァー:
悲しみが訪ねてきたら、しばらく座ってもらう。
でも家そのものを渡さない。
ルーミー:
そして悲しみに聞いてみる。
「あなたは私に何を知らせに来たのか」
司会:
答えがないこともありますよね。
ルーミー:
もちろん。
答えがなくても、座っていればいい。
すべての感情に教訓が必要なわけではありません。
しばらく誰も話さない。
やがて司会が静かに言う。
司会:
今日のConversationで、私は「悲しみを乗り越える」という言葉が少し違って見えるようになりました。
悲しみを後ろに置いて進むのではなく、
悲しみを持ったまま、人生を広げていく。
そして時々また悲しくなる。
それでもいい。
リュ・シファ:
それが人間なのだと思います。
司会:
そして悲しみがあるからこそ、
何を愛していたのかが見えることもある。
メアリー・オリヴァー:
はい。
けれど、悲しむために愛する必要はありません。
今いる人を、今大切にすればいい。
司会は少し遠くを見る。
司会:
すると次の問いが出てきます。
私たちは、大切なものを失ってから、
「あれが幸せだった」
と気づくことがあります。
普通の夕食。
何でもない電話。
家族がまだ同じ家にいた頃。
親が元気だった頃。
なぜ人間は、その瞬間には気づけないのでしょう。
ヘッセが静かに答える。
ヘッセ:
おそらく人間は、永遠に続くと思っているものには、注意を払わないからでしょう。
司会が彼を見る。
司会:
では次は、
「人生で本当に大切なものに、なぜ人は遅く気づくのか?」
ですね。
川辺には、もう夜が来ている。
Conversationはそのまま続いていく。
Topic 3: 人生で本当に大切なものに、なぜ人は遅く気づくのか?

夜になった。
川の向こう側に、家々の明かりがぽつぽつと見える。
さっきまで誰かが座っていたベンチには、もう誰もいない。
全員が自然に川の近くへ集まっている。
ヘッセの言葉が残っていた。
「人間は、永遠に続くと思っているものには、注意を払わない。」
司会が小さく息を吐く。
司会:
あの言葉、少し怖いですね。
考えてみれば、人生で大切だったものの多くは、なくなってから気づきます。
子どもが小さかった頃。
両親が元気だった頃。
夫婦で何でもない話をしていた夜。
毎朝歩いた道。
いつでも電話できた友人。
犬が玄関まで迎えに来てくれた日。
そのときには、
「今日が人生で大切な一日だ」
なんて思わない。
ただの火曜日だったりする。
メアリー・オリヴァー:
それが人生の不思議なところですね。
人間は特別な日を待っています。
でも人生の大部分は、特別ではない日でできています。
司会:
そして、その普通の日を失ってから、
「あの頃は幸せだった」
と言う。
なぜ、そのときに分からないのでしょう。
リュ・シファ:
幸福には、気づきにくい種類があります。
幸福なのに、幸福らしい顔をしていない。
司会:
たとえば?
リュ・シファ:
朝、誰かがいる。
食事をする。
「行ってきます」と言う。
帰ってくる。
少し喧嘩する。
テレビを見る。
眠る。
次の日も同じ。
人間は、それを幸福ではなく「日常」と呼びます。
でも、その一つがなくなると突然分かる。
日常だったものが、実は贈り物だった。
ヘッセ:
問題は、慣れでしょう。
人間には慣れる能力があります。
それがなければ生きていけません。
しかし、慣れには代償もあります。
奇跡だったものが普通になる。
司会:
最初は感動したものにも?
ヘッセ:
もちろん。
初めて仕事を得た日。
初めて自分の家を持った日。
愛する人と暮らし始めた日。
子どもが生まれた日。
最初は奇跡です。
でも一年、五年、十年と続くと、
「あるのが普通」
になる。
オライア:
そして「あるもの」ではなく、「足りないもの」を見るようになります。
司会:
もっと大きな家。
もっとお金。
もっと成功。
もっと自由。
オライア:
もっと理解してくれる夫。
もっと優しい妻。
もっと出来のいい子ども。
もっと面白い人生。
司会:
SNSを見れば、もっと上がいますからね。
オライア:
いつでもいます。
比較というゲームには終点がありません。
カビールが笑う。
カビール:
人間は奇妙です。
持っていないものを数えることには、とても熱心なのに、
持っているものを数えることには飽きてしまう。
司会:
でも向上心は必要でしょう?
今あるものに満足していたら、何も成し遂げられない。
カビール:
誰が「何も望むな」と言いました?
司会:
満足するというのは、そういうことでは?
カビール:
違います。
もっと欲しいと思うことと、
今あるものを愛することは両立できます。
司会:
成功したい。
でも家族も大切にする。
カビール:
そう。
問題は成功ではありません。
成功に、
「私を幸せにしてください」
という仕事まで与えることです。
司会:
これは難しい。
たとえば若い人が、
「仕事なんかより家族が大切です」
と言って、努力しなかったら、それも違うと思います。
ヘッセ:
もちろんです。
夢を持つことを否定する必要はない。
問題は、
「何のために成功したかったのか」
を途中で忘れることです。
司会:
家族を幸せにするために働き始めた。
いつの間にか、仕事のために家族との時間を削っている。
ヘッセ:
そういう逆転は起こります。
リュ・シファ:
最初は人生のためにお金を稼いでいた。
ある地点から、お金のために人生を使い始める。
その境界は、とても見えにくい。
司会がルーミーを見る。
司会:
あなたはどう思いますか。
人間はなぜ「もっと」を求めるのでしょう。
ルーミー:
空腹には二種類あると思います。
満たすことのできる空腹と、
何を与えても満たされない空腹です。
司会:
後者は何ですか?
ルーミー:
自分の価値を外側から証明し続けようとする空腹です。
もっと成功すれば。
もっと認められれば。
もっと愛されれば。
もっと有名になれば。
そこでようやく、
「私は十分だ」
と思えるはずだ、と。
司会:
でも、そこまで行ったら本当に満足する人もいるでしょう。
ルーミー:
もちろん。
しかし「十分」の数字を決めていない人は、
どこまで行っても到着できません。
メアリー・オリヴァーが空を見上げる。
メアリー・オリヴァー:
私は、人生をもっと単純なところから見たい。
今日、あなたは何を見ましたか?
司会:
今日?
メアリー・オリヴァー:
はい。
朝の空を見ましたか。
誰かの顔をちゃんと見ましたか。
食事の味を覚えていますか。
犬が歩いている姿を見ましたか。
風を感じましたか。
司会:
それが人生の意味ですか?
メアリー・オリヴァー:
意味と言う必要さえないかもしれません。
それが、
人生そのもの
です。
人生の意味を探している間にも、人生は進んでいます。
司会が黙る。
しばらくして、小さな声で話し始める。
司会:
では、こんな場面を考えてください。
ある父親がいる。
子どもが小さい頃、毎朝学校へ送っていた。
車の中では、くだらない話をする。
子どもは音楽をかける。
父親は、
「その曲うるさいな」
と言う。
子どもは笑う。
毎日です。
父親は時々思う。
早く自分で運転できるようになってくれないかな。
そうすれば朝が楽になる。
そして何年かたつ。
子どもは自分で運転するようになる。
さらに何年かたつ。
家を出る。
ある朝、父親が一人で車に乗る。
静かなんです。
そこで突然、
「あの時間は幸せだったんだ」
と分かる。
なぜ人間は、そのときには分からないのでしょう。
誰もすぐには答えない。
やがてメアリーが言う。
メアリー・オリヴァー:
そのときにも、分かっていたのではないでしょうか。
司会:
でも、父親は「早く自分で運転してくれ」と思っていた。
メアリー・オリヴァー:
人間は、一つの瞬間に二つのことを感じられます。
面倒だと思いながら愛している。
疲れていながら幸せ。
自由が欲しいと思いながら、一緒にいたい。
司会:
なるほど。
メアリー・オリヴァー:
幸福というものを、
「幸福だと感じ続けている状態」
だと思わないほうがいいのかもしれません。
オライア:
親になることなんて、その典型でしょう。
子どもが小さいと、
「一人の時間が欲しい」
と思う。
やっと子どもが独立すると、
「もう少し一緒にいたかった」
と思う。
司会:
人間は勝手ですね。
オライア:
人間なんです。
笑いが起こる。
ヘッセ:
問題は、後悔を使って過去を美化しすぎることです。
司会:
どういう意味ですか?
ヘッセ:
「あの頃は幸せだった」
と言うとき、
本当はその頃にも悩みがあったはずです。
お金の心配。
仕事のストレス。
家族との衝突。
眠れない夜。
でも時間がたつと、それらが薄くなる。
そして美しい部分だけが残ることがあります。
司会:
では、「昔は良かった」という記憶も完全には信用できない?
ヘッセ:
記憶は記録ではありません。
人生を意味のある物語にしようとする働きも含んでいます。
リュ・シファ:
だから過去を愛するために、現在を犠牲にしてはいけない。
司会:
それ、ものすごく大事かもしれません。
「子どもが小さかった頃は良かった」
と言っている間に、
今の大人になった子どもとの時間を失ってしまう。
メアリー・オリヴァー:
そうです。
昔の春を懐かしんで、今年の春を見逃すようなものです。
司会:
親が若かった頃を懐かしんでいる間に、
年を取った親と話せる今日を失う。
オライア:
若かった自分を惜しんでいる間に、
今の自分の人生を使わない。
カビール:
人間は過去を失ったあと、
過去が尊かったことを学びます。
しかしその教訓を、
現在に使わなければ意味がない。
司会はしばらく考える。
司会:
だったら、今ここで実験してみませんか。
全員に一つ質問します。
もし今日が人生最後の日だったら、
今日の自分に何を言いますか?
ヘッセ:
もっと自分自身として生きなさい。
他人の期待だけで人生を作らないこと。
オライア:
愛している人に、それを分かる形で伝えなさい。
心の中で愛しているだけでは、相手には見えないことがあります。
カビール:
自分が正しいことを証明するために使っている時間を減らしなさい。
メアリー・オリヴァー:
今日を見なさい。
本当に見なさい。
ルーミー:
愛を先延ばしにしないこと。
リュ・シファ:
人生が始まるのを待たないこと。
司会が笑う。
司会:
最後の言葉は痛いですね。
「人生が始まるのを待たない。」
考えてみれば、私たちはいつも待っています。
仕事が落ち着いたら。
もっとお金ができたら。
子どもが卒業したら。
ローンが終わったら。
退職したら。
健康になったら。
時間ができたら。
そうしたら旅行する。
そうしたら会いに行く。
そうしたら好きなことをする。
そうしたら人生を楽しむ。
リュ・シファ:
そして人生は、その「そうしたら」の間にも進んでいます。
司会:
では、もっと厳しい質問をします。
人生の最後の日に、
「もっと仕事をすればよかった」
と思う人はどれくらいいるでしょう。
ヘッセ:
仕事を心から愛した人なら、そう思うかもしれません。
司会:
なるほど。
仕事を悪者にするのも違いますね。
ヘッセ:
そうです。
ある人にとって仕事は使命です。
芸術かもしれない。
人を助けることかもしれない。
何かを作ることかもしれない。
問題は仕事の時間ではなく、
自分が本当に価値を感じるものに人生を使ったか
でしょう。
オライア:
家族だけが人生の正解でもありません。
結婚していない人もいる。
子どもを持たない人もいる。
一人で生きることを愛する人もいる。
人生の形は違います。
司会:
それなら「何を大切にすべきか」という共通のリストは作れない。
オライア:
作れません。
でも一つ質問はできます。
「あなたが大切だと言っているものと、あなたが実際に時間を使っているものは一致していますか?」
司会の表情が止まる。
司会:
これはかなり厳しい。
カビール:
厳しいですが単純です。
「家族が一番大切です」と言う。
では時間を見る。
「健康が大切です」と言う。
では生活を見る。
「信仰が大切です」と言う。
では生き方を見る。
「友達が大切です」と言う。
では最後に電話した日を見る。
人間の価値観は、言葉より時間の使い方に現れることがあります。
司会は川の向こうの家々を見る。
窓の明かりが増えている。
どこかの家では夕食を食べているのだろう。
誰かが皿を洗っている。
誰かがテレビを見ている。
誰かが子どもに宿題をしなさいと言っている。
何でもない夜だ。
司会:
もしかすると今この瞬間にも、
何千万人もの人が、
あとで「あの頃に戻りたい」と思う時間を生きているのかもしれませんね。
メアリー・オリヴァー:
そうでしょうね。
司会:
でも、それを毎秒意識して生きるなんて無理でしょう?
毎朝、
「この朝は二度と来ない!」
なんて考えていたら疲れます。
メアリーが笑う。
メアリー・オリヴァー:
その必要はありません。
人生を大切にするとは、
すべての瞬間に感動することではありません。
司会:
では何でしょう。
メアリー・オリヴァー:
時々、気づくことです。
その言葉のあと、長い沈黙が来る。
誰も急いで埋めようとしない。
やがてルーミーが言う。
ルーミー:
一日に一度でもいい。
「これはいつまでも続かない」
と思い出す。
すると、
いつもの顔が少し違って見える。
いつもの食事が少し違って感じられる。
いつもの声を、少し丁寧に聞くようになる。
司会:
死を考えることで、生が見える。
ルーミー:
死は生の敵とは限りません。
限りがあると知ることが、愛を深くする場合があります。
司会:
それなら、今日の問いに答えられる気がします。
「人生で本当に大切なものに、なぜ人は遅く気づくのか?」
永遠にあると思ってしまうから。
慣れてしまうから。
足りないものばかり見るから。
未来の幸福を追いかけるから。
そして、失って初めて、その存在の大きさが見えるから。
ヘッセ:
しかし、そこで終わってはいけない。
司会:
そうですね。
失って学んだことを、
まだ失っていないものに使う。
リュ・シファ:
それができれば、後悔はただの後悔ではなくなります。
司会が立ち上がる。
少し歩いて、川のすぐそばまで行く。
司会:
では、読んでいる人にも一つだけ質問を残したい。
「人生で一番大切なものは何ですか?」
ではありません。
もっと具体的にしましょう。
「あなたが今『いつでもある』と思っているもので、なくなったら一番会いたくなるものは何ですか?」
人かもしれない。
声かもしれない。
場所かもしれない。
毎日の習慣かもしれない。
何でもない夕食かもしれない。
そして、それがまだあるなら、
今日、それに少しだけ気づく。
それだけでいい。
カビールが夜空を見上げる。
カビール:
しかし、ここまで話してきて、私は気になることがあります。
私たちは、
愛すること。
悲しむこと。
大切なものに気づくこと。
について話してきた。
けれど人間は、なぜこれほど「意味」を求めるのでしょう。
司会:
意味?
カビール:
愛する人を失えば、
「なぜ?」
と聞く。
病気になれば、
「なぜ私が?」
と聞く。
人生がうまくいけば、
「これは何かの導きなのか?」
と考える。
死を意識すれば、
「この人生には何の意味があったのか?」
と問う。
人間は何千年も、その問いを神に向けてきました。
ルーミーが静かにカビールを見る。
司会:
すると次は避けられませんね。
神は宗教の中にいるのか、それとも人生そのものの中にいるのか?
そしてもう一つ。
苦しんでいるとき、神はどこにいるのか?
誰も答えない。
けれど今までとは少し違う沈黙が流れている。
Topic 4は、すでに始まりかけている。
Topic 4: 神は宗教の中にいるのか、それとも人生そのものの中にいるのか?

夜の川は、昼間とはまるで違う場所に見える。
水面そのものはほとんど見えない。
けれど月の光が当たったところだけ、川がそこにあることが分かる。
誰も場所を移動していない。
カビールの問いだけが残っている。
「人間は、なぜこれほど意味を求めるのでしょう。」
司会がルーミーを見る。
司会:
ここまで避けてきた一番大きな問いに来てしまった気がします。
神です。
人間は何千年も神について話してきました。
神を愛した。
神を恐れた。
神に祈った。
神のために巨大な建物を造った。
そして残念ながら、神の名によって争ったこともある。
そこで最初に、とても単純な質問をしたい。
人間はなぜ神を求めるのでしょう?
ヘッセ:
死ぬことを知っているからではないでしょうか。
司会:
死が怖いから神を作った?
ヘッセ:
それだけとは言いません。
しかし人間は、自分がいつか存在しなくなることを知っています。
その知識を持って毎日生きるのは簡単ではない。
「私はなぜここにいるのか」
「死んだらどうなるのか」
「この人生には意味があるのか」
それを考えるのは自然でしょう。
オライア:
もう一つあると思います。
人間は孤独だから。
司会:
孤独?
オライア:
どれほど愛されても、最後まで完全には共有できない場所があります。
誰にも見せていない恐怖。
言葉にできない悲しみ。
誰にも説明できない自分。
そこに、
「私を完全に知っている存在がいる」
と思えることは、とても大きい。
司会:
それを聞くと、少し意地悪な質問をしたくなります。
神は、人間が孤独に耐えるために作った存在ではないのですか?
誰もすぐには反論しない。
ルーミーが微笑む。
ルーミー:
それは可能性として問うことができます。
しかし逆の質問もできます。
司会:
どんな?
ルーミー:
人間が神を必要としていることは、
神が存在しない証拠になるのでしょうか。
司会:
ならない。
ルーミー:
喉が渇くからといって、水が想像上のものになるわけではありません。
しかし喉が渇くことだけで、水の存在を証明できるわけでもない。
司会:
なるほど。
信仰を証明にも反証にも使わない。
ルーミー:
神を求める心そのものを、まず見つめたいのです。
カビールが川岸を歩き始める。
カビール:
私にはもっと気になることがあります。
人間は神を探すと言いながら、神を閉じ込めようとする。
司会:
どこに?
カビール:
寺院に。
教会に。
モスクに。
聖典に。
儀式に。
そして、
「ここに神がいる」
と言う。
その次には、
「あなたのところにはいない」
と言い始める。
司会:
でも宗教には教義があります。
何でも同じだと言ったら、宗教そのものが意味を失いませんか?
カビール:
もちろん違います。
宗教の違いを消す必要はない。
神についての考え方も違う。
救いについても違う。
死後についても違う。
人間についても違う。
司会:
では、「全部同じ神です」と簡単に言うのも違う?
カビール:
私はそう思います。
違うものを無理に同じにすることは、互いを尊重することではありません。
ルーミー:
しかし違いを認めたうえで、
「なぜ人間はこれほど長い間、超越的なものを求め続けてきたのか」
を一緒に考えることはできます。
司会:
ではキリスト教徒はキリスト教徒として。
イスラム教徒はイスラム教徒として。
ヒンドゥー教徒はヒンドゥー教徒として。
仏教徒には、そもそも創造主としての神を中心にしない伝統もある。
無宗教の人もいる。
それでも同じ場所に座れる。
リュ・シファ:
それが、この本でさまざまな文化の詩を一緒に読む面白さの一つだと思います。
同じ答えを出すためではない。
同じ問いの前に座るためです。
司会は少し考える。
司会:
では、私はクリスチャンに聞いてみたい問いをここに持ち込みます。
「神を信じる」というのは、
神について正しいことを知っていることなのでしょうか。
それとも神を信頼して生きることなのでしょうか。
ヘッセ:
その二つが一致しない人もいるでしょう。
司会:
教義には詳しい。
聖書もよく知っている。
毎週教会へ行く。
でも人を憎んでいる。
一方で、宗教についてほとんど知らないけれど、
困っている人を助け、
敵を許し、
孤独な人のそばにいる人もいる。
神に近いのはどちらなのでしょう。
沈黙。
カビール:
人間は、神について話すことと神を知ることを混同しやすい。
司会:
でも、正しい信仰内容は大切では?
カビール:
大切だと思う人には大切でしょう。
しかし正しい言葉を知っていることが、
正しい生き方を保証するでしょうか。
司会:
しない。
カビール:
そこです。
ルーミーが司会を見る。
ルーミー:
愛についても同じでしょう。
愛について百冊読んだ人と、
病気になった妻のそばに二十年間座った人。
どちらが愛を知っているでしょう。
司会:
後者と言いたくなります。
ルーミー:
では神についても、
知識とは別の知り方があるのではないでしょうか。
メアリー・オリヴァー:
私は少し違う場所から見たい。
司会:
自然ですか?
メアリーが笑う。
メアリー・オリヴァー:
そうですね。
朝の森を歩く。
鳥が鳴いている。
光が木々の間から入ってくる。
誰も説教していない。
誰も教義を説明していない。
でも突然、
「私は生きている」
ということ自体が不思議に感じられる瞬間があります。
司会:
それを神と呼びますか?
メアリー・オリヴァー:
私は、名前を急いで付ける必要はないと思います。
ある人は神と呼ぶ。
ある人は自然と呼ぶ。
ある人は畏敬と呼ぶ。
ある人は何も呼ばない。
でも、人間が自分より大きなものの前で静かになる経験はあります。
司会:
では、もっと難しいところへ行きましょう。
私は神について考えるとき、どうしても避けられない質問があります。
苦しんでいるとき、神はどこにいるのでしょう?
今度の沈黙は長い。
誰もすぐには答えない。
司会:
子どもが病気になる。
善良な人が突然亡くなる。
戦争で家族を失う。
災害で家がなくなる。
何十年祈ってきた人が、
最後に一番苦しい出来事に遭う。
その人に、
「神には計画があります」
と言えるでしょうか。
リュ・シファ:
私は簡単には言えません。
司会:
なぜ?
リュ・シファ:
その言葉を言う人が、神の計画を知っているわけではないからです。
オライア:
苦しんでいる人の前で、答えを急ぐことは危険です。
司会:
Topic 2と同じですね。
オライア:
そう。
悲しみについても、
神についても、
人間は沈黙に耐えられない。
だから説明する。
「意味があります」
「試練です」
「もっと強くなれます」
「神が必要だから与えたのです」
でも、その言葉が苦しんでいる人を孤独にすることがあります。
司会:
では、信仰には答えがない?
オライア:
答えを持たないまま、そばにいる信仰もあるのでは?
ルーミーが静かに言う。
ルーミー:
人間は、
「神よ、なぜこれを起こしたのですか」
と問います。
それは正当な問いです。
怒ってもいい。
泣いてもいい。
神に抗議してもいい。
司会:
神に怒ってもいい?
ルーミー:
愛する相手にしか、本気では怒れないことがあります。
司会:
これはユダヤ・キリスト教の聖書にもありますね。
ヨブは苦しみの中で問い続ける。
詩篇にも、神が遠く感じられる叫びがある。
信仰とは、疑問を持たないことではない。
ヘッセ:
むしろ本当に深刻な問いを持ったとき、借り物の信仰と自分自身の信仰が分かれるのかもしれません。
司会:
では、こう聞きます。
祈っても願いが叶わないなら、
なぜ祈るのでしょう。
カビール:
あなたは祈りを、何だと思っていますか?
司会:
神にお願いすること。
カビール:
それだけですか?
司会が黙る。
カビール:
もし祈りが、
「神よ、私の望むように世界を変えてください」
だけなら、
願いが叶わなかったとき祈りは失敗になります。
でも祈りには、
「この現実の中で、私はどう生きればいいのですか」
という形もある。
司会:
世界を変える祈りと、
自分が変わる祈り。
カビール:
そして誰かのために泣くこと自体が祈りになることもあるでしょう。
メアリー・オリヴァー:
誰かの手を握ることも。
司会:
それも祈り?
メアリー・オリヴァー:
宗教的な意味でそう呼ぶかは、その人次第です。
でも、
「あなたは一人ではない」
と伝える行為には、祈りと似たものがあります。
司会がしばらく考える。
司会:
では神は、奇跡として現れるとは限らない。
リュ・シファ:
そう考える人もいるでしょう。
司会:
病気が治ることだけが神ではなく、
病室で朝まで手を握ってくれた人の中に神を見る人もいる。
ルーミー:
そうです。
司会:
祈ったら問題が消えた。
それだけではなく、
問題は消えなかったけれど、一人ではなくなった。
そこに神を感じる人もいる。
ヘッセ:
しかし無宗教の人なら、
「それは単なる人間の愛でしょう」
と言うかもしれません。
司会:
確かに。
ヘッセ:
それも尊重しなければいけない。
同じ出来事を見て、
ある人は神を見る。
別の人は人間を見る。
その違いを無理に消す必要はありません。
リュ・シファ:
詩ができることは、
どちらが正しいと裁くことではなく、
その経験をもう少し深く見ることなのかもしれません。
司会がカビールを見る。
司会:
では、最初の問いに戻ります。
神は宗教の中にいるのでしょうか。
カビール:
私は問いを変えたい。
司会:
どう変えますか?
カビール:
宗教の中に神がいるかではなく、
宗教の外には神がいないのか?
司会が笑う。
司会:
ずいぶん違って聞こえます。
カビール:
教会で祈る。
美しい。
モスクで祈る。
美しい。
寺院で祈る。
美しい。
でもその建物を出た瞬間、
神との関係が終わるのでしょうか。
家に帰る。
夫婦で話す。
子どもに接する。
働く。
お金を使う。
嫌いな人に会う。
弱い人を見る。
そこには神はいないのでしょうか。
ルーミー:
神を愛すると言いながら、
目の前の人間を軽蔑する。
そこには大きな矛盾があります。
司会:
では、信仰の本当のテストは礼拝中ではなく、
礼拝が終わったあと?
カビール:
面白い言い方ですね。
司会:
ここで最後の質問です。
これは少し危険な問いかもしれません。
もし神が存在するとしたら、
神について正しく説明できる人と、
人を深く愛した人。
どちらが神をよく知っているのでしょう。
ヘッセ:
その二つを競わせなくてもいいのでは?
司会:
確かに。
ヘッセ:
真理を求めることも大切。
愛することも大切。
問題は、
真理を持っているという確信によって愛を失うときでしょう。
オライア:
逆もあります。
「私は愛の人だから」と言って、難しい真実から逃げることもできる。
司会:
なるほど。
愛だけでも簡単ではない。
正しさだけでも足りない。
リュ・シファが、それまで膝に置いていた本を閉じる。
リュ・シファ:
だから私は、いろいろな時代、文化、宗教から来た言葉を一冊の中に置くことに意味を感じたのだと思います。
それぞれの答えは同じではありません。
でも、
愛とは何か。
死とは何か。
苦しみとは何か。
私は誰なのか。
どう生きるのか。
人間はずっと似た問いをしている。
司会:
そして神について話していたはずなのに、
結局また、
「どう生きるか」
に戻ってきましたね。
ルーミー:
神についてのConversationが、本当に生き方と無関係なら、何かがおかしいのかもしれません。
夜空には星が少し見えている。
司会が全員を見渡す。
司会:
Topic 1では、
傷ついても愛せるか、と聞きました。
Topic 2では、
悲しみとどう生きるかを聞いた。
Topic 3では、
何が本当に大切なのかを考えた。
Topic 4では、
そのすべての向こう側に神や意味があるのかを考えた。
でも、まだ一つだけ残っています。
これまでの話が全部正しかったとしても、
明日の朝、
私たちは普通に起きます。
スマートフォンを見る。
仕事へ行く。
メールを読む。
食事をする。
腹を立てる。
疲れる。
そして、また一日が終わる。
では、このConversationは実際の人生を何か変えるのでしょうか。
カビールが静かに笑う。
カビール:
それなら最後に、哲学を全部捨ててしまいましょう。
司会:
どういう意味ですか?
カビール:
残り時間を教えてもらえばいい。
司会は彼を見る。
カビール:
もし今夜、
「あなたに残された人生はあと一年です」
と言われたら、
明日の朝、何を変えるでしょう。
長い沈黙。
今度は誰も答えを急がない。
司会が小さく頷く。
司会:
では最後は、それにしましょう。
Topic 5
「もし人生が残り一年しかないと知ったら、明日から何を変える?」
そしてもっと怖い質問もします。
「一年なら変えるのに、なぜ今は変えないのでしょう?」
Conversationは、夜の川辺でそのまま続いている。
Topic 5: もし人生が残り一年しかないと知ったら、明日から何を変える?

夜は完全に深くなっている。
川の音だけが、暗闇の中から聞こえる。
さっきまでConversationの中心にあったのは神だった。
祈り。
死。
苦しみ。
意味。
しかしカビールの最後の問いによって、それらが突然、遠い哲学ではなくなった。
「もし今夜、あなたに残された人生はあと一年です、と言われたら?」
司会は誰にも質問しない。
しばらく、自分自身で考えている。
やがて口を開く。
司会:
正直に言います。
私はたぶん、最初は何もできないと思います。
一年。
365日。
カレンダーを見るでしょう。
そして、
「来年の今日、自分はいないのか」
と思う。
怖いですね。
ヘッセ:
当然でしょう。
司会:
でも数日たったら、たぶん別のことを考え始める。
何をしよう。
どこへ行こう。
誰に会おう。
何を残そう。
そこで気づくと思うんです。
人生で大切なものの順位が、一晩で変わってしまう。
オライア:
本当に順位が変わるのでしょうか。
司会:
どういう意味ですか?
オライア:
もともとの順位が見えるだけでは?
司会が黙る。
オライア:
死が近づいたから家族が大切になるのではない。
もともと大切だった。
死が近づいたから友人に会いたくなるのではない。
もともと会いたかった。
死が近づいたから謝りたくなるのではない。
ずっと心のどこかでは謝りたかった。
一年という期限が、
言い訳を取り除くだけなのかもしれません。
司会:
それなら最初の質問です。
残り一年なら、
何をやめますか?
ヘッセ:
他人からどう見られるかを気にする時間を減らすでしょう。
司会:
完全にはやめない?
ヘッセ:
人間ですから。
でも、
「この人は私をどう思うだろう」
という問いに人生を渡さない。
カビール:
私は、つまらない争いをやめます。
司会:
どんな争い?
カビール:
自分が正しいことを証明しても、何も良くならない争いです。
司会:
SNSはかなり静かになりますね。
笑いが起きる。
カビール:
家族も静かになるかもしれません。
司会:
そっちのほうが痛いですね。
カビール:
人間は知らない人との議論より、
愛している人との小さな勝負に多くの時間を使うことがあります。
「私が正しかった」
「あなたが言った」
「いや、言っていない」
「いつもあなたは」
「あなたこそ」
残り一年になったら、
その勝利にはどれほど価値があるでしょう。
メアリー・オリヴァー:
私は急ぐことを少し減らします。
司会:
残り一年なのに?
むしろ急ぐのでは?
メアリー・オリヴァー:
だからです。
時間が少ないと知ったら、一日を早送りしたくありません。
朝食を食べるなら、朝食を食べる。
歩くなら歩く。
誰かと話すなら、その人を見る。
司会:
一年で百個のことをするのではなく?
メアリー・オリヴァー:
百個の場所へ行って、どこにもいなかった。
そんな一年にはしたくありません。
リュ・シファ:
私は先延ばしをやめたい。
司会:
何を?
リュ・シファ:
言葉です。
「ありがとう」
「ごめんなさい」
「会いたかった」
「あなたがいてくれてよかった」
そういう言葉には賞味期限があることがあります。
司会:
相手がいなくなる。
リュ・シファ:
自分がいなくなることもある。
司会が全員を見る。
司会:
では二つ目。
誰に会いに行きますか?
急に空気が変わる。
誰もすぐには答えない。
オライア:
これは「どこへ旅行しますか」より難しい質問ですね。
司会:
そうなんです。
パリ。
京都。
海。
山。
行きたいところはいくらでもある。
でも一年しかないと知ったとき、
場所より先に顔が浮かぶ気がする。
ヘッセ:
会いたい人。
司会:
そして、会うのが怖い人。
オライア:
私はそこを聞きたい。
会いたい人だけではなく、
会わなければ後悔する人は誰ですか?
司会:
違いますね。
オライア:
ずっと話していない兄弟かもしれない。
昔の友人かもしれない。
喧嘩した子どもかもしれない。
親かもしれない。
昔愛した人かもしれない。
会う必要があるとは限りません。
危険な関係へ戻る必要もない。
でも自分の心の中で、
「まだ終わっていないConversationは何だろう」
と考えることはできます。
司会:
では、こんな人はどうでしょう。
「私は絶対に許さない」
と思っている相手がいる。
残り一年になったら許しますか?
カビール:
許すことを義務にしないほうがいい。
司会:
でも死ぬ前には和解したほうが美しいでしょう?
カビール:
人生は小説ではありません。
すべての関係が美しく修復される必要はない。
司会:
では、そのまま死んでもいい?
カビール:
相手との和解ができなくても、
自分の中でその人との戦争を終わらせることはできるかもしれない。
司会が静かになる。
司会:
それはTopic 1にもつながりますね。
許すことと戻ることは違う。
カビール:
そう。
「もうあなたを憎むために、私の残り時間を使いません」
それも一つの終わらせ方です。
ルーミーが初めて口を開く。
ルーミー:
私は逆の質問をしてもいいでしょうか。
司会:
もちろん。
ルーミー:
あなたがあと一年で死ぬのではなく、
あなたの愛する人があと一年だと知ったら、何を変えますか?
司会の表情が変わる。
長い沈黙。
司会:
それは……もっと難しい。
ルーミー:
なぜ?
司会:
自分が死ぬなら、自分の時間を考えればいい。
でも愛する人なら、
一緒にいられる時間を考える。
ルーミー:
では、明日その人にどう接しますか?
司会:
もっと優しくするでしょう。
ルーミー:
今日腹を立てている小さなことは?
司会:
どうでもよくなるものが多いでしょうね。
ルーミー:
スマートフォンを見ながら話しますか?
司会:
たぶん見ない。
ルーミー:
「今忙しいから、あとで」と言いますか?
司会は答えない。
メアリー・オリヴァー:
そこに、死を考える意味があるのかもしれません。
死を怖がるためではなく、
生きている人を見るために。
司会:
でも、ここで問題があります。
毎日、
「この人は明日死ぬかもしれない」
と思って生きるなんて無理です。
そんな生活は怖すぎる。
ヘッセ:
その必要はないでしょう。
司会:
ではどうする?
ヘッセ:
時々思い出せばいい。
Topic 3で話したことと同じです。
永遠ではない。
それだけです。
メアリー・オリヴァー:
そしてまた忘れていい。
司会:
忘れていい?
メアリー・オリヴァー:
もちろん。
人間は洗濯もしなければいけない。
請求書も払う。
仕事にも行く。
毎秒人生の尊さに感動していたら生活できません。
笑いが起こる。
メアリー・オリヴァー:
忘れる。
そして時々思い出す。
それでいい。
司会:
では三つ目の質問です。
死を意識することは、
人生を暗くするのでしょうか。
それとも明るくするのでしょうか。
ヘッセ:
どちらにもなり得ます。
死だけを見れば恐怖になります。
しかし限りを知ることで、選択が生まれる。
司会:
選択?
ヘッセ:
時間が無限なら、何でも明日にできます。
有限だから、
「これはやる」
「これはやらない」
と決められる。
死は、人生に境界線を引きます。
オライア:
私はもう一つ加えたい。
一年しかないからといって、
仕事を辞め、
世界一周旅行をして、
毎日最高の体験をしなければならない、
という話にしたくありません。
司会:
なぜ?
オライア:
それもまた「完璧な人生」という別のプレッシャーになるからです。
残り一年でも、
普通の日があっていい。
疲れる日。
何もしない日。
テレビを見る夜。
家でスープを食べる日。
司会:
死ぬ前の一年なのに?
オライア:
人生最後の日だからといって、
すべての日を映画のラストシーンにする必要はありません。
リュ・シファ:
それは、この本にも通じると思います。
「生きる」ということを大事件にしすぎない。
愛する。
食べる。
歩く。
誰かと話す。
笑う。
泣く。
眠る。
また朝が来る。
それが人生です。
司会が少し笑う。
司会:
ここまで話してきて、
私は最初の質問がおかしかった気がしてきました。
「残り一年なら何をしますか?」
と聞きました。
でも、残り一年の人生と残り三十年の人生で、
本当に大切なものは変わるのでしょうか。
カビール:
そこに気づきましたか。
司会:
一年なら家族が大切。
三十年なら家族は大切ではない?
一年なら友人に電話する。
三十年なら電話しなくていい?
一年なら謝る。
三十年ならあとでいい?
一年なら好きなことをする。
三十年なら我慢する?
変ですよね。
ヘッセ:
死が教えるのは、
「人生を急げ」
ではないのかもしれません。
司会:
では?
ヘッセ:
「優先順位を間違えるな」
でしょう。
川の音が聞こえる。
司会は、最初にこのConversationを始めたときのことを思い出している。
司会:
Topic 1で私は聞きました。
「傷ついても、もう一度愛せるのか?」
今なら少し違う答えができます。
傷つかない方法を探している間にも、時間は過ぎていく。
ルーミー:
そうですね。
司会:
Topic 2では、
「悲しみは消すべきか?」
と聞いた。
でも悲しみを完全に消してから人生へ戻ろうとしたら、
何年待つことになるか分からない。
メアリー・オリヴァー:
悲しいまま笑ってもいい。
司会:
Topic 3では、
「なぜ大切なものに遅く気づくのか?」
と聞いた。
答えは、
失ってから気づくことが多い。
でもまだ失っていないものもある。
リュ・シファ:
そこを見る。
司会:
Topic 4では神について話した。
神がどこにいるのか。
宗教の中なのか。
苦しみの中なのか。
人間の愛の中なのか。
完全な答えは出ませんでした。
カビール:
出なくてもいい。
司会がルーミーを見る。
司会:
そして今、一番最初のタイトルに戻ってきました。
『愛しなさい、一度も傷ついたことがないかのように』
私は最初、
これは過去を忘れろという言葉だと思っていました。
今は違って聞こえます。
傷はある。
悲しみもある。
後悔もある。
失った人もいる。
信仰への疑問もある。
人生は思い通りにならなかった。
それでも、
今日残っている人生まで拒まなくていい。
ルーミーは川を見る。
ルーミー:
それなら私は、タイトルにもう一行付けたくなります。
司会:
何ですか?
ルーミー:
「愛しなさい。
一度も傷ついたことがないかのように。
そして傷ついた自分を、
置き去りにしないように。」
誰もすぐには話さない。
やがてメアリーが言う。
メアリー・オリヴァー:
でも、最後に一つだけ聞いていいですか。
司会:
もちろん。
メアリー・オリヴァー:
明日の朝、
今日のConversationを全部忘れていたらどうしますか?
笑いが起こる。
司会:
ありそうですね。
スマートフォンを見て、
メールを読んで、
腹を立てて、
忙しくなって、
今日の話なんて忘れる。
メアリー・オリヴァー:
それでいいんです。
司会:
いいんですか?
メアリー・オリヴァー:
そして何かの瞬間に、また思い出せばいい。
朝の光かもしれない。
誰かの声かもしれない。
古い写真かもしれない。
一杯のコーヒーかもしれない。
そのとき、
「ああ、これもいつかなくなるんだった」
と気づく。
そして一分だけ、
そこにいる。
リュ・シファ:
もしかすると詩の役割も、それなのかもしれません。
人生を教えることではなく、
人生を思い出させること。
司会は川から目を離し、全員を見る。
司会:
では最後に、一人ずつ、
人生について一文だけ残してください。
ヘッセ:
自分ではない誰かになるために、一生を使わないこと。
オライア:
愛しているなら、相手に分かる形で愛すること。
カビール:
正しさを証明するために、愛を失わないこと。
メアリー・オリヴァー:
あなたの人生が起きている場所に、時々ちゃんといること。
ルーミー:
失うことを恐れて、持っている愛まで失わないこと。
最後に司会がリュ・シファを見る。
司会:
あなたは?
リュ・シファは少し考える。
リュ・シファ:
人生が完全になる日を待ってから、人生を愛そうとしないこと。
再び静かになる。
Conversationが始まった夕暮れには、
全員が、
「どうすれば傷つかずに生きられるのか」
という問いの近くにいた。
しかし今、その問いはもうない。
代わりに残ったのは、
もっと単純で、
もっと難しい問いだった。
傷ついた。
失った。
間違えた。
悲しんだ。
祈っても答えがなかったこともあった。
それでも朝は来る。
まだ会える人がいる。
まだ言える言葉がある。
まだ見ることのできる空がある。
まだ愛することのできる人生が残っている。
司会は最後に読者へ問いかける。
「もし人生が残り一年なら変えることがあるとしたら、なぜそれを今日、ほんの少しだけ変えないのでしょう?」
誰も答えを求めない。
川は暗闇の中を流れ続けている。
そしてこのConversationも、本当にはまだ終わっていない。
最後に

対話の最初にあった問いは、
「傷つかずに生きるにはどうすればいいのか?」
でした。
けれど最後には、その問いそのものが変わりました。
深く愛すれば、傷つく可能性があります。
大切な人がいれば、いつか別れる可能性があります。
夢を持てば、失敗するかもしれません。
信じれば、裏切られることもあります。
だからといって、愛さないことを選べば安全なのでしょうか。
おそらく、この本が私たちに差し出しているのは「傷つかない人生」ではありません。
傷ついたあとも、生きることをやめない人生です。
悲しみを消してから笑う必要はない。
過去を忘れてから誰かを愛する必要もない。
すべての疑問に答えが出てから神を求める必要もない。
そして人生の意味を完全に理解してから、生き始める必要もありません。
今回の対話で特に残ったのは、もう一つの発見でした。
私たちは失ったものについて考えるとき、過去ばかり見てしまいます。
けれど今この瞬間にも、まだ失っていないものがあります。
電話できる人。
一緒に食事できる人。
抱きしめられる人。
謝れる人。
ありがとうと言える人。
歩ける場所。
見ることのできる空。
何でもない一日。
いつか私たちは、今日という日にも戻りたいと思うかもしれません。
だから人生を毎日特別なものにする必要はない。
時々、気づくだけでいい。
そして最後に残るのは、この問いです。
もし人生が残り一年なら変えることがあるとしたら、なぜ今日、ほんの少しだけ変えないのでしょうか?
もしかすると、それこそが、
『愛しなさい、一度も傷ついたことがないかのように』
というタイトルが、私たちに残している最も大きな問いなのかもしれません。
Short Bios:
リュ・シファ(류시화)
韓国の詩人、作家、翻訳家。本書の編者。世界各地の詩や精神的伝統から、人間の愛、苦しみ、人生、内面的な探求に関する言葉を紹介してきました。
ルーミー(Rumi)
13世紀のペルシャ語神秘詩人。愛、魂、喪失、神との結びつきを描いた詩で、文化や宗教を越えて読み継がれています。
カビール(Kabir)
15世紀頃のインドの神秘詩人。宗教的な形式や境界を問い、人間の内側にある神との関係を歌いました。
メアリー・オリヴァー(Mary Oliver)
アメリカの詩人。自然や日常の観察から、生、死、注意深く生きること、人間が与えられた時間をどう使うかを問い続けました。
ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse)
ドイツ生まれの作家・詩人。『デミアン』『シッダールタ』などを通じ、自己探求、精神的成長、孤独、人間が自分自身として生きることを描きました。
オライア・マウンテン・ドリーマー(Oriah Mountain Dreamer)
カナダの作家。肩書きや社会的成功よりも、人が本当に望むもの、親密さ、誠実さ、生きる勇気を問う作品で知られています。

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