竜馬がゆくPart 2
英雄・坂本龍馬を壊したあと、本当の龍馬は何人分残るのか?
この仮想対話について
本記事に登場する研究者や歴史上の人物たちの会話は、実際に行われた対談を記録したものではありません。
坂本龍馬をめぐる歴史的な疑問を、読者と一緒により深く、より分かりやすく考えるために構成した仮想対話です。
したがって、登場人物のセリフそのものは創作であり、町田明広氏や佐々木雄一氏をはじめとする研究者が、実際にこの言葉を話したという意味ではありません。坂本龍馬や勝海舟など、歴史上の人物についても同様です。
一方で、この対話で扱う歴史的内容まで創作しているわけではありません。
今回の記事を構成するにあたり、坂本龍馬本人の手紙、同時代に残された文書、国立国会図書館、高知県立坂本龍馬記念館、京都国立博物館などの公的機関・博物館資料、さらに幕末史や坂本龍馬についての歴史研究、研究者の著作や論考などを可能な限り調査しました。
そのうえで本文では、
史料から確認できること
研究者による解釈
現在も研究者の間で議論が続いていること
後世に作られたり、強調された可能性のある伝承
を、できる限り区別しながら扱っています。
つまり、
会話は仮想です。
しかし、そこで考える歴史は、できる限り史料と研究に基づいています。
この違いを念頭に置きながら、今回の対話をお楽しみください。
はじめに
私たちが知っている坂本龍馬は、本当に「坂本龍馬」なのか?
坂本龍馬について調べ始めると、不思議なことが起こります。
最初は、とても分かりやすい人物です。
薩摩と長州を結びつけ、薩長同盟を成立させた。
亀山社中を作り、日本で最初の商社のような組織を始めた。
海援隊を率いた。
船中八策を書き、新しい日本の政治制度を構想した。
大政奉還への道を開いた。
そして新しい日本を見る直前、33歳で暗殺された。
こうして並べると、坂本龍馬はまるで幕末の日本に突然現れた未来人のように見えます。
しかし、史料を一つずつ調べていくと、話は少しずつ複雑になっていきます。
薩摩と長州が接近する政治的な条件は、龍馬が動き始める以前から生まれていました。
薩長連携を考えるなら、中岡慎太郎、小松帯刀、西郷隆盛、木戸孝允など、多くの人物を一緒に見なければなりません。
亀山社中についても、現代的な意味で「日本最初の株式会社」と単純に呼べるのかについては議論があります。
有名な「船中八策」についても、私たちが想像するような龍馬直筆の原本が確認されているわけではありません。
一方で、龍馬直筆の「新政府綱領八策」は現存しています。
大政奉還についても、龍馬一人が突然思いついたアイデアではありません。幕末にはすでに、幕府、朝廷、諸侯の関係を再編しようとするさまざまな政治構想が存在していました。
では、これまで私たちが知っていた坂本龍馬は、すべて作られた英雄だったのでしょうか。
ここで、もう一つの落とし穴があります。
近年、従来の龍馬像が見直されるようになると、今度は反対方向の物語が生まれます。
「薩長同盟は龍馬が作ったのではない。」
「亀山社中も日本最初の商社ではない。」
「船中八策にも問題がある。」
「大政奉還も龍馬の発明ではない。」
そこから、
「では、坂本龍馬は実はそれほど重要ではなかったのではないか?」
という結論へ進みたくなります。
しかし、それもまた慎重に考えなければなりません。
たとえば薩長連携について、龍馬一人が薩摩と長州を結びつけたという英雄物語は単純すぎます。
しかし一方で、木戸孝允側に残された関係史料には、薩長間で確認された内容について龍馬が関与したことを示す重要な痕跡も残されています。
つまり、
「龍馬が全部やった」
でもない。
そして、
「龍馬はほとんど何もしていない」
でもない。
その二つの間に、歴史上の坂本龍馬がいます。
そこで今回のPart 2では、あえて約30の疑問から坂本龍馬をもう一度組み立て直してみることにしました。
龍馬は本当はどんな性格だったのか。
手紙から見える素顔はどんな人物なのか。
本当に剣豪だったのか。
本当に人を斬らなかったのか。
最初から開国派、国際派だったのか。
勝海舟との出会いで何が変わったのか。
「日本を今一度せんたくいたし申候」とは、本当は何を意味していたのか。
薩長同盟で龍馬は実際に何をしたのか。
中岡慎太郎の役割を忘れることで、龍馬を大きくしすぎてはいないか。
亀山社中とは、本当はどんな組織だったのか。
船中八策は本当に龍馬のものなのか。
大政奉還に龍馬はどこまで関わったのか。
そして最後に、
私たちが現在知っている「坂本龍馬」のうち、どこまでが歴史上の龍馬で、どこからが後世に作られた龍馬なのか。
この問いを考えるため、今回の仮想対話には、幕末政治史、坂本龍馬研究、文学研究、映画・文化史など、それぞれ異なる角度から龍馬を考える研究者たちに登場してもらいます。
ただし、目的は「龍馬神話を壊すこと」ではありません。
英雄を壊して喜ぶことでもありません。
逆に、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を「史実ではないから間違っている」と切り捨てることでもありません。
司馬遼太郎が描いた「竜馬」は、日本人が坂本龍馬を見る方法そのものに大きな影響を与えました。
そして興味深いのは、司馬が描いた龍馬像のすべてがゼロから作られたわけでもないことです。
龍馬本人の手紙を読むと、冗談を言う。
人を面白がる。
新しいものに興味を持つ。
自分より優れた人物を素直に高く評価する。
知らない世界へ出ていく。
そうした、後の「竜馬」につながる種のようなものが、確かに見えてきます。
司馬遼太郎は架空の龍馬をゼロから作ったのでしょうか。
それとも、実在した龍馬の中に存在していたいくつもの可能性の中から、
ある一つの「龍馬」を選び出し、それを大きく育てたのでしょうか。
今回の対話で守りたい原則は、とても単純です。
英雄だから信じるのではない。
神話だから否定するのでもない。
史料から確認できることは確認する。
分からないことは、分からないまま残す。
複数の解釈が存在するなら、その違いを見る。
そして何より、
龍馬を大きくするために、周囲の人物を小さくしない。
中岡慎太郎を戻す。
小松帯刀を戻す。
西郷隆盛を戻す。
木戸孝允を戻す。
勝海舟を戻す。
後藤象二郎を戻す。
お龍を戻す。
姉・乙女を戻す。
そして当時の政治状況、経済、海軍、外国との関係まで戻してみる。
そのうえで、もう一度坂本龍馬を見る。
すると、一人で日本を動かした超人ではない、別の龍馬が見えてくるかもしれません。
人に会う。
知らないことを学ぶ。
自分より面白い考えに出会えば、考えを変える。
違う組織の間を歩く。
人と人をつなぐ。
思想と政治をつなぐ。
商業と政治をつなぐ。
そして、まだつながっていないものの間に橋を架けようとする。
それでもなお歴史の中に残るもの。
それこそが、本当に面白い坂本龍馬なのかもしれません。
今回の問いは、
「坂本龍馬は本当に英雄だったのか?」
ではありません。
もっと難しい問いです。
英雄としての坂本龍馬を一度すべて外してみたあと、それでもなお残る坂本龍馬とは、いったいどんな人間なのか。
そこから、この仮想対話を始めます。
Topic 1: 英雄になる前の坂本龍馬は、どんな人間だったのか?

テーブルの中央には、一冊の『竜馬がゆく』も置かれていなかった。
代わりにあるのは、古びた手紙の複製だった。
姉・乙女に宛てたもの。
兄・権平に宛てたもの。
家族や知人へ送ったもの。
そして数枚の写真。
研究者たちの前にいる坂本龍馬は、まだ銅像になっていない。
薩長同盟もない。
大政奉還もない。
「日本を今一度せんたくいたし申候」という名言さえ、まだ歴史の教科書には載っていない。
司会が最初の手紙を手に取った。
司会:
「今日は少し変わったことをしてみたいと思います。坂本龍馬という名前を、いったん忘れてください。」
町田明広が笑った。
町田明広:
「歴史研究では、それが案外難しいんですよ。」
司会:
「なぜですか?」
町田:
「結末を知っているからです。」
テーブルにいる全員が静かになった。
町田:
「私たちは龍馬が33歳で暗殺されることを知っています。薩長連携に関わることも、大政奉還の直前に死ぬことも、後世に英雄になることも知っている。その結末を知った状態で若い龍馬を見ると、若い頃の行動まで『未来の英雄の伏線』に見えてしまう。」
佐々木雄一:
「これは歴史人物を読むときによく起こりますね。後から見ると、すべてが一つの方向へ進んでいたように見える。」
司会:
「でも本人は?」
佐々木:
「知りません。」
少し間があった。
佐々木:
「今日何が起こるかも、来年自分がどこにいるかも、まして33歳で人生が終わることも知りません。」
司会は一通の手紙を持ち上げた。
司会:
「では、未来を知らない一人の男として読んでみましょう。」
Question 1
龍馬本人の手紙から見えてくる「素の坂本龍馬」は、どんな人だったのか?
司会:
「まず一番単純な質問です。坂本龍馬は、どんな性格だったのでしょう?」
町田:
「その質問に一語で答えようとすると、たいてい失敗します。」
司会:
「たとえば?」
町田:
「自由人。」
何人かがうなずいた。
町田:
「行動力の人。人たらし。楽天家。豪快。先見の明がある。こういう言葉は便利です。しかし便利すぎる。」
高義吉:
「特に『自由人』という言葉には注意したいですね。」
司会:
「なぜですか?」
高:
「現在の私たちが『龍馬らしい』と思う自由人像には、『竜馬がゆく』以後の文化的蓄積がかなり入っています。ですから、まずそれを外して本人の文章を見る必要があります。」
司会が乙女宛の手紙を示した。
司会:
「では手紙だけを読んだら?」
町田が少し笑った。
町田:
「かなり面白い人です。」
司会:
「英雄として?」
町田:
「いや、人間としてです。」
その答えに、空気が少し柔らかくなった。
町田:
「家族への手紙を見ると、非常にくだけている。冗談もある。誇張もある。自慢もする。面白かったことがあれば伝えたがる。」
佐々木:
「ここは大事だと思います。政治家が後世へ残すことを意識して書いた声明文ではない。姉への手紙ですからね。」
司会:
「つまり、格好をつける必要がない。」
佐々木:
「少なくとも公式文書よりは少ない。」
町田:
「もちろん手紙も完全な心のレントゲンではありません。家族に見せる自分というものがありますから。ただ、かなり近づける。」
司会が別の手紙を見た。
司会:
「勝海舟について『日本第一の人物』と書いていますね。」
町田:
「そうです。」
司会:
「これ、少し面白くないですか?」
佐々木:
「何がです?」
司会:
「普通、後世の英雄伝では、主人公は自分が一番すごい。」
笑いが起こった。
司会:
「でも龍馬は、すごい人に会ったら『この人すごい!』と姉に書いている。」
佐々木:
「そこは龍馬を考えるうえで、かなり重要な特徴かもしれません。」
町田:
「同感です。龍馬を『何でも知っていた天才』にすると、この面白さが消えてしまう。」
司会:
「どういうことですか?」
町田:
「知らないから、人に会うんです。」
静かになった。
町田:
「自分にないものを持っている人に惹かれる。勝海舟に会う。長崎へ行く。薩摩の人間と付き合う。長州の人間とも付き合う。商人とも付き合う。」
佐々木:
「龍馬の魅力を『答えを持っていたこと』に置くより、『面白い答えを持っている人を見つける能力』に置いたほうが、史料上の人物像には近づくかもしれません。」
司会が笑った。
司会:
「つまり、Googleを持っていない時代の検索エンジンみたいな人ですか?」
少し笑いが起こる。
町田:
「検索するだけではなく、会いに行ってしまう検索エンジンですね。」
高:
「そして検索結果を読んだら、自分の考えまで変える。」
司会はその言葉を書き留めた。
知らないことを恥じない。
面白い人を見つける。
会いに行く。
自分の考えを変える。
司会:
「これは『英雄』というより、かなり好奇心の強い人ですね。」
町田:
「そうなんです。」
司会が写真を一枚、中央へ置いた。
よく知られている龍馬の写真だった。
腕を懐に入れ、まっすぐこちらを見る男。
司会:
「この写真を見ると、堂々としています。」
谷川建司:
「そして後世の私たちは、すでに物語を知った状態でこの写真を見る。」
司会:
「だから?」
谷川:
「『やっぱり大物だ』と思う。」
笑いが起きた。
谷川:
「でも想像してください。この写真の人物が坂本龍馬ではなく、名前の分からない幕末の青年だったら。」
全員が写真を見る。
谷川:
「この写真だけから、『この男はやがて薩長をつなぎ、日本の未来を構想する』なんて分かるでしょうか。」
司会:
「分かりませんね。」
谷川:
「そこなんです。私たちは写真を見ているつもりで、物語を見ている。」
その言葉に、町田がうなずいた。
司会:
「では龍馬は楽天家だったのでしょうか?」
町田:
「それも単純には言えません。」
司会:
「『細かいことを気にしない豪快な男』というイメージがあります。」
町田:
「ところが実際の龍馬は、お金の問題もかなり気にしています。」
佐々木:
「船を動かすにも金が必要ですから。」
町田:
「人を食べさせるにも金がいる。武器を買うにも金がいる。移動にも金がいる。海援隊的な活動は理想だけでは成立しません。」
司会:
「つまり『金なんかどうでもいいぜ』という人物ではない。」
町田:
「むしろ、金がなければ理想が動かないことを知っていた。」
高:
「それが後世に『ビジネスマン龍馬』へ変換されていくわけですが、そこにも注意が必要です。」
司会:
「現代の起業家にしすぎない。」
高:
「そうです。ただし逆に、経済や商業に関心がなかった人物にしてしまうのも違う。」
また同じパターンだった。
英雄化する。
それを修正する。
修正しすぎる。
そして史料へ戻る。
司会:
「ここまで手紙だけから見える龍馬をまとめると、どうなりますか?」
佐々木が少し考えた。
佐々木:
「私は『未完成であることを怖がらない人』という言葉を使ってみたいですね。」
司会:
「未完成?」
佐々木:
「はい。知らない。だから会う。分からない。だから聞く。自分の考えより面白い考えに出会えば、取り入れる。」
町田:
「ただし、美化しないほうがいい。」
司会:
「というと?」
町田:
「用心が足りないという同時代人の評価もあります。勢いで動くところもあったでしょう。判断が全部正しかったわけでもない。」
佐々木:
「その欠点と長所が、実は同じ根から出ている可能性がありますね。」
司会:
「行動が速い。」
佐々木:
「だから大胆に動ける。」
町田:
「そして危ないこともする。」
司会:
「人を信用する。」
佐々木:
「だから組織を越えてつながれる。」
町田:
「そして騙される可能性もある。」
司会は笑った。
司会:
「急に人間になってきましたね。」
Question 2
龍馬は本当に「剣豪」であり、「人を斬らない平和主義者」だったのか?
テーブルに一本の刀の写真が置かれた。
司会:
「次は少しイメージを壊すかもしれません。」
町田:
「また壊すんですか。」
笑いが起こった。
司会:
「坂本龍馬は剣豪だったのでしょうか?」
町田:
「まず『剣豪』という言葉をどう定義するかですね。」
司会:
「北辰一刀流の達人だった。千葉道場で修行した。免許皆伝だった。そういう説明をよく見ます。」
町田:
「千葉道場で修行したこと自体と、後世に作られた『最強クラスの剣豪龍馬』像は分けたほうがいいでしょう。」
佐々木:
「確認できる伝書類が何を示しているのかも、丁寧に見る必要があります。」
司会:
「では弱かった?」
町田:
「そういう意味でもありません。」
司会が笑った。
司会:
「歴史研究って、なかなかスッキリさせてくれませんね。」
町田:
「スッキリしすぎる歴史には気をつけたほうがいいです。」
司会:
「もう一つ有名なイメージがあります。龍馬は剣の達人だったけれど、人を斬ることを嫌った。」
佐々木が少し表情を変えた。
佐々木:
「ここも現代人が龍馬に期待しているものが混ざっています。」
司会:
「平和主義者?」
佐々木:
「そうです。もちろん龍馬が政治的問題を交渉や連携で解こうとした面は重要です。しかし、現代的な意味での非暴力主義者だったと決めてしまうのは危険です。」
町田:
「そもそも幕末です。」
その一言が重かった。
町田:
「刀を差している。武力を背景とする政治世界に生きている。武器取引にも関わる。寺田屋では襲撃された際に拳銃で応戦しています。」
司会:
「つまり、ガンジーのような非暴力思想ではない。」
町田:
「全く違う文脈です。」
司会:
「でも一方で、龍馬の大きな仕事は、人を殺すことではなく人をつなぐことだった。」
佐々木:
「そこが面白い。」
少し沈黙した。
佐々木:
「龍馬を『平和主義者』と呼ぶ必要はない。でも、幕末という暴力が非常に近い社会で、彼が力を発揮した場面の多くが、斬り合いより交渉だったことは重要です。」
町田:
「そこは残していいと思います。」
司会:
「なるほど。」
司会は紙に二つ書いた。
刀を持っていた。
そして、その下に、
しかし最大の武器は刀ではなかった。
谷川:
「後世の龍馬像が強くなる理由が、少し見えてきますね。」
司会:
「どういうことです?」
谷川:
「剣を持っているから格好いい。でも最後は剣以外の方法で歴史を動かそうとする。」
高:
「戦後日本が好みやすい英雄像です。」
町田:
「だからこそ、史実と後世の魅力を分けて考える必要があります。」
Question 3
龍馬の女性関係から、英雄ではない「一人の男」として何が見えるのか?
テーブルの刀が片づけられた。
代わりに三つの名前が置かれた。
平井加尾。
千葉佐那。
お龍。
そして少し離れたところに、
坂本乙女。
と書かれた紙が置かれた。
司会:
「ここから急に恋愛番組みたいになります。」
笑いが起こった。
町田:
「それは困ります。」
司会:
「では、やめましょう。」
さらに笑いが起こった。
司会:
「『龍馬が本当に愛した女性は誰だったのか?』という質問は非常に人気があります。でも今日は、それを決めることが目的ではありません。」
佐々木:
「史料で言える範囲も限られていますしね。」
司会:
「むしろ聞きたいのは、女性や家族との関係を見ると、政治の世界では見えない龍馬が出てくるのか、ということです。」
司会:
「まず千葉佐那。」
町田:
「龍馬自身の手紙に出てきます。」
司会:
「ということは、後世が完全に作った女性ではない。」
町田:
「もちろんです。ただし後世の恋愛物語と、史料で確認できる関係は分ける必要があります。」
司会:
「お龍は?」
佐々木:
「こちらは龍馬の人生の最後の時期を考えるうえで非常に重要です。」
寺田屋。
襲撃。
逃走。
療養。
薩摩への旅。
霧島。
司会が一枚の絵入りの手紙を示した。
司会:
「龍馬は旅の様子を乙女に知らせていますね。」
佐々木:
「そこがいいんですよ。」
司会:
「政治史として?」
佐々木:
「いや、弟として。」
その答えに、空気が変わった。
佐々木:
「考えてみてください。歴史上の大事件の間を動いている人物が、旅先で見たものを姉に伝える。妻のことを書く。面白かったことを書く。」
町田:
「私たちが『歴史人物』と呼んでいる人も、その瞬間には普通に生活しているわけです。」
司会が乙女の名前を中央へ移した。
司会:
「実は今日、女性関係の中で一番気になるのは、お龍でも佐那でもありません。」
町田:
「乙女ですか。」
司会:
「はい。」
司会は龍馬が乙女に送った手紙の束を見た。
司会:
「なぜ龍馬は、これほど姉にいろいろ話したのでしょう?」
しばらく誰も答えなかった。
町田:
「安心できる相手だったのでしょうね。」
高:
「ここで興味深いのは、英雄の声と弟の声が違うことです。」
司会:
「弟の声?」
高:
「後世の私たちは龍馬の政治的な言葉を引用します。しかし乙女への文章には、もっと雑多な龍馬がいる。」
自慢する。
冗談を言う。
怒る。
面白がる。
人を褒める。
旅の話をする。
自分の考えを書く。
高:
「人間は、公式の場より家族への文章のほうが矛盾しています。」
司会:
「矛盾しているほうが本物?」
高:
「少なくとも、人間らしい。」
谷川がここで口を開いた。
谷川:
「私は少し別の角度から見たいんですが。」
司会:
「お願いします。」
谷川:
「後世の英雄というのは、だんだん一つの性格になります。」
全員が聞く。
谷川:
「織田信長ならこういう人。西郷隆盛ならこういう人。坂本龍馬ならこういう人。」
司会:
「キャラクター化される。」
谷川:
「そうです。でも実際の人間は、そんなに一貫していない。」
恋人の前。
姉の前。
師匠の前。
政治交渉の相手の前。
敵の前。
それぞれ違う。
谷川:
「だから史料が増えるほど、本当は人物像が単純になるのではなく、複雑になるんです。」
町田が大きくうなずいた。
町田:
「これは非常に重要ですね。」
Closing
司会は、最初に置いた龍馬の写真をもう一度中央へ戻した。
今度は誰もすぐに「英雄」とは言わなかった。
写真の男は同じだった。
しかし少し違って見えた。
司会:
「最初に質問しました。」
全員が写真を見る。
司会:
「もし坂本龍馬という名前を隠して、彼の手紙だけを読んだら、私たちはこの男を英雄だと思うでしょうか?」
沈黙。
町田が最初に答えた。
町田:
「私は、思わないかもしれません。」
意外な答えだった。
司会:
「では、どんな人だと思います?」
町田は少し考えた。
町田:
「面白い青年だと思います。」
佐々木:
「私は、会ってみたいと思いますね。」
司会:
「なぜ?」
佐々木:
「次に何を言うか分からないから。」
笑いが起こった。
高:
「私は少し危なっかしいと思うかもしれません。」
町田:
「それもありますね。」
谷川:
「私は、ずっと同じ場所にはいない人だと思う。」
司会が最後に写真を見た。
そこにいたのは、日本を救うために生まれてきた英雄ではなかった。
知らないことがある。
間違える。
人に驚く。
誰かを好きになる。
姉に自慢する。
金に困る。
危険なことをする。
新しい人に会えば、その人の考えに夢中になる。
そして昨日まで信じていたことさえ、変えることがある。
司会:
「もしかすると私たちは、龍馬を偉大にしようとするあまり、一番面白いものを消していたのかもしれませんね。」
町田:
「何ですか?」
司会は写真を指した。
司会:
「この人が、最初から坂本龍馬ではなかったということです。」
静かになった。
33年間の人生の途中で、人に会い、考えを変え、失敗し、移動し続けた。
その結果として、後世が「坂本龍馬」と呼ぶ人物になった。
しかし本人にとっては、最後の日までまだ途中だった。
佐々木:
「英雄という完成品が歩いていたのではないんでしょうね。」
町田:
「ええ。」
佐々木:
「一人の未完成な人間が歩き続けた。その後ろに、結果として歴史が残った。」
誰もすぐには言葉を継がなかった。
テーブルの上には、英雄の伝記ではなく、姉に送られた一通の手紙が残っていた。
Topic 2: 龍馬は、いつ「世界を見る人」になったのか?

テーブルの上から、龍馬の写真が取り除かれた。
代わりに大きな日本地図が広げられた。
しかし、それは現代の日本地図ではない。
幕末の日本。
土佐。
江戸。
京都。
神戸。
長崎。
薩摩。
長州。
そして海の向こうには、中国、朝鮮、ロシア、アメリカ、ヨーロッパ。
司会が土佐を指さした。
司会:
「私たちは坂本龍馬というと、最初から日本全体を見ていた人のように考えてしまいます。」
町田明広がうなずいた。
町田明広:
「結果を知っていますからね。」
司会:
「さらに世界を見ていた。海を見ていた。外国を見ていた。」
佐々木雄一:
「でも若い龍馬が、最初からそうだったわけではありません。」
司会は地図の土佐だけを手で囲った。
司会:
「では今日は、ここから始めましょう。」
小さな土佐から。
世界を見る龍馬が、まだ存在していなかったところから。
Question 1
龍馬は最初から開国派・国際派だったのか?
司会:
「かなり単純に聞きます。坂本龍馬は最初から開国派だったのでしょうか?」
町田:
「いいえ。」
あまりにも早い答えだった。
司会:
「そこは即答なんですね。」
町田:
「少なくとも、後世の『世界へ開かれた龍馬』を若い時代までそのまま遡らせることはできません。」
佐々木:
「龍馬も幕末の政治状況の中で育った人間です。尊王攘夷思想の影響を受けています。」
司会:
「ここが少し不思議なんです。」
司会は海の向こうを指した。
司会:
「私たちが知っている龍馬は船が好きで、外国へ行きたがって、世界を見ようとした人物でしょう?」
町田:
「後の龍馬ですね。」
司会:
「では、前の龍馬は?」
町田:
「違います。」
少し間を置いて、町田が続けた。
町田:
「そして、その『違う』という事実を欠点として考えないほうがいいと思います。」
司会:
「なぜです?」
町田:
「そこが龍馬という人物の面白いところだからです。」
司会は一枚の紙を置いた。
そこには有名な言葉が書かれていた。
日本を今一度せんたくいたし申候
司会:
「これは、おそらく坂本龍馬の言葉の中でも最も有名なものの一つです。」
高義吉:
「現代では非常に使いやすい言葉ですね。」
司会:
「政治家も経営者も使います。」
高:
「『古い日本を洗濯して、新しい日本を作ろう』という改革のキャッチコピーとして読めます。」
司会:
「違うんですか?」
町田が紙を見た。
町田:
「その一行だけなら、そう読めます。」
司会:
「でも?」
町田:
「前後も読まなければいけない。」
空気が少し変わった。
町田:
「この手紙を書いた時期の龍馬には、かなり激しい政治感情があります。幕府側の人物を厳しく批判し、現在の私たちが『爽やかな改革者』という言葉から想像するより、ずっと過激な表現も出てきます。」
佐々木:
「幕末の尊王攘夷という政治世界の中に置いて読む必要があります。」
司会は有名な一行を見つめた。
司会:
「ということは、この言葉だけをTシャツにすると……」
町田が笑った。
町田:
「幕末の政治思想がかなり落ちますね。」
笑いが起こった。
司会:
「でも私は、ここで龍馬を批判したいわけではありません。」
町田:
「もちろんです。」
司会:
「むしろ逆です。これ、ものすごく面白くないですか?」
佐々木:
「私もそう思います。」
司会:
「なぜなら、最初から完成していなかったということでしょう?」
佐々木:
「そうです。」
司会は地図の土佐から一本の線を引いた。
江戸へ。
そしてもう一本。
神戸へ。
さらに長崎へ。
司会:
「つまり、龍馬の人生を理解するには、最終的に何を考えたかだけを見るのではなく、考えが変わっていく過程を見なければならない。」
町田:
「そこです。」
高が少し違う角度から入った。
高:
「ここには『竜馬がゆく』を読むときの問題もあります。」
司会:
「司馬遼太郎ですか?」
高:
「主人公を描く小説では、読者は主人公の将来を感じながら読みます。」
司会:
「若い竜馬を見ても、『この人はいずれ日本を変える』と思って読む。」
高:
「そうです。そのため、若い竜馬の中にも完成後の竜馬が見えてしまう。」
谷川建司:
「映像になるとさらに強いですね。」
司会:
「どういう意味です?」
谷川:
「有名な俳優が坂本龍馬として登場した瞬間、もう龍馬なんです。」
笑いが起こった。
谷川:
「まだ何もしていない若者でも、視聴者は知っている。『この男が龍馬だ』と。」
町田:
「でも本人にはそんな字幕は出ていない。」
その言葉で、全員が少し静かになった。
本人の人生には、「あなたは将来、坂本龍馬になります」という字幕はない。
Question 2
勝海舟との出会いは、本当に龍馬の世界観を変えたのか?
司会が地図の上に一枚の札を置いた。
勝海舟
司会:
「ここで、この人が出てきます。」
町田:
「非常に重要です。」
司会:
「龍馬は勝海舟に会って、考えを変えた。これは有名な話ですね。」
佐々木:
「はい。ただし、ここにも後世のドラマ化がありますから、細部と大きな流れは分けて考えましょう。」
司会:
「有名な話では、龍馬は勝を斬りに行った。」
町田:
「そこは慎重に扱うべきです。」
司会:
「でも勝と出会い、その影響を強く受けたこと自体は?」
町田:
「重要です。」
司会は龍馬が姉・乙女に勝について書いた手紙を示した。
司会:
「龍馬は勝を『日本第一の人物』とまで評価している。」
佐々木:
「かなり強い言葉ですよね。」
司会:
「私はここが好きなんです。」
町田:
「なぜです?」
司会:
「龍馬が自分を『日本第一』と言っていないからです。」
笑いが起こった。
司会:
「すごい人に会ったら、『姉ちゃん、すごい人がおった』みたいに書いている。」
佐々木:
「その感じは確かにありますね。」
司会は地図にもう一本線を引いた。
土佐 → 江戸 → 勝海舟 → 海
司会:
「勝から龍馬は何を学んだのでしょう?」
佐々木:
「一つには、海軍というものを通して、日本全体を見る視点でしょう。」
町田:
「藩という枠だけではない。」
佐々木:
「そうです。」
土佐人。
薩摩人。
長州人。
幕臣。
そういう分類より大きな単位。
日本。
さらに海の向こう。
世界。
司会:
「つまり龍馬の頭の中の地図そのものが大きくなった?」
佐々木:
「そう表現してもいいと思います。」
司会が少し考えた。
司会:
「でも、ここで一つ疑問があります。」
町田:
「何でしょう。」
司会:
「普通、自分が強く信じていたことと全然違うことを言う人に会ったら、人間はどうします?」
高:
「反発しますね。」
司会:
「今でもそうでしょう。」
高:
「むしろ今も非常にそうでしょうね。」
司会:
「自分と同じ意見のYouTubeを見る。同じ考えの人をフォローする。反対意見を言う人を嫌う。」
町田:
「幕末にももちろん思想的な集団性があります。」
司会:
「でも龍馬は、自分より面白い考えを持っている人に出会うと……」
佐々木:
「聞く。」
司会:
「そして?」
佐々木:
「変わることがある。」
司会はTopic 1で書いた言葉をもう一度出した。
知らないことを恥じない。
面白い人を見つける。
会いに行く。
自分の考えを変える。
司会:
「もしかすると、これが龍馬の最大の才能だったのでしょうか?」
町田はすぐには答えなかった。
町田:
「私は少し慎重に言いたいですね。」
司会:
「どうぞ。」
町田:
「龍馬だけが柔軟だった、龍馬だけが藩を超えていた、と言ってしまうと、また英雄物語になります。」
司会:
「なるほど。」
町田:
「幕末には多くの人間が移動し、交流し、思想を変えています。」
佐々木:
「ただし、龍馬について確かに面白い特徴の一つではある。」
町田:
「それなら賛成です。」
司会が笑った。
司会:
「今日ずっとこのパターンですね。」
町田:
「何ですか?」
司会:
「『龍馬はすごかった』と言う。」
町田:
「はい。」
司会:
「先生が『ちょっと待ってください』と言う。」
笑いが起こる。
司会:
「今度は『じゃあ龍馬は大したことなかった』と言う。」
町田:
「そうすると私がまた『ちょっと待ってください』と言う。」
さらに笑いが起きた。
司会:
「でも、それが今回のPart 2ですね。」
町田:
「そうだと思います。」
Question 3
龍馬には最後まで一貫した「政治思想」があったのか?
テーブルにいくつもの札が置かれた。
尊王
攘夷
開国
海軍
薩長連携
大政奉還
新政府
司会が眺めた。
司会:
「これ、同じ人の頭の中に入っていたものです。」
町田:
「時期は違いますけどね。」
司会:
「そこなんです。」
一枚ずつ時系列に並べていく。
司会:
「私たちは後から龍馬を見るので、これを一本の線で結びたくなる。」
若い頃から日本の未来を考えていた。
↓
世界を見た。
↓
薩長を結んだ。
↓
大政奉還を構想した。
↓
新しい日本を作ろうとした。
司会:
「ものすごくきれいです。」
町田:
「きれいすぎるかもしれません。」
司会:
「では龍馬には、一貫した思想がなかった?」
佐々木:
「ここで『あった・なかった』の二択にする必要はないと思います。」
司会:
「というと?」
佐々木:
「政策は変わる。しかし、もっと深いところに比較的一貫した傾向がある可能性があります。」
司会:
「たとえば?」
佐々木は地図を見た。
佐々木:
「小さい枠組みより、大きな枠組みへ移動すること。」
司会が顔を上げた。
佐々木:
「土佐だけではなく日本を見る。」
「藩だけではなく海を見る。」
「敵味方の固定された関係ではなく、組み合わせを変える。」
「既存の制度だけではなく、別の制度を考える。」
佐々木:
「具体的な答えは変わっています。でも、閉じた状態から外へ出ようとする傾向は見える。」
町田が少し考えてから言った。
町田:
「もう一つあるかもしれません。」
司会:
「何でしょう?」
町田:
「実行です。」
司会:
「思想より?」
町田:
「龍馬を純粋な思想家として読むと、少し違うように思います。」
誰かがアイデアを持っている。
龍馬が聞く。
別の人物に会う。
人を紹介する。
船を動かす。
手紙を書く。
交渉する。
また移動する。
町田:
「思想を体系化して本を書く人というより、考えを人と人の間で動かす。」
司会はTopic 1の言葉を思い出した。
司会:
「やっぱり、検索エンジンだけではないですね。」
町田:
「今度はネットワークですね。」
司会:
「幕末のWi-Fiみたいになってきました。」
笑いが起こった。
町田:
「それは記事には書かないほうがいいかもしれません。」
さらに笑いが起きた。
高は笑いが収まるのを待ってから話した。
高:
「でも、これは司馬遼太郎が龍馬に魅力を感じた理由にもつながると思います。」
司会:
「どういう意味でしょう。」
高:
「完成した思想体系を持つ人ではなく、動きながら世界を広げていく人物。」
それは1960年代の日本にも響く。
地方から都市へ。
国内から海外へ。
古い組織から新しい組織へ。
新しい技術。
新しい市場。
新しい世界。
高:
「だから『竜馬がゆく』というタイトルも面白いんです。」
司会が顔を上げた。
高:
「『竜馬が考える』ではない。」
静かになった。
高:
「『竜馬がゆく』なんです。」
その言葉がしばらく残った。
行く。
江戸へ。
神戸へ。
長崎へ。
薩摩へ。
京都へ。
人のところへ。
知らない考えのところへ。
Closing
司会は最初の地図に戻った。
土佐に小さな印がある。
そこから何本もの線が日本中へ伸びていた。
司会:
「最初の質問に戻りましょう。」
司会:
「龍馬は最初から世界を見ていたのでしょうか?」
町田:
「いいえ。」
佐々木:
「世界を見るようになっていった。」
司会はその違いを繰り返した。
司会:
「世界を見ていた人ではなく……」
佐々木:
「世界を見るようになった人。」
司会:
「では、考えを変えた龍馬は、一貫性のない人だったのでしょうか?」
町田はしばらく地図を見ていた。
町田:
「私は、そうは思いません。」
司会:
「なぜです?」
町田:
「一貫性というものを、『同じ答えを持ち続けること』だと考えれば、龍馬は一貫していないかもしれません。」
少し間を置いた。
町田:
「でも、『もっと大きな世界を見ようとすること』を一貫性と呼ぶなら、話は違ってくる。」
誰もすぐには言葉を継がなかった。
司会は「尊王攘夷」と書かれた札を見た。
その隣には「海軍」。
さらに「薩長連携」。
そして「新政府」。
一人の人間が考えを変えてきた跡だった。
それを「矛盾」と呼ぶこともできる。
「成長」と呼ぶこともできる。
おそらく本人には、どちらでもなかった。
その時その時で、昨日より少し広い世界を見ただけなのかもしれない。
高:
「私たちは歴史上の人物に、最初から完成していてほしいんですよ。」
司会:
「なぜでしょう?」
高:
「そのほうが物語として安心するからでしょう。」
佐々木が静かに言った。
佐々木:
「でも本当の人間は、そんなふうには生きません。」
間違える。
信じる。
疑う。
人に会う。
驚く。
考え直す。
また歩く。
司会は、土佐から海へ伸びる線を見つめた。
司会:
「もしかすると龍馬の先見性とは、未来が見えていたことではなかったのかもしれませんね。」
町田:
「では、何だったのでしょう。」
司会:
「昨日の自分が間違っている可能性を、受け入れられたこと。」
町田は少し考え、うなずいた。
テーブルの中央には、完成した思想体系はなかった。
ただ、一人の人間が移動するたびに少しずつ大きくなっていった地図だけが残っていた。
Topic 3 薩長同盟、亀山社中、海援隊。本当に龍馬がやったのか?

テーブルの中央に、三枚の紙が置かれた。
薩長同盟
亀山社中
海援隊
司会はそれをしばらく眺めた。
司会:
「坂本龍馬の功績を三つ挙げてください、と言われたら、このうち二つくらいは入ってきそうですね。」
町田明広がうなずいた。
町田明広:
「一般的な龍馬像ではそうでしょう。」
司会:
「薩摩と長州を結んだ。日本初の商社を作った。そして海援隊を率いた。」
高義吉:
「非常に分かりやすい。」
町田:
「分かりやすすぎるかもしれません。」
司会が笑った。
司会:
「先生、今日もそこからですね。」
小さな笑いが起こった。
しかし司会はすぐに、もう一枚の紙を取り出した。
そこには大きく、
では、龍馬は本当は何をしたのか?
と書かれていた。
司会:
「今日は龍馬を小さくすることが目的ではありません。」
町田:
「そこは非常に重要です。」
司会:
「英雄伝説を外してみる。でも外しすぎて、本当にやったことまで消してしまわない。」
佐々木雄一:
「歴史修正の難しいところですね。」
司会は最初の紙を中央へ動かした。
薩長同盟。
Question 1
薩長同盟で、龍馬は実際には何をしたのか?
司会:
「まず昔からよく聞く説明を言います。」
司会は読み上げた。
犬猿の仲だった薩摩と長州。
そこへ坂本龍馬が現れた。
龍馬が両者を説得した。
そして薩長同盟が成立した。
これによって倒幕への道が開かれた。
司会:
「間違いですか?」
町田は少し考えた。
町田:
「間違いというより、龍馬を主人公にして歴史を整理した物語、と言ったほうがいいでしょう。」
司会:
「なぜです?」
町田はテーブルに二枚の札を置いた。
薩摩
長州
町田:
「まず、薩摩と長州が近づく理由は、龍馬が突然作ったものではありません。」
幕府。
第一次長州征討。
禁門の変。
薩摩藩の政治的位置。
長州藩の孤立。
幕府との関係。
武器。
軍事。
朝廷。
複雑な政治状況がすでに動いていた。
町田:
「つまり両藩には、それぞれ接近を考える政治的理由が生まれていました。」
司会:
「では龍馬がいなくても薩長は近づいた?」
町田:
「可能性は十分あります。」
司会がすぐに聞いた。
司会:
「じゃあ龍馬はいらなかった?」
町田:
「そこまで行くと、今度は言いすぎです。」
笑いが起こった。
司会:
「やっぱり来ましたね。」
町田:
「歴史はなかなか○か×だけでは答えてくれません。」
佐々木が一枚の史料の複製を中央へ置いた。
佐々木:
「ここで非常に重要なのが、木戸孝允側に残った文書です。」
司会:
「例の六カ条ですね。」
佐々木:
「はい。」
薩長間で確認された内容。
木戸がその内容を書き記し、龍馬へ確認を求める。
そしてそこには、龍馬自身による朱筆の裏書が残る。
司会は紙の赤い文字を見た。
司会:
「これ、すごく重要ではありませんか?」
佐々木:
「重要です。」
司会:
「なぜなら、『後世の人が龍馬は薩長同盟に関係していたと言った』ではない。」
佐々木:
「そうです。」
司会:
「その場に関係した人物が、龍馬に確認を求めている。」
町田:
「ですから、龍馬が薩長間の調整や確認に実質的に関わったことまで否定するのは無理があります。」
司会は少し首を傾げた。
司会:
「では、こういうことでしょうか。」
紙に三つ書いた。
龍馬が薩長同盟を一人で作った。
その横に×。
龍馬は薩長同盟にほとんど関係なかった。
そこにも×。
最後に、
薩摩と長州が接近する政治条件はすでに存在した。その間で龍馬は実際に仲介・調整・確認に関わった。
司会:
「これなら?」
町田:
「かなり近くなります。」
しかし司会はまだ納得していなかった。
司会:
「でも、これでは少し物足りないんです。」
町田:
「何がでしょう。」
司会:
「『仲介した』って簡単に言いますけど、仲介って具体的に何ですか?」
一瞬静かになった。
佐々木:
「いい質問ですね。」
司会:
「薩摩へ行く。長州へ行く。話す。それだけ?」
町田が答えた。
町田:
「まず、相互不信があります。」
昨日まで敵に近かった者同士。
政治的利害も違う。
面子もある。
内部事情もある。
町田:
「そういう集団の間では、『両方と話せる人』が重要になります。」
司会:
「片方の人間ではない。」
町田:
「そうです。」
佐々木:
「しかも単なる伝言係でもない。」
相手が何を恐れているのか。
何なら受け入れられるのか。
どこまで譲れるのか。
何を言うと壊れるのか。
それを理解しながら情報を運ぶ。
佐々木:
「現代的な言葉を使えば、信頼の媒介者ですね。」
司会がうなずいた。
司会:
「そう考えると、Topic 2の龍馬とつながりますね。」
人に会う。
違う考えを聞く。
組織を越える。
その能力が、ここで政治的な力になる。
Question 2
中岡慎太郎、小松帯刀、西郷隆盛、木戸孝允を入れると、「龍馬の功績」はどれくらい変わるのか?
司会が龍馬の名前を書いた紙を中央に置いた。
その周りに、
中岡慎太郎
小松帯刀
西郷隆盛
木戸孝允
と並べた。
司会:
「急に龍馬が小さく見えてきました。」
笑いが起こった。
町田:
「本来、歴史はこういうものです。」
司会:
「主人公が一人ではない。」
町田:
「もちろんです。」
司会は中岡慎太郎の札を手に取った。
司会:
「まず中岡慎太郎。一般的な知名度では龍馬よりかなり低い。」
佐々木:
「しかし薩長連携を考えるなら外せません。」
司会:
「では、なぜ龍馬ばかり有名になったのでしょう?」
高がここで入った。
高:
「そこから歴史研究ではなく、記憶の問題になります。」
司会:
「物語?」
高:
「そうです。」
一人の主人公がいる。
土佐を出る。
全国を歩く。
勝海舟に出会う。
薩摩と長州をつなぐ。
海援隊を作る。
大政奉還に関わる。
そして新しい時代を見る直前に暗殺される。
高:
「物語として非常に強い。」
谷川建司:
「しかも33歳で死ぬ。」
司会:
「それも重要ですか?」
谷川:
「非常に重要だと思います。」
龍馬には、その後がない。
明治政府の役職に就かない。
派閥争いをしない。
政策で失敗しない。
権力者にならない。
老いない。
谷川:
「だから後世の人が理想を投影できる余白が大きい。」
町田が中岡の札を指した。
町田:
「しかし歴史を理解するなら、中岡を戻さなければならない。」
さらに小松帯刀。
町田:
「小松も戻す。」
西郷。
木戸。
大久保。
桂小五郎として活動した木戸。
薩摩藩の政治ネットワーク。
長州側の事情。
町田:
「そうすると『龍馬が二つの藩を動かした』という図ではなくなる。」
司会:
「では何になる?」
町田は少し考えた。
町田:
「複数のネットワークが重なる場所に龍馬がいた。」
司会の表情が変わった。
司会:
「それ、重要ですね。」
佐々木が紙に丸をいくつも描いた。
薩摩。
長州。
土佐。
幕臣。
商人。
浪士。
海軍関係者。
そして、それらを線で結んだ。
佐々木:
「龍馬の価値を『他の人を消して龍馬だけ残すこと』で証明する必要はありません。」
司会:
「むしろ他の人を全部戻して……」
佐々木:
「その中で龍馬がどこにいたかを見る。」
線が増える。
その多くが、一か所で交差した。
坂本龍馬。
司会:
「面白い。」
町田がうなずいた。
町田:
「龍馬を巨大に描く必要はない。ネットワークを描けば、彼の位置が見えてくる。」
司会は少し考えてから言った。
司会:
「ということは、『龍馬は歴史を動かしたか』という質問自体が少し間違っている?」
町田:
「どうでしょう。」
司会:
「一人の人が歴史を動かす、という前提になっている。」
佐々木が答えた。
佐々木:
「その通りです。」
司会:
「本当は歴史って……」
佐々木:
「人と人の関係が動く。」
少し静かになった。
Question 3
亀山社中・海援隊は、本当に「日本初の商社」だったのか?
今度は長崎の地図が置かれた。
港。
外国商館。
船。
商人。
薩摩藩。
浪士。
武器。
金。
司会が言った。
司会:
「さて、現代人が大好きな龍馬像に行きましょう。」
町田:
「何でしょう。」
司会:
「坂本龍馬、起業家。」
笑いが起こった。
高:
「ビジネス書では非常に相性がいいですね。」
司会:
「日本最初の株式会社を作った。」
町田:
「そこはかなり注意が必要です。」
司会:
「亀山社中は存在しなかった、という説までありますね。」
町田:
「ここは言葉を丁寧に使わなければいけません。」
現在一般的に想像される、
明確な会社組織。
龍馬が社長。
社員がいる。
商売をして利益を上げる。
そのような現代企業モデルを、そのまま幕末へ持っていくことには問題がある。
町田:
「『亀山社中』という固定された企業体のイメージそのものを、史料から再検討する必要があります。」
司会:
「では何をしていた?」
佐々木:
「そこが面白いんです。」
船を扱う。
物資を運ぶ。
武器取引に関わる。
航海をする。
人材を抱える。
海軍的な活動をする。
薩摩藩との関係を持つ。
長州とも関係する。
商人とも付き合う。
政治活動にも関わる。
佐々木:
「現代のカテゴリーに入れようとすると、逆に分からなくなる。」
司会が三枚の札を置いた。
会社
海軍
政治組織
司会:
「どれです?」
町田:
「全部少しずつ当たっていて、全部少しずつ違う。」
司会:
「困りますね。」
町田:
「だから面白いんです。」
笑いが起こった。
高が言った。
高:
「現代人が『会社』と呼びたくなる理由も分かります。」
司会:
「なぜでしょう?」
高:
「藩という既存組織だけに依存しない。商業活動をする。人を集める。船を動かす。新しい形の組織に見える。」
司会:
「だから経営者が龍馬を好きになる。」
高:
「そうですね。ただ、そこから『龍馬は現代のスタートアップCEOだった』まで行くと、現代を投影しすぎる。」
谷川:
「でも、その読み方自体が戦後の龍馬像を作ってきた。」
ここでも二つの問題が重なった。
史実の龍馬。
そして、
後世が必要とした龍馬。
司会は海援隊の約規に話を移した。
司会:
「海援隊になると、少し輪郭がはっきりしますか?」
町田:
「亀山社中よりは制度的な姿が見えます。」
航海。
運輸。
商業。
学習。
政治。
武器。
人材。
司会:
「やっぱり会社だけではない。」
佐々木:
「そうですね。」
司会:
「学校でもある。」
佐々木:
「教育的側面もある。」
司会:
「海軍でもある。」
町田:
「軍事・航海的側面もある。」
司会:
「政治組織でもある。」
町田:
「政治活動とも切り離せない。」
司会が笑った。
司会:
「現代だったら税務署が困りそうですね。」
笑いが起こった。
いろは丸
司会が一隻の船の図を出した。
司会:
「そして、いろは丸事件。」
海援隊が運航していたいろは丸と、紀州藩の明光丸が衝突する。
いろは丸は沈没。
その後、交渉が始まる。
司会:
「ここでは龍馬の別の能力が見えますね。」
佐々木:
「交渉です。」
司会:
「万国公法まで持ち出す。」
町田:
「ただし、ここでも『近代国際法を完全に理解して紀州藩を論破した天才龍馬』という物語にしすぎないほうがいい。」
司会:
「またですね。」
町田:
「またです。」
笑いが起こった。
町田:
「重要なのは、龍馬たちが利用できる知識、人物、世論、交渉手段を組み合わせていることです。」
司会が止まった。
司会:
「また『組み合わせる』が出てきました。」
Topic 1。
人に会う。
Topic 2。
考えを吸収する。
Topic 3。
人と人をつなぐ。
船をつなぐ。
藩をつなぐ。
商人をつなぐ。
知識をつなぐ。
政治と商業をつなぐ。
司会:
「もしかすると、私たちは龍馬の才能を間違った場所で探していたのでしょうか?」
町田が司会を見る。
司会:
「龍馬が何を発明したかばかり探している。」
佐々木:
「でも彼が何をつないだかを見る。」
司会:
「そうです。」
Closing
龍馬を小さくしたあと、何が残るのか?
テーブルから龍馬の名前だけを一度外した。
薩長同盟。
そこには西郷がいる。
木戸がいる。
小松がいる。
中岡がいる。
薩摩藩がある。
長州藩がある。
幕府がある。
国際情勢がある。
亀山社中。
そこには薩摩の支援がある。
長崎商人がいる。
船員がいる。
浪士がいる。
武器商人がいる。
海援隊。
そこにも多くの人間がいる。
司会:
「こうして見ると、坂本龍馬一人が日本を動かしたわけではありません。」
町田:
「もちろんです。」
司会:
「では龍馬を取り除いても、ほとんど同じ歴史になったのでしょうか?」
町田はすぐには答えなかった。
佐々木も黙っていた。
やがて町田が言った。
町田:
「そこは歴史学では証明できません。」
司会:
「もし龍馬がいなかったら、という歴史は存在しない。」
町田:
「そうです。」
佐々木:
「でも、実際に存在した龍馬が何をしていたかは調べられる。」
司会は龍馬の札をもう一度戻した。
ネットワークの中央ではなかった。
王様でもない。
すべての線を支配しているわけでもない。
しかし、不思議なほど多くの違う線と接していた。
司会:
「では最後に一つだけ。」
全員が司会を見る。
司会:
「龍馬の功績を正確に小さくしたあと、それでも残る『龍馬にしかできなかったこと』は何でしょう?」
町田が少し考えた。
町田:
「『龍馬にしかできなかった』とまでは、私は言いたくありません。」
司会が笑った。
司会:
「先生らしい答えです。」
町田も笑った。
町田:
「でも、龍馬が実際に果たした役割として言うなら……」
少し間を置いた。
町田:
「違う世界の間を動けたこと。」
佐々木が続けた。
佐々木:
「土佐人でありながら、土佐だけにいない。」
薩摩に行く。
長州と話す。
幕臣の勝海舟に学ぶ。
長崎の商業世界へ入る。
海軍を考える。
浪士と行動する。
藩の重役とも交渉する。
佐々木:
「どこか一つの組織の中心人物ではないことが、逆に強みになる。」
高が静かに言った。
高:
「つまり、中心にいないから、中心と中心の間を歩ける。」
誰も話さなかった。
司会はネットワーク図を見た。
そこには西郷隆盛の大きな政治力もある。
木戸孝允の力もある。
小松帯刀もいる。
中岡慎太郎もいる。
龍馬だけを巨大に描く必要はなかった。
むしろ全員を元の大きさに戻したとき、
龍馬の特徴が以前よりはっきり見えた。
司会:
「不思議ですね。」
町田:
「何がです?」
司会:
「龍馬を英雄から降ろしたら、龍馬が消えると思っていました。」
町田は黙って聞いた。
司会:
「でも逆でした。」
一人で薩長同盟を作った男ではない。
日本初の会社を一人で作ったCEOでもない。
未来をすべて知っていた天才でもない。
その代わりに現れたのは、
人から人へ動く男だった。
考えから考えへ。
藩から藩へ。
政治から商業へ。
陸から海へ。
敵だった者から、次の協力者へ。
佐々木が最後に言った。
佐々木:
「歴史上の龍馬を大きく見せるために、周囲の人を小さくする必要はないんです。」
司会がうなずいた。
佐々木:
「周囲の人を全部戻してみる。そのとき、その人たちの間を歩いている龍馬が見えてくる。」
テーブルの中央には英雄はいなかった。
そこにはただ、
誰かと誰かの「あいだ」にいることを、自分の居場所にしていった一人の男
が残っていた。
Topic 4: 船中八策と大政奉還。本当に龍馬が新しい日本を設計したのか?

テーブルの中央に、二枚の紙が置かれた。
一枚には、
船中八策
もう一枚には、
大政奉還
と書かれている。
司会はその二枚を見ながら言った。
司会:
「ここまで龍馬から、いろいろなものを取り除いてきました。」
町田明広が笑った。
町田明広:
「取り除いた、という言い方は少し気になりますね。」
司会:
「薩長同盟を一人で作ったわけではない。」
町田:
「はい。」
司会:
「亀山社中を現代の株式会社のように考えるのも違う。」
町田:
「はい。」
司会:
「最初から世界を見ていた未来人でもない。」
佐々木雄一:
「そうですね。」
司会は「船中八策」と書かれた紙を持ち上げた。
司会:
「では、これはどうでしょう。」
少し間を置いた。
司会:
「新しい日本の設計図を書いた男。」
町田はすぐには答えなかった。
司会:
「また『ちょっと待ってください』ですか?」
町田:
「かなり待っていただきたいですね。」
笑いが起こった。
Question 1
「船中八策」は本当に坂本龍馬が書いたのか?
司会は一冊の歴史解説書を開いた。
司会:
「一般的な龍馬物語では、こうなります。」
龍馬が船上で新しい日本の構想を考える。
政権を朝廷へ返す。
議会的な政治を行う。
人材を広く登用する。
外交を整える。
法律を作る。
海軍を強くする。
経済制度を整える。
そして、その構想が後の明治国家につながっていく。
司会:
「これが船中八策。」
町田:
「そう説明されることが多いですね。」
司会:
「違うんですか?」
町田:
「まず最初に確認しなければならないことがあります。」
町田は「船中八策」と書かれた紙を指した。
町田:
「現在一般に知られている形の『船中八策』について、龍馬自身がその時に書いた原本が確認されているわけではありません。」
司会が少し身を乗り出した。
司会:
「では、船中八策は存在しなかった?」
町田:
「また、そこまで一気に行かないでください。」
笑いが起こった。
佐々木が別の史料を出した。
そこには、
新政府綱領八策
と書かれている。
佐々木雄一:
「一方で、こちらは重要です。」
司会:
「龍馬の直筆が残っている。」
佐々木:
「そうです。」
そこには、新しい政治体制についての構想が書かれている。
人材登用。
議政。
外交。
法制。
軍事。
金銀制度。
その他、新政府の方向性に関わる内容。
司会:
「つまり、『船中八策の原本がない』からといって、『龍馬には政治構想がなかった』にはならない。」
佐々木:
「そこを混同してはいけません。」
町田もうなずいた。
町田:
「まさに今回ずっと繰り返している問題です。」
司会は紙に書いた。
神話の一部に問題がある。
そして、その下に、
だから全部ウソである。
大きく×をつけた。
司会:
「ネットでは、この二つがすぐにつながってしまいます。」
町田:
「歴史研究ではつなげません。」
司会:
「逆もありますね。」
今度は、
龍馬に政治構想があった。
その下に、
だから明治国家の制度を全部龍馬が考えた。
そこにも×。
町田:
「そうですね。」
高義吉が口を開いた。
高義吉:
「ここで『竜馬がゆく』の影響も考えたほうがいいと思います。」
司会:
「どういうことでしょう?」
高:
「小説では、一人の主人公の成長を追います。」
若い竜馬。
海を知る。
世界を知る。
薩摩と長州をつなぐ。
そして最後には新しい国家像まで考える。
高:
「非常に美しい成長曲線になります。」
司会:
「土佐の若者が、最後には日本の設計図を書く。」
高:
「そうです。」
町田:
「しかし歴史では、政治思想というものも一人の頭から突然生まれるわけではありません。」
テーブルに次々と名前が置かれた。
横井小楠
大久保一翁
勝海舟
後藤象二郎
松平春嶽
その他、幕末の政治構想。
司会:
「急に人が増えましたね。」
町田:
「幕末には、幕府をどうするか、朝廷をどうするか、諸侯をどうするか、外国とどう付き合うかという議論が各所にあります。」
佐々木:
「公議政体的な発想も龍馬一人の発明ではありません。」
司会は新政府綱領八策をもう一度見た。
司会:
「では、龍馬は他人のアイデアをコピーした?」
町田:
「その言い方も適切ではありません。」
司会:
「なぜ?」
町田:
「思想というものは、普通そうやって形成されるからです。」
誰かに会う。
本を読む。
話を聞く。
現実を見る。
別の考えと組み合わせる。
自分の状況に合わせる。
町田:
「完全にゼロから思想を発明する人など、ほとんどいません。」
司会がうなずいた。
司会:
「またTopic 2に戻ってきましたね。」
Question 2
大政奉還は、本当に龍馬のアイデアだったのか?
今度は「大政奉還」と書かれた紙が中央へ移された。
司会:
「こちらはもっと大きいです。」
1867年。
徳川慶喜が政権を朝廷へ返上する。
江戸幕府の政治体制が大きく転換していく。
司会:
「龍馬が大政奉還を考え、後藤象二郎へ伝え、後藤が山内容堂へ伝え、最終的に慶喜が大政奉還した。」
司会は町田を見る。
司会:
「これも、きれいすぎます?」
町田:
「かなり。」
司会:
「では誰が考えたんですか?」
佐々木:
「ここで質問の立て方を変えたほうがいいと思います。」
司会:
「どう変えます?」
佐々木:
「『誰が最初に発明したか』という質問から離れる。」
司会:
「では?」
佐々木:
「どのような政治構想がすでに存在し、それが誰を通って、どの段階で政治的な提案になっていったのかを見る。」
司会は少し考えた。
司会:
「発明者探しではなく、アイデアの移動を見る。」
佐々木:
「そうです。」
町田が続けた。
町田:
「幕末には幕府を完全に武力で倒す以外にも、さまざまな政体構想があります。」
徳川家をどう扱うのか。
朝廷をどうするのか。
諸侯会議をどうするのか。
公議をどう取り入れるのか。
幕府の権力をどう再編するのか。
町田:
「大政奉還につながる発想そのものを、龍馬一人の独創とするのは難しい。」
司会:
「では龍馬は何をした?」
町田:
「そこですよ。」
後藤象二郎の名前が置かれた。
司会:
「Part 1では後藤をそれほど大きく扱いませんでした。」
佐々木:
「しかし大政奉還を考えるなら重要です。」
司会:
「龍馬と後藤は、どんな関係だったのでしょう?」
町田:
「単純な『龍馬が教え、後藤が実行した』という上下関係ではありません。」
後藤には後藤の政治的位置がある。
土佐藩の事情がある。
山内容堂がいる。
京都政治がある。
幕府がある。
薩摩の思惑もある。
町田:
「龍馬一人が大政奉還というボタンを押して、政治が動いたわけではない。」
司会が突然言った。
司会:
「でも、ここで少し龍馬側を弁護したくなります。」
町田が笑った。
町田:
「どうぞ。」
司会:
「アイデアを最初に考えた人だけが偉いのでしょうか?」
少し静かになった。
佐々木:
「いい質問です。」
司会:
「たとえば、ある素晴らしいアイデアが100人の頭の中にある。でも誰も実行できない。」
誰かがそのアイデアを聞く。
必要な人に持っていく。
別の人の案と組み合わせる。
現実的な提案にする。
政治的に動かす。
司会:
「その人は単なるメッセンジャーでしょうか?」
町田:
「いいえ。」
ここで空気が変わった。
町田:
「歴史では、アイデアの内容だけでなく、それを実行可能な場所へ運ぶことも重要です。」
司会:
「龍馬がそこにいた?」
町田:
「少なくとも、そのような役割を果たしている場面があります。」
佐々木がうなずいた。
佐々木:
「Topic 3で見た龍馬像と同じです。」
薩摩と長州の間。
政治と商業の間。
浪士と藩士の間。
そして今度は、
思想と政治実行の間。
Question 3
龍馬の本当の才能は「アイデア」ではなく「編集力」だったのか?
司会がホワイトボードに大きく二つ書いた。
INVENTOR
そして、
EDITOR
司会:
「発明者か、編集者か。」
高が笑った。
高:
「現代的な言葉ですね。」
司会:
「あえて使います。」
司会:
「もし龍馬が『新しい日本のアイデアを全部自分で発明した人』ではなかったとしても……」
勝海舟から学ぶ。
横井小楠的な政治思想に触れる。
薩摩を見る。
長州を見る。
長崎を見る。
外国商人を見る。
海軍を見る。
後藤象二郎と話す。
そしてそれらを組み合わせる。
司会:
「これって、編集ではありませんか?」
佐々木:
「面白い表現だと思います。」
町田:
「ただし、現代的な概念であることは忘れないようにしたいですね。」
司会:
「もちろんです。」
高が続けた。
高:
「でも司馬遼太郎が龍馬に感じた魅力とも関係するかもしれません。」
司会:
「どういう意味です?」
高:
「龍馬は巨大な思想体系を残した哲学者ではない。」
一冊の『坂本龍馬政治哲学全集』があるわけではない。
高:
「それなのに、後世から見ると、いろいろな新しいものの交差点にいる。」
船。
海軍。
貿易。
薩長。
大政奉還。
新政府構想。
高:
「だから未来を予言した人物のように見える。」
町田が少し考えた。
町田:
「しかし、未来が見えていたというより……」
司会が続きを待った。
町田:
「いろいろな未来の可能性を持った人たちに会っていた、と考えたほうがいいかもしれません。」
司会が思わず、
司会:
「ああ、それは面白い。」
と言った。
未来を知っていたのではない。
未来につながる考えを持った人に会った。
それを別の人へ運んだ。
また別の考えとつないだ。
必要なら自分も変わった。
佐々木:
「そう考えると、『先見の明』という言葉の意味も変わりますね。」
司会:
「未来を当てる能力ではない。」
佐々木:
「新しいものを見たとき、それが重要だと気づく能力。」
司会はTopic 1からここまでの言葉を並べた。
Topic 1
人に会う。
Topic 2
考えを変える。
Topic 3
人をつなぐ。
Topic 4
考えを組み合わせ、動かす。
全員がしばらくそれを見た。
司会:
「なんだか一人の人間が、少しずつ見えてきましたね。」
Closing
新しいアイデアを「発明する人」だけが歴史を変えるのか?
司会は「船中八策」と書かれた紙をもう一度持った。
司会:
「最初は、この紙が龍馬の最大の功績だと思っていました。」
町田が聞く。
町田:
「今は?」
司会は紙を戻した。
司会:
「分からなくなりました。」
町田が笑った。
町田:
「それは悪いことではありません。」
司会は質問した。
司会:
「龍馬は大政奉還を発明したのでしょうか?」
町田:
「一人の独創としてそう言うのは難しい。」
司会:
「船中八策という有名な物語にも、史料上の問題がある。」
町田:
「あります。」
司会:
「新しい政治構想にも先行する思想があった。」
佐々木:
「そうです。」
司会は少し間を置いた。
司会:
「では、龍馬は小さくなりましたか?」
誰もすぐには答えなかった。
佐々木が最初に口を開いた。
佐々木:
「私はむしろ、人間として理解しやすくなったと思います。」
司会:
「どういうことです?」
佐々木:
「一人で未来を発明する超人ではなくなった。」
勝海舟から学ぶ。
誰かの考えを聞く。
別の人に伝える。
必要なら自分の考えも変える。
政治的に可能な形へ組み替える。
佐々木:
「そのほうが、実際に人間が社会を変える方法に近い。」
町田が続けた。
町田:
「歴史には、最初にアイデアを思いついた人だけではなく、そのアイデアが実現できる場所まで運ぶ人が必要です。」
司会:
「思想と現実の間を歩く人。」
町田:
「そうですね。」
司会は、これまでのネットワーク図を見た。
龍馬はどこにも王様として座っていない。
薩摩の中心でもない。
長州の中心でもない。
幕府の中心でもない。
土佐藩政の中心でもない。
新政府の中心になる前に死んでいる。
それなのに、
不思議なほど多くの線の途中にいる。
高:
「司馬遼太郎が龍馬に感じた『魅力が歴史に参加する』という問題も、ここへ戻ってくるのかもしれません。」
司会:
「どういうことです?」
高:
「権力を持っているから人が動くのではない。」
龍馬には大名の軍隊がない。
莫大な財産もない。
正式な高位の官職もない。
高:
「それでも人と会い、話し、つなぎ、何かを動かす。」
司会は最後にホワイトボードの、
INVENTOR
という言葉を消した。
しかし、
EDITOR
も消した。
代わりに日本語で一つだけ書いた。
つなぐ人
町田がそれを見た。
町田:
「それなら、かなり龍馬らしいかもしれませんね。」
司会はうなずいた。
未来を全部知っていたわけではない。
未来を一人で発明したわけでもない。
しかし、まだ別々の場所に存在していた人、思想、利益、可能性を見つけ、それらの間を歩いた。
そして、ときにはそれらを同じテーブルまで運んだ。
龍馬の「先見の明」とは、未来を見る能力ではなく、
まだつながっていないものが、つながる可能性を見る能力だったのかもしれない。
Topic 5: 私たちが知っている「坂本龍馬」は、いったい誰が作ったのか?

テーブルの上に、これまで使ってきた史料が並べられた。
龍馬の手紙。
写真。
木戸孝允関係文書。
薩長間の六カ条。
海援隊関係の資料。
新政府綱領八策。
そして最後に、一冊の本が置かれた。
司馬遼太郎『竜馬がゆく』。
誰もすぐには話さなかった。
Topic 1から4まで、研究者たちは「本当の坂本龍馬」を探してきた。
その結果、いくつもの有名な龍馬像が修正された。
最初から世界を見ていたわけではない。
薩長同盟を一人で作ったわけでもない。
現代的な意味で日本初の株式会社を創業したCEOでもない。
大政奉還を一人で発明したわけでもない。
しかし龍馬は消えなかった。
むしろ別の人物が現れてきた。
人に会う。
考えを変える。
組織を越える。
人をつなぐ。
アイデアを運ぶ。
まだつながっていないものの間を歩く。
司会は『竜馬がゆく』に手を置いた。
司会:
「では最後に、一番危険な質問をしましょう。」
町田明広が少し笑った。
町田明広:
「何でしょう。」
司会:
「私たちが今まで探してきた坂本龍馬は、本当に坂本龍馬なのでしょうか。」
Question 1
司馬遼太郎以前、日本人は坂本龍馬をどんな人物だと思っていたのか?
司会:
「よく言われますよね。」
坂本龍馬を有名にしたのは司馬遼太郎である。
谷川建司:
「これは半分正しくて、半分は注意が必要です。」
司会:
「なぜでしょう?」
谷川:
「司馬以前にも龍馬は知られています。」
明治。
大正。
昭和。
小説。
講談。
映画。
歴史物語。
龍馬は司馬遼太郎によってゼロから発見された人物ではない。
谷川:
「戦前にも坂本龍馬を扱った映画があります。ですから、『司馬以前は誰も龍馬を知らなかった』というのは違います。」
司会:
「では、司馬は何をしたのでしょう?」
谷川は『竜馬がゆく』を見た。
谷川:
「龍馬を、戦後日本人が非常に愛しやすい人物にした。」
高義吉が入った。
高義吉:
「ここは重要ですね。」
司会:
「どういう意味でしょう?」
高:
「歴史上の人物は、時代によって読み替えられます。」
同じ坂本龍馬でも、
戦前の人が見る龍馬。
戦後の人が見る龍馬。
高度経済成長期の人が見る龍馬。
バブル期の経営者が見る龍馬。
21世紀の若者が見る龍馬。
全部少し違う。
高:
「歴史人物そのものは変わりません。でも、その人物から何を取り出すかが変わる。」
司会が聞いた。
司会:
「では司馬遼太郎は、龍馬の何を取り出したのでしょう?」
高は少し考えた。
高:
「自由。」
もう一つ。
高:
「合理性。」
さらに、
高:
「組織に縛られないこと。」
谷川が続ける。
谷川:
「人懐っこさ。」
町田:
「行動力。」
佐々木雄一:
「人とのつながり。」
司会が書いていく。
自由
合理性
好奇心
行動
海
世界
組織を越える
人をつなぐ
新しいものを恐れない
司会はしばらくそれを見た。
司会:
「これ……1960年代の日本人が欲しそうなものばかりですね。」
高がうなずいた。
高:
「そこなんです。」
Question 2
なぜ1960年代の日本人は『竜馬がゆく』の竜馬を必要としたのか?
テーブルの幕末地図が片づけられた。
代わりに1960年代の日本の写真が置かれた。
東京。
工場。
高速道路。
新幹線。
港。
海外へ向かう船。
会社員。
地方から都市へ向かう若者。
1964年、東京オリンピック。
急速に変わる日本。
司会:
「『竜馬がゆく』の連載は1962年からですね。」
高:
「はい。」
司会:
「日本そのものが猛烈に動いている時代です。」
高は一枚の写真を指した。
高:
「ここで龍馬の移動を考えてください。」
土佐を出る。
江戸へ行く。
神戸へ行く。
長崎へ行く。
薩摩へ行く。
京都へ行く。
高:
「そして1960年代の日本人も移動しています。」
地方から東京へ。
農村から都市へ。
国内市場から海外市場へ。
古い産業から新しい産業へ。
司会:
「幕末と高度経済成長。」
高:
「もちろん同じではありません。しかし読者が自分の時代を重ねられる部分がある。」
谷川が続けた。
谷川:
「そして司馬の竜馬は、権威そのものではありません。」
司会:
「大名ではない。」
谷川:
「幕府の偉い役人でもない。」
司会:
「藩のトップでもない。」
谷川:
「それなのに動く。」
人に会う。
新しい技術を見る。
船に興味を持つ。
外国を見る。
商売にも関心を持つ。
古い組織を越える。
谷川:
「これは戦後日本の読者にとって、非常に現代的な英雄だったと思います。」
司会が笑った。
司会:
「だから後になると、経営者が龍馬を好きになる。」
高:
「そうですね。」
司会:
「『龍馬に学ぶ経営』。」
町田:
「ありますね。」
司会:
「『龍馬に学ぶリーダーシップ』。」
佐々木:
「あります。」
司会:
「『龍馬ならこの会社をどう改革するか』。」
笑いが起こった。
町田:
「そのあたりまで来ると、幕末史研究者としては少し距離を置きたくなります。」
しかし高は笑わなかった。
高:
「でも私は、それ自体を単純に間違いとは言いたくありません。」
町田:
「どういうことです?」
高:
「歴史人物には、史実としての存在と文化的な存在があります。」
少し空気が変わった。
高:
「経営者が『竜馬がゆく』を読んで、自分も組織の壁を越えてみようと思った。」
「若者が読んで、知らない世界へ出てみようと思った。」
「会社員が読んで、肩書きではなく人として付き合おうと思った。」
高:
「それは坂本龍馬本人が1860年代に意図したことではありません。」
司会:
「でも現実に起きた。」
高:
「そうです。」
司会は町田を見た。
司会:
「歴史家として、これはどう考えますか?」
町田は少し考えた。
町田:
「二つを分ければいいんです。」
司会:
「二つ?」
町田:
「『坂本龍馬が実際に何をしたか』という歴史研究。」
そして、
町田:
「『後世の人々が坂本龍馬をどう使ってきたか』という歴史。」
司会:
「ああ。」
町田:
「どちらも歴史です。」
その言葉で、Part 1から続いてきた問題が少し整理された。
司馬遼太郎の竜馬は、史実そのものではない。
しかし、
司馬遼太郎の竜馬が日本社会に与えた影響
は、間違いなく歴史的事実なのである。
Question 3
『竜馬がゆく』が存在しなかったら、私たちは今の坂本龍馬を知っていただろうか?
司会は一冊の『竜馬がゆく』を持ち上げた。
司会:
「では、この本を消してみましょう。」
テーブルの端へ置いた。
司会:
「司馬遼太郎が『竜馬がゆく』を書かなかった世界。」
谷川が笑った。
谷川:
「歴史学では反実仮想に慎重にならなければいけません。」
司会:
「分かっています。でも、思考実験として。」
谷川:
「それなら。」
司会:
「坂本龍馬は忘れられていたでしょうか?」
谷川:
「完全に忘れられることはなかったでしょう。」
司会:
「なぜ?」
谷川:
「司馬以前にも龍馬は文化的に表象されていましたし、幕末史の人物としても存在します。」
町田:
「薩長関係、大政奉還前後、海援隊などを研究すれば龍馬は出てきます。」
司会:
「では今と同じくらい人気だった?」
谷川は首を振った。
谷川:
「そこは断定できません。」
少し間を置いた。
谷川:
「ただし、現在私たちが非常に自然に思い浮かべる『坂本龍馬らしさ』の形成に、『竜馬がゆく』が大きな役割を果たしたことは否定しにくいでしょう。」
司会はホワイトボードに三人の龍馬を書いた。
史実の龍馬
その横に、
司馬遼太郎の竜馬
そして、
日本人が愛した龍馬
司会:
「Part 1で、この三人を考えました。」
高:
「でもPart 2を終えてみると、もっといますね。」
司会が振り返る。
高:
「勝海舟が見た龍馬。」
町田:
「木戸孝允が見た龍馬。」
佐々木:
「乙女が知っていた弟。」
谷川:
「お龍が知っていた夫。」
さらに、
戦前映画の龍馬。
戦後小説の龍馬。
司馬遼太郎の竜馬。
テレビドラマの龍馬。
経営者が読む龍馬。
観光地の龍馬。
教科書の龍馬。
研究者が史料から再構成する龍馬。
司会:
「どれが本物ですか?」
誰も答えなかった。
町田がようやく言った。
町田:
「歴史研究としては、確認できる史料から可能な限り史実の人物へ近づこうとします。」
司会:
「でも完全には?」
町田:
「できません。」
司会:
「なぜです?」
町田:
「本人はもういませんから。」
その答えは単純だった。
そして少し寂しかった。
30の質問をしたあとで
司会は、Part 2で扱ってきたものを見渡した。
性格。
手紙。
剣術。
女性。
乙女。
尊王攘夷。
勝海舟。
開国。
薩長同盟。
中岡慎太郎。
小松帯刀。
亀山社中。
海援隊。
船中八策。
大政奉還。
新政府構想。
司馬遼太郎。
戦後日本。
30の疑問から始まった。
しかし、調べれば調べるほど、一人の「本当の龍馬」に収束するどころか、人物像は複雑になっていった。
司会:
「おかしいですね。」
佐々木:
「何がです?」
司会:
「30問も調べたんだから、最初より龍馬が分かるはずでしょう?」
町田:
「分かったでしょう。」
司会:
「でも、複雑になりました。」
町田が笑った。
町田:
「それが分かるということなのかもしれません。」
そのとき。
部屋の扉が開いた。
誰も話さなかった。
着物姿の男が入ってきた。
ブーツ。
袴。
少し乱れた髪。
写真で何度も見た顔。
男はテーブルの上を見た。
自分の手紙。
自分の写真。
薩長関係の史料。
海援隊。
新政府綱領八策。
そして、
『竜馬がゆく』。
男は本を手に取った。
表紙を見た。
それから研究者たちを見た。
坂本龍馬:
「ずいぶん、わしのことを調べましたな。」
誰もすぐには答えなかった。
司会がようやく言った。
司会:
「30の疑問を調べました。」
龍馬:
「ほう。」
司会:
「あなたが本当はどんな人だったのか、知りたかったんです。」
龍馬は少し笑った。
龍馬:
「分かりましたか?」
また沈黙した。
町田が答えた。
町田:
「以前よりは。」
龍馬は笑った。
龍馬:
「それくらいが、ちょうどええでしょう。」
司会は少し勇気を出して聞いた。
司会:
「龍馬さん。」
龍馬:
「はい。」
司会:
「あなたについて、後世の人たちはいろいろな話を作りました。」
龍馬は『竜馬がゆく』を見た。
龍馬:
「そうでしょうな。」
司会:
「薩長同盟を一人で作った。」
龍馬が笑う。
司会:
「日本最初の会社を作った。」
さらに笑う。
司会:
「大政奉還を考えた。」
龍馬は本を閉じた。
司会:
「それらを一つずつ調べていったら、ずいぶん話が複雑になりました。」
龍馬:
「歴史というのは、そういうもんでしょう。」
司会は最後の質問をした。
司会:
「では、後世が作ったものを全部取り除けば、本当の坂本龍馬が残るのでしょうか?」
龍馬の表情から笑いが消えた。
しばらく考えた。
そして言った。
龍馬:
「全部取り除いたら……」
テーブルの上の手紙を見た。
勝海舟。
木戸孝允。
乙女。
お龍。
中岡慎太郎。
後藤象二郎。
そして司馬遼太郎。
自分を知った人。
自分について書いた人。
自分を研究した人。
自分を想像した人。
龍馬:
「わしまで、なくなるんじゃないですか。」
誰も話さなかった。
司会:
「どういう意味です?」
龍馬は自分の写真を指した。
龍馬:
「この写真だけが、わしじゃないでしょう。」
手紙を指した。
龍馬:
「これも、わし。」
勝海舟の名前を見る。
龍馬:
「勝先生が覚えちゅうわしも、わし。」
乙女への手紙を見る。
龍馬:
「姉ちゃんが知っちゅう弟も、わし。」
そして『竜馬がゆく』を見る。
少し笑った。
龍馬:
「これは……だいぶ格好ええわしでしょうな。」
部屋に笑いが戻った。
しかし龍馬は本を置くと、静かに続けた。
龍馬:
「ただ、一つだけ頼みたいですな。」
司会が聞いた。
司会:
「何でしょう?」
龍馬は研究者たちを見た。
龍馬:
「英雄じゃのうてもええ。」
少し間を置いた。
龍馬:
「何でもわし一人がやったことにせんでもええ。」
さらに間を置く。
龍馬:
「わしより働いた人がおったら、その人の名前もちゃんと出してやってください。」
中岡慎太郎。
小松帯刀。
西郷隆盛。
木戸孝允。
後藤象二郎。
数えきれない人たち。
そして龍馬が最後に言った。
「けんど、わしが本当にやったことまで、消さんといてください。」
誰もすぐには答えなかった。
司会はPart 2の最初に書いた言葉を思い出した。
英雄化しない。
神話破壊を目的にしない。
分からないものは分からないまま残す。
30の疑問を調べたあとに残った龍馬は、最初より小さくなってはいなかった。
ただ、
人間の大きさに戻っていた。
一人で日本を変えた超人ではない。
未来を予言した天才でもない。
すべての新しい思想を発明した思想家でもない。
人に会った。
驚いた。
考えを変えた。
移動した。
失敗した。
人をつないだ。
考えを運んだ。
そして33歳で、その途中に人生が終わった。
その後を、別の人々が書いた。
歴史家が書いた。
小説家が書いた。
映画が描いた。
テレビが描いた。
そして読者一人ひとりが、自分の中にもう一人の坂本龍馬を作った。
龍馬はもう一度『竜馬がゆく』を手に取った。
表紙を眺めながら、少し笑った。
龍馬:
「人間というのは、死んでからも忙しいもんですな。」
最後に

英雄を壊したあとに残ったもの
今回の対話では、坂本龍馬を英雄にすることも、英雄から引きずり下ろすことも目的にしませんでした。
むしろ、神話を一つずつ史料と照らし合わせました。
すると最後に残ったのは、意外にシンプルな人物でした。
人に会う。
知らないことを学ぶ。
考えを変える。
違う世界の間を歩く。
人と人をつなぐ。
龍馬を大きくするために、中岡慎太郎や小松帯刀、後藤象二郎たちを小さくする必要はありません。
全員を本来の大きさへ戻したとき、むしろ龍馬の特徴が見えてきます。
一人で歴史を動かした超人ではない。
歴史を動かしていた多くの人々の「あいだ」を歩いた人。
そして、もし本人が今回の議論を聞いていたなら、最後にこんなことを言ったのかもしれません。
「英雄じゃのうてもええ。何でもわし一人がやったことにせんでもええ。けんど、わしが本当にやったことまで、消さんといてください。」
それくらいの龍馬が、もしかすると一番面白いのです。
Short Bios:
坂本龍馬(1836–1867)
土佐出身の幕末の志士。勝海舟に学び、海軍・航海・交易に関心を深め、薩長間の調整、海援隊、大政奉還前後の政治構想などに関わった。33歳で京都・近江屋にて暗殺された。
町田明広
幕末維新政治史を研究する歴史学者。坂本龍馬についても史料をもとに従来の英雄像を再検討し、単純な龍馬礼賛とも単純な「龍馬不要論」とも異なる視点を提示している。
佐々木雄一
日本近代政治史を研究する歴史学者。本対話では、最新研究から幕末政治と坂本龍馬の役割を読み直し、後世の物語と当時の政治状況を切り分ける視点を担った。
谷川建司
映画史・文化史研究者。坂本龍馬が映画やテレビなどのメディアによってどのように描かれ、そのイメージが時代とともに変化してきたのかを考察する。
高義吉
『竜馬がゆく』と戦後日本社会の関係を研究。本対話では、司馬遼太郎が描いた「自由人・竜馬」が、高度経済成長期以降の日本人にどのように受け入れられたのかを考える役割を担った。
司馬遼太郎(1923–1996)
歴史小説家。『竜馬がゆく』を1962年から新聞連載し、戦後日本における坂本龍馬像の形成に大きな影響を与えた。史実の龍馬をそのまま再現するのではなく、龍馬の魅力が歴史にどう参加したのかを文学として描いた。

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