はじめに
人はなぜ、誰かを「推す」のでしょうか。
ただ好きになるだけではなく、その人に成功してほしいと願う。時間を使い、お金を使い、遠くまで会いに行き、ときには自分のこと以上に、その人の未来を心配する。「好き」が「応援したい」に変わり、やがて「自分もこの人の夢に参加している」という感覚へ変わっていくことがあります。
朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』が見つめているのは、単なる「推し活」という現象だけではありません。その奥にある、**「人を動かす原動力とは何なのか」**という、もっと大きな問いです。
なぜ私たちは、ある物語には心を動かされ、別の物語には動かされないのでしょうか。なぜ何かに夢中になると、それまで面倒だったことまでできるようになるのでしょうか。そして、その情熱はどこまでが自由な「好き」で、どこからが「やめられない」に変わっていくのでしょうか。
Part 1では、朝井リョウ、物語の登場人物たち、エピクロス、ヴィクトール・フランクル、柳澤田実による架空の対話を通して、「推す」という行為からこの問いを掘り下げます。物語の力、視野を狭めることの意味、情熱と献身と依存の境界、そして人間が抱く**「自分を余らせたくない」「自分を何かに使い切りたい」**という感覚まで考えていきます。
しかし、この問いはPart 1だけでは終わりません。
Part 2では視点を変え、現代の小説家たちとともに、**「物語はなぜ人を動かすのか」**を考えます。もしファンを動かす物語が誰かによって作られているのなら、小説家もまた、言葉を選び、情報を並べ、読者を笑わせ、泣かせ、心を動かしているのではないか。そこから「人を動かすこと」と「人を操ること」の境界へ踏み込んでいきます。
そしてPart 3では、Part 1とPart 2で考えてきた問いを、議論ではなく5つの現代短編へ移します。誰かが作った物語を信じた人。考えすぎて何も選べなくなった人。誰かを愛することで自分の人生を取り戻した人。「何の役にも立たない」と思っていた時間の価値に気づく人。彼らの人生を通して、問いは最後に私たち自身へ戻ってきます。
これは、「推し活は良いのか、悪いのか」を決めるための対話ではありません。
何かに夢中になることも、誰かを信じることも、物語に心を動かされることも、人間の人生から簡単に切り離せるものではないからです。
だからこそ、最初にこの問いから始めたいと思います。
私たちは、何によって動かされているのでしょうか。
そして、その力に動かされながら、
この限られた人生の時間を、何に使いたいのでしょうか。
(本稿に記されている対話はすべて仮想のものであり、実在の人物・発言とは関係ありません。)
Topic 1: 「推す」という行為の正体は何なのか?

朝井リョウ(司会):
最初は、いちばん単純に見えて、考え始めるとよく分からなくなるところから始めたいと思います。
「好き」と「推す」は、同じなんでしょうか。
好きな俳優がいる。好きな歌手がいる。好きな作家がいる。それだけなら昔からありました。
でも「推す」という言葉には、もう少し能動的な感じがありますよね。見るだけではなく、動く。時間を使う。お金を使う。誰かに紹介する。成功してほしいと願う。
絢子さんに最初に聞きたいんですが、あなたにとって「好き」と「推す」は同じでしたか?
隅川絢子:
違ったと思います。
好きだったら、自分が楽しければそれでいいんですよ。
舞台を観て、「よかったな」と思って帰る。それで終わってもいい。
でも、推し始めると、相手の未来が気になるんです。
次の舞台にも出てほしい。もっとたくさんの人に知ってほしい。いい役をもらってほしい。
気づくと、「私が好き」という話から、「この人がどうなってほしい」という話に変わっている。
朝井:
自分から相手へ、主語が変わる。
絢子:
そうかもしれません。
でも不思議なんですよね。
その人が成功したからって、私の人生が成功するわけじゃない。
給料が増えるわけでもない。
なのに、いい役が決まっただけで、自分のことみたいに嬉しい。
エピクロス:
それは不思議なことでしょうか。
絢子:
二千年以上前の人に言われると、ちょっと困ります(笑)。
エピクロス:
では質問を変えましょう。
友人が幸福になったとき、あなたは嬉しくありませんか。
絢子:
嬉しいです。
エピクロス:
その幸福はあなたのものではありません。
それでも嬉しい。
人間の幸福というものを、自分一人の身体の中だけに閉じ込めて考える必要はないのではありませんか。
ヴィクトール・フランクル:
私もそこは興味深いと思います。
人間は、自分自身だけを見つめ続けると、かえって自分を見失うことがあります。
誰かを愛する。
仕事に取り組む。
何かのために生きる。
つまり、自分ではない何かへ向かうことで、自分自身を見つけることがある。
久保田慶彦:
でも、それを美しく言いすぎると危ないと思います。
フランクル:
と言いますと?
久保田:
今のお二人の話を聞けば、推し活ってすごく美しいものに聞こえる。
「自分を超えて誰かのために生きる」。
でも、商売をする側から見れば、その感情って非常に強いんですよ。
自分のためなら、一万円の商品を買うか迷う人がいる。
でも、
「あなたの一票でこの子の夢が叶います」
と言われたら払える。
絢子:
嫌な言い方(笑)。
久保田:
嫌な言い方をする役は僕でしょう。
朝井:
たぶん今日はかなり(笑)。
久保田:
でも本当にそうなんです。
「あなたが楽しめます」より、
「あなたがこの人を救えます」
のほうが、人を動かすことがある。
そこで「好き」が「責任」に変わるんです。
武藤澄香:
それ、ちょっと怖い。
久保田:
でしょうね。
澄香:
だって、「好き」ならやめられるじゃないですか。
今日ちょっと疲れたから見ないとか。
今月お金ないから買わないとか。
でも、
「私が応援しなかったら、この人が負ける」
と思ったら、やめにくくなる。
柳澤田実:
今、とても重要な境界が出てきたと思います。
好きな対象が存在することと、自分がその対象を支えなければならないと感じること。
そこには距離があります。
ただ、私はそれをすぐ「依存」と呼ぶことにも慎重でありたいんです。
澄香:
どうしてですか?
柳澤:
人間は昔から、自分以外のものに時間や労力を捧げてきたからです。
家族。
共同体。
信仰。
芸術。
研究。
スポーツ。
その行為をある場面では「献身」と呼び、別の場面では「依存」と呼ぶ。
では、その違いは何なのか。
絢子:
本人が幸せかどうかじゃないですか?
柳澤:
それだけでしょうか。
絢子:
違います?
柳澤:
たとえば本人が「幸せです」と言いながら、生活が壊れている場合は?
絢子:
……それは。
久保田:
商売する側には、そこがいちばん都合がいいんですよ。
「本人が好きでやっているんだから」。
絢子:
久保田さん、本当に嫌な役ですね。
久保田:
今日は徹底します(笑)。
朝井:
でも絢子さん。
少し違う方向から聞いていいですか。
仮に、あなたが推していた時間を全部取り戻せるとします。
使ったお金も戻ってくる。
舞台へ行った時間も戻る。
その代わり、その間にあった経験も全部なくなる。
それなら戻したいですか?
絢子:
……それは嫌です。
朝井:
即答ですね。
絢子:
だって、楽しかったから。
これは難しいんですよ。
後から考えれば、「そこまでしなくてもよかったな」と思うことはあります。
買わなくてもよかったものもある。
行かなくてもよかった公演もある。
でも、友達と待ち合わせして。
終わってからずっと話して。
「あそこよかったよね」って。
次の日仕事なのに、夜中までメッセージして。
そういうのを全部、
「無駄でした」
とは言いたくない。
澄香:
ちょっと羨ましいです。
絢子:
何が?
澄香:
そんなふうに夢中になれたことが。
私、何かを見るとすぐ別のことも考えちゃうから。
「でも、この人にも問題あるよね」とか。
「こっちの人も頑張ってるよね」とか。
「そもそも、こんなことに時間使っていいのかな」とか。
そうやって考えているうちに、熱が冷める。
絢子:
でも、それって冷静ってことじゃない?
澄香:
冷静なのかな。
ただ何にも入っていけないだけかもしれない。
エピクロス:
あなたは、間違ったものを愛することを恐れているのですか。
澄香:
……たぶん。
エピクロス:
では、完全に間違いのないものを見つけたら愛するのですか。
澄香:
そんなものないですよね。
エピクロス:
そうでしょう。
澄香:
じゃあ、どうすればいいんですか?
エピクロス:
私は答えを与えたのではありません。
あなたの条件では、永遠に何も愛せないのではないか、と尋ねただけです。
澄香:
……痛いなあ。
朝井:
これは、後で「視野」の話をするときに戻ってきそうですね。
でも今は、「推す」ということに戻りましょう。
フランクルさん。
人間が誰かを応援することで自分の人生に意味を感じるとして、その対象が後になって自分を裏切ったらどうなるのでしょう。
意味まで失われますか?
フランクル:
私は、その二つを分けて考えたい。
ある経験が後に失望へ変わったからといって、過去にその人が経験した喜びや友情まで存在しなかったことにはなりません。
意味は、結果だけから生まれるものではないでしょう。
絢子:
それ、私は信じたいです。
久保田:
でも、そこでまた難しくなる。
だったら作る側は、
「たとえ後で失望しても、今幸せならいいでしょう」
と言えてしまう。
朝井:
確かに。
久保田:
本人が幸せだった。
友達もできた。
生きる理由にもなった。
それが全部本当なら、人を熱狂させる仕組みを作ることも正当化できるのか。
柳澤:
そこで必要なのは、「本物か偽物か」という二択ではない気がします。
人間の共同体には、ほとんど必ず物語があります。
宗教にもある。
国家にもある。
学校にもある。
会社にもある。
家族にもある。
ファンダムにもある。
問題は物語が存在することではなく、その物語と人間がどのような関係を結んでいるかでしょう。
絢子:
でも、「ファンの気持ちは作られたものです」って言われると、腹が立つんですよ。
私が感じたことまで誰かに作られたみたいで。
久保田:
そこは僕も違うと思う。
仕掛けることはできる。
きっかけも作れる。
でも、人の感情を完全に作ることなんてできない。
そんなに簡単なら、世の中のアイドルは全員売れています。
澄香:
それは確かに(笑)。
久保田:
何百億円かけても売れないものは売れない。
人が誰かを好きになる最後のところまでは、コントロールできない。
ただし。
朝井:
ただし?
久保田:
一度生まれた「好き」を、大きくする技術はある。
絢子:
やっぱり怖い(笑)。
朝井:
そこが次のTopicにつながりますね。
でも、その前にもう一つだけ聞きたい。
絢子さん。
もし、推していた相手から一度もあなたの名前を呼ばれなかったとしても。
あなたが存在していたことさえ知らなかったとしても。
それでも、その時間には価値があったと思いますか?
絢子:
……はい。
今なら、そう思います。
昔だったら、「覚えてほしい」と思っていたかもしれない。
でも考えてみたら、私がもらったものって、本人から直接返してもらったものだけじゃないんですよ。
友達もそう。
出かけた場所もそう。
何かを楽しみに待つ感じもそう。
「ああ、来月これがあるから頑張ろう」って思えたことも。
その人は私を知らなかった。
でも私は、その人を応援していた自分の人生を知っている。
それでいいのかもしれない。
フランクル:
それは大きな違いですね。
「相手から何を返してもらったか」ではなく、
「その対象へ向かうことで、自分がどう生きたか」。
エピクロス:
ならば、喜びの所在は最初から相手の中だけにはなかったのでしょう。
澄香:
つまり、「推しが私を幸せにしてくれた」じゃなくて?
エピクロス:
その人を愛し、友と語り、待ち望み、喜んだ。
その経験を生きたのは誰でしょう。
絢子:
私ですね。
エピクロス:
ならば、その幸福の一部は最初からあなたのものです。
絢子:
……なんか、それは好きだな。
朝井:
僕も今の話を聞いていて、最初の質問が少し変わってきました。
「なぜ人は推すのか」と聞くと、推される人に理由があるように聞こえます。
魅力があるから。
才能があるから。
かっこいいから。
でも、それだけではないのかもしれない。
人は誰かを推すことで、
待つ。
集まる。
語る。
願う。
喜ぶ。
自分一人では出せなかった感情を使う。
だとすると「推す」という行為は、相手についての行為であると同時に、自分の中に眠っていた何かを使う行為なのかもしれません。
澄香:
「自分を使う」ってことですか。
朝井:
そう。
そして僕は、そこから少し怖いことも考えてしまうんです。
人間がそんなにも「自分を使いたい」生き物なら、
その欲求を知っている人が、
「ここに、あなたが自分を使える物語がありますよ」
と差し出したらどうなるんだろう。
久保田:
……それは僕の出番ですね。
絢子:
嫌な予感しかしない(笑)。
朝井:
たぶん次は、かなり嫌な話になります。
でも避けられない。
誰かを推したいという気持ちが本物だったとしても、その気持ちが向かう先には、誰かが作った物語があるかもしれない。
では、
私たちは事実を見て動いているのか。それとも、物語を見て動いているのか。
そこを考えないと、「推す」という行為のもう半分は見えてこない気がします。
Topic 2: 人を動かすのは「事実」なのか、それとも「物語」なのか?

朝井リョウ(司会):
さっき久保田さんが、ちょっと怖いことを言いましたよね。
「人が誰かを好きになる最後のところまではコントロールできない。でも、一度生まれた『好き』を大きくする技術はある」。
僕は、この言葉がずっと引っかかっています。
たとえば、あるオーディションに二十人の候補者がいる。
歌唱力。
ダンス。
年齢。
経歴。
それだけを表にして渡されたら、たぶん多くの人はそこまで熱狂しない。
でも、
「五年間オーディションに落ち続けてきた」
「家族に反対されながら夢を追ってきた」
「これを最後の挑戦にすると決めている」
と知った瞬間、その人が突然、自分にとって特別な存在になることがあります。
事実は変わっていない。
でも、物語になった。
久保田さん。
これは人を騙しているんでしょうか?
久保田慶彦:
事実なら、騙してはいないでしょう。
武藤澄香:
でも、見せ方は選んでいますよね。
久保田:
もちろん。
澄香:
それが怖いんです。
二十人全員に人生があるはずなのに、一人だけの苦労を詳しく見せる。
その人のお母さんを出す。
昔の写真を出す。
泣いているところを出す。
それを見たら、その人を応援したくなる。
でも私たちは、その人を自分で選んだと思っている。
本当に自分で選んだんでしょうか。
久保田:
では澄香さん。
ニュースは?
澄香:
ニュース?
久保田:
一日に世界中で何件の出来事が起きています?
澄香:
数えられないくらい。
久保田:
その全部をニュース番組で流せますか?
澄香:
無理です。
久保田:
小説は?
人間の人生を一秒も省略せず書きます?
朝井:
そんな小説を書いたら僕が先に死にます(笑)。
久保田:
つまり、人間が何かを伝える以上、選択は避けられない。
何を見せる。
何を見せない。
どこから始める。
どこで終わる。
僕たちは物語なしでは、ほとんど何も理解できないんじゃないですか。
澄香:
でも、「避けられない」と「意図的に人を動かす」は違いません?
久保田:
違います。
そこは認めます。
朝井:
では、その境界を探りましょう。
絢子さん。
推していた人について最初から、
名前。
年齢。
出演作品。
身長。
所属事務所。
それだけしか知らなかったら、同じように応援していたと思いますか?
隅川絢子:
たぶん、してないです。
やっぱり人柄を知ったり、苦労している話を聞いたりして、だんだん好きになりましたから。
朝井:
その「人柄」も、誰かが選んで見せたものだった可能性がありますよね。
絢子:
あります。
今なら分かります。
でも、それを全部「作られたもの」と言われるのも違うと思う。
澄香:
どう違うんですか?
絢子:
たとえば映画って作り物でしょう?
でも映画を観て泣いた涙まで偽物ですか?
澄香:
ああ……。
絢子:
私はそこを分けたい。
相手について私が知っていたことが、相手の全部じゃなかった。
それは認めます。
でも、そのとき私が感じたことは本当だった。
柳澤田実:
とても重要な区別だと思います。
物語が構成されていることと、その物語を受け取った人間の感情が偽物であることは同じではありません。
宗教にも物語があります。
国家にもあります。
家族にもあります。
朝井:
家族にも?
柳澤:
あります。
「うちのお父さんはこういう人だった」
「おばあちゃんは家族を守った人だった」
家族の中で何度も語られる話がありますよね。
でも、それがその人物の全人生でしょうか。
違います。
無数にあった出来事から、いくつかを選んで語っている。
そうやって家族は「私たちはこういう家族だ」という物語を作ります。
絢子:
確かに。
柳澤:
人間は、事実をそのまま保存するだけでは共同体を作りにくい。
物語によって、
「私たちは誰なのか」
を共有する。
ファンダムにも似たことが起きます。
「私たちは彼が売れる前から応援してきた」
「この苦しい時期を一緒に乗り越えた」
その共有された記憶が、集団を作ります。
久保田:
そして、それを理解するとビジネスにできる。
絢子:
またそれ(笑)。
久保田:
いや、そこを避けたら駄目でしょう。
僕だったら考えますよ。
ただ商品を売るより、
「あなたはこの歴史の一部です」
と思ってもらったほうが強い。
澄香:
たとえば?
久保田:
新人グループがいるとする。
「デビューシングル発売中」
だけなら商品です。
でも、
「まだ誰も知らない彼らを、最初から応援できるのは今だけ」
となったら?
絢子:
……ちょっと欲しくなる(笑)。
久保田:
でしょう。
朝井:
まだ何も嘘を言っていない。
久保田:
そう。
でも、意味を与えた。
CDを一枚買うという行為が、
「歴史の最初に参加する」
という行為に変わる。
澄香:
怖いなあ。
久保田:
でも澄香さん、あなたが「怖い」と言うとき、何を怖がっているんでしょう。
澄香:
自分が動かされていることに気づかないこと。
久保田:
では、自分が動かされていると分かっていればいい?
澄香:
……分からない。
エピクロス:
私は別のことが気になります。
なぜ「誰かの影響を受けること」を、それほど恐れるのでしょう。
澄香:
自分で決めたいからです。
エピクロス:
あなたが自分で決めたと思っているもののうち、誰からも影響を受けていないものはいくつありますか。
澄香:
……。
エピクロス:
食べ物。
服。
言葉。
美しいと思うもの。
成功だと思う人生。
すべてを一人で発明しましたか?
澄香:
してません。
エピクロス:
ならば問題は、影響を受けることそのものではないのでしょう。
朝井:
では何が問題なんでしょう。
エピクロス:
自分が何を欲しているのかを、自分で知らなくなることではありませんか。
絢子:
それ、推し活でもあります。
朝井:
どういうことです?
絢子:
最初は「この人が好き」だったのに、途中から、
「ランキングを上げなきゃ」
「売上を作らなきゃ」
「ほかのファンより応援しなきゃ」
ってなってくる。
そうすると、ある瞬間、
「私、これ楽しいんだっけ?」
ってなるんです。
久保田:
そこは作る側にとっても危険なんですよ。
絢子:
え、そうなんですか?
久保田:
短期的にはいいですよ。
一人に十枚買ってもらう。
二十枚買ってもらう。
ファン同士を競わせる。
数字は伸びる。
でも、人間は疲れる。
柳澤:
つまり、献身が義務へ変わる。
久保田:
そうです。
「応援したい」が、
「応援しなければならない」
になった瞬間から、熱量の質が変わる。
絢子:
それは分かる。
楽しかったはずなのに、休むと罪悪感が出てくるんです。
朝井:
興味深いですね。
最初は物語が人を元気にした。
でも途中から、その物語に責任を感じ始める。
フランクル:
ここで「意味」と「命令」を区別したほうがよいでしょう。
人が自分の外に意味を見いだすことと、
「これをしなければあなたには価値がない」
と外側から規定されることは違います。
澄香:
それ、かなり大きな違いですね。
フランクル:
意味は、人間を生へ向かわせることがあります。
しかし意味らしきものを他者が強制すれば、それは別の問題になる。
久保田:
ただ、現代のマーケティングはそんな露骨に言いません。
朝井:
どう言うんです?
久保田:
「あなたが決めてください」。
澄香:
ああ……。
久保田:
「あなたの一票です」。
「あなたの選択です」。
「あなたが未来を作ります」。
主体性を渡しているように見える。
でも、その選択肢を誰が並べたのか。
そこを見る必要がある。
朝井:
これはかなり重要ですね。
柳澤:
しかも参加することで、物語はさらに強くなります。
見るだけの人より、
投票した人。
お金を出した人。
友人を誘った人。
時間を使った人。
そういう人ほど、その物語から離れにくくなる。
自分自身が物語の一部になるからです。
絢子:
「ここまで応援したんだから」って思います。
澄香:
でも、それって怖い話ばかりじゃないですよね?
柳澤:
もちろんです。
澄香:
たとえば募金だってそうじゃないですか。
ただ「世界には困っている人がいます」より、一人の子供の話を聞いたほうが、助けたいと思う。
朝井:
そうですね。
澄香:
じゃあ、物語によって人を動かすこと自体が悪いわけじゃない。
久保田:
そうなんですよ。
だから厄介なんです。
絢子:
久保田さん、今日初めてちょっとまともなこと言った(笑)。
久保田:
ずっとまともですよ(笑)。
朝井:
では、核心に入りましょう。
人を勇気づける物語と、人を操作する物語。
どこで分かれるんでしょう。
エピクロス:
その物語が、人の恐怖を必要以上に増やしていないか。
私は一つの尺度として、それを見るでしょう。
柳澤:
私は、離れる自由があるかを見たいですね。
共同体から距離を置いたとき、
裏切り者と呼ばれる。
罪悪感を植え付けられる。
友人をすべて失う。
自分の価値まで否定される。
そうなると、単なる献身とは違ってきます。
フランクル:
私は、人間が目的として扱われているか、それとも手段として扱われているかを見るでしょう。
久保田:
僕ならもっと実務的に、
「見せていないものは何か」
を見る。
澄香:
それ、すごく大事かも。
久保田:
嘘をついていなくても、都合の悪い事実を全部隠せば、かなり違う物語を作れます。
だから、
「これは本当ですか?」
だけでは足りない。
朝井:
「何が省かれていますか?」。
久保田:
そう。
絢子:
でも、そんなこと考えながら推し活したら楽しくなくないですか?
澄香:
それなんですよ!
私はそれを全部考えちゃう(笑)。
絢子:
ライブ中に、
「この感動はマーケティング戦略によって構築されている可能性があります」
とか考えたくない(笑)。
澄香:
私、考えそう。
絢子:
澄香ちゃん、一回全部忘れてペンライト振ったほうがいいよ。
澄香:
それができたら苦労してない(笑)。
朝井:
でも、ここに次の問題が見えてきましたね。
賢くあろうとすると、仕組みが見えてくる。
物語がどう作られているかも分かる。
誰が得をするかも考える。
別の立場も見える。
隠された情報も疑う。
それは大切です。
でも、それを続けると、
何にも没頭できなくなるかもしれない。
澄香:
……はい。
朝井:
逆に、何かに夢中になるには、
少しだけほかのものを見ない時間が必要なのかもしれない。
久保田:
それを作る側は知っています。
人を動かしたいなら、選択肢を増やしすぎないほうがいい。
「この人も素晴らしい。あの人にも事情がある。こちらにも別の見方がある」
そうやって世界を広げていけば、人はだんだん動けなくなる。
だから、
「今、この一人を応援してください」
「今日、この一票を入れてください」
「あなたにできることはこれです」
と絞る。
すると人は動ける。
澄香:
それって、視野を狭くさせているってことですよね。
久保田:
そう言うこともできる。
でも逆に、
「行動できる大きさまで世界を小さくしている」
とも言える。
澄香:
……それ、言い方を変えると急に良いことみたいに聞こえる。
久保田:
だから物語は強いんですよ。
絢子:
でも、実際そういうところありません?
世界中で困っている人が何億人いますって言われても、大きすぎて何をしたらいいか分からない。
でも、一人の子の顔を見て、
「この子にはこれが必要です」
って言われたら、助けられる気がする。
フランクル:
人間は世界全体を一度に引き受けることはできません。
しかし、目の前にある具体的な何かには応答できる。
澄香:
じゃあ、視野を狭めることって悪いことじゃないんですか?
柳澤:
「狭い」と「限定する」は少し違うのかもしれません。
私たちは有限です。
時間も有限。
注意力も有限。
お金も有限。
すべての人を同じ強さで愛することも、すべての問題に同じ時間を使うこともできません。
だから、何かを選ばなければならない。
エピクロス:
人生そのものが、選択ではありませんか。
一つを選ぶとは、ほかの無数の可能性を選ばないということでもあります。
澄香:
でも私は、選ばなかったものが気になってしまう。
絢子:
分かるけど、それやってたら何も選べなくない?
澄香:
そうなんです。
だから困ってる。
朝井:
ここで、僕自身も書きながら考えていたことがあります。
視野が広い人は、普通は「成熟している」と評価されます。
相手の立場を考えられる。
違う意見も理解できる。
簡単に善悪を決めない。
もちろん、それは大切です。
でも、世界のあらゆる側面が見えるようになるほど、
「こっちだけを選んでいいんだろうか」
という迷いも増える。
澄香:
まさにそれです。
朝井:
一方で、強く行動できる人は、ときどき驚くほど世界を単純化している。
「私はこの人を応援する」
「これを成功させる」
「この問題を解決する」
その瞬間だけは、ほかの可能性を横に置いている。
久保田:
ファンダムは、それを非常に分かりやすく見せてくれる。
推しが十人いたら、時間もお金も分散する。
でも、
「この人だけ」
となれば強い。
絢子:
でも私は、そこを全部悪いとは思えない。
朝井:
なぜですか?
絢子:
だって、そのとき本当に楽しかったから。
世界中のすべての俳優を公平に応援するなんて無理ですよ。
私はこの人が好き。
だからこの人を観に行く。
それでいいじゃないですか。
澄香:
恋愛もそうですよね。
絢子:
そう!
世界中の人を比較して、
「この人が客観的に人類最高の恋人です」
って証明してから付き合う人なんていないでしょう(笑)。
久保田:
比較サイトがあったら怖いですね。
澄香:
「世界恋人ランキング」(笑)。
朝井:
星4.7(笑)。
柳澤:
でも今の冗談は、かなり本質的です。
献身には、ある意味で「偏り」があります。
この人。
この家族。
この共同体。
この信仰。
すべてを等しく扱うのではなく、特定の何かに深く関わる。
エピクロス:
友情もそうでしょう。
すべての人間と同じ深さで友人になることはできません。
澄香:
じゃあ、偏ること自体は悪くない。
柳澤:
私はそう思います。
ただし、自分が偏っていることを忘れたときに問題が生まれる。
澄香:
ああ。
柳澤:
「私はこの人を愛している」
と、
「だからこの人が世界で最も正しい」
は違います。
絢子:
それ、すごく分かる。
推しを好きなのはいい。
でも、
「推しがやることは全部正しい」
になったら別ですよね。
久保田:
作る側からすると、そこまで行ってくれるファンは非常に強い。
絢子:
久保田さん(笑)。
久保田:
だからこそ言ってるんです。
人間には物語が必要なのかもしれない。
何かを選ぶことも必要かもしれない。
でも、
「私は今、この物語の中にいる」
という自覚は残しておいたほうがいい。
澄香:
それなら夢中になれるんですかね。
「これは物語だ」と分かっていたら、冷めません?
久保田:
映画を観るとき、映画だと知っているでしょう。
澄香:
知っています。
久保田:
それでも泣くでしょう。
澄香:
……泣きます。
久保田:
だったら可能なんじゃないですか。
仕組みが分かっていても、感動する。
物語だと知っていても、参加する。
ただ、ときどき映画館の外にも世界があることを思い出す。
絢子:
久保田さん、今日いちばんいいこと言った。
久保田:
さっきも言われました(笑)。
朝井:
でも、それは僕がこの小説を書きながら感じていた問題にも近いです。
「物語に騙されるな」
だけでは、人間は生きられない気がする。
私たちは物語によって傷つくこともある。
でも、物語によって立ち上がることもある。
「来月、あの人の舞台がある」。
それだけで仕事を頑張れる人がいる。
「この子が成長するところを見たい」。
それだけで明日まで生きようと思える人がいる。
「この研究を完成させたい」。
「この店を残したい」。
「この家族を守りたい」。
どれも未来についての物語です。
フランクル:
人間は現在だけに閉じ込められて生きる存在ではありません。
未来へ向かうことができる。
その未来に何かが待っているという感覚は、人を支えることがあります。
朝井:
だから、問題は、
「物語を信じるか、信じないか」
ではないのかもしれません。
澄香:
じゃあ、何なんでしょう。
朝井:
どの物語に自分を渡すのか。
そして、
どこまで渡すのか。
絢子:
全部は渡さない。
朝井:
そう。
好きになる。
夢中になる。
参加する。
泣く。
応援する。
そこまではいい。
でも、ときどき少し外へ出て、
「私は今、何を信じているんだろう」
と見る。
澄香:
でも私の場合、外から見すぎなんですよね。
絢子:
たぶん(笑)。
澄香:
中に入る前から出口を探してる。
絢子:
それじゃライブ楽しめないよ(笑)。
朝井:
そこなんですよ。
物語の外に出られなくなる人がいる。
でも澄香さんのように、最初からずっと外にいる人もいる。
どちらが幸福なんでしょう。
澄香:
分からないです。
でも、中にいる人を見ると羨ましいことがあります。
何かを信じて、
「これが好き」
って言える人。
私はすぐ、
「でも」
って思ってしまうから。
エピクロス:
では、あなたが恐れているのは、騙されることだけではないのかもしれません。
澄香:
ほかに何があります?
エピクロス:
選ぶことではありませんか。
一つを選べば、ほかの可能性を手放さなければならない。
澄香:
……そうかもしれない。
朝井:
僕たちはTopic 2で、
「人を動かすのは事実か、物語か」
と聞きました。
でも話しているうちに、問いが変わってきました。
人間はおそらく、事実だけでは生きていない。
事実をつなぎ、
意味を与え、
未来を思い描き、
物語の中で生きている。
だから大切なのは、
物語から完全に自由になることではなく、自分がどんな物語の中にいるのかを、ときどき見られることなのかもしれません。
そして、もう一つ。
世界を広く見れば見るほど、物語を一つだけ信じることは難しくなる。
でも、何かを選ばなければ行動できない。
では、
世界の複雑さを知ったまま、一つのものを心から選ぶことはできるのか。
次はそこを考えてみたいです。
Topic 3: 視野を狭めることは、本当に悪いことなのか?

朝井リョウ(司会):
さっき澄香さんが言いました。
「中にいる人を見ると羨ましい」。
何かを信じて、「これが好き」と言える人。
でも自分は、その瞬間にも「でも」と考えてしまう。
僕は『イン・ザ・メガチャーチ』を書きながら、「視野」という言葉を何度も考えていました。
普通、「視野が広い」は褒め言葉ですよね。
隅川絢子:
そうですね。
「もっと視野を広く持ちなさい」とは言われても、「もっと視野を狭くしなさい」とはあまり言われない(笑)。
朝井:
そうなんです。
でも本当に、視野は広ければ広いほどいいんでしょうか。
澄香さん。
あなたは、どう思います?
武藤澄香:
広いほうがいいと思ってました。
というか、それが大人になることだと思ってた。
子供のころは、
「あの人が悪い」
「こっちが正しい」
って簡単に思える。
でも大人になると、
「あの人にも事情があったんだ」
とか、
「反対側から見たら違うよね」
とか分かってくる。
それって成長だと思うんです。
朝井:
でも?
澄香:
……疲れます。
絢子:
分かる。
澄香:
何かに怒っても、
「でも、この人にも事情があるかもしれない」
って思う。
誰かを応援しても、
「でも、ほかにも頑張っている人いるよね」
って思う。
何かを買おうとしても、
「これを作った会社は大丈夫かな」
「環境への影響は?」
「もっと有効なお金の使い方があるんじゃない?」
って。
久保田慶彦:
それじゃ何も買えないでしょう。
澄香:
そうなんですよ(笑)。
久保田:
僕たちが一番困るタイプです。
絢子:
そこ?(笑)
澄香:
でも久保田さんみたいな人に簡単に動かされたくないんです。
久保田:
それは健全ですよ。
ただ、一つ聞いていいですか。
動かされないことを優先しすぎて、自分からも動けなくなっていません?
澄香:
……。
朝井:
痛いところに来ましたね。
澄香:
そうかもしれません。
何かを間違って信じるくらいなら、最初から距離を置いたほうが安全だから。
ヴィクトール・フランクル:
しかし、何も選択しないということも、一つの選択ではありませんか。
澄香:
そう言われると思いました。
フランクル:
では、もう少し嫌なことを言いましょう(笑)。
絢子:
今日みんな澄香ちゃんに厳しい(笑)。
フランクル:
人間には有限の時間しかありません。
すべての可能性を残したまま人生を終えることはできない。
何かを選択した瞬間、選ばなかった可能性は失われます。
しかし、その限定によって初めて人生は具体的になる。
澄香:
限定するから、人生になる?
フランクル:
そう考えることもできます。
何にでもなれる状態を永遠に保つことが、自由なのでしょうか。
それとも、
「私はこれを選ぶ」
と言えることが自由なのでしょうか。
澄香:
でも、間違ったものを選んだら?
フランクル:
それは起こり得ます。
澄香:
怖くないんですか?
フランクル:
間違う可能性のない人生とは、選択する必要のない人生でしょう。
それを自由と呼べるでしょうか。
澄香:
……また痛い。
絢子:
私、澄香ちゃんと正反対かもしれない。
朝井:
どういうところが?
絢子:
推してたとき、そんなに考えてなかった。
「この人が好き」。
それだけ。
ほかにもいい俳優はいる。
もっと上手な人もいたかもしれない。
でも関係ないんですよ。
私はこの人が好きなんだから。
澄香:
それが羨ましい。
絢子:
でも後から痛い目も見るよ。
澄香:
それが怖い。
絢子:
でも楽しい目にも遭ったよ。
澄香:
……。
絢子:
そこだけ切り離せないんじゃない?
傷つきたくない。
騙されたくない。
後悔したくない。
だから何にも深く入らない。
それなら確かに大怪我はしないかもしれない。
でも、大喜びもしないんじゃないかな。
エピクロス:
興味深いですね。
私たちは苦痛を避けようとします。
それは自然なことです。
しかし未来のあらゆる苦痛を避けようとすれば、現在の喜びまで捨てることになる場合がある。
澄香:
じゃあ、傷つく覚悟で何かを好きになれってことですか?
エピクロス:
私はそこまで命令していません(笑)。
ただ、苦痛を完全に排除することを幸福と同一視すると、奇妙な人生になるのではないか、と考えているだけです。
朝井:
久保田さん。
作る側から見ると、視野の広さと行動力には関係がありますか?
久保田:
かなりあります。
商品を売るときでも、人を応援してもらうときでも、
「選択肢が百個あります。全部に長所と短所があります。ゆっくり比較してください」
と言ったら、人は止まります。
絢子:
Amazonでよくなるやつ(笑)。
久保田:
そう(笑)。
レビューを百件読んで、
「もう買わなくていいや」
ってなる。
澄香:
私です(笑)。
久保田:
でも、
「これです」
と一つに絞ると動ける。
ファンダムはもっと強い。
「この子をデビューさせる」。
目標が一つになる。
すると今日何をすればいいか分かる。
投票する。
再生する。
紹介する。
朝井:
世界が小さくなる。
久保田:
そう。
でも、その小さな世界の中では、自分の行動に意味がある。
澄香:
それ、すごく怖いけど、ちょっと羨ましい。
久保田:
そこなんですよ。
広い世界では、自分の一票なんて何も変えないように感じる。
でも、
「あと百票で順位が上がります」
と言われたら、自分の行動が世界を変える感じがする。
人は、自分の行動と結果がつながっている世界を好むんじゃないですか。
柳澤田実:
宗教的共同体にも、似た側面はあります。
ただし、ここは慎重に区別する必要があります。
宗教とファンダムを同じものだと言っているわけではありません。
しかし、人間が巨大で複雑な世界の中にいるとき、
「私はここに属している」
「私はこれを大切にする」
「今日はこれをする」
という枠組みが、人生を具体的にすることがあります。
朝井:
世界が広すぎると、自分の位置が分からなくなる。
柳澤:
そうです。
選択肢が増えることは自由を増やす面があります。
しかし、選択肢が無限に近づけば、それだけで幸福になるとは限らない。
澄香:
スマホを開くと、それを感じます。
絢子:
どういうこと?
澄香:
何でも見えるじゃないですか。
世界中のニュース。
成功している人。
楽しそうな人。
怒っている人。
困っている人。
私より若くて成功している人。
私より大変なのに頑張っている人。
それを全部見ていると、自分が何を感じていいのか分からなくなる。
絢子:
それは疲れるね。
澄香:
楽しいことをしてても、
「世界のどこかでは大変なことが起きてる」
って思えるし。
落ち込んでても、
「もっと大変な人がいるんだから、こんなことで落ち込んじゃいけない」
って思える。
どっちに行っても、自分の感情を否定できるんです。
朝井:
視野が広がりすぎて、自分自身まで小さくなる。
澄香:
……そうかもしれません。
フランクル:
人間は全人類の苦しみを同時に引き受けることはできません。
しかし、目の前の一人には応答できる。
世界のすべての問題を解決することはできない。
しかし、自分に与えられた具体的な状況の中で何かを選ぶことはできる。
澄香:
でも、それって結局、ほかの人を無視することになりません?
フランクル:
「すべてを救えない」と「誰も救わない」は同じでしょうか。
澄香:
……違います。
絢子:
澄香ちゃんって、全員を公平に愛そうとして、誰にも近づけなくなってる感じがする。
澄香:
それ、すごく嫌な言い方だけど(笑)。
絢子:
ごめん(笑)。
澄香:
でも、当たってるかも。
朝井:
柳澤さん。
ここで一つ聞きたいんですが、何かにコミットすることは、必ず視野を狭めることなんでしょうか。
柳澤:
ある程度はそうでしょう。
時間を一つの場所に使えば、その時間を別の場所には使えません。
しかし私は、
視野を狭めることと、世界を否定すること
は分けたいです。
朝井:
どういうことでしょう。
柳澤:
「私はこの人を愛する」。
これは限定です。
しかし、
「この人以外には価値がない」。
これは排除です。
「私はこの信仰に生きる」。
これはコミットメントです。
しかし、
「違う信仰を持つ人間は価値が低い」。
そこまで行けば別の問題です。
「私はこのチームを応援する」。
それも限定です。
しかし、
「相手チームのファンは敵だ」。
そうなった瞬間、限定が世界観へ変わります。
絢子:
なるほど。
久保田:
ファンダムでもありますね。
「推しが好き」だったのに、いつの間にか、
「ライバルが嫌い」
になっている。
澄香:
それ、SNSでよく見ます。
久保田:
人をまとめるとき、共通の敵を作るのは非常に強い方法です。
朝井:
また久保田さんの怖い話が始まりました(笑)。
久保田:
でも、ここは大事です。
「私たちはこの人を応援する」
だけでも共同体は作れる。
でも、
「私たちは、あいつらに負けられない」
となるともっと結束する。
絢子:
それは確かにあります。
久保田:
視野を狭めることの危険は、そこだと思う。
「これを選ぶ」
まではいい。
でも、
「これ以外は敵」
になったら、話が変わる。
エピクロス:
ならば、必要なのは広い視野を捨てることではなく、
必要なときに焦点を合わせる能力
なのではありませんか。
澄香:
焦点?
エピクロス:
目には広い世界が見えている。
しかし、今は目の前の友人と話している。
友人と話している間、世界のすべてを考える必要はない。
それは世界を否定しているのではありません。
朝井:
カメラみたいですね。
絢子:
広角とズーム。
エピクロス:
私はカメラを知りませんが(笑)。
絢子:
そうでした(笑)。
朝井:
二千年以上の時差が出ましたね。
澄香:
でも、その考え方ならちょっと分かります。
視野を狭くするんじゃなくて、焦点を合わせる。
柳澤:
そして必要なら、また引いて見る。
澄香:
それなら中に入っても、外に戻れる。
久保田:
それができる人は強いと思いますよ。
ライブでは思い切りペンライトを振る。
次の日には、
「昨日三万円使ったけど大丈夫かな」
と銀行口座を見る(笑)。
絢子:
大事(笑)。
久保田:
好きなものを好きだと言う。
でも、
「推しが言ったから全部正しい」
とは思わない。
中に入れる。
外にも出られる。
フランクル:
それは自由の一つの形かもしれません。
対象に深く関わりながら、自分自身の判断を放棄しない。
朝井:
では、もう少し難しくしましょう。
澄香さん。
あなたは世界が複雑だと知っています。
人にはいろいろな事情がある。
正しさは一つではない。
物語には仕掛けもある。
人間は簡単に影響される。
そこまで全部知ったうえで、
それでも何かを心から信じられると思いますか?
澄香:
……前だったら、無理だと思ってました。
信じるって、疑わないことだと思ってたから。
朝井:
今は?
澄香:
もしかしたら違うのかな。
疑わないから信じるんじゃなくて。
疑う理由も知ってる。
ほかの選択肢も見えてる。
完璧じゃないことも知ってる。
それでも、
「私はこれを選ぶ」
っていうのも、信じることなのかなって。
絢子:
私はそっちのほうが好き。
澄香:
なんで?
絢子:
壊れにくそうだから。
完璧だと思って好きになったら、一つ欠点を見つけただけで全部崩れるでしょう。
でも最初から、
「この人にも欠点はある」
って知って好きなら、少しくらいじゃ全部なくならない。
柳澤:
非常に大切なことだと思います。
成熟したコミットメントは、対象を完全無欠にする必要がない。
久保田:
商売する側としては困ることもありますけどね。
絢子:
今日は最後までそれで行くんですね(笑)。
久保田:
だって、
「この人は完璧です」
のほうが売りやすいですから。
澄香:
でも危ない。
久保田:
危ないです。
完璧な物語は、壊れたときも激しい。
一つ矛盾が出ると、
「全部嘘だった」
になる。
朝井:
Topic 1で絢子さんが言っていましたね。
後から何かが壊れても、過去に感じた幸福まで偽物になるわけではない。
絢子:
はい。
今ならそう思います。
朝井:
もしかすると、
「視野を広くするか、狭くするか」
という二択自体が間違っていたのかもしれません。
広く見る。
でも、選ぶ。
疑う。
でも、愛する。
ほかの可能性を認める。
でも、自分の場所を決める。
世界が複雑だと知る。
でも、その複雑さを理由に何もしない人にはならない。
澄香:
それ、難しいですね。
朝井:
難しいです。
澄香:
もっと簡単な答えが出ると思ってました(笑)。
朝井:
このメンバーで簡単な答えが出ると思いました?(笑)
絢子:
絶対無理(笑)。
エピクロス:
しかし澄香さん。
最初にあなたは、
「間違ったものを愛するのが怖い」
と言いました。
覚えていますか。
澄香:
はい。
エピクロス:
今ならどう答えます?
澄香:
……間違うかもしれない。
エピクロス:
それで?
澄香:
間違ったら、見直す。
エピクロス:
それで?
澄香:
でも、間違う可能性があるからって、最初から何も選ばないのはやめたい。
絢子:
おお。
澄香:
まだ「やめます」とまでは言えないですよ(笑)。
「やめたい」です。
朝井:
それで十分じゃないでしょうか。
僕は今日、「視野を狭めることは悪いのか」という問いから始めました。
でも、今は少し違う問いになっています。
必要なのは、世界を狭くすることではない。
広い世界が存在すると知りながら、今ここに焦点を合わせること。
一つを愛することは、ほかのすべてを憎むことではない。
一つの道を選ぶことは、ほかの道に価値がないと言うことでもない。
そして何かに深く入ることと、自分の判断を手放すことも同じではない。
ただ、ここで次の問題が出てきます。
深く入れば入るほど、離れにくくなる。
「好き」が「必要」に変わる。
「選んだ」が「これしかない」に変わる。
「ここにいたい」が「ここから出られない」に変わることもある。
そのとき、それはまだ情熱なのでしょうか。
献身なのでしょうか。
それとも、依存なのでしょうか。
次は、その境界を考えてみたいと思います。
Topic 4: 情熱、献身、依存は、どこで分かれるのか?

朝井リョウ(司会):
Topic 3の最後で、澄香さんが言いました。
「間違う可能性があるからって、最初から何も選ばないのはやめたい」。
僕は、すごく大事な言葉だったと思います。
でも今度は逆の問題を考えてみたい。
何かを選んだ。
好きになった。
深く入っていった。
毎日考えるようになった。
それが生きがいになった。
ここまでは、きっと素晴らしいことでもある。
では、どこからそれは「依存」になるのでしょう。
隅川絢子:
難しいですね。
朝井:
絢子さんは、推していた頃に「私、依存しているかもしれない」と思ったことはありますか?
絢子:
あります。
でも、そう思った瞬間って、意外とお金を使ったときじゃないんですよ。
武藤澄香:
じゃあ、いつ?
絢子:
行けないとき。
澄香:
ああ。
絢子:
仕事でどうしても舞台に行けない。
昔なら、
「残念だな」
で終わったと思うんです。
でも、ある時期から、
「行かなきゃ」
になっていた。
私が行かなくても舞台は普通に始まるのに(笑)。
久保田慶彦:
本人はあなたが来なかったことにも気づかないかもしれない。
絢子:
そうですよ。
それなのに罪悪感がある。
「ああ、今日行けなかった」
じゃなくて、
「私は応援できなかった」。
この違いは大きかったです。
柳澤田実:
先ほど出てきた、
「したい」
から、
「しなければならない」
への変化ですね。
絢子:
そう。
好きだったはずなのに、いつの間にか義務になっている。
でも、次に行けるとやっぱり嬉しい。
だから自分でも分からないんですよ。
依存しているのか。
ただ本当に好きなのか。
朝井:
柳澤さん。
そもそも「依存」という言葉を、僕たちは簡単に使いすぎていませんか。
柳澤:
そう思います。
何かに深く関わっている人を見ると、
「依存している」
と言いたくなることがあります。
しかし人間は、そもそも完全に独立して生きる存在でしょうか。
私たちは食べ物にも依存しています。
社会にも依存しています。
家族や友人に助けられることもある。
言葉さえ他者から受け取っています。
ですから「何かに頼っている」というだけで、それを病理として扱うことはできません。
澄香:
じゃあ、何が問題なんでしょう。
柳澤:
一つの手がかりとして、
それとの関係によって、その人の世界が広がっているのか、縮んでいるのか
を見ることはできると思います。
絢子:
世界が広がる?
柳澤:
推しができた。
そこから友人ができた。
行ったことのない街へ行った。
知らなかった音楽を聴いた。
新しいことを始めた。
毎日が少し楽しくなった。
それなら、その関係はあなたの世界を広げています。
絢子:
はい。
それはありました。
柳澤:
しかし、
友人と会わなくなる。
仕事ができなくなる。
生活費まで使う。
推し以外の話ができなくなる。
批判されると自分自身を否定されたように感じる。
その対象がないと自分には価値がないと思う。
そうなれば、関係の性質が変わってきます。
澄香:
それ、分かりやすいかもしれない。
久保田:
でも、外から判断するのは難しいですよ。
朝井:
なぜです?
久保田:
たとえば、毎週日曜日にライブへ行く人を見て、
「依存してる」
と言う人がいる。
でも同じ人が毎週日曜日にゴルフへ行っていたら?
絢子:
趣味って言われそう。
久保田:
毎日三時間アイドルの動画を見る。
「依存じゃない?」
と言われる。
でも毎日三時間ピアノを練習したら?
澄香:
努力。
久保田:
毎日十二時間会社で働く。
朝井:
働き者。
久保田:
本当に?
朝井:
ああ。
久保田:
社会的に評価されている対象への依存は、「努力」や「責任感」という名前で見えなくなることがある。
絢子:
それはありますね。
推しに十万円使ったら、
「そんなものに十万円?」
って言われる。
でも高級ゴルフクラブに十万円なら、それほど言われなかったりする。
澄香:
結局、誰かが「価値のあるもの」と決めている。
エピクロス:
では、金額だけでは判断できないのでしょう。
朝井:
エピクロスなら、何を基準にします?
エピクロス:
その欲望が、その人を穏やかにしているのか。
それとも、満たせば満たすほど、さらに飢えさせているのか。
私はそこを見るでしょう。
絢子:
満たせば満たすほど飢える?
エピクロス:
一度会えば嬉しい。
しかし次には、
「もっと近くで会いたい」。
近くで会えば、
「名前を覚えてほしい」。
覚えてもらえば、
「自分を特別だと思ってほしい」。
それが永遠に続くなら、幸福はいつ来るのでしょう。
絢子:
……痛い。
澄香:
今日はみんな痛いことばっかり言う(笑)。
エピクロス:
欲望そのものを否定しているのではありません。
しかし、
「次を得なければ幸せになれない」
という状態が続くなら、その欲望の主人が誰なのかを考えたほうがいい。
あなたが欲望を持っているのか。
欲望があなたを持っているのか。
久保田:
それ、マーケティング側には耳が痛いですね。
絢子:
初めて反省しました?(笑)
久保田:
いや、研究対象として興味深いなと。
絢子:
全然反省してない(笑)。
朝井:
では、少しタイトルそのものに近づきましょう。
毎週ライブへ行く。
毎週スタジアムへ行く。
毎週教会へ行く。
表面的には、似たところがあります。
同じ場所へ行く。
同じ対象へ気持ちを向ける。
仲間がいる。
歌うこともある。
一体感を感じる。
日常とは違う時間になる。
柳澤さん。
これは同じ種類の行為なんでしょうか。
柳澤:
同じとは言えません。
宗教には超越的な存在、世界観、倫理、生死についての問いなど、ファンダムとは異なる要素があります。
ただ、人間の行動として比較したときに、重なる部分があることも事実でしょう。
その一つが、
devotion、献身
です。
澄香:
献身と依存は何が違うんですか?
柳澤:
完全に線を引けるものではありません。
でも献身には、
「私はこれを大切にすると選んでいる」
という方向があります。
朝井:
自分から向かっている。
柳澤:
そうです。
依存が強くなった状態では逆に、
「これが私を離してくれない」
という感覚が出てくることがあります。
絢子:
ああ……。
澄香:
「行きたい」と「行かないと不安」。
柳澤:
その違いは一つの手がかりでしょう。
フランクル:
私はもう一つ加えたい。
献身する対象によって、自分自身を完全に消してしまう必要はありません。
人間は何かのために生きることができる。
しかし、
「その対象がなければ私は何者でもない」
となれば、危うさが生まれる。
絢子:
でも、恋愛では普通に言いますよね。
「あなたなしでは生きられない」。
久保田:
歌にも山ほどありますね。
朝井:
ほぼ一つのジャンルになっています(笑)。
絢子:
あれって、本当に愛なんですか?
エピクロス:
もし本当に相手がいなければ生きられないのなら、それは愛よりも恐ろしい状態ではありませんか。
絢子:
ロマンチックじゃなくなった(笑)。
エピクロス:
私はロマンチック担当ではないようです(笑)。
澄香:
でも、分かる気がします。
「あなたがいると人生が豊かになる」
と、
「あなたがいないと私には人生がない」
は違う。
柳澤:
まさにそうですね。
朝井:
それを推しに置き換えると、
「推しがいるから毎日が楽しい」
と、
「推しがいなければ私は空っぽ」
の違い。
絢子:
でも、その間ってグラデーションですよ。
朝井:
そうでしょうね。
絢子:
ある日突然、
「今日から依存です」
なんてならない。
最初は楽しい。
もっと見たい。
もっと応援したい。
友達もできる。
毎日が楽しくなる。
だから、どこで変わったのか本人にも分からない。
久保田:
しかも、その変化を促す仕組みがあります。
澄香:
来た。
久保田:
たとえば、
「限定」。
絢子:
ああ。
久保田:
今日だけ。
ここだけ。
先着百人。
今買えば特典。
次はいつ会えるか分からない。
人間は「いつでも手に入るもの」より「今失うかもしれないもの」に強く反応します。
澄香:
それって、好きという気持ちに不安を混ぜているんですか?
久保田:
そういう見方もできます。
柳澤:
これは重要ですね。
愛着だけなら、
「好きだから近づく」。
そこに恐怖が加わると、
「失うのが怖いから離れられない」
になる。
絢子:
その二つ、外から見ると同じ行動なんですよね。
どっちもライブに行く。
どっちもグッズを買う。
柳澤:
だから行動量だけで判断するのは難しい。
その人の内側で、
喜びによって動いているのか、恐怖によって動いているのか
を見る必要がある。
澄香:
それ、かなり大きい気がします。
朝井:
では質問です。
本人が幸せなら、人生の大部分を一つのものに捧げてもいいのでしょうか。
絢子さん。
もし誰かが、
「私は仕事も結婚も興味ありません。推しを応援することが人生で一番幸せです」
と言ったら?
絢子:
いいと思います。
朝井:
即答ですね。
絢子:
だって、その人の人生でしょう。
結婚して子供を育てる人生なら「立派」で、推しを応援する人生なら「かわいそう」って、誰が決めたんですか。
澄香:
でも、六十歳になって推しがいなくなったら?
絢子:
結婚した人だって離婚するかもしれない。
会社に人生を捧げた人だって会社がなくなるかもしれない。
子供だっていつか家を出る。
朝井:
確かに。
絢子:
どんな人生にも「それがなくなったらどうするの?」はあるでしょう。
推しだけにそれを言うのは変だと思う。
フランクル:
非常に重要な指摘です。
人生に意味を与えていたものを失う可能性は、特定の生き方だけの問題ではありません。
人間は喪失から完全には逃れられない。
澄香:
じゃあ、一つのものに人生を捧げてもいい?
フランクル:
私は「何でもいい」とは言いません。
しかし、何年使ったかだけで価値を判断することもできないでしょう。
問うべきなのは、
その関係の中で、その人がどのような人間になっているのか。
朝井:
どのような人間になっているか。
フランクル:
より自由になっているのか。
より他者を大切にできるようになっているのか。
人生への責任を引き受けられるようになっているのか。
それとも、自由を失っているのか。
久保田:
僕ならもっと簡単なテストを一つ入れたいですね。
絢子:
何ですか?
久保田:
「休めますか?」
澄香:
ああ。
久保田:
一週間離れられる。
一回ライブを休める。
SNSを一日見なくても大丈夫。
推しについて誰かが違う意見を言っても、すぐ攻撃しない。
仕事だったら、有給を取れる。
運動だったら、一日休める。
信仰でも趣味でも人間関係でも、
自分の意思で距離を変えられるか。
僕はそこを見る。
絢子:
久保田さん、すごくまとも。
久保田:
僕を何だと思ってるんですか(笑)。
朝井:
でも確かに、
「好きだから毎日やっている」
のか、
「一日でもやめたら不安だから毎日やっている」
のか。
外からは同じでも、中はまったく違いますね。
エピクロス:
自由とは、欲しいものをすべて手に入れることだけではないでしょう。
「なくても私は大丈夫だ」と知ることにも、大きな自由があります。
絢子:
それは強いなあ。
澄香:
好きだけど、なくても私は私。
柳澤:
そうですね。
そして私はもう一つ、
「その共同体の外にも関係があるか」
を見たい。
ファンダムの友達しかいない。
教会の友達しかいない。
会社の人しかいない。
恋人しかいない。
一つの場所が、その人の人間関係のすべてになると、そこを離れる自由は急激に小さくなります。
澄香:
離れたら全部失うから。
柳澤:
そうです。
だから健全な献身には、意外ですが、
外の世界が残っていること
も大切なのかもしれません。
絢子:
推しじゃない友達もいる。
家族もいる。
仕事もある。
一人で過ごす時間もある。
柳澤:
そうです。
朝井:
だんだん境界が見えてきましたね。
でも、僕はここで最後に少し意地悪な質問をしたい。
「バランスよく生きましょう」。
これで終わってしまったら、ものすごく退屈じゃないですか?
絢子:
分かる(笑)。
久保田:
急に健康雑誌みたいになりますね。
朝井:
僕が気になるのはそこなんです。
人生には、ときどきバランスなんて無視して夢中になる時期がある。
小説を書く。
会社を作る。
子供を育てる。
恋をする。
スポーツをする。
誰かを応援する。
朝から晩までそれしか考えない。
そういう時期にしか生まれないものもある。
フランクル:
その通りでしょう。
朝井:
だったら、
「何かに人生を使いすぎないようにしましょう」
だけでは、この小説が見ているものを取り逃がす気がする。
絢子:
私もそう思います。
あの頃の私に、
「もっとバランスよく生きたほうがいいですよ」
って言われても、
たぶん嫌です。
だって、本当に楽しかったから。
澄香:
じゃあ、夢中になっていい?
絢子:
私は、いいと思う。
澄香:
依存するかもしれないのに?
絢子:
だから、ときどき自分に聞けばいいんじゃない?
澄香:
何を?
絢子:
「まだ楽しい?」
澄香:
……それだけ?
絢子:
もう一個あるかな。
「これがなくても、私は私?」
澄香:
それ、いい。
久保田:
もう一つ。
「やめたいとき、やめられる?」
柳澤:
「その外にも世界がある?」
エピクロス:
「満たされるほど穏やかになるか、それともさらに飢えるか」。
フランクル:
「それに関わることで、どのような自分になっているか」。
朝井:
面白いですね。
誰も、
「週何時間以上なら依存」
「何万円以上なら依存」
とは言わなかった。
問題は量だけではない。
その人と対象との関係なんですね。
好きなものがある。
そのために時間を使う。
お金を使う。
遠くまで行く。
友達と泣く。
思い切り夢中になる。
それ自体を、僕たちは簡単に「依存」と呼ばなくていいのかもしれない。
でも、
好きだったものが義務になったとき。
喜びより恐怖で動くようになったとき。
それ以外の世界が消えていったとき。
離れようと思っても離れられなくなったとき。
そして、
「これが好きな私」から「これがなければ存在できない私」へ変わったとき。
そこには注意が必要なのかもしれません。
澄香:
でも今日の話を聞いて、ちょっと安心しました。
朝井:
何が?
澄香:
夢中になること自体を怖がらなくてもいいのかなって。
絢子:
うん。
一回くらい、何かにめちゃくちゃ夢中になってみたら?
澄香:
何に?
絢子:
それは知らない(笑)。
久保田:
こちらでご用意しましょうか?
澄香:
久保田さんからだけは絶対嫌です(笑)。
朝井:
(笑)
でも今のやり取りを聞いて、僕は最初の問いがまた少し変わった気がします。
情熱と依存の境界を探していた。
でも、その境界だけを気にしていたら、僕たちは何にも深く関われなくなる。
もしかすると大切なのは、
夢中にならないことではなく、夢中になっている自分を、ときどき見られること。
深く入る。
思い切り愛する。
自分を使う。
でも、帰ってこられる場所も残しておく。
そして、ここまで話してきたら、最後にもっと大きな問いが残ります。
そもそも人間は、なぜそこまで何かに自分を使いたいのでしょう。
なぜ、
「自分を余らせたくない」
と思うのでしょう。
もし人生の幸福が、ただ安全で、傷つかず、依存せず、バランスよく生きることだけではないのだとしたら。
人間には、自分を使い切れる何かが必要なのではないか。
最後は、そこまで行ってみたいと思います。
Topic 5: 人間には「自分を使い切れる何か」が必要なのか?

朝井リョウ(司会):
ここまで、ずいぶん遠くまで来ました。
最初は「推すって何だろう」という話でした。
そこから物語の話になった。
視野の話になった。
情熱と依存の話になった。
そしてTopic 4の最後に、一つの言葉が残りました。
「自分を余らせたくない」。
僕は、この感覚が『イン・ザ・メガチャーチ』のかなり深いところにあると思っています。
人間って、楽になりたいはずなんですよね。
働きたくない。
疲れたくない。
傷つきたくない。
お金にも困りたくない。
でも、本当に全部が楽になったら、それで幸せなんでしょうか。
隅川絢子:
急に怖い質問ですね。
朝井:
たとえば、明日から働かなくていい。
十分なお金がある。
誰にも怒られない。
何の責任もない。
好きなだけ寝ていい。
毎日好きなものを食べられる。
絢子:
最初の一週間は最高ですね(笑)。
久保田慶彦:
一か月くらいはいけるかもしれない。
武藤澄香:
私は三日で不安になりそう。
朝井:
なぜです?
澄香:
「私、今日何したんだろう」って。
朝井:
そこなんです。
人間は楽になりたい。
でも同時に、
自分を何かに使いたい。
この二つを同時に持っているんじゃないでしょうか。
ヴィクトール・フランクル:
私は、その矛盾は非常に人間的だと思います。
幸福そのものを直接追いかけても、幸福はなかなか捕まりません。
人間は、自分自身ではない何かに向かっているときに、結果として充実を感じることがあります。
仕事。
愛する人。
成し遂げたいこと。
守りたいもの。
澄香:
でも、それって苦しいですよね。
フランクル:
もちろん。
澄香:
だったら、なぜわざわざ?
フランクル:
苦しみがあることと、その人生に価値がないことは同じではないからです。
絢子:
子育てとか、まさにそうかもしれないですね。
大変なのに、子供のためならものすごく頑張れる人がいる。
久保田:
会社を作る人もそうでしょう。
朝から晩まで働いて、
「大変ですね」
と言われたら、
「楽しいです」
って答える。
朝井:
小説を書くのも似ています。
締め切り前なんて、
「なんでこんなことやってるんだろう」
と思う(笑)。
絢子:
じゃあやめればいいじゃないですか。
朝井:
でも、やめたくない(笑)。
澄香:
変なの。
朝井:
そう。
人間って、そこが変なんですよ。
楽になりたいのに、楽だけでは満足できない。
エピクロス:
ここで少し注意したいことがあります。
苦労すること自体を美徳にしないほうがいい。
朝井:
と言いますと?
エピクロス:
人間はときどき、
「これだけ苦労したのだから価値がある」
と考えます。
しかし、苦痛の量が人生の価値を決めるわけではありません。
久保田:
日本人には耳が痛いかもしれない。
絢子:
「頑張った人が偉い」ってありますもんね。
エピクロス:
努力することと、自分を苦しめることは同じではありません。
澄香:
じゃあ、「自分を使い切る」って危なくないですか?
燃え尽きるまで働くみたいに聞こえる。
朝井:
確かに。
ここで言う「使い切る」は、
「身体を壊すまで働く」
という意味にはしたくないですね。
柳澤田実:
むしろ、
「自分の中にあるものを、向ける場所がある」
という感覚に近いのではないでしょうか。
澄香:
向ける場所?
柳澤:
愛情がある。
時間がある。
知識がある。
好奇心がある。
誰かを応援する力がある。
何かを作る力がある。
それを向ける先がある。
その状態を、人間は幸福と感じることがある。
絢子:
それなら、私、分かります。
推していた頃、
「忙しいのに、なんでこんなことまでやってるんだろう」
って自分でも思ってた。
仕事が終わって。
急いで電車に乗って。
舞台を観て。
友達と話して。
帰ったら夜中。
次の日また仕事。
今考えると、体力的には絶対大変だった。
澄香:
でも?
絢子:
元気だったんですよ。
澄香:
疲れているのに?
絢子:
そう。
疲れてるけど元気。
変でしょう?
フランクル:
いいえ。
肉体的な疲労と、生きる意欲は別のものです。
絢子:
そう!
今のほうが時間があっても、何にもしたくない日がある。
あの頃は時間がないのに、
「次はいつ?」
って思ってた。
朝井:
それはかなり象徴的ですね。
時間があることと、人生が満たされていることは同じではない。
久保田:
でも僕は、ここでも嫌なことを言いますよ。
絢子:
待ってました(笑)。
久保田:
「自分を使いたい」という欲求が本当に人間にあるなら、そこには市場が生まれます。
澄香:
また(笑)。
久保田:
だってそうでしょう。
人間が、
「何かの役に立ちたい」
「参加したい」
「自分の力を使いたい」
と思っている。
なら企業は、
「あなたの力が必要です」
と言えばいい。
朝井:
Topic 2の話に戻ってきますね。
久保田:
全部つながってるんですよ。
「買ってください」
より、
「一緒に夢を叶えてください」。
「商品です」
より、
「あなたもこの物語の一員です」。
「顧客です」
より、
「仲間です」。
澄香:
人間の「自分を使いたい」という気持ちまで商品になる。
久保田:
なります。
絢子:
じゃあ、どうすればいいの?
何かに夢中になったら利用される可能性がある。
夢中にならなかったら人生が余る。
どっちに行っても危ないじゃないですか。
久保田:
だから僕は、利用されない人生なんて無理なんじゃないかと思うんですよ。
澄香:
え?
久保田:
会社だって僕の能力を利用している。
僕も会社の給料や看板を利用している。
ファンはアイドルから喜びをもらう。
アイドルはファンからお金と応援をもらう。
柳澤:
「利用」という言葉だけでは説明しきれない相互性がありますね。
久保田:
そう。
問題は、
一方だけが相手を消耗品として扱っていないか。
そこだと思う。
朝井:
では、少し方向を変えましょう。
久保田さん自身はどうなんですか。
仕事以外に、
「自分を使い切れるもの」
があります?
久保田:
……それ、僕に聞きます?
朝井:
もちろん。
久保田:
嫌な司会ですね。
絢子:
今まで散々人に嫌なこと言ったから(笑)。
久保田:
そうですね。
仕事はありました。
仕事なら分かる。
目標がある。
数字がある。
結果が出る。
役割がある。
「久保田さん、これお願いします」
と言われる。
その瞬間、自分が必要とされていることが分かる。
澄香:
仕事以外は?
久保田:
……難しいですね。
柳澤:
そこが、壮年期以降の男性の問題にもつながります。
久保田:
そうかもしれない。
友達に、
「何の用事もないけど会おう」
って言いにくいんですよ。
絢子:
なんで?
久保田:
分からない(笑)。
絢子:
女性は普通にやりますよ。
「お茶しよう」。
以上(笑)。
久保田:
それができない。
「何について?」
って思ってしまう。
澄香:
会議じゃないんだから(笑)。
久保田:
そうなんですよ。
でも長い間、
時間には目的が必要だと思って生きてきたんでしょうね。
仕事。
家族。
役割。
何かの役に立つ時間。
朝井:
「役に立たない時間」を持つのが苦手。
久保田:
そう。
だから仕事がなくなったら怖いと思います。
「久保田さん、お願いします」
と言う人がいなくなったとき、
僕は何をすればいいんだろうって。
絢子:
じゃあ久保田さん、推し作れば?
久保田:
僕が?
絢子:
そう。
久保田:
それはちょっと……。
絢子:
なんで(笑)。
久保田:
仕組みが見えすぎる。
澄香:
私と同じじゃないですか!
久保田:
……本当だ。
朝井:
面白いところでつながりましたね。
澄香さんは世界が見えすぎて中に入れない。
久保田さんは仕組みが見えすぎて中に入れない。
絢子:
二人でライブ行けば?
澄香:
ずっと分析してそう。
久保田:
「あ、今ここで照明落としましたね」。
澄香:
「限定グッズで希少性を作ってますね」。
絢子:
最悪の二人(笑)。
朝井:
でも、この笑い話には結構大きな問題があります。
「仕組みを知ってしまったら、もう純粋には楽しめないのか」。
Topic 3でも似た話をしました。
大人になる。
知識が増える。
構造が見える。
人間の欲望がどう利用されるかも分かる。
それでも、
何かに自分を渡せるのか。
フランクル:
私は「自分を渡す」という表現を少し変えたい。
自分を失う必要はありません。
むしろ、
自分を与える
と考えてはどうでしょう。
澄香:
違うんですか?
フランクル:
「自分を渡す」には、所有権まで相手へ移すような響きがあります。
しかし「与える」なら、自分の自由から行うことができる。
時間を与える。
愛情を与える。
仕事を与える。
誰かに注意を向ける。
そして、その行為を選んだのは自分です。
絢子:
それ、好きです。
「推しに人生を取られた」じゃなくて、
「あの時間を私は与えた」。
フランクル:
そして与えた時間は、失われた時間とは限りません。
エピクロス:
私はさらに小さなものも加えたい。
人生を使う対象は、大きな使命である必要があるのでしょうか。
朝井:
と言いますと?
エピクロス:
友人と食事をする。
庭を育てる。
静かに話す。
本を読む。
誰かと笑う。
そういうものに時間を使うことを、
「人生を余らせている」
と考える必要がありますか。
久保田:
ああ……。
エピクロス:
「自分を使い切る」という言葉を、
「偉大な何かを成し遂げなければならない」
という新しい義務にしてはいけません。
澄香:
それ、私にはすごく大事です。
また、
「何か夢中になれるものを見つけなきゃ」
って焦りそうだったから。
絢子:
分かる。
「推しがいない私は人生損してる」
みたいになったら、それも変ですよね。
柳澤:
その通りです。
人間が何かにコミットする形は、一つではありません。
激しい献身もある。
静かな献身もある。
朝井:
では、最後の質問に行きましょう。
人生の終わりに、
「私は自分を余らせなかった」
と思えることは、幸福なのでしょうか。
絢子:
私は、そう思いたいです。
でも「全部使い切った!」じゃなくてもいいかな。
好きな人がいた。
友達がいた。
何かを楽しみにした。
いっぱい笑った。
「ああ、楽しかった」。
それで十分かもしれない。
久保田:
僕は、
「仕事以外にも自分を使えた」
と思えたらいいですね。
今の話を聞いて、ちょっと怖くなりました。
朝井:
何が?
久保田:
名刺がなくなったときに、自分までなくなる人生。
それは嫌だなって。
柳澤:
それに気づくこと自体、大きいと思います。
澄香:
私は……。
朝井:
はい。
澄香:
何か一つ選びたいです。
絢子:
推し?
澄香:
まだ決めつけないで(笑)。
でも今までは、
「間違えないものを選びたい」
と思ってた。
今日話して、そんなものはないって分かった。
人だって完璧じゃない。
共同体だって完璧じゃない。
自分だって変わる。
だから、
「一生これ」
じゃなくてもいいのかな。
朝井:
どういうこと?
澄香:
今の私が、
「これを大切にしたい」
と思えるものを選ぶ。
いつか違うと思ったら、変えてもいい。
エピクロス:
それは十分に自由な選択でしょう。
澄香:
そして、選んだら少しだけ中に入ってみる。
ずっと外から分析するんじゃなくて。
絢子:
おお。
澄香:
でも銀行口座は確認します(笑)。
久保田:
それは絶対してください(笑)。
朝井:
僕は今日、最初にこう聞きました。
人間には「自分を使い切れる何か」が必要なのか。
今は、その問い自体が少し強すぎたと思っています。
「使い切らなければならない」と思った瞬間、それもまた新しい義務になるからです。
人生を燃やし尽くす必要はない。
偉大な使命を見つける必要もない。
何万人もの人に知られる必要もない。
ただ、
自分の中にあるものを向けられる場所がある。
それは人かもしれない。
仕事かもしれない。
家族かもしれない。
信仰かもしれない。
創作かもしれない。
友達かもしれない。
推しかもしれない。
庭かもしれない。
毎週誰かと飲む一杯のお茶かもしれない。
その対象に、世間が認める価値があるかどうかは、案外それほど大切ではないのかもしれません。
絢子:
じゃあ、「役に立たないもの」でもいいんですね。
朝井:
むしろ僕は、そこが気になっています。
久保田:
何がです?
朝井:
僕たちは、
「これは何の役に立つんですか?」
と聞きすぎているんじゃないでしょうか。
澄香:
仕事になる?
将来使える?
お金になる?
朝井:
そう。
でも人生の最後に残る記憶って、本当に「役に立った時間」だけなんでしょうか。
絢子:
違うと思う。
朝井:
ライブの帰り道。
友達と笑った夜。
何でもない家族との食事。
好きな小説を読み終えた午後。
誰かを待っていた時間。
何の生産性もなかった。
何の成果もなかった。
でも、
「あの時間があってよかった」
と思うことがある。
久保田:
それなら僕、ちょっと練習しないといけないですね。
絢子:
何を?
久保田:
用事のない友達に、
「会わない?」
って言う練習。
絢子:
簡単ですよ。
スマホ出して。
久保田:
今?
絢子:
今(笑)。
久保田:
何て書けばいいんです?
澄香:
「久しぶり。今度ご飯でもどう?」。
久保田:
その後に目的を書かなくていい?
絢子:
書かない(笑)。
久保田:
「特に議題はありません」とか。
澄香:
絶対書かない(笑)。
朝井:
(笑)
でも、もしかすると今日話してきたことは、そんな小さなところに戻ってくるのかもしれません。
人間は何を信じるのか。
何にコミットするのか。
何に自分を使うのか。
そんな大きな問いをずっと話してきました。
でも人生は、大きな答えだけでできているわけではない。
誰かを好きになる。
応援する。
会いに行く。
一緒に食べる。
笑う。
何かを待つ。
何かを楽しみにして、明日を迎える。
フランクル:
意味は、必ずしも遠くにあるものではありません。
エピクロス:
幸福も同じでしょう。
柳澤:
そして献身も、壮大な対象だけに向けられるものではない。
絢子:
じゃあ私、推してた時間、そんなに悪くなかったのかな。
朝井:
どう思います?
絢子:
……悪くなかったです。
失敗したこともある。
使いすぎたお金もある。
見えなくなっていたこともある。
でも、
「あの時間を返して」
とは思わない。
あの頃の私は、ちゃんと生きてたと思うから。
澄香:
それ、いいですね。
絢子:
澄香ちゃんも見つかるよ。
澄香:
何が?
絢子:
「今日、これに時間使ってよかったな」って思えるもの。
澄香:
……そうですね。
でも、探しすぎないようにします。
絢子:
それがいい(笑)。
朝井:
『イン・ザ・メガチャーチ』というタイトルから始めると、大きな集団や熱狂の話に見えるかもしれません。
でも、その巨大な熱狂を一人ずつに分けていくと、
そこにいるのは、
何かを好きになった人。
誰かとつながりたかった人。
自分の時間を何かに使いたかった人。
明日を少し楽しみにしたかった人。
そんな普通の人たちです。
人間は、何かを信じなければ生きられないのか。
何かに自分を捧げなければ幸福になれないのか。
今日、その答えは出ませんでした。
たぶん、出さないほうがいいのでしょう。
ただ一つ、最初より少しだけ見えてきたことがあります。
人生を価値あるものにするのは、どれだけ効率よく時間を残したかではないのかもしれない。
「この時間を、ここに使いたい」。
そう思える何かが、ときどき人生の中に現れる。
そのときは、少しくらい夢中になってもいい。
疲れたら離れてもいい。
変わってもいい。
また別のものを愛してもいい。
そしていつか振り返ったとき、
「あの時間は何の役にも立たなかった。でも、あの時間があってよかった」
そう言えるものがいくつか残っていたなら。
それもまた、十分に使われた人生なのかもしれません。
最後に

『イン・ザ・メガチャーチ』について語り始めたとき、中心にあったのは「推す」という行為でした。
しかし対話が進むにつれて、それはもっと大きな問いへ変わっていきました。
人は物語によって動きます。
何かを選ぶためには、ときには広すぎる世界から一つに焦点を合わせなければなりません。
そして一つのものを深く愛するとき、情熱は献身にもなり、依存にもなり得ます。
だからといって、何にも夢中にならないことが答えなのでしょうか。
絢子が振り返ったように、誰かを応援した時間には、友人との出会いがあり、旅があり、笑いがあり、明日を楽しみにする気持ちがありました。たとえ対象から何も返ってこなくても、その時間まで無意味になるわけではありません。
澄香は、世界を広く見ようとするほど何も選べなくなっていました。しかし最後には、「間違えないもの」を探し続けるのではなく、今の自分が大切だと思えるものを選び、少しだけその中へ入ってみようとします。
久保田もまた、人を動かす仕組みを知り尽くしているからこそ、自分自身が何に心を預ければいいのか分からない人物でした。そして最後に彼が向き合ったのは、仕事でも数字でもない、ごく単純なことでした。
用事がなくても、友人に会っていい。
そこには利益も成果も必要ありません。
人生には、役に立つものがあります。
そして、何の役にも立たないように見えて、人生そのものを豊かにしてくれるものもあります。
誰かを好きになること。
友人と食事をすること。
本を読むこと。
応援すること。
創作すること。
祈ること。
家族と過ごすこと。
何かを楽しみにして明日を待つこと。
人生を燃やし尽くす必要はありません。
偉大な使命を見つける必要もありません。
ただ、ときどき、
「この時間を、ここに使いたい」
と思えるものがある。
そして何年か後に振り返ったとき、
「あの時間は何の役にも立たなかった。でも、あの時間があってよかった」
と思える。
もしかすると、そんな時間こそが、私たちが「生きた」と感じる時間なのかもしれません。
Short Bios:
朝井リョウ
日本の小説家。『桐島、部活やめるってよ』『何者』『正欲』などで、現代社会の空気や、人間が他者との関係の中で抱える違和感を描いてきました。『イン・ザ・メガチャーチ』では、「推し活」やファンダムを入り口に、人間を行動へ向かわせる力を見つめます。本対話では司会を務めます。
久保田慶彦
『イン・ザ・メガチャーチ』の主要人物の一人。ファンダムを「作る側」に近い場所から、人が熱狂し、参加し、物語の一員になっていく仕組みを見つめます。本対話では、感情を美化するだけでは見えてこない、マーケティングや構造の側から問いを投げかけます。
隅川絢子
作品の主要人物の一人。誰かを応援する喜び、仲間とのつながり、期待、喪失など、「推す側」の感情を体験します。本対話では、外側から分析するだけでは分からない、何かを本気で好きになることの価値を語ります。
武藤澄香
作品の主要人物の一人。多くの価値観や立場が見えるからこそ、一つを選ぶことに迷います。本対話では、「視野が広いことは常に幸福なのか」「間違う可能性を知りながら何かを信じられるのか」という問いを担います。
エピクロス
古代ギリシャの哲学者。幸福、欲望、友情、心の平静について考えました。本対話では、欲望を満たし続けることと幸福との違いや、何かを欲することに人間が支配されていないかを問いかけます。
ヴィクトール・フランクル
オーストリアの精神科医、神経学者。人間が人生の中で意味を見いだすことについて深く考えました。本対話では、人が自分自身を超えた何かに向かうこと、選択すること、自分の時間を何かに与えることについて考えます。
柳澤田実
宗教哲学、キリスト教思想などを研究する日本の研究者。現代社会における宗教、共同体、依存、献身などについて論じています。本対話では、宗教とファンダムを単純に同一視せず、人間が何かにコミットし、共同体に属する行為の共通点と違いを考えます。
本記事は、朝井リョウ著『イン・ザ・メガチャーチ』から着想を得て制作した架空の対話です。登場する発言は、実在する人物の実際の発言を記録したものではありません。作品のテーマをより深く考えるための創作としてお楽しみください。

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