はじめに
物語には、人を動かす力があります。
小説を読んで泣く。映画を見て人生について考える。誰かの言葉を信じる。推している人の夢を、自分の夢のように感じる。私たちは事実だけを見て生きているようでいて、実際には、その事実が**「どんな物語として語られたか」**によって大きく心を動かされることがあります。
Part 1では、朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』が投げかける**「人を動かす原動力とは何なのか」**という問いを、「推す」という行為から考えました。
好きだったものが「応援したい」に変わる。応援しているうちに「自分もこの夢に参加している」と感じ始める。そこには喜びや友情、生きがいが生まれる一方で、「今応援しなければ」「自分が支えなければ」という不安や義務感が入り込むこともあります。
では、私たちをそこまで動かしているものは何なのでしょうか。
Part 2では、その問いを**「物語」**という視点からさらに深く考えます。
朝井リョウと、宇佐見りん、凪良ゆう、加藤シゲアキ、宮島未奈、村雲菜月。現代の物語を生み出す小説家たちを架空の対話に集めました。そして今回は、彼ら自身も安全な「分析する側」には置きません。
なぜなら、小説家もまた情報を選び、順番を決め、ある場面を見せ、別の場面を見せず、読者に誰かを好きになってもらい、ときには泣かせるからです。加藤シゲアキのように「物語を作る側」であると同時に、多くの人から「推される側」を経験してきた人物もいます。
そう考えると、少し不穏な問いが生まれます。
小説家も、人を「操って」いるのでしょうか。
しかし、もし「誰かによって作られた」という理由だけで感情を偽物と呼ぶなら、小説を読んで流した涙も、映画に励まされた夜も、コンサートで知らない人と一緒に笑った時間も、すべて偽物になってしまいます。
だからPart 2では、「物語=操作」という単純な結論には向かいません。
物語は、人を売り場へ連れていくこともあります。誰かを熱狂させることもあります。恐怖や焦りを生み出すこともあります。
しかし同時に、物語があるから一歩を踏み出せる人もいる。友達ができる人もいる。孤独な時期を生き延びられる人もいる。そして、「この人を応援したい」「この人生を生きてみたい」と、自分の時間をどこかへ向けられる人もいます。
さらに対話は、「視野が広いことは本当に幸せなのか」「何かに人生を捧げることは幸福なのか」という問いへ進み、最後には**「では、自分の人生を何に使いたいのか」**というところまでたどり着きます。
そしてPart 3では、このPart 1とPart 2で考えてきた問いを、議論の場から5つの現代の人生へ移します。物語に動かされた人、すべてを疑って動けなくなった人、誰かを愛することで自分の世界を広げた人、「役に立たない時間」の意味に気づいた人たちを通して、ここまでの問いを物語として体験していきます。
もしかすると、本当に必要なのは、
「私は物語に影響されているか?」
と問い続けることだけではないのかもしれません。
世界のすべてを疑い、誰にも動かされないように生きようとすれば、私たちは自分から人生の外へ出てしまうことさえあります。
だからこそ、もう一つの問いが必要になります。
私は、どんな物語の中にいるのだろう。
そして、
それを知ったうえで、それでも私は、この時間をここに使いたいだろうか。
(本稿に記されている対話はすべて仮想のものであり、実在の人物・発言とは関係ありません。)
Topic 1: 『イン・ザ・メガチャーチ』は、本当に「推し活」の小説なのか?

司会:
今日は、いちばん単純な質問から始めたいと思います。
『イン・ザ・メガチャーチ』は、よく「推し活を描いた小説」と紹介されます。
実際、推す人がいる。推される人がいる。その熱量を利用して何かを動かそうとする人もいる。
でも私は読み終わったあと、「推し活についての本を読んだ」という感じが、あまりしなかったんです。
むしろ、
「人間って、どうして何かのために自分の時間を使いたくなるんだろう」
ということを考えていました。
朝井さん、そもそもなぜ今、「推す人」を書こうと思ったんでしょうか。
朝井リョウ:
そこは大事で、僕自身は「推し活についての小説を書こう」というところから始まったわけではないんです。
もっと大きく言えば、人が動くときの原動力って何なんだろう、ということに興味がありました。
何かを買う。誰かを応援する。投票する。SNSで拡散する。イベントに行く。友達を誘う。
外から見れば、全部「その人が自分で決めて行動した」ということになる。
でも、本当に全部そうなのかな、と。
司会:
自分で決めているようで、誰かに動かされているかもしれない。
朝井リョウ:
そうですね。
ただ、「だから騙されている」という単純な話にもしたくなかった。
人間って、完全に誰からも影響を受けずに生きることなんてできないですよね。
好きな音楽も、服も、本も、食べ物も、友達から教えてもらったり、広告を見たり、SNSで知ったりする。
だから興味があったのは、
「影響を受けることの何が問題なのか」
ということでもありました。
宇佐見りん:
でも、それを聞くと少し面白いですね。
私はむしろ「推す」という行為の中に入っていくところから書いた気がします。
司会:
『推し、燃ゆ』ですね。
宇佐見りん:
はい。
推しがいる人を外側から見れば、
「どうしてそこまで?」
と思うことがあります。
でも本人にとっては、「そこまで」じゃない。
それが、その人の生活を組み立てていることがある。
朝起きる理由だったり。
学校へ行く理由だったり。
アルバイトをする理由だったり。
今日を越えて、次の日まで行く理由だったり。
だから私は、推すことを分析するより、その人にとってそれがどういう感覚なのか、というところにいたかった。
朝井リョウ:
そこは、僕も『推し、燃ゆ』とのすごく大きな違いだと思います。
宇佐見さんの作品を読んでいると、推しという存在がその人の身体の内側にあるように感じるんですよね。
宇佐見りん:
背骨のような。
朝井リョウ:
そう。
僕が今回気になったのは、その背骨ができるまでの周囲の構造なんです。
司会:
どういうことでしょう。
朝井リョウ:
例えば、ある人を好きになる。
そこまでは自然に起きた感情かもしれない。
でも、そのあと、
「この人をもっと上に連れていきたい」
「今応援しないと間に合わない」
「あなたの一票が必要です」
「この数字を達成させたい」
となっていく。
そうすると、「好き」が少しずつ「行動」に変換されていく。
僕はその変換装置のほうにも興味があったんです。
村雲菜月:
でも、それって収集にもありますよね。
最初は単純に、
「これ、好きだな」
だったものが、
「ここまで集めたんだから」
になる。
司会:
ああ。
村雲菜月:
さらに、
「あと一つで全部揃う」
になる。
すると、最初は対象が好きだっただけなのに、途中から「完成させること」が目的になったりする。
宮島未奈:
スタンプカードみたいですね。
村雲菜月:
そうそう。
宮島未奈:
十個押してあると、十一個目を押したくなる。
加藤シゲアキ:
人間、あと一個に弱いですからね。
司会:
(笑)
朝井リョウ:
でも、まさにそうなんです。
「好きだから行く」と、
「ここまで来たんだから行く」
は、似ているけれど違う。
宇佐見りん:
ただ、私はそこをあまり早く「仕組み」にしたくない気持ちもあります。
朝井リョウ:
うん。
宇佐見りん:
なぜなら、その人にとっては本当に切実だから。
外から、
「あなたはこういうシステムによって動かされています」
と言われた瞬間、その人の大切なものが急に小さく見えてしまうことがある。
朝井リョウ:
それはすごく分かります。
だから僕も、ファンを馬鹿にする小説には絶対したくなかった。
司会:
ここ、私は読者として聞きたいです。
朝井さんは、推している人たちを少し怖いと思っているんですか。
それとも、羨ましいと思っているんですか。
朝井リョウ:
……両方あると思います。
司会:
ああ。
朝井リョウ:
あれだけ一つのものに自分を向けられることに対して、怖さもある。
でも同時に、羨ましさもある。
「これが好きです」
と迷いなく言えて、
そのために時間を使えて、
次の予定を楽しみにできる。
それって、ものすごく強いことですよね。
宮島未奈:
私は「羨ましい」が結構大事だと思います。
推し活について語ると、すぐに、
「使いすぎないようにしましょう」
「依存しないようにしましょう」
という話になるじゃないですか。
もちろんそれは大事なんですけど。
でも逆に、何にもそこまで好きになれない人もいる。
司会:
いますね。
宮島未奈:
何を見ても、
「まあ、いいんじゃない」
で終わる。
それが悪いわけじゃないけれど、夢中になっている人を見て、
「ちょっと羨ましいな」
と思うことはあると思うんです。
凪良ゆう:
それに、社会って少し不思議なんですよ。
何に夢中になるかによって評価を変えるから。
司会:
例えば?
凪良ゆう:
仕事に毎日十二時間使う人には、
「すごいですね」
と言うことがある。
資格試験のために休日を全部使う人にも、
「努力家ですね」
と言う。
子どものために自分の時間をほとんど使う親には、
「立派ですね」
と言うこともある。
でも、ある人が好きな俳優のために全国を回っていたら、
「大丈夫?」
となることがある。
村雲菜月:
確かに。
凪良ゆう:
もちろん程度の問題はあります。
でも私が気になるのは、
誰が「これは人生を使うに値する対象です」と決めているのか
ということです。
司会:
なるほど。
加藤シゲアキ:
僕はそこを、どうしても受け取る側からも考えてしまいます。
司会:
推される側ですね。
加藤シゲアキ:
そうですね。
例えばライブって、ステージ側から見ると数時間です。
でも客席にいる人にとっては、その数時間だけじゃない。
チケットを取った日から始まっているかもしれない。
何か月も前から予定を空けて。
仕事を頑張って。
交通費を貯めて。
服を考えて。
友達と連絡して。
新幹線に乗って。
あるいは飛行機に乗って。
そうやって、その人の人生のかなり大きな時間が、一つの公演に向かって流れてくる。
司会:
それをステージから見ると、どう感じるんですか。
加藤シゲアキ:
重いですよ。
いい意味でも。
少し怖い意味でも。
だって、その人の人生の時間を受け取っているわけですから。
お金だけじゃない。
時間なんですよね。
宇佐見りん:
それはすごく大きいと思います。
お金はまた稼げることがあるけれど、時間は戻ってこない。
加藤シゲアキ:
そう。
だから「ファンが勝手に来ているんだから」とは、僕は簡単には思えない。
朝井リョウ:
それを聞くと、『イン・ザ・メガチャーチ』で僕が書きたかったことにもすごく近いです。
人を動かすというのは、
商品を一個買ってもらう、
というだけじゃない。
その人の人生の時間を、こちらへ向けてもらうことなんですよね。
司会:
そう考えると、急に重くなりますね。
「CDを一枚買う」と、
「自分の人生の一時間をここに渡す」
では全然違う。
朝井リョウ:
でも本人は「渡した」と思っていない場合もある。
司会:
どういうことですか。
朝井リョウ:
「使った」と思っているかもしれない。
宇佐見りん:
ああ。
それは全然違いますね。
朝井リョウ:
そうなんです。
「奪われた一時間」なのか。
「差し出した一時間」なのか。
「自分が使いたかった一時間」なのか。
外から見ても分からない。
凪良ゆう:
そして本人にしか決められない部分がありますよね。
司会:
では、もう少し踏み込みます。
推すことは、趣味なんでしょうか。
それとも生き方なんでしょうか。
宮島未奈:
どっちでもいいんじゃないですか。
司会:
(笑)早いですね。
宮島未奈:
いや、本当に。
趣味でいたい人は趣味でいいし、生き方になっている人は生き方でいい。
私が少し怖いのは、
「本当に推すなら人生をかけなきゃ」
みたいになることです。
村雲菜月:
それ、ありますね。
好きの強さを競い始める。
宮島未奈:
そう。
何公演行った。
何個買った。
何年応援している。
どこまで知っている。
でも、
「一曲だけ好き」
でもいいじゃないですか。
宇佐見りん:
それでも、その一曲に救われる夜があるかもしれない。
宮島未奈:
そうなんです。
司会:
宇佐見さんは、「推しが人生の背骨になる」というところまで書きました。
それは危険だとは思いませんでしたか。
宇佐見りん:
危険かどうかより、
そういう人がいる、
というところから考えたかったんです。
人間は必ずしも、理想的な形で生きられるわけではない。
仕事、家族、友人、趣味、健康。
全部がきれいに分散していて、
一つ失っても他があります、
という人生ばかりではないですよね。
一つのものに、ほとんど全部を預けている人もいる。
その状態を外から見て、
「もっとバランスよく生きればいい」
と言うのは簡単です。
でも、その人はそれがあったから今日まで来られたのかもしれない。
司会:
……それがなかったら、もっと苦しかったかもしれない。
宇佐見りん:
そうです。
だから私は、
「そんなものに人生を使って」
という言葉を、簡単には言いたくない。
凪良ゆう:
私もそう思います。
人の幸福を外側から採点することって、すごく危険ですよね。
結婚しているから幸福。
仕事で成功しているから幸福。
家族がいるから幸福。
逆に、
一人だから不幸。
推しに夢中だから現実逃避。
そんなに単純ではない。
朝井リョウ:
ただ、僕はそこにもう一個、嫌な質問を入れたくなるんですよ。
司会:
(笑)ぜひ。
朝井リョウ:
その人にとって本当に大切なものだからこそ、
それを利用する人が現れたらどうするんだろう
って。
宇佐見りん:
そこですよね。
朝井リョウ:
「これがないと生きられない」と思うほど大切なら、
「だったら、もう一個買ってください」
が効いてしまう。
「あなたが応援しないと、この人の夢が終わります」
も効いてしまう。
「本当のファンなら来ますよね」
も効いてしまう。
その人の愛が深ければ深いほど、その愛を使って人を動かせる。
加藤シゲアキ:
だから受け取る側にも責任が出てくる。
朝井リョウ:
そう思います。
司会:
でも、朝井さん。
それって小説も同じじゃないですか。
朝井リョウ:
……はい。
司会:
私たちは朝井さんの本を買って、何時間も使って読んでいる。
448ページですよ。
宮島未奈:
結構使わせましたね(笑)。
朝井リョウ:
すみません(笑)。
司会:
しかも読み終わったあとまで考えさせられている。
村雲菜月:
時間外労働ですね。
朝井リョウ:
それは本当に申し訳ない(笑)。
司会:
でも冗談ではなくて。
小説家だって、人の時間を自分の作った世界へ向けさせている。
そう考えたら、
「推させる側」と「物語を書く側」は、
思ったより近いんじゃないですか。
少し沈黙が落ちる。
加藤シゲアキ:
それ、次の話ですよね。
朝井リョウ:
完全にそうですね。
宇佐見りん:
しかも私たちは、読者にページをめくってほしくて書いていますからね。
凪良ゆう:
途中でやめてほしいと思って書く人はいないでしょうし。
宮島未奈:
「ここで読むのをやめてください」という帯は見たことないです。
一同が笑う。
司会:
では今日の最初の質問に戻ります。
『イン・ザ・メガチャーチ』は、本当に推し活の小説なのか。
私は今、少し答えが変わってきました。
推し活について書いている。
でもその奥で、
「人間は、何になら自分の時間を使いたいと思えるのか」
を書いているのかもしれない。
仕事かもしれない。
家族かもしれない。
推しかもしれない。
小説かもしれない。
誰かと食べる夕食かもしれない。
そして、その時間を本人が「奪われた」と感じるのか、「差し出した」と感じるのか、それとも、
「私はここに使いたかった」
と思えるのか。
もしかすると、その違いはかなり大きいのかもしれません。
朝井は少し考えてから、静かに口を開く。
朝井リョウ:
ただ、それを言うなら、僕たち小説家も逃げられないですよ。
読者の人生の何時間かをもらっている。
だったら次は、
「僕たちは、その時間をどうやってこちらに向けさせているんだろう」
という話になりますよね。
司会:
そうですね。
では、そこを次に聞きましょう。
小説家が物語で人を泣かせることと、マーケターが物語で人を動かすこと。
その二つは、本当にまったく違うのでしょうか。
Topic 2: 小説家も、人を「操って」いるのではないか?

司会:
さっき朝井さんが言いましたよね。
「僕たち小説家も逃げられない」と。
私はそこが、ずっと引っかかっています。
『イン・ザ・メガチャーチ』では、人の感情がどうすれば動くのかを考える人たちが出てきます。
どの写真を見せるか。
どんな言葉を使うか。
どのタイミングで出すか。
「今しかない」
「あなたの力が必要です」
「一緒に夢を叶えましょう」
そういう言葉によって、「好き」が行動に変わっていく。
でも小説家の皆さんも、
どの場面を最初に置くか。
何を読者に知らせるか。
何をまだ知らせないか。
誰を好きにさせるか。
どこで泣かせるか。
考えますよね。
朝井リョウ:
考えます。
司会:
だったら、かなり似ていませんか。
宮島未奈:
いきなり全員を追い詰めにきましたね(笑)。
司会:
(笑)
今日は読者代表なので。
加藤シゲアキ:
でも、本当に似ている部分はあると思います。
司会:
加藤さんは、小説を書く側でもあり、ステージに立つ側でもありますよね。
その立場から見ると、どうですか。
加藤シゲアキ:
たとえばライブって、自然発生的な感動だけでできているわけじゃないですよね。
照明があります。
音があります。
映像があります。
曲順があります。
ここで一度暗転して。
ここで映像を入れて。
ここで本人が出てくる。
そういうものを全部組み合わせて、体験を作る。
司会:
つまり、感動は設計されている。
加藤シゲアキ:
設計されている部分はあります。
でも、
「設計されているから、その感動は偽物です」
とも思わない。
宇佐見りん:
そこは小説とすごく似ていますね。
加藤シゲアキ:
そうなんです。
小説だって、この人物の過去を最初の10ページで全部説明するのか、200ページまで隠しておくのかで、読者の受け取り方は全然変わる。
朝井リョウ:
しかも小説家って、かなり意地悪なことをしますからね。
司会:
(笑)例えば?
朝井リョウ:
読者には見せるけど登場人物には見せないとか。
逆に登場人物は知っているけど読者には隠すとか。
この情報をここで出したら、この人物への印象が変わるだろう、とか。
完全に情報操作ですよね。
宮島未奈:
自白しましたね。
朝井リョウ:
しました(笑)。
司会:
では、最初の質問です。
マーケターが物語で商品を売ることと、小説家が物語で読者を泣かせることは、何が違うのでしょうか?
朝井リョウ:
目的が違う、と言いたくなるんですけど。
司会:
でも小説家も本を売りたいですよね。
朝井リョウ:
そうなんですよ。
そこを言われると、すぐ苦しくなる(笑)。
村雲菜月:
しかも、「売れなくてもいいから書いています」と言っても、出版社は困りますしね。
凪良ゆう:
本屋さんも困ります(笑)。
宇佐見りん:
読者に届いてほしい、という気持ちもあります。
司会:
では「お金が目的かどうか」では分けられない。
加藤シゲアキ:
僕は、「相手が何を受け取るのか」は一つ違いとしてある気がします。
商品を買わせることだけがゴールなら、購入した瞬間に目的が達成される。
でも作品の場合、そのあと何が起きるかは作者には決められない。
司会:
なるほど。
加藤シゲアキ:
同じ小説を読んでも、泣く人がいる。
怒る人がいる。
途中で閉じる人もいる。
十年後に突然思い出す人もいる。
作品を渡したあとは、かなり読者のものになる。
宇佐見りん:
それは大きいと思います。
書いているときは、もちろん読者の感情を想像します。
でも、
「ここで全員が必ずこう感じる」
とはできない。
むしろ、そうならないところが小説の面白さでもある。
司会:
でも広告も同じではありませんか。
広告を見ても、買わない人はいます。
宇佐見りん:
確かに。
司会:
ということは、それでもまだ境界がはっきりしない。
朝井リョウ:
しないですね。
僕はむしろ、はっきり分けられないこと自体が重要なんじゃないかと思います。
「広告は人を操るもの、小説は人を自由にするもの」
みたいに分けると、たぶん安心しすぎる。
凪良ゆう:
小説だって、人の価値観を変えることがありますからね。
司会:
それは良いことでは?
凪良ゆう:
その人にとって良い方向なら。
でも、「良い方向」を誰が決めるんでしょう。
司会:
ああ。
凪良ゆう:
たとえばある小説を読んで、
「結婚しなくても幸せになれる」
と思った人がいる。
その人は救われたかもしれない。
別の小説を読んで、
「やっぱり家族こそ人生で一番大切だ」
と思う人もいる。
それも救いになるかもしれない。
物語って、人の価値観にかなり深く入ってくるんです。
だから「小説だから安全」ということはないと思います。
宮島未奈:
ただ、私は読者ってそんなに弱くないとも思います。
司会:
どういうことですか。
宮島未奈:
作家が、
「ここで泣いてください」
と思って書いたって、
「いや、泣かないけど」
っていう読者もいる(笑)。
村雲菜月:
いますね。
宮島未奈:
「この人物を好きになってください」
と思っても、
「私はこの人嫌いです」
と言われる。
読者って結構自由ですよ。
朝井リョウ:
それは本当にそう。
作者が思っているほど、作者は読者をコントロールできない。
司会:
では次の質問です。
「人を動かす物語」と「人を操る物語」は、どこで分かれるのでしょうか?
少し沈黙する。
村雲菜月:
難しいですね。
加藤シゲアキ:
僕は一つ、「出口があるか」は気になります。
司会:
出口?
加藤シゲアキ:
「あなたが好きなら、ここにいてください」
と、
「あなたが本当のファンなら、ここから出てはいけません」
は違う。
宇佐見りん:
ああ。
加藤シゲアキ:
好きになる自由があるなら、離れる自由もあるはずなんです。
朝井リョウ:
それ、すごく重要だと思います。
「あなたが選んでください」
と言いながら、
実際には選択肢が一つしかない状態を作ることがある。
司会:
例えば?
朝井リョウ:
「買わなくてもいいですよ」
と言いながら、
「ただし今買わないと、この人の夢は終わるかもしれません」
と言う。
形式上は自由です。
でも心理的にはかなり強い。
村雲菜月:
罪悪感が入っていますね。
朝井リョウ:
そう。
愛だけで動いていたところに、恐怖や罪悪感を入れる。
「あなたがしなかったから失敗した」
という構造にすると、かなり違ってくる。
宇佐見りん:
でも、そこでも難しいですよね。
ファン自身が、
「私もこの人の夢を叶えたい」
と思っていることもある。
朝井リョウ:
もちろん。
だから外から簡単に、
「利用されていますよ」
とは言えない。
司会:
では何を見るんでしょう。
凪良ゆう:
私は、本人が「NO」と言えるかどうかは大きいと思います。
今日は行かない。
今回は買わない。
少し離れる。
それを選んでも、
「あなたは裏切り者です」
と言われない。
加藤シゲアキ:
いいですね。
凪良ゆう:
愛情って、本来は相手を拘束するものではないと思うんです。
でも、
「愛しているなら証明してください」
になった瞬間に、少し変わる。
村雲菜月:
「好き」が試験になるんですよね。
司会:
好きの試験。
村雲菜月:
はい。
これを買った?
ここへ行った?
何年応援した?
全部持っている?
知らないことはない?
そうやって、好きだったはずなのに、資格試験みたいになる。
宮島未奈:
落第するファンが出てくる(笑)。
村雲菜月:
そう(笑)。
でも笑い事じゃなくて、
「私は十分なファンじゃない」
と思い始める人もいる。
宇佐見りん:
それは苦しいですよね。
最初はその人が好きだっただけなのに。
司会:
朝井さん。
久保田は、そこを知っていますよね。
朝井リョウ:
知っています。
少なくとも、どうすれば人が動くのかを考える側にいる。
司会:
では久保田は、人を操っているんでしょうか。
朝井リョウ:
僕は、その答えを作品の外から一つに固定したくないです。
彼自身も、
「よし、人間を操ってやろう」
と思っているわけではない。
仕事をしている。
結果を出そうとしている。
誰かを成功させようとしている。
そして、そのために人の感情が動く方法を考える。
そこが怖いんです。
司会:
悪人じゃないから。
朝井リョウ:
そう。
悪人が人を騙す話なら、簡単なんです。
でも現実の多くは、
善意もある。
仕事でもある。
本人も信じている。
そして結果的に、誰かの感情を強く動かしている。
その混ざり方のほうが、僕は現代的だと思います。
加藤シゲアキ:
エンターテインメントも同じですね。
「楽しんでもらいたい」は本心です。
同時に、チケットを買ってほしい。
次の作品も見てほしい。
応援を続けてほしい。
その二つは同時に存在する。
司会:
だから「利益があるから偽物」とも言えない。
加藤シゲアキ:
言えないと思います。
宮島未奈:
本だってそうですよね。
作家は読んでもらいたい。
出版社は売れてほしい。
書店は買ってほしい。
でも、それで読者が本当に楽しい時間を過ごしたなら、
「全部マーケティングだった」
とはならない。
司会:
では、最後の質問です。
私たちは「作られた物語」だと分かっているのに、どうして本当に泣けるのでしょうか?
宇佐見りん:
むしろ、それが物語の不思議ですよね。
小説を開いた瞬間、読者は知っています。
この人たちは存在しない。
この会話も起きていない。
作者が作ったものだ、と。
それでも、泣く。
司会:
なぜでしょう。
宇佐見りん:
嘘だから泣いているわけではなくて、
その嘘の中で、
自分の本当の感情に触れるから
じゃないでしょうか。
一瞬、誰も言葉を挟まない。
凪良ゆう:
それはあると思います。
登場人物は架空でも、
「この寂しさ、知っている」
と思う。
「私も誰かにこう言ってほしかった」
と思う。
その瞬間、物語の出来事は嘘でも、読者の感情は本物なんですよね。
村雲菜月:
だから「作られている」と「偽物」は同じではない。
朝井リョウ:
そうなんですよ。
そこは『イン・ザ・メガチャーチ』でもすごく大事だと思っています。
たとえば誰かが、
「このアイドルを応援すれば人生が楽しくなる」
という物語を作ったとする。
仮にその物語にマーケティングの意図があったとしても、
そこで友達ができた。
初めて一人で東京へ行った。
知らない街へ行った。
仕事を頑張れた。
笑った。
泣いた。
そういう経験まで「偽物」にはならない。
司会:
……それは大きいですね。
朝井リョウ:
だから僕は、
「作られた物語に乗ってしまった人は愚かだ」
とは思わない。
僕たちはみんな、何かしらの物語の中で生きていますから。
宮島未奈:
「私は一切物語に影響されていません」という人のほうが、ちょっと心配かもしれない(笑)。
加藤シゲアキ:
自分だけ完全に客観的だと思っている。
宮島未奈:
そう。
それ自体が、一つの物語かもしれない。
司会:
朝井さん。
だったら私たちは、どうすればいいんでしょう。
何かを好きになるたびに、
「これは誰かに作られた欲望ではないか」
と疑うんですか。
映画を見て泣いたら、
「今、音楽で感情を操作された」
と分析する。
ライブで感動したら、
「照明と曲順の効果だ」
と考える。
小説を読んで泣いたら、
「作者の構成に引っかかった」
と思う。
そんなふうに生きていたら、何も楽しめなくなりませんか。
朝井リョウ:
そこなんですよね。
宇佐見りん:
全部から一歩引いていたら、傷つきにくくはなるかもしれない。
凪良ゆう:
でも、喜びからも一歩離れることになる。
村雲菜月:
夢中になるには、少し中に入らないといけないですから。
宮島未奈:
コンサートに行って、
「現在、私は演出によって高揚感を誘発されています」
ってずっと考えていたら、もったいないですよ(笑)。
一同が笑う。
加藤シゲアキ:
ステージ側としても、そこは一回忘れてほしいですね(笑)。
司会:
でも、まさにそこじゃないでしょうか。
私たちは、
騙されたくない。
操られたくない。
視野を狭くしたくない。
だから一歩引いて、
もう一歩引いて、
さらにもう一歩引いて、
全部を客観的に見ようとする。
そうすれば確かに、誰かの物語に簡単には飲み込まれないかもしれない。
でも。
そこまで遠くから人生を見ていたら、
自分自身が人生の中に入れなくなるんじゃないでしょうか。
今度は、さっきまでとは違う沈黙が落ちる。
宇佐見りん:
……澄香ですね。
司会:
そう思います。
いろんな立場が見える。
反対意見も分かる。
自分が影響されていることにも気づく。
物語が作られていることも分かる。
だから簡単には信じない。
それは、とても賢い生き方に見えます。
でも。
何も信じ切れない人は、何かを本当に愛することができるのでしょうか。
朝井リョウ:
それは、この作品を書きながら僕自身もずっと考えていたことだと思います。
司会:
では次は、そこを聞きたいです。
私たちはずっと、
「もっと広い視野を持ちなさい」
と言われてきました。
でも本当に、
視野は広ければ広いほど、人は幸せなのでしょうか。
Topic 3: 「視野が広い人」は、本当に幸せなのか?

司会:
前の話の最後で、少し怖いところまで来ました。
私たちは、騙されたくない。
誰かに操られたくない。
だから、できるだけ多くの情報を集める。
反対意見も読む。
相手の立場も考える。
「自分が間違っているかもしれない」と考える。
普通なら、これは全部いいことですよね。
朝井リョウ:
そうですね。
司会:
子どものころから言われます。
「もっと広い視野を持ちなさい」
「相手の立場になって考えなさい」
「一面的に物事を見てはいけません」
でも『イン・ザ・メガチャーチ』を読んでいると、朝井さんは少し違うことを言っているように感じました。
視野が広くなりすぎると、人は動けなくなるんじゃないか。
朝井リョウ:
そこはかなり意識していました。
視野が広いこと自体を否定したいわけではないんです。
むしろ、基本的には広いほうがいい。
ただ、「広ければ広いほどいい」という価値観には、少し疑問がありました。
司会:
なぜですか。
朝井リョウ:
何かを選ぶということは、他の可能性を選ばないということでもあるからです。
たとえば何かを買う。
「この会社の商品を買ったら、別の会社は?」
「環境への影響は?」
「そこで働く人の労働環境は?」
「もっと必要としている人がいるのでは?」
「そもそも自分にこれは必要なのか?」
全部、大事な問いです。
でも、全部を完全に把握してから決めようとしたら。
司会:
何も買えない。
朝井リョウ:
何もできなくなる可能性があります。
宮島未奈:
私、それを聞いていると、レストランのメニューをずっと見ている人を思い出します。
司会:
(笑)
宮島未奈:
こっちもおいしそう。
でもあっちも人気。
隣の人が食べているものもいい。
口コミを見よう。
星は?
もっといい店が近くにあるかも。
そうしているうちに、みんな食べ終わっている。
村雲菜月:
ありますね(笑)。
宮島未奈:
人生も、少し似ているんじゃないですか。
司会:
どういうことですか。
宮島未奈:
全部の選択肢を見てから「最高の一つ」を選ぼうとすると、選べなくなる。
でも実際には、
「今日はこれが食べたい」
でいいときもある。
凪良ゆう:
ただ、人生になると、それが難しくなるんですよね。
宮島未奈:
そうなんです。
凪良ゆう:
結婚するのか。
しないのか。
子どもを持つのか。
持たないのか。
会社に残るのか。
辞めるのか。
親の期待に応えるのか。
自分の希望を優先するのか。
どれにも、それぞれの物語がある。
しかも現代は、その全部が見える。
司会:
SNSもありますしね。
凪良ゆう:
そう。
昔なら知らなかった他人の人生が、毎日流れてくる。
結婚して幸せな人。
独身で幸せな人。
子どもを持って幸せな人。
子どもを持たずに幸せな人。
都会を離れた人。
都会へ出た人。
会社を辞めて成功した人。
会社に残って成功した人。
全部に説得力がある。
宇佐見りん:
それはかなり疲れますよね。
凪良ゆう:
だから「選択肢が増えたから自由になった」は確かなんです。
でも同時に、
「どれを選んでも、別の幸福を捨てているように見える」
という苦しさも増えた。
司会:
澄香ですね。
朝井リョウ:
そうですね。
澄香は、何も考えていないから選べないわけじゃない。
むしろ逆なんです。
考えられる。
想像できる。
別の立場も見える。
だから動けない。
司会:
では最初の質問です。
なぜ私たちは「視野が広いこと」を、無条件に良いことだと思っているのでしょうか?
宮島未奈:
視野が狭いことで起きる問題を、たくさん知っているからじゃないですか。
偏見とか。
決めつけとか。
自分と違う人を理解しないこととか。
だから「もっと広く見よう」は大切なんです。
でも、
「広く見る」
と、
「全部を見る」
は違うと思います。
司会:
全部を見る?
宮島未奈:
世界中の全員の事情を理解してから、自分の夕飯を決める必要はないですよね。
村雲菜月:
(笑)
宮島未奈:
極端に言えば、そういうことです。
自分が責任を持てる範囲ってある。
加藤シゲアキ:
それは創作でもあります。
作品を作っていると、全員にどう受け取られるかを考え始めたら、たぶん何も作れない。
司会:
でも批判されたくないですよね。
加藤シゲアキ:
もちろんされたくないですよ(笑)。
司会:
(笑)
加藤シゲアキ:
でも、
「この人は嫌がるかもしれない」
「あの人には誤解されるかもしれない」
「こう切り取られるかもしれない」
「この立場の人はどう思うだろう」
と全部考え続けたら、最後には何も言えなくなる。
朝井リョウ:
小説家って、そこはかなり矛盾した仕事ですよね。
司会:
というと?
朝井リョウ:
小説を書くには、自分とは違う人間を想像しなければいけない。
「この人ならどう感じるだろう」
と考える。
だから視野を広げる必要がある。
でも最後には、
「それでも、この文章を書く」
と決めなければ作品にならない。
宇佐見りん:
確かに。
朝井リョウ:
全員の視点を完全に理解してから書こうとしたら、一行も書けない。
司会:
では小説家って、
視野を広げる仕事であると同時に、最後には視野を狭める仕事
でもあるんですね。
朝井リョウ:
「狭める」というより、「選ぶ」に近いかもしれない。
司会:
その違い、重要そうですね。
宇佐見りん:
すごく重要だと思います。
見えていないから一つしか選べないのと、
いろいろ見えているけれど一つを選ぶのは、
全然違う。
司会:
なるほど。
宇佐見りん:
推すこともそうかもしれません。
世の中には魅力的な人がたくさんいる。
もっと歌が上手い人がいるかもしれない。
もっと有名な人もいる。
もっと自分に合う人もいるかもしれない。
それを全部調べてから、
「世界で最適な一人を推します」
なんて普通はしないですよね。
宮島未奈:
Amazonの比較表じゃないんだから(笑)。
一同が笑う。
宇佐見りん:
ある瞬間、
「この人だ」
となる。
理由を全部説明できないかもしれない。
でも、自分の視線がそこへ止まる。
司会:
それは視野が狭くなったんでしょうか。
宇佐見りん:
私は必ずしもそう思いません。
何かを見るために、そこへ焦点を合わせた
とも言える。
村雲菜月:
カメラと同じですね。
司会:
どういうことですか。
村雲菜月:
広角で撮れば、たくさん入る。
街も、人も、空も、建物も。
でも、一人の表情を撮りたいなら寄らなきゃいけない。
加藤シゲアキ:
いいですね。
村雲菜月:
ズームしたからといって、
「世界にはこの顔しか存在しません」
と言っているわけではない。
今は、この顔を見る。
それだけ。
朝井リョウ:
それは僕が「視野」で考えていたことにかなり近いです。
問題なのは、焦点を合わせることそのものではなくて、
焦点を合わせた結果、画面の外に何も存在しないと思い始めること
なんですよね。
司会:
ああ。
「私はこの人が好き」
と、
「この人以外には価値がない」
は違う。
朝井リョウ:
そうです。
凪良ゆう:
「私はこの生き方を選ぶ」
と、
「この生き方だけが正しい」
も違います。
司会:
なるほど。
では二つ目の質問です。
全員の事情が見えるようになるほど、人は何も選べなくなるのではないでしょうか?
凪良ゆう:
なることはあると思います。
特に優しい人ほど。
司会:
優しい人ほど?
凪良ゆう:
誰かを傷つけたくない。
誰かを置いていきたくない。
自分だけ幸せになることに罪悪感がある。
そういう人は、
「あの人はどう思うだろう」
「この人は傷つかないだろうか」
と考える。
それ自体は優しさです。
でも、その優しさが極端になると、
自分自身が一人の人間として数えられなくなることがある。
司会:
自分だけが人数に入っていない。
凪良ゆう:
そう。
みんなの気持ちは考える。
でも、
「私はどうしたい?」
だけ聞かない。
宮島未奈:
それはかなりありますね。
宇佐見りん:
しかも今は、自分が知らなかった苦しみまで見える時代ですよね。
司会:
SNSで。
宇佐見りん:
はい。
楽しいことを投稿しようとしても、
世界のどこかでは大変なことが起きている。
何かを買えば、その生産過程が気になる。
旅行すれば環境負荷を考える。
食べれば、その食べ物の背景を考える。
知ることは大切です。
でも、全部を自分の責任として引き受けたら、人間は持たない。
村雲菜月:
しかも「知らなかった」が許されにくくなっていますよね。
加藤シゲアキ:
「あれについてどう思いますか?」
と突然聞かれる。
宮島未奈:
全部について意見を持っていないといけない。
加藤シゲアキ:
そう。
でも、本当は、
「まだよく分かりません」
でもいいはずなんです。
司会:
確かに。
朝井リョウ:
僕はそこに、現代特有の「神の視点を要求される感じ」があると思うんです。
司会:
神の視点?
朝井リョウ:
全体を見なさい。
全員の事情を理解しなさい。
過去も調べなさい。
未来への影響も考えなさい。
偏ってはいけません。
でも僕たちは神じゃない。
一人の人間なので。
司会:
それでも選ばなきゃいけない。
朝井リョウ:
そうなんです。
情報が足りないまま。
間違う可能性を持ったまま。
選ぶ。
それが人間の生活なんじゃないかと思います。
司会:
でも怖くないですか。
間違ったものを選ぶのが。
朝井リョウ:
怖いですよ。
司会:
澄香もそうですよね。
朝井リョウ:
そう。
だから彼女の問題を、
「考えすぎだから、もっと気楽に生きればいい」
で終わらせたくなかった。
彼女が見ているものは、本当に存在するんです。
別の立場もある。
自分が間違っている可能性もある。
だから苦しい。
宇佐見りん:
でも、間違わないために何も選ばないというのも、一つの選択ですよね。
司会:
あ。
宇佐見りん:
何も選ばなければ、失敗しないように感じる。
でも時間は過ぎていく。
凪良ゆう:
そして十年後に、
「あのとき何も選ばなかった」
という結果だけ残ることもある。
少し沈黙する。
司会:
では最後の質問です。
大人になるとは、視野を広げることなのでしょうか。それとも「ここを見る」と決められることなのでしょうか?
宮島未奈:
私は両方だと思います。
司会:
両方。
宮島未奈:
若いときは、
「これしかない」
と思うことがある。
大人になると、
「あ、ほかにもあるんだ」
と分かってくる。
そこまでは視野を広げる。
でも、そのあともう一段階ある気がします。
司会:
どんな段階ですか。
宮島未奈:
ほかにもあると分かったうえで、
「でも私はこれでいい」
と言えること。
凪良ゆう:
それ、すごく分かります。
「これしかない」ではなく、
「ほかにもある。でも私はこれを選ぶ」。
村雲菜月:
全然違いますね。
加藤シゲアキ:
しかも「今は」をつけてもいいかもしれない。
司会:
今は?
加藤シゲアキ:
「一生これでいく」と決めなくてもいい。
今はこれを選ぶ。
変わったら変えていい。
宇佐見りん:
推しだってそうですよね。
永遠に推さなければ、あのときの気持ちが嘘になるわけではない。
司会:
……それ、大事ですね。
宇佐見りん:
十年間好きだった人を、十一年目に好きではなくなった。
だから最初の十年間が偽物だった、とはならない。
村雲菜月:
集めることもそうです。
ある日、もう集めなくなる。
でも集めていた時間まで消えるわけではない。
凪良ゆう:
人間関係だってそうです。
ずっと続かなかったから、その関係には意味がなかった、とは限らない。
司会:
そう考えると、「正しい選択」の意味が変わってきますね。
朝井リョウ:
そうかもしれません。
未来永劫正しい選択を探すから、選べなくなる。
でも、
今の自分が、今の情報で選ぶ。
そして間違っていたら、見直す。
それくらいしか、人間にはできないのかもしれない。
司会:
朝井さん。
それなら澄香に、一言だけ言えるとしたら何と言いますか。
朝井は少し考える。
朝井リョウ:
僕が作者として彼女に答えを渡すのは違う気もしますけど……。
もし言うなら、
「全部見えてから決めなくてもいい」
かな。
司会:
宇佐見さんは?
宇佐見りん:
「好きになったあとで、間違いだったと思ってもいい」。
凪良ゆう:
私は、
「他人の気持ちを考える人の中に、自分も入れてあげて」。
宮島未奈:
私はもっと簡単です。
「とりあえず、やってみたら?」
一同が笑う。
村雲菜月:
私は、
「途中でやめても大丈夫」。
加藤シゲアキ:
「選ばなかった人生を、全部生きることはできない」。
司会は少し黙って、その言葉を聞いている。
司会:
不思議ですね。
視野を広げることが、大人になることだと思っていました。
でも今日の話を聞いていると、その先がある。
たくさんの人生があると知る。
たくさんの正しさがあると知る。
自分が間違う可能性も知る。
それでも、
「今は、ここを見る」
と決める。
もしかすると成熟とは、世界を狭くすることではなく、
世界の広さを知ったまま、一つの場所に立つこと
なのかもしれません。
朝井リョウ:
ただ、一つの場所に立つと、今度は別の問題が出てきますよね。
司会:
何でしょう。
朝井リョウ:
そこが居心地よくなりすぎたときです。
宇佐見りん:
ああ。
朝井リョウ:
「私はここを見る」が、
いつの間にか、
「ここから離れられない」
に変わることがある。
村雲菜月:
「好き」が「やめられない」に変わる。
加藤シゲアキ:
「行きたい」が「行かなきゃ」に変わる。
凪良ゆう:
「大切」が「これがないと私は何もない」に変わる。
司会:
そうすると、次に聞かなければいけないのは、
「夢中になることは素晴らしい」
で終わっていいのか、ですね。
仕事。
家族。
恋愛。
創作。
そして推し。
私たちは何かに人生を捧げることを、ときには美しいと言います。
でも、その美しさはどこから危うさに変わるのでしょう。
そしてもっと根本的に、
何かに人生を捧げることは、本当に幸福なのでしょうか。
Topic 4: 何かに人生を捧げることは、幸福なのか?

司会:
さっき加藤さんが言った言葉が、ずっと残っています。
「行きたい」が、
「行かなきゃ」
に変わる。
たった一文字増えただけなのに、まったく違いますね。
加藤シゲアキ:
違いますね。
「行きたい」には自分の意思がある。
でも「行かなきゃ」には、少し義務が入ってくる。
宇佐見りん:
「好き」だったはずなのに。
加藤シゲアキ:
そう。
だから難しいんです。
外から見れば同じ行動ですよ。
同じライブへ行く。
同じグッズを買う。
同じ人を応援する。
でも本人の中では、
「楽しいからやっている」
から、
「やらないと不安だからやっている」
に変わっているかもしれない。
村雲菜月:
集めることにもあります。
最初の一個は、
「欲しい」。
二十個目くらいから、
「ここまで来たから」。
そして最後には、
「揃えないと気持ち悪い」。
宮島未奈:
目的が変わっていますね。
村雲菜月:
そうなんです。
対象を愛していたはずなのに、いつの間にか「続けること」に支配される。
司会:
でも今日は、すぐに「依存は危険です」という話にはしたくありません。
Part 1でもかなり考えました。
今回は別の角度から聞きたいんです。
なぜ仕事に人生を捧げると「努力」と呼ばれることがあるのに、推しに人生を捧げると「依存」と呼ばれることがあるのでしょうか?
凪良ゆう:
社会にとって何が「役に立つ」と見なされているか、でしょうね。
司会:
役に立つ。
凪良ゆう:
毎日十二時間働く。
会社で昇進する。
資格を取る。
子どものために自分の時間を使う。
そういうことは、社会が理解しやすい。
「何のためにやっているの?」
と聞かれて、説明しやすいんです。
でも、
「この人のライブを見るために一年間働いています」
と言うと、
「そこまでしなくても」
と言われることがある。
宮島未奈:
でも本人からしたら、
そのライブへ行くために働いているなら、
仕事よりライブのほうが目的ですよね。
司会:
ああ。
宮島未奈:
社会から見ると、
仕事が本体で、ライブが余暇。
でも本人からしたら、
ライブが本体で、仕事がそのための手段
かもしれない。
村雲菜月:
全然違いますね。
凪良ゆう:
だから、誰の物差しでその人生を見るかなんです。
司会:
朝井さんはどう思いますか。
朝井リョウ:
僕は、そこにはかなり社会的な偏りがあると思っています。
仕事に夢中になって家族との時間がほとんどなくても、
「仕事人間ですね」
で済む場合がある。
でも推しに同じ時間を使ったら、
「依存していませんか」
と言われる。
もちろん、どちらにも健全な場合と危険な場合があります。
でも仕事だけが最初から「健全側」に置かれるのは不思議ですよね。
加藤シゲアキ:
仕事だって、やめられなくなることはありますからね。
朝井リョウ:
あります。
「仕事が好きだから働く」と、
「仕事をしていないと自分には価値がないから働く」
は違う。
でも外からは、同じ「よく働く人」に見える。
宇佐見りん:
そう考えると、「何時間使っているか」だけでは分からないですね。
司会:
では、何で判断するんでしょう。
宇佐見りん:
私は、その対象との関係の中で、
その人が少し生きやすくなっているのか
は気になります。
司会:
生きやすくなる。
宇佐見りん:
推しがいることで朝起きられる。
仕事へ行ける。
誰かと話せる。
明日の予定ができる。
そういうことがある。
外から見れば「推しに依存している」と見えても、その人にとっては、それが生活を支えているかもしれない。
朝井リョウ:
でも、それがなくなったら?
宇佐見りん:
そう。
そこなんですよね。
司会:
では二つ目の質問です。
推しが人生の「背骨」になってもいいのでしょうか?
宇佐見は少し考える。
宇佐見りん:
「なってはいけない」とは、私は言えないです。
だって人間は、必ず何本も丈夫な柱を持って生きられるわけじゃないから。
家族とうまくいっていない。
学校にも居場所がない。
仕事も好きではない。
友達も少ない。
そんな人に、
「推しだけに頼るのは危険だから、もっとバランスよく生きましょう」
と言っても。
司会:
その「もっと」がない。
宇佐見りん:
そうなんです。
それがあれば困っていない。
少し静かになる。
凪良ゆう:
「依存しないで」と言う人は、その人が何に依存すれば今日を越えられるのかまで用意してくれるわけではないですからね。
村雲菜月:
厳しい言葉ですね。
凪良ゆう:
でも現実だと思います。
人って、そんなに自立していない。
誰かに頼る。
仕事に頼る。
家族に頼る。
習慣に頼る。
本に頼る。
音楽に頼る。
宗教に頼る人もいる。
推しに頼る人もいる。
完全に何にも頼らずに立っている人なんて、ほとんどいないんじゃないでしょうか。
宮島未奈:
だったら「何にも依存しない人」を理想にすること自体、ちょっと無理がありますよね。
朝井リョウ:
僕もそう思います。
だから「依存しているか、していないか」という二択ではなくて、
その関係が自分の世界をどう変えているか
を見るほうがいいのかもしれない。
司会:
どういう意味ですか。
朝井リョウ:
推しができて、
友達が増えた。
知らない街へ行った。
今まで聴かなかった音楽を聴いた。
働く理由ができた。
自分でも服を選ぶようになった。
だったら、その対象を中心に世界が広がっている。
でも、
友達に会わなくなった。
お金のことで嘘をつくようになった。
仕事を休めなくなった。
推しを批判する人とは全員縁を切る。
生活が崩れているのにやめられない。
となれば、世界が狭くなっている。
村雲菜月:
同じ「夢中」でも逆方向ですね。
朝井リョウ:
そうなんです。
司会:
加藤さん。
これは「推される側」としては、かなり難しくないですか。
加藤シゲアキ:
難しいですよ。
すごく難しい。
だって応援してもらえることは、本当にありがたい。
ライブに来てくれる。
作品を買ってくれる。
長い間応援してくれる。
そのことに感謝している。
でも。
司会:
でも?
加藤シゲアキ:
その人の人生全部をもらいたいわけではない。
少し空気が変わる。
加藤シゲアキ:
これは難しい言い方なんですけど。
応援してもらえるのは嬉しい。
でも、その人にはその人の人生がある。
友達がいて。
家族がいて。
仕事があって。
好きな食べ物があって。
僕たちとは全然関係のない場所で笑っている時間もあってほしい。
宇佐見りん:
それはすごく大事ですね。
加藤シゲアキ:
だって、「あなたしかいません」と言われることは、一見ものすごく強い愛情に見えるけど。
僕は、
「あなたも好きです。でも私には私の人生があります」
と言ってくれるほうが、安心する部分があります。
司会:
それは、推される側から聞くとかなり重いですね。
村雲菜月:
「全部あげます」と言われても、全部受け取れない。
加藤シゲアキ:
そう。
受け取ってはいけないものもあると思う。
凪良ゆう:
それって恋愛にも似ていますね。
司会:
ああ。
凪良ゆう:
「あなたがいると人生が豊かになる」
と、
「あなたがいないと私には人生がない」
は、似ているようで違う。
宇佐見りん:
でも、実際には後者になっている人もいる。
凪良ゆう:
もちろん。
だから責められないんです。
ただ、それを「究極の愛」として美化していいかは別だと思う。
司会:
朝井さん。
ここでまた『イン・ザ・メガチャーチ』に戻ると、マーケティングはむしろ後者を作りたくなることがありますよね。
「これがないと困る」
と思わせたほうが強い。
朝井リョウ:
そうですね。
人間を動かすうえで、喜びだけではなく、不安は非常に強い。
「行ったら楽しいですよ」
より、
「今行かなければ二度と見られません」
のほうが強いことがある。
宮島未奈:
限定。
村雲菜月:
最後。
加藤シゲアキ:
今だけ。
朝井リョウ:
そう。
そして、
「あなたが応援しなければ終わるかもしれない」。
ここまで行くと、
好きだから動くのか、
怖いから動くのか、
本人にも分からなくなることがある。
司会:
では、一つ簡単な質問をしていいですか。
朝井リョウ:
はい。
司会:
休めますか?
朝井が少し笑う。
朝井リョウ:
それ、かなりいい質問だと思います。
司会:
一回行かない。
一回買わない。
一週間SNSを見ない。
それができるか。
宇佐見りん:
でも、できなかったから即「依存」と決めるのも怖いですよね。
司会:
確かに。
宇佐見りん:
人生には、夢中になっていい時期もあると思うんです。
受験の一年間。
子育てのある時期。
小説を書いている数か月。
恋をしているとき。
推しを追っている数年間。
何でも均等に配分された人生が、必ずしも一番豊かだとは思わない。
村雲菜月:
そうですね。
何かに偏った時期だからこそ残るものもあります。
宮島未奈:
毎日全部20パーセントずつ、みたいな人生も無理ですよね。
仕事20。
家族20。
友達20。
趣味20。
健康20。
加藤シゲアキ:
Excelみたいな人生(笑)。
一同が笑う。
宮島未奈:
しかも合計100にならない日もありますよ。
凪良ゆう:
マイナスの日もあります(笑)。
笑いが少し続く。
司会:
でも、だから難しい。
「バランスを取りましょう」だけでは答えにならない。
朝井リョウ:
ならないと思います。
むしろ大切なのは、
夢中にならないことではなくて、
夢中になっている自分を、ときどき外から見られること
なのかもしれない。
司会:
Topic 3で話した、広角とズームみたいですね。
朝井リョウ:
そうですね。
夢中になっているときはズームしていい。
でも、ときどき広角に戻す。
「最近、友達と話してないな」
「お金、ちょっと使いすぎてるな」
「前は楽しかったのに、最近ずっと苦しいな」
と気づける。
そしてまたズームしてもいい。
村雲菜月:
戻れることが大事なんですね。
朝井リョウ:
僕はそう思います。
司会:
では最後の質問です。
その対象がなくなったとき、私たちには何が残るのでしょうか?
少し長い沈黙になる。
司会:
推しが引退する。
グループが解散する。
仕事を退職する。
子どもが家を出る。
恋人と別れる。
親を失う。
書いていた作品が終わる。
私たちは人生の途中で、
自分を注いできたものを失う
ことがあります。
そのとき、
そこへ使った時間はどうなるのでしょう。
宇佐見りん:
消えないと思います。
司会:
何が残りますか。
宇佐見りん:
その時間を生きた自分が残る。
静かになる。
宇佐見りん:
推しがいなくなったとしても、
推していた自分まで消えるわけではない。
その人を好きだったから覚えた言葉。
行った場所。
会った人。
聴いた音楽。
泣いた夜。
救われた朝。
全部、その人の中に残っている。
司会:
でも、
「もっと別のことに時間を使えばよかった」
と思うこともありますよね。
宇佐見りん:
あると思います。
でも、それも含めて残るんじゃないでしょうか。
凪良ゆう:
私は、人間関係も同じだと思います。
別れたから失敗だった。
離婚したから、その結婚は全部無駄だった。
友達ではなくなったから、一緒にいた時間には意味がなかった。
そういうことではない。
村雲菜月:
集めたものを全部手放しても、
集めていた人ではなくなるわけではない。
加藤シゲアキ:
ライブも終わりますからね。
司会:
確かに。
加藤シゲアキ:
どんなにいいライブでも、最後には照明がつく。
客席から人が帰る。
スタッフがステージを解体する。
次の日には何もない。
物理的には消えるんです。
でも、
「あの夜があった」
ということは消えない。
宮島未奈:
だから、終わることと、無駄になることは違うんでしょうね。
司会:
終わることと、無駄になることは違う。
朝井リョウ:
それはすごく大きいと思います。
僕たちは、続かなかったものを失敗だと思いすぎるのかもしれない。
司会:
永遠じゃなかったから。
朝井リョウ:
そう。
でも、人生そのものが永遠じゃないですからね。
だったら、
「永遠に続くか」
だけを価値の基準にしたら、
最後には全部失敗になる。
誰もすぐには言葉を返さない。
宮島未奈:
急にすごいこと言いましたね。
朝井リョウ:
言ってから自分でも重いなと思いました(笑)。
少し笑いが起こる。
司会:
でも、そうですね。
仕事も終わる。
子育ても形が変わる。
恋愛も変わることがある。
推しもいつか活動を終える。
私たち自身も、いつか終わる。
だったら、
「失わないものを探す」
ことだけが人生ではないのかもしれない。
凪良ゆう:
むしろ、
失うかもしれないと分かっていても、
それでも大切にする
ということなのかもしれないですね。
宇佐見りん:
だから私は、推しが人生の背骨になることを簡単に否定できない。
いつか折れるかもしれない。
なくなるかもしれない。
それでも、その背骨があったから歩けた時期があるなら。
その時間には意味があったと思います。
加藤シゲアキ:
推される側としては、
その人の人生全部を受け取りたいとは思わない。
でも、
「あなたがいた時間、楽しかったよ」
と言ってもらえたら。
それは、ものすごく嬉しいですよ。
司会:
「あなたがいないと生きられない」ではなく。
加藤シゲアキ:
はい。
「あなたがいたから、人生にいい時間が増えた」
くらいが、僕は好きです。
しばらく誰も話さない。
司会:
ここまで話してきて、私は少し分からなくなってきました。
私たちは最初、
「推しに人生を捧げてもいいのか」
と聞きました。
でも仕事だって終わる。
子育ても変わる。
恋愛も終わることがある。
作品も完成すれば終わる。
だったら本当の問いは、
何に人生を捧げれば安全なのか
ではないのかもしれない。
人生の時間は、何かに使わなければ過ぎていく。
だったら最後に残る問いは、
もっと単純で、
もっと怖いものになります。
私は、この有限な時間を何に使いたいのか。
そして、
使い切ったと思える人生とは、いったいどんな人生なのか。
今度は誰もすぐには笑わなかった。
Topic 5: 私たちは、何に自分の人生を使えばいいのか?

司会:
ここまで、「推す」ということから始めて、ずいぶん遠くまで来ました。
最初は、推し活について話していたはずなんです。
誰かを好きになる。
応援する。
ライブへ行く。
お金を使う。
時間を使う。
でもTopic 4の最後で、私は分からなくなりました。
推しに使わなくても、時間は過ぎていきますよね。
朝井リョウ:
過ぎていきますね。
司会:
仕事をしても一日。
何もしなくても一日。
好きな人と過ごしても一日。
嫌なことを我慢していても一日。
一日は同じように終わる。
だとしたら最後に残る問題は、
「推し活は良いか悪いか」
ではない。
私は、自分の時間を何に使いたいのか。
今日は最後に、そこまで行ってみたいと思います。
まず一つ目の質問です。
人間には、「自分を使い切れる何か」が必要なのでしょうか?
朝井リョウ:
「使い切る」って、すごく魅力的な言葉なんですよね。
司会:
でも少し怖い。
朝井リョウ:
そう。
「人生を無駄にしたくない」
「自分の能力を眠らせたくない」
「せっかく生まれたんだから何かしたい」
そういう気持ちって、多くの人にあると思う。
でもその気持ちが強くなると、
「今日、何も生産しなかった」
というだけで罪悪感を持つようになる。
宮島未奈:
ありますね。
休日なのに、
「今日は何もしてない」
って言いますもんね。
村雲菜月:
休んだのに(笑)。
宮島未奈:
そう。
休むための日なのに、
「何もできなかった」
と言う。
加藤シゲアキ:
不思議ですね。
「今日はちゃんと休めた」
とはあまり言わない。
凪良ゆう:
それって、人間が自分自身を商品みたいに見始めているところもある気がします。
司会:
商品?
凪良ゆう:
「私はどれだけ価値を生み出したか」。
「どれだけ成長したか」。
「昨日より何ができるようになったか」。
それ自体は悪くない。
でも、
存在しているだけでは足りない
というところまで行ったら、苦しいですよね。
宇佐見りん:
「自分を使い切りたい」という気持ちが、
いつの間にか、
「自分を使い切らなければならない」
になってしまう。
朝井リョウ:
まさにTopic 4の、
「行きたい」が「行かなきゃ」になるのと同じなんですよね。
司会:
ああ。
ここにもあるんですね。
朝井リョウ:
あると思います。
「人生を充実させたい」が、
「充実した人生にしなければ」
になる。
宮島未奈:
それ、かなり疲れますね。
朝井リョウ:
疲れます。
だから僕は、「自分を使い切る」という言葉には惹かれるけれど、それを人生の義務にはしたくない。
司会:
では、「使い切る」って何でしょう。
村雲菜月:
私は、能力を全部使うということではない気がします。
司会:
というと?
村雲菜月:
何かに自分の注意を渡すことなのかな。
好きなものを集める。
本を読む。
誰かの話を聞く。
料理する。
何かを作る。
その時間だけ、
「私はここにいる」
と思える。
それも自分を使っているんじゃないでしょうか。
宇佐見りん:
「余っていない」という感覚なのかもしれないですね。
司会:
ああ。
宇佐見りん:
身体はここにいるけれど、
自分の気持ちがどこにも向いていない。
時間だけ過ぎていく。
そういうとき、人は自分が余っているように感じることがある。
でも何かを好きになったら、
そこへ気持ちが向く。
明日の予定ができる。
「自分を置く場所」ができる。
司会:
それなら、推しである必要はない。
宇佐見りん:
もちろん。
推しでもいい。
小説でもいい。
仕事でもいい。
家族でもいい。
散歩でもいい。
宮島未奈:
散歩、いいですね。
宇佐見りん:
(笑)
宮島未奈:
だって、すぐ壮大になるじゃないですか。
「私は人生を何に使うのか」。
司会:
(笑)確かに。
宮島未奈:
そんなこと毎朝考えていたら、朝ごはん食べられないですよ。
一同が笑う。
宮島未奈:
「今日は天気がいいから歩こう」
でもいい。
帰りにおいしいものを買う。
家で本を読む。
それで、
「今日よかったな」
と思える。
それもかなりいい人生じゃないですか。
司会:
では二つ目の質問に行きましょう。
何にも夢中にならず、静かに穏やかに暮らす人生では足りないのでしょうか?
宮島未奈:
足ります。
司会:
また早い(笑)。
宮島未奈:
(笑)だって、誰に対して足りないんですか。
司会:
ああ。
宮島未奈:
SNS?
会社?
親?
世間?
死ぬときに採点する人がいるんですか。
「あなたは人生を73パーセントしか使用しませんでした」
みたいな。
加藤シゲアキ:
嫌ですね、それ(笑)。
村雲菜月:
「未使用部分27パーセント」。
宮島未奈:
もったいないから来世へ繰り越します、とか(笑)。
一同が笑う。
凪良ゆう:
でも冗談みたいですけど、私たちは結構そういう感覚を持っていますよね。
司会:
持っています。
もっとできたはず。
もっと成功できたはず。
もっと旅行すればよかった。
もっと人に会えばよかった。
もっと挑戦すればよかった。
凪良ゆう:
それで、他人の人生を見る。
すると、
「私は何もしていない」
と思う。
でも、その人が本当に静かな生活を好きなら、それを不足と呼ぶ必要はないと思う。
加藤シゲアキ:
僕は、何かに夢中になる人生も素敵だと思うし、
夢中にならない人生もあっていいと思います。
問題は、
本人がそれを選んでいるのか
じゃないですかね。
司会:
どういう意味ですか。
加藤シゲアキ:
本当は何かやりたい。
でも怖くてやらない。
失敗したくない。
傷つきたくない。
だから、
「私は穏やかな人生が好きなんです」
と言っている。
それと、
本当に静かな毎日が好きなのは違う。
宇佐見りん:
逆もありますよね。
本当は休みたいのに、
「私は挑戦する人間だから」
と走り続けている。
朝井リョウ:
それ、すごく重要だと思います。
結局、
「夢中になるべき」
も物語なんですよ。
司会:
あ。
朝井リョウ:
「人生は一度きり」。
「挑戦しよう」。
「後悔しない人生を」。
「自分の可能性を最大限に」。
全部、すごく魅力的な言葉です。
でも、それも人を動かす物語ですよね。
村雲菜月:
Topic 2に戻ってきましたね。
朝井リョウ:
そうなんです。
僕たちは「推しに動かされる人」を見て、
「物語に動かされている」
と言う。
でも、
「成功しなければ」
「成長しなければ」
「時間を無駄にしてはいけない」
という物語に動かされている人のことは、あまりそう言わない。
凪良ゆう:
社会が承認している物語だからでしょうね。
司会:
では、本当に自由に生きるって、何なんでしょう。
朝井リョウ:
難しいですね。
完全に物語から自由になることではないと思います。
司会:
なぜですか。
朝井リョウ:
そんなこと、たぶんできないから。
それより、
「今、自分はどんな物語の中にいるんだろう」
と、ときどき気づけることなのかもしれない。
宇佐見りん:
そして、そこに居続けてもいい。
朝井リョウ:
そう。
気づいたうえで、
「それでも私はここにいたい」
なら、それはかなり違う。
司会:
Topic 3の、
「世界の広さを知ったまま、一つの場所に立つ」
と同じですね。
朝井リョウ:
全部つながっていますね。
少し静かな時間が流れる。
司会:
では最後の質問です。
今日はこれだけは、作品論として答えないでください。
小説家としてでもなく、
評論としてでもなく。
一人の人間として。
あなた自身は、残りの人生を何に使いたいですか?
一瞬、全員が黙る。
宮島未奈:
最後に急に重いですね。
司会:
逃げないでください(笑)。
宮島未奈:
(笑)分かりました。
私は……
面白いと思ったことを、面白いと思ったまま追いかけたいですね。
「これは将来役に立つのか」とか、
「作品になるのか」とか、
あまり考えずに。
面白そうだから行く。
会いたいから会う。
食べたいから食べる。
そういう時間をちゃんと残しておきたいです。
司会:
村雲さんは?
村雲菜月:
私は、好きなものを好きだと思える時間を大切にしたいです。
好きになったものをすぐに、
「これは何の役に立つ?」
に変換しないでいたい。
集めてもいい。
飽きてもいい。
手放してもいい。
でも、そのとき好きだったことを恥ずかしがらない人生がいいです。
司会:
凪良さん。
凪良ゆう:
私は……
自分の人生を、他人の正解に合わせすぎないことかな。
もちろん人と生きる以上、誰かを考える必要はあります。
でも最後に、
「私は私の人生をちゃんと生きた」
と思いたい。
そして、できれば自分が書いたものによって、
誰かが、
「私も私の人生でいいのかもしれない」
と思える瞬間があったら嬉しいですね。
司会:
加藤さん。
加藤シゲアキ:
僕は、作ることには使いたいです。
小説もそうだし、音楽もそうだし、ステージもそう。
でも今日の話を聞いていて、
作ることだけに全部使わなくてもいいな、とも思いました。
司会:
どういうことですか。
加藤シゲアキ:
何にもならない時間。
友達とご飯を食べるとか。
旅をするとか。
ぼーっとするとか。
そういう時間が、
結局あとから作品に入ってくることもある。
でも、入ってこなくてもいい。
司会:
作品にならなくても。
加藤シゲアキ:
はい。
作品にならなかった時間にも、価値がある。
司会:
宇佐見さん。
宇佐見は少し考える。
宇佐見りん:
私は、できるだけちゃんと見ることに使いたいです。
人でも。
ものでも。
自分の感情でも。
すぐに、
「これはこういうものだ」
と決めないで。
その人にとっては、どういう世界なんだろう。
その人は、何を支えに今日まで来たんだろう。
そういうことを見続けたい。
それが小説になることもあるでしょうし、ならないこともある。
でも、見ていたいです。
司会:
最後ですね。
朝井さん。
朝井リョウ:
僕ですか。
司会:
この小説で、人が動く原動力について書きました。
では、
今、朝井リョウを動かしているものは何ですか?
朝井はすぐには答えない。
朝井リョウ:
難しいですね。
こういう質問に、きれいな答えを言うと、
その瞬間にまた一つの物語を作っている気がして(笑)。
司会:
今日はそれも承知で聞きます。
朝井リョウ:
(笑)
……僕はたぶん、
まだ分からない人間の部分を見たいんだと思います。
司会:
分からない人間の部分。
朝井リョウ:
はい。
人って、
「こういう人です」
と説明された瞬間には、もう少し違うものになっている気がするんです。
推し活している人。
依存している人。
成功している人。
孤独な人。
幸せな人。
全部ラベルですよね。
でも、そのラベルの内側には、
本人にも説明できないものがある。
司会:
矛盾も。
朝井リョウ:
矛盾だらけですよ。
一人でいたいのに、誰かに会いたい。
自由になりたいのに、所属したい。
騙されたくないのに、何かを信じたい。
傷つきたくないのに、夢中になりたい。
お金を使いたくないのに、推しには使いたい。
休みたいのに、自分を使い切りたい。
宇佐見りん:
人間ですね。
朝井リョウ:
そうなんですよ。
だから僕は、その矛盾がなくならないところを書いていたいのかもしれません。
司会:
答えを出すためではなく。
朝井リョウ:
むしろ、
簡単な答えが出そうになったときに、
「本当に?」
ともう一度聞くために。
しばらく沈黙が続く。
司会:
今日、最初に話したことを思い出しています。
私たちは、
「推す」という行為について考え始めました。
そして、
「好き」は誰かに作られているのか、と考えた。
物語は人を救うのか、操るのか。
視野は広いほどいいのか。
夢中になることと依存することは、どう違うのか。
何かを失ったら、それまでの時間は無駄になるのか。
ずっと、
「正しい生き方はどれだろう」
と探していた気がします。
でも、もしかすると最初から、
正しい答えなんてなかったのかもしれない。
宮島さんが言ったように、
散歩してもいい。
村雲さんが言ったように、
何かを集めてもいい。
凪良さんが言ったように、
他人の正解から離れてもいい。
加藤さんが言ったように、
何の作品にもならない時間を過ごしてもいい。
宇佐見さんが言ったように、
誰かを推すことで今日を越えてもいい。
そして朝井さんが言ったように、
矛盾したままでもいい。
朝井リョウ:
そうかもしれませんね。
司会:
でも一つだけ。
今日の話を聞いたあとなら、
私は自分に聞いてみたいと思います。
「この選択は正しいですか?」
ではなくて。
「私は、この時間をここに使いたいですか?」
宇佐見が小さくうなずく。
司会:
推しでもいい。
仕事でもいい。
家族でもいい。
本でもいい。
友達でもいい。
庭でもいい。
何もしない午後でもいい。
永遠に続かなくてもいい。
途中で変わってもいい。
あとになって、
「あれは何の役にも立たなかったな」
と思う日が来るかもしれない。
それでも、
「あの時間があってよかった」
と思えるなら。
もしかすると、それは十分に、
自分の人生を生きた時間なのかもしれません。
誰もすぐには言葉を足さなかった。
今度は、その沈黙を埋める必要がないように感じられた。
最後に

「推す」という小さな入口から始まった対話は、いつの間にか人生そのものの話になりました。
物語に動かされることは、必ずしも弱さではありません。視野を狭めることも、必ずしも無知ではありません。世界の広さを知ったうえで、「今はここを見る」と決めることもできます。
そして、夢中になったものが永遠に続かなくても、その時間が無意味になるわけではありません。
ライブは終わります。仕事も終わります。人間関係も形を変えます。推しがいなくなる日も来るかもしれません。
それでも、その時間に笑ったこと、誰かと出会ったこと、明日を楽しみにしたことは消えません。
人生の使い方に、全員共通の正解はないのでしょう。
だから最後に残る問いは、「これは正しい生き方ですか?」ではなく、もっと個人的なものなのかもしれません。
「私は、この時間をここに使いたいですか?」
そしていつか振り返ったとき、
「あの時間は何の役にも立たなかった。でも、あの時間があってよかった」
そう言える時間もまた、十分に生きた時間なのかもしれません。
登場人物
朝井リョウ
1989年生まれの小説家。『桐島、部活やめるってよ』でデビューし、『何者』で直木賞を受賞。『イン・ザ・メガチャーチ』では、推し活やファンダムを入口に、人間を行動へ向かわせる原動力や、物語と集団の関係を描く。本対話では司会ではなく、自らの作品について他の小説家や読者から問いを受ける。
宇佐見りん
1999年生まれの小説家。『推し、燃ゆ』で芥川賞を受賞。「推すこと」が一人の人間の生活や生存を支えるほど大きな意味を持つ世界を描いた。本対話では、『イン・ザ・メガチャーチ』とは異なる角度から、「推す」という行為の内側を見つめる。
凪良ゆう
小説家。『流浪の月』『汝、星のごとく』などで知られる。社会が考える「普通」や「正しい幸福」と、一人ひとりが実際に感じる幸福とのずれを描いてきた。本対話では、誰が人生の価値を決めるのかを問い直す。
加藤シゲアキ
小説家、アーティスト。『ピンクとグレー』『オルタネート』などを執筆する一方、大きなファンダムから「推される側」も長く経験している。本対話では、物語を作る側と、ファンの時間や感情を受け取る側という二つの視点から参加する。
宮島未奈
小説家。『成瀬は天下を取りにいく』などで知られる。周囲の評価や「普通」に必要以上に縛られず、自分自身の物差しで生きる人物を描いてきた。本対話では、「すべてを理解してから選ばなくてもいい」という軽やかな視点を持ち込む。
村雲菜月
小説家。『コレクターズ・ハイ』などを通して、何かを集め、愛し、そこへ時間や感情を注ぐ人間の姿を描く。本対話では、「好き」が情熱へ変わり、ときに義務へ変化していく境界を見つめる。
司会(読者)
専門家でも評論家でもない、『イン・ザ・メガチャーチ』を読んだ一人の読者。「それって本当にそうなんですか?」という素朴な疑問を小説家たちに投げかけ、最後には作品論を離れて「あなた自身は、残りの人生を何に使いたいですか」と問いかける。
Disclaimer
本記事は、朝井リョウ著『イン・ザ・メガチャーチ』から着想を得て制作した架空の対話です。登場する作家・人物の発言は、実際の対談や発言を再現したものではありません。作品、著作活動、公に知られているテーマなどを参考に構成した創作です。

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