はじめに
『VIVANT』架空対話:父と息子が40年間言えなかったこと
もし、あの夜、乃木憂助が父親に銃を向ける前に、たった一つだけ質問できたとしたら。
「父さん、僕を愛していましたか?」
その問いに、ノゴーン・ベキは何と答えただろうか。
2023年、TBSで放送されたドラマ『VIVANT』は、国際的な陰謀、秘密組織「別班」、謎に包まれた「テント」、そして予測できない展開で多くの視聴者を魅了した。
しかし、物語の中心にあったのは、国家間の対立だけではなかった。
幼い頃に両親と引き離された息子。そして、家族を失った悲しみを40年近く抱え続けた父親。
二人は再会する。
けれども、再会したからといって、失われた年月が戻ってくるわけではない。
父を求め続けた息子には、聞きたいことがある。
息子を失った父には、言えなかったことがある。
そして、その父のそばで長年生きてきた、もう一人の息子にも、誰にも打ち明けられなかった思いがある。
もし、この三人が初めて家族として向き合えたら、何が起こるのだろう。
もし、乃木が自分の正義に疑問を抱き、ベキが自分の人生を振り返ることができたら。
そして、復讐を果たすことだけが、失った家族への愛を証明する方法ではないとしたら。
本記事では、2023年版『VIVANT』の登場人物たちによる、三つの架空対話をお届けする。
第1話では、乃木、ベキ、ノコル、そして乃木のもう一つの人格であるFが、親子の愛と失われた時間について語り合う。
第2話では、ベキ、乃木、野崎、ノコルが、孤児たちを救うために行われた暴力と、正義の意味を問い直す。
第3話では、復讐を目前にしたベキと乃木が、薫の言葉にも耳を傾けながら、過去と未来の間で揺れ動く。
彼らは、簡単に互いを許すことはできない。
それでも、相手の痛みを知ることから、何かが変わり始めるかもしれない。
もしあなたが乃木だったら、父親に何を聞きたいだろうか。
そして、もしあなたがベキだったら、息子に何を残したいだろうか。
編集注:本記事は、TBSドラマ『VIVANT』(2023)の人物と設定に着想を得た非公式の創作です。会話、心理描写、追加場面は筆者によるフィクションであり、原作の台詞や公式な続編を再現するものではありません。第1シーズンの重大なネタバレを含みます。
Topic 1:父さん、僕を愛していましたか?

『VIVANT』架空対話:40年間、聞けなかった質問
バルカ共和国。夜。
風が窓枠を鳴らしている。テント本部の一室に、三つの茶碗が並んでいた。
ベキは古い写真を見つめている。若い頃の自分と、妻の明美。そして、幼い息子。
乃木憂助は向かいの椅子に座っていた。
40年。
これほど長い年月を待ち続けてきたのに、父親を目の前にすると、何を話せばよいのかわからない。
F: 聞くなよ。
乃木の内側で、声がした。
F: 今ならまだ引き返せる。あの男がお前を愛していたかどうかなんて、知らないほうがいい。
乃木: ……父さん。
ベキが写真から顔を上げる。
ベキ: 何だ。
乃木: ひとつ、聞いてもいいですか。
ベキ: ああ。
乃木: 僕が生きていると……信じていましたか。
ベキの指が写真の端で止まった。
ベキ: 信じたかった。
乃木: 信じていた、ではないんですね。
ベキ: 憂助。
乃木: すみません。責めているわけではありません。ただ……知りたいんです。
F: 嘘をつけ。責めてるだろうが。責めていいんだよ。
乃木: 僕はずっと、父さんと母さんは死んだと思っていました。でも、時々考えたんです。もし生きていたら、どうして迎えに来ないんだろうって。
ベキ: 探した。
乃木: はい。
ベキ: お前を探した。何年もだ。
乃木: ……そうですか。
ベキ: だが、見つけられなかった。
乃木: 僕も、父さんを見つけられませんでした。
ベキがゆっくりと写真を伏せる。
ベキ: お前は子どもだった。探すのは父親の仕事だ。
乃木は顔を上げた。
乃木: 父さん。
ベキ: 私は、その仕事を果たせなかった。
部屋の奥で、時計が小さく音を立てた。
乃木: 僕は、父さんが僕を捨てたのではないかと考えたことがあります。
ベキ: ……そうか。
乃木: そんなはずはないと思おうとしても、考えてしまうんです。僕に何か悪いところがあったのかもしれない。もっといい子だったら、迎えに来てくれたのかもしれない、と。
ベキ: お前は何も悪くない。
乃木: それを、子どもの頃に聞きたかったです。
ベキは口を開きかけ、閉じた。
F: よく言った。そこで黙るな。あの男に答えさせろ。
ベキ: ……すまなかった。
乃木: 父さんが謝ると、僕はどうしていいかわからなくなります。
ベキ: なぜだ。
乃木: 許したいからです。でも、許したら、あの頃の僕がかわいそうな気がするんです。
ベキの目がわずかに揺れた。
乃木: 迎えを待っていたあの子に、「もういいよ」と言ってしまうようで。
ベキ: ならば、許さなくていい。
乃木: ……え?
ベキ: お前が待っていた年月は、私の謝罪ひとつで消えるものではない。
乃木: 父さんは、それでいいんですか。
ベキ: よくはない。だが、私が楽になるために、お前に許しを求めることはできん。
乃木は茶碗を見つめた。
F: ……うまいことを言う。
乃木: F。
F: だが、言葉は言葉だ。忘れるな。
そのとき、扉が開いた。
ノコル: まだ起きていたのか。
ノコルはベキを見て、それから乃木を見る。
ノコル: 明日のことなら、朝にしてくれ。父さんは休まなければならない。
ベキ: ノコル。入れ。
ノコル: ……何の話だ。
乃木: 昔の話をしていました。
ノコル: そうか。
ノコルは椅子を引かなかった。
ベキ: 座れ。
ノコル: 俺には関係ない話だろう。
ベキ: 関係がある。
ノコル: ……そうかな。
乃木はノコルの表情を見た。
乃木: 僕が来てから、あなたには迷惑をかけています。
ノコル: 迷惑?
乃木: 父さんとの時間を、僕が奪っているのかもしれません。
ノコル: 奪う?
ノコルが短く笑った。
ノコル: お前は面白いことを言うな。奪っているのは俺のほうだと思っていた。
乃木: どういう意味ですか。
ノコル: 俺はずっと父さんのそばにいた。お前がいない間、父さんと飯を食い、仕事をし、怒られ、褒められた。父さんが年を取っていくのも見てきた。
ノコルは少し間を置いた。
ノコル: その時間は、全部お前のものだったのかもしれない。
乃木: ……そんなことはありません。
ノコル: 俺がいなければ、お前がここに座っていたのかもしれない。そう考えたことはないのか。
乃木: あります。
ノコルが顔を上げた。
乃木: 何度も。
ノコル: ……そうか。
乃木: 僕はあなたが羨ましいです。
ノコル: 俺が?
乃木: 父さんと過ごした時間がある。父さんがどんなときに笑うのか、何を嫌うのか、疲れたときにどんな顔をするのか。あなたは知っている。
ノコル: お前には血がある。
乃木: 血だけでは、父さんがどんな人なのかわかりません。
ノコル: ……俺には、その血がない。
二人の間に沈黙が落ちた。
ベキ: ノコル。
ノコル: 父さん、俺はずっと、そんなことは気にしていないつもりだった。
ベキ: ああ。
ノコル: だが、憂助が来てから、わからなくなった。
ノコルはベキをまっすぐ見た。
ノコル: 父さんがあいつを見る目を見たんだ。
ベキ: ……。
ノコル: 俺には一度も見せたことのない顔だった。
乃木: ノコルさん。
ノコル: 怒っているわけじゃない。いや、怒っているのかもしれない。自分でもわからない。
ベキ: お前に与えた愛が、憂助の帰還で減ることはない。
ノコル: 頭ではわかってる。
ベキ: ならば。
ノコル: でも、父さん。俺が欲しかったのは、説明じゃないんだ。
ベキが黙った。
ノコル: 俺は、父さんが俺を選んでくれたことが嬉しかった。血のつながりがなくても、俺は父さんの息子なんだと思っていた。
ベキ: そのとおりだ。
ノコル: だったら、どうしてこんなに怖いんだろうな。
乃木はノコルを見つめた。
乃木: 僕も怖いです。
ノコル: お前が?
乃木: はい。父さんを見つけたのに、また失うかもしれない。そんなことばかり考えています。
ノコル: ……俺たちは似ているのか。
乃木: たぶん。
F: 似てるだと? 油断するな、憂助。
乃木: わかっている。
F: お前は誰も信用するなと言ってるんじゃない。信用するなら、何を賭けているか知っておけ。
乃木: ……ああ。
ベキが二人の息子を交互に見た。
ベキ: 私は、お前たちに同じものを与えることはできない。
ノコル: ……どういうことだ。
ベキ: ノコル。お前には、共に生きた年月がある。憂助には、共に生きられなかった年月がある。どちらも消すことはできん。
乃木: はい。
ベキ: 私は二人の父親だ。だが、二人に対して、違う負い目がある。
ノコル: 負い目だけなのか。
ベキがノコルを見た。
ノコル: 父さん。俺たちを見るとき、後悔しか感じないのか。
ベキ: ……違う。
ノコル: じゃあ、何だ。
ベキはすぐには答えなかった。
ベキ: お前が初めて私を父と呼んだ日のことを覚えている。
ノコルの表情が変わる。
ベキ: あの日、私はまだ、自分が誰かの父親でいてよいのかわからなかった。
ノコル: ……覚えているのか。
ベキ: 忘れたことはない。
ベキは乃木に向き直った。
ベキ: 憂助。お前が幼い頃、明美はよく、お前が眠るまでそばに座っていた。
乃木: 母さんが?
ベキ: ああ。お前は私が帰ってくるまで眠らないと言って、いつも明美を困らせた。
乃木: ……僕が?
ベキ: ある晩、私は遅く帰った。お前はもう眠っていた。だが、私が布団のそばに座ると、目を開けて、こう言った。
ベキは少しだけ笑った。
ベキ: 「父さん、おかえり。」
乃木は動かなかった。
ベキ: そして、すぐにまた眠った。
乃木: ……覚えていません。
ベキ: そうだろうな。
乃木: 僕には、そんな記憶がほとんどないんです。
乃木の声がかすれた。
乃木: 父さんと母さんがいて、僕が普通の子どもだった頃のことを、ほとんど覚えていない。
ベキ: ああ。
乃木: だから、時々思うんです。僕にも、本当にそんな時間があったのかなって。
ベキ: あった。
乃木: ……はい。
ベキ: お前は愛されていた。明美にも、私にも。
乃木は目を閉じた。
F: 憂助。
乃木: 何だ。
F: 信じたいなら、信じろ。
乃木: ……お前がそんなことを言うとは思わなかった。
F: 俺はお前を守りたいだけだ。お前が一生、誰にも愛されなかったと思い込んで生きることが、お前を守ることになるとは思わない。
乃木は小さく息を吐いた。
乃木: 父さん。
ベキ: 何だ。
乃木: 僕は、まだ父さんのことを全部信じられるわけではありません。
ベキ: それでいい。
乃木: 許せないこともあります。
ベキ: ああ。
乃木: でも……もう一度、父さんと話したいです。明日も、その次の日も。
ベキは息子を見つめた。
乃木: 失った40年間は取り戻せません。でも、これからの時間まで失いたくありません。
ノコルが静かに椅子を引いた。
ノコル: それなら、俺も話に入れてくれ。
乃木: もちろんです。
ノコル: 俺は、お前をすぐに兄だと思えるかどうかわからない。
乃木: 僕もです。
ノコル: だが、父さんのことなら、お前よりずっと詳しい。
乃木: それは、ぜひ教えてほしいです。
ノコル: まず、父さんは朝が早い。誰よりも早く起きる。しかも、俺たちにも同じことを要求する。
ベキ: ノコル。
ノコル: 本当のことだろう。
乃木が小さく笑った。
乃木: 僕も朝は早いです。
ノコル: それは困ったな。二人で俺を起こすつもりか。
ベキの口元がわずかに緩んだ。
三人の間に、初めて穏やかな沈黙が生まれた。
しばらくして、乃木が冷めたお茶を口にした。
ベキ: 冷たいだろう。淹れ直そう。
乃木: いえ、大丈夫です。
ベキ: 遠慮するな。
ベキが立ち上がろうとすると、ノコルが先に茶碗を取った。
ノコル: 俺がやる。父さんは座っていてくれ。
ノコルは三つの茶碗を持って部屋を出た。
乃木とベキが二人きりになる。
ベキ: 憂助。
乃木: はい。
ベキ: さっきの質問だが。
乃木: ……はい。
ベキ: お前が生きていると信じていたか、と聞いたな。
乃木: はい。
ベキは伏せていた写真を、もう一度表に向けた。
ベキ: 信じられなくなった夜もあった。
乃木は黙って聞いていた。
ベキ: だが、明美とお前のことを思わなかった日は、一日もなかった。
乃木: ……。
ベキ: それだけは、信じてくれ。
乃木は写真を見つめた。
幼い自分が、母と父の間で笑っている。
乃木: 父さん。
ベキ: 何だ。
乃木: 僕は、あの頃の自分に伝えてあげたいです。
ベキ: 何をだ。
乃木: お前は捨てられたんじゃない。愛されていたんだよって。
ベキは何も言わなかった。
ただ、写真の上に置いていた手を、ゆっくりと乃木のほうへ伸ばした。
乃木はその手を見つめた。
そして、そっと握った。
扉の向こうから、ノコルの声が聞こえた。
ノコル: おい、茶葉はどこにしまった? いつもの缶がないぞ。
ベキは手を離さずに答えた。
ベキ: 右の棚だ。上から二段目。
ノコル: そこは見た!
ベキ: ならば、左だ。
乃木が思わず笑った。
ベキも笑った。
窓の外では、まだ冷たい風が吹いていた。
40年間の孤独が、この一夜で消えたわけではない。明日になれば、互いに向き合わなければならない現実が待っている。
それでも今夜、三人の茶碗には新しいお茶が注がれる。
誰も席を立とうとはしなかった。
Topic 2:100人を救うために、1人を殺してもいいのか?

『VIVANT』架空対話:正義の裏側にある、もう一つの涙
バルカ共和国。テントが支援する孤児院。夜。
中庭には、小さな靴が一足、置き忘れられていた。
昼間、子どもたちが走り回っていた場所だ。今は静かで、遠くの部屋から寝息が聞こえるだけだった。
野崎守は、その靴を拾い上げた。片方の紐が切れている。
野崎: これ、誰のだ。
ノコル: アルタンという男の子のものです。七歳になります。
野崎: 七歳か。
ノコル: 去年ここへ来ました。両親を亡くして、親戚にも引き取ってもらえなかった。
野崎: ……そうか。
野崎は靴を手の中でひっくり返した。
野崎: ずいぶん走り回ったみたいだな。
ノコル: 毎日です。先生に怒られるほど。
野崎: いいことだ。
ノコルが少し意外そうな顔をした。
野崎: 子どもは走るものだ。靴なんて、すぐ駄目になるくらいでいい。
野崎は靴をベンチに置いた。
野崎: だが、この子がここへ来るまでに、何があったかを考えると、笑ってばかりもいられん。
少し離れた場所にベキが立っていた。
ベキ: あの子は、ここに来たとき、一言も話さなかった。
野崎: そうですか。
ベキ: 三か月ほどして、初めて笑った。ノコルが転んだときだった。
ノコル: 父さん、その話はもういい。
ベキ: お前は水桶を持っていてな。
ノコル: あれは地面がぬかるんでいたんだ。
乃木憂助が小さく笑った。
乃木: その子は、今は幸せそうですね。
ベキ: ああ。
ベキは眠っている子どもたちの部屋を見た。
ベキ: ここにいる子どもたちには、二度と飢えも恐怖も味わわせたくない。
野崎: その気持ちは、わかります。
野崎の声は穏やかだった。
野崎: だが、ベキさん。ひとつ聞かせてください。
ベキ: 何だ。
野崎: この子たちを救うために、何人の人間が死んだんですか。
中庭の空気が変わった。
ノコル: 野崎さん。
野崎: あなたがたの仕事の話です。今夜は、そのことを聞きたい。
ノコル: ここで話す必要はないでしょう。
野崎: ここだからこそ、聞きたいんです。
ベキは野崎を見つめた。
ベキ: 子どもたちが眠っている。声を荒らすな。
野崎: 荒らしませんよ。あなたが答えてくれるなら。
ベキは中庭の椅子に腰を下ろした。
ベキ: 座れ。
四人は古い木製のテーブルを囲んだ。
ベキ: お前は、私を裁きに来たのか。
野崎: それは俺一人が決めることじゃありません。
ベキ: ならば何を聞きたい。
野崎: あなたが、自分のしてきたことをどう考えているのか。それが知りたい。
ベキ: 後悔しているか、と。
野崎: それもあります。
ベキは少し考えた。
ベキ: 私が救わなければ、ここにいる子どもたちの多くは死んでいた。
野崎: そうかもしれません。
ベキ: それでも、私がしたことは間違いだと言うのか。
野崎: 子どもたちを救ったことは間違いじゃありません。
ベキ: では。
野崎: 問題は、そのために何をしたかです。
ノコルが身を乗り出した。
ノコル: あなたは、ここに来るまでの現実を知らない。誰も助けてくれなかったんです。政府も、国際機関も、誰も。
野崎: そういう場所があることは知っています。
ノコル: 知っているだけでしょう。
野崎: そうかもしれん。
ノコルは言葉に詰まった。
野崎: 俺は、あなたがたと同じ年月をここで過ごしたわけじゃない。そこは認めます。
ノコル: だったら。
野崎: だが、知らなかったからといって、聞く資格までなくなるわけじゃない。
野崎はベキに向き直った。
野崎: あなたは、救った子どもたちの名前を覚えていますか。
ベキ: もちろんだ。
野崎: 誕生日も?
ベキ: できる限り覚えている。
野崎: では、あなたがたの仕事で死んだ人間の名前は?
ベキは黙った。
野崎: 覚えていますか。
ベキ: ……すべてではない。
野崎: そうでしょうね。
ノコル: 野崎さん、我々は無差別に人を殺してきたわけではありません。
野崎: その説明は聞いています。だが、標的だった人間にも名前があり、家族がいたはずです。
ベキ: 我々には、選択肢がなかった。
野崎: 本当に?
ベキ: お前ならどうした。目の前で子どもが飢えている。明日まで生きられない子もいる。資金はない。助けを求めても、誰も来ない。
野崎: 俺にも、すぐに答えは出せません。
ベキ: ならば、簡単に批判するな。
野崎: 簡単には批判していません。
野崎は少し声を落とした。
野崎: 俺は、あなたが本当に子どもたちを愛していると思っています。だからこそ、聞いているんです。
ベキ: ……何をだ。
野崎: あなたが救った子どもたちの命と、あなたが奪った人間の命。どちらが重いんですか。
ベキの目が鋭くなった。
ベキ: 同じだ。
野崎: だったら、なぜ片方を犠牲にできたんです。
長い沈黙が落ちた。
乃木: 野崎さん。
野崎: 何だ、乃木。
乃木: 僕にも、同じ質問をしてください。
野崎が乃木を見た。
野崎: ……どういうことだ。
乃木: 僕も、人を殺してきました。
ノコル: 憂助。
乃木: 日本を守るためです。そう信じて行動してきました。
ベキ: お前は別班だ。
乃木: はい。
ベキ: 国を守るためなら許されるのか。
乃木: 許されると、簡単には言えません。
ベキ: だが、お前はやった。
乃木: やりました。
ベキ: 私と何が違う。
乃木はすぐには答えなかった。
野崎: そこは分けて考える必要があります。
ベキ: どう分ける。
野崎: 国家の行為であっても、何でも許されるわけじゃない。必要性、法的な根拠、被害を最小限に抑える責任。問われることはいくつもあります。
ベキ: それを、誰が判断する。
野崎: 本来なら、権限を持つ機関と、独立した監督が判断すべきです。
ベキ: 秘密組織に、どれほどの監督がある。
野崎は口を閉じた。
ベキ: 答えられんか。
野崎: 簡単には答えられませんね。
乃木が静かに口を開いた。
乃木: 父さん。僕は、自分が正しい人間だと言い切れません。
ベキ: ……憂助。
乃木: 任務を終えた夜、顔を思い出すことがあります。自分が殺した相手の顔です。
ノコル: それは任務だったんだろう。
乃木: はい。でも、その人にも、帰る家があったかもしれない。
乃木はテーブルの木目を見つめた。
乃木: 僕が日本に帰って眠るように、その人も誰かの隣で眠るはずだったのかもしれません。
ベキ: それを考え続けていたら、任務など遂行できん。
乃木: そうですね。
ベキ: 迷いは、人を殺す。
乃木: でも、迷わなくなった人間も、僕は怖いです。
ベキは息子を見つめた。
乃木: 父さんは、子どもたちを守るために戦ってきました。僕は日本を守るために戦ってきました。
ベキ: ああ。
乃木: でも、僕たちが守っているものは、本当に違うのでしょうか。
ベキ: 何が言いたい。
乃木: どちらも、誰かが安心して眠れる場所を守りたかったのではないでしょうか。
野崎が小さくうなずいた。
野崎: それはそうかもしれん。
乃木: だったら、なぜそのために、別の誰かが安心して眠れなくなるのでしょう。
誰も答えなかった。
遠くの部屋で、子どもが寝返りを打つ音がした。
ノコル: ……きれいな答えがあるなら、教えてくれ。
ノコルの声には疲れがあった。
ノコル: 俺たちは何年も、この子たちを食べさせてきた。薬を買い、先生を雇い、建物を直してきた。
野崎: わかっています。
ノコル: もし明日から仕事をやめたら、どうなる。
野崎: 別の方法を探すしかない。
ノコル: その方法が見つかるまでに、子どもが死んだら?
野崎: ……その責任も考えなければならない。
ノコル: だったら、今の方法を否定するな。
野崎: 否定しなければ、いつまでも変わらんでしょう。
ノコルは立ち上がった。
ノコル: あなたは外から来て、正しいことを言って帰っていく。俺たちは明日もここにいるんです。
野崎: そうだな。
ノコル: ……それだけか。
野崎: いや。
野崎も立ち上がった。
野崎: もし本気で別の道を探すなら、俺も協力します。
ノコルは目を細めた。
ノコル: 公安の人間が、テントに協力すると?
野崎: 犯罪を見逃すとは言っていない。
ノコル: じゃあ、何をする。
野崎: 子どもたちが犯罪に頼らず暮らせる方法を探す。そのために必要な人間や組織を紹介する。できることはあるはずです。
ノコル: そんな簡単にいくわけがない。
野崎: 簡単だとは思っていませんよ。
ノコル: ……本気で言っているのか。
野崎: あなたがたが本気なら。
ノコルは父を見た。
ベキ: 座れ、ノコル。
ノコルはゆっくりと椅子に戻った。
ベキ: 野崎。お前は、私がしてきたことを許すつもりはないのだな。
野崎: ありません。
ベキ: それでも、子どもたちは助けると。
野崎: 子どもたちに罪はありませんから。
ベキは目を伏せた。
ベキ: ……そうか。
しばらく誰も話さなかった。
乃木が、ベンチに置かれた小さな靴を見た。
乃木: 父さん。
ベキ: 何だ。
乃木: あの子たちは、いつか大人になりますね。
ベキ: ああ。
乃木: ここを出て、仕事をして、誰かを愛して、家族を持つ子もいるでしょう。
ベキ: そうなってほしい。
乃木: その子たちが、いつか父さんに聞いたら、どう答えますか。
ベキ: 何をだ。
乃木: 「僕たちを助けるために、何をしたんですか」と。
ベキは答えなかった。
乃木: 「僕たちも誰かを助けたい。父さんと同じ方法でいいですか」と聞かれたら。
ノコルが乃木を見た。
乃木: 父さんは、何と答えますか。
長い沈黙。
ベキは子どもたちの眠る部屋を見つめた。
ベキ: ……同じ道は歩ませたくない。
乃木は静かにうなずいた。
乃木: 僕もです。
ベキ: だが、私がその道を歩かなければ、あの子たちは生きていなかったかもしれん。
乃木: そうかもしれません。
ベキ: それを、間違いだったと言えるのか。
乃木: 僕には、父さんの人生を簡単に裁くことはできません。
乃木は少し間を置いた。
乃木: でも、父さんが望む未来が、父さんと同じ道を歩まなくてよい未来なら……僕たちは、そこに向かって進むべきではないでしょうか。
ベキは何も言わなかった。
野崎が立ち上がり、ベンチの小さな靴を手に取った。
野崎: この靴、紐が切れていますね。
ノコル: 明日、新しいものを買うつもりです。
野崎: まだ履ける。紐だけ替えればいい。
野崎は靴紐を外し始めた。
ノコル: 何をしているんですか。
野崎: 昔、こういうのはよく直したんです。
ノコル: 公安の仕事で?
野崎: まさか。もっと昔ですよ。
乃木が少し笑った。
野崎はポケットから細い紐を取り出した。
ノコル: そんなものを持ち歩いているんですか。
野崎: 何かと便利なんですよ。
野崎は紐を通し、靴をベンチに戻した。
野崎: これで、もう少し走れる。
ベキはその靴を見つめていた。
ベキ: 野崎。
野崎: はい。
ベキ: お前は、私を逮捕することになっても、あの子たちを助けるのか。
野崎: もちろんです。
ベキ: ……なぜだ。
野崎: あなたを許すかどうかと、あの子たちを守るかどうかは、別の話ですから。
ベキは静かに息を吐いた。
ベキ: 私は長い間、敵と味方を分けて生きてきた。
野崎: そうでしょうね。
ベキ: お前は敵のはずだ。
野崎: 立場は違います。
ベキ: だが、あの子たちにとっては、敵ではないのだな。
野崎: 子どもたちにとって、敵である必要がありません。
ベキは、眠っている子どもたちの部屋へ歩き出した。
野崎も、少し離れてその後を追った。
扉の隙間から、薄い灯りが漏れている。
小さなベッドに、アルタンが眠っていた。
片方の足が毛布から出ている。
ベキは毛布をかけ直した。
ベキ: この子が初めて笑った日、私は嬉しかった。
野崎: ええ。
ベキ: 自分が生きていてよかったと思った。
野崎: それは、嘘じゃないでしょう。
ベキ: だが、私が奪った命にも、誰かのそういう日があったのだな。
野崎はベキを見た。
野崎: あったと思います。
ベキは眠る子どもを見つめ続けた。
ベキ: ……そうか。
乃木とノコルは、扉の外に立っていた。
ノコル: 憂助。
乃木: はい。
ノコル: お前は、父さんが間違っていたと思うか。
乃木はすぐには答えなかった。
乃木: 父さんが救った命は、本物です。
ノコル: ああ。
乃木: 父さんが奪った命も、本物です。
ノコルは黙った。
乃木: 僕は、どちらか一方だけを見て、父さんを理解したつもりにはなりたくありません。
ノコル: ……そうか。
ノコルは窓の外を見た。
ノコル: 明日、アルタンはまた走り回るだろうな。
乃木: ええ。
ノコル: あいつ、速いんだ。
乃木: 今度、一緒に走ってみたいです。
ノコル: やめておけ。負けるぞ。
乃木が笑った。
ノコルも、ほんの少し笑った。
部屋の中では、ベキと野崎が同じ子どもの寝顔を見つめていた。
二人の正義が一致したわけではない。過去の罪が消えたわけでもない。
それでも今夜、二人は同じ未来を願っていた。
この子が大人になったとき、誰かを救うために、誰かを殺さなくてもよい世界。
その世界を作る方法について、彼らはまだ何も知らなかった。
ただ、初めて同じ問いを抱いていた。
そしてアルタンは、何も知らずに眠っていた。
明日もまた、走るために。
Topic 3:復讐を捨てたら、失った家族を裏切ることになるのか?

『VIVANT』架空対話:父から息子へ、最後に残したいもの
日本。深夜。
雨が降っていた。
古い家の窓を、細い雨粒が絶え間なく叩いている。
テーブルの上には、一枚の写真が置かれていた。
若い頃のベキと明美。そして、まだ何も知らない幼い憂助。
ベキはその写真を見つめていた。
40年近く、彼はこの写真の中に帰ろうとしていた。
だが、写真の中に帰る道など、どこにもなかった。
扉が開いた。
乃木: 父さん。
ベキは振り返らなかった。
ベキ: 来たか。
乃木: はい。
ベキ: お前が来ると思っていた。
乃木: なら、僕が何を言いに来たかもわかりますね。
ベキ: ああ。
乃木は父の向かいに座った。
二人の間には、古い写真があった。
F: 憂助。長居するな。
乃木の内側で、Fの声がした。
F: こいつはもう決めている。40年かけて決めたことを、お前の言葉で変えられると思うな。
乃木: わかっている。
ベキ: 誰と話している。
乃木: ……自分自身です。
ベキ: そうか。
ベキはそれ以上聞かなかった。
乃木: 父さん。復讐をやめてください。
ベキ: 断る。
あまりにも短い返事だった。
乃木: 理由を聞かせてください。
ベキ: お前は知っているはずだ。
乃木: 知っています。でも、父さんの口から聞きたいんです。
ベキは写真を手に取った。
ベキ: 私は、明美を守れなかった。
乃木: はい。
ベキ: お前も守れなかった。
乃木: はい。
ベキ: 家族を守るために生きていた男が、家族を守れなかった。お前に、その意味がわかるか。
乃木: 全部はわかりません。
ベキ: ならば、黙っていろ。
乃木は目を伏せた。
F: ほらな。話にならん。
乃木: でも、父さん。
ベキ: 何だ。
乃木: 僕も、家族を失いました。
ベキの手が止まった。
乃木: 父さんは妻と息子を失った。僕は父と母を失ったんです。
ベキ: ……。
乃木: 同じ出来事で、僕たちは別々の場所に置き去りにされました。
ベキは写真をテーブルに戻した。
乃木: 父さんは復讐を考えながら生きてきた。僕は、どうして誰も迎えに来てくれないのかと考えながら生きてきました。
ベキ: お前は私を責めているのか。
乃木: いいえ。
乃木は少し考えた。
乃木: ……いいえ、というのは嘘ですね。責めたい気持ちはあります。
ベキは息子を見た。
乃木: でも、それ以上に、もう失いたくないんです。
ベキ: 私をか。
乃木: はい。
ベキ: お前は、私がどんな人間か知っているはずだ。
乃木: 知っています。
ベキ: 私が何をしてきたかも。
乃木: はい。
ベキ: それでもか。
乃木: それでもです。
ベキは視線を落とした。
ベキ: ……明美が生きていたら、お前はどう思う。
乃木: 何をですか。
ベキ: 私が復讐をやめたと知ったら、あの人はどう思う。
乃木: わかりません。
ベキ: 私を臆病者だと思うかもしれん。
乃木: そうでしょうか。
ベキ: 私はあの人を守れなかった。せめて、あの人を苦しめた者たちには、その責任を取らせなければならん。
乃木: 責任を取らせることと、復讐することは同じでしょうか。
ベキ: 何が違う。
乃木: 父さんが復讐を果たしても、母さんは戻ってきません。
ベキ: そんなことはわかっている!
ベキの声が部屋に響いた。
乃木は黙った。
雨の音だけが続いた。
ベキ: ……わかっている。
今度は小さな声だった。
ベキ: 何度も考えた。あいつらを殺したところで、明美は帰ってこない。お前と過ごせなかった年月も戻らん。
乃木: はい。
ベキ: それでも、何もしなければ、あの人の苦しみがなかったことにされてしまう。
乃木: なかったことにはなりません。
ベキ: お前に何がわかる。
乃木: 父さんが話してくれれば、僕が覚えています。
ベキは顔を上げた。
乃木: 母さんがどんな人だったのか。何を好きで、何を嫌って、どんなふうに笑ったのか。僕はほとんど知りません。
ベキ: ……。
乃木: 父さんは知っていますよね。
ベキ: ああ。
乃木: だったら、教えてください。
ベキは息子を見つめた。
乃木: 母さんが苦しんだことだけじゃなくて、幸せだった頃のことも。
ベキは写真に目を落とした。
ベキ: ……明美は、よく笑う女だった。
乃木: はい。
ベキ: 私がくだらないことを言うと、呆れた顔をして、それから笑った。
乃木: 父さんも、くだらないことを言ったんですか。
ベキ: 私にも若い頃があった。
乃木が少し笑った。
ベキ: あの人は、朝が好きだった。早く起きて、窓を開ける。冬でもだ。
乃木: 寒くなかったんでしょうか。
ベキ: 私はいつも寒かった。
乃木が笑った。
ベキの口元にも、かすかな笑みが浮かんだ。
ベキ: お前が生まれてからは、朝になると三人で食事をした。お前は食べるのが遅くてな。
乃木: そうだったんですか。
ベキ: 明美は、お前が一口食べるたびに褒めていた。
乃木: ……覚えていません。
ベキ: そうだろう。
乃木: でも、もっと聞きたいです。
ベキはしばらく息子を見つめた。
ベキ: お前は、私に明美のことを話し続けろと言うのか。
乃木: はい。
ベキ: 何年もかかるぞ。
乃木: それなら、何年でも聞きます。
ベキは何も言わなかった。
そのとき、廊下から足音がした。
柚木薫が部屋の入口に立っていた。
薫: 入ってもいいですか。
乃木: 薫さん。
ベキ: 医者が何の用だ。
薫: 乃木さんに頼まれたわけじゃありません。私が来たかったんです。
ベキ: 私を説得しに来たのか。
薫: いいえ。あなたが何を失ったのか、聞きに来ました。
ベキ: それを聞いてどうする。
薫: 私は医者です。傷を見ずに治療はできません。
ベキ: 私の傷は治らん。
薫: そうかもしれません。
薫は椅子を引いた。
薫: でも、治らない傷があることと、その傷のために誰かを傷つけ続けることは、別の話です。
ベキは薫を見た。
ベキ: お前は、人を失ったことがあるか。
薫: あります。
ベキ: ならば、忘れられると思うか。
薫: 思いません。
ベキ: だったら。
薫: 忘れなくていいんです。
ベキは口を閉じた。
薫: 大切な人を失った悲しみを、無理に消す必要はありません。でも、悲しみがあるからといって、その人が望んでいないかもしれないことまで、代わりに決める必要はないと思います。
ベキ: 明美が何を望んでいたか、お前にわかるのか。
薫: わかりません。
ベキ: ならば、なぜそんなことが言える。
薫: あなたにも、わからないからです。
ベキの表情が変わった。
薫: 明美さんが今ここにいたら、復讐を望むかもしれません。望まないかもしれません。私には決められません。
ベキ: ……。
薫: でも、その答えを知らないまま、亡くなった人の名前で誰かを殺してしまったら、もう取り返せないんです。
ベキは写真を伏せた。
ベキ: ……お前たちは、私に忘れろと言う。
乃木: 違います、父さん。
ベキ: 私が生きてきた40年を、無意味だったと言う。
乃木: 違います。
ベキ: では、何だ!
乃木は立ち上がった。
乃木: 父さんの40年間が、復讐だけだったとは思いたくないんです!
ベキが息子を見た。
乃木: 父さんは、たくさんの子どもたちを救いました。ノコルさんを育てました。食べるものがなかった子どもに食事を与え、家族を失った子どもに居場所を作りました。
ベキ: そのために、私は人を殺してきた。
乃木: はい。
乃木は父から目をそらさなかった。
乃木: その責任は消えません。でも、父さんの人生が、それだけだったわけでもありません。
ベキ: ……。
乃木: 父さんは、母さんを失った後も、誰かの父親であり続けたんです。
ベキの目が揺れた。
乃木: ノコルさんにとっても、あの孤児院の子どもたちにとっても。
乃木は少し声を落とした。
乃木: そして、僕にとっても。
ベキは椅子の背にもたれた。
ベキ: 憂助。お前は私に、何をしてほしい。
乃木: 生きてほしいんです。
ベキ: 生きて、どうする。
乃木: 責任を取ってください。
ベキが顔を上げた。
乃木: 父さんがしてきたことから逃げないでください。傷つけた人たちのことも、救った子どもたちのことも、全部引き受けてください。
ベキ: 私に残された人生が、牢獄の中で終わるとしてもか。
乃木: ……はい。
乃木の声が震えた。
乃木: それでも、生きていてほしいです。
F: 憂助。
乃木の内側で、Fが静かに呼びかけた。
F: お前は何を言っているかわかっているのか。
乃木: わかっている。
F: あの男が生きていれば、また誰かが死ぬかもしれない。
乃木: だから、止める。
F: 止められなかったら?
乃木は答えなかった。
F: 憂助。お前は、また家族を失うのが怖いんだろう。
乃木: ……ああ。
F: だったら、覚悟しておけ。愛しているからといって、守れるとは限らない。
乃木: わかっている。
F: 俺は、お前を守る。必要なら、あの男からも。
乃木: ありがとう。
Fが黙った。
乃木: でも、F。僕はもう、愛することまで諦めたくない。
ベキは、乃木が何かと戦っているような表情を見ていた。
ベキ: 憂助。
乃木: はい。
ベキ: お前は、私が生きていてもいいと思うのか。
乃木は父を見つめた。
乃木: 生きていてほしいと思っています。
ベキ: 私がしたことを知っていても。
乃木: はい。
ベキ: 私を許せるのか。
乃木はゆっくりと首を振った。
乃木: まだ、わかりません。
ベキは目を閉じた。
乃木: でも、父さん。許せるかどうかと、愛しているかどうかは、同じではないと思うんです。
長い沈黙が落ちた。
乃木: 僕は、父さんを愛しています。
ベキの指が、写真の端を強く握った。
乃木: 父さんが正しいからではありません。父さんが間違っていないからでもありません。
乃木は涙をこらえた。
乃木: 父さんが、僕の父さんだからです。
ベキは顔を伏せた。
肩がわずかに震えていた。
乃木は初めて、父が泣いているのを見た。
ベキ: ……私は。
声が途切れた。
ベキ: 私は、お前に何もしてやれなかった。
乃木: そんなことはありません。
ベキ: お前が泣いていた夜、そばにいてやれなかった。お前が病気になったときも、学校へ行ったときも、誰かに傷つけられたときも。
乃木: 父さん。
ベキ: 私は、父親として何もしてやれなかった。
乃木は父の隣に座った。
乃木: だったら、今からしてください。
ベキが顔を上げた。
乃木: 僕はもう子どもではありません。でも、父さんに聞きたいことが、まだたくさんあるんです。
ベキ: ……何をだ。
乃木: 母さんのこと。父さんが若かった頃のこと。僕が生まれた日のこと。
乃木は少し笑った。
乃木: それから、父さんが好きな食べ物とか。
ベキは涙の残る目で息子を見た。
ベキ: そんなことを聞いて、どうする。
乃木: 父さんのことを知りたいんです。
ベキは答えなかった。
乃木: 僕は父さんを探していたんじゃなくて、父さんと過ごす時間を探していたのかもしれません。
薫は静かに席を立った。
薫: 私、少し外にいますね。
乃木がうなずいた。
薫は廊下へ出た。
雨はいつの間にか弱くなっていた。
部屋に残された父と息子は、しばらく黙っていた。
ベキ: 憂助。
乃木: はい。
ベキ: 私が復讐をやめたとして……その後、何のために生きればいい。
乃木は少し考えた。
乃木: 父さんは、何のために生きたいですか。
ベキ: わからん。
乃木: それなら、一緒に考えましょう。
ベキ: ……一緒に?
乃木: はい。
ベキ: 私とお前がか。
乃木: ノコルさんもいます。父さんを待っている子どもたちもいます。
乃木は少し間を置いた。
乃木: それに、父さんが傷つけた人たちへの責任もあります。
ベキ: ああ。
乃木: 簡単な人生にはならないと思います。
ベキ: そうだな。
乃木: でも、父さん。僕は、簡単な人生を一緒に送りたいと言っているんじゃありません。
ベキが息子を見た。
乃木: 残された人生を、一緒に生きたいんです。
ベキは目を閉じた。
長い沈黙の後、写真を手に取った。
ベキ: 明美はな……。
乃木: はい。
ベキ: お前が生まれた日、私にこう言ったんだ。
乃木は身を乗り出した。
ベキ: 「この子には、私たちより幸せになってほしい」って。
乃木は何も言えなかった。
ベキ: 私は、その願いを守れなかった。
乃木: ……父さん。
ベキ: だが、お前は今、私に生きろと言う。
乃木: はい。
ベキ: 私が生きていることが、お前の幸せになるのか。
乃木は涙を拭った。
乃木: 父さんが生きていてくれることは、僕にとって大切です。
乃木は父の手を取った。
乃木: でも、父さんが誰かを殺してまで生き続けることは、僕の幸せではありません。
ベキは息子の手を見つめた。
乃木: 母さんが望んだ僕の幸せは、きっと、誰かの不幸の上に作るものではなかったと思います。
ベキは何も言わなかった。
そのとき、外から鳥の声が聞こえた。
夜が明けようとしていた。
ベキはゆっくりと立ち上がり、窓に近づいた。
雨は止んでいた。
ベキ: 憂助。
乃木: はい。
ベキ: お前は、私を止めるために来たのだな。
乃木: はい。
ベキ: 必要なら、力ずくでも止めるつもりだった。
乃木: ……はい。
ベキ: それでも、最初に話をしようとした。
乃木: はい。
ベキは窓の外を見た。
ベキ: 私は長い間、誰かを守るためには、誰かを倒さなければならないと思っていた。
乃木: ……。
ベキ: だが、お前は私を倒さずに止めようとしている。
乃木は答えなかった。
ベキ: ……明美が生きていたら、何と言うだろうな。
乃木: わかりません。
ベキ: ああ。
ベキは小さくうなずいた。
ベキ: 私も、わからん。
彼は写真を見た。
ベキ: だから、もう少し考えてみよう。
乃木は父を見つめた。
乃木: 父さん。
ベキ: 何だ。
乃木: ありがとうございます。
ベキ: まだ、何も決めておらん。
乃木: わかっています。
乃木は少し笑った。
乃木: でも、父さんが考えてくれることが、嬉しいんです。
ベキは写真をテーブルに戻した。
ベキ: 憂助。
乃木: はい。
ベキ: お前の母さんは、よく笑う人だった。
乃木: ……はい。
ベキ: 私が疲れて帰ってきても、あの人が笑うと、不思議と疲れが消えた。
ベキは写真の中の明美を見つめた。
ベキ: お前も、あの人に似ている。
乃木: 僕が?
ベキ: ああ。笑うときの目がな。
乃木は写真を見た。
そこには、まだ何も失っていない三人の家族がいた。
その時間には戻れない。
失われた命も、奪われた年月も、取り返すことはできない。
しかし、窓の外には新しい朝が来ていた。
ベキは写真を立て直した。
乃木は父の隣に立った。
二人は、しばらく同じ朝日を見つめていた。
そしてベキが、ぽつりと言った。
ベキ: 憂助。
乃木: はい。
ベキ: お前が生まれた日のことを、まだ話していなかったな。
乃木: ……はい。
ベキ: 長い話になるぞ。
乃木は椅子を引いた。
乃木: 聞かせてください、父さん。
ベキも椅子に戻った。
窓の外では、朝の光が少しずつ広がっていた。
父親が息子に伝えようとしていたのは、復讐の方法でも、敵の名前でもなかった。
一人の女性が、初めて母親になった日のこと。
そして、一人の男が、初めて父親になった日のことだった。
憂助は、父の言葉を待った。
今度は、40年も待たなくてよかった。
最後に

父から息子へ、本当に残したいもの
『VIVANT』を見終わったとき、多くの人の心に残ったのは、驚くべき伏線やスパイの正体だったかもしれない。
しかし、この三つの架空対話を通して私が考え続けたのは、もっと身近な問いだった。
私たちは、愛する人に何を残しているのだろうか。
親は子どもに、自分の人生で学んだことを伝えようとする。
成功した経験も、失敗した経験も、時には自分が受けた傷さえも。
そして子どもは、知らず知らずのうちに、親の考え方や恐れ、怒りを受け継いでいくことがある。
乃木とベキは、まさにその悲しみを背負った父と息子だった。
二人とも家族を失った。
二人とも、守りたいもののために戦ってきた。
そして二人とも、誰かを守るために、別の誰かを傷つけることができる人間になっていた。
しかし、似た経験をしたからといって、同じ人生を歩まなければならないわけではない。
父親が憎しみを抱えて生きてきたとしても、息子までその憎しみを受け継ぐ必要はない。
親が過ちを犯したとしても、子どもがその過ちを繰り返す必要はない。
私たちは、親から受け継いだものの中から、何を次の世代に渡すのかを選ぶことができる。
愛することと、許すことは同じではない
今回の対話で、乃木は父親の行為を正当化しなかった。
野崎も、ベキが孤児たちを救ったという理由で、犯罪を見逃そうとはしなかった。
これは大切なことだと思う。
相手の人生を理解することと、その人がしたことを正しいと認めることは違う。
人は、間違いを犯した人を愛することができる。
そして、その人を愛しているからこそ、「それは間違っている」と伝えることもできる。
本当の愛とは、相手が何をしても肯定することではないのかもしれない。
相手の中にある善いものを信じながら、その人が自分自身や他人を傷つけることを止めようとする。
そこにも、愛の一つの形がある。
復讐を手放すことは、忘れることではない
ベキにとって、復讐は単なる怒りではなかった。
それは亡き妻への愛であり、家族を守れなかった自分への罰でもあった。
もし復讐をやめてしまったら、明美の苦しみを忘れてしまうのではないか。
もし憎しみを捨ててしまったら、失った家族を裏切ることになるのではないか。
しかし、愛する人の記憶を守る方法は、本当に復讐しかないのだろうか。
明美が笑っていた日のこと。
憂助が初めて歩いた日のこと。
家族三人で過ごした、何でもない朝のこと。
その記憶を息子に伝えることもまた、愛する人を忘れない方法ではないだろうか。
悲しみを消す必要はない。
過去を美化する必要もない。
ただ、失った人の人生を、その人が受けた苦しみだけで語らないこと。
その人が生きて、笑って、誰かを愛した時間まで覚えていること。
それは、復讐とは違う形で愛を守ることなのかもしれない。
40年を取り戻せなくても、今日から始められる
私がこの架空対話で最も心を動かされたのは、父親と息子が、失われた40年間を取り戻そうとするのをやめた瞬間だった。
過去は変えられない。
言えなかった言葉も、抱きしめられなかった夜も、戻ってこない。
しかし、今日という日は、まだ終わっていない。
親子の関係が長い間途絶えていたとしても、今日、一言だけ話しかけることはできるかもしれない。
謝罪を受け入れる準備ができていなくても、相手の話を聞くことはできるかもしれない。
すべてを許せなくても、これ以上憎しみを増やさないという選択はできるかもしれない。
もちろん、すべての関係が修復できるわけではない。距離を置くことが必要な場合もある。
それでも、自分の人生を過去の傷だけに支配させない道は残されている。
今回の最後の対話で、乃木は父親にこう伝えた。
「僕は父さんを探していたんじゃなくて、父さんと過ごす時間を探していたのかもしれません。」
私たちは時々、相手が変わることを待ち続ける。
謝ってくれることを。
自分を理解してくれることを。
昔のように戻ってくれることを。
けれども、相手を変えることができなくても、自分が相手にどう向き合うかは選べる。
そして、何もかも思いどおりにならなくても、今ある小さな時間を大切にすることはできる。
父が息子に残したもの
この物語の最後に、ベキが息子へ伝えようとしたのは、敵の名前でも、復讐の方法でもなかった。
明美が笑っていた日のことだった。
その小さな記憶に、私は大きな希望を感じる。
人間は、悲しみを次の世代に残すこともできる。
しかし、愛された記憶を残すこともできる。
そして、そのどちらを受け継ぐかは、子ども自身が選び直すこともできる。
父から息子へ、本当に残したいものは何だろう。
財産だろうか。
名誉だろうか。
自分が正しかったという証明だろうか。
それとも、どれほど苦しい人生であっても、誰かを愛することを諦めなかったという記憶だろうか。
私なら、最後のものを選びたい。
そして、もし今日、愛する人に何か一つ伝えられるとしたら。
40年も待たずに、こう伝えたい。
「あなたがいてくれて、よかった。」

『VIVANT』架空対話の登場人物
乃木憂助(のぎ・ゆうすけ)
演:堺雅人
丸菱商事に勤める商社マンであり、日本を秘密裏に守る組織「別班」の一員。幼い頃に家族と引き離され、深い孤独を抱えて生きてきた。父ベキとの再会によって、国家への忠誠と家族への愛の間で葛藤する。
本記事では、父親に愛されていたのかを確かめようとする息子として、そして自分自身の正義を問い直す人間として描く。
ノゴーン・ベキ/乃木卓(のぎ・すぐる)
演:役所広司
国際組織「テント」の指導者。かつて日本の公安警察官として活動していたが、バルカで家族を失う悲劇を経験する。孤児たちの救済に尽力する一方、その活動のために暴力的な手段を用いてきた。
本記事では、愛情と罪、父親としての後悔、復讐への執着を抱えた複雑な人物として描く。
ノコル
演:二宮和也
ベキに育てられた養子であり、テントの重要人物。長年ベキを父親として慕ってきたが、実の息子である乃木の登場によって、自分の居場所や家族の意味を問い直すことになる。
本記事では、血のつながりを超えた親子の愛と、愛する父を失うことへの恐れを表現する。
野崎守(のざき・まもる)
演:阿部寛
警視庁公安部の捜査官。鋭い観察力と大胆な行動力を持ち、乃木やテントを追う。現実的で厳しい判断を下す一方、人間に対する温かさも持ち合わせている。
本記事では、善意によって犯罪が正当化されることを拒みながら、子どもたちの未来を守る道を探る人物として登場する。
柚木薫(ゆずき・かおる)
演:二階堂ふみ
医師としてバルカで人々の命を救う女性。乃木との出会いを通じて物語の重要な存在となる。人間の命と尊厳を大切にする姿勢を持つ。
本記事では、悲しみを忘れずに生きることと、悲しみに人生を支配させないことの違いを問いかける。
F(エフ)
演:堺雅人
乃木憂助の内面に現れるもう一つの人格。冷静で大胆、時に厳しい言葉を投げかけながら、乃木を危険から守ろうとする。
本記事では、乃木が心の奥で恐れていることや、認めたくない感情を言葉にする存在として描く。Fの存在は、乃木が愛と恐れの両方を抱えながら生きていることを象徴している。
本記事は『VIVANT』の非公式なファン創作であり、TBS、制作関係者、出演者による承認・監修を受けたものではありません。人物の発言や新たな場面はすべて架空のものです。

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