
『VIVANT』は、愛する人を守ることの難しさを描いた物語だったのかもしれない
もし、40年間会えなかった父親が、ずっとあなたを愛していたと知ったら。
あなたは、その父親を許せるでしょうか。
もし、何百人もの孤児を救った人物が、その一方で人々を傷つけていたとしたら。
あなたは、その人物を善人と呼びますか。それとも悪人と呼びますか。
そして、もし最愛の人を理不尽に奪われたら。
あなたは復讐を選ぶでしょうか。それとも、別の生き方を探すでしょうか。
TBSの日曜劇場『VIVANT』は、壮大なスケールのサスペンスとして多くの視聴者を引きつけました。別班、公安、テント。それぞれが秘密と使命を抱え、敵と味方の境界が揺れ動いていきます。
しかし、物語の中心にあったのは、国家や組織の対立だけではなかったように思います。
それは、父親を求める息子と、失った家族への思いを抱え続ける父親の物語でもありました。
乃木憂助とノゴーン・ベキ。
二人の関係を知ったとき、私たちは単純な善悪では割り切れない問いに直面します。
ベキは息子を愛していました。しかし、愛していたという事実だけで、息子が経験した孤独は癒やされるのでしょうか。
ベキは多くの孤児を救いました。しかし、その善行によって、彼が関わった暴力の責任まで消えるのでしょうか。
そして、ベキが明美への愛を失わなかったことと、復讐を続けたことは、本当に同じ意味だったのでしょうか。
この3つの問いを、心理学、宗教学、哲学、倫理学、国際平和の視点から考えてみたいと思います。
今回の架空討論では、バナナマンの設楽統さんを司会役に迎えるという設定のもと、7人の専門家が登場します。
家族関係と心理的な傷を考える信田さよ子さん。
悲しみと死生観を研究する島薗進さん。
人生の意味と人間の尊厳を問い続ける森岡正博さん。
公共哲学の視点から社会の責任を考える小川仁志さん。
紛争と平和の現実に向き合ってきた中満泉さん。
感情と倫理を研究するマーサ・ヌスバウムさん。
そして、正義についての難しい問いを投げかけるマイケル・サンデルさん。
設楽さんは、専門家の難しい議論をただ聞くだけではありません。
「でも、それって親からすると厳しくないですか?」
「国を守るためなら、何をしてもいいんですか?」
「復讐をやめたら、亡くなった人を裏切ることになりませんか?」
そんな、私たち自身も聞いてみたい質問を投げかけます。
専門家たちは、ときに賛成し、ときに反論し、簡単には一致しません。
なぜなら、人生の大切な問題には、一つの正解だけでは説明できないものがあるからです。
今回の討論は、次の3つのテーマで進みます。
第1回:親は、子どもを愛していれば、それで十分なのか?
乃木とベキ、そしてノコルの関係から、親の愛と子どもの自由を考えます。
第2回:100人を救うために、1人を犠牲にしてもいいのか?
テントと別班の行動を手がかりに、正義と暴力、そして人間の命の価値を問い直します。
第3回:復讐を捨てても、失った人を愛し続けられるのか?
ベキと明美の悲劇から、悲しみ、赦し、そして次の世代に残せる希望について考えます。
『VIVANT』を見終えたあと、登場人物たちの選択について、誰かと話したくなったことはありませんか。
この架空討論は、その会話をもう少し深く続けてみようという試みです。
そして、読み進めるうちに、乃木やベキの物語が、いつの間にか自分自身の家族や人生と重なって見えてくるかもしれません。
創作についてのご案内
本記事は、TBSドラマ『VIVANT』に着想を得た非公式の創作作品です。登場する設楽統さんおよび専門家の発言、対談の場面、議論の展開はすべて架空のものです。実在の人物が本作に出演・協力・賛同したことを示すものではありません。専門家の研究分野を参考にした思想的な対話であり、実際の発言を再現したものではありません。
作品の公式情報については、TBS『VIVANT』公式サイトをご覧ください。
Topic 1: 親は、子どもを愛していれば、それで十分なのか?

夕暮れの日本家屋。低いテーブルの中央には、一枚の古い家族写真が置かれている。
若い父親と母親。その腕の中で笑っている幼い息子。
窓の外から、近所の子どもたちが遊ぶ声が聞こえてくる。
設楽統は写真を手に取り、しばらく眺めてから、向かいに座る4人の専門家に顔を向けた。
設楽統: いやあ、この写真を見ると、普通の幸せな家族に見えるんですよね。
でも『VIVANT』では、この家族が引き裂かれて、乃木憂助は40年間も父親と離れて生きることになる。
そして、ようやく再会した父親のベキは、息子を忘れていたわけじゃない。ずっと愛していた。
僕、最初はそれを知って、よかったなと思ったんです。
でも、よく考えたら40年ですよ。
40年って、相当ですよね。小学校の同級生だったら、もう顔も分からないくらいじゃないですか。
小さな笑いが起こる。
設楽統: それで、今日のテーマなんですけど。
親は子どもを愛していれば、それで十分なんでしょうか。
信田先生、どう思われます?
信田さよ子: 私は、まず「親が愛していた」ということと、「子どもが愛されていると感じていた」ということを分けて考えたいですね。
設楽統: ああ、なるほど。
信田さよ子: 親は自分の気持ちを知っています。
でも、子どもは親の心の中を見られません。
親がそばにいない。助けてほしいときに助けてもらえない。自分がなぜ置き去りにされたのかも分からない。
そういう時間を生きてきた子どもに、何十年もたってから「本当は愛していたんだ」と言ったとして、それだけで子どもの経験が変わるわけではないんです。
設楽統: でも、親の側にも事情があったわけですよね。
ベキだって、好きで息子と離れたわけじゃない。
信田さよ子: もちろんです。
事情を理解することは大切です。
でも、事情があったことと、子どもが傷つかなかったことは別でしょう。
設楽統: うわあ……。これ、親からすると厳しいですね。
愛していたのは本当。でも、子どもが寂しかったのも本当。
じゃあ、どっちが正しいんですか?
信田さよ子: どちらか一方を正しいと決めなくてもいいんですよ。
設楽統: あ、そうなんですか。
信田さよ子: 親の愛も本当だった。
子どもの孤独も本当だった。
その二つを同時に認めることから始めないと、子どもの気持ちが置き去りになります。
島薗進: 私は今のお話に、もう一つ付け加えたいことがあります。
人間は、過去に起きた出来事を変えることはできません。
しかし、その出来事をどう理解するかは、あとから変わることがあります。
設楽統: といいますと?
島薗進: 例えば、乃木が長い間、自分は父親に捨てられたのだと思っていたとします。
ところが、父親にもどうすることもできない事情があり、離れてからも自分を思い続けていたと知る。
すると、40年間の孤独は消えなくても、その孤独の意味が変わるかもしれません。
設楽統: ああ、そうか。
「愛されなかった40年」だと思っていたのが、「会えなかった40年」になる。
同じ40年でも、全然違いますね。
島薗進: そうですね。
ただ、それを知ったからといって、すぐに心が癒えるとは限りません。
長い時間をかけて、自分の人生の物語を少しずつ組み直していくこともあるでしょう。
信田さよ子: 島薗先生のお話は分かります。
ただ、私はそこに一つ心配があるんです。
設楽統: 何でしょう。
信田さよ子: 父親にも事情があったと分かった瞬間、子どもが自分の怒りや悲しみを引っ込めてしまうことがあるんです。
「お父さんも苦しかったんだから、もう責めてはいけない」
「自分だけが寂しかったわけじゃない」
そう考えてしまう。
設楽統: でも、それって相手を思いやることでもありますよね?
信田さよ子: 思いやりである場合もあります。
でも、自分の苦しみを感じることさえ許さなくなってしまったら、それは別の問題です。
設楽統: なるほど……。
じゃあ、乃木がベキに「どうして迎えに来てくれなかったんだ」と怒ったとしても、それは悪いことじゃない。
信田さよ子: 当然です。
むしろ、その怒りを父親が受け止められるかどうかが大切なんです。
設楽統: でも、ベキだってつらかったわけでしょう。
「俺だって苦しかったんだ」って言いたくなりません?
信田さよ子: 言いたくなるでしょうね。
ただ、そこで息子の話を聞く前に自分の苦しみを説明し始めたら、息子はまた父親の事情を優先しなければならなくなる。
設楽統: ああ……。息子の話なのに、いつの間にか父親の話になっちゃう。
信田さよ子: そういうことです。
マーサ・ヌスバウム: 私は、ここで愛と尊厳の関係を考えたいと思います。
誰かを愛することは、その人が自分にとって大切だと感じることです。
しかし、愛する相手もまた、自分とは異なる感情や考えを持つ一人の人間です。
父親が息子を愛しているなら、息子が父親に怒る自由も尊重しなければなりません。
設楽統: それ、親には難しいですね。
せっかく再会できたのに、息子から「あなたのせいで苦しかった」と言われる。
親としては「いや、ちょっと待ってよ」ってなりますよね。
マーサ・ヌスバウム: そうでしょう。
けれども、愛は自分が望む反応を相手から得る権利ではありません。
設楽統: ああ、今の言葉、結構刺さりますね。
愛しているから、愛し返してほしい。
でも、それを要求し始めたら、もう相手の自由がなくなる。
森岡正博: 私は、少し違う角度から考えてみたいんです。
設楽統: はい。
森岡正博: 私たちは今、乃木が父親に愛されていたと知ることを、一つの救いとして語っていますよね。
でも、もし乃木が最後まで父親の愛を知らなかったら、どうでしょう。
設楽統: どうでしょう……。やっぱり寂しい人生だったんじゃないですか?
森岡正博: そう感じるかもしれません。
しかし、父親に愛されていると確信できなかった人生は、それだけで価値の低い人生になるのでしょうか。
設楽統: あ……。
森岡正博: 乃木は40年間、生きてきました。
苦しみもあったでしょう。孤独もあったでしょう。
でも、その間に出会った人たちがいる。自分で選んだ行動がある。誰かを助けたこともある。
父親が愛していたと分かった瞬間に、それまでの人生に初めて価値が生まれるわけではないはずです。
設楽統: なるほど。
僕ら、いつの間にか「父親に愛されていたと分かればハッピーエンド」みたいに考えていましたね。
森岡正博: そうですね。
もちろん、父親の愛を知ることが大きな喜びになる場合もあります。
でも、それを知らない人にも、自分自身の人生を肯定する道があってほしいと思うんです。
島薗進: それは重要ですね。
失ったものを取り戻せなくても、人は生きていける。
ただし、失ったものを悲しむこともまた、その人の人生の一部なのだと思います。
設楽統: つまり、父親の愛が分かってもいいし、分からなくても自分の人生には価値がある。
でも、分からないことが寂しいなら、寂しいと思ってもいい。
森岡正博: ええ。
設楽統: ……なんか、正解を一つにしないって、大事なんですね。
設楽は写真をテーブルに戻す。
写真の中の幼い乃木は、父親の腕の中で笑っている。
設楽統: ただ、この話には、もう一人いるんですよね。
ノコルです。
ベキと長い時間を一緒に過ごしてきた、血のつながらない息子。
そこに突然、実の息子の乃木が現れる。
これ、ノコルの立場だったら、相当複雑じゃないですか?
島薗進: そうでしょうね。
ノコルにとって、ベキとの関係は日々の生活の中で築かれてきたものです。
食事をともにした時間、助けられた経験、信頼を重ねてきた年月。
血縁とは別の形で、家族の絆が育っていたのでしょう。
設楽統: そうですよね。
でも、実の息子が帰ってきた途端に、今までの息子が二軍になるわけじゃないですよね。
小さな笑いが起こる。
設楽統: いや、家族に一軍、二軍があったら嫌ですけど(笑)。
マーサ・ヌスバウム: まさに、そこに問題があります。
なぜ愛情を競争として考えなければならないのでしょう。
設楽統: でも、実際には比べちゃいません?
親がどっちを大切にしているか。
兄弟でも気になること、ありますよね。
マーサ・ヌスバウム: もちろん、そうした不安は現実にあります。
だからこそ、親はそれぞれの子どもを、別々の人格として尊重する必要があるのです。
乃木には乃木の人生がある。
ノコルにはノコルの人生がある。
二人が父親と築いた関係は異なりますが、それを順位づけする必要はありません。
信田さよ子: 私は、そこでも親の態度が大きいと思います。
設楽統: といいますと?
信田さよ子: 親が子どもを比較すると、子どもは親の愛情を奪い合うようになることがあります。
「お兄ちゃんはできるのに」
「あの子は私の気持ちを分かってくれる」
そういう何気ない言葉が、子どもにとっては自分の居場所を脅かすものになることがあるんです。
設楽統: うわあ……。
親は軽い気持ちで言ってるかもしれないけど、子どもはずっと覚えてる。
信田さよ子: そういうこともあります。
設楽統: じゃあ、ベキが乃木と再会して喜ぶのは当然としても、その横でノコルがどう感じているかも考えないといけない。
信田さよ子: そうですね。
森岡正博: ただ、私はノコル自身にも一つ問いかけたいと思います。
設楽統: 何でしょう。
森岡正博: ノコルは、ベキの息子であること以外に、自分をどういう人間だと思っているのでしょうか。
設楽統: えっ。それはちょっと厳しくないですか?
森岡正博: 厳しい問いだと思います。
でも、もし自分の価値をすべて父親に認められることに置いていたら、父親の気持ちが少し変わっただけで、自分の存在まで揺らいでしまいます。
島薗進: ただ、森岡さん。
その問いは、ノコルにとって簡単ではないでしょうね。
彼にとってベキは、父親であると同時に、自分を生かしてくれた存在でもあったかもしれません。
その人との関係から自分を切り離して考えるのは、非常に難しいことだと思います。
森岡正博: ええ。だから、すぐに離れなさいと言いたいわけではありません。
父親を愛しながらも、自分自身の人生を持つことはできないだろうか、という問いなんです。
設楽統: ああ、なるほど。
でも、ちょっと待ってください。
ノコルに「父親がいなくても自分の人生を生きなさい」って言う前に、ベキが「お前は今までどおり俺の息子だ」って言ってあげればいいんじゃないですか?
信田が静かにうなずく。
信田さよ子: 私も、まずそこだと思います。
子どもに自立を求める前に、親が安心できる関係をつくる責任があります。
設楽統: ですよね。
だって、急に実の息子が帰ってきて、不安になってるときに、「君もそろそろ自立しなさい」って言われたら……。
信田さよ子: それでは、見捨てられたように感じるかもしれません。
設楽統: ですよね。「いや、タイミング!」ってなりますよね(笑)。
今度は少し大きな笑いが起こる。
森岡正博: そうですね。私の問いも、親が責任を果たしたうえで考えるべきことかもしれません。
マーサ・ヌスバウム: 私は今のやり取りが大切だと思います。
人が自立するためには、孤独に耐える強さだけが必要なのではありません。
自分が尊重されているという安心も必要です。
設楽統: じゃあ、親が子どもに与えるべきものって、愛情だけじゃなくて、安心なんですかね。
信田さよ子: そうですね。
ただ、安心は「愛している」と言うだけで生まれるものではありません。
言葉と行動が一致していること。
困ったときに頼れること。
子どもが自分の気持ちを言っても、関係が壊れないこと。
そうした積み重ねが必要なんです。
設楽統: なるほど……。
これ、親の仕事って思ったより大変ですね。
笑いが静まり、窓の外から夕暮れを告げる鳥の声が聞こえる。
設楽統: ここまで聞いていて、僕、ちょっと考えが変わってきたんです。
最初は、親が愛しているなら、それが伝わればいいと思っていたんです。
でも、愛しているだけじゃなくて、子どもが安心して生きられるようにすることが大事なんですね。
そう考えると、もう一つ気になることがあります。
親って、どこまで子どもの人生に関わっていいんでしょう。
マーサ・ヌスバウム: とても重要な問いですね。
愛する人を守りたいと思うのは自然なことです。
しかし、その人の人生を自分の思いどおりにしようとするなら、愛は支配に近づいてしまいます。
設楽統: でも、親は子どもに失敗してほしくないじゃないですか。
自分が苦労したから、子どもには同じ苦労をしてほしくない。
それって愛情ですよね。
マーサ・ヌスバウム: 愛情から生まれる願いでしょう。
けれども、子どもには、自分で選び、自分で失敗する自由もあります。
設楽統: ああ……。失敗する自由ですか。
それ、親としてはなかなか認めにくいですね。
森岡正博: 私は、人間が自分の人生を生きるということには、そういう危うさも含まれていると思います。
親がすべての失敗を取り除いてしまったら、子どもは自分で人生を選んだという感覚を持てなくなるかもしれません。
信田さよ子: ただ、ここでも気をつけたいことがあります。
設楽統: はい。
信田さよ子: 「子どもを自由にする」という言葉が、親の責任放棄になってはいけないんです。
設楽統: あ、なるほど。
信田さよ子: 親が子どもを傷つけておいて、「もう大人なんだから、自分で生きなさい」と言う。
それは自由を尊重しているのではなく、責任から逃げている場合があります。
設楽統: 確かに。
自由にしてあげるのと、放っておくのは違いますもんね。
信田さよ子: そうです。
島薗進: 私は、自由というものは、つながりと対立するとは限らないと思います。
誰かが自分を大切に思ってくれている。
帰る場所がある。
そう感じられるからこそ、人は遠くへ行けることもあるのではないでしょうか。
設楽統: ああ、それは分かる気がします。
帰れる場所があるから、安心して出かけられる。
信田さよ子: ただし、帰る場所があることと、帰らなければならないことは違います。
設楽統: あっ、そこですね。
信田さよ子: 「いつでも帰っておいで」は安心になるかもしれません。
でも、「私を置いていくのか」と言われたら、同じ家が重荷になることもあるんです。
設楽統: ……言葉一つで全然違いますね。
設楽は少し考え込む。
設楽統: ここで、乃木とベキの話に戻りたいんですけど。
乃木は父親を愛していたとしても、父親の復讐に従うことはできませんでした。
これって、親不孝なんでしょうか。
森岡正博: 私は、そうは思いません。
親を理解することと、親と同じ人生を選ぶことは別です。
設楽統: でも、ベキからすれば、自分が人生をかけてきたことを息子に否定されるわけですよね。
森岡正博: そうですね。
しかし、息子は父親の人生を完成させるために生まれてきたわけではありません。
マーサ・ヌスバウム: 私も、その点は重要だと思います。
本当に相手を愛しているなら、相手が自分とは違う判断をする可能性を認めなければなりません。
乃木が父親を愛しながら、父親の行為に反対することは矛盾ではありません。
設楽統: そうか。
「お父さんのことは大切だけど、お父さんのやっていることは間違っていると思う」
それを言ってもいいんですね。
信田さよ子: もちろんです。
むしろ、親を愛しているからといって、親の行為をすべて正しいと認めなければならないほうが問題です。
設楽統: でも、親の側からすると、結構ショックですよね。
自分が人生をかけてきたことを、息子に止められる。
島薗進: そうでしょうね。
ただ、そこには別の見方もあると思います。
息子が自分とは違う道を選べるということは、父親の人生が息子の人生を完全には支配していなかったということでもあります。
設楽統: ああ……。
島薗進: それを父親が悲しむのか、喜ぶのか。
そこに、親としての最後の大きな選択があるのかもしれません。
設楽統: なるほど。
父親が「俺のようになれ」と言うのか。
それとも「俺とは違う人生を生きていい」と言えるのか。
森岡正博: ええ。
そして、私はもう一つ付け加えたいんです。
父親がそう言ってくれなかったとしても、息子には自分の人生を生きる権利がある。
設楽統: ……それも大事ですね。
親の許可がないと、自分の人生を生きられないわけじゃない。
森岡正博: そうです。
部屋の外はすっかり暗くなっている。
設楽はテーブルの上の写真をもう一度見つめる。
設楽統: 最後に、皆さんに一つお願いしてもいいですか。
もしベキが乃木とノコルの二人に、たった一つだけ言葉を残せるとしたら。
何と言ってほしいでしょうか。
島薗進: 私なら、まず「お前たちと過ごせなかった時間も、ともに過ごした時間も、どちらも私にとって大切だった」と伝えてほしいですね。
設楽統: ああ……。乃木にもノコルにも届く言葉ですね。
マーサ・ヌスバウム: 私は、「お前たちの人生は、私の人生の続きではない」と伝えてほしいと思います。
設楽統: なるほど。
信田さよ子: 私は、もっと短くていいと思います。
「私のために生きなくていい」
設楽統: ……ああ。
しばらく、誰も話さない。
森岡正博: 私は、その言葉にもう一つ加えたいです。
「お前がどんな人生を選んでも、お前の価値は変わらない」
設楽統: ……いいですね。
設楽は写真をそっとテーブルに置く。
設楽統: 今日、最初に僕は、親が子どもを愛していれば、それで十分なんじゃないかと思っていたんです。
でも、皆さんの話を聞いて、少し違うのかなと思いました。
愛していることは大切です。
でも、その愛が相手にどう届いているか。
相手が安心して、自分の人生を生きられるか。
そこまで考えて初めて、愛するということなのかもしれません。
設楽は一度言葉を止める。
設楽統: ただ……。
40年間会えなかった父親に、「ずっと愛していた」と言われたら。
やっぱり、うれしいとも思うんですよね。
島薗進: ええ。
その喜びを否定する必要もないと思います。
信田さよ子: もちろんです。
うれしいなら、うれしいでいいんです。
ただ、悲しかったことまで、なかったことにしなくていい。
設楽統: ……そうですね。
うれしいのも本当。
寂しかったのも本当。
両方あっていいんですね。
窓の外から、子どもを呼ぶ声が聞こえる。
「もう帰っておいで」
少し遅れて、小さな足音が走っていく。
設楽はその声に耳を傾け、ふっと微笑む。
設楽統: ……ああいう声って、子どもの頃は当たり前に聞いてましたけど。
毎日「帰っておいで」って言ってくれる人がいる。
それって、すごいことなんですね。
誰も答えない。
テーブルの上には、幼い乃木を抱いたベキの写真が残っている。
写真の中の父親は、まだ息子と離れ離れになる未来を知らない。
そして息子も、自分がこれからどれほど長く、父親の声を待つことになるのかを知らない。
もし、あの父親が未来を知っていたなら。
もし、たった一言だけ、幼い息子に残せたなら。
それは「私を忘れるな」ではなく、こんな言葉だったのかもしれない。
「私がそばにいなくても、お前は愛されるに値する人間だ。だから、どうか自分の人生を生きてほしい」
部屋の明かりが、古い家族写真を静かに照らしていた。
Topic 2: 100人を救うために、1人を犠牲にしてもいいのか?

バルカの孤児院。
長い廊下には、小さな靴が整然と並んでいる。赤い運動靴、片方の紐がほどけた青い靴、つま先の擦り切れた古い革靴。
窓の外では子どもたちがボールを追いかけている。
この場所は、ベキが率いたテントの支援によって守られてきた子どもたちの暮らしを象徴している。
しかし、テントは人を救うだけの組織ではなかった。
設楽統は廊下の靴を見つめ、それから4人の専門家に向き直った。
設楽統: いやあ……。こうして子どもたちの靴が並んでいるのを見ると、何とも言えない気持ちになりますね。
『VIVANT』のベキって、すごく難しい人物じゃないですか。
テントを率いて、恐ろしいこともしている。でも、その一方で、身寄りのない子どもたちを助けている。
僕、ドラマを見ながら、何度も気持ちが変わったんですよ。
「この人は悪い人だ」と思ったら、子どもたちのために人生を使っている姿が出てくる。
「じゃあ、いい人なのかな」と思ったら、また別の顔が見えてくる。
もう、どっちなんだよって(笑)。
小さな笑いが起こる。
設楽統: 今日は、そこを皆さんに聞いてみたいんです。
悪いことをした人が、たくさんの人を救っていたら、その人は善人なんでしょうか。それとも悪人なんでしょうか。
小川仁志: まず、善人か悪人かという二つの分類だけでは、十分に判断できないと思います。
人間の行為は、目的、手段、結果、そして置かれた状況によって評価する必要があります。
設楽統: ああ、なるほど。
じゃあ、いいことと悪いことを足し引きして考えるんですかね。
マイケル・サンデル: それなら、こういう質問をしてみましょう。
ある人が、100人の命を救うためには、罪のない1人を犠牲にしなければならないと考えたとします。
その行為は正しいでしょうか。
設楽統: えっ、いきなりですか?
設楽は思わず笑う。
設楽統: ちょっと待ってください。まだ始まったばっかりなのに、もう人生で一番難しい質問が来ましたよ(笑)。
サンデル: では、少し簡単にしましょう。
あなたは100人を救うことができます。しかし、そのために1人が命を失います。
あなたならどうしますか。
設楽統: いや、全然簡単になってないですよ。
笑いが起こる。
設楽統: でも、正直に言うと、100人を助けたいとは思います。
ただ、その1人を自分が犠牲にしなきゃいけないとなると……。
それは、ちょっと違う気がします。
サンデル: 何が違うのでしょう。
設楽統: ええと……。
100人が助かるのは、もちろんいいことです。
でも、何も悪いことをしていない人に「あなたは100人のために犠牲になってください」と言う権利が、自分にあるのかなって。
サンデル: そこには、二つの倫理的な考え方が衝突しています。
結果を重視する考え方と、どれほど望ましい結果が得られるとしても、してはならない行為があると考える立場です。
設楽統: なるほど。
でも、これって人数が変わったら答えも変わるんですか?
100人じゃなくて、1万人だったら?
サンデル: あなたはどう思いますか。
設楽統: あ、また僕に返ってくるんですね(笑)。
小川仁志: 私は、設楽さんの疑問には現実的な意味があると思います。
政治や安全保障の世界では、何もしなければ多くの人が命を失うという状況もあります。
そのとき、決断しないことにも結果が伴います。
森岡正博: ただ、そこで気になるのは、「1人を犠牲にする」という言葉です。
設楽統: はい。
森岡正博: その1人は、誰なのでしょう。
名前も知らない人ですか。
それとも、ここに並んでいる靴の持ち主の一人ですか。
設楽統: ……ああ。
森岡正博: 100人を救うために1人を犠牲にすると言うと、まるで数字の計算のように聞こえます。
しかし、犠牲になる人にも、これまで生きてきた人生があります。
その人を待っている家族がいるかもしれない。
明日、誰かと会う約束をしていたかもしれない。
その一人の人生を、ほかの100人の人生と引き換えにしてよいと、誰が決められるのでしょうか。
設楽統: そう言われると……。
急に、その1人が見えてきますね。
小川仁志: しかし、森岡さん。
その100人にも、同じように一人ひとりの人生がありますよね。
森岡正博: もちろんです。
小川仁志: だったら、100人が危険にさらされているときに、ただ「誰も犠牲にしてはいけない」と言うだけでは、その100人を守れない場合もあるのではないでしょうか。
森岡正博: そうですね。
ただ、私は、だからこそ選択の重さを消してはいけないと思うんです。
小川仁志: 私も重さを消したいわけではありません。
問題は、何もしないことによって失われる命に対しても、私たちは責任を負うのではないかということです。
設楽統: ちょっと待ってください。
今の話、どっちも正しい気がするんですけど。
設楽はサンデルを見る。
設楽統: こういうとき、哲学って答えを出してくれるんじゃないんですか?
サンデル: 哲学は、答えを簡単にするとは限りません。
むしろ、自分がなぜその答えを選ぶのかを、より深く考えさせることがあります。
設楽統: いやあ、便利なような、不便なような(笑)。
笑いが起こる。しかし、森岡は廊下の靴から目を離さない。
森岡正博: 設楽さん、一つ聞いてもいいですか。
設楽統: はい。
森岡正博: もし、その犠牲になる1人が、あなたの大切な人だったらどうしますか。
設楽統: ……それは。
設楽は答えようとして、口を閉じる。
設楽統: 正直、嫌です。
どんなに大勢が助かると言われても、自分の家族だったら、犠牲にしていいとは言えないと思います。
森岡正博: では、知らない人なら犠牲にしてもよいのでしょうか。
設楽統: ……いや。
そういうことじゃないんですよね。
しばらく沈黙が流れる。
中満泉: 私は、今の設楽さんの迷いを、とても大切にしたいと思います。
現実の紛争でも、人々は数字で語られることがあります。
何人が死亡した。何人が避難した。何人が支援を必要としている。
そうした数字は、状況を理解するために必要です。
でも、数字だけを見ていると、その一人ひとりに生活があり、家族があり、未来があったということを忘れてしまう危険があります。
設楽統: そうですよね。
中満泉: そして、もう一つ大切なのは、私たちは最初から「誰かを犠牲にするしかない」と決めつけてはいけないということです。
設楽統: あ、それはどういうことですか。
中満泉: 100人を救うために1人を犠牲にする。
その二択しかないように見えても、実際には別の方法がないかを探す責任があります。
避難させることはできないか。
交渉の余地はないか。
危険を減らす別の手段はないか。
もちろん、現実には選択肢が極めて限られることもあります。
しかし、だからこそ、最初から犠牲を当然のものとして扱ってはいけないんです。
設楽統: なるほど。
僕ら、最初から「100人か1人か」っていう問題に乗っかってましたね。
サンデル: ただ、思考実験には、あえて選択肢を限定することで、自分の道徳的な判断を明らかにする役割もあります。
中満泉: ええ。それは理解しています。
ただ、現実の紛争では、その二択を誰が作り出したのかも問わなければなりません。
設楽統: ああ、面白いですね。
サンデル先生は「この二つならどうする」と聞く。
中満先生は「そもそも二つしかないって誰が決めたの」と聞く。
小川仁志: ただし、現実の意思決定では、第三の選択肢を探している間にも時間が過ぎます。
設楽統: あ、そうか。
小川仁志: 例えば、今まさに人々が襲われているとします。
対話が重要だということには賛成です。
しかし、対話の結果を待つ間に人が殺されるとしたら、どうするのか。
政治や安全保障には、そういう時間的な制約もあるんです。
中満泉: その点は私も否定しません。
差し迫った危険から人々を守ることは必要です。
ただ、危険が迫っているからといって、あらゆる手段が許されるわけではありません。
誰を攻撃対象にできるのか。
民間人をどう保護するのか。
武力の使用にはどのような制約があるのか。
そうした原則は、まさに危機のときに重要になるのです。
設楽統: つまり、守るために戦わなきゃいけない場合があっても、何をしてもいいわけじゃない。
中満泉: そうです。
設楽統: ……これ、ベキの話にもつながりますね。
ベキは孤児たちを守っていた。
でも、そのためにテントが行ったことを、全部正しいとは言えない。
サンデル: そのとおりです。
ある行為によって人々が救われたことと、その行為のすべてが正当化されることは別の問題です。
設楽統: じゃあ、ちょっと意地悪な質問をしてもいいですか。
サンデル: どうぞ。
設楽統: ベキが孤児を救ったことは、いいことですよね。
でも、テントの暴力は悪いことだとする。
だったら、ベキは善人でも悪人でもなく、いいことも悪いこともした人、ということになるんですか。
森岡正博: 私は、そのほうが人間の現実に近いと思います。
人間は、一つの行為だけで説明できる存在ではありません。
ただし、複雑な人物であることと、その人の行為の責任が曖昧になることは違います。
設楽統: なるほど。
いいことをしたから、悪いことが消えるわけじゃない。
森岡正博: ええ。
そして、悪いことをしたからといって、その人が救った命まで無意味になるわけでもない。
設楽統: ああ……。
それは、すごく大事な気がします。
窓の外で、ボールが壁に当たる音がする。
子どもが何かを叫び、別の子どもが笑う。
設楽統: ここで、もう一つ聞きたいことがあります。
『VIVANT』には、テントだけじゃなくて、別班も出てきますよね。
別班は日本を守るために、表には出せない活動をしている。
テントは自分たちなりの目的のために動いている。
もちろん、同じ組織じゃありません。
でも、どちらも「大切なものを守るため」という理由で、危険な手段を使うことがある。
これ、どう考えればいいんでしょう。
小川仁志: まず、国家の安全保障を担う組織と、非国家組織を同じものとして扱うことはできません。
国家には国民を守る責任があります。
ただし、その責任を果たすための行動にも、法的な根拠と制約が必要です。
設楽統: でも、国家がやれば何でも正しいというわけじゃないですよね。
小川仁志: もちろんです。
国家の行為だから自動的に正しいわけではありません。
サンデル: そこで、私から質問があります。
ある行為が道徳的に間違っているとしたら、それを国家が命じたという理由だけで正しくなるでしょうか。
設楽統: ならないと思います。
サンデル: では、国家のために働く人が「命令だった」と言えば、道徳的な責任から解放されるでしょうか。
設楽統: ……それも、違いますよね。
小川仁志: ただ、国家の正当な権限と、個人の道徳的判断は区別する必要があります。
私たちが個人の判断だけで武力を使うことを認めてしまえば、社会の秩序そのものが成り立たなくなる。
設楽統: なるほど。
じゃあ、国家が武力を使うことには、個人や民間組織とは違うルールがある。
でも、そのルールの中でも間違いは起こり得る。
中満泉: そうですね。
そして、国家であっても、非国家組織であっても、民間人の保護や人道上の責任を無視してよいわけではありません。
国家の権限があるかどうかと、具体的な行為が合法かどうか、そして道徳的にどう評価されるかは、分けて考える必要があります。
設楽統: ああ……。
僕、今まで「国を守るため」って言われると、なんとなく正しいことのように感じていたかもしれません。
小川仁志: それは自然な感覚だと思います。
ただ、国家の目的が正当であることと、そのための手段がすべて正当であることは同じではありません。
設楽統: じゃあ、別班にもテントにも、それぞれ違う立場から責任を問う必要がある。
中満泉: そうです。
設楽統: ……でも、ちょっと嫌なことを聞いてもいいですか。
中満泉: はい。
設楽統: もし、自分の家族が危険な目に遭っていたら。
僕は、ルールより先に「助けてくれ」って思うかもしれません。
相手が何者だろうと、今すぐ助けてほしい。
それでも、ルールを守らなきゃいけないんですか。
中満泉: その気持ちは、非常によく分かります。
大切な人を守りたいという思いは、人間として自然なものです。
でも、考えてみてください。
あなたの家族を守るために、別の家族が犠牲になったとしたら。
その家族にも、あなたと同じように、大切な人を守りたいという願いがあるのです。
設楽統: ……そうですよね。
中満泉: 人道上のルールは、誰かを守る気持ちを否定するためにあるのではありません。
誰もが自分の大切な人を守ろうとするとき、その力が別の人を無制限に傷つけないようにするためにもあるのです。
設楽統: ああ……。
それは、分かりやすいですね。
森岡正博: 私は、今の話を聞いて、Topic 1の親子の話を思い出しました。
設楽統: あ、前回の話ですね。
森岡正博: ええ。
親が子どもを愛している。
それは大切なことです。
でも、愛しているからといって、子どもの人生を支配してよいわけではない。
同じように、大切な人を守りたいという思いがあっても、そのために他人の人生を自由に扱ってよいわけではありません。
設楽統: なるほど……。
愛情も、正義も、強くなりすぎると、相手を傷つけることがある。
森岡正博: そうですね。
自分が正しいと信じているときほど、注意が必要なのかもしれません。
設楽統: でも、それって難しくないですか。
自分が間違ってると思ってたら、そもそもやらないじゃないですか。
森岡正博: ええ。
だからこそ、「自分は正しい」と思ったときに、「本当にそうだろうか」と立ち止まることが大切なのだと思います。
設楽統: ……それ、すごく難しいですね。
サンデル: では、もう一つ問いを加えましょう。
あなたが正しいと信じる目的のために、誰かが犠牲になったとします。
その結果、目的が達成されました。
あなたは、その犠牲者に対して何と言うでしょうか。
設楽統: ……何と言うか。
サンデル: 「あなたのおかげで多くの人が救われました」と言えば、それで十分でしょうか。
設楽統: いや……。
それは、言われた側からしたら、納得できないかもしれません。
サンデル: なぜでしょう。
設楽統: だって、その人は犠牲になりたかったわけじゃないかもしれない。
勝手に犠牲にされて、「あなたのおかげです」って言われても……。
森岡正博: そうですね。
自分が選んだ犠牲と、他人から強いられた犠牲は違います。
小川仁志: ただし、緊急事態において、すべての人の同意を得てから行動できるとは限りません。
森岡正博: ええ。
だから、やむを得ない判断をしたとしても、その責任が残るのではないでしょうか。
小川仁志: そこは私も同意します。
難しい決断をした人が、結果だけを見て自分を正当化してはいけない。
設楽統: ああ……。
つまり、仮にほかに方法がなかったとしても、「仕方なかった」で終わらせちゃいけない。
中満泉: そうです。
何が起きたのかを調べる。
被害を受けた人の声を聞く。
責任を明らかにする。
必要な救済を行う。
そして、同じことが繰り返されないようにする。
そうした努力が必要です。
設楽統: ……正義って、勝ったら終わりじゃないんですね。
中満泉: むしろ、そのあとに何をするかが非常に重要です。
廊下の向こうで、幼い子どもが転んだらしい。
泣き声が聞こえる。
すぐに別の子どもが駆け寄り、何かを話しかける。
やがて泣き声がやみ、再び足音が響く。
設楽統: ……今の、聞こえました?
小川仁志: ええ。
設楽統: 子どもが転んで、別の子が助けに行ったみたいですね。
なんか、こういうのを見ると、難しい話をしてるのが不思議になってきます。
目の前で誰かが困っていたら、助ける。
それだけなら簡単なのに。
中満泉: そうですね。
でも、社会全体でそれを実現するのは簡単ではありません。
設楽統: そうなんですよね。
じゃあ、最後に聞きたいんです。
ベキが守ろうとしたのは、こういう子どもたちだったわけですよね。
もしベキが武器を持たず、暴力を使わずに、この子たちを守ろうとしたら。
本当に守れたんでしょうか。
小川仁志: それは、状況によるとしか言えません。
現実には、暴力が迫る中で、何もしないわけにはいかない場合もあるでしょう。
設楽統: じゃあ、ベキのやったことも、ある程度は仕方なかったんでしょうか。
小川仁志: そこは慎重に考えなければいけません。
子どもたちを守る必要があったことと、テントの具体的な行為が正当だったかどうかは別です。
中満泉: 私は、もう一つ考えたいことがあります。
なぜ、子どもたちを守るために、武装した組織が必要になるような状況が生まれたのか。
設楽統: ああ……。
中満泉: なぜ、子どもたちは家族や地域社会の中で安全に暮らせなかったのか。
なぜ、十分な支援が届かなかったのか。
なぜ、暴力が繰り返される環境が続いていたのか。
そうした原因を変えなければ、誰かが武器を持って守るという状況が、何度でも生まれてしまいます。
設楽統: なるほど。
ベキが子どもたちを救ったことは大切。
でも、そもそもベキのような人がいないと子どもたちが生きられない社会がおかしいんじゃないか、と。
中満泉: そういう問いも必要だと思います。
サンデル: そして、そこには正義のもう一つの側面があります。
私たちは、危機が起きたときに誰が正しい判断をしたかを問います。
しかし、そもそもなぜそのような危機が生まれたのかを問うことも、正義の問題なのです。
設楽統: ああ……。
正義って、悪い人を倒すことだけじゃないんですね。
森岡正博: そうですね。
私は、ここにいる子どもたちが、大人になったときのことを考えたいです。
今は守られる側にいる子どもたちが、いつか誰かを守る立場になる。
そのとき、この子たちに何を受け継いでほしいのか。
設楽統: ……何を受け継いでほしいか。
森岡正博: 自分たちを守るためには、誰かを犠牲にしなければならないという考えでしょうか。
それとも、誰かを守るときにも、別の誰かの命を大切にしようとする姿勢でしょうか。
設楽統: でも、後者だけで本当に守れるんですかね。
森岡正博: 必ず守れるとは言えません。
設楽統: ……そこは、はっきり言うんですね。
森岡正博: ええ。
人を傷つけないように生きることが、いつも安全な道だとは限らないと思います。
それでも、人を傷つけることを当然にしないという選択には、意味があるのではないでしょうか。
小川仁志: 私も、その姿勢は重要だと思います。
ただ、社会を守る立場の人間には、危険を直視して備える責任もあります。
中満泉: だからこそ、危機への備えと、危機そのものを減らす努力を両立させなければなりません。
設楽統: ……なるほど。
設楽は再び、廊下に並ぶ小さな靴を見つめる。
設楽統: 今日、最初に僕は、ベキがいい人なのか悪い人なのか、知りたかったんです。
でも、話を聞いているうちに、ちょっと違うことを考えるようになりました。
ベキが子どもたちを救ったのは、確かに大切なことです。
その子たちにとっては、人生を変えてくれた人だったかもしれない。
でも、その一方で、ベキたちの行動によって傷ついた人がいたなら、その人たちの人生も同じように大切なんですよね。
中満泉: そうです。
設楽統: だから、救った人数だけで、その人の正しさを決めることはできない。
サンデル: ええ。
設楽統: でも……。
もし僕がここにいる子どもだったら、ベキに「ありがとう」って言うと思うんです。
森岡正博: それでよいのだと思います。
設楽統: いいんですか。
森岡正博: 自分を救ってくれた人に感謝することと、その人のすべての行為を正しいと認めることは別ですから。
設楽統: ……ああ。
森岡正博: 子どもたちが感謝する自由もある。
その人の行為を批判する自由もある。
どちらか一つを選ばなければならないわけではありません。
設楽統: そうか……。
設楽は小さくうなずく。
設楽統: じゃあ、最後に一つだけ。
もしベキがここにいたら、僕はこう聞いてみたいんです。
「あなたは、子どもたちを守るために戦ってきたんですよね」
「でも、この子たちが大人になったとき、また誰かを守るために武器を持たなきゃいけないとしたら……」
設楽は言葉を探す。
設楽統: 「それでも、あなたは自分のやり方が正しかったと思いますか」
誰もすぐには答えない。
窓の外では、子どもたちがボールを追いかけている。
一人の少年が転び、別の少年が手を差し伸べる。
転んだ少年はその手を取り、立ち上がる。
そして、何事もなかったかのように、二人で走り出す。
中満泉: ……私は、あの子たちが大人になったとき、誰かを守るために武器を持たなくてもよい世界を目指したいと思います。
設楽統: そうですね。
でも、そういう世界って、本当に作れるんでしょうか。
中満泉: 簡単ではありません。
けれども、簡単ではないからといって、目指すことをやめてしまえば、何も変わりません。
設楽統: ……そうですよね。
設楽は、廊下に並ぶ靴をもう一度見つめる。
設楽統: 今日、僕らは100人を救うために1人を犠牲にしてもいいのか、という話をしてきました。
でも、最後に思うのは……。
100人を救ったことを誇るよりも、101人全員を救えなかったことを悔しがれる人でありたいな、ということなんです。
もちろん、現実には無理なこともあるんでしょうけど。
小川仁志: ええ。現実には、すべてを救えない場合もあります。
設楽統: でも、だからって、最初から1人を諦めることに慣れちゃいけないんですよね。
森岡正博: 私も、そう思います。
外から、子どもたちを呼ぶ声が聞こえる。
遊びを終えた子どもたちが、次々と建物の中へ戻ってくる。
小さな靴が脱がれ、廊下に新しい一足が加わる。
設楽は、その靴を見つめながら静かに言う。
設楽統: ……この子たちが大人になったとき。
今日ここにいた誰かが、誰かを助ける人になってくれたらいいですね。
武器じゃなくて、今みたいに、手を差し伸べることで。
窓の外には、まだ夕日の光が残っている。
廊下の向こうから、子どもたちの笑い声が響く。
その笑い声は、誰が正しかったのかを教えてはくれない。
ただ、正義という言葉を語るとき、私たちが何を守ろうとしているのかを、静かに思い出させてくれる。
Topic 3: 復讐を捨てても、失った人を愛し続けられるのか?

雨の夜。
古い日本家屋の一室に、五人の専門家と司会の設楽統が集まっている。
テーブルの上には、一枚の写真が置かれている。
若い頃の明美。
その隣には、幼い乃木を抱くベキの姿もある。
写真の中では、まだ誰も、これから起こる悲劇を知らない。
設楽は写真を見つめたまま、しばらく口を開かなかった。
設楽統: ……この写真を見ると、何とも言えないですね。
『VIVANT』って、最初はスパイの話なのかなと思って見ていたんですけど、最後のほうは、もう家族の話なんですよね。
ベキという人も、最初は怖い人物に見える。
でも、彼が何を失ったのかを知ると、簡単には嫌いになれないんです。
島薗進: そうですね。
人が何かを失ったとき、その喪失が人生全体に影響を与えることがあります。
特に、大切な人を理不尽な形で失った場合、悲しみだけでなく、怒りや罪悪感が長く残ることもあるでしょう。
設楽統: ベキの場合、妻の明美を失ったことが、その後の人生を大きく変えましたよね。
でも、僕、ずっと気になっていたことがあるんです。
復讐って、本当に亡くなった人のためなんでしょうか。
マーサ・ヌスバウム: とても重要な問いですね。
怒りは、私たちが何か重大な不正を受けたと感じたときに生じる感情です。
しかし、怒りと報復は同じではありません。
誰かが不正を行ったことへの怒りが正当であっても、その相手を苦しめることによって、失われたものが回復するとは限りません。
設楽統: そうなんですよね。
でも、もし自分の大切な人がひどい目に遭ったら、僕だって怒ると思うんです。
「許せない」って。
それは自然なことですよね。
信田さよ子: もちろんです。
私は、そこを最初にはっきりさせておきたいと思います。
傷ついた人が怒ることは、悪いことではありません。
悲しみや怒りを感じている人に、「もう忘れなさい」「早く前を向きなさい」と言うのは、その人の苦しみを十分に理解していない場合があります。
設楽統: ああ……。
よく言いますよね。「いつまでも怒ってても仕方ないよ」って。
信田さよ子: そうですね。
でも、その言葉を言う人は、怒っている本人ほど苦しんでいないかもしれません。
設楽統: なるほど。
言う側は、相手を励ましているつもりでも。
信田さよ子: 言われた側は、「あなたの悲しみはもう終わりにしてください」と言われたように感じることがあるんです。
設楽統: ……それは、つらいですね。
島薗進: 私は、亡くなった人との関係は、死によって完全に終わるわけではないと思います。
もちろん、以前のように会話することはできません。
しかし、その人との記憶や、受け取ったものを大切にしながら生き続けることはできます。
設楽統: つまり、忘れなくてもいい。
島薗進: ええ。
悲しみを消すことが、必ずしも癒やしではありません。
亡くなった人を思い続けながら、それでも自分の人生を生きていく。
そういう道もあるのではないでしょうか。
設楽統: でも、ベキは、その思いが復讐になっていったわけですよね。
そこは、どう違うんでしょう。
島薗進: 難しいところですね。
ベキにとって復讐は、失った人とのつながりを保つ方法になっていたのかもしれません。
ただし、それは一つの解釈であって、彼の心のすべてを説明できるわけではありません。
マーサ・ヌスバウム: 私は、そこで一つ問いを立てたいと思います。
復讐が成功したとき、何が変わるのでしょうか。
設楽統: ……相手が罰を受ける。
マーサ・ヌスバウム: そうですね。
では、明美は戻ってくるでしょうか。
設楽統: それは、戻ってきません。
マーサ・ヌスバウム: 失われた時間は戻るでしょうか。
設楽統: ……戻りません。
マーサ・ヌスバウム: それなら、報復によって得られるものは何なのか。
そこを考える必要があります。
設楽統: でも、ちょっと待ってください。
復讐しても亡くなった人は戻らない。
それは分かるんです。
でも、だからといって、何もなかったように生きるのは違いますよね。
マイケル・サンデル: そのとおりです。
ここで区別しなければならないのは、復讐と正義です。
設楽統: ああ、復讐と正義。
サンデル: ある人が重大な不正を行ったとします。
その行為に責任を問うことと、相手に自分と同じ苦しみを味わわせたいと思うことは、必ずしも同じではありません。
設楽統: なるほど。
じゃあ、相手に責任を取らせることは必要でも、同じ目に遭わせる必要はない。
サンデル: そういう区別が考えられます。
ただし、何が適切な責任の取り方なのかについては、さらに議論が必要です。
設楽統: ……これ、Topic 2でも思ったんですけど、サンデル先生、答えを出してくれそうで、最後にまた難しくするんですよね(笑)。
小さな笑いが起こる。
サンデル: 簡単な答えを急ぐと、大切な問題を見落とすことがありますから。
設楽統: いや、分かるんですけどね(笑)。
設楽は再び明美の写真を見る。
設楽統: でも、ベキがもしここにいたら、僕はこう聞きたいんです。
「あなたは、明美さんのために復讐しようとしているんですよね」
「でも、それって、本当に明美さんが望んだことなんですか?」
島薗進: ……その問いは、非常に大切ですね。
設楽統: ただ、亡くなった人に聞くことはできないんですよね。
島薗進: そうです。
だからこそ、残された人は、自分の願いと亡くなった人の願いを混同してしまうことがあるかもしれません。
信田さよ子: ただし、そこにも注意が必要です。
「亡くなった人は復讐なんて望んでいないはずだ」と、周囲が決めつけることもできません。
設楽統: ああ、そうか。
信田さよ子: 明美が何を望んでいたかは、私たちには分からない。
だから、彼女の名前を使って復讐を正当化することも、彼女の名前を使って復讐をやめさせることも、慎重であるべきです。
マーサ・ヌスバウム: その点は私も同意します。
亡くなった人の意思を、私たちが都合よく作り出してはいけません。
しかし、残された人がこれから何をするかについては、考えることができます。
設楽統: これから何をするか……。
マーサ・ヌスバウム: そうです。
怒りを感じることは自然です。
しかし、その怒りを使って、さらに苦しみを増やすのか。
それとも、同じ不正が繰り返されないように行動するのか。
そこには違いがあります。
設楽統: なるほど。
でも、復讐をやめたら、ベキは何を生きる目的にすればいいんでしょう。
誰もすぐには答えない。
設楽統: だって、長い間、復讐を人生の中心にしてきたわけですよね。
それを急にやめろと言われても……。
明日から何をしたらいいのか、分からなくなりません?
島薗進: そうでしょうね。
人は、悲しみを抱えて生きるために、何かの目的を必要とすることがあります。
たとえそれが苦しい目的であっても、それを失うことが怖い場合がある。
設楽統: ああ……。
復讐すること自体が、生きる理由になっていたのかもしれない。
島薗進: そういう可能性はあります。
そして、その目的を手放すということは、失った人の死と、もう一度向き合うことにもなるかもしれません。
設楽統: ……それは、つらいですね。
信田さよ子: だから、私は「復讐をやめれば幸せになれる」と簡単に言いたくないんです。
復讐をやめたあとにも、悲しみは残ります。
怒りも残るかもしれません。
その人が抱えてきた苦しみが、急になくなるわけではないんです。
設楽統: でも、復讐を続けたら、もっと苦しむ人が出るかもしれない。
信田さよ子: そうです。
だから、感情を否定しないことと、行為を止めることは両立します。
設楽統: ああ……。
「怒るな」とは言わない。
でも、「だから人を傷つけていい」とも言わない。
信田さよ子: そういうことです。
中満泉: 私は、今のお話が、個人だけでなく社会にも当てはまると思います。
紛争の中では、過去に受けた被害が、次の暴力を正当化する理由として語られることがあります。
「私たちは傷つけられた」
「だから相手を攻撃する」
すると、今度は攻撃された側が同じことを言い始める。
設楽統: ……終わらなくなりますね。
中満泉: そうです。
そして、その連鎖の中で、最初の争いとは直接関係のない人たちまで傷ついていきます。
設楽統: Topic 2で話した、子どもたちのことですね。
中満泉: ええ。
親の世代が受けた傷が、子どもの世代の新しい傷になってしまう。
それをどう防ぐかは、非常に重要な問題です。
設楽統: ……ちょっと、怖い話ですね。
自分が傷つけられたから復讐する。
でも、その復讐で誰かを傷つける。
すると、その人の子どもがまた復讐するかもしれない。
中満泉: そういう連鎖を断つためには、単に「もう争うのはやめましょう」と呼びかけるだけでは足りません。
何が起きたのかを明らかにする。
被害を受けた人の声を聞く。
責任を問う。
再発を防ぐ仕組みをつくる。
そうした努力が必要です。
設楽統: なるほど。
じゃあ、復讐をやめることと、悪いことをした人を許すことは、別なんですね。
サンデル: そう考えることができます。
赦しは、個人の道徳的な選択に関わります。
しかし、社会には、被害者が赦したかどうかにかかわらず、責任を問わなければならない場合があります。
設楽統: ああ、そうか。
例えば、被害者が「もう許します」と言っても、社会としては責任を問う必要があることもある。
サンデル: そうです。
そして、被害者が赦さなかったとしても、その人が復讐しなければならないわけではありません。
設楽統: ……それは大きな違いですね。
信田さよ子: 私は、そこをぜひ大切にしてほしいと思います。
世の中には、赦すことが立派で、赦せないことが未熟であるかのように語られることがあります。
でも、赦しは他人が命令できるものではありません。
設楽統: そうですよね。
「そろそろ許してあげなよ」って言われても……。
信田さよ子: そうです。
誰かに言われたから赦すのではなく、自分がどう生きたいかを、自分で決めることが大切です。
設楽統: じゃあ、赦さないまま、前に進んでもいいんですか。
信田さよ子: もちろんです。
設楽統: ……それ、ちょっと安心する人もいるかもしれませんね。
信田さよ子: いると思います。
赦せない自分を責めている人もいるでしょうから。
マーサ・ヌスバウム: 私は、その人が復讐に自分の未来を支配させないことも重要だと思います。
相手を赦すかどうかとは別に、自分の人生を何に向けて使うのかを考えることはできます。
設楽統: なるほど。
でも、ベキの場合、そこが一番難しいのかもしれませんね。
設楽は写真を手に取る。
設楽統: 明美さんを失った。
家族を失った。
そして、長い間、復讐を考えて生きてきた。
もし復讐をやめたら、自分の人生に何が残るんだろう。
島薗進: その問いに向き合うのは、簡単ではないでしょう。
しかし、失った人とのつながりは、復讐だけで保たれるものではありません。
設楽統: 例えば、どういうことでしょう。
島薗進: その人が大切にしていたものを、これからも大切にする。
ともに過ごした時間を忘れずに生きる。
その人を思い出すことで、誰かに優しくなれる。
そういう形で、亡くなった人との関係を生き続けることもできるのではないでしょうか。
設楽統: ……ああ。
島薗進: 愛する人を失った悲しみは消えないかもしれません。
でも、その悲しみが、必ずしも誰かを傷つける力にならなくてもよいのです。
設楽統: なるほど……。
雨の音が少し弱まる。
設楽統: ここで、僕、どうしても聞きたいことがあるんです。
ベキには、乃木という息子がいますよね。
40年間離れていたけれど、ようやく再会できた。
Topic 1では、父親が息子に何を残せるのかという話をしました。
でも、もしベキが復讐を果たして命を落としたら……。
乃木は、もう一度父親を失うことになりますよね。
部屋が静かになる。
設楽統: それって……。
ベキが明美さんを失った悲しみを、今度は乃木に渡すことになりませんか。
中満泉: ……そういう見方もできますね。
設楽統: もちろん、ベキが悪いとか、簡単に言いたいわけじゃないんです。
でも、やっと会えた息子がいる。
それなのに、過去の復讐のために、また息子を置いていく。
それって、あまりにも悲しくないですか。
信田さよ子: 私は、今の問いは大切だと思います。
ただ、ここでも乃木に「父親を救わなければならない」という役割を背負わせてはいけません。
設楽統: ああ、そうか。
信田さよ子: 父親が復讐をやめるかどうかは、父親自身の責任です。
息子が愛してくれたから変われた、ということはあるかもしれません。
でも、息子が父親を変えられなかったとしても、それは息子の責任ではありません。
設楽統: ……なるほど。
乃木がどれだけ父親を愛していても、父親の人生を代わりに生きることはできない。
信田さよ子: そうです。
サンデル: そして、ベキ自身にも問いがあります。
自分の過去の苦しみを理由に、これからの人々にどのような責任を負うのか。
設楽統: これからの人々……。
サンデル: 乃木だけではありません。
ノコルもいます。
テントに関わってきた人々もいます。
ベキの行動によって救われた人も、傷ついた人もいるでしょう。
一人の人間の選択は、その人だけで完結しないのです。
設楽統: ……そうですよね。
中満泉: 私は、そこに希望もあると思います。
設楽統: 希望ですか。
中満泉: はい。
過去に起きたことは変えられません。
亡くなった人を取り戻すこともできません。
しかし、これから誰が傷つくのか、誰を守るのかについては、まだ選択できることがあります。
設楽統: ……なるほど。
中満泉: 復讐をやめることは、過去をなかったことにすることではありません。
これ以上、同じ悲しみを増やさないための選択にもなり得るのです。
設楽統: でも、ベキがそれを聞いたら、こう言うかもしれませんね。
「お前たちには分からない。俺が何を失ったのか」
島薗進: そうかもしれません。
設楽統: そのとき、僕らは何と言えばいいんでしょう。
島薗進: 私なら、まず「あなたが失ったものの大きさを、私たちは完全には理解できない」と伝えたいですね。
設楽統: ……はい。
島薗進: そして、「それでも、あなたがこれからどう生きるかについて、一緒に考えることはできる」と。
設楽統: ああ……。
それは、いいですね。
信田さよ子: 私も、相手の苦しみを分かったつもりにならないことは大切だと思います。
ただし、苦しみが大きいからといって、他人を傷つけることを認めるわけにはいきません。
マーサ・ヌスバウム: そうですね。
愛と怒りは、人間にとって深い感情です。
しかし、愛する人を失ったからこそ、残された人々の人生を大切にするという道もあります。
設楽統: ……そうか。
愛する人を失ったから、誰かを傷つける。
それだけじゃなくて。
愛する人を失ったからこそ、もう誰にも同じ思いをさせたくない。
そういう生き方もあるんですね。
マーサ・ヌスバウム: ええ。
設楽統: ……なんか、同じ悲しみから、まったく違う人生が生まれるんですね。
窓の外で、雨がやむ。
長い沈黙のあと、設楽は写真をテーブルに戻す。
設楽統: 今日、僕らは復讐を捨てても、失った人を愛し続けられるのか、という話をしてきました。
最初、僕は、復讐なんかやめたほうがいいと思っていたんです。
でも、皆さんの話を聞いて、それだけでは足りないんだと分かりました。
復讐をやめても、悲しみは残る。
怒りも残る。
亡くなった人に、もう一度会いたいという気持ちも残る。
島薗進: そうですね。
設楽統: でも、その悲しみを、誰かを傷つけるために使うのか。
それとも、誰かを守るために使うのか。
そこは、まだ選べるのかもしれません。
中満泉: 私も、そう思います。
設楽統: ……最後に、一つだけ聞いてもいいですか。
もしベキがここに座っていて、明美さんの写真を見ながら、こう言ったとします。
「復讐をやめたら、私は妻を裏切ることになる」
皆さんなら、何と言いますか。
誰もすぐには答えない。
信田さよ子: 私なら、まず「そう感じるほど、大切な人だったんですね」と伝えたいです。
島薗進: 私は、「愛する人を忘れないために、復讐だけが必要なのでしょうか」と尋ねたいですね。
サンデル: 私なら、「あなたが正義を求めることと、誰かを傷つけることは、本当に同じなのでしょうか」と問うでしょう。
マーサ・ヌスバウム: 私は、「あなたが失った愛を、これから誰かを守る力に変えることはできないでしょうか」と。
中満泉: 私は、「あなたの悲しみを、次の世代の悲しみにしない道を、一緒に探せないでしょうか」と伝えたいと思います。
設楽は、しばらく黙っている。
設楽統: ……僕だったら。
少し言葉を探す。
設楽統: 「ベキさん、奥さんを忘れなくていいと思うんです」
「ずっと愛していてもいいと思うんです」
「でも、乃木さんもノコルさんも、まだ生きているんですよね」
設楽は写真に目を落とす。
設楽統: 「亡くなった人を愛することと、生きている人を愛することって、どっちか一つしか選べないんでしょうか」
静かな沈黙が続く。
島薗進: ……いい問いですね。
設楽統: いや、僕にも答えは分からないんですけど。
でも、もし両方愛せるなら。
明美さんを忘れずに、乃木さんやノコルさんの未来も大切にできるなら。
それが一番いいんじゃないかなって。
窓の向こうが、少しずつ明るくなり始める。
信田さよ子: ただ、その道を選ぶことができなかったとしても、残された息子たちには自分の人生を生きてほしいですね。
設楽統: ……そうですね。
信田さよ子: 親の悲しみを、子どもが一生背負わなければならないわけではありませんから。
設楽統: そうですよね。
設楽は静かにうなずく。
設楽統: Topic 1では、親の愛について話しました。
Topic 2では、誰かを守るための正義について考えました。
そして今日は、復讐と赦しについて話してきました。
でも、結局、全部つながっていたんですね。
島薗進: どういうことでしょう。
設楽統: 誰かを愛している。
だから守りたい。
守れなかったら、悔しい。
傷つけられたら、怒る。
でも、その怒りのために、また別の誰かを傷つけてしまうこともある。
設楽は少し間を置く。
設楽統: だから、愛しているだけでは十分じゃないのかもしれませんね。
愛しているからこそ、何をするか。
そして、何をしないか。
そこが大切なのかもしれません。
窓から朝の光が差し込む。
明美の写真が、柔らかな光に包まれる。
設楽統: ……ベキさんが、もしもう一度人生を選べるなら。
僕は、復讐を果たす人生よりも、息子たちと普通にご飯を食べる人生を選んでほしいですね。
小さく笑う。
設楽統: いや、そんな簡単な話じゃないのは分かってるんですけど。
でも、普通にご飯を食べて、くだらない話をして。
「お父さん、しょうゆ取って」なんて言われて。
そういう時間って、案外、すごく大切なんじゃないかなって。
島薗進: ……そうですね。
失って初めて分かる、日常の尊さというものがありますから。
設楽は、もう一度写真を見る。
設楽統: 復讐しても、失った時間は戻らない。
でも、復讐をやめたら、これからの時間は残るかもしれない。
……そう考えると、まだ希望はあるんですね。
誰も答えない。
ただ、窓の外では、夜が明けようとしている。
写真の中の明美は、静かに微笑んでいる。
その微笑みが何を意味するのか、誰にも分からない。
けれども、残された人々には、まだ朝が訪れる。
過去を変えることはできない。
失った人を取り戻すこともできない。
それでも、今日という一日を、誰かを傷つけるためではなく、誰かを愛するために使うことはできる。
そして、もしその選択が次の世代へと受け継がれるなら。
悲しみの物語は、いつか、別の結末へと続いていくのかもしれない。
最後に

愛していることと、相手を幸せにすることは、同じではない
『VIVANT』を通して考えたかったことがあります。
それは、人間は、誰かを心から愛しながら、その人を深く傷つけてしまうことがあるという、悲しい矛盾です。
親は子どもを愛している。
だから、子どものために人生を犠牲にする。
しかし、その犠牲が、子どもにとっては重荷になることがあります。
人は大切な人を守りたい。
だから、危険を冒し、ときには武力に頼ろうとする。
しかし、その行動によって、別の誰かの大切な人が傷つくことがあります。
そして、人は亡くなった人を忘れたくない。
だから、復讐を生きる目的にすることがあります。
しかし、その復讐によって、今も生きている人々との時間まで失ってしまうことがあるのです。
ここには、一つの共通点があります。
愛が、自分の苦しみや願いを中心に回り始めると、愛する相手の人生が見えなくなることがある。
私は、このことが今回の3つの討論を貫く、最も重要な問題だったように思います。
愛は、相手を自分の人生に縛りつけることではない
乃木は父親を愛していても、父親と同じ道を歩く必要はありません。
ノコルはベキを深く慕っていても、乃木と愛情を競う必要はありません。
そして、ベキが二人を愛していたとしても、二人の人生を自分の復讐の延長にしてよいわけではありません。
親が子どもに残せる最も大切なものは、財産や名誉だけではないでしょう。
「私のために生きなくていい」
そう言えることも、大きな愛なのかもしれません。
ただし、それは親が責任から離れるという意味ではありません。
子どもの傷に向き合い、必要なら謝り、関係を修復しようとする。
そのうえで、子どもが自分とは違う人生を選ぶことを認める。
愛には、その両方が必要なのだと思います。
正義は、自分が守りたい人だけを守ればよいわけではない
ベキが救った孤児たちの人生には、確かな価値があります。
しかし、彼の行動によって傷ついた人々の人生にも、同じ価値があります。
自分の家族が大切であるように、他人の家族も大切なのです。
これは、口で言うほど簡単なことではありません。
危険が迫れば、誰でもまず自分の大切な人を守りたいと思うでしょう。
それでも、自分たちを守るために、他人の命を軽く扱うことに慣れてはいけない。
正義とは、自分が正しいと信じることだけではなく、自分の行為によって傷つく人にも目を向け続けることではないでしょうか。
復讐をやめても、愛は消えない
そして、最後に残るのが、ベキと明美の物語です。
亡くなった人を忘れる必要はありません。
無理に赦す必要もありません。
悲しみが何年続いても、それを恥じる必要はないでしょう。
しかし、亡くなった人への愛を証明するために、これから生きる人々の未来まで犠牲にする必要があるのでしょうか。
私は、そうではないと思いたいのです。
愛する人を失った悲しみを、別の誰かを傷つける理由にするのではなく、誰かを守る理由にする。
そのような選択も、私たちには残されているはずです。
そして、この考えは、戦争や復讐のような大きな問題だけに当てはまるものではありません。
家族の中で、長年のわだかまりを抱えているとき。
親子で、互いの期待がすれ違っているとき。
誰かに傷つけられ、どうしても許せないとき。
私たちは、相手を変えることばかり考えてしまうことがあります。
しかし、相手が変わらなくても、自分がこれから何を選ぶかについては、考えることができます。
怒りを感じながら、傷つけないことを選ぶ。
悲しみを抱えながら、誰かを愛することを選ぶ。
過去を忘れずに、未来を大切にすることを選ぶ。
それは、弱さではないと思います。
むしろ、とても勇気のいる選択です。
もし、ベキにもう一度だけ人生を選ぶ機会があったなら
私は、彼に何を望むだろうと考えました。
もっと大きな正義を成し遂げることでしょうか。
長年の復讐を完成させることでしょうか。
それとも、誰にも知られない場所で、乃木とノコルと一緒に食卓を囲むことでしょうか。
特別なことは何も起こらない。
三人でご飯を食べる。
くだらない話をする。
ときには意見が合わず、少し言い争う。
それでも、翌朝になれば、また同じ食卓に集まる。
そんな、ごく普通の一日です。
ベキが失ったものの大きさを考えると、その普通の一日こそ、何よりも尊いものだったのかもしれません。
私たちも、人生の中で大きな目的を追いかけることがあります。
成功、正義、名誉、あるいは過去への償い。
しかし、その目的のために、今日そばにいる人との時間を失ってしまったら、何を手に入れたことになるのでしょう。
『VIVANT』の登場人物たちが教えてくれるのは、愛することの美しさだけではありません。
愛しているからこそ、立ち止まらなければならない瞬間があるということです。
そして、立ち止まることは、諦めることとは違います。
誰かを傷つける未来ではなく、誰かと生きる未来を選び直すことなのかもしれません。
過去は変えられない。でも、これから誰を愛し、何を次の世代に残すかは、まだ変えられる。
私は、その可能性こそが、『VIVANT』の物語から受け取れる、最も希望に満ちたメッセージの一つだと思います。
登場人物紹介|Short Bios
設楽統(したら・おさむ)|司会
お笑いコンビ「バナナマン」のメンバー。テレビの情報番組やバラエティ番組などで司会を務める。本作では、読者に近い視点から素朴な疑問を投げかけ、ときには鋭い質問で専門家の議論を深める架空の司会役として登場する。
信田さよ子(のぶた・さよこ)|臨床心理士
家族関係、依存、虐待、心理的な傷などをテーマに活動してきた臨床心理士。親の愛情と子どもの経験が必ずしも一致しないことや、家族の中で生じる力関係について考える視点を、本作の架空討論に取り入れている。
島薗進(しまぞの・すすむ)|宗教学者
東京大学名誉教授。宗教学、死生観、グリーフケアなどを研究してきた。本作では、大切な人を失った悲しみや、亡くなった人とのつながりを保ちながら生きることについて考える役割を担う。
森岡正博(もりおか・まさひろ)|哲学者
早稲田大学人間科学部教授。生命の哲学、倫理学、人生の意味などを研究する。本作では、人間の価値を親の愛情や社会的な評価だけで測れるのか、そして一人ひとりの人生を尊重するとはどういうことかを問いかける。
小川仁志(おがわ・ひとし)|哲学者
公共哲学を専門とし、哲学を身近な社会問題と結びつける活動を行う。2026年より青山学院大学教授。本作では、国家の責任、安全保障、現実の危機における難しい選択を考える視点を担う。
中満泉(なかみつ・いずみ)|国際平和・軍縮の専門家
国連事務次長・軍縮担当上級代表。難民支援、平和維持、危機対応などに長年携わってきた。本作では、暴力の連鎖、民間人の保護、説明責任、そして次世代に平和を残すことの重要性を考える視点を担う。
マーサ・ヌスバウム|哲学者
シカゴ大学教授。倫理学、政治哲学、感情、人間の尊厳などを研究する。本作では、愛情と怒り、報復と赦しの違いを考えながら、他者の自由と尊厳を尊重することの意味を問い直す。
マイケル・サンデル|政治哲学者
ハーバード大学教授。正義、倫理、民主主義などをテーマとする著作や講義で知られる。本作では、「100人を救うために1人を犠牲にできるか」といった道徳的なジレンマを通して、私たちが何を正しいと判断するのかを考える役割を担う。
ご注意: 上記の人物紹介は実際の専門分野や経歴に基づいていますが、本記事内の討論、質問、発言、人物同士の交流はすべてフィクションです。実在する人物の出演、協力、推薦、作品評価を意味するものではありません。

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